ベルギー・オランダへの手作り旅行

ベルギー ・ オランダへの手作り旅行
オランダのアムステルダムには33年前に2年間駐在した
場」と讃え、ジャン・コクトーが「絢爛たる劇場」と表現し
経験があるが、今回は家内の英会話教室の仲間3人がベル
たグラン・プラスに繰り出した。広い石畳の広場には世界中
ギー・オランダの旅をしたいとのことで、計画立案とガイ
から観光客が集い思い思いに回りの建物を見上げている。小
ド役を買って出た。一般には多くのパッケージツアーが組
さなレストランから音楽が聞こえたので中に入ったら2人の
まれているが、我々は航空機とホテルの予約から観光先の
男がギターとハープをバックに声を張り上げていた。今回の
選択、移動手段等の全てをインターネットと観光ガイドブッ
旅行の初日はここで夕食をとることにした。
クを頼りに調べ、全てを手作りで実施した。熟女4人を引
翌日は市内の定番コースを徒歩で廻る事にした。先ずは
き連れて自分達の行きたい所を選んで自由気ままな旅をし
昨晩行ったグラン・プラスに戻り王の家で各国からの贈り
たが多くの予期せぬハプニングが起こる楽しい旅であった。
物である小便小僧の衣装を見に行ったら日本からは鎧兜と
着物が飾られていた。そして持ち主本人、小便小僧を見に
ウィーン経由でベルギーのブリュッセル入り
行ったらカウボーイ姿で佇み、シャーシャー音を立てて噴
計画を練っている内に時間が経ってしまい直行便が取れ
水を出していた。
ず行きも帰りもオーストリア航空でウィーン経由になって
次に芸術の丘を通り抜け王立美術館に行ったが正面は改
しまった。その代わり飛行機代は10万円以下で収めること
築中で閉鎖されていて建物を半周戻ってしまった。15、16
が出来た。ブリュッセルの飛行場には夕方7時過ぎに到着し
世紀の絵画が年代順・作者別にきちんと並んでいて大変見
たがパスポートコントロールを経由しないで荷物の受取り
易かった。日本からのツアー客も多く、知り合いの添乗員
場に来た。ウィーンで入国手続きのスタンプを貰ったので
にばったり通路で出会ったのにはビックリした。ここでは
EU 圏内は国境を通過する際にパスポートの提示が必要な
フリューゲル父子の作品をじっくり見ることが出来た。柵
くなったのだ。通常のツアーであれば添乗員の言われるま
やガラスの障害が無く間近で見られるのが有り難かった。
まにのんびり行動すれば良いが今回はそうは行かない。ト
ガイドブックと地図を頼りに王宮を目指していたが道に迷
ランクの受取りから市内への移動全てを自分達だけで行わ
い回り道をして建物をやっと見つけた。ベルギー国旗がはた
なければならない。いよいよ手作り旅行の始まりである。
めいていたので国王は国内に居るらしい。後ろ側のブリュッ
セル公園を散歩してから楽器博物館の屋上で昼食を摂ること
にした。天気が良かったので一段高い屋外のテーブルを確保
した。メニューを見てもさっぱり解らず隣の外人達が美味し
そうに食べているサンドイッチを注文した。1つ1つが大き
いので3つを5人で分け合って丁度良かった。
グラン・サブロンのアンティークを物色した後、大きな
建物が見えてきた。ベルギーのブリュッセルは地理的にヨー
ロッパの中央であり EU の本部も置かれている為だろうかこ
の建物は世界一の大きさを誇っている裁判所だそうだ。現
在外装をクリーンアップ中で最上部に矢倉が組まれている。
同行の一人は建築関係の仕事をしており世界遺産にもなっ
同行者4人に囲まれて
たオルタ美術館を是非見学したいとの希望で予定のコースを
更に南に足を延ばすことにした。地図にある道路名を確認し
ブリュッセル市内観光
ながら歩き続けるが中々到着しない。皆疲れていそうだが文
予約した Meridian Hotel はブリュッセル中央駅の真ん前に
