平 成 十 三 年 度特 展 別 ム形 の ロ砕風 絵 の 歴 史μ H 山形 県 、 三博 物館 特 別 展 示室 (本 館 二 階 第 三 展 示室 ) 平九 十 三 年 十 月 六 日(土) 1 十 一 月 十 一 日(日) も て な し の 心 と 美 の 世 界 j委し 場期 ZT 'op 山 形県、 立 博物館 来 北歴 史博 物館 館 長 岡 田 茂 弘 氏 山形 県 、 立博 物館 講 堂 十 月 二 十 一 日(日) 午 後 一 時 三 十 分よ り 講場期講 演 戸庁 日 土、1三 会会 E己 今、 さ い つ ..,..+ わが国 を代 表 す る伝 統 農 民の 間 で 接 客 室 に 広 く用 い ら れ る よ う に な り ま す 。 江 戸 義 山形 県 立 博 物 館 長 円 凡 『I 林 を 申 し 上げ ま す 。 年 一卜 月 て い た だ い た 方 々 、 ご 指 導 ご 協 力 を 賜 り ま し た 方 々 に 厚 くお 礼 最 後 に 、 本 展 を 開 催 す る に あ た り 、 貴 重 な 資 料 を 出 品 ・提 供し 文 化 への 理 解 を 深 め る 機 縁 に な れ ば 幸 い で あ り ま す 。 本 展 に よ っ て 、 よ り 多 くの 方 々 が 扉 風 絵 の 世 界 に 触 れ 、 豊 か な の 筆 に よ る 扉 風 絵 も 紹 介い た し ま す 。 か け て 活 躍 し ま し た 本 県 出 身 の 青 山 永 耕 、 菅原 白 竜 、 細谷 風 翁 絵 の 美 の 世 界 を ご 堪 能 くだ さ い 。 ま た 、 特 に 、 幕 末 か ら 明 治 に 通じ て 、 山 形 の 感 性 豊 か な 知 的 生 活 と 接 客 の 心 、 あ わ せ て 扉 風 化 財 に指 定さ れ てい るも の で あ りま す 。 優れた 扉 風絵の 鑑賞 を 本 県 の 素 封 家 に伝 わ っ て き た 名 品 で あ り 、 大部 分 が 県 の 有 形 文 時 代 を 代 表 す る 絵 師 の 筆 に よ る 六 曲 一双 の 扉 風 絵 で 、 い ず れ も 本 展 で 紹 介い た し ま す 扉 風 絵 は 、 安土 桃 山 、 明 治の 各 戸時 代 に は 武 家 の み な ら ず 、 名 主 、 豪 商 と い っ た 有 力 者 や 上級 て 長 く用 い ら れ て き た も の で す 。な か で も 装 飾 用 の 扉 風 は 、 古 く か ら 室 内 の 風 よ け 、 目隠 し 、 間 仕 切 り に 加 え て 装 飾 用 と し 扉 風 は 、 衝立 と と も に 中 国 で 考 案 さ れ た 室 内 調 度 品 で あ り 、 芸術 の 一つ で あ り ま す 。 密接な 関 係 をもち な がら発 展し てき た 扉 風 絵 は 、 壁画 、 襖絵 な ど と と も に建 築装 飾と し て 、 建 物 と あ 平 成 十 t工 」ー 3 風絵に 日肝 て り の 、 し か も 、 右 隻 ・左 隻 か ら な る 六 曲 一 双 の 大 型 の 扉 風 で あ り ま す 。 扉 風の 他 、 一 一曲 扉 風 や 枕 扉 風 な ど が あ り ま す 。 こ の 度 紹 介 し ま す の は 、 す べ て 六 枚 折 扉 風 の 大 き さ に も 、 八 枚 折 り の 八 曲 扉 風 と い っ た 大 規 模 な も の か ら 、 六 曲 、 四曲 の があ りま す。 「 吉 祥 図 」 、 そし て 遊 楽 な ど の 生 活 の な か に 生 き る 人 々 の 姿 を 描 い た 「 風 俗 図 」 な ど た 「 人 物 図 」、 物 語 な ど に 登 場 す る 人 物 群 を 描 い た 「 物 語 図 」 、 祭 礼 や 農 作 業 を 描 い た 情 を 描 い た 「 景 物 図 」、 中 国 の 風 景 の 雄 大 さ を 描 い た 「 山 水 図 」、 君 子 賢 者 の 姿 を 描 い 四 季の 美 しい 表 扉 風 絵 に は 、四 季 の 花 や 樹 木 に 鳥 獣 の 姿 を 組 み 合 わ せ た 「 花 鳥 図 」、 うに な り 、 こ うし て 、 本 県 の 素封 家 に も 接客 用と し て 扉 風 絵 が 飾 ら れ る よ うに な り ま す 。 