90-10 - 熊本大学大学院 社会文化科学研究科

共災思想と東日本大震災
について
熊本大学大学院社会文化科学研究科特別セミナー
『震災復興の時代学:共災の思想、再生の技法』
2011年12月10日(土)
9:30-16:45
高橋 隆雄
熊本大学大学院社会文化科学研究科・教授
講演の内容
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共災とは
清水幾太郎の問題提起
共災の時代の生き方:自然・意気・諦念
共災の時代の位置づけ
震災犠牲者について考えること
震災犠牲者の生の意義
生きとし生けるものとのつながり
一切の有情はみなもて、世々生々の父母兄弟なり
さらなる展開
共災とは
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「共災(co-disaster)」とはどういうことか。
それは「災害と共にあることの自覚」。「共病」と似ているが、
それをも含み、より広く深い内容をもつ。
個人の生、社会、世界は安定したものではなく、いつ何どき
災害に見舞われるかもしれないという自覚をもつこと。これを
基盤にして、個人の生、社会のしくみが考えられるべき。
このような思想を中核とする時代を「共災の時代」と呼ぶこと
ができる。
生の意味、死の意味、人間と自然の関係、世界の不安定性、
科学技術の有限性の自覚、個人と社会のありかた、自由観、
幸福観、等に関係する。つまり、世界観、自然観、社会観、
人間観、科学観など多くの領域に「共災」の思想は及ぶ。
人間と環境の関係:人間と自然はたがいにせめぎあってい
る。ここから出発する。災害から人間を守る(防災)、人間か
ら自然を守る(自然保護)の両方が必要。そのとき、人間と
環境との間に望ましい関係が出現する(共生)。
今日は、主として、共災の時代を生きる態度と、犠牲者の魂
の救済について話す。
共災の核:人間と自然の関係
人間への悪
自然災害
自然への悪
防災
保護
自然の美・癒し
自然破壊
恵の収穫
崇高さの感嘆
(一種の紛争処理)
防災
保護
よい関係(共生)
清水幾太郎の問題提起
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「日本人の自然観-関東大震災-」(1960)
関東大震災をリスボン地震(1755)と比較。死者・行方不明
者は、それぞれ15万人(現在:10万人)、1~1.5万人。リ
スボンでは、地震の後に大火災や海嘯(潮津波)が発生し、
「災害の立体化」が行われた点は関東大震災と同じ。しかし、
リスボン地震はヨーロッパ思想界に大きな衝撃を与えた。
ヴォルテール(Voltaire)『カンディード』:ライプニッツの哲学
(現実は神が創ったままのあるがままの姿において善であ
る)を批判。地上には悪が存在する。
「いかなる罪を、いかなる過ちを犯したというのか、母親に抱
かれたまま潰されて血にまみれた子供たちは。今はないリス
ボンの犯した悪徳は、享楽に耽っているロンドンより、パリよ
りも大きいというのか。リスボンは亡び、パリでは踊ってい
る。・・・宇宙、動物、人間、すべては戦い合っている。地上に
悪のあることを、われわれは認めなければならぬ。・・・ヤガ
テ一切ハ善ナラン、ここにわれわれの希望があり、イマ一切
ハ善ナリ、ここに幻想がある。(ヴォルテール)」
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「天災は、人間と自然との間の調和を一瞬にして破壊する。
しかし、多くの日本人に共通な建築様式及び生活様式から
すれば、失われた調和は極めて簡単に回復される。」
「その被害がいかに大きくても、関東大震災は一回限りの絶
対の事件であることは出来ない。それは日本人の上を見舞
い、どこかへ去って行き、或る期間の後に再び訪れて来ると
ころの、言い換えれば、循環のプロセスを動くところの、新鮮
でない、見慣れた訪客なのである。」
*「訪客」:折口信夫「まれびと(客人)としての神」
God as a Guest.
