7)ある夜の出来事から

ある夜の出来事から
毎度当ホームページを御愛読頂き、まことに有難うございます。
なかなか寒さが抜けませんが、お元気のことと存じます。
さて先日、私が鑑定をしている店でのことです。深夜となり、鑑定の方もよ
うやく一段落してカウンターで休憩している時。私の左側で5人くらいの中年
男女が何やら昭和30年代の話で盛り上がっている最中でした。折りしも話題
が六十年安保に及ぶや否や、私の右側で1人ポツンと離れて飲んでいる初老の
男がいきなり話に割り込んできたのでした。
「俺は実際にその時代に左翼運動をやってきたんだ。だからそういう話にはふ
れないでほしいんだよ」
これに対して、件のグループの1人が曰く。
「私達は、同じ世代を確認しあっているだけなのだから、そんなふうに言われ
る筋合いはないでしょう」
例の男は元の席に戻るや、無念そうに一言。
「俺はこれでも、あの時はベ平連(ベトナムに平和を!市民連合の略称)で真
面目に運動に取り組んでいたんだ。それなのに、結局は何にもならなかったの
か・・・」とばかりに、悲しい酒をもう一杯追加。そして隣の私にやおら、
「あんた、わかるかい?」
ここまでくると、さすがの私も辛くなって、概ね次のようなことを言ったの
でした。
「ベ平連は、日本がベトナム戦争に加担するなと主張してきたわけでしょ?
それは間違いだとは思いませんよ。しかも、日本がベトナム戦争の恩恵を受け
て景気が上向きになっていた時代に、佐藤内閣がジョンソン体制に追随してい
た時代に主張したのですよ。それって勇気が要ることじゃありませんか?
日本が実質的にベトナム戦争の後方基地だったことなんて、今じゃ知る人も少
ないでしょうけど。でも、左翼思想というのは現実に変革が不可能であっても、
批判勢力としての機能は十分にあると思いますよ。つまり、言論は存在自体に
価値があるんです。100人中99人が右と言っても、1人だけ左と言えば、
確かに数の力には屈するかもしれないけれども、でも、たとえ一人でもそうい
う意見が表明された、という事実は残るでしょう。そしてそれが理路整然とし
た意見なら、他の人を照らし、何らかの影響を与えることもあると思うのです。
ですから、仮に左翼勢力を批判勢力に限定したとしても、それが起こるのは必
然だと思うのです。ましてやベ平連は市民運動でしょ? そういう草の根の運
動というのは、起こるべくして起こるものなのです。
たとえ小田実さんが何も発言しなかったとしても、誰かが必ず何らかの形で声
を挙げていたでしょう。それに参加されていたのですから、それ自体が大した
ものだと思いますよ。そう思いませんか?」
こう言うと、その男は私の手を取って感涙に咽んだのでした。
気がつくと、件のグループも店のマスターも、いつの間にかおしゃべりを止
めて私の話を聞き入っていたのでした。何だか時ならぬ演説みたいでバツが悪
かったのですが、しかしなぜそんなことを長々と言ったのかというと、その男
の心情を察したが故のことでした。
何しろ総本山のソ連がこけ、続いて東欧がこけ、チャウシェスクは射殺され、
金正日の足元もいよいよ危なくなり・・・ という具合に、これまでに左翼勢
力が拠って立っていた世界的な基盤が崩壊しているわけですから、何とも苦し
い立場にあることは言うまでもありません。ソ連が崩壊する少し前のことです
が、ソ連の国内でも政治体制に対する内部判が行なわれるようになったらしく、
私と付き合いがあった古株の共産党員の1人が「私は日本を社会主義にするた
めに、これまで頑張ってきたのに、ああいうことを言うようになったのでは困
るんですよね」とぼやいていたものでしたが、とにもかくにも、左翼思想を信
条として生きてきた人々にとっては、そういう現実を受け入れることは、己の
全人生を否定するにも等しいことでしょう。左翼運動が無意味に終わったと感
じている人も少なくないのではないでしょうか。
しかし、私は毛沢東ではないけれども、造反有理、つまり反乱を起こす側に
もそれなりの言い分があると思っています。ましてや批判勢力ともなれば、そ
の必要性は言うまでもないでしょう。
私はかつて、日本の左翼関係の出版物は共産党から赤軍派に到るまで目を通
したことがありました。それというのも、それぞれの立場や意見を先ずは知ろ
うと思ったからです。
