平成26年11月12日 晩秋の候、皆様ご健勝にてお過ごしのことと存じます。 昨年のかえる便り 23 号(11 月 18 日)の一部分です。 『先日、新チームで県高校サッカー選手権大会決勝戦を観戦に行きました。部員の 多くが “今のままでは通用しない” 、“自分達に足らない事が分かった” 等 とノートに書いています。日頃指摘していることを感じただけのように述べています。 本当に凄く甘い考えです。 (略)基本の大切さや、練習の要領を口やかましく話してい ますが、言われていることの意味を真剣に理解しようとしていないと感じる事が多々 あります。』 (優勝するために努力する……。昨日 11 日新チームの取り組みを大説教) 試合後のロッカールームで“泣くほどの努力をしたか?” 、 “言われたことも 実行しない者に、女神はほほ笑まない” 等と話しました。想いを書くことは出 来ます。努力しているかと問えば“努力しています”と答えます。それは 100%以下 の努力しかしていないのです。言われたことの意味を考え、どのようにすると改善で きるか工夫しながら、《 今まで以上の力を尽して必死(120%)にする》 から 伸びるのです。これが見られないのです。 “今のままでは勝てない”という想いを真摯 に受け止め、諦めないで継続できる性格にならないと優勝は無理です。何故なら、身 体的能力が低く判断が遅いからです。このような性格にするために厳しくしているの ですが・・・。このような性格を持つ人になったら、どのような人生になるでしょうか? もっと部員のために尽くしてあげたかった。例えば、 テーピングを勉強して出来るようになっていれば、 みんなにやってあげれたのに と思っています。今 思うとたくさん後悔しています。親への感謝を忘れ ずに、毎日の部活を頑張って欲しい。2 年生は 1 年 生を 時には厳しくして 引っ張っていって下さ い。1 年生は TPO を考えて行動して欲しいですね! マネージャーとして何をしたらいいか分からなかった。ある時、先輩に『自分で考 えて、仕事を見つけて スーパーマネージャー になれ』と言われた。その時初めて、 こんなもんじゃ駄目なんだ ということに気がついた。そこから常に何か出来ること はないか考えるようになった。スポーツを本気でしたことのなかった私は、何をマネ ージャーにしてもらったら選手は助かるのか分からなかった。だけど、先ずは素早く 動くことから始めた。仕事を見つけるということは 周りをよく見て 気を配る ことだった。仕事をみつけてやっていると「ありがとう」と言われる回数がだんだん 増えてきた。私は嬉しく思ったのと同時に、みんなのために何かをすることがとても 楽しく感じるようになった。そして先輩が卒部する時に『スーパーマネージャーにな ったな』と言ってもらった。 3 年生 2 人のマネージャーは、部をよくするために努力していました。ありがとう! 今年のチームは昨年と比べると技術面でかなり見劣りしていました。だから、君達 に昨年と同じか、それ以上の感動を与えてあげたいと思い厳しく接してきました。し かし、まだまだ俺自身が妥協していたと思います。何故なら、君達とは2年からの付 き合いだし、西山先生に遠慮していた面があったからです。自分が入院したことと台 風接近による被害を回避するために大分遠征を中止しました。自分が行っていれば、 遠征をしたと思いますが、他の顧問に迷惑を掛けられないので止むを得ず中止しまし た。レベルの高い相手と試合経験をしないまま選手権を迎える不安は、自分にもあり ました。だから、今まで以上に厳しさを前面に出していったのです。 (しかし、若い時 と比べると随分優しくなっていますよ)特に、素早く行動することについては、1秒 でも惜しいと思うのでかなり厳しくしました。限られた時間を有効に使うことの大切 さを理解して欲しいし、君達の貴重な時間を奪いたくないからです。 今までとは違う厳しさに戸惑ったことと思います。しかし、よく頑張ってくれまし た。いろいろなポジションでプレーが出来る人が増えたこと、違うポジションで自分 の良さを出す努力をしてくれたこと、変わろうという姿勢が日に日に強まってきたこ とを感じました。2年時の最初からそのような取り組みをしていたら、大社戦は違っ た展開になったと思うよ!少し遅かった。