アメリカはどこまで「キリスト教国」であるのか? -福音

アメリカはどこまで
アメリカ はどこまで「
はどこまで 「 キリスト教国
キリスト 教国」
教国 」 であるのか?
であるのか ?
- 福音主義、
福音主義 、 キリスト教保守派団体
キリスト 教保守派団体とその
教保守派団体 とその限界
とその 限界-
限界 -
提
出
稿
二 〇〇 四年二月一三日
佐
橋
亮
東京大学法学政治学研究科政治専攻
【目
次】
序 ................................................................
................................ ................................................................
................................ ................................................................
................................ .................................
................................ . 1
一節
アメリカ 政治史における
政治史 における 「 神 」
二節
選挙 における 福音
- 福音主義 とそ の 限界 ......................................
................................ ......5
...... 5
七十年代後半からの
七十年代後半 からの キリスト 教保守化 は ブッ シュ 政権 への「
への「 僥
倖 」 か ? ................................................................
................................ ................................................................
................................ ...........................................
................................ ........... 10
三節
福音主義者と
福音主義者 と キリスト 教保守派団体 ................................................................
................................ ..................................
................................ .. 15
四節
ジョージ ・ W ・ ブッシュ 政権 と キリスト 教
結 びにかえて
【 総字数】
総字数 】
- その 具体的展開 の 位相 ............... 18
宗教 と 政治 ・ 外交 、 そして 多元主義 .....................................................
................................ ..................... 24
22,954 字 ( 注除く
注除 く )
序
アメリカはキリスト教国なのだろうか。大統領就任演説では聖書への宣誓があり、演説
には「神」の名が繰り返し登場する。ブッシュ現大統領は、演説の中で祈りの時を持った。
九・十一以後に口ずさまれた第二の国歌、ゴッド・ブレス・アメリカも「神」を賛美する。
現在では、ブッシュ大統領の篤い信仰がその演説に如実に表現されるなか、アフガニスタ
ン、イラクと積極的な介入主義を扱った多くの論説は、彼の信仰とキリスト教保守派の政
治的影響力への警戒感を隠さない。すなわち、悪い意味で、アメリカ政治はキリスト教と
結びつけられたイメージの元で語られ始めている。
確かに、アメリカ国民の約八割はキリスト教に所属し 1 、四割以上が過去一週間に教会な
ど宗教の場に行ったと答えている。2 宗教への所属が判然とせず、後者の割合も三%に過ぎ
ない日本と比べれば、差は歴然としている。3 しかし、本当にアメリカはキリスト教の強い
影響力に置かれているのだろうか?例えば、アメリカ人の六割以上は、アメリカをキリス
ト教国と呼ぶことに反対しており 4 、同じく六割以上が宗教の影響力が弱まっていると答え
ている。5 無論、これら世論の指標だけでは、その政治的な影響力を測定するには不十分で
ある。数は多数派でないにせよ、選挙において決定的な票を動員できるならば、キリスト
教保守派の影響力は生まれるし、なにより政治の最高権力者が極めて信仰の篤いキリスト
者である。しかし、少なくともアメリカの世論は一枚岩ではない、ということにも注意せ
、
ねばなるまい。果たして、キリスト教の政治的影響力はどれほどのものか、アメリカはど
、、、
こまで キリスト教国たり得ているか、慎重に議論すべき必要がある。また、保守派は具体
、、、、、、、、、、
、、、、、、、、、、、、、
的に何を目指しているのか 冷静に見直し、キリスト教の影響力がどの分野に及ぶのか 、そ
れは我々が警戒すべきものか、考えていくべきだろう。
アメリカにおけるキリスト教の問題を考察するに当たり、まず二つの点を確認する必要
Andrew Kohut, John C. Green, Scott Keeter, and Robert C. Toth, The Diminishing Divide:
Religion’s Changing Role in American Politics , Washington DC: Brookings Institution Press, 2000,
1
pp.18.
2 George Gallup Jr. and D. Michael Lindsay, Surveying the Religious Landscape: Trends in U.S.
Beliefs , Harrisburg: Morehouse, 1999, pp.13.
3 University of Michigan, News and Information Service, “Study of worldwide rates of religiosity,
church attendance,” 12/10/1997.
4 Kohut, op. cit., pp.100. 本統計は 1996 年実施。こ の統計が「キリスト教国と呼ぶことを支持するか」
という問いであったのに対し、2002 年にピュー社が実 施した調査において、「アメリカがキリスト教国
だと思うか」という問いには 67%がイエスと答えてい る。但し、母集団、及び調査時期が異なるため単
純な比較はできない。
5 Albert L. Winseman, D Min, “Religion in America: Power Without Influence?” Gallup Poll Tuesday
Briefing , 12/30/2003.
1
がある。第一に、合衆国憲法(修正第一条)における政教分離原則は、国教化を禁止し、
信仰の自由を保障したとしても、逆に宗教が個人によって政治に持ち込まれることに関し
ては曖昧性を残したものだった。
連邦議会は宗教を国教化したり、宗教上の自由な活動を禁止したりする法律を制定しては
ならない。[アメリカ合衆国憲法修正第1条]
第二に、不十分な形であれ合衆国憲法が政教分離を規定しているとしても、聖書は政教分
離を認めてはいない。むしろ、聖書は福音(gospel=good news)を伝えることを、神への畏
怖と隣人愛の実践と同様に強調している。罪を認め悔い改めることで赦しが与えられると
いう福音を信仰の薄い者へ伝えることは、キリスト者に課せられた責務である。例えば、
姦淫や堕胎、同性愛といった「罪」を改めることは当然にその使命の一環になる。
全世界に出て行って、全ての造られたものに福音を宣べ伝えよ。信じてバプテスマを受け
るものは救われる。しかし、不信仰の者は罪に定められる。
[ マタイによる福音書 15:15-16]
つまり、一方で憲法上宗教を政治に導入する余地が残されており、他方でキリスト者は
政治において宗教的価値を実現する責務を認識している。
「宗教からの自由」ではなく、
「宗
教の自由」を定めたアメリカにおいて、その八割以上を占めるキリスト者は、政治への接
近をする動機があり、憲法はそれを妨げない。それ故にこそ、続く一節でも示していくよ
うに、多くの政治家がキリスト教の教えに基づく、様々な発言をしたことが歴史として残
っている。とはいえ、一般のキリスト者が政治へ接近することは余りなく、大統領も穏健
なプロテスタントが選ばれ、宗教を政治イシュー化しないという「紳士協定」が支配的で
あり、また多くのアメリカ人にとっても神の概念はナショナリズムや儀礼的な市民宗教と
混然としたもので、確たる信仰が伴った政治化はされてこなかった。
しかし、一九七〇年代後半になると、キリスト教が政治へ急接近する。これはアメリカ
史においてしばし見られる「福音主義」の成長と時を同じくして起きたが、これほどの政
治への接近と大規模な組織化は歴史上例がない。福音主義とは、広く言えば、キリスト教
、、、、、
の聖典である聖書の記述を神の言葉であると全人格的に 受け止め、その実践を目指すこと
であり、道徳観念も聖書の記述に忠実なものとなる。6 中絶を行う病院などへ直接的に行動
古屋安雄の用語法による。古屋安雄『激動するアメリカ教会 リベラルか福音派か』ヨルダン社、1978
年、94 頁。先行研究では、 福音主義(evangelicalism)と、主流派教会ではない福音派教会(evangelical
church)、福音主義者(evangelist)、更には根本主義者 (fundamentalist)の定義が一 致していない。その
為に、既存研究の成果を利用する際に、例えば福音派教会と、主流派教会の中にも存在する福音主義(者)
の差異に注意を要する。本稿で示したようにキリスト教保守派の活動に関しては、分派としての福音派
教会(員)からだけでなく、教理としての福音主義(者)を持つ主流派教会員などからの支持も多い。
6
2
を行う原理主義者もこの系譜に属するが、聖書に忠実であろうとする福音主義が暴力を意
味するわけではなく、原理主義はその極端な形態として峻別する必要がある。六〇年代に
メソジストや聖公会などアメリカの主流派教会がその形式主義から衰退していく一方で、
対抗文化に対抗する形で、聖書へ回帰する福音主義が成長を始めた。七〇年代後半から八
〇年代にかけて、これら福音主義は、カーター、レーガンと続く敬虔なキリスト者を大統
領に選出する一翼を担い、TV説教師やモラル・マジョリティといった運動に影響され、
ソ連に対する強硬な外交姿勢やコントラ支援の重要な支持者にもなった。その後、政治的
な動員体制を急速に進めるクリスチャン・コアリション(以下、コアリション)などキリ
スト教保守派団体が台頭し、それら福音主義者の支援が大きな要因となって、一九九四年
には議会共和党の歴史的な大勝利が実現した。現在において、コアリションは衰退したも
のの、依然として聖書に忠実足らんとし、教会に深く関与するキリスト者の存在は、共和
党の選挙において不可欠な集票源であり続けている。二〇〇〇年選挙で宗教票の動員が不
十分だったことを反省した選挙参謀カール・ローブによって、ブッシュ陣営はその票まと
めにかかっている。7 それを反映してか、二〇〇三年には部分的中絶禁止法案が議会で成立、
ブッシュ大統領も直ちに署名した。また今年一月には、同性愛者の結婚を禁止するための
憲法改正も辞さない旨も表明している。
以上に素描した限りでは、近年のキリスト教に相当の影響力があると思われるだろう。
しかし、それでも最初の問い-アメリカはどれほどキリスト教国なのか-に対する答えは
単純ではない。なぜなら、その影響力はあくまで限定されたものであり、リベラル勢力の
対抗、中道への揺り戻しも観察できる。また、外交政策への影響は薄い。その限りにおい
て、現下におけるキリスト教保守派の政治化も警戒する程では無い。この点を明らかにし
ていくため、以下本稿は、まず一節でアメリカ政治におけるキリスト教の限界について歴
史を振り返る。二節で一九七〇年代以降のキリスト教保守派の政治化について選挙分析等
を通じて検討し、三節で保守派の中心をなす福音主義者を捉え直す。そのような準備作業
なお、研究によっては、聖書に忠実であろうとする主流派教会員を伝統主義者(又は伝統主義的主流派)、
同様のカトリックを保守的カトリックと呼ぶこともあるが、本稿では混乱を避けるため、聖書と聖書に
示された道徳観に忠実で、政治への接近の動機も近年持ち始め保守派団体に動員されるキリスト者を、
「福音主義者」と一括して呼んでいる。
なお、臼杵が指摘したように、根本主義者は自らが福音主義に含まれると主張し、より穏健な「福音
主義者」はファンダメンタリストとの差別化を図る。このことは、
「福音主義者」の機関であるウィート
ン大学宗教研究所の定義でも確認できる。臼杵陽『原理主義』岩波書店。
http://www.wheaton.edu/isae/defining_evangelicalism.html
7
