1 陸軍省お傭い仏国下士官ジュクロの 陸軍戸山学校における役割 5 ジュクロ関係戸山学校体操年表(1) 慶応2年12(1)月 第一次仏軍事顧問団(首長 シャノアン参謀大尉) 慶応3年 4(5)月 シャノアン建白書(「練体法」柔軟欠如、動作不活発) 明治元年(1868年) 田辺良輔『新兵体術(教練)』 (徒手、跳躍器械、筋骨柔軟、運動自在、練兵の前提) 明治5年4月11日 エシュマン歩兵大尉(A, Echeman アルマン・ピエル・ アンドレ、-明治8年1月18日) 明治5年4月11日 クロス歩兵下士官(Cros、-明治9年2月29日) 明治6年7月 8日 エシュマン、陸軍師範学校(エコールドノルマル) 設立建言 木下秀明(元日本大学) 明治6年8月20日 兵学寮出張所設立(明治7年2月4日 戸山学校と改称) 和田浩一(神戸松蔭女子学院大学) 明治7年1月 日本体育学会第61回大会 2010年9月10日、中京大学 明治7年5月26日 ジュクロ歩兵軍曹(Ducros、-明治10年4月10日) 1 2 はじめに 陸軍文庫『体操教範』 エシュマン口訳、長坂昭徳筆述(器械体操皆無) 5 6 ジュクロ関係戸山学校体操年表(2) 1.1872年来日の第二次フランス軍事顧問団員エシュマン大尉設立 建言の戸山学校外人教師は、彼と下士官クロスの二人だけ 明治 8年10月29日 ブーゴアン歩兵中尉(Alexander Etienne Bouguin、 -明治12年12月31日)* 2.1874年『体操教範』(エシュマン口述、「引」1月)に器械体操なし 明治17年 4月 3.体操担当下士官ジュクロは、『体操教範』刊行後間もなく来日 明治17年10月29日 ドビラレー歩兵中尉(?、-明治20年10月28日) 4.高島は、軍隊体操の基礎はジュクロと評価 明治17年12月13日 ドビラレー、戸山学校改革建議 5.2009年、和田がジュクロ退役時の年金申請 書類を入手 明治17年12月 『体操教範 柔軟之部』刊行 (専科制、体操普及制度) 本発表は、以下の3点を明らかにする 『体操教範 器械之部』 『体操教範附図 器械之部』刊行 明治18年 8月 3日 校長、陸軍卿に教範改訂増補申請 (ジュクロの体操は高尚煩雑、一般兵に不向き) 1) ジュクロはフランス陸軍の軍隊体操の専門家 「体操モニター」 明治21年 4月 『体操教範 高尚器械之部』刊行 2) ジュクロの戸山学校外人教師中に占める位置 明治22年 5月 『体操教範改正報告』 3) 軍隊体操に対するジュクロの役割 3 ジュクロ、フランソワ・ジョセフ(Ducros, François Josephe)略歴 1854. 2.13 1855.10. 1 1856. 7.23 1856. 7.23 1860. 7.21 1867. 2.21 1867. 2.23 1870. 7.21 1871. 6. 7 1871. 8.24 1874. 4.12 1877. 6.08 1877. 9.11 1878. 2.24 (「高尚器械之部」は「体操学校の教科書」とする) 2 志願入隊、歩兵、20歳(1833.10.31、ドローム地方 ロリオル生) 2等伍長 陸軍特別学校修了?(rang) =ランク グレード 2等軍曹 1等軍曹 Sergent(特務曹長?) 近衛歩兵大隊転属 普仏戦争従軍、捕虜(-1871.6.6) 近衛歩兵大隊1等軍曹(=曹長?)→ 捕虜で降格? サンシール陸軍特別学校(士官学校)体操モニター* 日本派遣使節団員 (Parti en mission au Japon) * Moniteur de gymnastique 帰国 サンシール陸軍特別学校(士官学校)体操モニター* 3 退役(Sergent「歩兵軍曹」 、体操モニター* ) 7 約 1. ジュクロは「体操モニター」(軍隊体操実技指導の有資格者) で、来日前後はサンシール士官学校勤務 2. ジュクロは、第二次軍事顧問団の増員として来日 3. ジュクロの任務は、エシュマン等が必要視しながら実現に至 らなかった器械体操の実地指導 4. 『体操教範』明治17年「器械之部」、明治21年「高尚器械之 部」刊行の前提となったのが、ジュクロの実地指導 5. ジュクロ指導の器械体操は、高尚煩雑で一般兵には不向き 6. このため、明治22年、一般軍隊の器械体操の平易化が図ら れ、「高尚器械之部」は戸山学校教科書に指定 補.器械体操は兵式体操の一部として学校体操に採用され、 その奨励の競技会化から体操競技へと発展。 7 4 陸軍戸山学校「傭教師」一覧:雇用期間、「担当課目」 要 6 文 8 献 井口あくり他(1906)体育之理論及実際、国光社、pp. 446-447. ・『明治六年起至明治三十年(参考資料)陸軍戸山学校沿革史』稿本 ・下線は『新説明治陸軍史』(中村赳、昭和48年、梓書房) 木下秀明(1970)スポーツの近代日本史、杏林書院、pp. 3-6. 1872. 4.11-1875. 1.18 ヱシュマン歩兵大尉 「操練 射撃 体操 学術」 木下秀明(1982)兵式体操からみた軍と教育、杏林書院、p. 16. 1872. 4.11-1876. 2.29 グロース歩兵下士官(1875.10 少尉) 「操練 射撃 体操 学術」 Labrosse(1930)L' Ecole de Joinville 1852-1930, …,…. 木下秀明(1983)陸軍戸山学校の体育1、オリンピック 21: 6-9. 1874. 5.26-1877. 4.10 ヂュクロ 歩兵軍曹 「体操」 無記名(1897?)明治6年起至明治30年陸軍戸山学校沿革史 1875.10.29-1879.12.31 ブーゴアン歩兵中尉 「射撃学」 中村赳(1973)新説明治陸軍史、梓書房 1884.10.29-1887.10.28 ドウヰラレー歩兵中尉(1884.12 大尉) 「軍術 射撃学及術科」 日本体育会編(1903)日本之体育、育英舎、上編、p. 9. 大久保英哲(2009)近代日本体育の形成における幕末フランス 軍事顧問団の影、体育学研究 54: 1-14. 1884. 9.27-1887. 7.24 キエル砲兵軍曹(1885.5.26 下副官) 「体操及剣術」 無記名(1877?)陸軍省第二年報、陸軍省?、p. 143. 1887.9-1889.1 ルフェーブル歩兵大尉 「戦術、射撃、体操学」 高島平三郎(1905)体育原理、育英舎、pp. 350-351. 4 8
© Copyright 2024 Paperzz