貯蓄から投資への法規整に関する一考察

【博士学位論文要旨】
平成 22 年 2 月 1 日
一橋大学大学院
国際企業戦略研究科
経営法務コース
ID06L007
岡野
武志
「貯蓄から投資への法規整に関する一考察」
∼上場会社投資法の導入と投資環境の整備∼
はじめに
バブル経済の崩壊以後、わが国の経済は長く停滞を続け、将来に向けて金融システムへの
信頼や金融秩序を維持するためには、多額の金融資産を保有する国民が、自己責任を前提と
して、リスクを分担する直接金融や市場型間接金融へのシフトが求められるところとなった。
このような観点から、「貯蓄から投資へ」の流れを加速させることが重視され、日本版ビッ
グバンの提唱に始まる一連の金融改革では、証券改革プログラム、金融再生プログラム、金
融改革プログラムなどを通じて、市場型金融の拡大に必要な基盤整備が進められてきた。そ
して、株式会社の多様化・柔軟化を目指した「会社法」と金融規制の横断化・柔軟化を目指
した「金融商品取引法」も制定されるに至った。しかし、一連の金融改革の過程から両法の
施行後に至るまでの状況を見る限り、「貯蓄から投資へ」の流れが加速されていることを実
感することは難しい。一連の金融改革の過程でも、また、会社法・金融商品取引法の施行後
においても、株式市場は頻繁に上下動を繰り返しながらその水準を切り下げ、企業のコーポ
レートガバナンスにも目立った改善が見られないまま、金融資本市場には、金融商品等の発
行、組成、取引等の各段階に関わる不正、不祥事、トラブル等が多発し、企業や金融機関の
破綻等や過度の価格変動に伴う不測の損失が投資者に降りかかる事例が後を絶たず、多くの
国民はリスク資産を敬遠せざるを得ない状況がみられる。
この研究では、まず、第一章において、これまでの一連の金融改革が目指した方向や重点
的課題として進められてきた施策について概観するとともに、一連の金融改革に伴う株式市
場の状況、企業動向の傾向、国民の姿勢や動向を確認し、国民がどのような理由で株式を敬
遠しているのかを調べる。次に第二章においては、株式投資への障害の状況について、各種
統計や調査などからその実態を確認した上で、第三章では、貯蓄から投資への流れに向けた
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法規整を考えるにあたって、会社、株式、金融商品、投資、取引、リスク等の基本的な事項
について、どのように理解されるべきかを考察しながら、法や制度がどのような点を考慮し
て構成されるべきかを検討する。また、第四章では、個人金融資産が貯蓄から投資に向かう
ために必要となる、資産形成制度や税制などの投資環境のあり方について考察する。最後に
第五章では、第一章から第四章にわたる調査、考察、検討などに基づく一考察を示し、微力
ながら提言を試みることとしたい。
第一章
金融改革に向けたこれまでの取り組み
いわゆるバブル経済が崩壊し、それに続いて長期間にわたり実体経済が低迷を続けたこと
により、わが国の経済は構造改革を求められるところとなり、特に金融資本市場においては、
金融システムの健全化・安定化とともに、個人が保有する多額の金融資産が次代を担う成長
産業や成長が期待される海外市場に供給され、効率的な運用が図られることによって、来る
べき少子高齢化における活力を維持することが必要とみられてきた。1500 兆円にも達する
とされた個人資産が「貯蓄から投資へ」へ振り向けられるためには、金融資本市場の効率化、
企業の効率的経営と業績回復、個人が投資しやすい市場の整備と投資者の保護等、さまざま
な点で従来の状況を改善することが求められ、
こうした認識の下で各方面での取り組みも進
められてきた。日本版ビッグバンの提唱に始まる一連の金融改革では、
証券改革プログラム、
金融再生プログラム、金融改革プログラムなどを通じて、新規参入と競争を促す規制緩和、
金融イノベーションの促進、市場への信頼確保に向けた取組みなどにより、市場型金融の拡
大に向けて基盤整備が進められてきた。そして、これに伴う法や制度の整備への取り組みと
して、会社の多様化・柔軟化を目指した「会社法」と金融規制の横断化・柔軟化を目指した
「金融商品取引法」において、その多くの部分を最終的に結実させようとしてきたものと見
ることができる。
一連の金融改革では、個人が保有する多額の金融資産が「貯蓄から投資へ」へ振り向けら
れ、国内企業の経済的基盤としての株式市場において効率的に運用されるべく、各種規制の
緩和、企業情報の適正開示、市場機能の強化、個人投資家の保護などの点においてさまざま