後で示すが、共和党が動員可能と考えられている宗教票の実数に関しては諸説ある。
3
を行った上で、四節でブッシュ政権の三年間を振り返り、保守派は何を目指しどこまで可
能であるのかその性格を探りたい。結びにかえて最後に、キリスト教の側面を政治、特に
外交政策の理解に安易につなげることの危険性について触れ、また福音主義者の台頭に際
し見直す価値の高い宗教多元主義について簡単に紹介することで、宗教と政治の有り様に
ついて考えたい。
4
一節
アメリカ政治史
アメリカ 政治史における
政治史 における「
における 「 神 」
- 福音主義とその
福音主義 とその限界
とその 限界
植民地時代の初期アメリカで、多くの植民者たちによって種々のキリスト教が「新世界」
に持ち込まれる中で、キリスト教が抱える問題は少なくとも三点あった。まず、信仰の維
持である。幼児洗礼を受けたものの信仰告白ができない植民地生まれの人々は増加の一途
をたどり、教会員の制度をいかに維持するか、という課題があった。8 次に、教会の形式化
がある。その限りに置いては、教会空間も旧世界と大差がなかった。第三に、極めてアメ
リカ的な問題であろうが、西漸する開拓者たちは教会のない空間へ向かって日々進んで行
き、教会との接点が希薄にならざるを得なかった。これら三つの問題を解消する契機とな
ったことが、一八世紀、ジョナサン・エドワーズやホィットフィールドによって燎原の火
のごとく植民地を席巻した福音主義の台頭、いわゆる「大覚醒」であり、一九世紀前半に
もそれは再来した。9 宗教的な言い方をすれば、信仰は失われつつあったとしても、働きの
門は広く開かれていたのである。キリスト教への信仰を失い欠けていたまたは持ち合わせ
ていなかった多くの人々が、熱心な説教によって、人が罪に定められていることを自覚し、
十字架に架けられたイエスによる救済を求め始めた。伝道の担い手は、エドワーズら説教
師だけではなく、回心によって「新生した」平信徒でもあった。平信徒の説教は、現在の
ペンテコスタ派と共通点が多く、霊的体験を叫び声などによって表現する特殊な信仰の形
態を伴っていた。これらは後に都市化が進み、より広範な伝道が期待される中で廃れてい
くものの、理性ではなく感情面に訴えった福音主義の伝道はしばし反知性主義の事例とも
捉えられてきた。 10 しかし、福音主義の隆盛は空間的な拡大と共に生じていた信仰の間隙
を埋める役割を確かに果たしたのである。
他方で、アメリカという国家が成立したにも関わらずキリスト教は国教にならなかった。
むしろ、宗教の自由が認められ、それは先に挙げた憲法修正一項として結実する。なぜ国
教化され得なかったか。アメリカ史の古典、S・E・ミードの『アメリカの宗教』は、そ
の原因を宗教間の寛容の表れというよりは、宗教の統一が現実的に困難であった事情に求
めている。つまり、植民地時代より無数のキリスト教諸宗派が流入し、また空間が「無限」
8
特に以下を参照。大西直樹「初期ニューイングランドにおける教会員制度の変質」森孝一編『アメリ
カと宗教』日本国際問題研究所、1997 年、43-62 頁。
9
差し当たり、以下。J.C.ブラウァー(野村文子訳)『アメリカ建国の精神 宗教と文化風土』玉川大
学出版会、2002 年。(Jerald C. Brauer, Protestantism in America: A Narrative History, Philadelphia:
Westminster Press, 1953, 1965.)
10 リチャード・ホーフスタッター(田村哲夫訳)『アメリ カの反知性主義』みすず書房、2003 年 、49-126
頁。
5
に広がるアメリカでは、いかなる宗教統一の努力にもかかわらず、少数派は別の場所に移
住することができる。加えて、革命という大きな目標もあり、主流派教会と福音主義者は
共に宗教の自由を求め、協力の産物として教派主義が生まれた。 11 注意すべきは、宗教の
自由が求められたこの国家建設期にあって想定されていたことは、基本的にキリスト教の
教派を問わないことであり、大覚醒を経てキリスト教信仰は隆盛を極めていた。それ故に、
『コモン・センス』、独立宣言という革命の基本文書において、神の概念と聖書の字句が繰
り返し使用され、植民地民衆に対する説得力を増すことが期されたのである。 12 文化的習
慣としてアメリカ政治の様々な場面に現れるキリスト教の影響を、森孝一は「見えざる国
教」と呼んだ。 13 象徴としてキリスト教を利用する起源はすでに建国期に求められる。他
方で、福音主義の隆盛にもかかわらず、国教化はされ得なかった点に、我々はキリスト教
がアメリカ政治において実現できる影響力の限界も見いだすことができる。
十八世紀前半、十八世紀末から十九世紀前半と二次にわたる「大覚醒」で福音主義が成
長したが、十九世紀半ばにはリンカーン大統領の信仰が時代を彩っている。彼の高名な演
説に散見されるように、リンカーンは南北戦争を奴隷制という罪を黙認してきたアメリカ
人に対する神の裁きと捉え、その赦しを求めている。 14 奴隷解放の背景に、政治・経済的
動機だけでなく、宗教的な意志と運動を指摘することは多い。
さて、南北戦争後の復興期から二十世紀への世紀転換期へ至る中で、アメリカは本格的
な近代化を経験し始める。近代化は、工業化であり、それ故に都市への人口集中、大衆社
会の成立を引き起こす。さらに、その人材としても益々流入した勢力が、移民であった。
11 S・E ミード(野崎文子訳 )『 アメリカの宗教』日本基督教団出版局、1978 年。
( Sidney E. Mead, The
Living Experiment: the shaping of Christianity in America , New York: Harper and Row, 1963.)なお、
建国初期のアメリカがキリスト教的であったと考えることが「虚像」に過ぎないと論ずる文献として、
例えば以下がある。フランクリン・H・リッテル(柳 井望他訳)『アメリカ宗教の歴史的展開』ヨルダン
社、1974 年。
12 斎藤眞「アメリカ革命と宗教」森編、前掲書、63-94 頁。
13 森孝一『宗教から読む「ア メリカ」
』講談社、1996 年 。森は見えざる国教としてのキリスト教と、篤
い信仰を伴ったキリスト教を混同して使用しているが、厳密には文化的慣習として維持されているキリ
スト教の側面は、ナショナリズムとの混同と同様に、区別して考えるべきであろう。本文が明らかにし
ていくように、1970 年代頃 より本格化する福音主義への回帰と「見えざる国教」では対象にしているも
のが違う。アメリカにおける宗教の状況を表現するものとして、他にロバート・ベラによる「市民宗教」
という概念がある。二つの概念は、必ずしも一致しないし、そのような伝統に対する期待も異なる。ベ
ラは、世俗化・国際化に対抗する文脈の中で、キリスト教的な伝統、道徳の復活に期待を寄せている。
ロバート・ベラ『破られた契約 アメリカ宗教思想の伝統と理念』未来社、1998 年。
( Robert Nelly Bellah,
The broken covenant : American civil religion in time of trial , New York : Seabury Press, 1975.)
14 鈴木有郷『アブラハム・リンカーンの生涯と信仰』教文館、1985 年。鈴木有郷 「アメリカ・プロテ
スタント思想とアメリカのヴィジョン」森編、前掲書、218-242 頁。但し、二期 目の就任演説以降、リ
ンカーンは宗教色を消した、との指摘もある。Carl M. Cannon, “Bush and God: Is presidential
profession of faith still appropriate or productive?” National Journal , 1/3/2004, pp.18.
6
そのような時代変動の中で、ダーウィニズムとそれに影響を受けた社会進化論等の発想が
近代的合理主義と共に台頭し始めていた。ドワイト・ムーディやビリー・サンデーといっ
た説教師を中心として福音主義側から強い反発が起き、聖書の教えを否定しかねない「科
学」への警戒感は、聖書に示された「神の言葉」を直接的な行動に訴えてでも保持しよう
とする根本主義の登場を招いた。 15 その一つの典型が、公教育における進化論教育を巡っ
て起こされたスコープス裁判である。同時に、禁酒法も白人プロテスタントの宗教観と結
びついた主張であり、移民を基盤としていた民主党系勢力と共和党の間における「文化闘
争」と見ることもできる。この政治闘争は、大不況後に経済政策を巡った対立軸に政治が
変化し、ニューディール連合とそれに対抗する保守連合が形成される中で解消した。 16 他
方で、工業化と移民の流入で格差が広がった都市社会において、やがて始まった社会的福
音の運動は、教会の社会福祉活動の原点をなす。但し、根本主義者と社会的福音の活動に
従事したキリスト者は異なり、むしろ対立していた。根本主義や文化闘争、社会的福音の
動きの中で、一八九〇年から一九一〇年にかけて統計上のキリスト者の比率が二十二%か
ら四十三%へ倍増したことも指摘しておこう。進化論や大衆社会における文化の世俗化の
流れに抗して、キリスト教の存在感は数の上では増加の一途をたどった。しかし、根本主
義者の活動も大きな支持は集められず、キリスト教の政治性も後退していった。
キリスト者の比率は、一九四〇年からの二十年間でも四九%から一五%増加している。
古屋安雄はその要因として、大衆社会における精神的渇望と移民三世の共同体帰属意識探
しに加えて、冷戦をあげる。特にアイゼンハワー政権期は、キリスト教の影響が強く作用
した。
「神のもとにある国家」としてアメリカを位置づけることで冷戦下における国家の連
帯を実現しようとしたアイゼンハワーは、キリスト教信仰に限定しなかったが、
「デモクラ
シーは宗教的基礎なしでは存在できない」と言い切った。また、ジョン・フォスター・ダレ
ス国務長官は、牧師の息子であり、常に座右に聖書を置いて執務を行ったとされる。 17 一
九五七年には、宗教の影響力増加を認める国民は六九%に達した。 18 多くの教会で国旗が
ホーフスタッター、前掲書。白人至上主義を唱える KKK もプロテスタントを 標榜する。
久保文明「ニューディールと第二次世界大戦」阿部斉編『北アメリカ 』 自 由 国 民 社 、 1999 年 、 178、
193-196 頁。
17 とはいえ、反共主義とキリスト教の関係は単純ではない。カトリシズムを基盤として成長したマッカ
ーシズムはプロテスタントにも支持を拡大した一方で、メソジスト教会や長老派など主流派教会の指導
層は反発し、
「プロステビテリアンへの手紙」などマッカーシズムが席巻する社会の中で言論が弾圧され
ることに対しての警戒感を露わにした。この手紙の全文は、以下に掲載されている。古屋安雄『キリス
ト教国アメリカ その現実と問題』新教出版社、1967 年。
18 Gallup, op. cit., pp.11. 但 し、教会に所属すると答える世論は、一九三七年の時点で七三%に達し、
この比率は四六年、五二年、そして現在まで、ほぼ変化していない。ibid., pp.13. 古屋が増加の根拠に
15
16
7
掲げられた時期でもあった。しかし、この時期のキリスト教の成長は、篤い信仰を伴うも
のとは言い難い。当時キリスト教を信ずると答えた者の半数以上が、イエスの言葉が記さ
れており聖書の中でも最もキリスト者が読まなければならない四福音書の名前を一つも知
らなかったのである。 19 多くの「キリスト者」にとって、信仰はナショナリズムや地域共
同体への帰属意識に過ぎなかった。これらの信仰のあり方が問題であるか、今は問わない。
しかし、重要なことは、そのような信仰では、ナショナリズムに沿った動員は可能であっ
ても、キリスト者としての価値を世俗化に抗して守ろうとする文化闘争の一翼を担い得な
いことである。当時には、ピールによって聖書の教えが断片的に切り売られ、ビリー・グ
ラハムによって福音主義が伝えられていたが、限界は明らかだった。当時、根本主義者は
右傾化し、反共主義の一翼を担った共和党支持勢力であった。 20 しかし、少なくとも選挙
においては、大多数の福音派教会は民主党系 21 、主流派教会が共和党系という図式が固ま
りつつあり、歴代の大統領は信仰を積極的に前面に押し出すことはせず、文化闘争はしば
し沈静化していた。 22 ラインホルド・ニーヴァーの政治批判や長老派教会の「プロステヴ
ィテリアンへの手紙」が、冷戦を戦うなかで力による外交を推し進めがちな政府を批判す
る機能を果たしたにせよ、大多数の国民がそれによって動員されることはなかった。その
運動がナショナリズムと混同され、
「見えざる国教」と交錯した点に、我々は三度、キリス
ト教が政治化する際の限界を感じざるを得ない。
一転して、一九六〇年代からは反戦運動の高まりの中で、東洋思想や宗教が一種のブー
使用したデータは教会員として登録されている人数を教会から報告されたものであり、ギャロップ社の
データは個人が返答している。それ故に、この二つの数値のズレは、教会に正式に所属していなかった
(教会籍を入れていない)個人が、四〇年代からの二十年間において教会活動への参加を増やし、所属
を認められ始めたことを反映している、と捉えることができる。事実、教会へ過去一週間に通った比率
は、三九年の四一%から五八年には四九%へ増加している。ibid., pp.15.
