患者が覚せい剤の使用者である場合、警察に届け出てもよいでしょうか。

【相談 16】患者が覚せい剤の使用者である場合、警察に届け出てもよいでしょうか。
キーワード:麻薬及び向精神薬取締法、覚せい剤取締法、医師の届出義務・通報義務、医師の守秘義務
医師です。
患者を診療した中の検査で、患者が覚せい剤の使用者であることが分かりました。患者のことを警察な
どの行政機関に届け出たいと考えるが、医師の守秘義務との関係で、控えるべきでしょうか。麻薬及び向
精神薬取締法には、届出義務が規定されているようですが、覚せい剤取締法にはそのような規定がないこ
とも気になっています。
【回答】
覚せい剤の使用者であることが、患者の自己申告ではなく、別の傷病の診察の過程において初めて判明
した場合には、その診療をした医師にはその事実(覚せい剤取締法違反の疑いがある人を発見したこと)を
警察に通報することが、1 人の一般市民として求められます。すなわち、通報義務があるとまでは言えま
せんが、かりに通報したとしても医師の職務に関する正当行為として認められ、患者の同意がなくても医
師の守秘義務違反を問われることはないという意味です。そのことは、平成 17 年 7 月 19 日の最高裁決定
が明らかにしています。他方、医療者としての医学的判断から治療に専念させるべきと考えた場合(特に患
者が自主的に治療を求めて来院したような場合)には、警察への通報を控えることも認められると考えられ
ます。
【説明】
まず、ご指摘にもありますが、医師は、受診した患者が麻薬使用者であることが判明した場合には、麻
薬及び向精神薬取締法により、都道府県知事(実際には、都道府県の担当部署)に届け出ることが求められ
ています(第 58 条の 2)。他方、覚せい剤取締法を見てみると、同様の趣旨の届出に関する規定は存在しな
いことが分かります。このような同じような事項を扱う 2 つの法律に、一方には届出に関する規定があり、
もう一方にはそのような規定がないという事実を、どのように理解するかがご相談のポイントになります。
この問題について、医療関係者や医学部生は、麻薬の使用者の場合には届出をするが、覚せい剤の使用
者の場合には届出などをできない、あるいは、医師には守秘義務があるので患者(覚せい剤使用者)の同意
を得た上でなければ、届出などをすることができないと考えている方が多いかと思われ、過去の医師国家
試験において、同様の問題が出題され、その問題の主旨と正解として、このような考え方が膾炙している
のは事実のようです。しかし、この問題については、このような「正解」とは違う、重大な判断が、平成
17 年 7 月 19 日に最高裁によって示されています(これ以降、覚せい剤の届出・通報に関する問題が医師国
家試験に出題されていないのは、この最高裁決定の存在があるからだと推測します)。この事件の争点は、
医師が治療に必要な検査の結果として採取した尿の証拠能力、警察がその尿を証拠として入手する過程の
違法性でした。最高裁は「医師は患者に対する治療の目的で、被告人〔=患者〕から尿を採取し、採取し
た尿について薬物検査を行ったものであって、医療上の必要があったと認められるから、たとえ同医師が
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これにつき被告人から承諾を得ていたと認められないとしても、同医師のした上記行為は、医療行為とし
て違法であるとはいえない。また、医師が、必要な治療又は検査の過程で採取した患者の尿から違法な薬
物の成分を検出した場合に、これを捜査機関に通報することは、正当行為として許容されるものであって、
医師の守秘義務に違反しない」と述べました。この最高裁の決定が存在することを知っていれば、覚せい
剤使用者を発見した場合に消極的態度に出ることはないのではないでしょうか。ただし、医師には、警察
に通報することが、義務としてまで強制されていないとことにも注意が必要です。
しかし、法律家以外の方にとっては、裁判所の判断を随時把握しておくことは容易ではありません。そ
うした場合に、医療者がまず確認する点が法律の規定の有無であることは、ある意味では仕方がないこと
です。しかし、麻薬及び向精神薬取締法には「医師の届出」に関する規定があり、覚せい剤取締法には同
様の規定がないからと言って、覚せい剤使用者を発見した場合に、何もしなくても良いと理解するのか、
覚せい剤取締法には何も書いていなくても、同じような状況であると考えて届出又は通報することが求め