句一つ言わずに歩き続ける。何分くらい歩いたか解らないが
あり横断歩道を2回渡るだけで無事到着しチェックインを済
不安になってきたので地元らしい人に聞いてみた。
「次の信号
ます事が出来た。早速ビクトル・ユーゴが「世界一豪華な広
を左に曲がったら右側にあるよ」との言葉でほっとした。こ
SEAJ Journal 2006. 7 No. 103
57
こ は ア ー ル・ ヌ ー
と同じ列車になり混み合っていたが5人揃った座席を確保す
ヴォーの巨匠とし
ることが出来た。車窓からはのどかな田園風景が続き途中で
て有名なオルタ
2、3回停車しただけでブルージュに到着した。駅前からは
(1861-1947年 ) の
殆どのバスが街の中心であるマルクト広場に行くと案内され
住まいだが仕事場
乗り込んだ。それらしき所で下車して地図を見ながら観光案
にもしていた建物
内所を探した。INFORMATION を意味する“i”のマーク
で あ る。 間 口 は12
を頼りに歩き回ったがなかなか解らなかったがやっと地図と
mと狭いが奥行き
自分の立っている場所が判明した。結局駅からのバスを降り
は40m も あ る 細 長
た所まで戻って、マイクロバスに乗り1時間近く主な観光ス
い変則四階建てで、
ポットを巡ることが出来た。5ヶ国語の案内の英語部分に耳
沢山の人が同時に
を傾けてヒアリングの演習をした気分だった。
は入れないので入
口 で 待 た さ れ る。
美術館と言っても
美術品が飾ってあ
ライトアップされたグラン・プラス
る訳ではなく鉄や
ガラスなどの素材
で植物と昆虫をモチーフとした曲線で構成されたアール・ヌー
ヴォー的意匠を取り入れた邸宅そのものが鑑賞に値する。
帰りは高級ブティックや一流ブランドの店が並んでいる
ルイーズ広場までトラムを利用することにした。何番のト
ラムに乗ったら良いか道行く人に訪ねたら日本語で返事が
返ってきたのにはビックリした。ワッテルロー通りをぶら
つき“お茶”をした後、地下鉄を乗り継ぎイロ・サクレ地
区に戻り夕食をすることにしたが切符を買うのに一苦労
鐘楼から見下ろすブルージュのレストラン
だった。5人分纏めて買う方法が解らず1枚1枚買ってい
そ の 後、83m の 高 さ を 誇 る 鐘 楼 の ラ セ ン 階 段366段 を
たら最後の5枚目で機械が故障してしまった。仕方なくも
登り街並みを一望した。47個総重量27トンもするカリオ
う1枚を別の機械で買って最初の地下鉄に乗り込んだ。乗
ンの音が耳元に響き渡った。運河沿いの有名な Hotel De
換駅は ARTS-LOI であるが KUNST-WET とも書いてある。
Orangerie にチェックインしてアフタヌーンティーのサー
オランダ語とフランス語の併記であるとは想像が付くが全
ビスをして貰った。疲れも取れたところで再び街に繰り出
く異なる名称であるのには戸惑うばかりである。やっと目
し、聖母教会からペギン修道院まで散歩をした。帰り道に
的の DE BROUCKERE 駅に到着したがイロ・サクレ地区
飲み物とケーキを買ってきて部屋で食べた。夜は小雨になっ
に辿り着く迄にはさんざ迷ってしまった。
たがホテルの傘を借りてウィンドーショッピングとライト
元気の良いお兄さんの呼び込みに誘われて道端のテーブ
アップされた運河沿いの建物を写真撮影に出掛けた。
ルに着き名物のムール貝や魚料理を注文した。道行く人を
誘い込むのに一役買い一緒になって声を掛けて時間つぶし
ゲントに途中下車
をしていたら食事が運ばれてきた。食べ残す位の量のムー
翌日はブルージュからブリュッセルに戻るほぼ中間点で
ル貝には満足したが想定外に高額な勘定書きを見せられて
あるゲントに途中下車した。駅からトラムで街の中心地で