19 古屋安雄、
『キリスト教国アメリカ』。
20 Clyde Wilcox, God’s Warriors: The Christian Right in Twentieth-Century America . Baltimore:
Johns Hopkins University Press, 1992. 古矢旬『アメリカニズム 「普遍国家」のナショナリズム』東
京大学出版会、2002 年。
21 ハッチェンソンはこの現象を「民主党化した福音主義(Democratic Evangelicalism)」と呼ぶが、正鵠
を得た表現であろう。Richard G. Hutchenson, Jr. God in the White House: how religion has changed
the modern presidency , New York: McMillan, 1988, pp.26-27.
22 但し、政権スタッフから信仰心が取り去られたわけではない。例えば、ジョンソン大統領の側近中の
側近として、伝道師出身であった若きビル・モイヤーズがいた。彼は「ホワイトハウスにいる伝道師」
と呼ばれ、大統領補佐官として(数年間は広報官として)、貧困に対する闘いや核不拡散政策の推進など
で主体的な役割を果たした。差し当たり、以下。Patrick Anderson, The Presidents’ Men , New York:
Doubleday & Company, 1968. また、1964 年の大統領 選挙においてゴールドウォーターが躍進した背
景にキリスト者反共十字軍(Christian Anti-Communism Crusade: CACC)の支持 者などの影響が指摘さ
れることもある。確かに CACC 支持者の半数強が彼に 投票し、一般的な 4 割程度 の支持に比べ若干強い
が、しかし、CACC 支持者 の半数弱はジョンソンに投票したのである。この要因として、ウィルコック
スは他の政治的争点を指摘する。Wilcox, God’s Warriors , pp.90-91. 当時の CACC 乃至キリスト教の政
治的な動員力の弱さを示す。
8
ムとなった時期であった。 23 近代化は、やがて世俗化、即ち宗教的価値からの離脱を生み
出した。それは、近代合理主義の誕生が神離れであったことを考えれば、当然の帰結であ
ったのかもしれない。 24 世俗化と併行して、この時期には主流派教会が衰退し始めた。し
かし、この動きは必ずしも宗教離れではなかった。当時、主流派教会の指導者や牧師はリ
ベラル化していたが、彼らは神学的にも自由に過ぎ教会に政治的な要素を持ち込みすぎた
が為に、むしろ教会員の反発を招いた。つまり、より宗教的に熱心であろうとする信者は、
公民権運動など政治活動にのめり込む牧師を見限り始めたのである。 25 そのような信者の
受け皿として、また世俗化が進む中で宗教的に保守的な価値を求める人々の受け皿として
も、六〇年代から七〇年代にかけて福音主義の教会が勢力を拡大し始める。しかし、福音
主義の成長がすぐに政治化に結びついたわけではない。キリスト教の政治活動は振るわな
かった。先に五七年に七割近くまで増加した宗教の影響力増加を認める世論指標は、一九
七〇年には一四%に激減し、影響力の低下と答えた比率は七五%と、完全に逆転した。26 他
方、一九七一年にレモン・カーツマン判決で宗教系学校の教員給与に対する公的補助金支
給が違憲とされ、一九七三年にロー・ウェイド判決によって中絶条件が大幅に緩められる
ことで、文化闘争再開に至る導火線は確かに引かれ始めていた。
23 石井研士「新宗教運動と世俗化」井門冨二夫編『多元社会の宗教集団
アメリカの宗教・第二巻』大
明堂、208-232 頁。世俗化 の一方で、東洋宗教など「新宗教運動」が勃興したことをいかに捉えるか、
という命題に対しては様々な議論がある。
24 しかし、後で論ずるように、著者は宗教的な信仰を持つものが科学者たり得ないとは決して考えてい
ない。
25 古屋、
『激動するアメリカ教会』。
26 Gallup, op. cit., pp.11
9
二節
選挙 における 福音
七十年代後半 からの キリスト 教保守化 は ブッシュ 政
権 への 「 僥倖 」 か ?
「当時アメリカは真理と統一性への関わりと平和や人権、苦しみからの解放といった道
徳的価値への執着を公言する誰かを求めていた。私は自分の個性と政治的な信条の中に深
く刻み込まれていた、そのような価値を推し進めた。」「私はキリスト者としての責務と考
えることを実現するための方法として、公職を考えてきた。」 27
そのように在職時代を振り返るジミー・カーターを選びだした一九七六年の大統領選挙
は、キリスト教が政治化する一つの契機であった。大統領選挙にキリスト教会の路線対立
を持ち込まないという「紳士協定」は、「新生したキリスト者(a born-again Christian)」
と公言した南部出身のカーターによって破られた。カーターがリベラルに理解を示し民主
党出身者の限界を露呈したとき、それに代わってもう一人の「新生した」大統領としてレ
ーガンが登場し、TV説教師の活動も目立ち始める。
二人の大統領を支えた票田として、一九八〇年代前後より台頭した福音主義勢力が指摘
される。今回の福音主義は、聖書に忠実な生活と社会を実現するためにキリスト者が積極
的に政治に介入するべきとの風潮を生み出したが、これほどの保守的な政治介入はアメリ
カ史の中でも際だっている。一九六〇年代に胎動を始め八〇年代に発展した福音主義の特
徴は、信仰に支えられたキリスト者が中心的な役割を果たしていること、中絶や家族計画、
同 性 愛 や 公 教 育 な ど キ リ ス ト 教 の 価 値 に 関 わ る 問 題 領 域 に お い て 政 治 に 主 と し て 選 挙を
通じて直接的に介入すること、これらを実現するための手段としてメディアの利用が積極
的になされていることの三点であろう。九十年代には組織化も急速に進み、九四年の議会
共和党の大勝につながる。しかし、このような福音主義の台頭は、敬虔な大統領ジョージ・
W・ブッシュ誕生への僥倖なのだろうか?そこには歴史上繰り返されてきた「限界」は無
いのだろうか。
まず、カーターの大統領選挙においては、宗教票はどれほどの意味を持ったのだろうか。
一九七二年選挙において八割が共和党候補ニクソン支持に回った福音主義者であったが、
七六年選挙では半数近くが民主党候補カーター支持に回った。 28 一九八〇年、一九八四年
選挙においては、福音主義者の政治的動員が強調される。レーガン政権におけるキリスト
教保守派の台頭は、特にテレビを通じた伝道が活発化し、ファルウェルらのTV説教師が
27
28
Hutchenson, op. cit., pp.99, pp.114. この発言 は 1987 年のインタビューによる 。
Wilcox, God’s Warriors , pp.220.
10
人気を博した。そのような状況の中、宗教票の動員の必要性を認識した共和党は、ファル
ウェルを旗頭にモラル=マジョリティを結成させる。争点は、まず世俗化の波によって揺
らいでいた家族の再生であり、男女平等を定める憲法修正や中絶などを争い、やがて反共
主義とも結びつき始める。 29 コントラ支援の主要な勢力も、キリスト教保守派であった。
解放の神学に影響された革命的神父たちを取り込んだ共産主義者中心のサンディニスタ政
権への強硬姿勢を高らかに叫んだ。 30 前節でも引用したギャロップ社の宗教の影響力に関
する世論調査では、一九七六年には影響力増加を認める割合が四四%に急増し、低下を認
める四五%の世論と拮抗している。その後、増加を認める割合が若干逓減するものの、五
七年、七〇年と振幅の激しかった世論が国論をほぼ二分する地点に均衡点を見いだしつつ
あることは示唆的である。八〇年選挙において、一般的な投票率の低下に一方で福音主義
者の投票率が上昇したと指摘する文献もある 31 が、それを否定し、八八年まで投票率の変
化が少ないことを指摘するものもある。 32
一九八八年には、共和党大統領候補としてパット・ロバートソンが出馬を表明した。結
果から見れば敗退であるものの、ロバートソンは一定の支持を獲得した。信仰の篤い層を
中心に極めて保守的な層からの支持が高く、ソ連とのデタントに否定的で、コントラ支援
の継続、社会保障の廃止、中絶禁止、ポルノ規制、学校における礼拝の復活への支持が高
い。また、見知らない人から投票を呼びかけられた有権者が、他の候補者が〇%から四%
程度であるのに対し、ロバートソンは一二%を記録している。但し、投票率や共和党員の
数は、八八年選挙においても変化が無かった。 33 つまり、新たな有権者の動員まではでき
なかった点にロバートソンの限界があった。その限界を超えた動きが、九〇年代に入って
躍進したクリスチャン・コアリションだろう。
ロバートソンとエモリー大学歴史学部で博士号を取得した若き俊英ラルフ・リードの出
会いは、スキャンダルなどで八〇年代末に沈静化していたキリスト教保守派の「再来
(second coming)」と賞される。ロバートソンの知名度とリードの政治的能力のシナジーは、
阿部美哉「現代アメリカの政治と宗教 -メイン・ライン諸教派の衰退とテレヴァンジェリズムの興
隆をめぐって」井門冨二夫編『多元社会の宗教集団 アメリカの宗教・第二巻』大明堂、233-261 頁。
石井研士「情報化と宗教」井門冨二夫編『アメリカの宗教 多民族社会の世界観』弘文堂、1992 年、242-265
頁。上坂昇『現代アメリカの保守勢力 -政治を動かす宗教右翼たち』ヨルダン社、1984 年 。佐々木毅
『アメリカの保守とリベラル』講談社、1993 年。
30 森孝一「西半球における宗教の政治化現象
-「解放の神学」と「宗教右翼」」『アメリカ研究』26
号(1992 年)、145-164 頁 。
31 蓮見博昭『宗教に揺れるアメリカ』日本評論社、2002 年、117-118 頁。
32 Wilcox, God’s Warriors , pp.220.
33 ibid., pp. 171, 173, 177, 178, 220.