この経験をこれから生かして欲しいと思い ます。 リーグ戦や公式戦に3年生の全員を出場させてあげたいと思ったけれど、ゲーム内 容が緊迫していて点差が開いていない時には、チームの勝利と自信を得させるために 選手変更できませんでした。許して下さい。 君達の夢を叶えさせることが出来なくて、本当に申し訳なく思います。後輩には凄 く厳しくしています。それでも可能性は低いのです。しかし、順調に伸びたら、伸ば すことが出来たら、可能性は高まります。実行して実力を高めるよう努力して、君達 に恩返ししたいと思う! 1年の最初の頃は部活が嫌だった。下手だから直ぐ怒られて、それで気持ちもシュ ンとなってまた怒られての繰り返しであった。ディフェンスを頑張るようになって、 1回だけリーグ戦に出してもらった。それが凄く嬉しかった。2年生になって先生が 来て走る量が多くなった。最初は凄くきつかった。でも、すごく楽しかった。リーグ 戦は2部だったけれど勝っていたし、試合に出ることが出来ていたので本当に楽しか った。でも、総体はベスト8で終わりすごく悔しかった。夏の大分遠征での大分西戦 がすごく印象に残っている。負けたけど良い試合をしたと思った。自信にもなった。 走り込みの量もだんだんきつくなって、三瓶は本当にきつかった。この三瓶での走り があったから選手権でベスト4に行けたと思う。大社に勝って自分達は強いと思い込 んでいた。馬鹿だった。本当に恥ずかしい。3年になって総体に向けてという時に、 怪我をした。怪我の間は、体幹を鍛えてはいたけど全然走れなくなり、試合に出ても 何も出来なくて、この時期は本当に嫌だった。総体1回戦負け、本当にやめようかと 思った。総体が終わってからは、ほとんど印象に残っていない。夏の遠征、三瓶合宿 もなく、選手権前の山口高校戦では大量失点、選手権どうなるのだろうと思った。ず っと総体の事が頭にあった。だから選手権の農林戦では、悔いが残らない様に走って やろうと思った。それが良い方にいって嬉しかった。松江南戦が自分の中では一番の 試合だと思う。集中していたし、走れていたと思う。しかし、大社は強く、格の違い を見せつけられた。自分達の甘さが分かった。後輩には決勝に行き勝って欲しい。 1年生の時、このチームが全国大会に出場するのは無理だろうと思いました。セン ターバックをやらされ、総体は自分のせいで負けました。正直やる気が出なくてやめ たかったです。2年生になって、試合に出続けるようになると、やはり「勝ちたい」 と思うようになってきました。でも、智翠館コースに入ることになり、もともと勉強 が好きではないので、両立するのが大変で勉強も部活も中途半端になっていました。 しかし、学ぶことの大切さを教えてもらったので、勉強ももっと頑張ろうと思うよう になりました。また、どのポジションを与えられても全力でやることを教えていただ き、違うポジションをしても不貞腐れてはいけないと思うようになった。3年生にな って、前年のチームより弱くなったことも実感しました。でも、選手権で最低限のベ スト4に入れて、少し変わったのかなと思いました。サッカー部に所属し、とても成 長出来たと思います。特に“心”の成長はこれから役に立つと思います。 1 年生の頃は 3 年生に怒られてばかりで全然サッカーが面白くなかった。2 年生に なってもあまり変わらなくて、正直もういいやと思ったこともあります。しかし、同 級生が上手くなっていくのを見て、落ち込んでいる暇はないと思い負けないようにや りました。新チームになると全然試合に勝てず、そこで改めて3年生の偉大さ凄さが 分かりました。それと同時に、自分達の無力さを感じました。選手権の前にけが人が 続出して、今年の大会は大丈夫かなと思いました。大社と対戦し自分たちとは実力が 全く違うと感じました。自分達に足りない事は、チーム力だと思います。誰が変わっ て出ても大丈夫で、チームに良い影響を与えることが出来る人がたくさんいるチーム は強いと思う。Bチームが強いチームは、強いと思いました。 現 1 年の忘れ物等が多いことが信じられない。自分達が 1 年の時は、自分のことと 先輩のマッサージや洗濯等で自由になる時間は 30 分ぐらいしかなかった。また、上 下関係が厳しかったため、練習や寮生活も楽しくなかった。毎日辞めたいと思ってい た。