ビックリした。ムール貝の単価を注文番号だと言ったり、
あるコーレンマルクト広場に向かった。前に座っていたビ
ワインの銘柄を指差し高級なのだと言ったり、我々異国の
ジネスマンと一緒に広場へ降り立ったら親切に観光案内所
観光客をだましたのに間違いない。後味の悪い一夜だった。
へと導いてくれた。鐘楼に登り町全体を眺めた後、聖バー
フ大聖堂に行き「神秘の仔羊」を鑑賞した。ファン・アイ
「橋」 の街、 ブルージュへ
ク兄弟による15世紀フランドル絵画の最高傑作と言われて
ブリュッセルのホテルに大型トランクを預けて列車で50分
いる。14枚の絵で構成された3連祭壇画は細部まで精密に
のブルージュへ一泊旅行をした。帰りには途中下車してゲン
描写されている。音声ガイドは日本語もあり詳しく説明さ
トに寄るがブリュッセル・ブルージュ間の往復切符を買い込
れるのは助かるが宗教的な説明の部分は解りにくかった。
んで列車に乗り込んだ。ボーイスカウト姿の小中学生の団体
その後ボートに乗り市内巡りをした。太った船頭がオラン
58
SEAJ Journal 2006. 7 No. 103
ベルギー ・ オランダ周遊記
に入ってもらい自分だけ一般席に陣取ることにした。列車
内は比較的空いていてアントワープ、ロッテルダムを過ぎ
アムステルダムに近づくとチューリップ畑と思われる赤・
黄・紫と色とりどりのパターンをした田園風景が見えてき
た。予定より1時間半遅れではあったが無事アムステルダ
ム中央駅に到着することが出来た。
ホテルのチェックインで英会話力発揮
降り立ったのは駅前から最も離れたホームだったのでホ
テルまでの道のりはブリュッセルの時よりかなり遠かった。
帰国の際にはスキポール空港まで列車でも行かれるがこの
ゲントのギルト
道順を二度と使いたくないと思った。
ブリュッセルのホテルでもチェックイン後に二度三度ハ
プニングがあり部屋を変更したが今回もスムーズには行か
ダ語、フランス語そして英語で立て続けに喋り捲るので英
なかった。我々夫婦の場合は初めに与えられた部屋があま
語の部分を聞き逃さないよう苦労した。挙句の果て先頭で
りにもタバコ臭かったので変更を願い出た。快く応じてく
タバコをスパスパやり始め、煙いのには参ってしまった。
れたのは良かったが代替の部屋に行くのには迷路のように
ブリュッセルに再び戻りガイドブックに掲載されている
入り組んでいて分り難かった。(部屋番号は222で覚えやす
イタリアレストランでブイヤベースとコロッケを食べた後、
かったが)一方、3人組の部屋は2階で見晴らしが悪く直
街頭で買ったベルギーワッフルを頬張りながら真っ青な夕
ぐそばの部屋から覗かれてしまうとの事だった。3人は日
闇をバックにライトアップされた市庁舎を眺め最後のベル
頃勉強している英会話を駆使して交渉に当たった。対応し
ギーの夜を過ごした。
た窓口の女性ではらちが明かずマネージャーを呼び出し漸
く満足の行く部屋を確保することが出来た。
オランダのアムステルダムへ移動
四泊したベルギーを後に今日はアムステルダムに移動す
アムステルダムの運河巡りとナイトライフ
る。大きなトランクを各自駅前ホテルから再び横断歩道
運河を巡る観光ボートは過去に何回か乗船したが今回初
を2回渡って中央駅舎に入る。前日に下見した通りにエレ
めて中央駅の裏側に行った。東京駅を思い浮かべる正面の
ベーターを2回乗り継ぎ5番ホームに向かった。ところが
建物の景色とは全く違い、海側いや湖側から見る駅舎は長
予定の8時25分発の列車の表示が無い。アムステルダム行
方形でガラス張りのシンプルな形をしていた。ユニークな
きのホームは昨日駅員に聞き確かめた筈だが――。発車時
形のフェリーボートが対岸と行き来して広々とした海の様
