(1) 2016 年 8 月 (第 466 号) 「巡礼に行ってきました」

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2016 年 8 月 (第 466 号)
【発行】カトリック古賀教会
広報部編集
〒811-3112 古賀市花見東 2・23・1
Tel(092)942-2171
Fax(092)944-6928
「巡礼に行ってきました」
ジュード・ピリスプッレ神父
この巡礼に一年間の準備をしながら、
「オブレート会」創立記念
を軸にして、
「オブレート会」の会員の方々の力により創立者、聖
ウジェーン・ド・マズノの誕生の地、エクサンプロバンスに、ロ
ーマに、この「いつくしみの特別聖年」に行ってきました。ヒラ
ン神父と私も含めて29名で、5月15日から28日までの行程
でした。はじめにローマを訪れて、日本人には簡単に行けないカ
タコンベに行き、翌日は、教皇様の謁見に参加し、大聖年に決め
てある4つの「バシリカ」を訪問し、また市内観光の対象名所も訪れることができま
した。また、たくさんの方の希望に合わせてアシジにも行き、聖フランシスコ、聖ク
ララのことも深めることができました。アシジから、ニースを通って、エクサンプロ
バンスに向かうバスでの移動も楽しく、エキサイティングな旅でした。オブレート会
の会員のおかげで、よいおもてなしを受け、エクサンプロバンス、またマルセイユを
案内して頂き創立者聖ウジェーン・ド・マズノ誕生、また働きのことなどを説明して
もらいました。聖ウジェーン・ド・マズノの宣教の強さに魅力を感じた何人かの方が
「マミの会」会員にもなってくれました。私たちの本部に行き総長とお会いし、創立
者、聖ウジェーン・ド・マズノが使っていた十字架で祝福してもらったこともこの巡
礼の大切さを感じさせたことにもなりました。
エクサンプロバンスの旅を終え、再び長いバス旅でルルドに行きました。たくさん
の参加者にとって、自分の夢が訪れた感じにもなりました。何人かにとってルルドが
初めてだっただけでなく、海外を旅するのも初めてであったので、どんなにびっくり
する旅だったかその人の話を聞くとわかります。確かに、初めての方だけでなく参加
した皆に思い出をたくさん作った巡礼になったに違いないと思います。
ルルドにいる間二つの大切なことを行いました。一つは国際ミサに参加したこと。
(パソコンで見る機会がある方は見られます)
https://www.youtube.com/watch?v=bf4pQ3OQJ7s&feature=youtu.be
巻頭言
ユダヤ人はなぜ差別され迫害されたのか
・・・・・
1~2
・・・・・
オブレート会創立200周年記念巡礼報告
・・・・・
教会行事
アクセス〔教父の霊的聖書解釈(2)〕
委員会報告
・・・・・
2~4
4~7
7~9
9~10
11~12
・・・・・
・・・・・
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カトリック古賀教会
毎週水曜日に行われているそうで
す。ミサのはじめに、管理者の司教
様が日本から行ったわたしたちをも
紹介してくださり、ヒラン神父と私
は共同司式ができて嬉しかったです。
もう一つはグロットでささげたミサ
でした。この二人のスリランカ人の
神父がなぜ日本語のミサをするのか
皆驚いていましたが、私たち2人に
とっては簡単には訪れないチャンス
だったので本当に嬉しかったです。
この巡礼でオブレート会の特徴、共同体の気持ちを参加した皆がなんらかの形で味
わったと思います。この旅で学んだ、いただいた恵み、は一人一人を強めるものにな
り、神に近づくものになり人生を送ることになっているのではないかと思います。最
後にこの巡礼を実現するにあたって、添乗員の大変な仕事をしてくれた井上弘子さん、
参加者の皆さん、手をさしのべて下さった方に感謝を申し上げます。
「ユダヤ人はなぜ差別され迫害されたのか」
フランシスコ・サレジオ 内野 順雄(東区・新宮)
以前からずっと気に懸かっていることがありました。それはな
ぜユダヤ人は差別され迫害されてきたのかということです。最近
