早期前立腺がん 治療選択説明書

早期前立腺がん
治療選択説明書
社会保険中京病院 泌尿器科
はじめに
我が国における前立腺癌の発生は急激に増加してきており、1994 年は 10,940 人の方が前立
腺癌と診断されましたが、2020 年には新たに約 7 万人以上の方が診断されるであろうと予
測されております。
近年、血中腫瘍マーカーである PSA (前立腺特異抗原)検査が、住民健診を含め広く施行
されるようになり、早期の前立腺癌が発見されるようになってきました。このパンフレッ
トは、早期前立腺がんと診断された方に対して診断の説明と選択可能な治療法について決
定の手助けとなることを目的に作成されたものです。
診断
<診断方法>
一般的には、前立腺に針を刺して組織を採取し、そこに癌細胞が含まれているかどうかを
見る検査(前立腺針生検)を行って、前立腺癌かどうかが診断されます。ただ、この検査
も出血や感染や痛みなどの問題もありますので、触診や PSA の値などから癌の可能性が高
いと思われる人にだけ行います。
<前立腺針生検の結果>
..
一口にがんと言いましても、悪性の程度がおとなしいものから、たちの悪いものまで様々
ありますが、その程度を表すものとして「グリーソン・スコア」があります。グリーソン・
スコアは、1 から5までの二つの数字の合計で表されるもので、最低 2 点、最高 10 点とな
..
りますが、点数が高いほどたちが悪い(悪性度が高い)と言うことになります。最近では、
前立腺癌と診断されたら、5~6 点はつけることになっており、5~6 点は低悪性度、7 点は中
悪性度、8~10 点は高悪性度と言われることが多いです。
ただし、これらの診断はあくまで前立腺の一部の組織を採って調べたものですので、もし
前立腺を実際に摘出すると、もっと悪性度の高い成分が含まれている可能性もありますし、
もっと広い部分にがんが存在することもあります。
<画像診断の結果>
CT・MRI・骨シンチなどの画像診断で、特に明らかな前立腺周囲組織へのがんの浸潤やリ
ンパ節や骨などへの転移は認められず、前立腺に限局した早期がんと診断された前立腺が
んのステージ(病期)は「B」となります。ちなみにステージは A から D まであり、A は
前立腺肥大症の内視鏡手術で偶然見つかるもの、B は前立腺に限局しているもの、C は前立
腺周囲の脂肪や精嚢に浸潤しているもの、D はリンパ節や骨などに転移のあるものです。
※ステージの表記方法としては TNM 分類によるものもあります。
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治療
早期前立腺がんの治療法は①手術②放射線療法③ホルモン療法④無治療経過観察⑤その他
があります。治療選択にはこれに PSA の値、グリーソン・スコア、年齢などが考慮されま
す。
① 手術
手術は、全身麻酔をかけて前立腺・精嚢を尿道と膀胱から切り離して摘出し、膀胱と尿道
をつなぎあわせるものです。大きく分けて開腹術と腹腔鏡手術があります。当科で行って
いるものは下腹部を縦に8cm ほど切開して手術を行うもので小切開手術と呼ばれているも
のです。尿道と膀胱の縫い目が引っ付くまでの約 1 週間は、尿道にくだ(カテーテル)を
留置します。合併症としては術中には出血、術後には尿漏れと勃起不全(ED)があります。
出血については術前に自分の血液を保存しておく(自己血貯血といいます)ことで、他人
の血(血液センターからの輸血)が必要となることは5%以下です。尿漏れは立ち上がっ
たときや咳・くしゃみなどお腹に力を入れたときに漏れるものですが、80%以上の方が術後
3 ヶ月以内におむつが不要なまでに回復します。勃起不全はほぼ必発ですが、勃起神経を温
存する術式もあります。一般に手術は余命が 10 年以上の方に行うので、75 歳までの方が適
応となります。手術の利点としては、完全にがんを取り除くことができ病気の治癒が望め
ることです。PSA も速やかに下降します。またもし再発しても放射線治療やホルモン治療
を追加できるので 10 年以上の長期的な生存率も良好です。入院期間は約 2-3 週間です。費
用は保険適応があり自己負担分となります。
手術方法としては、他に腹腔鏡手術もあります。この地区では名古屋大学、名古屋市立
大学などで行われています。下腹部に5つほどトロカーといわれる器械を刺して留置しカ
メラでお腹の中をモニターで観察しながら外から鉗子とメスを使って、前立腺・精嚢を摘
出します。利点として術後の回復が早いことが言われていますが、尿漏れなどの合併症が
多いのと技術的にむつかしいこともあり、どこの病院でも行っている手術ではありません
ご希望の方には紹介させていただいています。こちらも保険適応があります。
