高校化学で習った主な有機化学反応のしくみ (2)

2009 年度化学
(野島 高彦)
高校化学で習った主な有機化学反応のしくみ (2)
芳香族化合物の反応
ベンゼンに 1 つ目の官能基を導入した後,2 つ目の官能基を導入する場合,1 つ目の官
能基を基準に o-, m-, p-位のどの位置に導入されるかは,1 つ目の官能基によって決定され
る.これを置換基効果と呼ぶ.2 つ目の官能基を o-位および p-位に導入する性質を o-,p配向性,m-位に導入する性質を m-配向性と呼ぶのだが,なぜそのような違いが生じるのか
は,高校化学の教科書には説明されていない.芳香族の有機化学反応を論じるにあたり,
この理由をはっきりさせておくことにしよう.
(a) 共鳴によってベンゼン環に電子を「与える」官能基の場合
たとえばフェノールの場合を考える.フェノールは次のような共鳴構造を持ち,-OH
基の酸素原子からベンゼン環に電子を供給する傾向をもつ.
H
O
O
H
O
H
O
H
すなわち,フェノール分子全体として,-OH 基からみて o-位および p-位に負電荷が集
まることとなり,2 つ目の置換基が攻撃する場所はこれら o-位および p-位となる.
OH
δ-
δ-
δ-
これと同様のしくみで,アニリンも o-,p-配向性を示す.アニリンの場合には N 原子上
の非共有電子対がベンゼン環に流れ込み,o-位および p-位に負電荷が集まることとなる.
NH2
NH2+
NH2+
1
NH2+
トルエンも o-,p-配向性を示すことが知られているが,これは超共役というしくみによ
るものである.メチル基がもつ 3 個の C-H 結合のうちの 1 本を解消し,ベンゼン環に供給
するのである.詳細は省略する.
H
CH2
H
H
CH2
H
CH2
CH2
以上のように,芳香環の電子密度を増大させる効果を電子供与性と呼ぶ.
(b) 共鳴によってベンゼン環から電子を「引き寄せる」官能基の場合
たとえば安息香酸の場合を考える.安息香酸は次のような共鳴構造を持ち,-COOH 基
がベンゼン環の電子を引き寄せる傾向を示す.
O
O
O
O
O
O
O
O
O
O
すなわち安息香酸分子全体として,-COOH 基からみて o-位および p-位は正の電荷を
帯びることとなり,これらの位置に対して 2 つ目の置換基は攻撃しにくくなる.その結果,
安息香酸に対する置換反応は m-位に生じることになる.
O
OH
δ+
δ+
δ+
ニトロベンゼン (C6H5-NO2),ベンゼンスルホン酸 (C6H5-SO3H)も同様のしくみで m配向性を示す.このように芳香環の電子密度を減少させる性質を電子吸引性と呼ぶ.
O
O
N
O
O
O
N
O
N
2
O
O
N
(c) 複数の官能基を導入する際の合成ルート選定
以上の 2 点を考えると,ベンゼン環に複数の官能基を導入する際に,どの官能基から
導入するべきかが定まる.たとえばサリチル酸を合成する場合には,-OH 基と-COOH 基
の両者を o-位に導入する必要があるが,先に-COOH を導入してしまうと,o-位に-OH を
導入することができない.だから第一段階で-OH を導入,第二段階で-COOH 導入,とい
う手順になる.
OH
OH
COOH
OH
COOH
COOH
それでは上段のルートにおいて具体的にどのようなしくみで反応が進むのかを見て行
こう.
(1) ベンゼン+プロピレン→フェノール+アセトン (クメン法)
フェノールの生産法として,高校化学の教科書には次のような反応式が書かれている.
O
H3C
CH
CH2=CHCH3
CH3
H3C
OH
C
CH3
OH
O2
+CH3COCH3
この反応を詳しく見てみよう.第一段階は酸とプロピレンとの反応である.
CH2
H 3C
H
C
H
H3C
CH3
C
H
C=C 二重結合のπ電子が H+をトラップする.トラップされた H+は C-H 結合をつくる
ことになるが,この際に「すでに持っている H の数が多い方の C 原子」と C-H 結合をつ
くる.この性質はマルコウニコフの法則と呼ばれるものである.細かいことは省略する.
