病床にて 2012 年 5 月 23 日 先週ソウルの高麗大学で開催された「東アジア文化交渉学会」に参加して、帰国後、疲 れが出たためか、高熱を出して 4 日間寝込んでしまいました。水枕をして寝ていると、朦 朧とした意識の中でふと或る句が浮かんできました。 水枕ガバリと寒い海がある 西東三鬼 昭和 10 年の作で、作者は海に近い家で肺浸潤の熱にうなされていたようです。家人や友人 の憂色によって、自分の病が軽くないことを知ると死の影が寒々として海となって迫って きた、と語っています。 「寒い」は冬の季語ではなく、「死の影」に対する作者の心象風景 に近く、決して季節感を詠んだわけではありません。この句は「無季俳句」です。 無季俳句で、もう一つ有名な句があります。 しんしんと肺あをきまで海の旅 篠原鳳作 さて、5 月 22 日、東京スカイタワーがオープンしました。高さは比べものにならないで しょうが、次のような名句があります。 摩天楼より新緑がパセリほど 鷹羽狩行 季節は今頃ですね。摩天楼とは英語の skyscraper の訳語です。天まで届くかと思われる超 高層ビルを意味します。作者は昭和 44 年にニューヨークへ行って、摩天楼に上がって、遥 か下方を見下ろし、セントラル・パークの中に新緑を見つけ、こう詠んだわけです。うま いですね。 今、新緑が美しい季節です。時々、関大のキャンパスを、可愛い子供さんを連れで、ご 家族ご一緒に散歩をされている比宗の宮本先生をお見かけします。じっと横になって寝て いるといろんな風景が浮かんできます。宮本先生にこんな句を作ってみました。 風光る青葉の中のかたぐるま 伊賀上野に住んでいた時、俳句結社の主宰の先生が、俳句というのは写生が命だ、それ はちょうどカメラマンが一眼レフでここぞと思った瞬間を捉えてカシャッとシャッターを 押す一瞬の行為に似ている、と語っていたことを思い出しました。 そういえば、遥か昔、モノクロの写真しか取らず、公園の古いベンチや壊れかけた網状 のくずかご、ブランコや滑り台があったかどうかは記憶にありませんが、そうした無機質 的なものを写真にとっては得意げに見せてくれた哲学・倫理学専修の山本先生の写真には、 どこかそこはかとない詩情がただよっていて、僕は好きでした。あれからもう十数年、時 の流れは早いものです。最近の先生の写真は、ご自身のホームページにありますので、興 味のある方はご覧ください。 ふ き お 写生といえば、夭折の俳人芝不器男に有名な句があります。独特の時空を作り出していま す。 永き日のにはとり柵を越えにけり 白藤や揺りやみしかばうすみどり むぎぐるま い 麦 車 馬におくれて動き出づ 3句目は見事というほかありません。刈り取った麦をいっぱいに積んだ車を引く馬です。 馬が歩きだすと、一息ちょっと遅れて麦車が動き出す。貨車が動き出すときにジョイント がガタンと鳴る、ちょうどそれのように・・・。その間を詠んだ句です。まるでスローモ ーションの映画を見ているようです。上記3句はまさに、「真実在」の風景であり、この句 は、まさに「現象学的に!」物象を把捉して表現しています。 いつだったか、「学びの扉」で、福田平八郎の代表作「雨」、灰色の屋根瓦の上に今ぽつ ぽつと雨が落ち始めた瞬間を捉えた写生画を掲げながら、現象学とは何かを見事に説明さ れた品川先生の名講義、今でも鮮明に覚えています。 そうそう、現象学と云えば、つい最近、フッサールの最重要テクストの一つ『間主観性 の現象学 その方法』が、浜渦辰二、山口一郎両氏によって、非常にこなれた日本語訳で ちくま学芸文庫から刊行されました。
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