地域貢献活動を通じた農業教育 都立農芸高等学校 戸部孝綱 1 農業

地域貢献活動を通じた農業教育
都立農芸高等学校
戸部孝綱
1
農業教育の模索
農林水産省の調べでは昨年度の関東・東海の新規就農者は全国の18%。そ
のうち農業高校から直接就農したものはわずか0.7%である。北海道、東北
などのいわゆる農業県でも2%程度(家業を継いだものを含めると5%前後あ
ると思われる)。全国的に高卒後の進路として就農を選ぶものは少ない。
農業高校の意義として食糧生産者育成が第一義として挙げられる。しかし都
内では農家の子弟が減っているとともに、意欲があっても新規就農できる場が
ない。また農業に興味関心が高い生徒ばかりが入学するわけではないこともあ
り、必ずしも意義を達成しているとは言えない状況である。
では東京の農業高校は何ができるか。一つは農産物の生産・利用に触れる機
会のなかった生徒に農業への興味・関心や知識を一からはぐくむことである。
目的意識の希薄な生徒の中にも本校で学ぶ3年間で農業に適性を見いだすもの
もおり、農業関連学校に進学するものが毎年2割程度いることは喜ばしいこと
である。もうひとつは農業の隠された効用であるところの「人格形成」を生か
すことである。園芸療法は良く知られる言葉となったが、農業が人間性の涵養
(かんよう)に役立つことは古くから知られている。1880年ごろには、非
行少年の矯正施設としてフランスのドメッツが「人は土を化し、土は人を化す」
の理念の下メットレー感化農園を創設した。日本においても1914年、留岡
幸助が遠軽町に北海道家庭学校を作り、農業を柱とした感化教育を行った。留
岡の思想「流汗悟道」は現在も同施設で受け継がれているが、私自身この言葉
と出会い農業科教員の道を目指した。
2
本校での地域貢献
4年前現任校に赴任し地域貢献を積極的に行っている学校だと感じた。一口
に地域貢献といっても、①地域住民に対する専門知識の伝達 ②近隣の小中学
校に対する食農教育 ③生産品の販売依頼がある。食育が広まり始めたことも
あいまって、私が担当している野菜分野での依頼も多かった。同時に本校は、
専門高校への進学者減少を食い止めるべく依頼には積極的に応えようという姿
勢であり、要望は増えていった。しかし依頼が増えると打ち合わせの時間が思
うようにとれず教員が個々に対応せざるを得ないことに加え、一方向のみの知
識伝達でしかなくなるというジレンマが生じた。そこで私が所属する園芸科学
科では交流学習の効果を再考し、地域貢献は生徒主体でかかわっていく方向性
をたてた。教員が身一つで対応することに比べ、これはさらに労力がいる。な
ぜなら生徒が地域貢献をするとなると、相手は幼児、小中学生から障害がある
方、高齢者と幅広い。生徒は普段接することのない年齢層の方たちと接するこ
とになる。また、生徒が農業に関する知識・技術を伝達する立場になるわけで
あるから、われわれはより一層生徒にコミュニケーション能力や、正しい専門
性を養う必要性に迫られる。
3
保育園との連携
そのような状況の中、近隣の保育園から野菜作りの連携の申し出があった。
この保育園はマンション群の中に位置しているため栽培するための土地がなく、
園児も土いじりや植物が成長していくさまを見たことがないので、ぜひ体験さ
せたいとのことであった。
本年度の作付け計画はすでにできており余剰の畑はなかったが、有意義な取
り組みであるので5月はじめに本校の一角で畑作りから始めた。本校では年に
3回3学年縦割りで1日作業を行う終日実習がある。そのうちのひと班が連携
用の畑作りに当たった。全くの放任地であったためスギナの地下茎や小石を掘
り取るところからの作業であった。おりしも雷を伴う雨雲が通り過ぎる中、小
降りになる間隙(かんげき)をぬっての作業。初めての終日実習が雷雨で、と
もするとへこたれそうになる1年生であったが、枠設置の修正を指示しても
黙々とやり直す3年生、埋設されたケーブルを断線しないよう全身ぬかるみに
まみれながらも保護作業を行う2年生の姿を見て、1年生も手を休めるわけに
