偉大なるお節介症候群 「友の会」 会報 第 6 号 発行日 : 2014 年 7 月 17 日 「偉大なるお節介症候群」の主症状 順天堂大学医学部 病理・腫瘍学 教授 樋野 興夫 人間は、自分では「希望のない状況」であると思ったとしても、 「人生の方からは期待されている存在」 であると実感する深い学びの時が与えられている。その時、「その人らしいものが発動」してくるであろ う。「希望」は、「明日が世界の終わりでも、私は今日りんごの木を植える」行為を起こすものであろう。 「自分の命より大切なものがある」は、 「役割意識&使命感」の自覚へと導く。 「責務を希望の後に廻さな い、愛の生みたる不屈の気性」が「人生の扇の要」の如く甦る。 「ビジョン」は人知・思いを超えて進展することを痛感する日々である。「病気であっても、病人では ない」の社会構築が、「偉大なるお節介症候群」の使命であり、次世代の医療の姿であろう。 筆者は、先日、wife と軽井沢に向かい、「石の教会 内村鑑三記念堂」を訪問した。地下の資料館で、 内村鑑三(1861-1930)直筆の「成功の秘訣」(1926 年)を拝読した。まさに、「預言者的使命感」を持つ 内村鑑三が掲げる「妥協のない純粋な自由」である。札幌農学校の同級生である新渡戸稲造 (1862-1933) ともに、筆者にとって、この 2 人の傑物は、若き日からの人生の大いなる基軸である。 午後は、 「あうんの家」で「軽井沢がん哲学学校」が開講された。 「いのちのバトン〜紡がれる夢と希望 〜」 (荻原菜緒・佐久総合病院地域ケア科医師)の講演に続いて、筆者は、 「いのちのバトン〜奥ゆかしい 立ち居振る舞い〜」のタイトルで講演する機会が与えられた。その席上で、荻原菜緒先生に、「偉大なる お節介症候群」認定証が授与された。 「軽井沢がん哲学学校」は、時代の要請として、「20 世紀の内村鑑三・新渡戸稲造の軽井沢学校」の 21 世紀版として、「偉大なるお節介症候群」認定証を授与された荻原先生によって、定期的に開講されるこ とであろう。 「国際教養学のすすめ」公開シンポ(順天堂大学)が開催された (2014 年 6 月 28 日)。筆者は、 「総括」 する任を与えられた。まず、「真の国際人」とは、「賢明な寛容」を持ち、「能力を人の為に使う」人物で あり、明治維新以降、 「真の国際人」のモデルとして、 「岡倉天心・内村鑑三・新渡戸稲造」の 3 人を紹介し、 教養の理念:「世界の動向を見極めつつ歴史を通して今を見ていく」、教養の使命:『俯瞰的に「人間」を 理解し「理念を持って現実に向かい、現実の中に理念」を問う人材の育成』、教養の社会貢献: 『複眼の思 考を持ち、視野狭窄にならず、教養を深め、時代を読む「具眼の士」の種蒔き』について述べた。『真に 勇敢なる人は常に沈着である。−−−−− 吾人はこれを「余裕」と呼ぶ。それは屈託せず、混雑せず、さら に多くをいるる余地ある心である』(新渡戸稲造『武士道』より)。まさに、「偉大なるお節介症候群」の 主症状である。 「偉大なるお節介症候群」の診断基準 (1)暇げな風貌 (2)偉大なるお節介 (3)速効性と英断 「偉大なるお節介症候群」認定証の選考項目 (1)「役割意識&使命感」を持つ (2)「練られた品性&綽々たる余裕」 (3)「賢明な寛容さ」 内村鑑三直筆: 「成功の秘訣10か条」 (4)「実例と実行」 (5)「世の流行り廃りに一喜一憂せず、あくせくしない態度」 (6)「軽やかに、そしてものを楽しむ。自らの強みを基盤とする。」 (7)「新しいことにも、自分の知らないことにも謙虚で、常に前に向かって努力する。」 (8)「行いの美しい人(a person who does handsome)」 (9)「冗談を実現する胆力」~sense of humor の勧め~ (10)「ニューモアに溢れ、心優しく、俯瞰的な大局観のある人物」 「偉大なるお節介症候群」の認定証を授与されて 佐久総合病院地域ケア科医師 荻原 菜緒 この度、「偉大なるお節介症候群」と認定されました。 「偉大なるお節介」という言葉を耳にしたのは、昨年東京で開催された第2回がん哲学外来市民学会だ ったと思います。 果たしてどんなお節介なのか…この一年を費やして模索してきたつもりです。その間、様々な方達との 出会いを重ねて、様々な出来事を経験しました。今、やっと辿り着いて少しずつ見渡せるようになった心 境です。 現在の社会は情報の流れも物事の展開も猛スピードです。本当は何を大切にしたいのか、何処に向かい たいのかなんて考える間もなく、思わず流されそうになります。