暮らしは低く 志は高く 米森美智夫 皆さんは若い。これからの可能性が

暮らしは低く
志は高く
米森美智夫
皆さんは若い。これからの可能性がとても大きい。持てる力を伸ばさなくてはもっ
たいない。ぜひ、志を高く持って、大きな将来の目標に向けて努力して欲しい。
人間は満ち足りると安逸に堕してしまうところがある。だが、今の時代ハングリー
精神を持てといっても難しい。ならば、自分の意志で、厳しい環境に自らを置くこと
も必要である。
南予の奥深い農村に生まれたM君は、小さな中学校から大洲の高校に進学した。遠
方であることや経済的に余裕がないので、新聞配達の下宿に住み込んだ。朝の新聞配
達や夜の折り込みチラシ広告入れ等、新聞販売店の仕事をすれば下宿代がいらなかっ
たからである。兄も弟も同じように新聞配達をして高校を卒業した。
そのMは高校に入学して10日も経たないうちに、学級担任へ学校をやめると言い
出した。驚いた担任教師は中学校へ連絡し、中学の教師は本人を訪ねて説得する。だ
が、Mの気持ちは変わりそうもない。高校ではどんな勉強をしてその先どのように進
むのに適するかを、Mはよく理解していなかったのが原因であった。
「こんな勉強をす
ると思わなかった。」と言った。大切な進路の選択において悔いを残してしまった。
しかし、Mは結局やめずに卒業した。意欲は出ないまま過ごし成績も落ちていたが、
2年の終わり頃、この先どうするかという現実が迫ってきてやっと一念発起した。そ
の後はがむしゃらに勉強するようになった。今までさぼっていたから、残された時間
もない。
「新聞配達の時間が恨めしい。もっと早くから勉強しておけばよかった」と言
うほどになった。勉強でも部活でも目標がないと頑張りがきかない。小さくていい。
目先のことでいい。目標をもつことが大切だ。Mは地元の私立大学に合格し、部活動
でも全国大会に出場するほど頑張った。今、高校の教師として活躍している。
A君は中予の山間の小さな町に生まれた。幼いころは泣き虫のきかん坊であり、母
親も手を焼いていた。小学校が終わる頃になっても、気に入らないことがあると大声
で泣きわめき、一時間程は泣き止まぬので中学生活が心配された。だが、Aも中学入
学をきっかけに一念発起した。毎日夜9時になったら必ず勉強机に座ることにしたの
である。頑固者だから一度決めたら少々のことでは崩れない。テレビがどうであれ、
来客がどうであれ関係ない。盆や正月でも机に座る時間がとれないようだと不機嫌に
なる。松山の高校へ進み、国立大学医学部へ入学した。その下宿を訪ねたことがある
が、古い一軒家の屋根裏部屋だった。天井は大きな黒い棟木がむきだしで電灯も薄暗
い。自分でご飯を炊き、おかずといっても佃煮や漬け物の他にこれといったものもな
い。当然テレビやラジオ等はない極めて質素な暮らしである。2歳年下の弟も近くの
高校に進み2人で暮らすようになる。Aは大学6年間もそこで暮らしたから、あわせ
て9年間その暗い部屋にいた。その後大学病院の医師として勤め、今は近県の国立大
学医学部の教授になっている。
十数年前の話だが、そんなに昔のことではない。親もその気になれば、子供にもう
少し快適な暮らしをさせられなかったわけではない。あえてそうしなかったのではな
いかとも思われる。
「若い時の苦労は買ってでもせい」と言われたことはないだろうか。
若い時はむしろ暮らしは低く、そして志こそ高く持つべきである。困難な状況があっ
たとしても負けないで、強く大きく伸びていって欲しい。
「平成26年度 野村高校進路の手引き」より