第4回「ハンガリー旅の思い出」2007年コンテスト作品

第4回「ハンガリー旅の思い出」2007年コンテスト作品
石田さんの作品
ハンガリー 運命の国
私がこの文章を書いているのは8月初旬。そしてこのコンクールの締め切りの1日前の8月14日、私は
ハンガリーへと旅立ちます。今回でハンガリー入国は4回目。最初の入国前はハンガリーとは全く縁が
なかったのですが、あるきっかけで私とこの国の間に特別な繋がりができました。以下にその詳細とハ
ンガリーの旅の思い出を記します。
第一回目の入国 2004年5月
私は世界一周旅行の途中でハンガリー・ブダペストに到着しました。ルーマニアのブカレストから夜行
列車を利用しての入国でした。晴れて穏やかな朝だったと記憶しています。ガイドブックで目星をつけて
いた宿はあいにく満室でしたが、受付の方に助けを求めたところ快く他の宿を紹介してもらい、荷物を置
き市内見物へ。合計で3-4日ブダペストに滞在しましたが、おおむね晴れの日が続いたお陰もあり、ブダ
ペストを十分に楽しむことができました。特に晴れた日のドナウ川の景色は、言葉では表現できないくら
いの美しさで、写真を何回も撮りました。その他特別の思い出として、私が入国する2週間ほど前にハン
ガリー(含む東欧・バルト三国)が晴れて欧州連合の仲間入りを果たしました。そのせいでしょうか、街の
雰囲気が晴れやかだったことは今でも忘れることができません。
残念だったこともあります。ガイドブックに「ブダペストの(切符の)検札業務は非常に厳しい」と書いて
あったので常に気を張っていました。しかしある日、モスクワ広場で切符を買い、日付を押す機械を探し
たのですが見当たらず、「エスカレーターの下にあるだろう」と思って降りたところ、下にあったのは(いた
のは)機械ではなく検札の係員。見事に引っかかってしまいました。もちろん不正乗車をするつもりは一
切なく、その機械が見えにくく見つからなかっただけなのですが、いくら係員に説明しても聞く耳を持た
ず、こちらも切符を購入してからエスカレーターを降りるまでの間に機械がなかったことに納得がいかな
かったので、その係員を連れてエスカレーターを上って、自分の歩いてきた道を説明しましたが、やはり
不正乗車とみなされ罰金を払う羽目になりました。今では普通の思い出として残っているのですが、まだ
今でも機械は見えにくいところにあるのか、気になるところです。また、もう一つ残念なことがありました。
それは、ハンガリー名物のグヤーシュというスープを食べたいと思っていたのですが、タイミングを逃し
そのままハンガリーを去ってしまいました。
そんなこともありましたが、ブダペストの綺麗な景色と色々な思い出を胸に、しかし「しばらくここに来る
チャンスはないだろうな」と思いつつハンガリーを去りました。
第二回目の入国 2005年12月
時は流れ、2005年夏、偶然にも私はハンガリーを再訪するきっかけを得ました。同年7月に内閣府主
催の国際青年育成交流事業に参加したのですが、自分の所属したグループの中にハンガリーからの参
加者が数人いて、一人とは移動中のバスの中で席が隣になったことから親しくなり(仮にAさんとします)、
もう一人とはディスカッションの際に同じグループになったことから親しくなり(仮にBさんとします)、合計
二人のハンガリー人と親しくなりました。その時はお互いメールアドレスを交換してお別れしましたが、こ
の二人との繋がりが今に至るまで続くことになります。そして同年12月、所用でドイツ・ミュンヘンの大学
教授を訪問することになり、挨拶がてら二人を訪ねてハンガリーに行こうかとメールしたところ、何と前述
のAさんがその大学教授の下で研究をしているとの事。偶然ではありますが、何か縁みたいなものを感
じました。大学教授・Aさんに会った後(ミュンヘンでAさんにお世話になったことは言うまでもありませ
ん)、人生で二回目のハンガリーへ。冬ということもあり、厚い雲に覆われたブダペスト市内は灰色の街
でした。同じ街なのに天気によってここまで雰囲気が違うものか!と思いました。一方、クリスマスシーズ
ンでしたので街の中にはプレゼントの為の屋台がたくさん並んでいて、それらの店の一つ一つが個性的
でした。
日本のクリスマスですと、大きな店でプレゼントを
