l蕊蘂! T:~J・・ift・・:I :蕊i1lT(ミ ハ「iか+ ;灘:ピズ識,W:、;ノイ 。L‐。,1 ‐強‐口・・銀・銀・…・ 鼠鵠串・‐串。w‐饅・盟..咄 韓J7ljl |iiIJ lM 辰 トド lli 蔦 -----’ 、,ニート 盛上院一・-,-.4 No7 大阪大学理学部化学高分子学教室永契会 巻頭言-大阪大学理学部跡地記念碑の設置一 永契会会長桑田敬治 大阪大学理学部が1966年に豊中地区へ移転した跡地に、大阪市立科学 館が市制百周年事業の一つとして関西電力より60億円の資金の提供を受 けて建設され、10月7日より開館されたことは会員の皆様も新聞紙上な どでご承知のことと思います。 今回、この地に旧理学部跡地を記念する碑の設置が計画され、ここで 学ばれ、研究に勤しまれた卒業生、理学部関係者の1千名を上回る方々 より鱸金頂き、その設置計画が順調に進行しています。この醸金頂きま した方々の中には、多くの永契会員が含まれています。 記念碑のデザインは、工学部建築工学科出身の新鋭建築家である池上 俊郎氏によるものが選ばれ、12月完成を目指して準備が進められていま す。記念碑は、高さ11米のステンレス柱が、1辺約2米の正方形の四つ の頂点にそれぞれ立てられ、対角線上の2本のステンレス柱の間にステ ンレスワイアーをそれぞれ大きく垂れ下がる様に張り渡す構造となって います。この4本のステンレス柱の足元に4面の碑名板が据えられ、こ 乾利成教授逝去 大阪大学教養部乾利成教授(旧16回)は去る 9月12日午後9時40分すい臓癌のために阪大病 院で逝去されました。享年62才でした。告別式 は9月14日吹田市桃山台の千里会館においてし めやかに執り行われました。来る11月6日には 教養部葬が行われる予定であります。 乾先生は昭和二十五年大阪帝国大学理学部化 学科を卒業後、大学院に進まれ、一年後に大阪 大学理学部研究補助、助手を経て教養部助教授 大学理学部研究補助、助手を経て教養部助教授に転じられ、昭和五十一 年三月に同教授に就任されました。 乾教授は、研究面ではメチオニンやイソロイシン合成に関する研究や スレオニンやセリン誘導体の立体化学に関する研究及びポリペプチド中 に含まれるシスチイン残基のS保護基に関する研究で優れた業績を挙げ ておられます。 教養部に移られてからは、医学部学生に対する「有機化学」や理科系 学生に対する「化学概論」の講義など化学の一般教育に力を傾けられる 一方、昭和四十一年十月からは大阪大学大学院理学研究科有機化学専攻 の担当として講義やセミナーを受けもって来られました。 乾教授は、これらの深い教育経験をもとにして、「要説有機化学」(三共 出版1972年、共著)や「化学一物質の構造、性質及び反応」(化学同人 1975年、共著)を執筆されましたが、これらは教養課程における化学の 教科書の名著として知られ、これらによって化学を学んだ学生の数は全 国では莫大な数にのぼっています。(井畑記) 乾利成先生を偲んで 大阪大学教養部教授井畑敏一(新6) 「井畑君か?やっぱり明日入院することになったよ」から始まって、 「前期試験の事は、前に言っていたようにしてくれるか?」などの話を 1989年11月10日発行 こに理学部の跡地であることを表す碑文、他が、一部に英文を添えて刻 まれます。また夜間には、碑を照明に浮かび上がらせる計画です。 この記念碑の寿命を、設計者は約100年と予測しています。しかし、大 気汚染の激しい大都会において、ステンレスといえども余程、高級な材 質を選ばなければ、長期間に亘ってその光沢を保ち得ないであろうとい う化学者の視点に立った指摘も行われています。 記念碑がその初期の光沢を保ち得ないとしても、碑自体の100年の寿命 は可能であると考えてよいかも知れません。もしそうであるとして、こ こで100年後にどのような人達がこの碑を眺め、何を感じるかなどと考え 始めますと、SF小説的な空想も登場しそうです。楽しい空想はさてお き、100年後に、阪大理学部の研究、教育における活動を受け継ぐ人達が その活動の源流をここに見る思いを抱いて記念碑を眺めるならば、この 碑が本当に100年の寿命を得たことになるのではないでしょうか。翻って 我々の永契会も絶えず新しい会員を迎え入れて発展を続けることにより、 100年後も、またその何倍にも亘る活動が期待されます。さらにまた会員 の皆さんが、将来の永きに亘り絶えることなくこの碑の地を訪れて、碑 に新しい生命を与え続けて下さることも可能になるでしょう。 した後、少し改まって「それでは留守中よろしくお願いします」という 9月7日朝の電話が乾先生との最後の会話になってしまいました。