はいかない。畑らしい体裁を整え泥水をかぶったようになりながらも全員すが
すがしい顔で作業を終えた。この日を境に1年生も真の意味で農芸生になった
ように思う。
生徒と園児が交流を行うことを前提としたため、両者の日程を合わせるとそ
の後も栽培管理の遅れを余儀なくされた。6月に入りやっと夏野菜の定植。通
常から1カ月も遅く苗は徒長し、くたびれたものであったが、3年生の授業で
園児とマンツーマンで行った。他に2、3カ所の保育園と連携しているが、今
回強く野菜作りを希望された園だけあって、園児は土に触れることに慣れてい
ない様子がうかがえた。無表情で言われるがまま動いていた園児に生徒も教え
るのに苦心していたようであった。しかし不思議なもので、生徒は誰ともなく
園児が積極的に作業できるよう褒めたり、励ましたり、実際に視線を同じくし
て寄り添い苗を植えつけていることに驚きを感じた。やがて植え終わり水やり
をするころには、園児らにとっては重いであろうジョロを自ら持ち水道と畑を
競い合って往復するまでになった。結果、キュウリ、ナス、トマトなどの夏野
菜を植えつけることができた。
6月も下旬になり、3年の担任から生徒の進路も固まりつつあるという話を
聞き、園芸科学科の生徒の中に4名ほど保育士、幼稚園教諭の養成校への進学
を希望するものがいると聞いた。本校の生徒の進路も農業分野のみでなく多様
である。ただ心配なことは、面接の時農業分野のことについて語れることは多
くても、それ以外の分野となると情報の受け売りになりがちである。担任から
進路希望のことを聞くにおよび即座に保育園との連携専属スタッフとしてかか
わってもらう考えが浮かんだ。生徒本人に確認したところ皆快諾し、園芸科学
科としても月に1回程度授業内で専属の生徒が保育園とかかわることが決まっ
た。
その後、園側がマンション管理事務所と折衝し保育園前での生産物販売が可
能となった。また7月中旬に行ったジャガイモ掘りのころになると園児も生徒
の顔を覚えてくれており、畑から現れたヒキガエルやミミズに生徒も園児も大
喜びで歓声をあげていた。園児らはイモを掘り終わっても畑から離れるのが名
残惜しいようで、交流当初の硬い表情はまるでうそのようであった。
4
農業教育の可能性
この一連の様子を見て、現代に「若衆」がよみがえったらこのようなもので
はないかという思いと、異年齢者を結びつける農業の求心力の素晴らしさを感
じた。まだまだ試行錯誤で途中段階の取り組みであるし、ジャガイモ掘りでは
生徒が園児の前で畑から現れたヒキガエルを乱暴に扱う場面もあり、指導すべ
きことは多々ある。また継続して行うための反省や計画も必要となろう。ただ
核家族化し、地域コミュニティーが機能していない中で育っている生徒たちが、
異年齢者(「異」でいいのか?)と接することによりコミュニケーション能力や
人間性を培っていることは確実である。例えば終日実習では農業を媒体として
上級生が技術のみでなく取り組む姿勢を体現する。地域貢献では認知症のお年
寄りの作業を必要以上の介助をしないで気長に見守れるか、小学生の集団にい
かにしたら集中力を保たせることができるかなど。
「自分が小学生の時、こんな
に先生に大変な思いをさせてたんだ」とは小学校の地域貢献活動をした時、生
徒がもらした一言である。
さらに農業高校に在籍している彼らが持っている一番の技術を介して人の役
に立てることも自信につながっている。地域貢献活動を終えた後、先方から「楽
しかった」
「ありがとう」と言われることは普段の学習がなにより評価される一
言であろう。
うれしいことに保育士のみでなく介護福祉、精神保健福祉の道にすすむ生徒も
おり、地域貢献活動が進路選択の一助になっていることを期待している。
農業には食糧生産という大切な役割と同時に、人を鍛錬する力、人と人を結
びつける求心的な力もある。そして私は農業高校の教員の一人として、食糧生
産者の育成と同時に農業のもつ第二の力で社会においてまい進できる次世代の
育成を志そうと思う。