またダ・ヴィンチという手術用ロボットを術者が操作して腹腔鏡手術をおこなうロボッ
ト支援前立腺全摘除術があります。海外では急速に普及しており、合併症も開腹術や腹腔
鏡手術と遜色がないことが報告されています。日本でも 2006 年より本手術が導入され、先
進診療で施行されてきましたが、2012 年 4 月より保険適応となりました。現在この地区で
は、名古屋大学、名古屋市立大学、藤田保健衛生大学で行われています。当院でも 10 月下
旬よりこの手術を開始しており、名古屋市内では 3 番目となります。
ダ・ヴィンチ
ロボット支援手術システム
左より術者コンソール 手術台 モニター
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前立腺全摘術の概念
膀胱
精嚢
前立腺ガン
前立腺
括約筋
膀胱尿道吻合
尿道
手術前
前立腺摘出後
② 放射線治療
放射線照射には体の外から照射する外照射療法と放射線を出す物質を体に埋め込んで照射
する内照射療法(組織内照射療法)があります。また外照射には照射する線種により従来
からの X 線と重粒子線・陽子線治療などがあります。重粒子線・陽子線治療は当院では施
行できませんので他院を紹介しています。組織内照射療法は、小さな線源を前立腺に挿入
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するもので小線源治療(ブラキテラピー)とも言われています。放射線治療を行なった場
合は、前立腺を焼くことになるので周囲組織と強固に癒着するので、あとで手術すること
は不可能となります。また通常は限界量まで照射するので再度照射することはできません。
しかしホルモン治療の追加は可能です。
(1) 外照射療法
一般に多くの X 線を癌に照射すると癌の根治性が高まりますが、周囲臓器にも X 線
が当たるので副作用が増加してしまいます。従来から多くの施設で採用されてきた
リニアック治療では、からだの深いにある前立腺に、がんを根治できるだけの線量
を当てようとすると皮膚や周囲の膀胱・直腸に多くの X 線が当たってしまい皮膚炎、
難治性の直腸や膀胱からの出血、感染症などの合併症を生じてしまいました。強度
変調放射線治療(IMRT)は、コンピューターを使用して前立腺と精嚢に合併症な
く多くの線量を当てられるように、照射の強さと方向を複雑に調整して照射する方
法で、根治可能な線量を当てることが可能となりました。治療効果は 72Gy 以上照
射すれば短期的には前立腺全摘除術と再発率に差がないことが報告されています。
長期的には治療効果は前立腺全摘や次に述べる小線源治療より劣るという報告も出
ています。合併症としては頻尿、排尿困難や直腸出血がありますが、従来のリニア
ック治療より軽度で全く合併症のない方もあります。外来通院での治療が可能です
が、1 日 2Gy ずつの照射ですので 2 ヶ月以上かかってしまうのも欠点です。中京病
院では 2009 年 4 月よりこの IMRT による治療が可能となりました。癌の大きさな
どに応じて後に述べるホルモン治療を 3 ヵ月から 1 年間行った後に照射することも
あります。費用については、保険適応があり自己負担分となります。
バリアン社のトリロジー(当院の同型機)
(2)小線源療法(ブラキセラピー)
小線源療法は、非常に弱い放射線を出す長さ 5mm ほどの小さな何十個ものシード
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と呼ばれる金属を前立腺に植え込むことで、体の中から多くの線量を前立腺に照射
して治療を行うものです。具体的には下半身麻酔をかけて会陰部(肛門と陰嚢の間)
から前立腺に針をさして、
特殊な器械でヨウ素 125 の入ったシードを埋め込みます。
シードから出る放射線は時間とともに弱くなり、2 か月後に半分となり、約 1 年後
にはゼロとなりますが、金属は体内にずっと残ることになります。小線源療法が適
応となるのは、がんが小さく、前立腺内に限局しており、さらに PSA10ng/ml 以下
でかつグリーソン・スコア 6 以下の悪性度の低い癌です。この基準より PSA やグ
リーソン・スコアが高い癌では、再発率が高くなるので、適応外となります。また
著しく前立腺体積が大きい方や以前に経尿道的前立腺切除術(TURP)を行った人
も施行できません。利点としては勃起障害が前立腺全摘より尐なく 7 割の方で維持
可能ということ、4 日間の短期間の入院で済むことが挙げられます。合併症として
は最も多いものは排尿障害ですが、排尿痛や血尿などが出ることもあります。また
直腸出血がまれにあります。治療可能な施設は限られ、愛知県では名古屋大学、藤
