モンブランからの黎明

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モンブランからの黎明
ルネッサンスの新しい時代が到来したというのに、アルプスは悪魔の住む山として恐れられ
誰も登ろうとしなかった。アルプス最高峰モンブランも同じである。そんなときオラス・ド・
ソシュールの登場となる。彼は1740年ジュネーヴの裕福な家庭に生まれた。代々学者の家
系であり、彼も大学で最新の植物学、地質学、物理の学問を究めた。彼は山に悪魔が住むとい
う古い考えはない。1760年20才のとき初めてシャモニーにきた。そこから見える崇高な
モンブランに彼はすっかり魅せられた。
『モンブランこそ、未知の学問研究を極める最高の場所である』
彼はモンブランの登頂を試みたが果たせなかった。そこでシャモニーの住民に告示した。
『モンブランへの登路を見つけた者に賞金を提供する』
その後も彼はモンブランへの挑戦を試みたが失敗。25年後の1785年にはエギーユ・デ
グーテからの再挑戦も失敗した。彼は再び初登頂者へ賞金提供の布告をだした。これに応じた
のが、シャモニーの医師M・バカールとポーター
の J・バルマだった。1786年8月7日、二人
は出発した。彼らはルートをグラン・ミュレから
とり、途中で一晩ビヴァークしたのち、よく晴
れた青空のもと、高山病や雪盲に悩まされなが
ら、よく頑張って登り続けた。途中、バルマは
疲労のため、何度か下山をほのめかしたが、
バカールの激励でどうにか登りつめることが
できた。そしてついにアルプスの最高峰
モンブラン 4811m の頂上を踏んだのである。
ときに1786年8月8日午後6時23分だった。
二人が登頂に成功したとの知らせを受けたド・ソシュールは、取るものも取りあえず、
シャモニーへ直行した。ただちに村人16人を雇い、自ら第二登を果たすべく準備を整え出発
した。だがあいにくの悪天候に阻まれて断念した。 翌1787年8月1日、彼は再挙をはか
る。
『こんどこそは…絶対登るぞ!』
バルマをチーフガイドにして、ガイド、ポーターの全員20名のパーテイである。全員が宿泊
可能な大きなテント、クレバスを渡るためのハシゴ、長いザイル。非常に長尺なアルペンスト
ックを用意した。彼はその両端をガイドに持たせ、自分は真ん中を掴んで手すりのようにした。
ほかに科学観測用の機器を持参した。
こうして高山病や疲労と戦いながら苦闘。
8月3日午前11時にモンブランの頂上に着いた。
ソシュールは持参した計測機器で標高や沸点、
雪の温度、脈拍など、頂上で科学者としての観測を
行っている。このモンブラン登頂が契機となり、
ヨーロッパアルプスへ挑戦する時代が到来した。
私がシャモニーにきたとき、あいにく雨天で山は
全くみえずガッカリ。だがシャモニーの街角で山を
指さすド・ソシュールの像を見て感動したもの
だった。
いまモンブラン登山には地元ガイドの同行が条件、事前に体力や登山技術のテストに合格し
ないと登山できない。ふわく山の会でもモンブラン登頂に成功した人は数人しかいない。