読んだ税の歴史について書かれた本の中に「古代のユダヤ民族は
現代のイスラム過激派が情け深く見えるほど『税のテロリズム』
に悩まされてきた」という表現を見いだして歴史の中でユダヤ人
ほど嫌われた民族はないのではないかと思いました。
古代エジプトのファラオのもとで重用されていたヨセフ(ヤコ
ブの息子)の死を境に新しいファラオによるイスラエル民族の受難の歴史がはじまり
ました。ユダヤの歴史家ヨゼフスが後にこう書いています。
「エジプト人は繊細である
が怠け者であり、楽をして利益を得たいと願っていてユダヤ人の繁栄ぶりにねたみ心
を持っていたようである」と。ユダヤ人は豊かであるが政治的に少数派であり、エジ
プト人は政治を支配しユダヤ人の富を狙うようになったのです。法外な負担をユダヤ
人に負わせ、それに従わない場合はファラオに対する反抗であるとして財産を没収し
奴隷にするというわけです。当時の法では奴隷となるのは、犯罪者、戦争による捕虜、
そして税を払わなかったものでした。
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史実性が希薄で創作的な歴史物語とされる旧約聖書のエステル記にはユダヤ人を絶
滅させようという考えとユダヤの民族意識が激しく衝突している様子がやや誇張的に
語られています。唯一の神ヤーウェ以外の権威には、ひれ伏すことも、従うこともし
ないという姿勢とユダヤ人独自の戒律と掟を守って周りの民族とは決して妥協しない
生き方が排斥の原因だといわれています。
ローマ帝国時代にはユダヤ人に対する特別税がヴェスパシアヌス帝のとき AD.72
年に課せられるようになりました。これはユダヤ戦争によって敗北したユダヤ人に対
してエルサレムの神殿に納めていた従来の神殿税にならうものとして一人年間2ドラ
クマをローマのユピター神殿に納めるように定めたのです。ユダヤ人にとって絶対に
受け入れることのできない異教の神ユピターの神殿に納付するなどということは大き
な屈辱でした。
(参考:ローマ帝国の初期には1ドラクマは労働者の一日の賃金であっ
たと言われます)
古代ローマ社会においてその強烈な選民意識のため頑固で妥協性のない民族とされ
たユダヤ人は中世、近代を貫き現代にまで迫害を受け続けてきたのです。近現代にい
たるまで迫害され排斥され続けてきたのはマタイ福音書(27:24~25)ヨハネ
福音書(8:44)の記述に起因する「キリスト殺し」という烙印が押されたことに
よると言われます。
キリスト教が支配的となった中世においてユダヤ人は農業や工業から締め出され、
社会的には好まれない仕事にしか就けませんでした。それは徴税人、死刑執行人、金
貸しなどでした。苛酷な税を課せられているにもかかわらず土地所有は常に不安定で
した。
各地に離散して生きてきたユダヤ人たちは死をもたらす反抗ではなく、より賢明な
仕方で対処しました。苛酷な税でもそれを支払うことで生き延びて行ったのでした。
キリスト教社会を支えるためにユダヤ人に対して人頭税、財産税が課せられましたし、
為政者が資金不足に陥った時の臨時の税もあ
りました。聖地奪還のための十字軍遠征の資
金、教会建設のための資金なども負担させら
れました。スペインでは新造船の碇の費用も
ユダヤ人に負担させていたそうです。
このような重い負担があったにも関わらず
ユダヤ人たちは生き延びました。古代メソポ
タミアから現代のイスラエルの時代にいたる
まで、ユダヤ人が世界中を移動した跡を辿り、
生涯学習し・神に問い続ける
さまざまな状況下での彼らの数奇な経験を地
図上に展開したマーティン・ギルバート著「ユダヤ人の歴史地図」をみると、その壮
絶な民族の歴史には驚かざるを得ません。枢機卿マニングは彼らの勇気と能力をこう
詠んでいます。
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カトリック古賀教会
「ちりのなかに踏みつぶされても、決し
てちりとはならない」
このような「ユダヤ問題」は歴史上もさ
ることながら現代においても常に現れてき
ます。特に20世紀に起こった想像を絶す
るユダヤ人の悲劇は、半世紀以上経った今
日において、その事後処理ができていない