その 時は、2,3週間もすればまたお元気な顔がみられると考えていました のに1週間もたたないうちに亡くなってしまわれました。本当に人の命 のはかなさを感じさせられました。夏休み前から腹部に軽い痛みを感じ ておられ、検査を受けておられたようですが胃部に異常はなく、「すい 臓が少しはれているから阪大病院に通院するようにした」とお聞きした のが8月の中旬の事ですから、本当にびっくりしています。 学部三年の時に有機実験の指導を受けたのが乾先生にお会いした最初 だったのですが、「厳しい先生」という印象がいつまでも残っていまし た。教養部化学教室で毎日のように顔を合わせるようになってからは、 私にとって乾先生はよく気のつく面倒見のよい先生でした。行事にもち ょっとルーズな私にとっては、乾先生は保護者のような存在で「成績の 報告は済んだか」など色々と注意をしていただいたり、相談にのってい ただきました。そういえば、共済組合からの借入金の連帯保証人になっ ていただいたこともありました。 化学教室建て替え委員の一人として乾先生と一諸に仕事をさせていた だいたのも今では'懐かしい思い出になっています。乾先生は、本部との 交渉や部屋割などの大所高所からの仕事はもとより、電気、水道、ガス の配管などの細かい点まで色々と気を付けて下さいました。私心がなく て、繊密で、計画性のある乾先生ならではのことです。化学教室の建物 が現在のように出来上がったのは乾先生のお力に負うところが大きかっ たと思っています。 「花の万博の開会の時が停年退官の日だから、大阪駅前に出てる開会 まで後X日というのが阪大に在籍する日数だ」と話しておられ、退官の さみしさと同時にその後の生活を楽しみにしておられた口ぶりが悲しく 思い出されます。 乾先生についての思い出はつきませんが、最後に謹んで亡き乾利成先 生の御冥福をお祈り申し上げますと共に、御遺族の御安泰を心から祈念 して拙文を閉じさせていただきます。 永契会ニューズレター (2) 乾利成先生の御逝去をⅢ悼去 株式会社片山製薬所吉田良之助(新1) 去る9月13日、先生の突然の計報に接し、まことに痛'借にたえません。 小竹無二雄、金子武夫先生のもとで、学ばれた先生は、金子研究室か ら教養部へ移られ、研究、教育に成果を挙げられ、幾多の優秀な人材を 育て、我が国の化学の発展に貢献されました事は周知の通りであります。 先生は、大変几帳面で、着実な手法で、有機合成の研究を進められ、 また、後進の指導に当られました。昭和30年頃、当時導入間もない赤外 吸収スペクトルの解析に、すぐれた数値の記憶力を生かし、力量を発揮 されました。研究生の私は、合成実験、化合物の同定にいろいろと御指 導をいただきました。また、先生は鉄道を愛され、列車の時刻表、車輪 に関する雑誌を愛読され、誌上の旅行も楽しまれた事が眼に浮んで来ま す。 大きな足跡を残して逝かれた今、先生を慕い敬愛するものの悲しみは 深く、淋しさは募るばかりです。ただひたすら先生の御冥福をお祈りし、 御遺族の方々の御健勝を祈願してやみません。 ------------------------------------------------------------------------- ̄ 退官にあたって ていた医学部で唯一人の理学部出身者として、うまく医学部の雰囲気に 帝塚山学院短期大学教授池中徳治(旧15回) とけ込むことができるかどうか不安であったが、,,郷にいれば郷に従え” の例えどおりに無理をしなかった為か、充実した7年半を新潟で過ごす 二、三年前から、"いよいよ退官が近づいたなあ” ことができた。その上、医学部関係の多くの方々とお知合いになること とは思いながらもまだまだ遠い将来のことと高 ができ、研究に対する考え方も広くなったことは大きな収穫であった。 をくくり、最後の一年で、色々の後片付けをし 第二の転機は昭和53年4月、松島先生の後任として、大阪大学理学部 ようと思っていたが、理学部長に選出されたこ の有機生物化学講座の教授として母校に帰ることができたことである。 ともあってその-年間は`忙しさに追われ、あつ 多くの旧知の方々が居られたので何の不安もなかったが、既に52才であ という間に過ぎてしまった感じがする。 った私にとっての最重要課題は、出来る限り早く研究をフル回転出来る 先裁の諸先生方が退官される時には,,おめでと ように研究室を整備することであったが、多くの方々の御援助により思 うございます”というお祝いの言葉でよいもの い通りに整備も進み研究が出来たことは、何よりも幸福であったと思っ がIご苦労さまでした”と感謝の意を表した方が無難なのかと私自身い ている。 ろいろ迷ったものである。