モーセが残した一つのもの

モーセが残した一つのもの
ヘブライ書の福音 29
モーセが残した一つのもの
11:23-29
題の意味は、モーセが幾つも残して行ったものの内の一ついうことではな
くて、モーセが残して行った凄い遺産の中でも最大のもの、いやモーセはそ
れしか残して行かなかった、と言って良い唯一のもの、ということです。
モーセの十戒で知られるモーセは、歴史上の人物として、高校の教科書や、
一般向けの「世界の歴史」シリーズ等にも出ています。旧約の出エジプト記
をお読みの方には、今更ご紹介するまでもないわけですが、この機会に新し
い訳で読み直してみようと思われる方は、109 頁から始まって 80 頁ばかり、
読み物としても十分面白い一代記の通読を是非お薦めします。もっとも、モ
ーセが死んで葬られる場面は、申命記の最後の頁で、そこのまとめの文章に
はこの人の偉大さが次のように記されます。
イスラエルには、再びモーセのような預言者は現れなかった。主が顔と顔
を合わせて彼を選び出されたのは、彼をエジプトの国に遣わして、ファラオ
とそのすべての家臣および全土に対してあらゆるしるしと奇跡を行わせるた
めであり、またモーセが全イスラエルの目の前で、あらゆる力ある業とあら
ゆる大いなる出来事を示すためであった。(申 34:10-12)
それほどの偉い人物でありますが、私たちのヘブライ書の著者に言わせる
と、彼が私たちに残してくれた貴重なものはたった一つ。しかもそれは、あ
なたにも私にも真似できることで、天の父はそれしか私にお求めになってい
ない、と言うのです。今朝はそれを、果たしてうまくお伝えできますか……。
私どもは崇高な生き方をした人や、立派な死に方をなさった方たちの伝記
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など読みますと、つい、その人たちの残した実績や事業の方にばかり目が行
ってしまいまして、偉いことをしたんだなァとか、ワシにはとてもでけへん
ワ、とか、私の信仰は一体なんだろう、という風に考えてしまいます。これ
は落とし穴みたいなもので、「恵まれた」など言っている人でもたいてい、
心のどこかで半ばは「落ち込んで」いる場合が多いようです。これは多分、
このヘブライ書が読み取って欲しい大事な点とは逆の所に目が向いているか
らでしょうね。
水野源三さんのような、重度の障害の方が最後まで信仰に生きて、人に意
志を伝えるにも、まばたきでしかそれができないのに、あれだけの力強い詩
を残して行かれたと聞くと、感動すると同時にどこかで、自分はそれと同じ
ことができるだろうか……と考え込むことがあります。そして喜ぶよりは、
かえって不安になる。
この前の戦争中に、特高警察の弾圧に屈しないで、キリストを信じぬいた
人たちがいました。獄死なさった方も何人も出ています。信仰を曲げずに生
き残った人たちの中では、韓国の安利淑さんのような女性もおられます。「た
といそうでなくても」という安さんの本が後ろの書棚にありますが、杉山世
民さんがもう十何年前に寄贈して下さったものです。ミッション・スクール
の若い女の先生がただひとり、神社参拝を拒否して投獄されます。それも東
京の議会にまで悔い改めを呼び掛けに行って、結局 6 年間刑務所生活を、終
戦までするのです。本の題になっている「たといそうでなくても」はダニエ
ル書の言葉です。
「(王様の)このお定めにつきまして、お答えする必要はございません。
わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを
救うことができますし、必ず救ってくださいます。そうでなくても、御承知
ください。わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像
を拝むことも、決していたしません。」
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でも、こういう本の中から信仰を読み取って、慰めを受けたり喜ぶことは、
やはりヘブライ書と同じ視点に立たないとできません。以前ローマ書の 4 章
を読んだ時には、パウロの同じような見方を、アブラハムの評価の中に見た
のですけれど、今日のヘブライ書 11 章はそのパウロのローマ書と全く同じな
んです。
1.モーセの前半生に見る信仰。
:23-27.
