1.ユダヤの人種は? セム系? or コーカシアン? キリストの人種は? 今

ヨーロッパ史における戦争と平和
第1回(9 月 24 日)
:19 世紀末におけるユダヤ人問題
質 疑 応 答 [回答は常体で標記]
1.ユダヤの人種は? セム系? or コーカシアン? キリストの人種は?
今のユダヤ人はコーカシアン系のようであるが、その経緯は?
質問主旨からみて、質問者は専門家のようである。ユダヤとアラブ人の対立に目を奪わ
れ、かつてはセム系かハム系か、コーカソイドかコンゴイドかの論議が盛んだったが、今
や人種論議は影を潜め ― 人種というものが存在することが否定されるようになり ―
また、言語系列のセム語もハム語も大差ないというかたちに収まってきているようだ。コ
ーカソイドは白人だが、アラブもユダヤ人もコーカソイドに入る。コンゴイド(黒人)は
エチオピア人やソマリア人の大半である。しかし、ここにも古代セム系も移り住んでいる
ので、紅海沿岸のエチオピア、ソマリアにも古代セム人が移住し、人種や言語の事情は複
雑である。
ユダヤ人が使うヘブライ語(これも分岐しているが)がセム語に入るのはもちろんだが、
アラブ人が使う語で最も有名なアラビア語もセム語であり、エチオピア語やソマリ語もセ
ム語に入る。ハム語というと、今や古代エジプト語、北西アフリカのベルベル語しかない。
よって、今ではセム語とハム語の区別をせず、両方を合わせてアフロ・アジア語という。
イエス・キリストはもちろんユダヤ人である。
歴史を少々辿ってみよう。広大なアラビア砂漠に接する弓状の小さな三角地帯がユダヤ
の故地である。しかし、セム系のユダヤが登場するのは比較的遅い。そこの元の住民はシ
ュメール、バビロニア、アッシリア、ヒッタイト、カルデアが興り、次いで滅んでいった。
何万年であろうか、さまざまな民族が興り、それぞれが次の時代を準備する役割を演じ、
そして消えていったのである。
BC5~6千年頃、砂漠からセム系の集団が興り[注]、しだいに勢力を増し、そのうち
の一部は西進してナイル川の方に向かい、すでに成熟したエジプトの文明に接した集団も
ある。北上集団も東進集団もある。大部分はチグリスとユーフラテスの低地肥沃地帯に惹
かれた。彼らは何世代もかかって少しずつ力をつけ、ついにシュメール人を征服した。し
かし、文化的にシュメールに征服されたようで、シュメールの芸術や生活様式を採りいれ
た。よって、セム系はアラビア半島の東、西、北、そしてナイル川沿岸にも広がっていた
ことになる
[注]初期の侵入者は近代セム系の特徴である高い頬骨と鷲鼻の容貌をもっていたと長く考えられてい
たが、しかし、人類学の研究から、その特徴がセム系に限られるとか、初期セム系の特徴とすると
かの論は否定されるにいたる。
移動の波は、さほど肥沃でない小さな地域へも零れていった。パレスチナと西メソポタ
ミアがアモリ人の選んだ地域で、彼らは長年かかって先住民と土地を巡って争い、結局、
先住民を追い出してしまう。新参者はしごく活動的な民のようで、優れた農業、商業文明
を発達させただけでなく、大胆にもバビロニアの強大な都市を攻め落としたりしている。
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シリア、北メソポタミアに定着した集団は旧約聖書に登場するアラム人となった。通商
で有名だが、その一部はダマスカスを中心とする強力な王国を築く。その国はイスラエル
にとって恐るべきライバルの一つとなった。ヘブライの預言者たちが口を極めて非難した
のがこの部族である。
ヘブライ系の一部は死海東部に定着し、長い時間をかけ少しずつ移動してパレスチナに
到達。この滔々たる移動はその後も何世紀も続き、BC2千年頃になっても終わらなかっ
た。しかし、パレスチナに定着した民は、決して自然地味には恵まれているとは言えない
この地に定着した。緑豊かな自然にほど遠く、ヨルダン河谷の断層地帯が南北に走り、わ
ずかにオアシスがあるだけの場所にアモリ人とその傍系がひきつけられたのは、古代世界
の東西交易路の十字路にあたったからである。ここからはバビロンにも、エジプトにも、
アナトリア南岸沿いにギリシアへも行くことができたのである。
2.キリスト教徒であるヨーロッパ人がユダヤ人であるイエス・キリストを受け入れてい
ることが理解しづらい。なぜでしょうか?
難問である。
「ユダヤ人」という定義が難しいことを私は授業で述べた。結局、
「ユダヤ
人」とは「ユダヤ教を奉じる人」または「ユダヤ人の母から生まれた子」でしかなく、今
のイスラエルはユダヤ人で構成されているのはむろんだが、この国家は(無神論を含め)
信教の自由を認めている世俗国家である。
信仰心を失った者のユダヤ人としてのアイデンティティ問題は深刻である。また逆に、
外国に住みついているユダヤ人はイスラエルの現状を見て世俗国家=イスラエルと知っ
てさぞかし驚いたことであろう。イスラエルは非宗教的シオニストによって建国されたか
らこうなったのである。しかも、このシオニズムは最も重要な局面でユダヤ教に頼ってき
たのだ。イギリスが第一次大戦時にユダヤ人に建国という約束(バルフォア宣言)をした
が、それを第二次大戦後になって履行しようとして、ユダヤ人国家の建設地としてウガン
ダを提案したとき、シオニストたちはこれを拒否するために旧約聖書を使ったのである。
ユダヤ人とは何かを定義のかたちで示してみよう。
「ユダヤ人とはユダヤ人の母から生まれた者」
「ユダヤ人とは旧約聖書を信じる者」
「ユダヤ人とは反ユダヤ主義(キリスト教原理主義を含む)によって迫害された者」
「ユダヤ人とは自分がユダヤ人と感じる者」
「ユダヤ人とは精神的中心をイスラエルに置く者」
上記の最大公約数的な定義では、なにもかもがユダヤ人に入ってしまう。だから、ユダ
ヤ人こそアイデンティティにいちばん悩む存在である。
キリスト教徒もその後の長い宗教的抗争・政治抗争を経てきており、寛容主義に傾いて
いる者が多く、また、現在のヨーロッパ人で熱心にキリスト教を奉じている者は少なくな
り、公然と無神論者と名乗る者もいる。それは、日本人が広い意味での仏教徒でありなが
ら、仏教徒であるという自覚をもたないことに似ている。
(c)Michiaki Matsui 2015
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