【相談 20】飲酒中の場合にも医師に応召義務はありますか。 【回答】

【相談 20】飲酒中の場合にも医師に応召義務はありますか。
キーワード:応召義務、医師法第 17 条、歯科医師法第 17 条、医師法第 19 条
医師です。
過疎地で医院を開業しております。周囲に他の医院や病院もありませんので、呼吸器内科の専門医です
が、実際には総合診療医として求められたらあらゆる病気に対応しております。夜間診療もやっと終えて
夜 10 時頃晩酌をしておりましたところ、電話がかかってきて、数日前から奥歯が痛いが耐えられなくなっ
たのですぐ診察してほしいとの依頼でした。歯科となると治療を施した経験もありませんし、当方もかな
りの酒を飲んでおります。飲酒運転は危険行為ですが、飲酒診療ではさらに重大な問題が生じかねません。
医師には応召義務がありますが、飲酒を理由に診療を拒否すると応召義務違反に問われるでしょうか。
【回答】
歯痛はつらいものです。特に歯科医師にかかることが出来ない深夜の歯痛のつらさは格別です。この地
域に唯一の総合診療医として、どのように考えるべきでしょうか。
この相談事例では、以下の三点が検討されるべきでしょう。
① 歯科医師ではない総合診療医に、歯科的診療の求めに応じる義務はあるでしょうか。
(周囲に他の医院
や病院がないという条件に、歯科医もいないと考えて)
確かに、歯科医には歯科医師法があり、医師と歯科医師では診療領域が区別されていて、如何に総合診
療医ではあっても、歯科領域について総合診療医が出来る診療行為には限りがあると考えられます。しか
し、歯痛も痛みの一つと考え、痛みについての診察を行って、これに応急的に、その症状に応じた鎮痛剤
を処方することまでが歯科医師法並びに医師法に抵触することになるでしょうか。特に、この相談事例で
は、「周囲に他の医院や病院もない」とされており、この患者さんの求めは、歯科医もない状況であること
を踏まえてのことであると考えられますから、例えば翌日には必ず歯科医師の診療を受けることを強く勧
告し、現時点での処方が「痛み」に対する応急的な措置であることを強調して鎮痛剤を処方することは、可
能であると同時に、この環境の下で求められることではないかと考えられます。
② 応召義務違反の問題
ここで問題となる「応召義務(=応需義務)」との関係では、本件相談がもっぱら歯科医療の領域に属す
るもので、総合診療医が手を出すことを一切許されない症状のものか否かを判断するためにも、少なくと
も診察行為はなされるべきでしょうから、総合診療医として医業を行っている以上、電話の様子から歯科
領域の疾患であると考えられるからといって診療を拒絶すれば、「応召義務(=応需義務)」に関する医師法第
19 条の規定に触れることになるものと考えられます。
③ 既に晩酌をしている条件の下で、診療の求めに応じることが出来るでしょうか。
一旦アルコールを摂取すると、個人の体質にもよりますが、数時間は酒酔いの状態にあり、例えば自動
車や自転車を運転した場合には少なくとも酒気帯び運転には該当し、道路交通法に従って責任が問われま
す。自動車や自転車の運転とは比較にならないほどの高度の専門的判断と技能の行使を要する医療行為に
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際しては、酒気帯びないし酩酊状態の医療行為は本来であれば許されないことと考えられます。もちろん、
その具体的状態と個人の体質にもよりますが、アルコールを摂取したことの故をもって「応召義務(=応需
義務)」の履行を拒絶することが出来るか、また患者からの求めに応じて診療行為に当たることが許される
か、という点が具体的に検討されるべきです。
【説明】
医師法第 17 条と歯科医師法第 17 条との関わりから、歯科医師でない医師が歯科医療を行うことが出来
るか否かについては検討を要する問題です。「抜歯、齲蝕の治療(補填の技術に属する行為を除く)、歯肉
疾患の治療、歯髄炎の治療等、所謂口腔外科に属する行為は、歯科医行為であると同時に医行為でもあり、
従ってこれを業とすることは医師法 17 条に掲げる『医業』に該当するので、医師であれば、右の行為を当
然なし得るものと解される」とする古い通知があります(磯崎辰五郎・高島學司『医事・衛生法(新版)』
