2015 年 9 月 No.99 〒565-0824 吹田市山田西 3-55-7 TEL 06-6875-0031 http://www.senriseisanitsu.info/ 平 和 の 祈 り 主よ、わたしを平和の器とならせてください。 憎しみがあるところに愛を、 争いがあるところに赦しを、 分裂があるところに一致を、 疑いのあるところに信仰を、 誤りがあるところに真理を、 絶望があるところに希望を、 闇あるところに光を、 悲しみあるところに喜びを。 ああ、主よ、慰められるよりも慰める者としてください。 理解されるよりも理解する者に、 愛されるよりも愛する者に。 それは、わたしたちが、自ら与えることによって受け、 許すことによって赦され、 自分のからだをささげて死ぬことによって とこしえの命を得ることができるからです。 アッシジのフランシスコ 「実に、キリストはわたしたちの平和であります。 2つのものを1つにし、御自分の肉において敵意とい う隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃 棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分に おいて一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十 字架を通して、両者をひとつの体として神と和解させ、 十字架によって敵意を滅ぼされました。」 (新約聖書、エフェソの信徒への手紙から) 表紙に引用したアッシジのフランシスコ、次ページに引用したシスター渡辺和子さん、渡 辺さんが引用しているマザー・テレサの平和への思いには、共通のルーツがあります。それ は、イエス・キリストです。 紀元1世紀、地中海を囲む広い地域はローマ帝国に征服され、戦争のない平和な時代を迎 えました。 「パックス・ロマーナ(ローマによる平和)」と呼ばれる時代です。しかしそれは、 反対者や少数者を力で押さえ込むことによって維持される平和でした。帝国の支配者は、地 域や民族内部の政治的・経済的格差を意図的に拡大し、差別と相互不信によって人々が分断 される政策をとっていました。イエス・キリストはそのような時代に「汝の敵を愛しなさい」 と教え、社会の周辺に追いやられていた人々の友となって、すべての人が等しく尊ばれる「神 の国」の到来を説きました。その教えは当時の支配原理であった「差別と分断」を根底から 覆すものでした。それゆえに、イエスは政治・宗教両面の支配者たちから警戒され、疎まれ、 ついには無実の罪を着せられて十字架刑で殺されました。 そのイエスが復活し、神からのメシア(救い主)としての権威を帯びて弟子たちの前に現 れたのです。それは、この世を支配する「力の論理」に対する「神の愛の論理」の勝利を示 す出来事でした。イエスを十字架につけたこの世の原理(差別、敵意、暴力)が反対に十字 架につけて殺され、愛と信頼に基づく新しい共同体が生み出されていったのです。 現代のわたしたちが当たり前のように受け取っている「自由、平等、個人の尊厳」といっ た思想は、キリストの弟子たちがこの世界にもたらし、広めてきた教えに由来します。強大 な権力が支配する世界にまかれた小さな小さな種が、長い時間を かけて成長し、実を結んできたものです。 人々を格差と不信によって分断し、支配し、そのことによって 利益を得ようとする悪の力は今もこの世界に働いています。その 力に取り込まれないよう、わたしたちは絶えず目を覚ましている 必要があります。国籍や民族の違い、社会的な立場、経済格差、 ことばや生活習慣の違いなどが人と人の間を隔てる「壁」として 働く場合があるかもしれません。しかしキリストは、そのような 「隔ての壁」を十字架において「破壊した」と宣言しています。 人を分断する「壁」の支配に自分をゆだねてはならないのです。 戦後 70 年の今、改めて「平和をつくり出す」ことの大切さを心 に留めたいものです。 (千里聖三一教会牧師 金井由嗣) で し ょ う 。 ず ら に 平 和 に つ い て 考 え て い て も 、 平 和 は 実 現 し な い 「 面 倒 だ か ら 、 し よ う 」 ( 幻 冬 舎 ) よ り 引 用 ひ と り が 日 常 生 活 の 中 で で き る こ と を 疎 か に し 、 い た 渡 辺 和 子 ( ノ ー ト ル ダ ム 清 心 学 園 理 事 長 ) 著 争 を や め さ せ る こ と も 大 切 で す 。 し か し 、 私 た ち 一 人 平 和 に つ い て 議 論 す る こ と も 大 切 で す 。 