く な り 、 名 主 、 豪 商 、 上級 農 民 な ど 、 い わ ゆ る 素 封 家 の 接 客 室 に も 多 く 用い ら れ る よ と し て の 市 民 階 級 の 目 覚 ま し い 成 長 と と も に 、 扉 風絵 は も は や 武 家 だ けの も の で は な 製 作 の 機 会 を と ら え て 腕 を 競 い 桃 山 文 化 を 彩 りま し た 。 江 戸時 代 に な る と 、 鑑 賞 階 層 ま り、 狩 野 派 を は じ め 、 長 谷 川 派 、 海北 派 な どの 諸 派 が 主 に 武 家 を ス ポ ン サ ー と して り ま す 。 安土 桃 山 時 代 に は 、 特に 武 家 社 会 に お い て 鑑 賞 絵 画 と し て 扉 風 絵 の 要 求 が 高 扉 風 絵 が も っ と も 華 や か な 輝 き を 放つ の は 安土 桃 山 時 代 か ら 江 戸時 代 に か け て で あ け る 絵 師 た ち の 本格 的 な 活 躍 の 舞 台 は 扉 風 絵 と 襖絵 で あ り ま し た 。 う し て 、 掛 軸 が 床 の 間 の 鑑 賞 の 主 役 を 演 ず る よ うに な る ま で は 、 室 内 装 飾 と 鑑 賞 に お を か き 立 て 、 扉 風絵 は 重 要 な 絵 画的 装 飾、 鑑 賞 の 対 象 に な っ て い く の で あ りま す 。 こ 議な 画面効 果が 期 待 で き る こ と な どか ら 、 多 く の 絵 師 た ち の 扉 風へ の 絵 画的 創作 意 欲 同 時 に 、 平 ら な 平 面 で は な く 、 ジグ ザ グ に 立 て ら れ て 陰 影 と 屈 曲 が 生 じ る こ と で 不 思 扉 風 が 可 動 式 な 室 内 の 空 間 構 成 、 つ ま り 扉 風 面 は 動 く 壁 と し て の 魅 力 的 機 能 を 持つ と その 問 扉 風 は 、 建 築 内 部 の 風 よ け 、 目 隠 し 、 間 仕 切 り と し て の 役 割 を 果 た し な が ら も 、 その 衝 立 の 幾 面 か を 敷 居 に は め 込 ん で 開 閉 自 在 な 襖 や 障 子 な ど を 創 作 す る に 至 り ま す 。 用い ら れ 、 平 安 貴 族 た ち の 開 放 的 な 寝 殿 造 り の 生 活 で は 生 活 の 必 需 品 と な り 、 や が て 、 扉 風 は 衝立 と と も に 中 国 で 考 案 さ れた 室 内 調 度 品で あ り、 わ が国 で は 奈 良 時 代 か ら さまざまな 形で発展してき ました。 日本絵 画 は 、 壁 画 、 絵 巻、 扉 風 絵 、 襖絵 、 額装 、 衝 立 、 掛 軸 、 画 帖 、 色 紙 、 扇面 な ど 、 つ 5 例 3 7 5 8 協 力 者 25 24 もてな し の 」 ( 十月 六 日1 十 一 月 十 一 日) の 展 示 問 録 会社 が担 当 し まし た。 搬 送 は 日本 通 運 株 式 会 社 、 展 示 室 警 備 は 山 形 警 備 保 障 株 式 会 社 、 デザ イ ン ・展 示 施 工 は 株 式 会 社 ア イ ン 企 阿 、 作 品 の 佐 々木 洋 治 及 び 主 幹 菊 地 善 教 、 写 真 撮 影 は 寒 河 江 印 刷 株 式 五 本 展 示 会 の 企 画 ・構 成 、 及 び本 書 の 執筆 ・編 集 は 本 館 副 館 長 四 本 図 録 中 の 図 版番 号 は 、 展 示 作 品 番 号 を 示 し て い ま す 。 位は セ ン チ メー ト ル 。 