刻も迫って来たので日本で事前に手配した Thalys 国際特
に見えた。ここは勿論海面より低く1920年から約12年の歳
急の座席指定しかも一等車のチケットを手に窓口に聞きに
月を費やして大きな石を積み重ねて造った32mの大堤防で
急いだ。
「この列車は MIDI 駅発なので4番ホームの列車で
仕切られているのが不思議に思われる。引き続き市内の運
隣の駅に行きなさい」との事だった。
「え ? ここから出発す
河を巡り、アンネの家を右に見ながら中央駅に戻ってきた。
るんじゃないの !?」ブリュッセルには中央駅以外に北駅・
王宮までぶらりと散歩に出掛けた。まもなくユリアナ前女
南駅と3つもあるのは知っていた。MIDI は CENTRAL だ
王の誕生日が祝われる筈だが王宮前の広場は騒々しいモデ
と思っていたらフランス語では中央・北・南はそれぞれ
ルカーや観覧車やメリーゴーランドが動き回っていた。
CENTRALE, NORD, MIDI と言うことが帰国後に解った。
帰りがけにコンビニとパン屋で軽食を仕入れホテルで腹
急いで MIDI 駅に行ったが予定の列車は残念ながら時刻
ごしらえをした後女性達は東京で出発前にインターネット
通り出発してしまった後だった。切符売り場に行ったら「次
で予約購入しておいたオペラ鑑賞に向かった。自分は単独
の Thalys 国際特急は3時間後だが普通列車が1時間後に中
でのんびりアムステルダムの夜の街に繰り出した。その界
央駅から出るし所要時間も10分位しか違わないよ」と慰め
隈をぶらついている日本人は殆ど居ないが、時代を反映し
られた。憧れの Thalys 国際特急は諦め再び中央駅に戻り普
てか中国人が多い感じがした。
通列車に乗ることにした。階段を重いトランクを担ぎ上げ
汗だくで列車に乗り込むと6人掛けの個室が2つ付いてい
キューケンホフ公園へお花見
た。一方の個室には1人既に乗車しており聞いてみたら自
今回の旅行の最大の目的はキューケンホフ公園にチュー
由に使えるとの事だった。トランクもあるので4人は個室
リップを見に行くことだった。ホテルには色々なツアーバ
SEAJ Journal 2006. 7 No. 103
59
スの案内書が置かれていたが我々は日本を出る前に計画し
とする一幕であった。
ていた通りの電車とバスを乗り継いで行くことにした。ア
後ろ髪を惹かれる思いで公園を後にして本日のもう一箇所
ムステルダムからライデンまで30分毎に電車が出ていた。
の見学予定地であるデン・ハーグに向かうべく再びバスに乗
ライデンに着いたら駅前に案内所がありバスと公園の入場
り込んだ。ライデンに戻りデン・ハーグまで列車で15分。駅
券がセットになっているのが売っていた。20分位待たされ
前を真っ直ぐビネンホフ(国会議事堂)に向かう。その隣に
たが乗客は我々以外チラホラでありシーズンオフかと少し
目指すマウリッツハウス王立美術館があった。入口は狭く道
不安がよぎった。公園が近づくと付近の畑には色とりどり
路から一段下がっていた。イタリア絵画の特別展が同時開催
の花が絨毯を敷き締めた様になっていた。良く目を凝らす
なのでガイドブックに書いてあった入場料より少し高かっ
と全てがチューリップではなさそうで水仙、ヒヤシンス、
た。特別展の見学は急いで通過し青いターバンを巻いた「真
ムスカリ等の様だ。やっと公園の入口に到着したが驚くこ
珠の耳飾りの少女」を目指した。このフェルメールの作品以
とに入場券を買うのに長蛇の列だった。駅前でセットのチ
外にオランダ・フランドル絵画の珠玉の名作が揃っていて混
ケットを買ったのは正解だった。チケット売り場を横目で
雑も無くゆっくり鑑賞が出来満足な一日だった。
見ながら待たずに入場できた。ストリートオルガンの音が