な取り組みが進められてきた。しかし、その結果として、企業経営の効率化による株価上昇
が実現されているとはいいがたく、
企業のコーポレートガバナンスの状況にも際立った変化
はみられていない。さらに、個人投資家の金融商品における取引量は大きく増加したものの、
国内株式の保有に対する姿勢は、むしろ消極的な傾向を強めているようにすらみえる。そし
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て、貯蓄から投資へ個人資産がシフトしないことについて個人投資家サイドからは、投資に
対するリターンの低さや不測の損失、投資に振り向ける資金の不足、投資の分かりにくさや
煩雑さなどが障害要因として挙げられている。
個人投資家が国内株式に対して積極的に投資
を進めるためには、これらの障害要因について改善する必要があり、そのためには、これら
の障害要因が引き起こされている原因を知る必要がある。
第二章
株式投資に関わる問題の原因
第一章において、株式投資への障害要因として挙げられた点について、まず、投資に対す
るリターンの低さの原因としては、
企業の経営効率が低いことや利益や配当に対する課税が
過大であることが挙げられる。そして、物言わぬ株主の存在を前提として、経営者が配当性
向を低水準に維持してきたことなどもみられた。また、投資者が不測の損失を被るケースに
ついては、発行市場や流通市場における発行体企業や取引参加者が、株主や投資者との間に
利益相反を生じやすく、
そのような振る舞いが構造的な原因になっていることがみられる一
方、発行体企業や取引業者による不正行為も頻繁に見られており、投資者の利益を大きく損
なってきた状況がみられる。
第二に、株式投資に振り向ける資金の不足については、個人金融資産が高齢者や富裕層に
偏在していることにより、大多数の国民は投資に振り向ける資産を保有していない状況がみ
られ、雇用形態や就業状況の変化等により、勤労者世代の所得は減少する方向にあることも
確認できている。一方、累積債務の増大や少子高齢化等により、現役世代が租税等で負担し
なければならない金額が増加し、むしろ、投資より貯蓄を優先する方向に変化している状況
も見られた。経済規模の縮小や将来に対する不安の拡大は、国民のリスク許容度の低下もも
たらし、株式投資などのリスク商品には消極的な傾向が見られている。
第三の障害要因とされた株式投資の煩雑さやわかりにくさについては、企業が開示する情
報や格付機関、アナリスト、報道機関等からの情報等についても、必ずしも正確でないばか
りか十分な量でないことがある一方、仮に正確かつ十分な情報が提供されたとしても、投資
者側が理解・判断できる内容や量には限界があり、また、人間の限定合理性などによって、
的確な投資行動に結び付かないケースもみられている。個人が認知・理解できる範囲を超え
た多種多様な投資の選択肢や IT の進歩に伴う取引手法の複雑化なども株式投資への敷居を
高いものとしており、殊に複雑な税関係を含む手続き等も大きな障害とみられる
このような株式投資の障害の原因を法制度の観点から整理すると、
株式投資の対象となる
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上場会社に関する事項と株式投資を取り巻く環境に関する事項に分類することができ、前者
においては、法制度における株式会社と上場会社の関係、上場会社の株式に対する投資と他
の金融商品との関係、上場会社の経営者と株主の関係などを考察する必要があり、後者につ
いては、上場会社の株式投資のインフラである取引市場とその関与者、上場会社の業務を執
行するとともに勤労者世代の国民でもある会社従業者、勤労者世代の株式投資を促進するた
めの資産形成制度や税制度などについて、現在の状況を把握した上で改善すべきポイントに
ついて検討する必要がある。
第三章
上場会社に関する課題
株式投資のへの障害の原因のうち、株式投資の対象となる上場会社に関する事項について、
これまでの法制度では、
株式会社全体との関係において上場会社にはどのような特性があり、
どのような上場制度が形成されることが望ましいかとの観点が欠けている点がみられ、株式
会社の要件や体制について定款自治の幅が広がる中で、上場会社となるべき会社の定義が不
明確なまま幅広く上場が認められている状況がある。また、投資者に株式を取得させようと
する時に不当な価格を形成しようとする行為が頻繁に発生し、株主や投資者との間に利益相
反を発生させている。