29
11
コアリションを数年でアメリカ政治の中核に引き上げた。コアリションは、地方の草の根
におけるキリスト者の組織化によって、直接訪問やメール、投票者ガイドの配布を効率的
に実施することができた。 34 また、コアリションはモラルマジョリティの反省から学び、
政治的な要求もスタッフの構成もエキュメニカルであり、また租税政策などにおいて伝統
的な保守に近い立場を取る。35 コアリションを始めとした保守派の動員が大きな貢献とな
り、一九九四年の中間選挙ではサウス・カロライナやミネソタを含む、多くの地域で共和
党候補が勝利し、共和党多数議会への道を開いた。 36 勢いに載ったコアリションは、九五
年には「アメリカの家族との契約」を発表し、一六〇万人のメンバー、二五〇〇万ドルの
予算規模を誇り、その後も成長を続けた。 37
コアリションなど保守派団体は、九六年、九八年、二〇〇〇年選挙でどのように変化し
ていったのだろうか。結論を先取りすれば、発展の道のりは平坦ではなかった。リードの
戦略はやがて中道化し、また黒人勢力などへの呼びかけも行った。さらに、リードがコア
リションを離脱し、リベラル派が巻き返しを始める中で、保守派の限界が露呈し始めてい
た。 38 献金規模が急減し始め、コアリションが支援する多くの共和党候補が九八年選挙で
落選したとき、コアリションは崩壊したとまで言われた。しかし、他方で、福音主義者の
投票行動が共和党支持を固めていったのも確かである。共和党員としてのアイデンティテ
ィ、大統領選における共和党候補への投票は共に六〇年代から九〇年代にかけて、教会活
動に参加する福音派教会員・主流派教会員の両者において大幅に増加している。特に前者
の増加率は著しい。 39 保守派の支持が福音主義者の聖書に基づく道徳を反映させるための
政治的動機から来ているとすれば、コアリションが衰退したとしても、キリスト教的な価
値を訴えることは依然として重要だろう。
クリスチャン・コアリションについては、以下を参照。Mark J. Rozell and Clyde Wilcox, “Second
Coming: The Strategies of the New Christian Right,” Political Science Quarterly , vol.111, no.2
(1996), pp.271-294. Justin Watson, The Christian Coalition: Dreams of Restoration, Demands for
Recognition . New York: St. Martin, 1997. Kenneth D. Wald, Religion and Politics in the United
States, 4 th edition . Lanham: Rowman & Littlefield Publisher, 2003. 上坂昇「宗 教右翼の政治参加」
久保文明他編『現代アメリカ政治の変容』慶應義塾出版会、1999 年、269-298 頁 。指導者の著作として
以下。Pat Robertson, Bring It On , Nashville: W Publishing Group, 2003. Ralph Reed, Active Faith:
How Christians are Changing the Soul of American Politics . New York: Free Press, 1996. なお、ロ
バートソンは他に、クリスチャン・ブロードキャスティング・ネットワーク(CBN)、法と正義のための
アメリカン・センター(ACLJ)がメディア、裁判をそれ ぞれ代表する接点として設立した。
35 Rozell and Wilcox, op. cit.
36 Mark J. Rozell, and Clyde Wilcox (eds.). God at the Grass Roots: the Christian Right in the 1994
Elections . Lanham: Rowman & Littlefield Publisher, 1995.
37 Watson, op. cit., pp.54.
38 Katharine Q. Seelye, “Christian Coalition’s Reed quits for new political role,” New York Times ,
April 24, 1997, Section B, Page 8, Column 5.
39 Kohut, op. cit., pp.83, 91, 103, 108, 112, 119.
34
12
二〇〇〇年大統領選において、ブッシュ陣営は初期には宗教色を前面に押し出すことに
消極的であった。 40 しかし、福音主義者からも原理主義と呼ばれるボブ・ジョーンズ大学
にブッシュが訪れたとき、宗教が争点のひとつとして利用され始め、メディアもそれに乗
り始めた。 41 結果的にみれば、新生したキリスト者からの支持をまとめたことは疑いよう
がない。 42
投票行動の観点から九六年選挙と二〇〇〇年選挙を比較したとき、保守派団体の活躍は
効果的であるものの、限界も見え始めている。 43 まず、教会において選挙に関する議論は
増えたものの、有権者ガイドブック、宗教系団体からの働きかけ、聖職者の特定候補の支
持は減少した。とはいえ、調査対象の四七%が少なくとも一回接触受け、政党組織(二六%)・
候補者(二四%)・労組(八%)等に優越している。接触のほぼ圧倒多数は共和党支持につなが
るものである。こういった接触は、教会活動一般、礼拝、寄付、聖書研究会への参加者に
多く、キリスト教右派・共和党としてのアイデンティティが高い者にも多い。他方で、社
会的地位や地域性(南部・中西部)との相関は薄い結果も出ている。結果として、福音派
教会員は全体として七四%がブッシュ支持、価値観がより伝統なものに限れば八九%であ
った。伝統主義者ほどブッシュ・議会共和党支持の傾向が強く、投票率も中道、リベラル
に比べて高い。接触の効果は高いと分析されている。教会における議論の有無でブッシュ
支持率は二三%異なり、投票者ガイドなども同様の効果が確認される。
但し、接触の効果は九六年ほどではなく、有権者ガイドブックの効果は減少、直接的な
接触は広がりを失ったばかりか、例えば「信仰を超えた同盟(Interfaith Alliance)」など
保守派以外からも試みられ始めた。「アメリカの同盟(American United)」は各地の教会
へ選挙活動への関与が税制優遇の解除を招くとの警告を送付し、一定の効果を上げた。ま
た、黒人系教会は依然として民主党支持で固まっており、変化は観察されない。他の統計
また、コアリションの支持者たちも当初ブッシュが宗教色を前面に押し出さなかったため、比較的消
極的であった。但し、勝てる候補としての期待からの支持はあった。Linda Feldmann, “For Christian
Coalition, no obvious choice,” Christian Science Monitor , October 5, 1999.
41 Christopher Hanson, “God and Man on the Campaign Trail,” Columbia Journalism Review ,
November/December 2000, pp.40-45. ブッシュは他にも、最も尊敬する哲学者は誰か、という問いに対
してジーザスの名を挙げ、注目を集めた。
42 Barna Research, “Bush decisively won born again vote, but Gore gained most of the born again
voters who decided late,” 11/13/2000. Barna Research, “Born Again Christians Backing Bush,”
9/11/2000. Barna Research, “The Faith factor in Election 2000: Christians could be a swing vote,”
2/17/2000.
43 James Guth and et. al. “Thunder on the Right?.” In Cigler, Allan J. and Burdett A. Loomis (eds.)
Interest Group Politics, fifth edition . Washington DC: CQ Press, 1998. pp.169-192. James Guth and
et. al. “A Distant Thunder? Religious Mobilization in the 2000 Elections.” In Cigler, Allan J. and
Burdett A. Loomis (eds.) Interest Group Politics, sixth edition . Washington DC: CQ Press, 2002.
pp.161-184.
40
13
では、黒人系教会員と福音主義者の間で宗教的な価値について相当の類似性が認められ、
主流派やカトリックと一線を画しているものの 44 、党派性の強さを切り崩すことはできて
いない。
既に触れたように、ブッシュ現政権の選挙参謀でもあるカール・ローブは二〇〇〇年大
統領選挙で動員可能なキリスト教系の票を千九百万と見積もった。現実にブッシュが集票
した数は千五百万に止まったとされ 45 、再選を目指す二〇〇四年選挙に際してキリスト教
系の票を動員することが求められているにせよ、二〇〇〇年選挙における投票総数が一億
五百万票であることを考えれば、その存在力の大きさは明らかだろう。全登録有権者の二
十四%が福音主義者であるとの指摘もある。 46 また、現在の支持層を確認してみると、ブ
ッシュ現大統領の仕事を評価する比率は、宗教が重要と答えている層、教会に過去一週間
に訪れている層から他と比べて高い支持を集めている。 47 無論、白人、新生したキリスト
者からの支持も平均以上を示している。 48 黒人からの支持は依然として低いが、黒人教会
員は信仰が篤く、道徳観も白人の福音主義者に相当近い。 49 伝統的に民主党支持が堅い黒
人票が、リベラル化を進める民主党の動向でいかに変化するか、動向が注目される。
Kohut, op.cit., pp.22, 29.
Richard L. Berke, “Aide says Bush will do more to Marshal religious base,” New York Times ,
December 12, 2001.
46 Kohut, op.cit., pp.4.
47 Frank Newport and Joseph Carroll, “Support for Bush Significantly Higher Among More
Religious Americans,” Gallup Poll Tuesday Briefing , 3/6/2003.