計 測 値 ・ 所 蔵 の 順 で デ ー タ を 記 し て あ り ま す。 計 測 値 の 単 三 本 図 録 中 の 図 版に つい て は 、番 号 ・名 称 ・筆 者 ・仕 様 ・時 代 ・ 及 び解 説 を 記 載 し てい ま す 。 二 本 図 録に は 「 山 形 の 扉 風 絵 展 」 に 展 示 さ れ てい る 作 品 の 写 点 です 。 心と美 の 世 界 本 書 は 、 平 成十 三年 度特 別 展 「山 形 の 扉 風絵 展 覧 24 凡 例 ご あ い さ つ 扉 風 絵 に つ い て 凡 解 説 次 目 次 目 図 版 出 口 口口 協 力 機 関 目 録 参 考 文 献 乃て 展 引 用 7 〔右隻〕 棋 TZ 図車 君花 子財 六騎 曲 馬、 一 図 口 各 一七 O ×三 六七 口 桃 山 時代 1江 戸 時代 白 紙 本 墨画 口海 北友松 筆 対定 口 昭 和三十 二 年 (一九 五七) 口、 山 寺芭 蕉 記 念 館 双 三月 一目 指定 8 君巴 子福 -J.- 〔左隻〕 高 士 君 子 の 対 棋 と 騎馬 図 を 描 い た こ の扉 風は、 戦国 時代 の武 ある 。 将棋はイ ンドで 起こ り 中 人 画家海北友 松が描いたもので 国 を 経 て わ が 国 に は 奈良 時 代 に 伝わ っ た と い わ れ る 。 棋・ 琴・ 書・ 画 は四 芸といっ て 中国 で は 古 く か ら 高 士 の 余 技 と し て 行わ 友 松 が 中 国 風 の 人 物 を 通じ て れた。 文 武 両道 を 扉 風 一 双に 描 い た も ので ある が、 い かに も 鋭 く 力 強 い線描は武人 薗家の心意気を感 じ させ 、 墨色 の濃 淡の妙 が画 面 の空間 を引 き 締め て いる 。 海 北 友 松 ( 一 五 三 三 1 一 六一 五 )は浅井 長政 の重臣の海北家 まれ 、 武 人 画 家 の 系 譜 に 連 な る の五 男 とし て 近江田坂田 郡 に 生 に よ っ て 滅亡す る が 、 友 松 は 幼 人 物 で ある 。 浅井 家 は織田 信 長 年の こ ろ から 東 福寺 に 喝食 と し て 入っ て いた た め 難 を 逃 れ た と 再興 を 目 指 し 武 芸 に 励 み 、 やが い う 。 その 後 、 還俗 し て 海 北 家 か ら 画 家 と し て 本 格的 な 活 動 に て 文 禄 年間 ( 一 五 九 二 1 ) こ ろ に 画 家 た る こ と を 恥じ て い た と 入 り 海 北 派 を 創 始 す る が 、 つね い う 。 狩 野 元信 、 ある い は永 徳 宋 元 の 名 画 に 深 く 私淑 し て 水 墨 に 師 事 した とされる が、 中国 の 障壁 画 に 真 骨頂 を 示 し た 。 少 な い描 線の肥痩 に よっ て 立体感を 表 す 減筆 体 に 優 れ 、 そ の 描 技 は 友松独 特のもので 袋人 物と呼ば れた。 9 2 県 指 定 有形 文 化 財 白 紙 本 著色 口 狩野玄 也 筆 六曲 一 双 口 各一 五 三 ×三五 八 口 桃 山 時代 1江戸時代 口 昭 和 三 十 四 年(一 九五 九) 口 最 上義 光 歴 史 館 十二月四 日 指定 10 図 鳥 花 季 四 〔右隻〕 〔左隻〕 水 墨 を 主調 に 、 と こ ろ ど こ ろ に 濃 淡 を ほ ど こ して 四 季 の 花 鳥 を 一双 の扉 風 に 描 い て い る 。 右 隻 は老 松に 鶴、 梅花に 小 鳥を配 して 春 夏 の 景 で 、 左隻 は 水 辺 の 雪を 頂 い て 秋 冬 の 景 で あ る 。 金 鴨 、 草 原の 鷺 、 竹 林 の 笹薮 に は 泥が 墨 色 を 引 き 出 た せ 、 点 在す る 朱 や 緑 、 白 が 画 面 全体 を 気 品 こ の 扉 風 は 、 老 松 の 力 強い ね の 高 い も の に 仕 上げ て い る 。 ばり の あ る 描 き 方 な ど 桃 山 時 代 徳を お も わ せ る 画 風 で あ る 。 