上場会社の株式に対する投資は他の金融商品との関係でどのような位置付けにあるのか
という観点から上場株式投資をみると、上場株式投資は社会インフラとなっている企業に資
金的基盤を提供し、その意思決定にも関与できるなどの点で、特徴のある投資であることが
分かる。他方、上場会社が普通株式以外の有価証券等を発行することにより、株主権を大き
く損なう事例も発生している。この点については、上場株式に対する投資の特性が理解され
ないまま、横断的に金融商品の中に括られたことにより、規制緩和された取引業者や複雑化
されたリスク性の取引が株式投資の中に入り込む一方、多様化された種類株式や MSCB 等
の有価証券を利用して、
株主や投資者の利益を害するケースが多発しているものとみられる。
また、会社経営を司る取締役等の経営陣や会社機関に関する意思決定を最終的に担う株主
が機能不全に陥っていることも、これらの問題の根本にある原因とみられる。上場会社の経
営陣は、社外取締役や各種委員会などによる実効性のある社外からの監督機能を自律的に導
入することには消極的であり、会社を支配する大株主、持合い株主、支配的な経営者などが
存在する場合には、さまざまな局面で株主や投資者との間に利益相反を生じてきた状況がみ
られている。投資者や株主の利益を害する要因の多くは、株式会社や上場制度を利用して、
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会社を支配することによる利益や不当な利益を得ようとする者が存在することに起因して
おり、これまでの株主や法制度がそのことを容認又または黙認してきたことによるものとみ
ることができる。
上場会社は、社会インフラを担う規模の会社がその資金的基盤とガバナンスを広く多数の
投資者に委ねる点で、会社法における一般的な株式会社と異なるとの観点から、会社を支配
する者や経営者の専横などを排除する上場制度が求められ、上場会社株式が市場において取
引される他の金融商品との比較で特別な位置付けにあり、
上場会社が普通株式以外の有価証
券を発行することが、株主の利益を害することにつながりやすい点にも対応が必要であろう。
また、上場会社における意思決定を担う機関やガバナンス設計については、会社の所有者で
ある株主の議決権行使を通じたガバナンスが不十分であれば、会社機能を低下させてしまう
ことも重視すべきである。
第四章
投資環境に関する課題
これまでの金融システムに対する考え方では、
複数の金融機関が結束して大規模な金融コ
ングロマリッドを構成し、顧客が一つの金融機関で多様な金融商品を取引できることは、金
融機関の経営基盤を強固にし、顧客にとっても利便性が高まるものと見られてきた。また、
金融イノベーションによって、リスクを移転し分散する取引が編み出され、大量のリスク資
産が発生し取引されてきた。しかし、金融コングロマリッドも金融イノベーションも、その
ことによってリスクの総量が減少させられるわけではなく、むしろ、コングロマリッド化し
た金融機関は、信用創造によってそのリスクの総量を膨張させ、金融イノベーションによっ
てその大きさや所在が見えにくくなったリスクを、金融コングロマリッド間で持ち合ってき
たに過ぎないといえよう。
個人の投資が拡大に向かうためには、投資対象である上場会社に関わる制度のみならず、
個人が投資しやすいよう周辺の環境を整備することも必要であり、取引の相手方となる証券
会社や取引業者には、健全性や適格性が求められる。取引の窓口である証券会社等は信頼に
足る存在であることが重要であり、そのためには、証券会社の経営が健全で安定しているこ
とを確保し、不適切な業者が市場に参入できない体制を確実にする、事前審査と継続的な規
制は重要な要素となる。また、市場に関与する格付機関、アナリスト、監査法人等について
も、その適格性を確保することは重要であり、そのためには、個人の委託を受けて資産を運
用する機関投資家が、市場をリードできる仕組みが望ましい。
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他方、上場会社を不祥事から遠ざけ経営効率を向上させるためには、従業員の果たす役割
は大きいため、従業員のインセンティブを高め、経営に参画しながら長期的な株式保有によ
って、資産形成が図られる仕組みとしての従業員持株制度を有効に活用することもできよう。
勤労世代に当たる若年層が長期的に資産形成を進めるためには、年金、保険、投資信託等の
