マッサンと加賀正太郎 (株)大場蘭園 大場良一 NHK 朝ドラ「マッサン」は竹鶴政孝氏とその妻リタを題材にした番組ですが、京都・大山崎町 「大山崎山荘」で洋蘭栽培をし、洋蘭界で有名な加賀正太郎氏とは深い仲にありました。下記にそ の概要をまとめてみました。 ☆加賀正太郎 明治 21 年(1888 年) ~ 1. 所属愛好会 帝国愛蘭会(初代会長 (1916 年)設立) 昭和 29 年(1954 年)66 才没 大隈重信、最後の会長島津忠重 大正 5 年 2. 洋蘭活動内容 *関西を代表する洋蘭の趣味家。大正 3 年(1914 年)に始める。 *新宿御苑より後藤兼吉氏を呼び寄せ、栽培、育種を任せた。 *育種、栽培した中で良い物を純日本木版画・蘭花譜で残した。 3. 経済活動 *父が起業した株式仲買業を継ぎ、加賀証券を経営した。 *ニッカウヰスキー創業大株主。前身の大日本果汁を昭和 9 年設立 4. 竹鶴政孝氏との関係 竹鶴は摂津酒造から国産ウイスキーを作るためにスコットランドに派遣された が摂津酒造では事業化できなかった。 その後、寿屋(現サントリー)に入社し山崎に工場を建て工場長に就任。山崎 と大山崎は近くで、加賀氏の妻、千代子が竹鶴氏の妻、リタから英語を習った ことが縁で親密になった。その後、竹鶴氏は寿屋を退職し加賀氏に相談した。 竹鶴氏の構想は北海道余市でアップルジュースを製造することで、加賀氏はそ の出資者となり(70%を加賀氏が出資)大日本果汁が誕生した。しかし、商品 とはならず、念願のウイスキーの製造へと転換し戦後軌道に乗って行った。 5. アサヒビールとの関係 加賀氏が死期を悟った頃、後継者不在を考え知己でアサヒビール社長の山本為 三郎氏にニッカウヰスキーの株をほとんど譲り渡した。 6. 大山崎山荘の今 アサヒビールと京都府(一部大山崎町)が所有。温室はない。 7. その他 *若い頃より登山が好きで、ヨーロッパアルプスのユングフラウを登頂した日 本人第一号であった。 *「大山崎山荘」の名は加賀氏が夏目漱石に命名依頼したが、最後は加賀氏本 人がこの名に決めた。
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