本 の 特 徴 を 示 し、 あた かも 狩 野 永 徳よ り し まら ざ る と こ 晩 年 の 弟 子 也 、 永 徳に 似 て 大 画 朝 画 印 に よ れ ば「 玄 也 は 、 元 信 永 面 也、 玄 也の 遺 作は 少 な く 、 本 扉 風 ろ あ る も 達 人 也」 と あ る 。 の よ う な 大 作 は き わ め て 珍 しい 。 作品 で あ る 。 桃 山 時 代 の 障壁 画 と して 貴 重 な 狩 野 玄 也 (生没 不 明 、 十 六 世 か ) は 、 本 朝 画 印 で は 狩 野 元信 紀 後 半 から 十七 世紀 初め に 活躍 そ の 詳 細は 不 明 で あ る 。 の 弟 子 と 伝え ら れ て て い る が 、 玄 也 の 画 風 は 永 徳に 近 い 要 素 の四 季 花 鳥図 は狩 野 派 より む し を 示 して い る が 、 な かで 本 展 示 ろ 海北友 松 に 近い 筆 づ かい を 示 した も の と い わ れ て い る 。 こ の よ う に 、 玄 也の 画 風 に は 狩 野 派 ど 、 玄 也の が 画 歴 に も 不 明 な 点 か ら 海 北 派 ま で 含 まれ て い る な が多い。 11 警 〔右隻〕 3 県 指 定 有形 文 化 財 六曲 一 双 図 果 花 物 人 水 山 口 池 大雅 筆 口 紙本 墨画 口 各一四七×三五一 口 江戸時代 口 個人 所 蔵 五 月六目 指 定 口 昭 和 三 十 六 年(一 九六一) 12 “� ---一一て竺ごヱー-"""'- _j;li 言 台、 r夜 〔左隻〕 六 由 一 双の 各 折 十 二 枚 の う ち 梅 ・ 竹 ・ 蘭 菊 ・ 葡 萄の 花 果 図 が 四 枚 、 琴・ 棋 ・ 書 ・ 詩 の 人 物 図 四 枚 、 そ し て 四 季 を 表す 山 水 図 が 四 枚 と に よ っ て 構成 さ れ て い 大雅 独 特 の 軟 調 な 筆 勢 の う ち に 、 る 。 何れ も 画 風は水 墨画 に よる そ れ ぞ れ の 主 題 の 真 を 捉え て 表 燭 漫 な 大雅 の 人 柄 が 渉 み 出 て い 現 されて おり、人 物画に は天真 る。 こ の 扉 風 の 所 有者 で あ る 旧 家 に 遣 っ て い る 「 東 岡参 宮 日 記 」 年 (一 七 七 こ に弟と医師玄 悦 に よ れ ば 、 先 祖 の 東 岡が 明 和 八 の三人 で 伊勢参りをしたことが 寄 っ て 、 大雅 に こ の 扉 風 の 揮官宅 わ か る 。 その 折 り 京 都 に も 立 ち を 依頼 した ので あろ う 。 当時 の 文化 人 た ち の交遊の様 子 が偲ば れる。 池 大 雅 (一 七 二 三 1 一 七 七 六 ) は 江 戸 時 代 を 代 表す る 画 家 文 人 画 (南 画 ) の 大 成 者 と い わ で あ り 、 与謝 蕪 村 と と も に 日 本 れ る 。 また 、 絵 画 の み な ら ず 書 や 築 刻 に も 優 れ た 才 能 を 発 揮す 大雅 は 京 都 に 生 まれ 、 姓 は 池 る など多才な人 物 で ある 。 野 、 幼 名 は又 次 郎 、 名 は無 名 、 また は 勤 、 公敏 な ど と い い 、 大 幼 少 から 才 能 があっ て 、 柳沢 浜 雅 堂 、 三 岳道 人 な ど の 号を 持 つ。 園 や 祇 園 南 海 ら に つい て 南 画 の 技 法 を 習 得、 点描 法 に よる 水 墨 のびのびとした 描法、明 る く 画 を も っ て 独 自 の 世界 を 築 い た 。 澄 ん だ 色 彩 、 奥 深 い 空 間 表現 が 大雅 様 式 の 特 徴 で あ る 。 大雅 の 作品 に は 胸 中に 湧 き あ が る 豊 か 嫡 漫 な 人 柄 その ま ま に 見 る 人 を な 情 感 が 表現 さ れ て お り 、 天 真 自由 な境地 に 誘う魅力がある 。 