厳密に言うと、最初の 3 行はモーセその人の信仰ではなくて、モーセの父
アムラムと母ヨケベドの信仰です。その頃、奴隷階級ヘブライ人の人口と勢
力の急増を恐れたエジプト王ファラオの勅令は「ヘブライ人の家に生まれた
男の子は、一人残らずナイル川にほうり込め」でしたが、両親は生まれた幼
児の中に神の意志を見て、恐れます。「その子の美しさ」というのは単に外
観の美しさを見たのではなくて、神の事業に召されているケタ外れの使命を
見て、震えたということでしょう。
23.信仰によって、モーセは生まれてから三か月間、両親によって隠されま
した。その子の美しさを見、王の命令を恐れなかったからです。
23 節と 24 節の間に、赤ちゃんをパピルスの防水篭に入れてナイル河畔の
葦の茂みに隠す話が入ります。王女様が篭を見付けて、ヘブライ人の乳母を
連れて来させて、モーセは王宮で育てられることになりますが、その後が 24
節です。
24.信仰によって、モーセは成人したとき、ファラオの王女の子と呼ばれる
ことを拒んで、 25.はかない罪の楽しみにふけるよりは、神の民と共に虐待
される方を選び、 26.キリストのゆえに受けるあざけりをエジプトの財宝よ
りまさる富と考えました。与えられる報いに目を向けていたからです。 27.
信仰によって、モーセは王の怒りを恐れず、エジプトを立ち去りました。目
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に見えない方を見ているようにして、耐え忍んでいたからです。
目に見えない神を見詰めているような生涯だったという、筆者の言い方に
は、モーセの生き方全体がそういう、神がいつもいて下さる確信と、神のお
言葉には全面的に従って行く生き方だったことを表すと同時に、「目に見え
ている」エジプト王ファラオよりも、生ける神のほうがリアルであったとい
う対照も含んでいるのでしょう。これはモーセが苦しむ同胞を救出する聖使
命を受けた時のことを言っていると思うのですが、27 節の「王の怒りを恐れ
ず」の所は、出エジプト記には反対に「モーセは恐れて」という一句がある
ので、不思議に思う人もいます。
私自身の理解では、エジプトからミディアンの地へ亡命した時のモーセは、
確かに自分を理解しない同胞に幻滅もしていたし、その裏切りで逮捕される
危険も察知していましたから、「モーセは恐れて……ファラオの手を逃れ」
と、これは事実ですけれど……。ヘブライ書の見方は、その恐れがこの時の
本当の動機ではなかった。実はその背後に本当の理由、つまり、神の命に服
して時を待つという、神の言葉への絶対的信頼が働いていた、ということで
ありましょう。New English Bible はここを「モーセがエジプトを去ったの
は、信仰で去ったのだった。王の怒りを恐れたからではなく」と訳していま
す。私も同感です。
それが「信仰で」去ったという意味は、主の言葉によって「モーセよ、い
つか時が満ちたら、この民を奴隷の国から自由の地へ導く者となれ」という
使命を受けたから、それを大事にすることが「信仰で」の道だったというの
です。ですから、反対にエジプトのプリンスとして留どまる道は「罪の」道
だったのです。モーセのことですから、もちろん留どまっても王宮の退廃の
中に沈むことはなかったでしょう。「はかない罪の楽しみ」はそんな意味じ
ゃないのです。「神の言葉に服してこの民を救え」と命じられている彼が、
それ以外の仕事をするのは、仮に慈愛に満ちた王子としてイスラエルに有利
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な保護政策を行うことであっても、それは「はかない罪の楽しみ」だった。
そういう意味です。
神の民と一緒に虐待される道は、キリストの嘲りを受けるのと同じ、とい
う 26 節は一見飛躍して見えますけれど、これは詩篇やイザヤ書にある同じ信
仰です。神のために「苦しむ僕イスラエル」が虐待を受けるが、それは結局
イエスが最終的にお受けになる苦難の小規模な絵だ、というのです。以上、
モーセは主なる神から使命を頂いて、全生涯をそれに賭けた。王子としての
道も捨てた。体を張って奴隷階級の反乱を指導する道も取らなかった。彼は
神の時を待って、ミディアンの地に四十年を過ごしたと。
2.モーセのライフワークに見る信仰。 :28-29.