聞こえ、オランダの民族衣装を身に着けた大柄な女の子に
クレーラー ・ ミュラー美術館へ自転車で
迎えられ色とりどりの花が咲いている公園を歩き始めた。
ゴッホファンなら誰でも知っている有名な美術館である。
処が同行の2人から小声で「立川の昭和記念公園の方が綺
但し、アムステルダムから列車で1時間掛かりオランダ最
麗だったわね」との声が耳に入った。折角高い金を掛けて
大の国立公園の中にぽつんと建っている。33年前の駐在時代
遠くまで来たのになんと言うことだ!。
「あっちに風車があ
自家用車で行ったことはあるが列車・バスでは行ったことが
るよ、行ってみよう」
「立川には風車はなかったろう」と言
無い。かなり不便な所とは思っていたが自転車を漕いでいく
いながら公園の中間地点まで行き昼食にした。辺りには日
羽目になるとは思っても見なかった。最寄りの駅エーデに
本人観光客は居ない。皆外国人だ。
(我々も外国人だが)ビー
は順調に到着し公園に行くバス停も直ぐ解った。ところがバ
ルを飲みながらサンドウィッチを食べ太陽の光を浴びなが
ス券を買う方法が解らない。近くにタクシーが居たので利用
ら辺りのヨーロッパ人を見ながら「ここは立川とは違う、
しようかとも思ったが5人組では1台には乗れず割高になる
オランダだ!」と自分に言い聞かせ周りの花を見渡す。ム
のであきらめた。バスのチケットは駅の改札ではなくホーム
スカリの紫をバックに赤・白・黄色のチューリップが綺麗
のキオスクで売っていることが解った。5人分の往復を買っ
に咲いている。売店で買った Keukenhof と刺繍がしてある
てバス停に戻ったが50分も待たねばならない。待ってる間に
緑の帽子を被り園内を再び歩き始めた。暫く歩くと起伏に
暇つぶしをしている老人と話をした。日本から来たと言った
富み大きな樹木が聳え立ち、大きな池もあり、噴水もあった。
ら、日本は昔鎖国をしていて「出島」と言うところでオラン
「この景色は立川には無いだろう!」一同「綺麗、素晴らし
ダと唯一の貿易をしたとか、東京オリンピックでオランダの
い、さすがキューケンホフ!来て良かった。
」の笑顔にほっ
ヘーシングが柔道で日本人を負かしたとか話が弾んだ。やっ
とバスが来たので昔話を話した老人と別れを告げ乗
り込んだら我々以外には犬を連れた地元の女の子し
か乗ってなかった。農村地帯の村を通過すると家々
にオレンジの旗がはためいている。乗り合わせた女
の子に聞くとオレンジ色はユリアナ前女王を意味し
誕生日を祝っているそうだ。30分位で美術館入口に
辿り着いた。更に15分ほど歩きゲートに着いたらこ
こは美術館の入り口ではなく国立公園の入口だった。
入場券と共に国立公園の地図を買ったが車と自転車
と人の歩く道が記入してあった。ところが美術館ま
では到底歩いていける距離ではない。美術館まで乗
り入れているバスは暫く来ない。見れば園内に沢山
の自転車が置いてある。どう考えても自転車で行く
しか方法は無い。
(雨でなくて良かった)日本の自転
車と違いハンドルにはブレーキが無い。漕ぐのを止
め反対に踏み込むとブレーキが掛かることは知って
キューケンホフ公園のチューリップ
60
SEAJ Journal 2006. 7 No. 103
いたが自分で運転した経験は無い。結構戸惑う。そ
ベルギー ・ オランダ周遊記
うするのか?疑問が湧いてきたが船は悠然と過ぎ去っていっ
た。その様子をビデオカメラで撮影していたら通過する自転
車から通学途中の学生達が手を振ってくれた。風車は3基並
んでいて一番手前の風車は大きな材木を板材にするべく6枚
平行に並んだ大きな鋸の歯が上下していた。次の風車は大き
な円盤の臼で豆を挽いていた。近くの工房では木靴を倣い旋
盤の原理で加工する実演を見せていた。もう一方の小屋では
