2013 年 5 月 31 日発行 セブンスデーアドベンチスト石川教会付属 石川三育保育園 小学校 1 年生の男の子が次のような文章を書いています。 おかあさんのこころ せんせい ひみつやで おちちはおかあさんのこころ あかちゃんがのんで おかあさんのこころが あかちゃんにつたわる それから おっぱいのこころをいっぱいためて こころのおおきいにんげんになっていくそやから おかあさんのこころは ええこころでなかったらあかん 初めてこの文章を見たとき、驚いてしまいました。何故なら、小学校 1 年生の男の子が、育児専 門書に書かれている子育ての精神を的確に言い当てていたからです。「どうしてこのような大人顔 負けの含蓄のある文章を書けたのか。」というのが、その時の正直な気持ちでした。 この疑問は、担任の先生のコメントを読んで解消することができました。先生によると、彼は常 に生き物に目をむけ、また、弱い生き方をしている人たちに心を寄せているような子供であったと いうのです。彼は実際に生き物の出産と子育てを観察し、また、障がいを持っていても周りの生き 物に愛情を注いでいる人々を見守ることによって、子どもを育てるということはどんなことなのか を考えたのです。ですから、この文章は偶然に生まれたものではなく、このような心配りができた からこそ必然的に書かれたものであったのです。そうだとしても、彼の指摘は、時宜を得ているよ うな気がいたします。何故なら、昨今の子供に対する両親の虐待の増加が目に余る社会問題となっ ているからです。 同様に、聖書でも「女がその乳のみ子を忘れて、その腹の子を、あわれまないようなことがあろ うか。」(イザヤ 49:15)と子育ての精神を伝えています。それだけではなく、「たとい彼らが忘れ るようなことがあっても」(同上)というように、母親の愛情の欠如が見られる時が来ることを指 摘しているのです。彼は「おかあさんのこころは ええこころでなかったらあかん」と叫んでいま す。大人の私たちは沈黙してよいのでしょうか。今こそ、全ての両親は、子供たちに深い愛情を注 ぐときなのです。 石川三育保育園 園長 糸数正義
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