であるからこそ、人と人の触れあいや寄 り添い、思いやりというような数値化できない要素が求められるのだと思います。 「偉大なるお節介症候群」が、益々蔓延することを願います。 し た 。 に 、 三 十 九 名 の 方 が 参 加 し て 下 さ い ま え し て 開 い た 「 軽 井 沢 が ん 哲 学 学 校 」 希 望 」 と 題 し 、 樋 野 先 生 ご 夫 妻 を お 迎 ー マ 軽 「 い の ち の バ ト ン 〜 紡 が れ る 夢 と 井 沢 追 分 の 「 あ う ん の 家 」 で 、 テ 軽 井 沢 が ん 哲 学 学 校 「偉大なるお節介症候群認定証」とがん看護 慶應義塾大学看護医療学部/健康マネジメント研究科 武田 祐子 がん医療における専門職(プロフェッショナル)の養成、通称『がんプロ』の流れに乗り、大学院でが ん看護教育を開始した 2008 年から、樋野先生に『がん哲学』の授業を受講させていただいている。 学生は、耳慣れない言葉に「イメージがつかない」 「入りにくい領域」 「難しそう」などの印象を持ちな がら授業に臨み、樋野先生の『暇げな風貌』から語られる豊かな表現と深い内容に、多くの感銘を受けて いる。新渡戸稲造、南原繁、内村鑑三と歴史上の人物の生き様や考え方、病理の世界と共通する人間社会 の在り方、「がん細胞に起こることは人間社会にも起こる」など、思わず話に引き込まれ、学生の目の輝 きが変わってくる。吉田富三、山極勝三郎といった偉大ながん研究者の功績に触れ、がんという病気を改 めて見つめなおす機会ともなる。 看護の大学院生は、数年から十数年の看護師経験を経て入学してくるため、これまでの自身の対応を思 い返し、 「暇げな顔をしていなかった自分」や、自己満足に終わるお節介ではない『偉大なるお節介』、傾 聴だけではない「対話の重要性」に気づかされる。 ある学生は講義後に、「それまでの経験における不全感から生じた靄のようなものが少し拓けたように 感じた」と表現した。がん医療では、効果が不明確な過酷な治療の選択、限られた生命、人生の意味、な ど、患者・家族の抱える苦悩を看護師は肌で感じつつも、手を差し伸べたい気持ちと同時に、何かできる ことはあるのかと逡巡する。 樋野先生の「がん哲学とはロゴセラピー;言葉による癒し」という話に、目指す方向性を見出すこと ができたと感じる。傾聴に留まらない、対話の中に相互理解の深まりがあり、癒しにもつながることを知 る。対話には豊かな人間性に基づく言葉の引き出しが必要であることに気づく。 講義では『英断と速効性』、「冗談っぽいことを本気でやる」「よいことは相談せずに動く」と、学生は エールを送られる。それは、さまざまなことに感受性を高め、タイミングを逃さずに行動していくことへ の激励の言葉として、学生の心に響く。私自身は、学生と共に講義を受け続けているが、その1年間の経 験により、受け止めようが異なっていることに気づく。 今年は、学生と一緒に『偉大なるお節介症候群認定証』を頂戴した。 『暇げな風貌』、 『偉大なるお節介』、 『英断と速効性』、診断基準を満たした学生たちのこれからの活動に大いに期待したい。 積み重ねて紡ぐもの NCN(奈良キャンサーネットワーク)若草の会 代表 野村 佳子 2008 年にすい臓がんになった私は生きるために患者活動を行うようになりました。それは個人の活動で 私の入られる患者会も奈良県には当時ありませんでした。2010 年の手帳に「がん哲学外来」抜粋の「がん になっても人生は続いている。病気であっても、人生は楽しむことはできる。『人生いばらの道にもかか わらず宴会』」とあり心にストンと落ちていました。そして「1年 1 年を積み重ねていきたい。病気にな って変わったことは、1 年や日々は過ぎるものではなく、積み重ねて紡ぐもの。仕事も人のためになるこ とをしよう!」と記していました。 2011 年の局所再発時に、3年間の闘病生活で自分の中でやり残したことの患者会を作ろうと決心しまし た。そして、患者会結成に向けて冊子「珠のコトノハ がん患者のたまゆらの手記とサポート情報」を発 行しました。また、がん体験者たちにも希望を持って療養生活を過ごして欲しいと願う患者中心のどなた でも入会できる全がん種対象の患者会 NCN(奈良キャンサーネットワーク)若草の会を 2013 年に正式に 立ち上げました。 