48 Barna Research, “Bush Scores Well With Born Again, but Poorly with Blacks,” 2/25/2002.
49 Pew Research Center, “Americans Struggle with Religion’s Role at Home and Abroad,” 3/20/2002.
44
45
14
三節
福音主義者と
福音主義者 と キリス ト 教保守派団体
なぜ八八年選挙でロバートソンが一定の存在感を示し、その後もコアリションなど保守
派が支持を拡大しているのか?キリスト教保守派乃至宗教右翼の活動を支えているのは、
いかなるキリスト者なのだろうか。要となる三点を確認し、現在まで続く保守派の性格の
理解につなげたい。
第一に、保守派の活動は福音派教会だけでなく、主流派教会とも無縁ではない。それら
教会の牧師など指導者はリベラル傾向が強いが、教会員には保守派に理解を示し、さらに
は主体的に参加する人が多い。統計によれば、教会活動に参加する主流派教会員と、そう
でない教会員との間には、保守派の団体活動への参加率、共感に大きな差がある。前者は、
クリスチャン・コアリションを一七%が非常に好意的に捉え、二三%が多くの価値観を共
有すると答えている。一三%は宗教右翼のメンバーだと答え、四八%が活動を支援してい
る。他方で、教会活動に熱心ではない主流派教会員は、それぞれ、二%、一七%、二%、
九%と極めて低い数値に止まっている。教会活動に熱心な主流派の数値は、むしろ同様に
熱心な福音派教会員の数値-二三%、五一%、一二%、四八%-に共通するところが大き
い。 50 つまり、保守派の活動の支持は、分派的な意味での福音派(教会員)の間だけでは
なく、敬虔なキリスト者、その意味で教理的な意味での「福音主義」の隆盛に従って拡大
したものと推定される。さらに、コアリションなど保守派団体は九六年選挙ごろより「カ
トリック連合」や黒人教会への働きかけも積極的に行っており、関係を強めた。 51
確かに、教会ごとの勢力配分を見てみると分派としての福音派教会では、特に改革派と
根本主義、カリスマ系が信徒を拡大し、南部バプティストとペンテコスタ派は現状を維持
(比率の上であり人口増を考えれば実数は増大)している。他方で、主流派教会とカトリ
ックは軒並み信徒を減らしている。福音派と主流派は概ね国民の二五%程度であったが、
差が開き始めている。別の統計に拠れば、残念なことに教派ごとのデータはないが、全体
として教会との関わりや礼拝の回数も六〇年代と比べ減少傾向にある。しかし、更に別の
統計では、神の存在や最後の審判、奇蹟、祈りの重要性などはキリスト教の教派を問わず、
世俗主義者まで含めて増加している。九七年の時点で、福音派と黒人教会員で八~九割、
主流派とカトリックで四~六割がこれら宗教的な価値を信じていると答えている。無論、
50
51
Kohut, op. cit., pp.120.
Reed, op.cit., pp.214-220. James Guth and et. al. “A Distant Thunder?” pp.162.
15
これらの調査は、それぞれに対象にした母集団が異なるため単純な比較はできない。 52 だ
が、福音派教会員を中心として、価値の上でのキリスト教は総じて復権しているように思
える。他方で、新生したキリスト者か福音主義者と答える比率は、七六年から九六年まで
あまり変動しておらず、ギャロップの調査でおおよそ四割である。この比率は福音派教会
のみが福音主義者でないことを確かに示している。 53 九六年のピュー社では「新生したキ
リスト者」として聞いた数値が三一%になっているが、この調査では分派別の数値が出て
おり、福音派の七八%、黒人教会の六四%、主流派の二一%、カトリックの一四%という
構成になっている。 54 つまり、保守派発展の可能性は福音派教会以外にも開かれているこ
とは、今後とも注視しなければなるまい。
第二に、保守派の支持層は低学歴、低収入でもない。七八年から八八年を対象にしたグ
リーンらによる研究では、保守派(宗教右翼)の活動が、低学歴や低収入者と結びついて
いるとの通念を退け、世俗化との衝突が起こりやすい人口増大地域や郊外、具体的には南
部、南西部、中西部におけるそれらの場所、伝統的な価値が支配的ではない場所、選挙に
おける競争が厳しい場所で、比較的高い地位の人々が担い手になっていることを実証的に
示した。 55 このことは、福音主義が「無知蒙昧」であるとか、反知性主義の現れであると
する一部の論説を反駁する証左となる。実際には、一九七〇年代以降の確実な変化として、
福 音 主 義 に 回 帰 し た キ リ ス ト 者 が 、 従 来 に お け る 反 知 性 主 義 者 で あ り 教 育 機 会 の 少 ない
人々というイメージから乖離していることが確認できる。高等教育を受けた福音主義者の
数は増加しており、また理論化偏重の科学の傾向には躊躇するものの、研究者として活躍
するウィートン大学出身者なども増えつつある。 56 中西部の大学を中心としたインターヴ
ァシティー・クリスチャン・フェローシップ(IVCF)の活動は、福音主義の影響が大学生に
根付いていることを示している。 57 また、九〇年には男性のみからなるプロミス・キーパ
ーズが組織されている。 58 選挙に限っても、共和党化が進んだ福音主義の構成が相当広範
に及ぶことを理解する必要があるだろう。
第三に、福音主義者が中心をなす保守派団体は、主流派やカトリックに近い団体と異な
Kohut, op.cit., pp.18, 24, 29.
Gallup, op. cit., pp.68.
54 Kohut, op.cit., pp.22.
55 John C. Green, James L. Guth, and Kevin Hill, “Faith and Election: The Christian Right in
Congressional Campaigns 1978-1988,” The Journal of Politics , vol.55, No.1 (February 1993),
pp.80-91.
56 Alan Wolfe, “The Opening of the Evangelical Mind,” The Atlantic , October 2000.
57 http://www.intervarsity.org/
58 http://www.promisekeepers.org/
52
53
16
り、社会福祉や環境、防衛問題に対して関心が薄く、信仰や道徳の問題に重点を置いてい
る。九〇年に「アメリカの関心ある女性(CWA)」、「共和国に賛成するアメリカ人(AFR)」、
「家族への重点(Focus)」、
「生命こそ・政治行動委員会(Just Life PAC)」、
「世界のためのパ
ン(BFW)」の五団体を対象にして行われた調査がある。全団体の参加者の九割程度が最低
週一回に教会に通い、神学が異なったとしても共存は可能だと考えた。しかし、福音主義
者中心の前三者は教会の役割が人のこころを変えることであり、道徳の問題への関心が高
い一方で、主流派かカトリックが六割近くを占める後二者は社会との関わりを強く意識し
ている。 59 他でも、福音主義者が伝道活動に重点を置き、他方で主流派教会に属する人々
が社会福祉活動に取り組む傾向が強いことは指摘されている。 60 安易な一般化は慎むべき
であろうが、福音主義者が福音を宣べ伝えることに重点を置いているために社会に対する
関心が薄いことは、限られた資源を伝道に集中するためによく観察される。福音主義者が
中心となる保守派の団体でも同様の傾向が出ることは避けられない。
なぜ保守系団体が急速に組織化されたのか。すでに論じたように、コアリションなど保
守派の巧みな戦術、福音主義の進展、世俗主義との衝突が指摘される。それに加えて、八
〇年代と比べ、コアリションの活動などが教会等における対人コミュニケーションに重点
を置いている点に、九〇年代の新しさを見いだせる。つまり、TV説教師によって福音主
義が広く宣べ伝えられたとしても、井門富二夫や石井研士が指摘しているように、それら
はメディアを介した間接的な伝道に過ぎず、個人の信仰を動機づけるには限界がある。61 そ
れ故に、地元教会との関わりや信徒同士の聖書研究会への参加への動機が生まれてくる。
コアリションなどによる組織化が草の根における対人関係をベースとした戦術を選択した
ことも、同様の文脈で捉えられるのではないか。芽が出始めた信仰の種を育むために必要
とされた、より直接的なコミュニケーションの欲求に、保守派の働きかけが効果的に浸透
したと考えられる。草の根活動が受け手からも求められていたことも、保守派勢力拡大の
要因ではないだろうか。
James Guth and et. al. “Onward Christian Soldiers: Religious Activist Groups in American
Politics.” In Cigler, Allan J. and Burdett A. Loomis (eds.) Interest Group Politics, fourth edition .
Washington DC: CQ Press, 1995. pp.55-76.
60 Anna Greenberg, “The Church and the Revitalization of Politics and Community,” Political
Science Quarterly , vol.115, no.3 (2000), pp.377-394. なお、前三団体の参加者は八八年で九六-九九%、
共和党候補(ブッシュ)に票を投じている。後二者は六九-七八%がデゥカキスに入れている。党派性
は概ね観察できる。前三者がコアリションに、後二者がカーターに親密性を感じる傾向も同様の文脈で
理解できる。
61 井門富二夫『世俗社会の宗教』日本基督教団出版社、1972 年。石井「情報化と 宗教」
。
59
17
四節
ジョージ・
ジョージ ・ W ・ ブッシュ政権
ブッシュ 政権と
政権 と キリスト 教
- その具体的展開
その 具体的展開の
具体的展開 の 位相
さて、選挙を通じた関わりは、宗教的価値を体現する政治家を選出するという意味では
教会の影響力の行使である。九四年以来の共和党多数議会、〇〇年のブッシュ政権の誕生
にキリスト教保守派が少なからず貢献したことは二節で確認した。但し、それは政治との
接点に過ぎず、接点を保守派がいかに活用するかは別に検討する必要があろう。つまり、
選挙を通じて協力することで選出された政治家がいかに保守派へ協力に報いるか、保守派
がいかに「影響力」を政治に対して行使し得るのか、確認しなければならない。それ故に、
本節は教会が政治において実現しようとする「価値」に注目し、それが選挙協力と同時に
政策として実現されているか確認する。九四年から〇〇年までは先行研究があるので、本
節は特にブッシュ政権期に絞りその展開を分析するが 62 、〇一年から〇四年始めに至る時
期において、政治的に争われた「価値」は、中絶や尊厳死などに反対する「生命擁護
(pro-life)」、同性愛への反対などが代表的であり、本節もそれらに重点を置く。
ブッシュ現政権の成立初期において、キリスト教保守派との関係が強いと思われること
は、アシュクロフト司法長官の就任 63 、産児制限に関係する国連人口政策への予算拠出を
行わないとする「メキシコ・シティ」政策の復活、社会福祉に対する宗教組織の利用とそ
れに伴う予算措置の三点であろう。 64 また、九四年に多数派に転じた議会共和党の基礎と
なった保守勢力は、選挙前から「アメリカとの契約」の制定過程において連携を強め、木
曜グループを組織したが、
「 契約」の全ての細目を承諾することが参加の条件であったため、
それぞれの保守系団体は各々が主として対象とする政策項目以外にも参画し始めた。ブッ
シュ政権下においては全米税制改革協議会のグローヴァー・ノーキストが中心となり、木
曜グループのメンバーを更に拡大した水曜会が開催されており、ホワイトハウスを始め政
界が無視できない存在に成長している。 65
これらの動きに加え、リベラルとの文化闘争も起きている。公共施設における「十戒」
展示問題、フロリダ州における尊厳死問題も大きく取り上げられたが、〇三年から〇四年
九〇年代において保守派が主張した政策の実現過程、またはその挫折については、以下を参照。上坂
昇「公教育に進出する宗教右翼」森編、前掲書、182-215 頁。蓮見、前掲書。
63 David Johnston and Neil A. Lewis, “Religious Right made big push to put Ashcroft in Justice
Dept.,” New York Times , January 7, 2001.