しかし最近、大阪大学の若い教授の方々が次 最近、若い人々の中に遠方へ就職することに抵抗を感じている人が多 々に亡くなられたことを考えると、63才の停年を迎えて元気で退官でき く見受けられるような気がする:可愛い子には旅をさせよ”の諺のよう ることは、自分ながらこれ以上のめでたいことはないと感じたので、や に、他人の飯を食って、口に出せないような苦労をすることも大切であ はり退官される方には',おめでとうございます”とお祝いしてよいであ り、違った研究室の雰囲気を味わい、新しい研究を始めることも、学問 ろうと思っている。 知識の幅を広くするのに役立つものである。私自身、退官後、上記短期 振り返ると私の40年間の研究生活に於て大きな転機が二度あった。そ 大学で新しい色々な経験をしているが、第二の人生への出発であると張 の一つは昭和45年、大阪大学理学部から新潟大学医学部に新設された生 り切っている。これからも色々御援助をお願いすると思うのでどうぞよ 化学第二教室教授として転任したことである。当時まだ封建的といわれ ろしく。 三十周年記念同窓会 学習塾川上尚子(新6) 美しい秋の一日、11月11日、神奈川県真鶴の大正庵にて卒業三十周年 を記念して同窓会を催しました。30名に案内状が出され、22名出席でし た。1970年の箱根(東京当番)、1983年の箕面(大阪当番)に次いで三 M目の同窓会です。 開会に先立ち全員で亡き樋爪氏、山本氏、伊豫氏に黙祷を捧げたのち、 久しぶりの再会を喜びあいました。初めての参加者(2名)もあり、話 に花が咲きました。仕事に追われる日常から解放され、飲むほどに酔う ほどに使い慣れた大阪弁が湧き水のようにほとばしり、話は尽きません。 現打の状況談から学生の頃へと話題は移り、笑いと拍手の絶えない時間 を過ごしました。三十年の歳月を一瞬のうちにタイムスリップし、名前 を呼び捨てにしたり、「オマエ、オレ」で話し合えるのは二十才前後の数 年間を一譜に過ごした同窓生ならではの事でしょう。 参加された皆さんは、五年前とは体型の変化はあまり感じられません でしたが、体力の低下は目立つように思いました。特にお酒が弱くなら れたようです。気力と体力のバランスを考えなければならない歳になっ てきたのだと感じました。次回の同窓会では、話題の中心が仕事から健 化学高分子合同の同窓会 大阪大学医療技術短期大学部助教授荒川隆一(新17) 戦後すぐに生まれて雑パンで育ち、すべて競争地獄の中でもまれてき た我々がいわゆる団塊の世代と呼ばれている。その上昭和44年は例の大 康管理へと移ることでしょう。 次回は二年後大阪で、ということになりましたが、さらに「六十周年 学粉争のあおりで卒業式がなく、理学部の事務室で卒業証書をもらった の同窓会には何人が参加できるかしら」との話になり、遠い先を夢みて 損な学年です。そのおかげで化学・高分子と仲がよくて、よく梅田で集 楽しいつどいを終えました。翌朝は二年後の元気な再会を約して散会し まる機会があった。大阪在住の連中が中心になって卒業20周年の合同同 ました。最後に今回の集まりにお世話下さった東京当番の方々に感謝し 窓会を平成元年にすることを計画した。卒業時にお世話になった先生方 (池田、泉、伊勢村、音在、関、田所夫妻、千原、中川、松島、三角、 て筆を置きます。 (1988年11月) 村田、村橋)をお迎えし、化学科26名高分子学科17名の参加をえて、4 永契会ニューズレター 月30日に梅田の中華料理店で無事終えることができた。一人一分以内と いう司会者の強い要請のおかげで、3時間余りで全員のスピーチを終え ることができた。高温超伝導、常温核融合、地球規模の環境破壊などの 発見がある今こそが19世紀末と同じく科学発展の勃興期である。我々は その時代の中堅として期待されていると一層の激励を受けた。恩師の心 暖たまる人生談話を聞いて、人生のもっとも苦労ある40代を乗り切る勇 気と活力がわいてきた。多忙の中を多数の恩師の出席、遠方からの参加 をえて楽しく盛会に終ったことに感謝します。同窓会の実行にあたり、 何度も梅田で議論した世話人の方々の,情熱にも感謝します。 (3) 先生、準現役(?本年3月にご退官)の池田重良先生を囲み、同窓生30 名の参加で盛会と成りました。なごやかな雰囲気の中にも、新村先生へ の黙祈に始まり、なつかしい思い出話、千原先生の授業の難しかった事、 池田先生の人名記憶の才能、また旅館での二次会では、粉争時の対決の 話、理学部の将来像と話題つきず、夜を徹して語り合ったのは本当に、 意義深かったと参加者全員が感じている次第です。ここに撮っています 宴会時の集合写真を思い出に、遠くない再会を心から願って止みません。 