おばあちゃんに教えてもらったこと 田辺小学校 6年 堀井咲花 今年の春、おばあちゃんが亡くなりました。81歳でした。お葬式に来てくださった 人達は「もっと長生きしてほしかった」とみんな泣いておられました。81歳といえば、 長生きで大往生と思われるかもしれませんが私は、おばあちゃんが大好きだったので、 本当に悲しかったです。もう一度おばあちゃんに会いたいです。 おばあちゃんは、昭和6年に満州で生まれました。満州とは、今の中国東北部にかつ て存在した地域です。日本が中国に作り上げた国家で、第二次世界大戦が終わる194 5年まで存立していました。 おばあちゃんの両親は、満州で手広く商売をしていたので、家はとても裕福だったそ うです。お手伝いさんがたくさんいて、何不自由ない生活だったそうです。しかし、順 調だった商売が傾き、その上両親が相次いで病死したため、おばあちゃんは小学生の時 に兄弟3人で日本に帰国しました。それから成人するまで親戚の家でお世話になったそ うです。おじさんやおばさんにはとても親切にしてもらいましたが、お世話になってい る身でわがままを言うわけにもいかず、欲しい物ややりたいことなど一切口にできませ んでした。それが一番辛かったとおばあちゃんはよく言っていました。だから、孫達に は同じ思いをさせたくないからと、いつも「何か欲しい物はないか」「行きたい場所は ないか」「お小遣いは足りているか」と聞いてくれました。そして、いつもニコニコ笑 って、誰にでも親切な本当に優しいおばあちゃんでした。誰一人おばあちゃんに怒鳴ら れたことがありません。 70歳を過ぎた頃からテレビのニュースで、若い人や小さな子供が亡くなったと聞く と、「もう私は十分長生きしたから私が代わってあげたかった」と悲しむようになりま した。「こんなおばあちゃんが生きているより若い人が生きている方が世の中のために なる」とよく言っていました。私は、おばあちゃんに生きていてほしかったので、そう かなあと思っていました。 そして、おばあちゃんは、若い人の命を大切に思っていることが分かりました。特に 中学生や高校生、時には小学生が自殺するニュースに心を痛めていました。 おばあちゃんは私達のことをとても心配していました。「学校は楽しいのか。」「習い 事は大変じゃないのか。」 「仲良しの友達はいるのか。」と、いつも聞いてくれました。 私が「学校は楽しいよ、友達と仲良くしているよ。」と答えると嬉しそうにニコニコ笑 っていました。 おばあちゃんの子供時代は、決して幸せだったとは言えなかったでしょう。大好きな 両親を早くに亡くして辛かっただろうし、小さな弟や妹の面倒を見るのも大変だったで しょう。でも、81歳で亡くなるその日まで、自分自身に与えられた命を一生懸命生き たと思います。自分だけのためではなく、子供達、孫達、友人や近所の人達のために命 を大切に生きたのだと思います。おばあちゃんは辛いことをたくさん経験してきました。 だからこそ人の痛みが分かる優しい人になれたのでしょう。 私はこれから小学校を卒業し、中学生になります。やがて大人になり社会人になりま す。いろいろな経験をするでしょう。それは楽しいことばかりではないかもしれません。 泣きたくなるくらい辛いこともあるでしょう。でも、それを一つ一つ乗り越えて、おば あちゃんのように誰にでも優しくできる強い人になりたいです。そのために、今自分が できることから始めようと思います。学校へ行く。宿題をきちんとする。習い事を頑張 る。友達と仲良くするなど、当たり前のことをきちんとすることが大切なのではないで しょうか。今日1日を大切にすることが自分の命を大切にすることにつながると思いま す。私は、大好きだったおばあちゃんに教えてもらったことを思い出しながら1日1日 を大切に生きていこうと思っています。
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