闘病生活においてこれからの時間を大切に向きあえるように過ごして欲しいと始めた患者活動を組織 で仲間とともに行なえるようになり、病気や治療を適正に理解し、一人でも多くの方たちにがんに関する 信頼できる情報を知ってほしいと情報発信もしています。 発足したばかりでしたが「広げようピアサ ポートの輪!講演会&交流会」を奈良県より 委託され、11 月の樋野興夫先生「がん医療の 隙間を埋めるもの~がん哲学との出合いと現 場から~」のご講演をご縁に「偉大なるお節 介症候群認定証」は思いがけなく後日、仲間 たちなど5名が頂けることになりました。 「楽観できる闘病の状況でもないのに、人 のためにお節介な物好きだなぁ」と自嘲して います。 「偉大なるお節介症候群認定証」は身 に余っていましたが「偉大なるお節介症候群」 とある講演で耳にした「利他の心」で自分を 信じるようにしています。が、独りよがりの 「余計なお節介」かもしれません。 がん哲学外来「大仏さんカフェ」を 6 月か ら開催しています。奈良東大寺盧舎那仏の懐 に抱かれているように温かな時間を参加者の 皆さんと共有していきたいと思っています。 また 11 月 24 日(月・祝)には奈良女子大 学にて樋野先生のご講演を予定しております。 「偉大なるお節介症候群認定証」に恥じず に、何が大切かを見失わないように日々精進 していきたいと思います。 今後ともよろしくお願いいたします。 病気であっても、病人でない そんな生き方を 大弥(おおや)佳寿子 「ことば」のもつ力を、こんなに深く感じたことはありません。 「ことば」とは名詞で、 「良いことば」もあれば「悪いことば」もある。 「私たちは、良い悪いといった 形容詞の世界で生きているからね」と、よく樋野先生はおっしゃいます。 2008 年に先生が提唱された、吉田富三の「がん学」と南原繁の「政治哲学」をドッキングさせた「がん 哲学」に出会ってから一年あまり。たくさんの「ことばの処方箋」が、私の生きる力になっています。先 生のお話を伺ったことのある方なら、一つ、二つと「樋野語録」が浮かんでくるでしょう。 さて、私が初めて先生のお話を伺ったのはある病院の講演会でした。「暇げな風貌」とか「偉大なるお 節介」といったユニークな表現に思わず心が和み、その後、お茶の水のメディカル・カフェへと参加させ て頂くようになりました。 「カフェをやってみては?」と勧められ「偉大なるお節介症候群の認定証」を頂いたものの、「病気を 抱えている私が?」と躊躇し、「速効性と英断」には至りませんでした。 そんな私の気持ちが変化していったのは、いつからだったのでしょう。お茶の水や東久留米といった各 地のメディカル・カフェへ参加する中で、いつも温かく迎えて下さるスタッフの皆さんや、職業や立場を 超えて集われる多くの方々のドラマに触れて、気付けば、今夏、地元の東村山市でのカフェ開設を決断し ていました。あの私が?と、自分が一番驚いています。 ただただ、人生の三大邂逅と言われる「良き師との出会い、良き友との出会い、良き読書との出会い」 によるものと思い、「使命とは見つけるものではなく、与えられるもの」と、不思議な想いでいます。 乳がんとの出会いから 15 年、今も治療を続けながら、その変化に一喜一憂しないと言えば嘘になりま すが、「人生いばらの道、にもかかわらず宴会」と、カフェを続けて行けたらと思います。 それがいつか人生の目標である「品性の完成」に繋がると信じて……。 「奈良のがん対策県民提供事業」に二年連続採択の快挙 奈良市 浅井 貞雄 私は奈良県がんピアサポーターをさせて戴いております浅井貞雄と申します。昨年11月4日、奈良県 文化会館での「樋野教授講演」に続き、二年連続の奈良県共催です。 しかも二団体が採択予定です。「がん哲学外来の必要性」を奈良県が評価したのです。 奈良県知事が「がんになっても安心して暮らせる奈良」をスローガンに掲げ「がん対策の県民案募集」 をされたのです。がんで治る人と亡くなる人がハーフハーフの厳しい現実で医療には限界があります。治 らないがん難民は落胆しても何かの希望を求めて病院内の患者サロンに来られます。 私は昨年がん実用誌「がんサポートの」編集部に「治らないがん患者さんへ希望を与えられる先生をご 紹介下さい」と相談しました。早速、編集部から「浅井様の期待に応えていただけそうな先生がおられま す。順天堂大学医学部の樋野興夫教授です」とご紹介下さいました。樋野先生のことは勉強不足でしたの で、奈良での講演のスケジュールなどを編集部に交渉していただきました。編集部が調整していただくの ですが、なかなかスケジュールが合いません。そんな折、樋野先生から直接私へメールをいただいたのは 驚きでした。