のが実情です。
ところでユダヤ教に対するカトリック教
会の現在の態度については第二ヴァチカン公会議の公文書のなかに見出すことができ
ます。
その中からいくつかを抜き書きして拙文を終えることにします。
「この聖なる教会会
議は、教会の神秘を探求しつつ、新約の民とアブラハムの子孫を霊的に結びつけてい
るきずなに心を留める。
・・・教会は、神があわれみによって古い契約を結ぶことをよ
しとされた、この民を通して旧約の啓示を受け取ったことを忘れることはない。」「キ
リストの死を迫ったのはユダヤ人の権力者とその追従者であったとはいえ、キリスト
の受難の際に行われたことの責任を、当時生きていたすべてのユダヤ人に無差別に負
わせたり、また今日のユダヤ人に負わせたりすることはできない。教会は神の新しい
民であるとはいえ、あたかも聖書から結論づけられるかのように、ユダヤ人は神から
見捨てられた者としても呪われた者としても紹介されることがあってはならない」
「新たな旅立ち」
マリア・フランシスカ 谷 弘子(東区・新宮)
この度、
「オブレート会創立200年記念巡礼」に参加できました
ことは、この上ない喜びになりました。感謝の思いを込めて、この
旅の思い出を少し記すことにいたします。
ある日、教会の久保礼子さんからお誘いをいただき、主人も「又
とないことだから行ったら・・・」と言ってくれました。ジュード
神父様のお計らいにより参加できるようになりました時は、心が躍
る気がいたしました。久保さんとは1年前に故平田均さんとともに
ローマ演奏旅行でもご一緒しましたが、思いがけず新たによき機会が与えられたので
す。
ところで「永遠の都」ローマでは「いつくしみの特別聖年」ということで、サンピ
エトロ大聖堂、聖パウロ大聖堂、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂、そしてラテ
ラノ聖ヨハネ大聖堂の門が開く年でした。(現在は25年に1度開くとのことです。)
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その際、門の前で神父様がお祈りを捧げ教会に入るのは私には初めての経験でした。
サンピエトロ教会前の広場では、貧しい者に謙遜に心開くフランシスコ教皇様を間近
に謁見できました。そのとき澄み渡る青空のもと、白い鳩がサンピエトロ大聖堂に舞
う姿は、聖霊が降りてくるようでした。
ローマを後にして、バスは聖フランシスコと聖クララの眠るアッシジに向かいます。
途中、大雨がバスに打ちつけましたが、そらがかえって5月の緑を一層美しいものに
してくれました。アッシジに着いたころは、雨も上がり、町は素晴らしい自然と輝か
しい芸術が見事に調和しており、以前に訪れたことも懐かしく思い起こされました。
サンタ・マリア・アンジェリ教会は全免償を頂ける教会ですので、生まれ変わる自分
をうれしく思った次第です。
こうして旅は更に進み、マズノー司教
様の故郷をおとずれます。マズノー神父
様は、貧しい人、信仰を失った人のため
に司祭が必要ということで奉仕活動を始
められ、ご自身も思い病気を煩いながら
もすべての人に対して愛徳の精神を実践
された方です。その方のお使いになられ
た十字架に、元のオブレート会本部での
ごミサの中で手に触れることができまし
たのは思いがけないことでした。
旅はいよいよ終盤に近づき、いよいよルルドの町に入ります。ルルドでは、聖母月
を祝う緑豊かな自然が一行を温かく迎えてくれます。そこでの国際ミサは、多くの神
父様の中からジュード神父様が祭壇に上がり、ごミサを挙げて下さいましたがとても
威厳のあるお姿に心打たれました。早朝「マッサビエルの洞窟(無原罪のマリア出現
の場所)」でジュード神父様がごミサを挙げて下さり、泉の湧く洞窟に願を込めて手を
触れました。その後、沐浴をしますが、ルルドの水に体を浸すことによって水に清め
られ、心が癒され、新たな生活が始まる気がいたしました。その日の午後は、十字架
の道行きをし、夜9時からは、ロザリオの祈りを唱えながらローソク行列が始まりま
す。広場では多くの人々とともに私達も神様に祈りを捧げるとき、自らを委ねた安ら