その結果、それぞれ出自の根本は同じでも、これだけ解釈に差が出るのかと驚
いたものでした。これまでに少なからぬ左翼系の人々と出会ってきましたが、
一口に左翼とか反体制とか言っても、人によってレベルはピンキリで、左翼を
自称していながら、肝心の共産主義そのものに対して不勉強だったのに驚かさ
れたこともあります。
しかし、私が最もショックを受けた書物は安藤昌益の「自然真営道」でした。
これは唯物論ですから、左翼関係と言うのは苦しいのですが、マルクスが登場
する以前、宗教が科学とは未分化であった頃の江戸時代の日本に唯物論者が登
場していたことは特筆に価するでしょう。唯物論と言えば、日本では大正から
昭和にかけて活躍した戸坂潤という人が有名です。マルクスに到るまでの西洋
哲学には、自我と対象との遠近法が根本にあり、そこから唯物論が醸成された
わけですけれども、戸坂潤もその流れを汲む人なのに対して、安藤昌益の場合
はそれとは全く無縁の土壌から現れたのでした。
なお、戸坂潤の著書では「科学論」は読み応えあります。
というわけで、以前も書いたように私の考え方は今も左寄りであり、生粋の
反体制ですが、どうも武道と言う因果な世界では心情的に国粋主義者が多く、
私なんぞは必然的に異分子にならざるを得ませんが、これはまあ致し方ないで
しょう。前にも書いたように、私は「人間の数だけ生き方がある」という考え
方であり、「武道家」とか「日本人」という一つの型があって、それに自分を
なぞらえるような考え方は基本的にありません。どんな人間であろうと、この
世に生きている限りは、その存在には絶対性がある。つまり人間は、あらゆる
評価に先立って、先ずは生まれてくるもの、先ずは存在するものでしかないか
らです。民主主義や人権思想の根本原理もそこにあります。従って、「日本人
らしく」ということ以前に、先ずは「自分らしく」あるべきだと思います。自
分らしさを自覚することによって、自分を全部使って生きることが出来るから
です。自分と同じ人間は二人といない。そのことの方がずっと意義があり、ま
た誇るに足ると思います。
現代に於いて日本人論を語るのは大変難しいのです。何を以て「日本人らし
く」と言うべきなのでしょうか。もしもそれが偏頗な美意識からくるものであ
れば、とどのつまりは異分子排除へと結びついてしまいます。異分子排除とは
言い換えれば、異文化への拒絶反応です。つまり、共通認識の相違を認めない
ということです。日本人論を語ろうとすれば、
今日に到るまでの歴史や文化を全て包括しなければならなくなります。これに
ついて書くと大変長くなるので、別な機会に譲ることにします。
実は私は右翼演劇に出演したこともあります。それは私が映画の助監督をし
ていた頃、私の知人の紹介で、右翼文化人で演出家でもある梵天太郎先生に会
い、それが縁で梵天先生率いる劇団梵天の公演に参加したのでした。それは太
平洋戦争末期、人間爆弾として有名な「桜花」を使う神雷特攻隊を舞台にした
「青春散華」という芝居で、梵天先生自身がかつて神雷特攻隊に配属されてい
て、その時の経験を元に台本を書かれたとのことでした。
ちなみに「桜花」とは戦争末期に開発された特攻用単座ロケット機で、胴体
前部に爆薬が仕込まれ、機首の信管によって爆発する構造で、一式陸上攻撃機
の胴体下部に吊り下げられて離陸し、目指す敵艦上空で切り離され、ロケット
エンジンに点火し、時速995 km で敵艦めがけて突っ込んでゆくようになっ
ていました。多くの場合は黎明薄暮を狙った奇襲作戦だったそうです。つまり
戦争がもう少し長引いていたら、梵天先生は間違いなく死んでいたわけです。
「青春散華」は死を控えた若者たちの様々な青春群像を描いたもので、
多分に死んでいった梵天先生の仲間への追悼がこめられていたように思います。
私が演じたのは、特攻隊員と少年時代の二役でしたが、私はどういうわけか
梵天先生から非常に気に入られ(随分ダメも出されましたけれども)、以降の
公演でも同じ役を何度も演じることになったのでした。打ち上げの席で、その
筋の親分衆がずらりと並んでいたのにも驚かされました。そしてこの公演を通
じて、私は演劇界の色々な人々に出会うことが出来、演劇の世界に深入りする
きっかけにもなったのでした。その意味では梵天先生は恩人の1人です。また
梵天先生の門人で、青年行動隊長の石川さんとも親しくなり、沖縄公演ではお