13 4 県 指 定 有形 文 化 財 六曲 一双 口 青 山 永 耕 筆 口 江戸時代 1明 治 時代 白 紙 本 著色 口 各一五 七×一 二六 六 口 山 寺 芭蕉 記念 館 一月十二 日 指定 口 昭 和 三 十 七 年(一 九六二 ) 14 紅 花 扉 風 〔右隻〕 〔左隻〕 最 上山 形 の 特 産 で あ っ た 紅 花 の 栽 培 か ら 紅 花 染 め の 原料 の 製 造 、 京 都 や大 阪 へ の 搬 送 、 問屋 間 の 商取 引 の 情 況 を 写 実 的 に 一 豊 富 な最 上山 形 の 紅 花 は 京 西 陣 双 の扉風に 描いて いる 。色 素が の 染 織 物 に 歓 迎 さ れ 、 衣服 が 華 美に な っ た 元禄 の 頃 から 需要 が 増 し 、 輸 出 量 は 「 最 上千 駄」 と い わ れ 、 豊一作 の と き は 千 三百 駄 紅 花 は 最 上川 を 船 で 下 り 、 酒 に の ぼっ た と い わ れ て い る 。 田 で 大 船 に 積 み 替え て 敦 賀 に 入 敦 賀港 に 入 浴 し た 積 荷 船が 描 か り 京 都 に 輸 送さ れ た 。 図 中 に は れ て い る が 、 船帆 に 記さ れ た 屋 号 は山 形 の問 屋 を 示 し て お り 、 て も価 値の高いもので ある 。 山 形 の文化 的 、産 業 的 資 料 とし 青 山永 耕 ( 一 八 二0 1 一 八 八 一 )は 本 県 東 根市 六 回 の 青山 家 一 の 画 師 丸 野 清 耕 の 門に 入 り 、 養 に 生 ま れ 、 幼 名 は 挨 一 。 上山 藩 た 。 二九 歳 で 江 戸 に 出 て 中 橋 家 子 と な っ て 丸野永 耕立 貞 と 号 し 独 立 し て 雪窓 斉 永 耕 と 名 の る 。 画 所 狩 野 永 真 に 師 事 。 その 後 、 明 治 のはじ め に 画 業 成 って 狩野 と 改 め る 。 帰 郷 し て 画 業 に 専念 。 の 称 号を 許 さ れ て 狩 野 永 耕 応信 山 水 画 、 人 物 画 、 花 鳥 画等 レ パー ト リ ー は 広 く 、 地 方 に お け る 狩 野 派 の 正統 的 手 法 の 名 手 で 本 図 は 永 耕 の 幕末 の 作 品 で あ ある 。 る。 15 5 県 指 定 有形 文 化 財 口 横 山 華 山 口 江戸時代 口 紙 本 著色 六曲 一 双 ⑪ 長 谷川コレクション 日 山 形 美術 館 口 各 一五 四 × 三 五 七 ん咋 一月十三 日 指定 口 昭 和 三 十 七 年( 一 九六二) 16 草 風 扉 花 紅 〔右隻〕 〔左隻〕 紅 花 の 生 産 、取 引 、 輸 送の 様 を 描 い た 図で 、 横 山 華 山 が 京 の 紅 花 問 屋 の 注 文 を 受 けて 描 い た も の で あ る 。華 山 は 直接 紅 花 の わ れ 、 右隻 は 江 戸 近 郊 の 写 生 で 、 生 産 地 に 出向 い て 写 生 し た と い 紅 花 摘 み に 始 まり 干 燥 し た 紅 花 左 隻 は 仙台 大 河 原の 風 景 で 、 奥 も 大き く関 東 風 に 描 い て い る 。 州風に 紅餅も 小 ぶ り に (銭花 と も い う ) 輸 送の さ まを 描 い て い 京 都 の 祇 園祭 で は 各 問 屋 が 庖 る。 頭に 扉風を飾って競い合い、 別 その 中 で 華 山 の 紅 花 扉 風 は 町 中 名 扉 風祭 と も い わ れ るほ ど で 、 利兵 衛 が譲 り 受 け て 持 ち 帰 り 、 の 大 評 判 と な っ た 。山 形 の 佐 藤 その 後 岡 市 の 旧 家 に 移 り 、 さ ら に 同 家 か ら 山 形 美 術 館に 寄 贈 さ れた もので ある 。 横山 華 山 ( 一 七 八 四 1 一 八 三 七 ) は 名 は 一章 、{ 子は 舜 朗 。 越 の人 とされ て いる 。