ぎと感謝の念がおのずと湧き上がりました。そして、これからも新たなかたちで巡礼
の旅は続くことでしょう。
最後に、神父様を始め温かく見送ってくださいました方々、一緒の部屋の久保さん、
旅行に同行された方々のお陰でこの旅は私の宝物になりましたこと心から感謝いたし
ます。
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カトリック古賀教会
「旅の最後の最後の神さまからのお恵み」
マリア 久保 礼子(赤間・自由ケ丘)
ローマに始まり、ルルドで終わった丸 2 週間の巡礼。オブレー
ト会の 200 周年を記念する旅であり、またいつくしみの特別聖年
を祝う、大きな大きなお恵みの旅だった。今ゆっくりふり返って
みても、素晴らしいこと尽くめで、とても簡単には書ききれない。
おそらく他の皆さんも、バチカン、ローマ、アシジ、マルセイユ、
エクサンプロバンス、ルルドでの出来事を書いて下さるだろうか
ら、私は旅の最後の最後に私の中におきた小さな出来事を書こう
と思う。
2 週間に及ぶ旅の最終日。その日は、朝9時からルルド大聖堂の小聖堂で御ミサ、
11 時にホテルに戻り、昼食後バスで空港に向かうというスケジュールだった。
私たちは聖地での最終日をじっくり味わおうと、前日に荷造りを終え、早々に朝食
を取ってホテルを出て、ミサまでの時間をのんびり散策しながら過ごした。長い旅の
一コマ一コマが、ゆっくりと心の中に納まっていくような豊かな時間となった。巡礼
最後のミサはとても感動的で、同じキリスト者であるという一つのことが、こんなに
もお互いの気持ちを近くするのだと、改めて感じさせられた。
ミサが終わりルルド滞在時間は残り1時間足らず。締めくくりとして選んだ場所は、
やはり洞窟のマリア様のところ。ポー川を背に、洞窟で行われている他の巡礼グルー
プの御ミサを眺めて過ごした。川の水の流れる音、小鳥のさえずり、大勢の人たちが
行き交っているにもかかわらず漂う静けさ。そんな中、洞窟から一人の黒人女性が歌
う聖歌が響いてきた。とても有名な曲、アメイジンググレイスだ。太く、深く、祈る
その歌声に、思わず心を奪われた。
そして、アッと思い出した。この
曲、父の好きな歌だ! いつだっ
たか、実家でテレビを見ていてこ
の曲が流れた時に、父が私に言っ
たことがあった。
「教会のことはな
にもわからんが、この曲は好きや
なあ」と。その時に私が返した言
葉は「カトリックの教会でこの曲
を歌うこととかほとんどないよ」
という全く素っ気ないもの。いつ
も、子どもの時からずっといつも、
父には素っ気ない返事をしてしまう。この年になってもなお、私は父の前では我が儘
な次女のままなのだ。そしておそらく父にとっても、私は、いくつになっても好きな
ことばかりしている勝手な娘にちがいない。この旅に出かける前日「土産はいらんぞ、
平成 28 年 8 月
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無事に帰ってこい」とお小遣いをわざわざ持ってきてくれた。こんなことが思い出さ
れた瞬間、突然涙があふれ出てきてしまった。一緒にいた方たちもびっくりして、
「ど
うしたの!?」と言ってくださるけれど、もう取り繕うこともできず、あきらめて、
まるで子どものように涙を流してしまった。
めったに経験することが出来ない素晴らしい巡礼の最後の最後に、神さまが私にふ
り返らせて下さったことは、こんな素の私の姿だった。こんな事で泣くなんてと恥ず
かしい気持ちの一方、神さまの前に、とても素直な楽な気持ちになっていく自分を感
じていた。帰ったら父に、もっときちんと感謝の気持ちを伝えよう。ルルドで流れた
アメイジンググレイスがとってもステキだったと、そして旅の最後にお父さんのこと
をお祈りして帰って来たよと、伝えよう。でも涙が出たなんて事は絶対に言わないの
です(笑)。
「夏季大掃除」
7月16日(土)恒例の夏季清掃が
ありました。天気予報では午後が雨と
なっており心配していましたが、好天
にめぐまれました。中庭の草刈りと信
徒会館の清掃、網戸の補修と清掃をお
もに汗を流しながらの作業でした。終
わりに信徒会館で冷たい飲み物をいた
