第 3 回フォーラムの議論の前提~混合診療に係る論点整理

ディスカッション・ペーパー
2013 年 9 月 21 日(土)午後、京都リサーチパーク(京都市下京区)において、
「国民皆保険と混合診療
~最善の医療制度をめざして」と題するフォーラムを開催します。今回は、フォーラムでの講演をお願い
している芝田文男氏に、当フォーラムでの議論の前提として、混合診療をめぐる論点の整理を行っていた
だきます。
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「第 3 回フォーラムの議論の前提~混合診療に係る論点整理」
芝田 文男 1
京都産業大学法学部教授
1 はじめに
混合診療をめぐっては、司法の問題と政策議論の問題の 2 つ問題がある。まず、①健康保険法上保険診
療とそれ以外の医療を同時に給付する「混合診療」を原則禁止し、有効性、安全性が一定程度認められた
保険外併用療養費制度が適用される場合にだけ、例外的に保険診療部分の費用を保険で給付する制度につ
いての法律及び憲法の解釈適用を巡る司法の問題である。つぎに、②この制度を前提としつつ、規制緩和
すべきという政策議論の問題である。
①については、腎臓がんの治療のため保険対象のインターフェロン療養と保険対象外の LAK 療法(活性化
自己リンパ球移入療法)を同時に受ける混合診療を断られた原告から起こされた 2006 年の訴訟について、
2011 年 10 月 25 日に最高裁の判決が出された。当該判決では、政府の「混合診療の原則禁止」の健康保険法
の解釈とその憲法上の合憲性が認められ、原告の請求は棄却された。
②については、規制緩和委員会、経済財政諮問委員会、ドラッグ・ラグを巡る議論から最近の産業競争
力会議の議論等、数年に一度盛り上がりつつ、緩和方向の要求が続いている。
以下 2 では、司法上の問題の論点を整理するとともに、3 では、政策議論の問題のこれまでの経緯と、
その争点を整理し、9 月に行われるフォーラムの議論の前提となる論点整理を試みたい。
2 司法の問題の論点整理
混合診療については、今回最高裁の判決により解釈適用を巡る司法上の結論は一応出た形であるが、以
下判決の概要の論点整理を行いたい。
(1) 混合診療原則禁止・保険外併用療養費制度例外的適用をめぐる最高裁判決の概要
判決の詳細な評釈 2 は省略するが、多数意見では健康保険法第 86 条に基づく「保険外併用療養費に係る
制度のいずれも・・、混合診療保険給付外の原則を・・採ることを前提とした上で、・・」有効性と安全性が専門
的に確認された「評価療養・・を受けた場合に、・・保険診療相当部分について・・療養の給付と同内容の保険給
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付が支給されることを想定して創設されたものと解される。」として、LAK 療法は評価療養にあたらないこ
とから、併用される保険診療部分の給付を求める請求を棄却する第 2 審の判断を是認し、原告の上告を棄
却した。
この法律関係がわかりにくいのは、「混合診療原則禁止」が法律上表から規定されておらず、「保険医療機
関及び保険医療養担当規則」(昭和 32 年厚生省令第 15 号)第 5 条、第 18 条及び第 19 条で、保険医療機関・
保険医は、法で別に定める場合以外は一部負担金をとってはならず、厚生労働大臣の定める場合以外は特
殊な療法・新療法を行うことや大臣の定める医薬品以外の薬物の施用・処方を禁止し、その禁止に反する
場合は健康保険法第 80 条・第 81 条により保険医療機関の指定や保険医の登録が取消されるという規制を
とった上で、一定の有効性・安全性が認められた評価療養等の保険外療養費制度の場合にだけ混合診療を
認め保険診療部分を給付するという例外部分が、健康保険法第 86 条で規定されているからである。
(2)「混合診療原則禁止」の理由とその規制をめぐる憲法の合憲性をめぐる最高裁の判断
国が混合診療保険給付外原則をとっている理由は 2 つある。
第一に、国民が安全性と有効性が確認されていない医療を受け、有効でない治療に一部負担金を払わさ
れる機会をできるだけ避けるため(「安全性・有効性確保論」)である。規制緩和論者の中には、治療内容の
情報を適切に公開すれば、そのような国の規制は不要と主張する者もあるが、どんな病状にありどんな治
療が適切かということに関しては医師(供給側)と患者(需要側)の情報に大きな格差があるので、市場の自
由に任せておくと、有効でも安全でもない医療が行われたり、不要な医療需要が喚起されるおそれがあ
る 3。