偉い教授から直接、調整の連絡いただけるとは思いもしませんでした。「浅井様。11月3 日大阪で学会に出席しています。15時からでしたら講演します」とメールをいただきました。私は有難 かったのですが、15時から開始すると患者さんは夕飯の準備に忙しいので「4日の13時からにお願い 出来ないでしょうか」と失礼なメールをしましたら「浅井様が熱心ですから東京講演の予定を変更して4 日の13時に奈良へ参ります」と快諾していただき、ビックリしました。先生にお出会いはしていません が「この先生は編集部が紹介されるだけのことあって、今までお会いした他の偉い先生方とは全然違うな あ~」と先生の人間性に敬服しました。 「1、暇げな風貌 2、偉大なるお節介 3、速効性と英断」と書かれた認定証でした。樋野先生の講 演やがん患者さんとの対話を拝聴し、まさしく先生は三つの診断基準を満たした人物であると尊敬しまし た。この出会いの日から私は先生が提唱しておられる「がん哲学カフェを全国7000個所・星が降るほ ど展開したい」運動のお手伝いをする決意をしました。先生は「医療維新には勝海舟や坂本竜馬が必要で す」と指導されおられます。昨年は「NCN若草の会・がん患者団体」で事業提案しました。 今年は「奈良がんピアサポート なぎの会」でも事業提案し ました。奈良県は私が立案した事業提案を二団体から提出した ので審査会の先生方も驚かれましたが、奈良県も樋野先生の 「速効性と英断」で二団体で採用予定です。 樋野先生をお迎えした奈良で二団体が「シンポジューム二回、 がん哲学外来カフェ六回」合計八回も奈良県共催で開催します。 カフェの命名は「大仏さんカフェと聖徳太子カフェ」です。仲 の悪かった薩長を維新へと導いた坂本竜馬にあやかり、私も奈 良のがん患者団体と悪戦苦闘しながら「奈良の医療維新」の為 に県共催事業採択に奔走しています。奈良県は「樋野先生のが ん哲学外来への道」が知事スローガン「がんになっても安心し て暮らせる奈良に相応しい哲学」だと評価されるでしょう。 偉大なるお節介症候群 認定証について 横浜がん哲学外来スタッフ 三澤 弥生 横浜がん哲学外来のお手伝いをさせていただくことになりましたのは、3年ほど前になります。その少 し前に、横浜がん哲学外来を教えてくれた方と出会いました。その出会いから、少しずつ始まっていたの かもしれません。 私が、樋野先生から、『偉大なるお節介症候群 認定証』をいただきましたのは、平成25年2月9日 です。認定証をいただけたのは、素敵な出会いになりました方と、地域の中に、まちの保健室「みしょう」 を開所することになったからです。横浜には、地域ケアプラザが中学校区にあり、地域住民の相談業務を 担っています。それでも、地域ケアプラザがあっても、区役所があっても、何をどこに相談するかはまだ まだ、知らない人や、敷居が高くて迷っている人もいます。地域の中に、商店街のまちの中に、悩んで、 迷っていたり、ただ話したかったりしている人が自分で選んで行ける、気軽に寄って相談できる場所が、 ひとつ増えただけの小さなことなのかもしれません。が、そんな居場所があればもっと素敵なまちになる のかな。地域の中に小学校や中学校にあった、「保健室」のようなイメージを思い描いていました。あっ たらいいのかな、と考えていることは、何気なく話していたら、そんな想いをひそかに持っていた方でし た。 どんどん便利な世の中になってきていますが、地域での関係性は薄れてきているように思います。地域 の中に、保健室を開くことは、はじめの一歩です。インターネットの検索でことが足りることもあります が、人が社会で暮らしていくには、会話だけでなく対話が必要なのだと、樋野先生もよくおっしゃいます。 『みしょう』とは、ますます、しあわせに、思い煩うことなく、元気に、生きていかれますようにとい った意味がこめられているのです。この思いを、樋野先生にお伝えしたところ、初心の想いを忘れず、 「に もかかわらず」続けていくように、認定証をくださったのだと思い込んでおります。 開所して一年が経過しましたが、開設当初から比べますと、かなり相談者は減っていますし、なかなか 気軽に立ち寄れる場所として住民の方々に知っていただくには、まだまだ道が遠いようです。『偉大なる お節介症候群』認定証に恥じないよう前を向いて努力するのみです。 今後とも、温かい支援を、よろしくお願い申し上げます。
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