64 Steven Waldman, “Religious groups and service: Challenging America’s Faithful to do more for
the community,” Brookings Review . “Faith-based Initiatives,” CQ Researcher , May 4, 2001, vol.11,
no.17, pp.377-400.
65 久保文明「共和党の変容と外交政策への含意」久保編『G・W・ブッシュ政権とアメ リカの保守勢力
-
共和党の分析-』日本国際問題研究所、2003 年、2-33 頁
62
18
にかけて最も動きが大きい問題は中絶問題と同性愛問題であろう。ブッシュ政権下におけ
る、中絶問題と同性愛問題の「進展」は、国民からの支持を取り付けているのであろうか。
ブッシュの宗教的な側面は、どのように評価されているのであろうか。ブッシュはいかな
る面でどのような国民から評価されているのであろうか。これらの点を考えることで、現
政権がいかなる要因によって政策を選択しているか、明らかになる。
二〇〇三年秋には部分中絶禁止法案の議会通過と大統領署名が実現した。部分中絶禁止
法案は、その政策の実現が公益の増進というより特定の価値を有する国民に対する象徴的
なアピールを狙ったものであり、またその実現を働きかける主たる団体がキリスト教保守
派であることを考えれば、ブッシュ政権における保守派の影響力を図るひとつの有効な試
金石となろう。振り返ってみれば、初期中絶を認め、中期以降も州法に委ねた七三年にお
けるロー・ウェイド判決と、中絶に対する連邦補助金を制限した七六年のハイド修正案は、
中絶問題を核としてキリスト教保守派とリベラルがそれぞれ政治化し、文化闘争を激化さ
せるひとつの契機となった。 66
かつてリードも主張したように、中絶問題はカトリックとの共闘を実現しキリスト教保
守派の大連合を形成する上で、極めて重要な役割を果たす。中絶一般に関する禁止ではな
く、部分的中絶に関する禁止が戦略的に選択され、クリントン政権期において、九十四年
以降、二回に渡り法案が上程され、両院を通過したものの、大統領の拒否権の発動により
封じ込められた。また、〇〇年にネブラスカ、ステンバーグ・カーハート判決によって、
最高裁における裁判官の構成が保守派に不利な状況であることが明確に示された。 67
ブッシュ政権の成立は、少なくとも二つの障害のうち、一方を取り除くことに成功した。
六月に下院で通過した法案(HR760)は上院で三月に通過した法案(S3)と異なり、上院の法
案にあった「ロー・ウェイド事件における最高裁の決定は…適切であり、憲法上の重要な
権利を擁護するものである。…そのような決定が覆されるべきではない」との一文が存在
しなかった。 68 しかし、下院の修正案を九月に上院が否決したため、両院協議会が開催さ
れ、この一文は結局両院協議会で削除された。69 最終的に、十月に下院、上院を再通過し、
中絶問題の略史として以下を参照。Laura R. Woliver, “Abortion interests: from the usual suspects
to expanded coalitions,” Cigler and Loomis, op. cit , fifth edition , pp. 327-342.
67 Jon O. Shimabukuro, “Partial-birth Abortion: Recent Developments in the Law,” CRS Report for
Congress , October 3, 2003.
68 Robin Toner, “Measure banning abortion method wins House vote,” New York Times , June 5,
2003.
69 Shimabukuro, op. cit.
66
19
成立した。 70 ブッシュ大統領は上院の通過直後には歓迎の声明を発し、十一月五日に署名
した。 71 直後に同法を判例に沿って無効と考える判事の声明がだされ、無効を求める裁判
も起こされた。政府は法の執行を行うとしているが、最高裁判事の構成がネブラスカと同
じく五対四で依然としてリベラル有利であるために、今後の見込みが保守派に不利である
ことは間違いようが無い。 72 それ故に、保守派は裁判所システムの不完全性を訴える署名
活動なども展開している。他方で、州における保守派の影響も進んでいる。例えば〇四年
からテキサス州では医師へ中絶の意志を伝えた後、二四時間が与えられ、中絶のリスクと
代替手段、胎児の写真を含んだ冊子を読むことが義務づけられるようになった。 73
ゾグビー社と南メソジスト大学の共同研究では、五一%の国民が中絶の何らかの制限を
好ましく思う一方、四七%が中絶の制約に反対する。世論が概ね拮抗していることを示し
ている。 74 但し、選挙における細やかな票の掘り起こしを考えた場合、郊外の穏健な女性
票が離れる可能性も指摘されている。
また、〇三年は同性愛問題においても動きが大きかった。夏には、ニューハンプシャー
の聖公会僧侶として同性愛者であるジーン・ロビンソンが就任できるか問うた、ミネアポ
リスで開催された聖公会の全国大会に世論の関心が集中した。十一月には、マサチューセ
ッツ州最高裁が、異性間結婚にのみに結婚を制限する法を違法とする助言を州上院に与え、
同性間における結婚の可能性が大きく前進した。しかし、後で示すように世論が分断する
中、夏の時点では同性愛者の結婚問題を否定するものの憲法修正に関しては明確な答えを
与えていなかったブッシュ大統領も態度を転換し、十二月には憲法修正を辞さない旨を表
明、〇四年一月の一般教書演説においても「結婚の神聖さを守る」と宣言した。 75 その一
方で、〇四年二月にはマサチューセッツ州最高裁において、州上院による同性結婚に特別
の保護を与える案が再び退けられ、異性結婚と全く同様に扱うべきとの判断が固まり、同
70 Helen Dewar, “Senate Passes Ban on Abortion Procedure,” Washington Post , October 22, 2003.
Sheryl Gay Stolberg, “Senate approves bill to prohibit type of abortion,” New York Times , October 21,
2003.
71 “Bush signs ban on partial-birth abortions,” FOX News , November 5, 2003.
72 “Gov’t Promises to defend new abortion law,” Associated Press, November 7, 2003. “Suits filed
against partial-birth ban,” Associated Press , October 31, 2003. Jeffery Bond, “Partial-birth ban may
be hard to enforce,” FOX News , November 5, 2003.
73 David Pasztor, “24-hour abortion wait starts today,” Austin American Statesman , January 1,
2004.
74 Bill Lambrecht, “America’s political fault lines are growing deeper,” St. Louis Post Dispatch ,
January 10, 2004.
75 “Bush states shouldn’t change marriage,” CNN , January 20, 2004. “Bush would back
constitutional ban on same-sex marriage,” CNN , December 16, 2003. “Bush uncertain about gay
marriage ban,” CNN , July 2, 2003.
20
州において同性愛者は法的に結婚することが可能になった。 76 これを不可能にするために
は、合衆国憲法、又は州憲法の修正による対応を取る道しか残されていない。
同性愛問題に対して国民はいかなる態度を見せているか。ピュー社の調査では、同性愛
者の結婚に対して強く好意的、又は好意的な意見を持つ比率は九六年(二七%)から〇一
年(三五%)、〇三年七月(三八%)まで連続して増加してきた。特に主流派教会員とカト
リックの伸びが大きく、九六年と〇三年七月までで好意的な見解が約二〇%増加した。し
かし、ジーン・ロビンソン報道が連日報道された夏が過ぎ去った〇三年一〇月における調
査では、一転して否定的な見解が急増している。特に宗教に関わりの深いもので九%、平
均的なもので七%の増加を見せた。特に主流派とカトリックで一〇%程度否定的な意見が
増え、即ち同年七月までの好意的な意見は減少した。なお、福音派教会員は一貫して八割
以上が否定的な見解で、あまり変動していない。 77 同性愛問題に対する一般的な理解が進
展し徐々に肯定的な意見が増加したものの、ジーン・ロビンソン報道によって特定のイメ
ージと保守的な意見の表明が繰り返される中で、巻き返しが起きたと考えられる。共和党
支持者は同性愛に否定的な傾向が強いため、共和党候補の有利な材料として同性愛問題が
利用可能なことは間違いない。他方で、南部、非南部地域とも民主党支持者の約八割が民
主党候補が次期大統領候補になることを望んでいる一方で、同性愛問題で南部の民主党員
は保守傾向が強い。民主党支持者では〇四年一月の時点では好意的(五一%)、否定的(四
二%)と大差がないが、南部においては同性愛に対する反対が根強く(六五%)、好意的な
意見(二六%)を大きく上回る。 78
同性愛問題は中絶問題に比べて、より穏健な層も否定的な見解を持つ。その意味で、ブ
、、、、
ッシュ陣営が政策面でアピールを図るにはより安全 である。同性愛者のカップルは全米で
も六〇万組ほどに過ぎないが、彼らの権利保障問題はリベラルの価値を体現する。ディー
ン候補は反戦運動だけではなく、世俗勢力を代弁していた。 79 マサチューセッツ州選出の
上院議員であるケリー候補が、リベラル勢力の取り込みの観点から、同性愛問題に対して
いかなる態度を打ち出していくか、今後注視すべきであろう。
Charles Lane, ”Mass. Court backs gay marriage,” Washington Post , February 5, 2004. 但し、連邦
レベルでは結婚は異性間との定義があるため、連邦レベルの結婚したカップルに対する生活援助などは
受けられない。また、同州上 院は、結婚を異性間のみと定義する州憲法修正を準備し始めているという。
77 Pew Research Center, “Republican Unified, Democrats Split on Gay Marriage,” 11/18/2003. Pew
Research Center, “Growing Number Says Islam Encourages Violence Among Followers,” 7/24/2003.
78 Pew Research Center, “Democratic Candidates face Southern Voters,” January 30, 2004.
79 Franklin Foer, “Beyond Belief: Howard Dean’s religious problem,” The New Republic , December
29, 2003-January 12, 2004, pp.22-24.