京 都北野 で 前 出身 説 も あ る が 一 般 に は 京 都 な り 、 家 業 の傍 ら 画 業 を 好 み人 機 織 業 を 営 む 横山 惟 馨 の 養 子 と 物 画 を 得意 とし た という 。師 は 岸駒 と さ れ て い る が さ だ か で は 沢 麓 雪、 松 村呉 春 、 曾我 篇 白な な い 。 後 に 円山 派 や 四 条 派 の 長 ど 、 時 代 に 先 行し て 独 自 の 画 風 を 打ち 立て た 絵師 の筆 意 を 学ん だ と い わ れ る 。 従 っ て 、華 山 の し た 独 自 の 作風 を 示 し て い る 。 画 は 円山 派 、 四 条 派 な ど が 混 漏 17 ぬ 丹 欠 格金 占 問 吋弘、 すL f 塩4 B5 官級哨 V 傘噌 d 時 同 つ 崎 港市 内 AhT 庁。taf 串 岬 一札ゑ 弘 お 42・衿 お が を 存 可 制勾 角 多 る ゆ 日阻 品川在 川げ必 司 匂 写 ん 』W ム も九品明月 鳴 沙 会 み「専 j / 3 p 議 』T ao 凶同帆 寸 弘 川平 da 供 H3 柿 'P 圏 図 得欄許制 〔右隻〕 6 県 指 定 有形 文 化 財 六曲 一双 近 江 八 景 金 沢 八 景 図 口 紙本 淡彩 口 菅 原白竜筆 口 江戸 時 代 1明 治 時 代 口 各一九 O × = 一六 回 口 個人 所 蔵 口 昭 和 三 十 八 年(一 九六三 ) = 一月 十 七 日 指 定 18 丸~ 戸〆 穐題噛措h 図 í1 lJi司 を帰国一噂'-" 本 間 〔左隻〕 右隻 は 金沢 八 景 ( 現 横 浜 市 ) を 九 覧 亭 か ら 、 左隻 は 近 江 八 景 む 石 山 楼 上 か ら 、 それ ぞ れ 鳥 轍 ( 現 琵 琶 湖 南 岸) を 琵 琶 湖 を 望 で あ る 。 旅 好 き の 白竜 は 関 東 、 的 に 一望 し た 景 観を 描 い た も の る が 、 その 際 直接 訪 れ た 二 景 の 関 西を 二 度 に わ た り 遊 歴 し て い 写生 を も と に 描 い た も の で あ ろ 白竜 は 日 本 の 新 南 画 の 創 始 者 つ。 v といわれ る が、 こ の扉 風に みる 鳥 撒 的 観 察 に よ る 画 面 構想 と い 家 屋 の 描 写 と い い 、 白竜 の 開 拓 い 、 風俗 的 な 明 治 初 期 の 人 物 、 八三= 一1 一 八 九 し た新 南 画 の 記 念 す べ き 作 品 と いえ る 。 菅 原白竜 ご 八 ) は 本 県 西置 賜 郡 豊 田 村 時庭 ば れ た 焚 林 院 の 神職 の 子 と し て (現 長井 市) の代 々 法 印 様 と 呼 も っ ぱ ら 白竜 山 水 と 号し た 。 生 まれ る 。 本 名 は 道 雄 、 晩 年 は 嘉 永 五年 ( 一 八 五 二 ) 二 十 歳 の 時 に 画 家 修 行で 江 戸 に の ぼ る の遠 山 に 師 事 して 画 技 を みが い が 、 そ の 後 帰 郷し て 福 島 の 保 原 着 い て 画 業 に 専念 し 、 明 治 十 七 た 。 明 治 十 五 年か ら 東 京 に 落ち の 審査 員 に 選 ば れ 、 あ る い は 米 年に は 政 府 が 開 い た 絵 画 共 進 会 国 シ カ ゴ 博 覧 会 に 作品 を 出 品す る な ど 、 中 央 画 壇 で も 一流 の 地 白竜 は 、 従 来 の 南 画 家 が 見 た 位を 獲 得す る に 至る 。 粉本 を も と に 型 通り 描 く の に 反 こ とも ない中国 の山水 を 古 来の 発して 、写生 の重要 性を力説 し て 自分の目 で 見た日本 の風景を 南 画 に新 風 を 送 り 込 ん で 日 本 的 描 き 続け た 。 こ の よ う に 白竜 は 、 南画史 に 残る 画家 の一人 で ある 。 