蛇足ながら、同窓会費用の多少の残金を化学会館建設資金として日本化 学会へ寄付させていただいた事を付記させていただきます。 昭和41年入学化学科・高分子学科同窓会 大阪大学理学部講師笠井俊夫(新19) 昭和41年入学の化学科・高分子学科同窓生が合同で、卒業後初めての 同窓会を、去る5月5日~6日の日程で箕面山荘にて行ないました。 当時、私達が実際に教わった教授方のうちのお二人、現役の千原秀昭 新研究室紹介 を改発敬子さんが担当しています。学生は博士課程1名、修士課程3名、 学部4年3名と小じんまりしております。研究室では中心テーマとして 光を照射した物質から放出される電子や熱をつかまえて、物質の特性や 高分子溶液論講座(寺本研究室) 物質の新しい分折法の研究を行っています。 スタッフ、教授:寺本明夫、助教授:則末尚志、助手:佐藤尚弘、事務 (1)伝統ある光電子分光法は当講座の種々の研究をす、める上で、有 力な武器として活用されています。液体試料を対象とした光電子放射分 光法(こよつて、水溶液中の有機化合物などの光イオン化しきい値や溶媒 ・溶質相互作用の研究を渡辺助教授、魚住君(MC)、谷田君(4年)が 溶液中の金属錯体のEXAFSの研究を渡辺助教授、阪根君(DC)が 行っています。またIETSによって化学修飾表面の状態分折の研究を 職員:元木久子、学生、DC1名、MC3名、研究生2名、4年生8名。 藤田研究室から現在の寺本研究室へと変わってから早3年余りが経過 し、もはや新研究室とは言い難くなりました。昨年4月に栄永義之氏が 京都大学工学部へ助教授として転出され、現在上記のようなスタッフ陣 となっています。 本研究室での仕事の一つの柱は剛直な高分子の濃厚溶液物性の研究で す。これはまだ未開拓な分野の一つですが、今は特に等方一液晶相平衡 現象と等方濃厚溶液の粘弾性挙動を実験・理論の両面から体型化するこ とを目指しています。前者については最近かなりの進歩が得られました。 この課題は寺本教授によって始められ現在佐藤が加わって進めています。 寺本教授はまた抗ガン剤として知られている三重らせん多糖シゾフイ ランの側鎖に関する秩序一無秩序転移を色々な角度から調べています。 藤田研究室時代から引き継がれたテーマとして、分子内及び分子間の 排除体積効果の研究があります。現在はいくつかの高分子の第2、第3 ビリアル係数の測定及び分子の剛直性と分子内排除体積効果の関係につ いての研究を行っています。この分野は理論、実験技術とも高度に発展 しており、極めて精密な議論が展開されています。この課題は則末助教 授が担当しています。 更に今年はいくつかの新しい高分子に取り組み始めています。ゼリー の原料である多糖カラゲナン、サーモトロビック液晶となるポリエステ ル系の高分子、及び置換基を有し可溶化されたポリアセチレンがそれら です。いずれも一癖も二癖もある高分子ですが今その分子特性決定化を 進行中です。(佐藤記) 分析化学講座(横山研究室) 昨年3月に池田重良教授が退官され、同年9月から横山が当講座を担 当することになりました。新設の大学で約十年を過しなつかしい古巣に 戻ってきたという感じです。現在のスタッフは教授(横山友)、助教授 (渡辺巌)、助手(樋上照男、文珠四郎秀昭)、教務員(福本敬夫)で事務 文珠四郎助手が行っています。 (2)光エネルギーから熱エネルギーに変換する無放射遷移の現象を利 用した光音響分光法、光熱分光法は研究のもう一つの柱となっています。 光音響分光法に全内部反射の技術を組み合せて、エレクトロクロミック 材料薄膜内部の還元生成物の深さ方向分布測定を樋上助手が、粉末の光 音響分光の理論式の検証を川瀬君(4年)が行っています。また光熱分 光法のチッ素、リンの極微量分折への応用の研究を樋上助手、福本教務 員、加地君(4年)が行っています。 (3)金電極の電気分折化学的研究を渡辺助教授、泉君(MC)が、光 化学的に活性なウラニル錯体の結晶の反応と構造との関係を文珠四郎助 手、原君(MC)が研究しております。(横山記) 高分子合成化学講座(蒲池研究室) 光陰矢の如しと申しますが、昨年3月野桜俊一先生が退官され、その 後を私(蒲池)が引き継いでおります。研究室のスタッフは、森島洋太 郎講師が助教授、古江正興助手が講師に昇進し、助手には曽て、野桜研 究室の教務員をしていた原田明博士を産研から迎えました。従って十年 前の野桜研究室と同じ陣容で、細い所では若干変化があるものの、特に 変ったことはありません。 森島洋太郎助教授は、高分子を利用して光電子移動による電荷分離を 有効に行わせる研究を行ない、疎水性置換基を有する高分子電解質を利 用すれば有効な電荷分離が起こることを見い出しました。