られていると理解するのかを問われれば、法律学の考え方では、ご相談のケースでは、後者の対応をする
ことが求められる、あるいは、後者の対応をしても責任を問われることはない、と考えられます。何故、
そのように考えるのか、2 つの法律の内容が異なっている理由は何か、について考えてみます。
この問題について私が考えるポイントは、麻薬の場合には、都道府県の管轄部署に届け出ることを麻薬
及び向精神薬取締法が定めているのに対し、覚せい剤の場合には、最高裁が警察への通報を認めているこ
とです。この違いは、麻薬は医療用に(主に疼痛緩和の目的で)非医療者である患者さんが所持、使用する
ことがあるのに対し、覚せい剤を医療関係者以外の人間が日常的に所持、使用することには正当な目的を
見出せないことに基づくのではないでしょうか。したがって、麻薬の所持・使用者を発見した場合には、
医療者はその都道府県の薬事行政を管轄する部署(薬務課)に届け出て、その所持・利用者の処置を任せれ
ば良い(実際にその後は薬務課職員である麻薬取締員の職務に委ねられます)と、麻薬及び向精神薬取締法
は考えるのだと思われます。それに対して、覚せい剤の所持・使用には犯罪の疑いが強く推定され、たと
え医師が医療現場においてその事実を発見した場合にも、警察に届け出ることが望まれることになるので
はないでしょうか。覚せい剤取締法は、医師が医師であることによる特別の配慮をすることを求めておら
ず、一般市民が犯罪行為と推定される事柄を発見した場合に求められるのと同様の対応として、警察への
通報を求めていると考えられます(刑事訴訟法 239 条 1 項は「何人でも、犯罪があると思料するときは、告
発をすることができる」と定めています)。
ただし、以上の説明は、覚せい剤使用者を警察に通報することは法制度上は問題がないという主旨に立
ちますが、それが医学的に正しい対応かどうかは、一概には言えないことには留意が必要です。覚せい剤
取締法が医師の通報義務を明記していないことの意味は、専門家としての医師が医学的に患者としての覚
せい剤使用者を治療に専念すべきであると考えるならば、その判断を優先して良い場面があることを、同
法が認めているとも考えられます。
ご相談では、医師の守秘義務についても気にされておられますが、この点については、そもそも、医師
法が医師に守秘義務を課すのは、単に患者さんのプライバシーを保護することを目的にするのではなく、
医師が患者さんの秘密を守るという信頼関係を基礎にして、患者さんが医師の治療の判断に必要なプライ
ベートな事柄も医師に開示することを期待するからであるというのが法律の立法趣旨です。一般市民とし
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て通報が期待されることと、警察への通報が治療に影響しないと医師として判断することが重なるのであ
れば、警察に通報することに問題はないのではないでしょうか。また、覚せい剤を所持・使用していると
いう秘密が、法的に(いいかえれば社会が)保護するに値するようなプライバシーであるのか否かも考える
と同様の結論になるのではないでしょうか。一般的に、プライバシーについては、その秘密事項を社会に
明らかにすることの公共の利益との比較で考える必要があります。
【対応】
医師が、覚せい剤使用者を発見された際には、法律上届出義務は明記されていませんが、警察に通報す
るということを基本とされるべきでしょう。もっとも、患者が自分自身で覚せい剤の中毒状態を治療した
いという希望を持って来院した場合には当てはまらないと考えます。そのような場合には、警察への通報
ではなく、治療を開始することを優先した対応が医療者には求められるはずです(その患者の治療の過程に
おいて、その患者が所持する覚せい剤の処分などに関して行政機関に相談する必要はあると推測します)。
また、上記の平成 17 年 7 月 19 日の最高裁決定のケースにおける医師が実際にそうであったように、患
者が覚せい剤使用者であることが判明した場合には、警察への通報に際しては患者又は患者家族の了解を
得ておくことは望ましい対応であると思われます。それは、通報する医師が患者サイドとの無用なトラブ
ルを回避するためという目的にとどまらず、今後の治療が必要になる患者と、その患者を覚せい剤への依
存状態から救う医療者との間の信頼関係を構築することが重要であると思われるからです。
(回答者:一家綱邦
京都府立医科大学法医学教室学内講師)
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