76
21
ところで、ブッシュ政権の外交・安全保障政策の要であり、国際世論の関心を集める積
極的な介入主義とキリスト教保守派の支持は結びついているのだろうか。
「 宗教右翼のメン
バー」と答えた全体の一五%ほどのうち、イラク攻撃を支持する比率は七〇%、国民全体
の平均五九%よりは高い。また、
「宗教があまり重要でない」と答えた全体の一七%は攻撃
支持が四九%である。この部分だけに注目すれば、宗教の重要性を安易に指摘する結果に
なりかねない。しかし、例えば「新生したキリスト者又は福音主義者」の支持率は六四%、
「宗教が非常に重要」では六〇%、
「めったに教会に行かない」又は「教会に行ったことが
ない」は五六、五五%と続き、三%の誤差を考えれば説得力のある差ではない。教会への
礼拝に訪れる回数も同様にあまり差を生み出していない。 80 また、本稿が繰り返し紹介し
たギャロップによる宗教の影響力の増減に関する世論調査は、九・十一直後のみ増加傾向
に変化したが、その後は以前のように緩やかな減少傾向に回帰した。また、教会への礼拝
数も九・十一直後を除けば、以前のレベルに回帰している。 81 さらに、九・十一が神の裁
きである旨の発言をしたロバートソンは厳しい非難に晒され、コアリションの代表を退か
ざるを得なかった。 82 他方で、関連するブッシュ大統領の発言における宗教色は世論から
広い評価を得ている。「我々が謳歌している自由はアメリカが世界に与える恩恵ではなく、
神が人類に与えた恩寵だ」という発言に対しては、宗教に対する関わりが高い、中程度か
ら約七五%、低いものからも四九%の支持を獲得している。
ブッシュ個人の信仰が殊更に喧伝され 83 、過去における「キリスト者以外は天国に入れ
ない」旨の発言などがリベラルからの批判材料にされているが 84 、キリスト教保守派の影
80 Frank Newport, “Support for War Modestly Higher Among More Religious Americans,” Gallup
Poll Tuesday Briefing , 2/27/2003. Jennifer Robinson, “Faith and War: Conflict for Religious
Americans?” Gallup Poll Tuesday Briefing , 11/12/2002.
81
David W. Moore, “Americans’ View of Influence of Religion Settling Back to Pre-Sept. 11 Levels,”
Gallup Poll Tuesday Briefing , 12/24/2002. Paul Pamela, “True Believers,” American Demographics ,
September 2002, 24, 8, pp.42-45. Laurie Goodstein, “As Attacks’ Impact Recedes, A Return to
Religion as Usual,” New York Times , November 26, 2001, Section A, Page 1, Column 5.
82 B. Drummond Ayres Jr., “Robertson Resigns from his Christian Coalition,” New York Times ,
December 6, 2001.
83 ブッシュ Jr 個人の信仰に 関しては、差し当たり以下。
Howard Fineman, “Bush and God,” Newsweek
[U.S. edition], March 10, 2003, pp.22. Carl M. Cannon, “Bush and God: Is presidential profession of
faith still appropriate or productive?” National Journal , January 3, 2004, pp.12-18.
84 教義的には、この発言には全く問題はない。キリスト教では、罪を認め、悔い改めるものに対しては、
イエスが十字架にかかったことによって赦しが与えられ、裁きの時に、キリスト者のみが天国(神の国)
において永遠の命を得るとされる。もし、信仰の薄い者や全く信仰のないものまでもが天国に入れると
考えてしまえば、信仰の意義が失われてしまう。当然のことだが、基本的に宗教は排他的な思想を持た
ざるを得ない。問題は、多文化社会を統治する政治家としてこの発言が適切かどうか、に過ぎない。そ
の場合においても、この発言においては、現実の社会で選挙民(当時、ブッシュはテキサス州知事であ
った)に対して信仰に応じて不利益を生じさせるような政策を取ることを主張しているわけではなく、
あくまでも信仰の上で問題になる死後の世界についての発言であることを考えれば、思想、信教の自由
22
響力が観察される政策は、主として道徳観に関わる文化闘争の領域である。外交政策にお
ける政策選択はテロ後における特殊な状況に依存し、キリスト教保守派が介入主義の動力
源であるとの特定化ができない一方で、中絶問題と同性愛問題は国民の保守的な価値観に
直接訴えるための政策である。但し、イスラームに対する否定的な見解とキリスト教の結
びつき、若年者の信仰が増加傾向にあるは観察されており、今後の変化が懸念される。 85
の範囲内だろう。(無論、宗教票の動員につながった。)ある言説では、この発言が黙示録の解釈に拠っ
ているとしているが、必ずしも適切な指摘ではない。蓮見博昭「宗教的保守勢力とブッシュ政権」久保
編、前掲書、166-194 頁。 新約聖書を通じて、キリスト者のみが天国に受け容れられると主張されてい
る。さらに、無論のこと、悔い改め信仰を持ったキリスト者も受け容れられ、また信仰の薄い者を助け
ることもキリスト者の重要な責務とされていることから、この発想が差別的な見方に拠っているわけで
はない。なお、福音主義者が社会福祉活動ではなく、伝道に資源を集中して活動することの背景にも、
このような発想がある。
85 Pew Research Center, “Growing Number Says Islam Encourages Violence Among Followers,”
7/24/2003. Gallup, op. cit., pp.147.
23
結 びにかえて
宗教 と 政治 ・ 外交 、 そして多元主義
そして 多元主義
アメリカ外交において新たな積極主義が選択された原因を、ブッシュ大統領個人の信仰
に求める論説が多い。しかし、それを裏付ける証拠は無く、また演説における宗教的な用
語の登場とアメリカ外交の政策選択の背景は全く異なる。ブッシュ大統領の演説などにお
いて宗教的な概念が頻繁に登場することは、政策決定の主たる原因を宗教と結びつけるの
ではなく、演説においてそれらの概念を使うことが政治的に重要だと判断されていること
に注目して、キリスト教の影響力を分析することが必要だろう。国際政治を学ぶ者であれ
ば基本として理解していることが、先行する多くの論説では欠けているように思える。86 現
下の積極的な介入の背景には、冷戦終結後に力の分布が一極集中になったものの停滞して
いたアメリカの国際主義が、九・十一の衝撃によって「恐怖」という動機を得て、再び活
性化したことにある。冷戦において、なぜヴェトナム戦争が戦われたのか。その背景とし
て、共産圏の膨張を抑止し、同盟国の結束を保つという必要性がアメリカにはあったこと
は自明である。例えば、ジョンソン大統領も相応の信仰心を持ったテキサス州出身の大統
領であるが、ヴェトナムへの介入を彼の信仰に求めることはできない。イスラエルなど地
域紛争への介入にキリスト教の信仰から来る使命感が影響する側面は確かにある。 87 しか
し、国内政治と異なり制約要因の多い国際政治において、国家の政策選択は力の分布と安
全保障の確保が最優先される。むしろ、人道的介入など国益との関係の薄い地域への介入
を求めた勢力はリベラル勢力であったことにも注意したい。
現在の外交政策においても、クリントン政権期以降に観察されるように、宗教弾圧を理
由に中国政策など人権政策、中絶や避妊などを避ける理由で国連人口統制政策などに対し
てキリスト教保守派などが影響力を行使しようとする側面はある。人口に関する政策は相
応の影響を受けているが、中国政策などは九.十一以後の国際情勢の中で米中関係の安定
が求められる中で、沈静化している。対テロ協力の文脈で、アメリカは中国の人権政策に
差し当たり、以下。森孝一『「ジョージ・ブッシュ」のアタマの中身』講談社、2003 年。栗林輝夫『ブ
ッシュの「神」と「神の国 」アメリカ』日本キリスト 教団出版局、2003 年。なお 、ホワイトハウスなど
において聖書研究会などフェローシップの活動が公然と行われている点もキリスト教に対する警戒の文
脈の中で指摘されているが、それをもって政策判断においてキリスト教の影響が主体的な役割を果たし
ているとは到底言い得ない。なお、本稿は宗教学者の安易な政治分析を批判するが、公平さを期すため
にも、末尾に神学的な話を記した。
87 差し当たり、以下。Miles A. Pomper, “Church, not state, guides some lawmakers on Middle East,”
CQ Weekly , March 23, 2002, pp.829-831. ロバートソ ンや、現在は政治コンサルタント会社センチュリ
ー・ストラテジーの CEO であり、ジョージア州共和党首(chairman)のリードも イスラエル政策に対し
ては頻繁に発言し、またユダヤ系との結びつきを強めている。David Firestone, “Evangelical Christians
and Jews unite for Israel,” New York Times , June 9, 2002. Gershom Gorenberg, “the years in ideas:
Christian-right Zionism,” New York Times , December 15, 2002. Robertson, op.cit.
86
24
対する批判の色合いを確実に薄めている。高次の政治に対してキリスト教保守派が直接の
行動によって影響力を及ぼしているとは言い難い。例えばレーガン政権の戦略防衛構想(S
DI)の推進に関してもキリスト教保守派の影響が指摘されることもあるが、それは一因
にはなるとしても、主たる理由はレーガン自らが相互確証破壊に基づく核抑止体制に対し
て信頼感をあまり有していなかったことにある。政策アイディアの源泉も、ヘリテージ財
団など宗教とは無縁な保守系シンクタンクであった。政治判断の基礎に政治指導者の宗教
的道徳観を見いだしたとしても、それは政治生命の保全・存続と国家の安全保障達成に優
先されるとは思えない。無論、個人の認識の上である種のスキーマーとして宗教的価値観
が機能することは想定されるとしても、多くの閣僚と補佐官に支えられた政策選択の過程
で色濃く残っていくものは国内・国際政治両面における権力関係に過ぎない。また他方で、
例えば、ジョンソン政権期における偉大な社会政策は彼個人の信仰や経験も政策選択の一
因として指摘される。つまり、我々は、キリスト教の影響がどの政策分野に影響するか、
真摯に見定める必要がある。
キリスト教の政治に対する影響が国内政策に限られているとすれば、それはアメリカ社
会の多元性の正常な発露であり、その影響に対するリベラルなどからの揺り戻しもあるだ
ろう。同性愛者や政教分離主義者が数多くの団体を組織していることはその証左である。88
彼らの多くは、宗教的な保守派の政治化を諫め、政治の多元化や政教分離を殊更に強調す
る。または、保守派に対してリベラルへの寛容を説く。しかし、己の信ずる価値が他の価
値によって蹂躙されようとしている人々に寛容の精神を説くことは、少なくとも公正を欠
き、政治的リアリズムも欠如してはいないか。キリスト教保守派に堕胎を認めさせること
と同性愛者にその愛を捨てさせることに、当人たちにどれほどの差があろうか。誤解を恐
れずに言えば、
「政教分離」とは制度として両者を切り分けることであって、信仰やリベラ
ル・世俗的な信念を含む個々人の「価値」を拒否してしまえば、民主主義は成り立たない。
信仰の自由、思想の自由を基盤にした民主主義社会とは、絶対的な価値を信ずることを否
定するわけではなく、価値が制約を受けることなく表出される多元性を意味している。そ
の限りにおいて、宗教的な保守主義が政治の場で利益表出を強めることも否定的に解され
民主党支持層における世俗主義の隆盛をして、「世俗化した民主党」と呼ぶ論者もいる。Louis Bolce
and Gerald De Mail, “Our Secularist Democratic Party,” The Public Interest , Fall 2000. 彼らによれ
ば、2000 年の大統領選にお いてブッシュ候補のボブ・ジョーンズ大学訪問とゴア候補のリバーマン副大
統領候補指名はメディアに注目されたものの有権者の投票行動への影響は少なく、メディアが欠落して
いた世俗主義者と民主党の関係こそ注目すべきである。確かに、今後の学術的な研究が待たれるテーマ
であろう。
88
25
るべきではない。問題は、それらの政策が価値観の一方的な押しつけにつながる場合に、
少数派の自由が阻害されてしまうことにある。 89
しかし、
「原理主義」の脅威が殊更に喧伝され、宗教に対するある種の恐怖が高まり、世
俗的でリベラルな価値が着実に広まりを見せる中で、多くの論説は宗教全てを拒絶する「政
教分離」に近い立場を取り、宗教の価値を否定乃至相対化することで、リベラルな価値を
確保しようと試みているように思える。だが、そのような試みは、宗教間、又は宗教とリ
ベラルの共存を実現できるのだろうか。
それ故に我々は、多元主義とは何であったか、今一度確認することを忘れてはならない。
特に、宗教的多元主義の文脈では、我々はヒックを避けて通れないだろう。誤解を恐れず
単純化すれば、ヒックは、異なる宗教においても実は崇拝する神は同一ではないか、と考
えた。神は多くの名前を持つ!イギリスで生まれた者が神を崇拝するためにキリスト教を
信ずる一方で、他の土地に生まれた者は異なる宗教で、しかし同じ神を崇拝しているだけ
ではないか。エキュメニズムがキリスト教会内における分派を超えるための運動であった
とすれば、ヒックの宗教多元主義は宗教を超えた運動といえる。同じ神を崇めるのであれ
ば、異教に対して「寛容」にならざるを得ない。かくして、キリスト教の絶対性、排他性
は宗教の相対化によって乗り越えようとされる。ヒックの多元主義を子たるイエスに重点
本段落の主張に近いものとして以下。Hugh Helco, “The Wall that Never Was,” Wilson Quarterly ,
winter 2003, pp.68-82. ま た、本稿の主張とは一致しないが、社会秩序の問題と宗教を肯定的に捉え、
また宗教内部の自己批判に期待を表明しているものとして、以下。James Carroll, “Why religion still
matters,” Daedalus , summer 2003, pp.9-13.
