早いもので 2 月も中旬に入りました。さて,これ は何の写真でしょう

平成 28 年 2 月 16 日
校長便り
寺山喜久美
早いもので 2 月も中旬に入りました。さて,これ
は何の写真でしょう?卒業を間近にした 6 年生が,
学校クリーン大作戦を展開しています。普段目につ
かない所を徹底的にきれいにしてくれています。
広い体育館やトイレの冷たい水掃除など,他の子
どもたちには見えないところでせっせと校舎を磨い
て卒業していこうとしています。
「立つ鳥あとを濁さ
ず」立派な 6 年生の姿に頭が下がります。
早いもので,来年の新 1 年生 11 名が入学説明会に保護者と一緒にやって来ました。
説明会の最中は,現1年生が一緒に楽しく過ごしてくれました。1 年たつと素敵な先
輩になるものだなあと感心しました。
(昨年,説明会に来たときは図書室を爆走して驚
いたのがウソのようです!)
説明会では,入学にあたっての具体的なお話を各担当からさせていただいたのです
が,私は最初の5分だけ挨拶の時間をもらいました。その時のお話を紹介します。
―前略― 私も 20 年前,子どもが初めて小学校に入学するときとてもド
キドキして不安だったことを思い出します。今,その子育てを振り返って…皆
さんにお伝えしたいこと,お勧めしたいことが一つあります。私は 26 年間子
育てをしてきて,〇〇を子どもに与えることができませんでした。それは,と
ても簡単で,とても難しいこと。でも,子どもを優しくたくましく育てていく
上で一番大切だったのではないかと思うのです。それを与えてやれなかった,
自分自身の子育てを振り返ると,今でも懺悔の気持ちでいっぱいになります。
さて,皆さん,子育てにおいて大切なこと,何だと考えられますか?
きっと,それは,人それぞれでしょう。「愛情」…もちろんです。
私が,息子にやれなかったもの,それは「笑顔」
です。私には 80 歳近い母親がいます。仕事から帰った時,母
の顔を見ます。不機嫌そうに暗い表情をしていたらとても気になります。
「何かあったのかな?」
「どうしたんだろう?」この年になってもとても不安
な気持ちになって,自分まで暗い気持ちになったりふさぎ込んでしまったりします。
逆に,笑顔で楽しそうにしていたらほっとして仕事の疲
れを癒すことができます。不思議なものです。
(母の笑顔
は私の心の安定剤です。)
著名な教育者の本で読んだことがあるのですが,母親が
いつも笑顔でご機嫌だと子どもの情緒が安定し,少々困難
なことにぶつかってもそれを乗り越えてたくましく生きて
いくことができるのだそうです。
いつも仕事でキリキリしていた私は,息子の前でいつも不機嫌そうな顔をしてい
たと思います。なぜ,
「笑顔」をたくさんやれなかったのだろう。なぜ,こんな簡単
なことが 26 年間分からなかったのだろう。私が「笑顔」でいてやれば,息子はも
っと安心して,安定してたくましく生きていけたのではないだろうか。
今となっては,取り返しのつかないことです。でも,皆さんは子育て真っ最中
本当に羨ましい限りです。応援しています!「笑顔」それは簡単なことではありま
せん。でも,とってもお勧めします!
ここまで読まれたら,では,私
の息子はどんな悲惨な人生を歩ん
だのだろうと思われる方もおられ
るかもしれません。安心してくだ
さい!