3
続いて,CH3-CH+-CH3 の正電荷をベンゼン環のπ電子雲が攻撃する.これはすでに
扱った一般的な置換反応と同じ仕組みの反応である.このように正電荷を持った化学種が
ベンゼン環で起こす置換反応を芳香族求電子置換反応と呼ぶ.
H3C
CH3
H3C
C
H
H
C
CH3
H 3C
H
C
CH3
H
+H
こうしてベンゼンからクメンが合成される.続いてこのクメンが熱によってラジカル
開裂する.ラジカル開裂については前回のプリントに記してある.ラジカル開裂したとこ
ろに酸素分子が結合し,2 個並んだ酸素原子の端に,先ほど解離して行った H・が結合す
る.
H
H
H
CH3
H3C
H3C
C
O
CH3
H3C
C
C
O
OH
O
CH3
H3C
CH3
C
O2
式中の△は加熱操作をあらわす.最も右側の化合物は,クメンヒドロペルオキシドで
ある.こんどはこのクメンヒドロペルオキシドと酸触媒との相互作用が始まる.
H
O
H 3C
C
O
CH3
H
O
H 3C
C
O
CH3
H
H
O
H 3C
C
O
H
H
CH3
水素イオンがやってきて水分子が 1 個離れて行った.しかし,これによって酸素原子
が正電荷を持ってしまった.電気陰性度の高い O 原子が正電荷を帯びている状態は不安定
である.この状態を解消するため,正電荷を他の原子に逃がす方向へ分子は構造を変える.
すなわち転位反応を起こす.
4
H3C
O
H3C
CH3
C
CH3
C
O
[①ベンゼン環]-[②炭素]-[③酸素]となっていた構造が[①ベンゼン環]-[③酸素]-[②炭素]
とひっくり返ったことに注目.
さらに水との反応が続く.
CH3
H 3C
C
CH3
H3C
O
O
O
C
H
CH3
H
H 3C
H
O
C
O
CH3
O
H
H 3C
H
C
O
H
OH
H
こうしてフェノールが生成される.同時に,次の反応によりアセトンも生成される.
CH3
H 3C
C
H3C
O
C
CH3
+H
H
O
5
(2) ナトリウムフェノキシド+ 二酸化炭素 → サリチル酸
サリチル酸の合成法として,高校化学の教科書には次のような反応式が書かれている.
ONa
OH
OH
COONa
CO2
COOH
HCl
これは,コルベ-シュミット反応と呼ばれる方法である.このしくみを見て行こう.
CO2 は 2 本の C=O 結合を持つ.電気陰性度の差により,CO2 の C 原子はδ+に帯電し
ている.ここを,ベンゼン環上の負電荷が攻撃して新しい結合をつくる.なお,この反応
は 100 気圧 125℃というような高温・高圧化で行われる.
Na+
Na+
O
O
O
OH
Na+
O
H
C
O
C
O
O
O
最後は酸による加水分解である.
OH
O
OH
C
O
C
O
OH
H
O
H2O
H
H
フェノールは o-, p-配向性をもつので,CO2 は p-位にも導入される.しかし o-位が 2
カ所あるのに対して p-位は 1 カ所しか存在しないこと,-OH 基と Na+との相互作用の影響
などの理由があり,産物のほとんどが o-体の目的物となる.なお,NaOH のかわりに KOH
を用いて同様の反応を行うと,-COOH 基は p-位に導入される.
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以上,代表的な有機化学反応を「電子の挙動」から追いかけてみた.世の中には数え
切れないほどの有機化学反応があるが,原子と原子の結合に着目すると,
「正と負に分かれ
る」,「ラジカル開裂する」,「転位する」,「多重結合に付加する」,「脱離して多重結合がで
きる」といった限られたパターンが連なって反応が進んでいる.また,分子内で反応が起
こる場所は,電気陰性度や共鳴構造を考えることによって絞り込まれてくる.
有機化学反応にはロジックがあるのだ.
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