第二に、混合診療を原則解禁し、保険給付外の医療を自己負担で広く認めると、医療を受ける機会が経
済的負担能力で左右されることになり望ましくないので、混合診療は一定の有効性・安全性のあるものに
限定した上で、それらの療法が一定程度普及した時には「保険診療」に移行すべきという考えによる(「公
的医療平等論」)。
最高裁の多数意見もこれらの主張を入れて、現行制度は「一定の合理性が認められ・・混合診療保険給付外
の原則を内容とする法の解釈は、不合理な差別を来すものとも、患者の治療選択の自由を不当に侵害する
ものともいえず、・・社会保障制度の一環として・・保険給付の在り方として著しく合理性を欠くものという
こともでき」ず、「憲法 14 条 1 項、13 条及び 25 条に反するということはできない。」と結論づけている。
3 高度・先進医療をめぐる混合診療の規制緩和要望に関する政策議論の論点整理
次に混合診療を認める例外部分の拡大について高度・先進医療を中心に経緯を紹介するとともに、規制
緩和・例外部分拡大やその先の保険適用をめぐる論議の論点を整理したい。
(1)混合診療の規制緩和・例外部分拡大のこれまでの経緯
①昭和 59(1984)年以前
戦後すぐには結核の抗生物質等の保険診療を制限する「制限診療」が行われたが、昭和 38(1963)年以降
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有効性・安全性が確認され普及すれば保険診療として適用されるようになった。昭和 50 年代頃から歯科材
料や差額ベット代の徴収を巡り、厚生省の指導が求められることもあり、生活が豊かになる中で差額ベッ
ト等の追加的サービスや普及段階に至らぬが安全性・有効性が認められた高度先進医療を受けたいという
要望が強まり、その対応が求められた。
②特定療養費制度創設(昭和 59(1984)年)
前者の追加的サービスは、「選定療養」として差額ベット、歯科金合金等について保険外の自己負担を求
めることが認められたが、その中には医薬品、医療用具の治験 4 段階の診療、薬事法承認後保険対象となる
までの間の医薬品の使用、ある適応で薬事法承認された薬の適応以外の使用、という現在は「評価療養」に
整理されているものも含まれていた。
高度先進医療については、高度先進医療専門家会議で安全性・有効性・高度先進性を審査された個々の
技術について、同会議の審議を経て適切な医療設備や人的体制を備えた所を特定承認保険医療機関として
個別承認し、その医療については保険診療との混合診療が認められ、高度先進医療部分のみを自己負担す
る制度が創設された。
③規制緩和委員会・経済財政諮問会議(平成 16(2004)年)と保険外併用療養費制度創設(平成 18(2006)年)
平成 12(2000)年頃から日本では未承認だが海外で有効性が認められた医薬品の早期使用、並びに先進
医療を個別承認ではなく一定の規模の医療機関では自由に行えるよう混合診療を大幅に解禁すべきという
規制緩和委員会の主張とともに、それらの技術進歩の成果を享受しつつ保険診療の対象は基礎的なものに
とどめ、社会保障負担の伸びの抑制と国民の選択の自由の拡大の双方を実現すべきという経済財政諮問会
議の意見が高まった。
一方、厚生労働省や医師会は、前述(2(2)参照)の国民が安全でも有効でもない医療で負担を求められる
ことを防ぐべきという「安全性・有効性確保論」、有効性と安全性があり一定の普及を見た医療は早期に保
険適用して経済的負担能力と無関係に享受できるようにすべきという「公的医療平等論」を唱えたが、最終
的に平成 16(2004)年末に内閣府特命担当大臣(規制緩和担当)と厚生労働大臣の間で混合診療の例外を拡
大することが合意され、健康保険法の改正を経て「保険外併用療養費制度」として平成 18(2006)年より施
行された。
同制度では、将来保険適用されることがない選択的な「選定療養」に、従来の差額ベットや高価な歯科材料
とともに保険で制限されている回数以上の検査等を加えるとともに、将来保険適用の可能性があり、技術進
歩等一定の有効性・安全性等の観点からの評価が必要なものは「評価療養」に整理した。この評価療養に
は、1)海外で有効性が認められているが日本では治験段階にある医薬品等の使用、薬事法で承認されたが
保険対象となる前の医薬品の使用、日本で薬事法承認されている適応以外の用途だが海外で有効性等が証
明されている場合を対象とした。2)先進医療は高度でないものも対象とすると
ともに、申請のあった技術は、先進医療専門家会議等 5 技術の有効性・安全性の審査を行うとともにそれを