国 際 間 の 紛 み 出 す こ と が 求 め ら れ て い ま す 。 に 、 大 き な 愛 を こ め る こ と な の で す 」 架 上 の 痛 み を わ が 身 に 受 け る こ と に よ っ て 、 平 和 を 生 な こ と は で き ま せ ん 。 私 に で き る こ と は 、 小 さ な こ と 道 具 」 と な り た い も の で す 。 そ の た め に は 、 主 の 十 字 マ ザ ー は 、 こ う 答 え て お ら れ ま す 。 「 私 に は 、 偉 大 ろ に 愛 を 、 分 裂 の あ る と こ ろ に 一 致 を も た ら す 平 和 の 声 を 上 げ な い の で す か 」 フ ラ ン シ ス コ の 祈 り の よ う に 、 「 憎 し み の あ る と こ 名 な 人 が 、 イ ン ド の 貧 困 を な く し 、 世 界 平 和 の た め に は な く 、 生 き る も の 」 で な け れ ば な ら な い で し ょ う 。 時 に 、 人 々 が い い ま し た 。 「 な ぜ 、 あ な た の よ う な 有 切 な の は 、 実 行 な の で す 。 「 信 仰 は 持 っ て い る も の で マ ザ ー ・ テ レ サ が ノ ー ベ ル 平 和 賞 を お 受 け に な っ た 平 和 を 願 う 祈 り を 唱 え る こ と も 大 切 で す が 、 よ り 大 す る 人 は 幸 い と 書 か れ て い ま す 。 議 も 必 要 で し ょ う が 、 実 行 さ れ て い る で し ょ う か 。 も 、 平 和 を 考 え る 人 は 幸 い と は 書 か れ ず 、 平 和 を 実 現 を 喜 ば す 努 力 を し て い る で し ょ う か 。 平 和 を 考 え る 会 出 す 人 に な る こ と で は な い か と 思 い ま す 。 聖 書 の 中 に ん で 困 っ て い る 人 、 淋 し い 人 に 手 を 差 し 伸 べ て 、 相 手 求 め ら れ て い る の は 、 日 々 の 生 活 の 中 で 、 平 和 を 作 り し ょ う か 。 他 人 に 迷 惑 を か け な い こ と は も ち ろ ん 、 進 平 和 は 、 考 え る だ け で い い の で し ょ う か 。 私 た ち に 家 庭 の 中 に 笑 顔 、 い た わ り 合 い 、 許 し 合 い が あ る で の で ご 紹 介 し ま す 。 で き る こ と は な に か 、 静 か に 教 え て く れ る 文 章 に 出 N 会 ・ い M ま し た と が 多 く な り ま し た 。 平 和 の 実 現 の た め に 一 人 一 人 が 具 体 的 に 今 年 は 戦 後 7 0 年 の 節 目 の 年 、 平 和 に つ い て 考 え さ せ ら れ る こ 『 平 和 を 唱 え る だ け で な く 、 生 き る 』 ■定例集会(どなた様も自由にご参加ください) ●礼 拝 毎日曜日 午前 10:15~11:45 礼拝は教会生活の中心です。神様に生かされ愛されていることを感謝し、 週の初めの日(日曜日)を聖日としています。礼拝においては神さまの存 在を身近に感じ、聖書の言葉に養われます。 礼拝は、前奏、讃美歌、祈り、説教、献金(任意)、祝祷と続きます。 ●教会学校 毎日曜日 午前 9:00~10:00 教会学校は、子どもたちが聖書を学び、神さまを礼拝する時間です。幼児 から高校生まで年齢別のクラスがあります。山田こどもクリスマスと春の 山田子どもイースターは恒例の行事になっています。 ●聖書に学び、祈るとき 毎水曜日 午前 10:00~11:30 毎水曜日 午後 7:30~8:45 少人数で聖書や身近な信仰の読み物を学び、心を合わせて祈ります。 ■交通案内 ●阪急千里線「山田駅」下車徒歩約8分 ●大阪モノレール「山田駅」下車徒歩約8分 「いかりスーパー」のそば 「王子池」南側の坂を上ったところ 中央環状線・中国自動車道 モノレール山田駅 コープミニ ● ファミリーマート ● ● デュー阪急山田 三ツ辻 ● 駅前広場 ジオタワー 夢未来館 ジオタワー 東口 ● ● JA ● ● ● プラウド千里山田 駅前局 教会学校生徒の作 品をカットとして 使用しました。 ● いかり スーパー 王子池 ココス ここ
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