南 画 を 開 拓 し た先 駆 者 で あ り 、 19 恥 / ふけ千 '炉 月 dl 4 9 ム 長 ( 7 風 竹 風 菊 図 扉 風 口 細谷 風 翁 筆 口 紙本 墨画 六曲 一双 口 江戸 時代 1明 治 時代 二× 三 六 九 口 各 二 ハ一 口 山 寺 芭蕉 記念 館 20 品開J J晶子e ? 人 前 川 n b 品 1 9 凡リ‘r , . 〔右隻〕 r '4te 、 島 介 叶 # t M相 、 AT L ‘ m' 〔左隻〕 明 治 初期 に山 形 の 文 化 の 指 導 的 役割 を果 たしたといわれる 文 人 画 家 細谷 風 翁 が 、 も っ と も 得 の 代 表作 で あ る 。 竹 や 菊 が 風 に 意とした 風竹・ 風菊を描いた 彼 なびいて いる 風趣を 水 墨に よっ て 自由 に のびのびと気 品 高く描 い て お り 、 その 画 風 は 江 戸 時 代 に 通じ る と こ ろ が あ る 。 の 文 人 画 家 の 巨 匠 池 大雅 の そ れ 細谷 風 翁 ( 一 八 O 七 1 一 八 八 一 一) は 山 形 市 の 真 言 宗 宝 瞳 寺 の 寺 侍 宮 城 家 に 生 まれ 、 九 歳 で 同 と な る 。 医 業 の 傍 ら 漢 学 、 武道 、 市 十 日 町 の 医 師 細谷 玄 琳 の 養 子 し た 。 画 の 他 に 詩 作 や家 刻 に も 画 業 を 曙 み 子 弟 の 育成 に も 尽 力 長じ て いたといわれて いる 。医 師 と し て の 名 は玄 達、 号 は 竹所 、 竹 所 と 号し た よう に 風翁 は特 に 風道 人 、 風 老 人 、 風 翁 で あ る 。 画 は だ れ に つい て 学 ん だ か は 竹を 好 んだ と い う 。 描 き 、 それ に 自 然 風 情 を 手 本 と 不明 で ある が、初め は四 条 派 を 境 に 達 し た と 思 わ れ る 。 風翁 の し て 写 生 し つ つ独 修 で 独 自 の 画 画 風は、 自分の想 うところを何 に も 束縛 さ れ ず に 気 品 高 く 自 由 に のびのびと描くとこ ろ に 特徴 画 の 門人 に は 山 辺 の 渡 辺 文 貞 、 がある 。 平清 水 の 月 田 淡 山 、 彫刻 家 で 帝 室 技 芸 員 を 務 め た新 海 竹 太郎 ら が 輩 出 し た 。 風 翁 が 、 幕末 か ら 明 治 初期 に か けて 山 形 の 文 化 的 土壌 を 培 養 し た 功 績 は 大 き い も のがある 。 21 白 紙 本 著色 六 曲 一双 口 各 一七 四 × 三七 八 口 明治時代 口 個人 所 蔵 22 四 季 農 耕 図 〔右隻〕 8 〔左隻〕 六 由 一 双 の 十 二 折 に 一 年間 の 農 作 業 の 様 子 を 描い た も の で 明 稲 籾 浸 し 、 苗代 作 り 、 苗 代 の 種 治中 期 の 作 品 で あ る 。牛 飼い 、 蒔 き 、 鳴 子 に よ る 苗代 の 鳥 お ど 苗運 び ・田植 え 、 聞 の 草 取 り 、 し、 馬 鍬 を使 っ た牛 の代 掻 き 、 稲 刈 り ・稲 束運 び 、 千 把 で の 稲 扱 き ・籾打 ち 、 ひき 臼 で の 籾 摺 ど の 農 作 業 の 様 子 が 写実 的 に 描 り 、 俵 詰 め ・俵 締 め ・蔵入 れ な 農 作 業 の 内容 や人 物 の 描き 方 かれ て い る 。 は 、 江 戸 時 代 に 大 阪 の 絵 師 橘守 し て 描 い た と 思 わ れ る 画風 で あ 国 が 描い た 絵 本 通 宝 志 を 粉 本 と る が、 農 作業 よ り は む しろ 周 囲 風景もどことなく中国 風で ある の 風 景 を 大 き く 取 り あげ た り 、 こ と か ら 文 人 画 ( 南 画) に 属 す る 絵 師 の 作 品 と も 考え ら れ る が 日本 絵 画 に 農 耕 図 ( 耕 作 図 ) 筆 者 はさだ かで な い 。 が 本 格 的 に 位 置 づ けら れ る の は 、 中 国 の 南 宋 の 巨 匠 梁儲 の 筆 に よ る 耕 織 図 巻 が 伝 え ら れ た 室町 時 の手 の届 くも のに なる 江戸時代 代 か ら で あ る 。 