平成 27 年 9 月 子育て情報 9月号 椙山女学園大学附属幼稚園 いのち輝け!! 園長 横 尾 尚 子 戦後 70 年を迎えた今年の夏は、例年以上の数の戦争関連ドラマや映画が放映されました。昭和天皇の玉音放送の録音原盤も 初めて公開され、 「平和の尊さ」と「いのちの重み」について改めて深く考えさせられました。ある日のテレビ番組では、原爆 投下直後のヒロシマがアニメ画像で映し出されていました。瓦礫の中を進む被災者救護のトラックに、少女が駆け寄ります。 しかし、戦闘の役に立たない少女は荷台に引き上げてはもらえません。走り去るトラックを見送った少女は、燃え盛る炎の街 の方へと戻って行きました。助かるいのちが、助かる未来が、無残にも消えていきました。大人が引き起こした戦争で、最も 辛い思いをするのは子ども達です。私達大人は、子ども達の幸せを守る義務があります。平和な未来を残す責任があると思い ます。そんな思いに、しばらくテレビの前から動けませんでした。 戦後生まれの私には、やはり戦争は遠いものです。ですが、戦後 70 年の節目と亡き父の初盆が重なったこの夏、私と戦争の かかわりを、いのちの繋がりを考えずにはいられませんでした。父は、小学校を卒業したばかりの幼さで予科練(海軍飛行予科 練習生)に志願し、死と隣り合わせの苦しい少年兵生活を送り、あと 6 ヶ月戦争が続いていれば特攻機に乗るはずでした。もし そうであれば、父は戦死し、私がこの世に存在することはあり得なかったことでしょう。あの終戦の日は、私のいのちとも無 関係ではなかったのです。テレビから流れる「同期の桜」 。父がよく口ずさんでいたこの軍歌を久しぶりに聞きながら、私が今 在ること、の意味を考えさせられた 8 月前半でした。 そして今年もまた、8 月の後半は、渥美半島の「どろんこ村」で農作業をして過ごしました。 「どろんこ村」は、自給自足を 目指す小さな農家です。家主の小笠原弘さんと渡辺千美江さんは、その小さな農家の日常を「学びの場」として、幼児から高 齢者、外国の人まで、実にさまざまな人々を受け入れています。そこへ、教育学部の授業の一環として、学生 20 名を引率して 出かけてきました。そこには、 「夏休みファームスティ in どろんこ村」に参加する小学生も 11 名やってきました。小学生と 大学生が一緒に農的暮らしをおくる、そんな体験の日々を送ってきました。 授業のテーマは、 「いのちの循環」を体感することです。野菜や鶏・豚を「育てて食べる」ことを通して、 「私たちは、いの ちを食べずには生きられない人間であること」 「生きていくために、さまざまないのちの交換が行われていること」を体感しま す。例えば、日に 2 回の豚や鶏の餌づくり。豚の餌は、魚屋にもらいに行った魚のアラに、玄米や野菜くず、残飯などを混ぜ て「かまど」で長時間煮込んでつくります。その間、火の番と大鍋のかき混ぜを怠ることはできません。かまどの薪にするた めに、海に流木を拾いに行ったりもしなければなりません。時間と手間をかけて、やっと豚の餌が出来上がります。鶏の餌は、 玄米に菓子工場から廃棄されるバウムクーヘン、さらに近くの海で拾ってきた貝殻を砕いて混ぜ合わせてつくります。それら の餌を持って、豚小屋へ。鶏小屋へ。餌やりと小屋の掃除も日課です。餌を食べてウンチを出す。生き物すべてが日々繰り返 す生の営みは、それに尽きるとも言えましょう。その糞尿を集めて、肥料として野菜を育てます。その野菜を食べて、豚や鶏 が育ち、それを私たち人間が食べます。そんな「いのちの循環」を暮らしの中で学びました。 さらに自分達が食べるために、学生は自らの手で鶏の首に包丁を入れ、鶏を解体しました。鶏の首に包丁を入れるのは、 「恐 ろしく」 「鶏がかわいそう」で躊躇してしまいますが、このような作業に日々従事する人がいること、このような作業との交換 として鶏肉が口に入ることに思い当り、 「かわいそう」は「いただきます」に変わりました。そして、保育者や教師となったと きには、自分達の体験を何らかの形で子ども達に伝えたい、と願うようになりました。 「自然」と「いのちの循環」に満ち溢 れた「どろんこ村」 。この学び屋で育つ子ども達、学生達の将来が楽しみでなりません。 「どろんこ村」の夏は、毎年私に、学 び育っていく「いのちの素晴らしさ」をもまた、教えてくれるのです。 さあ、夏休みが終わりました。まだまだ残暑は厳しいですが、充実の秋、心やからだがぐんと成長する 2 学期の始まりです。 先生方と一緒に、精一杯楽しい園生活を送ってください。いのちを輝かせてください。
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