その基礎研究 を通して、高分子電解質近傍の静電ポランシャルを見積ることに成功し、 高効率光捕集ポリマーの合成を行っています。この研究と共にラジカル 永契会ニューズレター (4) 重合解折へのレーザーの利用を検討中です。 形成能を有することを見い出しました。その他新規ポリマーの開発およ 古江正典講師は、野桜研究室時代はルテニウムを利用した水の光分解 とその基礎的研究を行って来ましたが、昨年7月より、アメリカへ渡り び磁性高分子を目指す研究を進めています。 マイヤー教授(ノースカロライナ大学)の下で、無機化学を学んで帰り 後ますます大きくなっていくことが予想されます。我々の研究室は高分 ました。今後はその体験を活してルテニウム以外の金属へ拡張し、金属 子合成講座ですから、高分子鎖による分子機能制御を目指す新規なポリ の関与する電子移動反応に注目し、その反応に対する高分子鎖の役割を、 生体系をモデルにして検討しています。 原田明助手は、長年培って来たシクロデキストリンの経験を活して、 生体系の特異な分子認識の高分子合成化学的なアプローチを開始し、最 近ポリエチレングリコールがα‐シクロデキストリンに対し特異な鎖体 高分子材料の開発・普及はとどまるところを知らず、その重要性は今 マーの合成および新しい重合法の開発を目指す基礎研究を通して、時代 に先がけた研究を行っていきたいと思っています。 尚、当研究室の事務は、従来通り川瀬加奈子さんが行っています。 学生は大学院生7名、学部学生4名で中国から客員研究員1名、研究生 1名が来ています。(蒲池記) 天然物有機化学講座(楠本研究室) 無機化学購座(海崎研究室) います。この分野の新しいテーマは、小森田講師の含ケイ素配位子をも 昨(昭和63年)3月の芝哲夫先生定年御退官後の4月から、修士課程 5名に新4年生5名を加えて新しい研究室としてスタートし、今年で2 年目を迎えています。この3月にはすでに修士1名、学部3名の研究室 最初の卒業生を送り出しました。同時に助手の豊島正氏が蛋白質研究奨 励会の芝先生のもとに転出して少し淋しくなりましたが、また元気な新 4年生を迎えて活気に満ちた毎日です。現在の構成は楠本と若宮建昭助 教授、深瀬浩一助手のスタッフに、M2が4名、M1が1名、学部4年 つウエルナー錯体の合成と山成助手のコバルト(Ⅲ)錯体の光照射によ 生6名、神林江絵里子さんを加えて総勢15名です。 新村陽一先生がご退官を待たずに急逝されて、’よや2年になります。 その間、昨年7月に海崎(14回卒)が後任として奈良女子大学から戻っ て来ました。まだ着任後1年で、新村研時代の体制を引き継いだ状態で す。したがって、研究内容は以前からの継続として、コバルト(Ⅲ)錯 体などの合成と金属錯体の溶解度の研究が中心です。前者は小森田講師、 松岡助手、山成助手が4年生2名、院生2名を指導して、研究を進めて る合成です。溶解度の方は山成、冬広両助手が自然分晶や固溶体の問題 に取り組み、また院生2名と共に光学活性へテロポリ酸塩やかご状6座 配位子を含む〔CO、(N)6〕型錯体の溶解度相図の研究を行っていま す。 海崎は奈良時代からのテーマを継続して、クロム(Ⅲ)錯体の合成と その電子スペクトルや重水素核など多核NMRによる研究を4年生1名、 院生2名と共に行っています。これらは溶媒効果など微視的な配位環境 の変化と関連づけて、常磁性錯体の多核NMRの新しい方法論の開拓と それに基づく配位千場吸収帯の多角的な側面からの研究を目指すもので す。この他、珍しい炭素一窒素結合開裂反応を併うEDTA型クロム (Ⅲ)錯体の速度論的並びに立体化学的研究も行っています。 今夏新村先生の3回忌に際し、遺稿「無機化学研究室の歩み」が出版 されました。本講座の半世紀にわたる研究の歴史を知る上で、貴重な資 料です。これを今後の指針として参考にすると共に、一方では伝統にと らわれず、基礎化学としての錯体化学の新しい芽を育てるべく努力する 所存です。 研究内容は芝研究室時代に成果をあげたペプチドと糖脂質をはじめと する複合糖質を対象として、さらに着実に発展しつつあります。若宮氏 を中心とするペプチドグループではバルジシン、ナイシンの合成的研究 を続けていますが、深瀬助手は糖質研究グループに移って、若い研究室 をリードして忙しく大活躍しています。こちらではリポ多糖の合成研究 がますます難しい段階に入ってきましたが国際的な注目を集めて頑張っ ているほか、シアル酸の合成研究、細胞壁成分リポタイコ酸の合成研究 なども次第に成果を見せています。新しい免疫増強物質の単離と構造研 究も進行しており、今後はこれらの活性物質と相手側との相互作用にも 手を延ばしたいと願っています。