委託投資は重要な位置付けにあり、これらの投資を担う機関投資家の役割は非常に大きい。
また、資産形成過程にある世代が資産を形成しようとする投資行動を促進しようとするなら
ば、こうした投資に対する課税は可能な限り軽減が図られるべきであり、継続して存在する
会社の株式を長期的に保有するインセンティブを醸成する税制度も必要であろう。
第五章
上場会社投資に関する法制度
検討の整理
貯蓄から投資への流れを阻害している要因とさらにその原因を整理すると、第一に、経営
効率、配当性向、発行市場における価格設定、労働分配率、企業情報の開示等における障害
要因は、主に経営者の意思決定に起因するところが大きい。第二に、経営効率、配当性向、
労働分配率等を高め、不祥事等の不測の損失を発生させない経営者を選任することについて、
株主が適切な意思決定を行ってこなかったことが挙げられる。第三には、上場会社や株式投
資についても規制緩和や金融イノベーションを容認してきた結果として、不祥事を発生させ
る上場会社や不適切な取引業者が市場に混在し、上場会社が発行する多様な有価証券等や複
雑な投資手法が投資者の利益を害し、わかりにくさを増幅してきたといえよう。第四として
は、開示情報、アナリスト情報、格付け情報、報道等の正確性の限界と、投資者サイドの限
定合理性が一つの要素と考えられる。さらに第五としては、長期投資や委託投資が効率化・
活性化されてこなかったことも考えられる。最後に全体を覆う問題として、政府債務の急膨
張や年金制度の破綻懸念などは、将来の不安を増大させてリスク許容度を低下させ、租税負
担の増加による投資効率の低下や税負担の不公平感・複雑化の大きな要素とみられる。
個人投資家が株式投資を拡大するためには、これらの各点について改善する必要があると
考えられるが、このような株式投資の障害要因の分類を認識しながら、法制度の観点から検
討すべき点を整理すると、株式投資の対象となる上場会社に関する事項と株式投資を取り巻
く環境に関する事項に大別することができる。経営者の意思決定や株主の問題には、上場会
社にどのようなガバナンス機能が有効なのかという検討が必要であり、上場会社に関する規
制緩和、金融イノベーション、長期投資を促進する市場設計などについても、上場会社に関
-6-
する法制度の中で考慮されるべき事項であろう。他方、正確な情報とそれに基づく自己責任
や長期的な資産形成を促すための投資効率や税制などは、
投資を取り巻く環境のあり方とし
て考えるべきであろう。
改革に向けた各方面での検討
これまでの一連の金融改革におけるさまざまな取り組みを経ても、現実の市場における株
価は低迷を続ける一方、
上場会社や上場会社株式に対する投資を巡って多様な問題が頻繁に
発生し、投資者の利益を損なうとともに市場に対する信頼も回復できない状況が続いている。
このような状況に対する課題や問題については、各方面でも認識されており、更なる改革に
向けた検討が進められている。マクロ的には今回の金融危機に対する反省から、世界的にマ
クロ健全性規制とミクロ健全性規制の適切なバランスを確保することが重要であり、銀行資
本の質と量の双方を改善し、過度なレバレッジを抑制することの重要性が認識され始めてい
る。国内でも個別の金融機関のリスク回避等の行動結果が「合成の誤謬」を起こし、金融市
場やマクロ経済に与える「外部不経済」に対する配慮不足と相俟って、社会全体として危機
に至る可能性が議論され始めている。
わが国の上場制度については、2007 年 10 月に日本取締役協会が「公開会社法要綱案(第
11 案)1」公表している。また、東京証券取引所の上場制度整備懇談会は、2009 年 4 月 23
日に「安心して投資できる市場環境等の整備に向けて2」と題する報告を公表しており、会
社法の枠組みを前提としつつも、市場開設者としての立場から、株式の利益が尊重されない
ような行動に対して、早急に対応する必要があるとしている。日本証券業協会に設置された
金融・資本市場に関する政策懇談会でも、2009 年 6 月 16 日に報告書3を公表しており、①
金融リテラシーの普及推進について、②市場仲介者に求められる役割について、③投資家と
の対話を重視したコーポレート・ガバナンスの推進について、④投資環境の整備について、
の各点について議論を深めている。この報告では、投資家との対話を重視したコーポレー
ト・ガバナンスについて、活力ある「市民投資家(Citizen Investors)社会」を実現する上
では、株式投資と企業経営がより密接に関係する構図が重要であり、唯一会社に対する議決
1「