だき、おにぎりやケーキを前に、おし
ゃべりの時間がもてました。
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「壮年会納涼際と教会学校サマーキャンプの合同バーベキュー」
7 月23日(土)夕方から納涼際とサマーキャンプの合同バーベキューがありまし
た。今年から参加費は500円となりました。
サマーキャンプには「はなちゃんのみそ汁」の安武父子が招かれていて、バーベキ
ューにもでてくれました。はなちゃんはういういしい中学生になっていました。
100名ほどで食卓を囲み、中庭は炭火と会話の熱気があがっていましたが、心地
よい風が通りぬける場所となっていました。
「英語ミサと洗礼式」
毎月第4日曜の 15 時から、古賀教会の聖堂では英語ミサがあります。7月24日
にはミサのなかで洗礼式がありました。
受洗おめでとうございます
マテオ
谷口 雅弥
2016 年生
代父
Mariano S.Alvarado
代母
Joy Ann Shouji
Mercy Onia Takahashi
英語ミサには40名ぼどの方が参加されていました。聖歌にはパソコンを通した演
奏が新鮮なひびきでした。
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「教父の霊的聖書解釈(2)」
「私は在る」という神名の啓示をめぐって―「わたし・自己」の謎・神秘―
ヨハネ 谷 隆一郎(東区・新宮)
周知のように、イスラエル民族の指導者モーセは、エジプト
脱出に先立ってシナイ山で神(ヤハウェ)の顕現にまみえ、神
名を啓示されました(出エジプト記 3,14)。それは、
「わたしは
在る」という神名です。(あるいは、「わたしは在る者で在る」
とも言われます。)そのくだりは旧約聖書の心臓部とされますが、
今回はこの神名の解釈について教父の指し示すところを少しく
窺ってみたいと思います。
「わたしは在る」とは、余りに単純で不可思議な表現です。ただ、「わたしは在る」
が神の名であるのなら、わたしたちの「わたし・自己」は神を何らか宿していること
になり、いわば謎かけられているでしょう。ふつうわたしたちは、この世のさまざま
な事物が―人もものも自己も―いちおう「在る、存在する」と思って、それほど怪し
みません。しかし、それらがほんとうに(何の変化もなく永遠に)
「在る」のかと問わ
れれば、
「それらは有限で、はかなく移りゆくのであり、端的に「在る」のではないと、
答えざるをえません。この点、ニュッサのグレゴリオス(4 世紀のギリシア教父)は
簡明に次のように語っています。
感覚されたものや思惟されたもの(有限な被造物)はすべて、真実には存在し
たいない。真に存在しているのはただ、万物がそこから発出してくる(創造され
る)当の、存立の原因たるもののみである。(『モーセの生涯』Ⅱ・24)
このことからして、神は「存在そのもの」であり、わたしたちはすべて「存在」を
何らか分け持っているに過ぎないとされます。言い換えれば、
「わたしは在る」たる神
に何らか与ることがなければ、つまり神的な働きないし霊(プネウマ)を受容するこ
(10)
カトリック古賀教会
とがなければ、わたしたちはほとんど無に等しい(ヨハネによる福音第 15 章の「ぶど
うの木」の喩えを参照)。とはいえ、そのことが真に身に染みてわかっているのかと、
改めて反省させられるのです。
ところで、神の顕現にまみえる前に、モーセは足から履物を脱ぐよう命じられ
ました。このことは象徴的に次のように解釈されています。
人間の本性には死すべき地上的な覆い(罪の姿、自由・意志による神への背反)
がまとわりついている。それが魂の歩みからとりのぞかれなければ、われわれは
かの(真理の光の)高みに登ることができない。(『モーセの生涯』Ⅱ・22)
「神の啓示」にしても、
「魂の浄化」があってはじめて現にこの身に生じてくるとい
うわけです。
しかし、わたしたちはむろん、自力のみによっては魂の浄化を為しえず、そのため
には神からの助け、そしてつまりイエス・キリストの働きによる助けを必要とします。
それにつけてもグレゴリオスは、「燃える柴のうちなる神の顕現」(出エジプト 3,2)