私に代わって,母が毎日,息子
の帰りを笑顔で迎えてやってくれ
ていたのです。それが唯一の救い
でした。
学校から帰った時,笑顔で迎え
てくれる人が一人いれば,子どもは救われるのだそうです。(もちろん,親が後から
帰る場合も。)笑顔が素敵なのは「お母さん」でも「お父さん」でも,
「おばあちゃん」
でも大丈夫!!その人の笑顔を見れば,学校であった嫌なことも辛いこともふわっと
飛んで,心が安定して,そして,また,元気と勇気を出して小さな社会の中で戦うこ
とができる,そんな人が必要なのだそうです。
私はその「笑顔」を息子にやることができなかったこと
を心から悔いています。
そして,私の代わりに「笑顔」を注いでくれた母に心か
ら感謝しています。
どうか,皆さんのお子さんが誰かに,たくさん
の「笑顔」をもらえますように。
40 歳の頃のことでした。この仕事を辞めようかと思ったことがありました。そ
の時手にしたのが,関根正明さんの「
『教師を辞めたい』ときに」という本でした。
(実話が掲載されています。
)その中の一話を紹介します。
北原敏直君は筋ジストロフィー症の子でした。筋ジスはご承知のように難病中の難病
と言われています。今でも原因もわからず治療法もないと言われる難病です。小さいと
きに発病し,多くの人が 20 歳くらいで死んでしまうと言います。
(寺山註:20 年前の話
ですので,現在は医学の急速な進歩によって様々な治療法が試みられています。)
北原君は小学校 4 年生の時発病し,あちこちの病院を転々としたのですが,どこへ行
っても治療はおろか,リハビリもはかばかしくありませんでした。医師も看護師さんも,
家族の人は,病気のことを北原君には知らせませんでした。でも,北原君は中学生にな
って自分の病気を知るようになったと言います。
彼は考えたのです。
「どうして,自分だけがこんな病気になったのか。なぜ,こんな病
気があるのか。自分など生まれてこない方がよかったのだ。母はなぜ自分などを産んだ
のか。こんなに苦しく,こんなに痛く,こんなに恥ずかしい病気,食べることも排泄す
ることも,みな,お母さんや看護師さんの手を借りなければならない。
こんな恥ずかしい思いをして,自分は世の中に何の役にも立たないで死んでしまう。
親に迷惑をかけ,看護師さんに迷惑をかけ,さんざ苦しんで死んでしまう。僕の人生な
んて,どんな意味があるのだろう。そう思うと情けなくて情けなくて,泣いてばかりい
る,そういう毎日なのです。
ぼくがいるから,周囲の人に迷惑をかける。僕は迷惑をかけるために生きているよう
なものだ。悩みに悩んで彼はとうとうある方向に向かっていきました。こんな僕など死
んだ方がいい,そうだ,僕なんかは早く死んだ方がいい…こうして彼は早く死ぬことば
かり考えた,というのです。
しかし,自殺すると言っても身体を動かすこともできないのです。手足がきかないの
です。そして,結局,断食,食べ物,飲み物,一切を拒否して死のうと思うのでした。
その日から敏直君はかたくなに口を結んで,一切のものを口にしなくなりました。そ
うでなくとも衰弱している彼はみるみる衰弱してしまいます。
お医者さんは点滴で栄養補給します。お父さんもお母さんも気が気ではないわけです。
どうして食べないのか,どうして飲まないのかと,責めたり叱ったりします。その声に
敏直君は目と口をかたくなに閉じているのです。
三日目の朝と聞きました。その朝もお母さんが,「一口でいいからスープを飲ん
でよ。」と差し出す吸い飲みを拒否しているのです。その彼の頬と襟首に熱いもの
がポタポタッと落ちたと言います。彼は反射的にハッとして目を開けてしまった。
そこに自分の目の前で,涙をいっぱいためたお母さんの顔があったのです。その瞬
間,北原君は,「あァ,僕は,もうこれ以上お母さんを苦しめることはできない。」
と感じたそうです。
彼はそう思うと,心の中で,「お母さん,ごめんなさい!」と叫びながら,口を
開けたのです。その口にお母さんは吸い飲みの口を差し込んで,少しのスープを入
れてくれた。乾いた口にスープが流れた。おいしかった。びっくりするほどおいし
かった。それだけでなく,彼がびっくりしたことは,いつもは無口で大きな声など
出したことのないお母さんが,生まれて初めてというような大きな声を出した。
「看護師さーん,この子がスープを飲んでくれたわよォ!」お母さんは涙をポタポ
タこぼして喜んでくれた。向こうから看護師さんが 4,5 人,ドタドタドタッとい
う感じでやってきて,みんなが「あァ,よかった,よかった!」と喜んでくれた。
看護師さんは涙をこぼして喜んでくれた。
そういう出来事から,北原君は感じ取るのです。「あァ,こんな身体の僕でも,
僕が一日でも二日でも,頑張って生きることがお母さんの喜びなんだ。看護師さん
たちの喜びなんだ。」
「こんな僕でも人を喜ばせることができる!」と北原君は感じ
たのだそうです。
そして,それからは,どんなに苦しくとも,どんなに痛くても,どんなに恥ずか
しくても,僕は頑張って生きるのだと,彼の気持ちが変わっていったのです。
人が生きるということは,自分が生きるということだけではない。自分
がよく生きるということがどれだけ周囲の人を幸せにしていることか。自
分がふてくされて生きていることが,どれだけ周囲の人々を悲しませてい
ることか。自分はいろいろな人によって生かしてもらっているだけではな
く,自分もまた,周囲の人々を生かしているのです。
★この「あとがき」を読むと,自分自身の在り方を考えさせられます。そして,
また,前向きな気持ちを取り戻すことができます。今月も,最後まで読んでいた
だき,どうもありがとうございました。それでは,また次号で。