しかし、辞めずに頑張れたことは自信になったし、人として多くの成長が出来た 1年間だったと思う。サッカーの面では、ゴールキーパーとしてほぼ素人で先輩に迷 惑を掛けるだけだった。朝早く起きて自主練するようになったが、やっていることは 甘く、時間を無駄にしていただけであった。2年になって先輩の怪我で試合に出るよ うになった。しかし、今までやっていたことが甘かったから実力がなかった。自分が 注意されて態度に出していた時、夜主将に呼ばれ「お前がチームの守護神なのだから、 もっと自信を持ってプレーしろよ」と言われた。それから、先ずはチームのことを考 えるようになり、自主練も何が足りないかを考えてするようになった。 中学の時は 1 年から試合に出ていたが、高校ではほとんどBチームで挫折というこ とを味わった。先生や親を裏切りたくなかったので毎日自主練をしました。それでも 結末は残念な結果でした。自分の努力の質、やり方が間違っていたせいです。後悔が ないと言ったら嘘になります。試合が終わった後、何も出来ない自分に腹が立って涙 が止まりませんでした。それでも、3 年間努力をやり切ったことに後悔はしていない です。人生は楽しいことばかりではない、苦があるから楽しいのだと思います。 入学後 2 カ月で足首の怪我をしました。高校生活が始まって直ぐの負傷と初めての 手術でとても苦しい日々でした。8月から復帰しましたが、2年にあがる頃に足首を ケガしてまた手術しました。ケガ明けの僕はキーパーとして復帰しましたが、物足り なさを感じていました。しかし、キーパーでも何か得ることがあると思い、必死に練 習をしました。自分の中でキーパー練習はしんどくないという考えがありましたが、 やってみると大変であると同時に、すごく大切なポジションであると思いました。こ の3年間、楽しいことよりも苦しいことの方が多かった。何度も諦めかけてこともあ りますが、気持で乗り越えてきました。とても気持ちが強くなったと思います。 山、歴史、偉人の話など自分の知らない世界を知り、もっと世界を知りたいと思い ます。そのために本を読み、海外旅行やいろいろな体験をしたいと思います。何も知 らないまま人生を終えるのはもったいないと思います。サッカーの面では、自分の尺 度でプレーしていたと思う。自分はやっているつもりでも、他人からしてみればして いない。例えば声、自分は出しているつもりでも、聞いたり評価するのは他人です。 だから自分は勝手に努力している気持ちになっているだけだと思いました。 「努力 して成果が出ないならば、それは努力とは呼ばない」 自分はもっと自分に妥協せず、 “努力”をして他人に認めてもらえるような人間になっていきたい。 2年になって先輩達と自主練している時に「ゴミを拾っていたら絶対試合でチャン スが来るから、一日1個でもいいから拾っておけよ」と教えてもらった。選手権まで の自主練とゴミ拾いなどの生活面が出たのが大社戦だと思った。でも、開星戦は4対 0でボコボコにされて自分の力の無さとベスト4で喜んでいる自分に腹が立った。試 合後、先輩が「ゴミ拾いは続けるよ」と言われたので、自分も続けると決めた。今年 の大社戦、最後にチャンスが来たのはそのお陰だと思う。現1年生は掃除、挨拶、礼 儀、気配りなど人として当たり前のことを身に付けなければ駄目だと思う。 2年の新チームから試合に出ていたものの、自分の所でミスが多く自信を失ってい た。新人戦は2回戦で負けたのでもっと自信を失った。春の遠征から1年生が入って きて、自分はミスしてから試合に出られなくなった。この時、もう試合に出られない と決めつけ諦めかけていたが、FWで出してもらえることになった。これで結果が残 せなかったら出られなくなると思い必死で頑張った。選手権の松江南戦でスペースア タックが通用したので、大社にもいけると思ったが全然通用しなかった。この経験を 生かして大学で頑張ります。 高校1年から試合に出ていたので、自分は上手だと確信していました。2年生にな り先生の話を聞くと、自分には技術・体力、なにより精神力がないと感じました。先 生には全くほめてもらえなくてへこたれた自分がいました。今考えると、あの時に厳 しくしてもらえてよかったなと思います。マネージャーの二人には本当に感謝してい ます。二人は部をより良くしようと一生懸命頑張ってくれました。