『公開会社法要綱案』(第 11 案)の概要について」
(日本取締役協会金融資本市場委員会、
「金融サービス市場法制のグ
ランドデザイン」所収、2007 年)
P155∼
2「安心して投資できる市場環境等の整備に向けて」東証 HP、http://www.tse.or.jp/rules/seibi/seibi.pdf
3「金融・資本市場に関する政策懇談会」報告書
∼活力ある市民投資家社会の形成に向けて∼」日証協 HP
http://www.jsda.or.jp/html/chousa/seisaku_kon/09.pdf
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権を持つステークホルダーであることを認識し、企業経営をモニタリングするという機能を
果たすことを期待している。他方、2009 年 3 月 29 日には日本監査役協会から「上場会社
に関するコーポレート・ガバナンス上の諸課題について4」と題する報告が公表され、日本
経団連からも、4 月 14 日に「より良いコーポレート・ガバナンスをめざして(主要論点の中
間整理)5」と題する提言が示され、さらに、6 月 17 日には経済産業省の企業統治研究会か
らも「企業統治研究会報告書6」が公表されている。
金融審議会金融分科会第一部会が同じ 2009 年 6 月 17 日に取り纏めた、上場会社等のコ
ーポレート・ガバナンスに関する報告7では、
「現時点でも、上場会社等の不祥事や少数株主
等の利益を著しく損なうような資本政策などが後を絶たない。また、上場会社等の経営が会
社内部の論理で支配され、外部に対する十分な説明責任が果たされない、あるいは、経営の
変革が求められる局面にあっても、対応が遅れがちとなるケースが少なくない」ことを認識
し、①第三者割当増資、MSCB、キャッシュアウト、グループ化、子会社上場等の市場に
おける資金調達等の問題、②取締役、監査役、社外役員、役員報酬等のガバナンス機構を巡
る問題、③企業評価、ガバナンスの発揮、株主との対話等議決権行使等を巡る問題に整理し
た上で、貯蓄から投資への流れと上場会社等のコーポレート・ガバナンスの強化は密接不可
分であり、両輪として取り組みが進められるべきとの見解を示している。
残された課題
1.個別対応の限界
取引所、協会、財界等の各方面からの報告や提言は、いずれも市場環境の整備、コーポレー
ト・ガバナンスの向上等の方向性では一致しているように見えるものの、社会に対する影響
力の大きな大企業の立場が優先され、総論賛成各論反対の状況にあり、上場会社のコーポレ
ートガバナンスにおいて重要な部分であるガバナンス設計について、
長期間にわたって結論
を出せない状態が継続している。社会的に重要な事柄について当事者間の利益が調整が期待
できないため、法による解決を行うべきであろう。
4「上場会社に関するコーポレート・ガバナンス上の諸課題について」
(日本監査役協会:コーポレート・ガバナンスに
関する有識者懇談会)日本監査役協会 HP、http://www.kansa.or.jp/PDF/ns_090403_02.pdf
5「より良いコーポレート・ガバナンスをめざして(主要論点の中間整理)」日本経団連 HP、
http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2009/038.pdf
6「企業統治研究会報告書」企業統治研究会:経済産業省 HP、
http://www.meti.go.jp/press/20090617001/20090617001-2.pdf
7「我が国金融・資本市場の国際化に関するスタディグループ報告
向けて∼」
(金融審議会金融分科会、2009 年 6 月 17 日)
http://www.fsa.go.jp/singi/singi_kinyu/tosin/20090617-1/01.pdf
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∼上場会社等のコーポレート・ガバナンスの強化に
2.経済・社会全体についての考慮
国民が主権者であることは、その国にある自由も権利も義務も責任も、すべてが最終的に国
民に帰属することを意味しており、貯蓄から投資への法規整は、国民がより直接的に経済活
動のリスクを負担するシステムを構築することに他ならない。これまでは政府や企業が行っ
た意思決定の結果を国民が享受または負担する構造となっていたが、
国民が意思決定しその
結果が国民に帰属すること明確にして、金融秩序のあり方を見直すべきであり、上場制度が