世話になったものでした。梵天先生は現在は沖縄に居住されていますが、最近
は会う機会もなく、御健勝をお祈りするのみです。
しかし、だからと言ってその世界の人々に追随したこともなければ、ケンカ
や論争もしたことがありません。それというのも、私は「全ての思想は、思想
であるより以前に、先ず知識である」と考えているからです。それに、立場は
どうあれ真面目に取り組んでいる人には、やっぱり敬服するからです。
たとえば、私は宮澤賢治の大ファンですが、賢治が傾倒した日蓮宗に私が傾
倒したかといえば、そんなことはありません。作家にとっては作品こそが本質
だからです。但し、賢治を理解するために法華経は全巻を読みました(これが
すごく長いのですよね)。それによって賢治の立場を理解することは出来たよ
うに思います。また、私は右翼ではないけれども、三島由紀夫の「金閣寺」
「仮面の告白」「剣」は好きです。なぜなら、これらの作品を読むと、作者の
あまりにも純粋な気持ちが浮き彫りにされていて、そんな作品に私は弱いので
す。また、三島由紀夫が東大で行なった講義録も読みましたが、やはり得ると
ころはあったと思っています。
ついでに言えば私は一応仏教徒ですが(仏教系の大学だし、禅道場に通った
のですから、当然と言えば当然ですが)、マタイ伝(新約聖書)は読破したし、
実は神父との付き合いもあります。
以前、私の友人に、ある新興宗教に傾倒している人がいて、私にしつこく入
信を勧めたことがありました。そして教祖が書いたという本を「是非読んで下
さい」と渡されたので、とりあえず目を通したのでした。そして「貴方は大変
真面目な方だと思います。その貴方がこれほど一生懸命になるのですから、そ
の宗教には優れたところがあるのでしょう。だから、私は貴方の宗教活動も教
義も決して批判はしません。でもそれは、私が入信することとは話は別なので
すよ」と言ったのでした。友人は「どうも有り難うございます」と言って、そ
れきり私への勧誘は止めてくれました。ひとたび入信すれば、教義は世界観に
なり、知識としての認識は許されなくなる。私にはそれが耐えられなかったの
でした。あらゆる思想は全て同じ価値で存在しているのであり、取捨選択は個
人の自由の範囲内で行なわれるべきだと思います。
閑話休題。これも最近のことですが、以前も紹介した占い師のH女史と色々
話してゆくうちに、イラクの自爆テロのことで意見が衝突したことがありまし
た。私が「どのようなイデオロギーであれ、不特定多数の他人様の生命財産を
犠牲にすることを正当化することは悪と断じられても仕方がないのではありま
せんか」と言ったのに対して、彼女は「いいえ、それは違います。それぞれ立
場が違うのですから、私はどちらにも与せず、中立でありたいのです。そうし
なければ見落としてしまう点もあると思います。だから、それぞれ命を落とし
た人々に祈りたいのです」と答えたのでした。一つ間違えれば感情の行き違い
になりかねない論議でしたが、しかしそれによって、おのれの未明に気付かさ
れたのでした。
たしかに無差別テロは仕掛けられる方にとっては迷惑千万であり、たまった
ものじゃありません。しかしそれを行なわしめる動機とは、この世界全体に対
する絶望と憎悪だったのでしょう。自分たちを否定するような世界は存在に値
しない、という激しい怒りが根底にあったのでしょう。
つまり、人はこの世に対する絶望が深ければ深いほど、現実の世界を許容で
きなくなるし、この世で受けた傷が深ければ深いほど憎悪も増し、世の中を変
えたいと思うでしょう。
そういう現実は世の中のどこにでも転がっているのであり、避けられない現象
と言えます。
そして自分もまた、そういう現実世界を形成している人間の1人なのです。私
だって立場が違えば似たようなことをしていたのかもしれないし、それを勝者
の論理で斬って捨てることは傲岸不遜ではないか。そのことに気付かされたの
でした。
以前も書いたように、人は誰でも、何も知らない赤ん坊から出発し、親をは
じめとするさまざまな人間に出会って意見を聞き、あるいは教えを受けて感化
を受けながら育ってゆくものではないかと思います。その途中には私淑するよ
うな人物や思想に出会うこともあり、それは全て、自分を創るための過程だと
思っています。そして、人間もまた一冊の本なのです。