エホバは必要を顧みてくださる(詩編 107:9) わたしは自分の仕事も、一緒に働く人も好きでした。仕事と集会の両立は簡単ではありません。バプテスマを受けてから ずっと、集会に行けるようベストを尽くしてきました。妻は大きな助けになってくれました。二人で子供たちを教えるよう努 力しました。子供たちはわたしにとって何よりの喜びです。きちんと世話したいと思いました。一生懸命に働きさえすれば家 族を養っていけると思っていました。 でも上司は私ができる以上のことを要求しました。日曜日の集会の時間にも働くようにと言ったのです。この仕事が必要 でした。妻と私は不安になりました。仕事を失ったらどうなるのでしょう。集会を休むようなことはしないと決意しました。上 司に自分の決定について説明しました。でも受け入れてもらえませんでした。ショックでした。こうなるとは思ってもみません でした。どうやって家族を養ったらよいのでしょう? ポールはわたしと聖書を研究してくれた人でずっと良い友でいてくれました。彼はわたしを外へ連れ出してくれました。何 があったのか知っていたのだと思います。わたしが気持ちを打ち明けるのを本当によく聴いてくれました。わたしは上司の言 うとおりにしておけば良かったのではないかと思っていました。自分の集会には行けなくても、ほかの会衆の夜の集会には 行けます。わたしの能力には限界があって、仕事の機会も多くはありません。出張の多い仕事について本気で考えている と言いました。ポールはマタイ6章25節から33節を読んでくれました。 『何を食べ何を飲むのだろうかと自分の魂のことで、また何を着るのだろうかと自分の体のことで思い煩うのをやめな さい。~ですから王国と神の義をいつも第一に求めなさい。そうすれば、これらほかのものはみなあなた方に加えられ るのです。』 ポールはバプテスマを受けて間もないわたしの祈りに、エホバはとりわけ関心を払っておられ、助けたいと思っ ておられることを思い起こさせてくれました。エホバを考慮に入れた決定をするように励ましてくれました。 待つのは簡単なことではありません。でもちょうどよい仕事を備えてくださるようエホバに頼ることに決めました。毎日仕事 を探しました。でも仕事は見つかりませんでした。 (6か月後)こんなに⾧くかかるとは思ってもみませんでした。なんとかやっていくために失業保険に頼らなくてはなりま せんでした。これで良かったのだと分かってはいても、家族をがっかりさせているという気持ちはなくなりませんでした。ある晩、 マタイ6章にあるイエスの言葉を思い出しました。「天の鳥をよく観察しなさい。種をまいたり、刈り取ったり、倉に集め 入れたりはしません。それでもあなた方の天の父はこれを養っておられます。あなた方はそれらより価値のある者では ありませんか?」 まだ自分に頼っているのだと気づきました。エホバに思い煩いをすべてゆだねてはいなかったのです。わたしの能力は限ら れているかもしれませんが、エホバはそうではありません。それで、仕事を探し続けました。そして、空いた時間を使って補 助開拓をしました。それはまさにわたしが必要としていたことでした。 やがて、エホバを待ったことは祝福されました。家に近くて集会にも出席できる仕事が見つかったのです。家族で宣教に 携わる時間を増やすこともできました。試みとなる経験でしたが、エホバへの信仰がこれまでになく強くなりました。エホバが わたしのために行動してくださるのを見ることができたのです。エホバはわたしと家族の必要を本当に顧みてくださるのです。
© Copyright 2024 Paperzz