モーセの生涯を賭けた最後の仕事です。神がアブラハムに既に約束なさっ
ていた自由の国へ、何十万という人達を連れて、荒野を渡る事業。シナイか
らカナンまで実に四十年をかけて、モーセが熟年の命を擦り減らして仕えた
仕事です。「出エジプト」と言われる奴隷民族の救出・脱出です。ちなみに
は文字どおりには「出て行くこと」「出行」です。エジプトでなく
てもいい。生ける神の力で、奴隷が奴隷でない者にされて、真の自由の世界
へ解放されて出て行くことがであります。それは本当の意味では、
私たちにキリストの力が及ぶ時に起こるのですが、ここではまず、モーセが
家々の入り口の二本の柱と鴨居に犠牲の小羊の血を塗らせた夜のことが語ら
れます。その夜、圧政者たちの家をことごとく打つ死の天使が、その小羊の
血にカバーされた人の家を過ぎ越して行く……「主の過越」です。モーセは
主の言葉に従って、本気で民に命じて小羊を屠らせた。そこの所を 28 節から。
28.信仰によって、モーセは滅ぼす者が長子たちに手を下すことがないよう
に、過越の食事をし、小羊の血を振りかけました。 29.信仰によって、人々
はまるで陸地を通るように紅海を渡りました。同じように渡ろうとしたエジ
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プト人たちは、おぼれて死にました。
神の言葉を本気で信じて服した人が生きて、不信の人が、神などあるもの
か、そんなものに屈することができるかと、うそぶいた人たちが命を失った。
本当は進退極まったはずの丸腰の奴隷たちが生きて、戦車を連ね武力に物を
言わせた追っ手の支配者が海に沈んだのです。出エジプト記のクライマック
ス、14 章です。
この時イスラエルの民が渡った海は、旧約原典では「葦の海」(ヤム・ス
ーフ)と書いてありますが、恐らく岸辺にパピルスのような葦が密生してい
たような大きな淡水湖だったと思います。この「葦の海」という地名が、ア
レクサンドリアのユダヤ人が聖書のギリシャ語訳を作った時に「赤い海」
という、今日の Red Sea と同じ呼び名にしたので、以
来、あの紅海の広い湾を全部渡ったのだと考える人も多くなりました。でき
るだけ広い所を渡ったと見た方が信仰がある、みたいな傾向も一部にはあり
ます。でも、そんなに無理して想像を膨らませなくても、これは、これだけ
で既に驚くべき奇跡です。
その夜、モーセが手を海に向かって差し伸べると、主は夜もすがら激しい
東風をもって海を押し返されたので、海は乾いた地に変わり、水は別れた。
これが聖書の生の記事です。そうやって水が引いてしまった「海の乾いた所
を」イスラエルの人々は進んで行った、というのですが、あなたのイメージ
はどうなりますか。「水は彼らの右と左に壁のようになった」という美しい
言葉の絵を、あのデミルさんの映画みたいに脚色しなければ不信仰だ、とい
う向きもありますが……。ちょっとばかり、贔屓の引き倒しになりはしない
か、私などは心配もするのですが。
大事なことは、モーセを通して本当に主が奇跡を起こして海を乾いた地に
変えなさったこと、神の意志を聞いて本気で信じて待った人たち、つまりモ
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ーセとイスラエルの民の群のほうが、主の勝利と栄光を見たことです。これ
は葦の海で現実に、あの通り起こった歴史事実であると私は受け取っており
ます。過越の夜に全民族で小羊を家毎に、無意味だと思わないで屠ったのも
信仰で、したことだった。激しい東風の響きに震えながら、信じられないよ
うな救いをモーセと一緒に信じて待ったのも、あれも信仰でやった。つまり、
主が言われた言葉は必ず成る。主なる神はそんな力ある神、生きて働く神だ
という、事実と経験に支えられた信頼がモーセの中に、そしてモーセに従っ
た人たちの中にあった。それをあなたは持ちたくはないか! もしイエス・キ
リストを知ったら、その信頼はあなたにも持てる。
エリコの城壁以下のくだりは、次回にゆずります。
《 結 論 》
「モーセが残した一つのもの」というテーマを掲げて始めました。今日の
所は新共同訳のまま、おとなしく読みましたが、このくだりも原文は「信仰
で」が、いわば英文の“It is by faith that ~ ”みたいな感じに by faith が
浮き立って、際立っている文章なのです。ほかのことでじゃない。「信仰で」
なのです、と。まとめてみましょう。
ファラオの禁令を犯してまでモーセを生かしたのも「信仰で」だった。神
がこの幼子を聖なる器として使う。それを知らされた親は、神の言葉の重さ
におののいて服した。そのモーセが長じて民の受ける虐待・嘲りを恥として
じゃなく、「わが宝」として受け入れたのも「信仰で」だった。モーセが神
の時を待ってエジプトを立ち去ったのも、あれは「信仰で」だった。すでに
受けていた神の言葉がそれだけの重みを持って、本気で信じられた。そして
ついに時が来て、あの夜、過越の小羊の血を門に塗ったのも、「信仰で」で
なければ、バカらしくてできなかった筈だ。モーセが偉大な事業をしたので
はない。モーセは神に信頼しただけだった。神の言葉が事実になることをそ