田保健衛生大学、愛知県がんセンターで施行されています。しかし治療予約が約 1
年先まで詰まっていて待ち時間が長いことも問題点の一つです。費用は保険適応が
あり、自己負担分となります。2012 年4月から当院でも小線源治療を施行開始しま
した。
シード挿入の模式図
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(3)重粒子線と陽子線治療
特殊な放射線を体外から照射する方法です。通常使用される X 線は体の表面ほど抗
腫瘍効果が強いのですが、重粒子線や陽子線は体の内部の方が強い効果を出し、目
標の臓器の後ろで急に弱くなり周囲組織へ副作用を生じる可能性が低くなります。
問題としては重粒子や陽子を作るのに特殊な大きな設備が必要で、建設費も数十億
から百億円以上かかり、また高価な維持費もかかります。従って治療は保険適応外
で自費となり、300 万円弱ほどかかります。治療効果については先ほど取り上げた
IMRT と大差はないと言われています。治療可能な施設は千葉の放射線医学総合研
究所、国立がんセンター東病院、静岡がんセンター、兵庫県立粒子線治療センター
などです。2013 年 3 月ごろより東海地区で初めて名古屋西部医療センターで陽子線
治療が開始となります。詳しくは当該病院で話を聞いていただくことになります。
③ホルモン治療
前立腺は精液の一部を産生し、精子の運動など生殖において重要な働きを担っており、男
性ホルモンの影響を強く受ける臓器です。そこから発生する前立腺がんも同様に男性ホル
モンの影響を強く受けます。すなわち男性ホルモンを投与すればがんは大きくなり、男性
ホルモンを抑えるか女性ホルモンを投与すると小さくなります。この性質を利用して男性
ホルモンを抑える治療を行い、がんを小さくするのがホルモン治療です。
男性ホルモンはその 95%が精巣(睾丸、タマ)で作られあとの 5%は副腎で作られます。
精巣からの男性ホルモンを抑えるには二つの方法があります。一つは手術で両側の(2つ
とも)精巣を取ってしまうもので、もう一つは脳から出ている精巣を刺激するホルモンを
注射で抑えて結果として精巣からホルモンが出ない状態にするものです。1 ヶ月か 3 ヶ月に
1 回半永久的に注射を続ける必要があります。また副腎からの男性ホルモンを抑えるために
は内服薬を飲み続ける必要があります。
大半の前立腺がんにはこのホルモン治療は有効ですが、抑えるだけでがんが消えてなく
なるわけではではありません。注射の場合は、治療を中止すればまたがんは大きくなって
きます。従って注射は死ぬまで続けなければなりません。リンパ節転移や骨転移のある進
行がんにはこのホルモン治療が第一選択となりますが、早期がんでも全身状態が悪く前立
腺全摘が出来ない人や手術を希望されない人には選択されます。
ホルモン治療の問題点としては、長くホルモン治療を続けていると徐々に効果がなくな
り PSA さらにはがんが大きくなり始めます。これを再燃と言います。再燃がんになると効
..
果のある治療は尐なくなり予後は不良となります。一般にはたちの悪い(低分化やグリー
ソン・スコアが 8 以上のもの)では早く再燃する傾向があります。しかし早期前立腺がん
では、最近日本でホルモン療法単独と前立腺全摘+ホルモン治療の 2 群を比べた試験が行
われ、10 年生存率に差がないことが報告され、早期がんでのホルモン治療が、見直されて
きています。また副作用として長くホルモン治療を行うと骨粗鬆症や陰茎の萎縮を起こし
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やすくなることがあります。
④. 治療経過観察
前立腺がんは他部位のがんと比べて悪性度が低く、比較的ゆっくり大きくなり、転移を生
じることも遅いことが知られています。つまりがんがあっても必ずしも生命を脅かす危険
があるとは言えないことがあります。そこで PSA 測定など定期的な検査だけを行い、がん
が増大してから治療を行うという選択肢もあります。しかし生検はがん全体の悪性度を示
しているものではなく、中には PSA が上昇しない前立腺がんもあり、正確な予測は難しい
です。この方法は、一般には 80 歳以上の高齢の方に選択されるべきものと考えています。
⑤その他
一般ではありませんが、その他実験的な治療法もいくつかあります。名前を挙げると HIFU
(高密度焦点式超音波治療法)・クライオサージェリー(凍結外科治療)・TUNA(経尿道
的針焼灼療法)
・免疫療法などがあります。いずれも一部の施設しか施行していませんし保
険適応ももちろんありません。どうしてもご希望の方には紹介致します。
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