駄目なときにはは っきり指摘してくれました。日本一のマネージャーを持ったと思っています。最後ま で期待にこたえられなかったことを後悔しています。 1年の頃はサッカーをする以前に寮生活が嫌でした。自由がなくとても辛く、サッ カーもどこか力が抜けたような練習なので退屈でがっかりしました。高2の時、走り 込みが増え練習や試合の質も上がってきました。毎日の練習で身体的に疲れていたが、 それがなんとなく心地よいものでした。選手権でベスト4に入ったが自分は全く貢献 できないし、 「なんでピッチに立てんのや」という思いが強かった。最後の選手権もベ スト4で終わってしまいましたが多くの人達が心底から応援してくれ、その中で大好 きなサッカーをプレーすることが出来たことを感謝しています。 「 人は人のためならい くらでも頑張れる。人のために生きろ!」という言葉が一番印象に残っています。こ のことを常に心におき、大学では必ず目標を達成し沢山の人を感動させます。 3年生になってからは怪我ばかりで、チームに迷惑を掛け続けていた。自分はチー ムのために何一つ貢献できていないのではないかと思ったが、そんな時には、いつも チームメイトやマネージャーが励ましてくれた。サッカーを通じて、仲間がどれだけ 大事なのかを知ることが出来た。 “自分のためにと思うよりも、仲間のためにと思う方 が頑張れる”ことも分かった。サッカーの技術的な面だけでなく、人間的な面の心や 考え方に関して多くの事を学ぶことが出来た。これまで部活と勉強の両立で大変な時 もあったが、これを3年間続けてきたことは大きな自信になると思う。友達や一部の 先生からは、 「部活との両立は大変だろう」、 「入試に影響が出るのでは」と言われたこ ともあったが、自分は部活を頑張ることで勉強も頑張れ、また、逆もそうであった。 つまり、お互いがいい影響を与えあっていた。下級生の中にも同じように両立して頑 張っている人がいます。その後輩たちのためにも、勉強での目標(志望校への合格) を達成することで両立が可能であることを証明したいと思っています。 1年の時は練習についていくのに必死で、メンバーに入ることが出来ませんでした。 しかし、先輩方のおかげで上下関係や礼儀の大切さなど、人として当たり前のことを 教えていただき身に付けることができたことはとてもいい経験だったと思います。2 年になり1年生を指導する係になりました。指導するというのはとても難しいものだ ったが、3年生が1年生を指導することは絶対にあってはならないと思ったので、自 分の経験を生かし指導しました。今思えば、当時の1年生は寮生3人という少ない人 数でよくやってくれたと思います。2年生は3年生を支え、底上げしないといけませ ん。私は新チームになってから試合に出られるようになりましたが、3年生に付いて 行くというより負けたくないという気持の方が強かった。しかし、3年生のように落 ち着いてプレーすることが出来ませんでした。3年生が最後に「文句ではなくプラス の声を掛けろ」と真剣に言ってくれたことがとても心に響きました。そのお陰でこれ までとは違って、その人やチームのための声掛けが出来てきたと思います。主将とし てチームをまとめ、成長させ、引っ張っていくことは簡単なことではありません。公 式戦が近付いてくる度に、焦りや不安がどんどん押し寄せてきました。何も出来ない 時には仲間の意見を聞きました。誰もが真剣に話してくれたので、不安が安心感に変 わりました。けれど、チームはいつまでも変わることが出来ませんでした。行動が遅 く意識が低いため何度も同じミスをしました。コップの水は入れ替えないと濁ります。 私は毎日コップの水を入れ替えることが出来ませんでした。心のどこかに焦りや不安 が残っていたから、きれいな水にすることが出来なかったのだと思います。私はこの 3年間、ずっと変わらなかった想いがあります。それは、「見返す」ということです。 絶対に見返してやるという気持は忘れた事はありません。自分以外の全ての人を見返 すという気持でやってきましたが、同時に全ての人に感謝しています。見返す気持と いうのは、良いか悪いか分かりません。しかし、そのお陰で成長出来たと思います。
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