とは、何と「イエス・キリストの処女降誕の神秘」を示すものと洞察しています。
「神
性の光は、人間的生を照らしており、燃える柴を朽ちぬものに保っている」からです。
このように教父たちの眼差しにあっては、一般的に旧約の諸々の出来事は単に遠い
過去のことではありません。かえってそれらすべては相俟って、いわば時と処とを超
えて「受肉したロゴス(言)」としてのイエス・キリストに向けられ、イエス・キリス
トにおいて成就してゆくとされています。
ちなみに、ヨハネによる福音書にはイエスの言葉として、
「」
(egó eimi)という表
現が何度も登場します。つまり、「わたしは良い羊飼いである」(ヨハネ 10,11)、「わ
たしは道であり、真理であり、命である」(14,6)「わたしはまことのぶどうの木であ
る」
(15,1)、そして「アブラハムが生まれる前からわたしはある」
(8,58)などと記さ
れています。それらはすべて、イエス・キリスト自身が「わたしは在る」たる神(ヤ
ハウェ)の現存であることを証示しています。
他方、わたしたちの「わたし・自己」
はこの世のさまざまな事物に多少とも執
着し、多分に雲らされているというのが、
実際の姿かもしれません。しかし、そう
した自己の根底において、
「わたしは在る」
たる神の受肉した存在が恐らくは「かっ
ても今も、現存し、わたしたちが聴従し
てゆくよう呼びかけてくれているでしょ
う。
平成 28 年 8 月
カトリック古賀教会
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7月3日(日)
出席:ジュード神父様
各委員
《各部会報告および協議事項》
【婦人部】
・7 月 23 日(土)納涼祭準備手伝い 婦人部役員に呼びかける
【営繕部・将来計画委員会】
・テントに入れる文字デザインについて提案、決定した(別紙)→ 発注する。
・古賀教会のテーマを記したタペストリーのデザインが決定した → 発注する。
【典礼部】
・7 月 10 日、御ミサのあと、典礼部の集まりを行う。
・
「いつくしみの特別聖年」に因み「ゆるしの秘蹟」につき、ジュード神父様より講話。
7 月 17 日、9 月 18 日、10 月 16 日(第 3 日曜日)ミサの後、御聖堂で行われる。
【壮年会】
・7 月 23 日の納涼会の準備。参加者人数の把握、買い出し、焼き肉コンロの設置など。
飲み物・食材の内容や量については、婦人会と相談しながら決める。
【その他】
・幼稚園グランド下の水道管工事につき工事費60万円のうち1割を教会が負担する。
・名簿の整理が中村さんを中心にすすんでいる。名簿印刷や、差し込み印刷について
は、中村さんか福田さんに問い合わせてください。
・サマーキャンプについての詳細内容が決定。
・毎月第1日曜日の午後に外国出身者の方を対象に、日本語講座を開く。
(ジュード神
父さまより)
《今後の予定》
・7/10(日)
典礼部集会
・7/16 日(土)
9:00 夏季清掃
・7/23(土)~24 日(日) 教会学校サマーキャンプ、壮年会納涼祭
・8/11(木)
13:00 平和を祈る集い(於:大名町教会)
・8/15(月)
9:30 聖母被昇天ミサ
・9/11(日)~16(金) オブレート会黙想会
(12)
カトリック古賀教会
【帰天】永遠の安息をお祈りいたします
生前、古賀教会の皆に沢山のいつくしみをいただき感謝します。
テレジア 谷村 武子 さま 7 月22日帰天(享年83)
【転出】どうぞお元気で(韓国教区へ)
エルマ
李
【転入】(東区・新宮)〒813-0044
【転入】(東郷・日の里)〒819-0053
ボナヴェントューラ
マリア・フランシスカ
【転入】(古賀)〒811-3111
【住所変更】(古賀)〒811-3103
(転入)
ヨゼフ
智弘(43才)
福岡市西区城の原団地
平田
央 (43才)
直美(42才)
古賀市花見南
ヴァレンティーナ
ヨゼフ
福岡市東区千早
平野
ニコラオ
喜子
米丸
恵美(40才)
古賀市中央
松本
邦広(31才)
拓海(1才)
感謝してご報告いたします。
オルガン購入寄付
789,112円
(教会会計
7 月 24 日現在)