行う医療機関の施設・人員等の体制の要件を示し、医療機関側は個別承認でなく要件にあっていると思う
所が届出をすれば行えるよう規制を緩和した。
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④ドラッグ・ラグ等未承認・適応外医薬品等の使用・保険適用を巡る規制緩和(平成 22(2010)年)
保険外療養制度の問題点は、薬事法上未承認だが海外で有効性が認められている新薬については、治験
対象となる場合のみ同制度の対象とされることだった。世界売上ベスト 100 の医薬品が世界のどこかの国
の市場で出てから自国市場で流通するまでの平均日数が最速のアメリカで 505 日に対して平成 18(2006)
年当時日本は 1,417 日かかっており、両国の差は 2 年半という調査結果が「ドラッグ・ラグ」と言われ、う
ち 1 年半は薬品会社が承認申請に着手しないという治験以前の段階にあるとされた 6。医療機器の同様の遅
れは「デバイス・ラグ」という。ガン等の患者たちの間では、未承認で治験にも至らぬため評価療養の対象
外である医薬品や、胃がんで承認されているがすい臓がんでは未承認の適応外医薬品についての薬事法の
承認や保険適用が進まないことへの不満が高まっていた。
厚労省でも平成 22(2010)年 2 月、「医療上の必要性の高い未承認薬・適応外薬検討会議」が設けられ、医
学界、患者団体も含め海外で有効性が認められていると思われる未承認・適応外医薬品の要望が出され、そ
れを専門家が公開の場で検討し、生命に影響のある重い病気に関わるもの、他に国内に既存療法がない医薬
品について、1)別の適応で国内承認されている薬で有効性と安全性の関係が日本人について公知(医学的に
常識)と思われる適応外使用については治験なしに承認申請させ保険適用する(公知申請)。2)未承認で日本
人への有効性・安全性が公知と言えない薬は、申請会社を公募する等承認申請促進策を講じる。3)同検討会
で医学的必要性が高く海外実績で一定の有効性・安全性が確認されているが、治験まで時間がかかりそうな
医薬品について、先進医療専門家会議等の審査を経て、臨床研究中核病院等その医薬品を使った診療に専門
性が認められる医療機関で診療を行う場合、治験以外でも評価療養の対象とする。4)先進医療技術の審査対
象とするには国内で数件の実施実績が必要だったが、先進医療専門家会議等の審査を経て、当該技術を使っ
た診療に専門性が認められる臨床研究中核病院等で国内初の診療を行う時も評価療養の対象とする等の緩
和措置がとられた。
⑤産業競争力会議と保険外併用療養費制度拡大等規制緩和をめぐる最近の議論
前政権同様、現自民党政権も医療を成長産業ととらえ、平成25(2013)年1月から首相官邸に設けられ、
成長戦力の具体化を検討する「産業競争力会議」の中で保険外併用療養費制度拡大が議論されている。第7回
会議における民間議員佐藤主査7のメモでは、「自己負担額および国の負担額を勘案しつつ、安全性や有効性
を確認の上、速やかに先進的な医療を受けられるよう措置」、「臨床研究中核病院やナショナルセンターにお
ける先進医療分野を中心とした保険外併用療養の推進」が提言されている。なお、第5回メモでは「安全性・有
効性が不明確な技術も含めた包括的な導入には慎重であるべき」ともあるので、「安全性・有効性確保論」に
も配慮はしているようだ。また、第7回会議で厚生労働大臣が提出した資料では、「(保険外診療併用認める
ことの)迅速化のために高度な知見のある外部機関での抗がん剤の審査等を予定」など「速やかに先進的な
医療を受けられるよう対応」するが、「事前の個別の医療技術ごとの確認なしに、特定の医療機関のみ包括承
認を認めることは困難」といっており、緩和条件を巡る論争の様相を示している。
(2)規制緩和・例外部分の拡大及び保険適用をめぐる政策論議の背景と論点整理
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まず背景事情として、第一に、分子標的薬等の新たな抗がん剤、重粒子線治療、iPS細胞等を活用した「再
生医療」など医療をめぐる目覚ましい技術進歩がある。これに対し有効性の改善に国民の期待は大いに高ま
っているが、他方、極めて高価、効果が完治ではなく比較的短期の延命に留まる、延命効果もさほどないが
一定期間の症状改善につながるなど有効性が必ずしも顕著でないものがあること、「再生医療」等細胞とい
う最先端技術を使うため、長期的安全性・有効性が未知であり、従来と異なる規制が必要なものがでてく
るなど、有効性・安全性を巡り新たな検討を要する状況が生じている。