経済や社会に及ぼす影響を全体として捉えながら、経済的な自由と規制や制度の在り方を再
考する必要がある。
3.実務的な変化への対応
上場株券の電子化や取引、決済、保管等に関わるシステムの発達により、上場株式投資に関
わる状況は大きく変化している。情報技術革新や金融イノベーションは、市場機能を高める
上では不可欠であり、市場全体が情報システムに対する依存の度合いを高めていく中で、そ
のメリットを経済が十分に享受していくためには、技術や実務の変化に適切に対応し、これ
をサポートしていく投資者の立場に立った法制面での基盤整備が不可欠といえよう。
4.投資者の視点
これまでの金融改革は、情報開示に基づいた自己責任原則を前提に、規制緩和と競争強化に
よって多様な投資者に多様な選択肢を与えることに努めてきた。しかし、そこには、どのよ
うな投資者が上場株式を保有することが望ましいかという視点は見られなかった。社会や経
済の継続的かつ健全な発展を求めるならば、投資期間の長い若年層世代が、その年齢ととも
に資産形成していく過程を助成・促進することが必要になろう。人間は経済学が前提として
いるような経済的に完全に合理的な存在ではなく、加えて、金融工学などが前提とする効率
的な市場が存在しないのならば、金融・資本市場に関わる法規整においても、限定合理的な
参加者による非効率な市場を前提として、現実的な修正がなされるべきであろう。
5.国際化の方向性
これまで、グローバルな市場やボーダーレスな取引に対応すべく、市場機能を高めることや
周辺環境を整備することに注力されてきたが、そのことは、あくまでも内外の資本が国境を
越えて経済活動に適正に配分され、経済効率や投資効率を高めるための手段であり、それ自
体が目的であってはならない。国際化に向けた取り組みにおいても、どのような投資者がど
のような資産に対して投資することが重要かという視点を持つことは重要であろう。
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上場会社法の制定と投資環境の整備
1.上場会社への投資に関する法制度の整備
上場会社法の制定
一連の金融改革に伴って進められてきた会社法や金融商品取引法の見直しでは、
両法があ
らゆる形態の会社やあらゆる種類の金融商品を対象としようとしているため、国民が貯蓄か
ら投資へ資金を振り向けることを進める目的では、有効な機能を発揮しにくい。上場会社に
対する適切なガバナンス構造を確保して、上場会社が社会インフラの一部としての機能を発
揮できる制度とするためには、上場会社と上場会社に対する投資の社会的・経済的な意義を
明確にした上で、上場会社に関する法と会社法の切り分けを行い、上場会社に対する投資を
金融商品取引法の守備範囲である他の金融商品取引と分離することで、上場会社とその投資
に関与する者の属性や行為を特定し、株式発行会社、取引業者、及びその他の関与者の適切
性や健全性を確保することが重要である。上場株式に関する制度が分かりやすく標準化され、
上場株式投資は銀行における普通預金のように、商品性についての説明を要しない安定感の
ある投資となり得るためにも、上場会社の株式とその投資について定めた法律(以下、「上
場会社投資法」という)を制定することを提言したい。
上場会社のガバナンス
大規模に事業展開する上場会社は、
広い地域や多数の人々に直接・間接に影響を与えるため、
自らの社会的影響力を前向きに活用し、持続的な社会作りに寄与する社会貢献が求められる
時代となっている。しかし、上場会社のほとんどは委員会設置会社に移行せず、社外取締役
を置いている会社も半数に満たない状況が長期にわたって継続している。企業特殊的な関係
の中にある会社役員が、
自らに不都合なガバナンス機構を自律的に社内に形成することは難
しいであろうし、形骸化に陥りやすい懸念もあるため、独立性の高い社外取締役を少なくと
も 1 名選任することを法が義務付け、社外取締役が監査役と連携する体制を構築すること
を提言したい。株主が信頼できる経営管理機構に経営を委託し、株主の利益や社会への貢献
を最大化することを目的とするならば、株主に代わって経営に関わる意思決定と業務執行役
の監督を行う、独立性の高い社外取締役を法制度に導入することは、上場会社制度の根幹で
あり極めて重要な機能と考えられる。
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株主と議決権行使
メインバンク制度や株式持ち合い構造が崩れ、従来の固定的な株式保有の形態から市場