基礎工との共同利用ながら超伝導NM Rがようやく比較的自由に使えるようになって便利になりました。 以前に比べると人数はちょっと少ないですが、楠本、若宮の両名以外 は全員20代という若さにあふれる明るい雰囲気で楽しくやっています。 今年になってコンパでの料理やアルコール消費量が増加した(以前に 近づいた?)こと、ソフトボール対外試合で久しぶりに勝利をあげたこ とも記しておくべきでしょうか。(楠本記) みなさまのご支援とご鞭健をお願い申し上げます。(海崎記) 理学部附属・ミクロ熱研究センター センター長菅宏(1日19) 協力の実を更に挙げる、ことを目標として設置が認められた。 申す迄もなく、微少熱の精密測定はこの分野での永遠の課題である。 より僅かの試料、より徴少な熱を追求することは、単に試料容器を小型 どの学問分野であれ、学問の生命は永遠である。一つの課題を克服す 化するということではなく、付随する熱流の巌密な制御や周辺技術の洗 れば必ず新しい問題が提起され、研究が絶えることは決してない。しか 練化など、永年にわたる積重ねなしには行い得ない極限科学の一つであ し、特別の使命によって設置が認められた化学熱学実験施設であってみ ろう。このような問題の克服によって生体関連物質の本格的熱測定が可 れば、時限という厳しい洗礼を避ける訳にはいかない。幸い昭和54年に 能になり、巧妙な生体のエネルギー貯臓やエネルギー変換の方式を自然 発足以来、開かれた施設と良質の共同研究を目指して展開された研究の から学びとって、新しい視点からの熱機関の開発にもつながるものと信 実績が多少なりとも評価され、同施設廃止後に新しくミクロ熱研究セン じられる。道は遠く、平担ではない。 ターとして生まれ変ることができた。この間、化・高両教室をはじめ、 これに類した研究機関がフランスにある。マルセイユのミクロ熱測定 理学部長、事務当局、文部省・・・、こ、には到底書ききれない多くの人々 および熱力学研究センター(CNRS)である。その副所長JRougueml のご援助があったことを忘れることは出来ない。 博士が、阪大総長招待で発足したばかりの当センターに短期滞在される 化学熱学実験施設では数多くの装置が開発され、それらを駆使して物 ことになったのも、なにかのど縁であろう。研究対象や方法は異なって 質のエネルギーやエントロピー的側面を明らかにして、化学の世界を豊 いても、志を同じくする者同志として、互いに切嵯琢磨し合いながら、 かにすることが試みられてきた。その一つがミクロ熱測定への努力であ 協力関係を深め合うことを期待している。文教予算が大変巌しい状況下 り、総合研究班を組識して全国的な協力体制もできた。これらの成果を で建物はそのま、、振替人事も思うにまかせない現状であるが、化.高 土台にして(1)ミクロ熱測定技術の極限を追求し、(2)その基礎に立 両教室の更なるご支援、ご鞭燵をお願いして、立派なセンターとして成 って新たな基礎科学の-分野として生物熱力学の開拓を目指すと共に、 長させることを念願としている。 (3)協力要請を求める国々との間で互いに学問的向上を図って、国際 永契会ニューズレター (5) 新機器分折装置紹介 理学部に設置された新しいX線装置 大阪大学理学部教授千原秀昭(旧14回) 1987年度の特別予算で、固体構造精密解折装置の一つとして、固体用N MRとともに単結晶4軸自動回折計と粉末試料用の自動回折計が化学・ 高分子学教室の共通の設備として設置されました。どちらも理学電機製 で整備が終った部分から順次公開し、すでに測定依頼が処理能力いつぱ いになるほどの盛況を呈しています。粉末用は液体ヘリウム温度まで、 単結晶用は液体窒素温度まで冷却できます。単結晶用にはVAXコンピ ュータと構造解折および構造表示用のソフトが付属しており、運がよけ れば「だまって座ればぴたり」と結晶構造がきまります。オペレーター を引受けた(おしつけられた?)山本技官がただいま大奮闘中です。い まのところこの幸運に恵まれた結晶は一つですが機械がだんだんにてなず けられ、ソフトのくせがわかってくると女神がもっとこちらを向いてく れるようになると期待しています。このソフトはアメリカ製でいまのと ころ日本で使っているのはここだけです。 阪大理学部は、故仁田勇教授が退官された1960年まではX線解折につ いては総本山だったのですが、仁田研究室の出身者が日本やアメリカで 活躍する一方、本山のほうはその中心が吹田キャンパスに移っていまし 最新鋭NMR装置群の導入 高分解能超伝導NMR装置が文部省概算要求、特定研究費等で購入さ れIi頂調に運転が行われています。