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の信頼でガッチリ受け止めた。
だから、王宮と地位を捨てたモーセにやたらと感激するな。四十年荒野で
修行してついに救済者として立ったモーセを英雄視するな。数十万の大群を
立ち上がらせてエジプトを出るモーセの指導力に幻惑されるな。あなたには、
そんな指導力はなくてもいい。杖のひと振りで葦の海の水を引かせて巨大な
通路を作ったモーセを褒め称えるな。ただ、モーセにとって神の言葉がそれ
だけの意味を持ったこと、それだけ命懸けで信じられる神を彼がすでに持っ
ていたことに驚け! その同じ信仰はあなたにも持てる。イエス・キリストを
しっかり見てごらん。この人の中に、そこまで確かな大きな愛の神が見える
はずだ。
私たちはモーセと同じ事業や業績は残せないでしょう。また、それは神様
の求めておられる所ではない。私たちはモーセとは程遠くて、エジプトの財
宝の何万分の一もないものに振り回されてしまうこともあるでしょう。神の
民と共に虐待に甘んじるどころか、ほんの僅かの不幸や病気でもう、恵みが
見えなくなります。無数の同胞を救って希望を持たせるどころか、起こして
あげるべき人を倒すこともある。海の中の乾いた地を指し示すどころか、自
分の足がすくんで、踏み出しきれないことも間々ある。それでいいのだと言
えば、憤慨なさる向きもあろうが、それでも辛うじて信仰で歩き、人にも励
ましを与えられれば、そのできた限界内で感謝できます。モーセと我が身を
引き比べて悲しむことはない。
ただ、モーセがそこまで信じ切った神にお会いすることは、私にも、あな
たにも、できます。神の言葉を生涯まじめに学び続けて、私の主イエス・キ
リスト様を知ることによって、そんな神様との生きた関係が自然にできて行
きます。葦の海を引かせて乾いた地にしたモーセをまねる必要はない。無数
の同胞を死から救ったその業績に近付こうと無理をすることもない。ただ、
モーセがそれをするまでの時点で知っていた「生ける神」を知るような学び
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がしたい。それはできる。もし、それができたら、私たち凡人は凡人なりに
それ相応の、ささやかな神の器として使って頂けるのです。ヘブライ書から
読み取るべきはむしろそれです。モーセがあれをしたのは「信仰で」であっ
た。そこだけを見よ、と。
(1988/04/10)
《研究者のための注》
1.モーセの両親の名は出エジプト記 3:20 に出ています。
2.使徒行伝 7 章のステファノの演説の中では、モーセの 120 年の生涯を三期に分け、召
されてエジプト王宮を去るまで 40 年、ミディアン地方に身を寄せてホレブの炎を見る
まで 40 年、再びエジプトに遣わされてから、出エジプト……荒野の旅の 40 年として
います。
3.23 節「その子の美しいのを見た」の「美しい」はですが、使徒行伝のステ
ファノの演説では「神の目に適った美しい子」、直訳すれば「神に
対して美しい」とでもなりますか。神の器としての何らかのしるしと見ました。
4.モーセを育てた王女の父に当たるファラオがどの王に当たるかについては、決定的な
確認はできません。ブルースは B.C.1300 年頃の第 19 王朝の初期の王の一人であろう
と、脚注の結論で書いています。中央公論社「世界の歴史」第 1 巻は出 1:11 に言及
されるピトムとラメセスを建設したファラオをラメセス二世(1290-23)とします。
出 1 章のファラオを仮にこの人と見るなら 2:23 でその王が死んで、その次の王あた
りが出エジプト時のファラオと考えて宜しいでしょうか。
5.25 節の「神の民と共に虐待を受けること」から 26 節「キリストのそしりを宝とす」
への飛躍と同一視の背景は、イザヤ 52:13 以下の「主の僕」の詩、イザヤ 63:9,詩
篇 69:9 等です。私の説教の中では 1983 年 12 月に二回に分けて講じた「主の僕の詩」
を参照してください。なおホセア 11:1 もイスラエルとキリストを二重写しにして見
ています。
6.27 節の「エジプトを立ち去った」を Calvin や Westcott は出エジプト時に言及すると
見ます。私はミディアンに逃れた時のことと見ました。
7.出エジプトのルートに関する諸説、特に 14:2 のバアル・ツェフォンの推定位置につ
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いては、いのちのことば社の「新聖書注解」331 頁と 333 頁の地図が参考になります
が、著者西満氏の結論は、北の地中海寄りのメンザレ湖の南端であるように読めます。
これに対して、フランシスコ会の分冊中にある「解説」11-13 頁は、かつてスエズ湾
につながっていたと思われる南寄りの苦湖と見ています。15:4 にある
@Ws-~y:
を
とギリシャ訳した理由は不明ですが、同じ「解説」の 73 頁注 7
が示唆的であるように思われます。
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