的・流動的な株式保有に移行しつつあるわが国の上場会社では、株主による経営監視の空洞
化を放置すれば、会社内部のガバナンス設計を如何に改善しようとも、経営効率の向上や不
祥事の抑止などの効果期待できない。株式を一時点だけ保有する者を会社の所有者とする現
行の基準日制度では、会社に対するモニタリング機能を果たさず、会社の事業活動からの利
益だけを得ようとするフリーライダーを生みやすく、会社の支配権を得ることだけを目的と
した一時的な議決権の取得が横行する可能性もあるため、少なくとも 6 カ月程度の期間に
わたって株式を保有し続けた者を株主として取り扱う制度を提言したい。また、ガバナンス
のフリーライドを防止する観点からは、株主が上場会社に対して能動的に行う行為の中で最
も一般的かつ重要である議決権行使について、
議決権を行使した株主に対してのみ配当を支
払う制度の導入を検討することも提言したい。
上場会社の有価証券と取引に関する規制
種類株式等の発行は株主に議決権の質や量に変化をもたらし、また、現在の株主以外の者
に株式を保有させる決定を経営者が行うことは、経営者が株主を選定していることなるため、
議決権行使を通じた株主のモニタリング機能である点を重視する立場からは、これらを容認
すべきではない。従って、上場会社については、普通株式以外の株式の発行や株主権に影響
を及ぼす可能性のある資金調達や金融商品の利用を制限する制度とすることを提言したい。
しかし、これだけでは、金融イノベーションと規制緩和によって、多様な取引手法が容認さ
れている今日では、外形的には普通株式や一般的な債券に見せ掛けながら、デリバティブ取
引等を組み合わせることで、性質の異なる有価証券等を創出することも可能になる。そこで、
経済や社会の発展に寄与することが株式上場制度の目的の一つであり、上場市場が企業価値
の向上を望む参加者のためにあるとの前提に立ち、株価の下落を望む者を生み出す可能性が
高い上場株式の空売りに対して制限を加えることも併せて提言したい。
不適格な会社と業者の排除
現在の法制度では、規制緩和や競争強化が優先されているために、金融商品取引業者全般
について登録制を採用しており、その結果として、投資者の利益を損なう事例が多数発生し
ているため、少なくとも引受審査を行う証券会社については、審査能力や審査姿勢等につい
- 11 -
て事前に厳格な審査を行う制度の導入を提言したい。また、金融コングロマリッドが、銀行
部門と市場部門を交錯させながら過剰な信用創造を引き起こせば、本来補完関係にあるべき
複線的な金融システム全体が崩壊し、実体経済にも多大な影響を及ぼすことが懸念されるた
め、金融機関のコングロマリッド化について、マクロプルーデンスという観点から再考する
ことも提言したい。
2.投資環境の整備
従業員の参加
事業活動の内部にあって、実際の業務運営や収益の状況等の情報を得易く、会社を取り巻
く環境についても理解している従業員は、企業活動を監視だけでなく不正行為の抑制も行え
る立場にあるため、企業統治の上で重要な役割を果たし得る存在でもある。このような従業
員が、従業員持株制度を通じて会社経営に参画することができれば、企業収益率、労働分配
率、配当性向等の数値が、従業員の利益に直接影響を与える数値となることにより、その意
思決定の適切性や業務執行の効率性が高まることが期待できるであろう。そのためには、従
業員持株制度に関する法整備を進め、パススルー議決権の採用などにより、経営参加を現実
のものとすることが望まれる。
資産形成投資の整備
勤労世代の給与所得者は、年金、生命保険、医療保険、雇用保険、介護保険等に相当な金
額を支払っているにもかかわらず、自らの保有する資産額が把握できないまま、年金や社会
保険などの支払いを義務付けられていることが負担となり、かえって将来への不安を募らせ
ているため、いわゆる 401kのような、自らの資産形成過程における保有資産がいつでも把
握できるシステムが、他の資産形成制度や社会保障制度にも採用され、将来設計やリスク管
理全体を自己責任で行えるような社会インフラを整備する必要があると考える。
投資を促す税制
簡素な税制、直接金融と間接金融に中立的な税制、投資リスクを軽減できる税制などが求
められているが、各種優遇税制等はかえって税制を複雑にしているため、資産形成を促進す
るためには、配当課税を撤廃することが望ましいと考える。
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