絵 画 が 広 く 民衆 祥 を 表す も の と し て 町 人 層 に も に は 、 四 季 農 耕 図 は め で た い吉 明 治 以 降 も 民衆 の 聞 に 受 け継 が 広 く 受 け 入れ ら れ 、 その 伝 統 は れてい く。 23 A守 番号 A-作 者 名 君 子 対 棋 図 君 子 騎馬 図 四 季花鳥図 山 水人 物花果図 紅花扉風 紅花堺風 近 江 八 景 金沢 八 景 図 風竹風菊図 扉風 四 季 農 耕図 展 示 協 力 機 関 ・ 協 力 者 - 作者 菅原 玄也 大雅 永耕 白竜 風翁 A-所 蔵 山 寺 百 蕉 記念 館 A-計 量 値 六曲 一 双 最 上義 光 歴 史 館 六曲 一 双 山 寺 芭蕉 記念 館 士口 土 ⑪ ・長 谷川コレクション 山 形 美術 館 六曲 一 双 六曲 一 双 六曲 一 双 六曲 一 双 六曲 一 双 。形 状 各 一 七 O X 三 六 七 各 五 五 八 一ニ〉〈三 一 各 一 四 七 X 三 五 一 各 一 五 七 X 三 六 六 各 一 五 山 X 三 五 七 各 一 九 O X 三 六 四 各 二 ハ三 〉〈三 六 九 各 一 七 四 X 三 七 八 六曲 一 双 特 別 展 「 山 形 の 扉 風 絵 展 ー も て な し の 心 と 美 の 世界 i 」 の 開 展 と 本 図録 の 作成 に 記 し て 厚 く お 礼 申 し 上げ ま す 。 ( 五 十 音 順 、 敬 称 は 略 さ せ て い た だ き ま し た 。 ) あ た り 、 多 く の 方 々 な ら び に 関 係 機関 か ら 多 大 な ご 協 力 と ご 指 導 を 賜 り ま し た 。 最 上義 光 歴 史 館 ⑪ 長 谷川コレクション 安孫 子 部 山 形 美術 館 万口 一 町 山 tトhv A E nHH 一吉口 屋 個 人 録 山 寺 百 蕉 記念 館 山 由 美子 里子 人 目 米 沢 市 上杉 博 物 館 岡 長 谷川 24 計 � 勝 寿 幸 ま企 男 1文 原 角 妻 中 人 友 松 華 山 揚 キ日 新 個 個 個 人 海 北 狩 野 池 青 山 谷 口 口口 四 五 ;" 七 八 横 山 細 出 一」 引 用 ・ 参 考 文 献 社 山 形 県 教 育委 員 会 山 形 新聞 山 形 県芸術 文化 会議 山 寺 芭蕉 記念 館 京都文化 博物 館 九 七 九 八 『 山 形県の文化 財』 『 山 形 県 大百 科 事 典』 『 山 形県芸術文化 史』 『 国 宝大辞 典・ 絵 画 』 『 扉 風 絵 の 美 』展 示 会図 録 池 大雅 展 』 図 録 『 京都文化 博物 館 致 道 博 物 館 『 京の 絵師 は百 花 練乱 』展 示 会図 録 町田 市 立 博物 館 茨 城 県 天 心 記念 五 浦 美 術 館 サン トリー 美術 館 『 瑞穂 の国 ・日本 』 『 農 耕図 と農 耕具展』図 録 『 日 本 絵 画 の 精 華 』 記 念 展 図録 『 桃山 の華 ・ 扉 風 襖 絵』 展 示 会図 録 『 菅 原白竜 南 画 展 』 図 録 抱ぺ 一九 八 五 九 七 九 九 三0 0 0 一九 八 九 一九 九 八 一九 九 六 九 九 号�ε ヲえて Jに、 宇土 ネ土 議 淡 一九 九 六 九 九 覧 25 ー 六四 五 ロ 門 田 ζ 寒河 江 印 刷 株 式 会 社 80 二 三 発行 回 一一一一 山 形 市 霞 城 町 1番 8号 T九 九 O | O 八 二六 一 山形 県 立 博物 館 平成 十 三 年 十 月 五 日 11:、 即 コ 日 円 E (1) E 編集 ・ 発 行 ? 扉 ö..� リ ー 口H ロ却 トJ 〈コ ζコ fの自H 田 口 円コ ]門 '" ぞ. て3 見、 山空 。 実風 富絵 干展 B i形i 司5 52 nicTo 平
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