これらは理学部と基礎工学部の共同利 用設備として設置されました。62年度に高性能500MHz超伝導核磁気共 鳴溶液測定装置(日本電子GX-500)が導入されたのを皮切りに、400 MHz(日本電子GX-400)および270MHz(日本電子GSX-270) 固体液体両用NMR装置が63年度に導入されました。いずれにも多核測 定装置が付属しておりあらゆる物質の測定が可能となった他、-次元ス ペクトルはINEPT、DEPT、QUAT、Tl、T2測定が、二次元 スペクトルとしてはJ分解、COSY、NOESY、2D-INADE QUATEの測定が可能であり多様なプログラムが用意されています。 温度変化も可能な上、世界でも初めてのLCNMR(液体クロマトNM R)装置が付属しています。400MHz固体NMRの導入は大学レベルで は全国で初めてであり、現在その性能を最高に引き出すべく奮闘中です。 (中村晃、安田源記) た。X線回折法はいまではNMRなどと並んで標準的な研究法になって いるので、気軽に使える装置が身近にあることは理学部の研究の一層の 活性化につながるものとして、おおいに期待されます。卒業生諸君でこ れを使いたい人はご相談ください。ただし、室温以外の測定はまだ標準 サービスにはなっていません。 隷靴蟄篁 ミ永契会寄附"について 也、藤井三千子、吉川史郎、(6)生谷義一、)11上尚子、宋秀憲、高 山俊夫、結城平明、(10)竹原将博、内田隆、藤井浩、(11)相沢 橋政司、三瀬教利、(7)小川禎一郎、蒲池幹治、木地実夫、山本正夫、 (8)大稲豊生、洪彰沢、杉田信夫、中川邦男、松浦恂一、(9)小 野勝弘、竹田和正、中田欽也、錦田晃一、林俊男、(10)五百蔵弘典、 江村和朗、菊澤賢二、菊澤紀子、山下伸典、(11)金子孝三、高川正則、 宮下哲、(12)萩下山治、(13)三牧康祐、(14)阿竹徹、小野寺 夏生、長沢晴司、長濱辰文、平田靖、山田能生、(15)伊藤祥輔、小 出武比古、(16)河村-朗、松浦誠、安原昭夫、(17)岡本啓彦、中 道民広、山内克素、渡辺宏、(18)上田哲男、奥田一夫、坂口佳充、 吉彦、片山佐一、永田睨、(12)小佐井興一、野桜俊一、増田幸夫、 坂東知之、光井好生、吉田啓子、(19)今西太一、坂根幸治、坂本憲俊、 今年度も永契会運営基金のための御寄附を多数の方々から頂載致しま した。ここに今年度の寄附者氏名(敬称略)を記載し、謹しんで御礼申 し上げる次第です。 (旧制)(1)桐山良一、(3)勝村龍雄、萩谷彬、(4)田中龍馬、(5) 萩原信衛、米本義之、(6)神澤得之助、小寺勝美、島崎富男、三宅勲、 (7)赤松二郎、(8)尾崎良和、酒井敏夫、(9)桜井節二、島本宗祐、西 (13)梅野喜好、利岡誠夫、外山孟生、山口仁平、(14)阿部浩一、中 辻喜良、豊島正、中村幸雄、(20)中辻慎一、(21)井上太一、岡 西正七、納谷恵三、星埜禎男、(15)桐山秀子、栗林俊介、松浦輝男、 田栄次、辻新一、中村照雄、村田英明、守屋慶一、(22)小畠伸三、 三角荘一、(16)上園末雄、岡田章、後藤和夫、永井定、中條登、 佐竹剛、樋上照男、(23)岡崎慶二、塚本紳一、土井清三、野本昌之、 (17)安藤宗八、大須賀昭夫、西川禮二、村松一郎、(18)原田馨、 広津孝弘、三宅淳、吉森賢次、(24)安部直治、浮田辰三、上村春樹、 松本昭、(19)大西俊一、川面博司、斎藤祐四郎、佐藤良生、高橋萌、 片岡源史、木下進、小林典彦、澤田弘造、島啓祐、南野直人、矢野 田川太一、永田明穂、(新制)(1)佐々木弘次、富田研一、中島隆雄、 茂生、山本晃嗣、脇坂盛雄、(25)織田利彦、笠谷和男、田中弘一郎、 西田進也、(2)井上健、柴田久子、寺門犬、福地尚樹、(3)北 原田繁春、原田和嘉子、三好俊一(26)伊堂寺徹、井上能英、大久保嘉 岡秀利、鈴木不二男、高橋史郎、向畑恭男、(4)浅野浩、入江守、 高、大西廉伸、久保恵司、篠原厚、管野了吹、菅野優子、夏目文嗣、 奥戸浩、菊川国彦、(5)岡康正、小倉文夫、河盛阿佐子、中田哲 山本雄一、(27)岩佐孝、植村幸永、北風和久、久保敦子、榊真喜夫、 永契会ニューズレター (6) 篠置一道、瀬川純、中松博英、中山尋量、藤居長門、藤居洋子、横井 邦彦、和栗澄雄、(28)東文子、村川恵美、(29)今中健博、駒田泰 生、村川恵、(31)太田正子、安田浩次、(32)栗山信宏、小林中、 坂口信樹、西川悦史、山内哲弘、(33)′」、野香織、長田卓博、(34)青 木純雄、平田禎宏、宮宇地真人、(35)上村朋子、(高分子)(1)今 井康晴、桑原浩史、滝川隆平、田辺正紀、(2)木本新、松本嘉生、 (3)御旅屋瑛一、永井敏夫、(4)石原英昭、金子勇雄、岸田保雄、 藤村幹雄、鋺田昌平、横山正明、(5)葉山喜代治、松村義人、(6) 