(1979 年)190 頁以下、注(12)に引用される昭和 24・1・2 医発 61 号各都道府県知事宛厚生省医務局長
通知。なお大判明治 40・7・4 刑録 13 輯 16 号 798 頁。また、最高判昭和 28・6・26 刑集 7 巻 6 号 1389 頁
は、歯科技工士の行う義歯や金冠の製作に関わる、患者の口中の「かた」をとる行為が歯科医業の範囲に
属するとする…能代昭彦・医事判例百選 150 頁以下)
。ここで「業とする」とは、対価の有無に関わりなく、
継続反復して行うことを意味します。本件相談事例では、周辺の医療環境に鑑みた緊急的で応急的かつ一
時的な措置と考えられます。また歯科医行為の概念を厳格に解する場合でも、本件相談事例を、広く「痛
み」を訴える患者に対する総合診療医としての診察治療と考えるならば、医師法並びに歯科医師法上の問
題はないものと考えられます。
次に医師法第 19 条の規定する「応召義務(=応需義務)
」に照らして、「歯痛は歯科医行為の問題である」
ことを理由に、診療の要請を拒絶することが許されるでしょうか。医師が歯科医行為を行うことが出来る
か否かという問題と、その義務があるか否かという問題とは別であり、後者についてはより慎重な検討を
要します。上述の通知や判例は、歯科医行為に属する医行為を医師が行ったことについての刑事責任を問
題としたものですから、医師に歯科医行為をも義務付けるものであるかどうかは別問題です。一般的には、
医師法第 19 条における診療拒絶の「正当事由」に関わって「専門外の患者に対しても応急処置をしたり、
または専門医療施設に引き継ぐまでの診療を引き受けなければならない」と考えられています(野田寛『医
事法(上)
』1984 年、112 頁)
。本件相談事例のような医療環境においても「歯痛は歯科医行為である」こと
を理由として「応召(=応需)」を拒絶することが正当性を持つか、と問うならば、「歯痛」に限定されない広
い意味での「痛み」を訴える患者の求めに応じるべきか否かという観点も考えられる以上、医師法・歯科医
師法に基づいてその行為が許容されるならば、患者の求めに応じる義務があると考えるべきではないでし
ょうか。なお、現行医師法には、この義務に違反した医師に対する罰則規定はなく、医師の良識に委ねら
れています。もっとも、医事紛争となった場合にはこれが法的な判断において勘案される事情となること
は考えられます。
更に、本件相談事例では診療時間後の医師の飲酒という問題があります。これは、第 1 に「すでに飲酒し
ていること」は患者からの求めを拒絶することの「正当事由」
(医師法第 19 条)となるかという問題になり、
第 2 に、逆に、一日の診療を終えた医師が晩酌として飲酒した上での医療行為が許されるか否かという問
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題にもなります。
医師法第 19 条は医師に「正当な事由がない限り」「応召義務(=応需義務)」を負うものと規定します。
診療拒絶が正当化される事由として検討されるのは、診療を求められた医療機関における医師の不在や、
専門外であること、休診ないし診療時間外であることなどとともに、病気・疲労・酩酊等の医師の身体的
状態といった諸事情です。その判断の際には「その程度と、患者の疾病の状態・程度、その置かれている
環境などとの相関関係において判断されなければならない」とされ、「患者側の事情等により、(医師の)
軽度の疲労・酩酊は(診療拒絶の)正当事由とならない場合が多い」とされています(野田・前掲、111
頁以下)
。したがって、周囲に他の医療機関がないという本件相談事案では、一日の診療で既に著しく疲労
し、また深く酩酊しているために、医師としての医科学に則った的確な診療が出来ないと判断される場合
は格別、原則として患者からの求めに応じるべきであると考えられます。不幸にして、本件相談事案の医
師が診療を拒絶したことを理由とする医事紛争が発生した場合には、診療を拒絶する正当な事由があった
ことを医師側において具体的に陳述しかつ証拠をあげて証明すべきでしょう。
逆に、軽い疲労や軽度の酩酊ではなく、診療を拒絶すべき「正当事由」が問題になるような強い疲労や
深い酩酊状態といった事情があったにもかかわらず、当該医師が歯痛に対する診察と鎮痛剤処方等の診療