買うというのが一般的だと思いますが、静かな雰囲
気の中で屋台を一軒一軒周るのは日本では体験
できないことです。特に屋台の集まっているデアー
ク広場は、周囲にある建物、人々の雰囲気、昔何
かで見たヨーロッパのクリスマスのイメージと一致
しました。そして今回のブダペスト滞在中は、市の
郊外に住んでいるBさん家族の所に泊まらせても
らったのですが、前回の訪問で食べる事のできな
かったグヤーシュを食べる事ができました(しかも家
庭の味です)。前回食べる事ができなかったので、
この時は本当にうれしかったです。
そして、この時こそ「もうしばらくハンガリーに来る
事はないだろうな」と思いつつ去ったのですが…。
第三回目の入国 2006年9月
この年の5月、前述のBさんから久しぶりにメール
で連絡があり、9月に結婚するのでぜひ式に来て欲
しい、とのこと。もうこうなればハンガリーとの運命を
感じずにはいられません。すぐにOKの返事をして
諸々の手配を済ませ、私にとって三回目のハンガ
リー入国となりました。結婚式の会場はブダペスト
郊外の古城、と聞いており到着前からどんな所かと
ワクワクしていたのですが、実際は古城というより
宮殿と言った方が正しいでしょうか、敷地内に広い
中庭がありその真ん中に式場となるメインの建物、
その両側には客室が並んでおり、壁の色は白で統
一され、窓枠は木製、ドアの色は落ち着きのある茶
色でした。
ヨーロッパの結婚式に参加するのは初めてでしたが、想像以上にロマンティックな会場でした。さらに特
記すべきことは式の時間の長さです。中庭でのセレモニーが始まったのが午後3時頃、その後写真撮
影、休憩を挟んで午後6時頃から本番がスタートです。バンドの演奏、参加者から新郎新婦へのプレゼ
ント贈呈、ダンス、各種アルコールでの乾杯…。夜12時を過ぎてもまだ多くの人が式を楽しんでいます。
ハンガリーは旧東欧諸国に属していたので、どうしても暗いイメージを持っていたのですが、全くそんな
ことは感じさせない位明るい人達による、明るい結婚式でした。この後もハンガリー・前述の友人とのコ
ネクションは続きます。
私は2007年2月にベルリンへ語学留学することにしたのですが、出発の数日前にたまたまAさんにメー
ルしたところ、彼はベルリンにあるドイツ政府の機関でインターンシップをしているとのことで、ミュンヘン
に続いてベルリンでも彼と再会することになりました。これも運命なのかもしれませんし、Aさんは現在ブ
ダペスト市内の大学の博士課程で勉強をしているのですが、彼が次に研究か何かでハンガリー国外に
出たら、私もそこで彼と再会することになるかもしれません。
彼とは何度もビールを一緒に飲む機会があったのですが、ハンガリーのことで印象に残っている話と
して、「乾杯」の方法があります。私が知っている方法は、「乾杯」と言いながらグラスとグラスを軽くぶつ
けるものですが(日本のやり方と同じです)、ハンガリー式では、「乾杯」と言いながら各々がグラスを机に
軽くぶつけるのだそうです。前者の方法はナチス時代のドイツを連想させるもので、この方法で乾杯をし
ないところにハンガリーの意地とか気持ちの強さを表すとのことでした。また過日、ベルリン中心部にて
EUの今昔を綴った展示物を見る機会がありました。私が知っていた「東西統一」の先駆けとなったのは
1989年11月のベルリンの壁の崩壊だったのですが、その展示によれば、その前の6月(一部情報では5
月となっている)にハンガリー・オーストリアの国境にあるフェンスが取り除かれたとの事。自分の無知を
嘆くと共に、私が歴史を勉強した時は教科書でこの事は触れていなかったと思うので、ぜひ今の子供達
にも学んで欲しいと強く思います。
そしていよいよ4回目の入国が近づいてきました。Aさんがインターンを終え帰国するのに合わせて、
私も訪問することにしました。今回は首都のブダペストだけでなく、Aさんの実家のある東部の街ニレジ
ハーザ、そしてワインで有名なトカイも訪れます。ハンガリーの地方に行くのは初めてですので、どんな
景色・料理・人々と出会えるのか楽しみにしています。そして、私のハンガリーへの旅は5回、6回ともっと
もっと続いていくことになると強く信じています。
2007年10月