第二に、少子高齢化や医療技術の進歩による医療費の急伸と低成長・財政難の状況がある。新技術による
経済成長への波及に対する期待が高まる一方、医療保険に取り込んだ場合の制度の持続可能性への影響に
懸念が生じている。
このような背景の中で、規制緩和による例外部分の拡大、及びその先の保険適用を巡る政策議論につい
ては、次のような異なる立場・視点からの様々な主張がある。
①安全性と有効性が未確認な医療を受け、有効でない治療に一部負担金を払わされることをできるだけ
避けるべきという厚生労働省、医師会等の「安全性・有効性確保論」である。この立場では、保険適用はも
ちろんのこと、その前段の保険外療養費等の例外部分の拡大にも一定の有効性・安全性の専門的な検討が
必要と考えている。
②できるだけ早く医療技術の進歩の成果を享受したいという患者の「医療技術進歩待望論」である。安
全・有効であることが前提で①と重なる面もあるが、不必要な規制や財政的理由による保険適用の遅れに
対する懸念・疑念を抱いている。
③医療を成長産業と考え、規制を排し成長につなげたいという経済界、産業競争力会議民間議員等の「医
療成長産業論」である。①の立場を完全に無視はしないが、例外部分の規制はできるだけ緩和すべきと主張
している。
④社会保障負担の増大による税・保険料の負担増に慎重で、③で例外部分の拡大は進めるべきだか、公
的医療保険は基礎的なものにとどめるなど抑制的に対応すべきであるという経済界、経済財政諮問会議委
員等の「保険適用抑制論」である。
⑤「混合診療の原則解禁」等による保険外例外部分の大幅拡大及び保険適用抑制は、経済力の差で医療技
術の進歩を享受できない不平等を生じさせるので反対であり、普及すれば医療保険に早期に適用すべきと
いう厚生労働省や医師会の「公的医療平等論」がある。ただし、背景の第一で述べたように医療技術には極
めて高価な割に「有効性」が顕著でないものも近年増加しており、厚生労働省でも特に代替性のある新技術
を保険適用する場合や新技術や新薬の診療報酬・薬価の評価を行う場合に、海外でどんな対応をしている
か、どんな論点があるか、平成24(2012)年5月より中央社会医療協議会の費用対効果評価専門部会で医師
会など診療側、経済界・労働界など支払側や患者代表を交えた検討を始めている。
上記のように、規制緩和・例外部分拡大や保険適用の基準を巡る議論について、異なる立場の主張があ
るが、完全に対立しているわけでもなく、有効性・必要性・効率性をいかに調和させるかをオープンに議
論すれば、適切、妥当で透明性の高い規制に落ち着く可能性もあるが、他方、3(1)で見たように今後も状況
変化に応じ絶えず規制変更を求める要望が続くことも予想される。
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以上、混合診療に係る論点整理を試みた。フォーラムの議論の一助となれば幸いである。
注
1
社会保障政策等を担当。元厚労省職員で、主に社会保障関係の仕事に従事。
2
芝田「
『混合診療事件』最高裁 2011 年 10 月 25 日判決と最近の高度医療技術への厚生労働省の対応」『産大法学』
46 巻 1 号 p239-255 参照(http://ksurep.kyoto-su.ac.jp/dspace/handle/10965/815)
3
医療経済学でも「情報の非対称性」があるとされており、一番自由に市場にまかせているアメリカの総医療費の
対 GDP 比は 2010 年で 17.6%と世界一高い。出展:OECD「Health Data2012」
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薬事法で医薬品等を承認するため、患者に対して臨床的有効性・安全性を試験すること。
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未承認・適用外医薬品を使用する場合は高度医療評価会議の審査も経る。
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福原浩行「医薬品の世界初上市から各国における上市までの期間-日本の医薬品へのアクセスの改善に向けて」医
薬品産業政策研究所リサーチペーパーNo.31(2006)
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株式会社みずほフィナンシャルグループ取締役社長グループCEO
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