行為を引き受けた場合にはどうでしょうか。こうした事情のために本来ならば正常に働く判断力を欠き、
そのために患者に不具合が発生するなどして医事紛争となる場合には、
「引き受けるべきでない行為を引き
受けたために事故を発生させた」という講学上のいわゆる「引き受け過失」が問題となります。この場合
には、医師に責任を問う患者側において、
「診療拒絶すべきであった」という具体的な事情並びにそれが原
因となって有害結果が発生したことを証明すべきことになりますが、これは論理的には、上述の「診療拒
絶の正当事由」があったか否かという問題と裏腹の関係になります。本件医師が、診療を拒絶したことを
理由として医事紛争になった場合には医師側がその「正当事由」の存在を証明することを要し、逆に当該
医師が診療を引き受けたために事故が発生して医事紛争となった場合には患者側が「引き受け過失」に相
当する事実の存在と、これを原因として事故が発生したという因果関係の存在を証明をしなければならな
い、ということになります。実際には後者の証明の方が困難でしょうから、本件相談事案の医師としては、
患者側からの要請に応えて診療を積極的に引き受けても、そのために法的責任を問われることになること
は多くないと考えられます。
なお、本件相談事案において医事紛争が発生し、当該医師に法的責任が問われうる場合でも、周囲の医
療環境や患者の切実な要請があったという、他の選択肢が考え難い状況の中での地域医療の担い手として、
「応急処置をしたり、または専門医療施設に引き継ぐまでの診療を引き受け」たといえる場合には、仮に
強い疲労と深い酩酊状態にあって歯痛を訴える患者からの診療の求めに応じたことが違法性を備えると判
断される場合でもなお、この医師には、当時の具体的事情を勘案するならば他に適法行為に出る期待可能
性がなかったという「期待可能性不存在」の法理に基づき、最終的に責任が阻却される可能性があること
も付言しておきます。
ただし、本件相談事案における当該医師の医療行為実施に関する法的評価は、速やかに当該患者を歯科
医師に引き継ぐことを前提とした応急的一時的措置に関するものですから、この夜以降も漫然と当該患者
を抱え込んで歯科医行為を継続し、当該患者が歯科医の診療を受けることを妨げるような行為をした場合
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には判断が異なってきます。なぜなら、医学と医療技術が著しい進歩を遂げてきた現代医療においては、
専門分化が進み、歯科医学と歯科医療において独自の高度の専門性が認められる以上、当該患者を速やか
に歯科医行為に付することが当該患者にとって必要であると考えられるからです。
【対応】
原則として、
「歯痛」を訴える患者の求めに応じて、診療時間を過ぎて晩酌を始めてしまった総合診療医
が診療することは必要であり、これを拒絶することは医師法第 19 条による「応召義務(=応需義務)
」の違
反となります。
なお、本件相談事案の医師が患者からの求めに応じて診療行為を実施する場合でも、その範囲は通常の
歯科医行為の域に及ぶものというよりは、あくまで「痛み」に対する応急措置であり、可及的速やかに専
門的医療機関(=歯科医師)に引き継ぐ措置を講じるべきです。具体的には、まず診療を引き受けるに際し
て当該患者に対して「痛みに対する応急処置であること」を懇切に説明し、併せて「速やかに歯科医師の
診療を受けるべきこと」を強く勧め、更に、後に当該患者の診療を引き継ぐ歯科医師に対して、当該時点
でのこの患者の症状と当該医師が具体的にとった診療措置などを的確に伝えて引き継ぐという措置を講じ
るべきでしょう。
また、当該医師が本件患者からの求めに応じて診療する場合でも、仮に本件患者の下に往診するとすれ
ば、自動車ないし自転車の酒気帯び運転または酩酊運転は道路交通法に抵触することになりますから、当
該医師自ら運転することは許されません。また、当該患者に鎮痛剤等を処方・投与する場合には、服用後
の副作用としての眠気といった問題が考えられますから、その旨を当該患者に説明することはもちろん、
出来れば当該患者以外の者が運転して来院するようあらかじめ指示することが必要であると考えられます。
(回答者:山本隆司 立命館大学政策科学部教授)
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