なお、聖書は権力への服従も説いている。これは例えば中世西欧社会において、為政者から新教勢力
が弾圧された際にも、その苦難を受け容れるべきとする論理を形成した。安武真隆「『人道的介入』の政
治的ジレンマ」『法学論集』(関西大学)第 51 巻、 第 2/3 号(2001 年 9 月)。社会と の関わりに消極的な
教会は、このように権威への従順を説いた。
すべての人は、上に立つ権威に従うべきである。なぜなら、神によらない権威はなく、おおよそ存
在している権威は、すべて神によって立てられたものだからである。したがって、権威に逆らう者は、
神の定めにそむく者である。そむく者は、自分に身にさばきを招くことになる。いったい、支配者た
ちは、善事をする者には恐怖でなく、悪事をする者にこそ恐怖である。あなたは権威を恐れないこと
を願うのか。それでは、善事をするがよい。そうすれば彼からほめられるであろう。しかし、もしあ
なたが悪事をすれば、恐れなければならない。彼はいたずらに剣を帯びているのではない。彼は神の
僕であって、悪事を行う者に対しては、怒りをもって報いるからである。
[ローマ人への手紙 13:1-4]
しかし、もし為政者が「罪」を政治権力によって認めた場合には、どのように対応すべきかという問題
は残る。今日において、姦淫、堕胎、同性愛を始めとした伝統的に「罪」とキリスト教社会で考えられ
てきた行為が、世俗主義者だけでなく「リベラル」な価値を許容するキリスト者によって「罪」とみな
さない傾向が出始めたことは、より聖書に忠実であろうとするキリスト者にとって権力への服従を受け
容れがたいものにした。更には女性の社会進出の進展によって、伝統的な家族観も変容を迫られている。
虐殺の例は現代のアメリカ社会を言い表すには行き過ぎであるとしても、このような価値観の問題は残
る。本稿冒頭で紹介したような福音の伝道、さらに信仰の薄い者への忠告の義務というキリスト者の責
務が、権威への従順というもう一つの聖書の主張を退けることになる。
89
26
をおいてきた神学の、父なる神への回帰のプロセスであるとさえ述べる論者さえいる。 90
しかし、ここには少なくとも二つの問題がある。まず、宗教多元主義はいずれにせよ宗
教を超越した存在としての神を認めることで異教間の対立解消を図るが、それゆえに信仰
を持たない世俗的価値観との調和は図れない。次に、宗教を信仰するものにとって、その
信仰する存在が、まったく異なる宗教における神と同一であるとの主張は受け入れ難い。
例えば、全知全能の創造者である神又は三位一体の神と八百万の神が同一であると主張す
ることが、異なる宗教への敬意を互いに生むとは考えづらい。果たしてそれは「寛容」な
のだろうか。ヒックらの宗教多元主義の主張は、宗教学者の論争は置くとしても、少なく
ともキリスト者など諸宗教の信者の間に一般的な賛意を獲得しているとは言えない。
では、宗教における多元性の獲得をいかに実現するか。小川圭治が論じたように、カー
ル・バルトの神学は別の観点から宗教多元性の可能性を示唆しているように思える。 91 三
位一体である神の存在と意志は疑わないものの、それを信ずる人間の限界に気づくとき、
キリスト者は自らの排他的、絶対的な神の理解を疑う必要があるのではないか。そこに絶
対的でないものが入り込んではいないだろうか。絶対的なものには絶対的に関わり、相対
的なものには相対的に関わる、というバルトに強い影響を与えたキルケゴールの命題は、
神への畏怖と人間的な意志を峻別することの必要性を示している。例えば、宗教者や為政
者のもつ政治性が神の名の下に正当化されようとするとき、それを必ずしも絶対視しない
ことが求められる。
この命題はキリスト者にのみ関わる問題ではなく、より一般性もあろう。すなわち、宗
90 ヒックの宗教多元主義に関して、ここでは西欧の植民地支配に対する反省から多元主義の必要性を説
く論理が鮮明な以下を特に参照した。ジョン・ヒック「キリスト教の絶対性の超克」ポール・F・ニッ
ター他編(八木誠一他訳)『キリスト教の絶対性を超えて』春秋社、1993 年、41-80 頁。ヒックの代表
的著作は以下。J・ヒック(間瀬啓允訳)
『神は多くの名前をもつ』岩波書店、1986 年。J・ヒック(間
瀬啓允訳)『宗教多元主義』法蔵館、1990 年。ヒック の多元主義論は、例えば遠藤周作の『深い河』に
強い影響を与えている。ヒック批判を含めた宗教多元主義、排外主義と内包主義などについて論じたも
のとして、差し当たり以下。古屋安雄『宗教の神学』ヨルダン社、1985 年。岸根 敏幸「宗教多元主義が
提起するもの─グローバル化の時代に向けて─」『西日本宗教学雑誌』第 25 号 (2003 年)。岸根敏幸『宗
教多元主義とは何か』晃洋書房、2001 年 。田丸徳善、山梨有希子、星川啓慈『神々の和解―二一世紀の
宗教間対話』春秋社、2000 年。なお、ヒックは多元主義以外に、排外主義と内包 主 義 が あ る と し た が 、
その文脈から世俗的でリベラルな価値観と宗教の対話を論じた文献として、以下。鈴木有郷「公的領域
における意志決定のプロセスとキリスト教 -70 年代 以降のアメリカを焦点に」『キリスト教と文化』
(青山学院大学)、27-42 頁 。なお、ヒック以外にも宗教的多元主義は存在しており、異教をありのまま
受け容れようとする立場もある。
91 小川圭治「宗教多元論と神の絶対性」古屋安雄編『なぜキリスト教か』創文社、1993 年、67-92 頁所
収。バルトは、差し当たり、以下。カール・バルト( 小川圭治他訳)
『ローマ書講解』平凡社、2001 年。
絶対的なものには絶対的に関わり、相対的なものには相対的に関わるという命題はキルケゴールの『哲
学的断片へのあとがき』から取られているが、主著『死にいたる病』でも記されている。神と人間の差
別化という「真理」は、バルトらの神学に継承された。S・キルケゴール『死にいたる病』中央公論新
社、2003 年、219 頁。なお 、バルトは福音主義者には得てして人気がないように思える。
27
教と政治の関わりを考えるとき、我々に求められることは、宗教を排することでも、宗教
を相対化することでもなく、宗教と宗教の中から人間的に生まれてきたもの、絶対なるも
のと相対なるものを区別し、人間的で相対であるべきものを不断に監視することではない
か。その前提として、我々は信ずる価値観に対して傲慢になってはならないのである。神
学的で複雑な話であるが、少なくともこれだけは強調しておきたい。相対であることが「寛
容」であるという前提は、いかなる神であれ、それ(ら)を信ずるものを説得できる概念
には成り得ない。宗教の本質的な部分は「あれかこれか」、つまり排他性であり、信じるも
ののみが救われることである。それ故にこそ、それぞれが信ずる神(々)又は価値の絶対
性を認めつつも、そこから派生する人間的な意志を区別し、批判することこそ必要なのだ。
このような宗教多元主義の議論はあくまで神学の領域から生まれてきたものだ。しかし、
政治における多元性はいかにして獲得できるか、と思いを巡らしたとき極めて示唆的では
ないか。自らの信仰を絶対化する排外主義、またその究極的な形態としての宗教原理主義
(乃至根本主義)は忌むべきもの、という単純で対立的な議論に代わる、ひとつの可能性
を、この議論は提示している。 92
マーティン・マーティは今日の世界を「宗教と世俗の入り交じった(religio-secular)」も
のと評した。 93 価値観の世俗化に対して根本主義が対立しているだけでなく、世界大でキ
リスト教とイスラム教を信じる人口が急増し、先進工業国においても精神性を求めて様々
な宗教思想が流行している。だからこそ、共存、共生の希望をどこに託すかが重要な問い
である。どこまでが絶対的価値か、どこからが相対的な価値か。その判断は極めて難しい。
しかし、相手の価値を蹂躙せず宗教的に共存することを夢見たとき、我々に残される選択
肢は人間の限界を知ることしかないように思える。また、絶対的な宗教上の価値に関して
は、それを直接に変えさせることはできないし、すべきではない、という冷静な認識も持
つべきだろう。
この一点においては、本稿の視点も森が「リベラル」な理解として提示したものと大差はない。しか
し、問題に対するアプローチなどに相応の差があると思う。森孝一「「宗教国家」アメリカは原理主義を
克服できるか?」『現代思想』2002 年 10 月号、103-115 頁。
93 Martin E. Marty, “our religio-secular world,” Daedalus , summer 2003, pp.42-48.
92
28