各種チーズの試食即売をしており日本では見掛けない変わっ
た品種を土産に購入した。穏やかな景色に見とれていたら山
羊の鳴き声が聞こえてきた。2匹の小山羊が誕生したらしく、
オランダ衣装を身に着けたおばさん達が大わらわしていた。
クレーラー・ミュラー美術館へ自転車で
アムステルダムに戻り日系の一流ホテルでリッチな昼食を
取ることにした。中庭には満開の八重桜が咲いていて久々に
日本食を堪能した。33年前の駐在時代にも時々立ち寄ったが
れでも全員自転車に乗れるので安心した。かなりの道のりを
その時の知り合いがどうしているか聞いたらなんと未だ働い
汗をかきながら運転したら美術館に辿り着いた。クレラーさ
ているとの事だった。久々にお会いでき暫し昔話に花を咲か
んらしき等身大の人物像が迎えてくれた。
せている内に年金の話になった。オランダでは外国人に対し
予定より大分遅くなったので4人は急いで荷物を預け館
て可なり寛大な待遇だったそうだ。古き良き時代にインドネ
内を見学する事にした。その間に自分は帰りのバスの時間
シアに進出し東インド会社を運営し、その後多くの移民を抱
を調べることにした。我々の内2人はユトレヒトに行きシュ
えている。その影響で市内には多くのインドネシア料理店を
レーダー邸を見学する予約時間が迫っていたので早めに美
見掛ける。その人達への年金を本国帰国後も支払っていたそ
術館を後にした。残りの3人は暫く館内を見学した後急い
うだが最近は苦しくなって取り止めたそうだ。
で昼食をし遅れてユトレヒトに向かった。オルゴール博物
昼食後は美術館巡りをしてアムステルダム最後の日を飾
館の見学をしてアムステルダムに戻る慌しい一日だった。
ることになった。国立博物館にはオランダ絵画を始め多く
の作品を保有している国内最大の規模を誇っており到底一
最終日はザーンセ ・ スカンス観光と美術館巡り
日掛けても見学できない筈だった。ところが2003年から5
本日の午前中はアムステルダムから10㎞北へ電車で行ける
年間掛けて全面改修工事を行っている最中で南館に特別展
所にある風車の見学とチーズや木靴の工房を訪ねた。電車に
「17世紀オランダ絵画の巨匠展」としてコンパクトに収めて
乗るのはお手の物になり風車の見える河岸まで難なく到着し
いる。レンブラントの「夜警」も本館の広々とした部屋に
た。向かう橋を渡り終えたら後ろでカンカン踏み切りの様な
悠然と飾られていたが今回は他の絵画と一緒に並べられて
音が聞こえた。振り向くと道路側に遮断機の棒が下りてきて
いてがっかりした。
突然地面の一部が傾きだした。人と車が止められ船が通過す
次に直ぐ近くのヴィンセント・ファン・ゴッホ国立美術
るのだ。見ていると長いマストを立てた船が一隻近づいて来
館を訪れた。2階全フロアーを年代順に解りやすく展示し
た。マストを折り曲げる機構は着いてないのか?通行料はど
てあった。日本語の音声ガイドも貸し出されていてゴッホ
ファンには嬉しい限りである。ゴッホは日本絵画、特に浮
世絵に興味深く多くの広重の作品がこの美術館にも展示さ
れていた筈だが見掛けない。新館に移されているのだろう。
今回は残念ながら見ることが出来なかった。
美術館巡りは大変疲れたが、最後の晩餐をインドネシア
料理で締めくくった。同行の一人がジャカルタに滞在した
経験がありメニューを良く知っていたので我々日本人の口
に合う料理を選んでくれた。最後までベルギー・オランダ
の地元料理には巡りあわなかったが、10日間に渡る「ベル
ギー・オランダへの手作り旅行」の楽しかったこと、困っ
たこと、悔しかったことを夜遅くまで語り合った。
おく つ
ザーンセ・スカンスの風車群
かずひさ
(元広報部 部長 奥津 和久)
SEAJ Journal 2006. 7 No. 103
61