大西英介、山本繁治、(7)峰松宏行、(9)堅田信明、藤井哲也、舟 槻源右衛門、(10)加藤道夫、喜多雅己、竹本修明、(11)高萩隆行、山 田育欝子、(12)岩井薫、(14)泉国辰、(16)伊藤恵啓、小野泰一、 梶原泰、坂本晴代、角克宏、田中弘滋、中田道生、森吉彦、吉永 (修士)(3)川上萬里、(4)坂井在広、(5)進藤幸太郎、(6) 坂本浩、(7)市川隆久、桑名基之、田村益彦、(8)北山淑江、 (9)桐田久和子、(10)小保方隆夫、丁野昌純、(11)新優、(12) 田中信夫、(13)足立桂一郎、(14)木下武、小西英明、(15)山下 武彦、(16)岡本健一、小谷昌司、芝崎靖雄、野本健雄、(22)川嶋利 英、田口秀樹、(24)宮島清一、(26)飯111寛平、(28)八巻直人、(34) 磯上泰志、鬼原史行、(博士)(42)小村和久、村田勝夫、(44)中嶋 弘、(46)長谷川弘、(47)長谷部亨、(49)孫淳信、(50)村 田重男、(58)山根久典、(研究室関係)(真島)井上満治、久保周一 郎、本田嘉秀、松田源治、(槌田)中村章、森田秋子、(呉)上中三 男二、(千谷)渡辺愛、末石芳巳、谷口仁、(谷)植田京子、大泉 干壽、(村橋)高野一雄、中尾公宣、(田所)亀井定一、植田豊、達 和夫、(17)真島和志、矢野正裕、(18)佐藤尚弘、西史郎、藤原忠 家清明、(芝)土屋寛明、(金子一芝一楠本)若宮建昭、(仁田一関一菅) 幸、真島千鶴、(19)梅谷博之、(20)石岡努、植野哲、木谷徹、 本多良隆、(21)中村仁志、(23)神原美彰、西村伸、昇剛、(24) 潮嘉人、中本哲生、(25)山内康照、(26)池田憲夫、臼田浩秀、 長谷昌紀、(野桜)山本統平、(桑田)早川勝光、(新村)小稲則夫、 昼亘函虐邇四一宮西宮 ̄ (金丸)伊藤嘉昭、(池田)盛田正治、 国、伊、猩牙、辱巨、=k=、 ̄1=、=、=、鼠=、園=雪u=、 ̄=、=1回、=寝、三I=壜1=、ご壜(=寝、どゴミ-1店ゴー轌喧7厘 昭和63年度永契会収支報告 (大阪大学理学部教授) 日本化学会賞村田一郎(名誉会員) (日本ゼオン株式会社研究開発センター製品研究所主管) 日本化学会化学技術賞上田明男(田所研)  ̄写轌奮蜜密壜雪盲罎雷壜 昭和63年度(昭和63年3月19日~平成元年3月18日)の会計決算が、 3月18日の総会において下記の通り承認されました。 (収入の部) (日本ゼオン株式会社研究開発センター開発研究所) 日本化学会化学技術賞小畠拓士(高20) (大阪教育大学教授) 前年度から繰越金 5,265,961円 終身会費(62人) 310,000円 会誌代(1028件) 2,056,000円 寄付金(459件) 1,211,000円 130,518円 利息 日本化学会化学教育賞小出力(修1) 8,973,479円 計 (鐘淵化学工業株式会社) 高分子学会賞木下嘉清(田所研) (宮崎医科大学) 日本生化学会奨励賞水野健作(新23) (国立循環器病センター研究所) 日本ビタミン学会賞田邊忠(新'3) (大阪市立大学医学部) 大阪市医学会市長賞今岡進(新27) (支出の部) 総会費 80,000円 データベース作製及び管理費 617,158円 通信費 924,592円 印刷費 1,993,000円 振込み・振替・信託手数料 56,848円 事務費 22,707円 3,694,305円 計 次年度への繰越金 5,279,174円 (永契会会計幹事文珠四郎秀昭) (昭和63年10月~平成元年9月) 囚團 (大阪大学理学部・理学研究科化学・高分子学関係) 新任 長谷純宏教授(平成元年8月1日)理学部化学科 (有機生物化学講座) 配置換 編集後記遅くなりましたがニューズレターも第7号を発刊するに至 りました。これも会員皆様のお陰と感謝しております。今後とも会員諸 氏の御協力をお願い申し上げます。永契会やニューズレターに関する御 意見を編集部まで御寄せ下さるよう希望致します。(原田記) 祖係道夫教授(平成元年5月29日)ミクロ熱研究センター 永契会ニューズレターNCフ 停年退官(平成元年3月31日) 池中徳治教授理学部化学科(有機生物化学講座) 国固 (1988年10月~1989年9月、敬称略) 乾利成(1日16)・西島時彦(新35)・小畠陽之助(藤田研) 以上の方々の御冥福を心よりお祈り致します。 発行日1989年(平成元年)11月1日 発行所大阪大学理学部化学高分子学教室内 永契会 編集代表者原田明(内線4241) 〒56O豊中市待兼山町1-1 06(844)1151(代表)
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