ほとんどの人が天譴・天罰として受け止めた。「天譴という観
念が持ち出されることによって、天災は無意味な自然現象で
あることをやめ、人間にとって有意味な、しかも積極的な方
向に有意味な事実となる。・・・了解可能な事実となる。・・・
天譴の観念は、天災を彼岸から此岸へ連れて来る。」
天譴が非選択的である点は致命的である。「天譴は、これを
蒙らねばならない人間を選び出して、この人間の上にのみ
下ったのではない。」 天罰(visitation)
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「それに向かって天譴が下される当のものは、総じて、不自然な
もの、自然に反するもの、自然に叛くものでなければならな
い。」腐敗したブルジョア社会、プロレタリア文学、都会、化粧、
鉄筋コンクリート建築、ie.文化。
「自然の破壊的作用によって生じた一切の既成事実は、自然的
なものとして、それゆえに、望ましいものとして事後的に弁明さ
れる。このように、何も彼も自然の闇の中に消えてしまう。」
暴力としての自然と美としての自然。『方丈記』 「われわれは、
暴力によって突き倒された人間が美としての自然によって救い
上げられるという循環の軌道を歩み続けて来たようである。」
「リスボンの一万乃至一万五千の死者には思想史上の意味が
加えられたのに反して、関東大震災の十五万の死者は空しく死
んでいる。誰に向けてよいのか判らぬ憤りが、今も私の内部に
残っている。」
実際に、リスボン地震は、ヨーロッパ思想界をゆるがした。自然
は、神の創造した最善の世界という捉え方から、人間が理性的
科学的探究を通じて法則を発見し支配していくべき対象へと変
貌していく。
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清水の言いたいのは次のことである。
「古い中国の天の思想も、キリスト教の神の思想も、多くの
人々にとっては全く欠けていた。それを支えるだけの強固な
伝統も誠実な信仰もなしに、いわば取敢えず、地震は天譴
であると説かれたのであって、天譴は一つの臨時雇の観念
であった。(中略)日本の天譴は、非常の事態を合理化する
のに便利な合言葉として使われていただけで、この観念をト
コトンまで擁護する試みも、また、これをトコトンまで否認する
試みも見られぬまま、いわゆる帝都復興の進むにつれて消
えてしまったのである。それは、関東大震災に対する唯一の
思想的反応のように見えながら、しかし、実は、心理的反応
に近い、ムード的なものにとどまった。」
すなわち、天譴、天罰を臨時雇いの観念にせずに、それを
徹底的に追究すべきだったということである。
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日本の災害の歴史をみると、古代から、住所、住居等の対
応や土木工事等の対策とともに、為政者は道徳的反省を行
い政治の改善をしてきた。これは儒教思想に基づいていた。
天変地異や災害を天譴、天罰として受けとることは、それま
での生活や政治に対して道徳的反省をすることであり、天譴
は点検・改善をもたらすともいえる。 点検としての天譴。
東日本大震災についても、これを「天罰」だとする石原都知
事の発言があった。これを肯定的に受け止める論者もいる。
西部邁は、石原発言について以下のように述べる。「何らか
「必然」の力がはたらいて、現代日本に衰運の兆しが現れて
いる、とみてとる感覚それ自体は大事なものです。」「歴史の
流れから頭一つ分だけ超えて国家の進路を操縦する指導者
がいなければ、どんな時代も歴史の流れに翻弄されてしま
う」 (「私はこの震災をどう受け止めたか」『危機の思想』NT
T出版2011)
今日の講演では、東日本大震災以後の時代を「共災の時
代」と位置づける。また、震災犠牲者の生の意義を考えてみ
る。日本人の天譴の背後にある思想・形而上学はここでは
述べないが、それを加えると、これは私なりの天譴、天罰思
想の探究であり、清水幾太郎の憤りに応えるものでもある。
共災の時代の生き方:自然・意気・諦念
(Nature, Spirit, Resignation)
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九鬼周造は、日本的性格、日本文化の特徴について次のよ
うに述べる。
「大體において日本的性格、従って日本文化に三つの主要
な契機が見られるやうに私は思ふ。自然、意氣、諦念の三
つがそれである。」(「日本的性格」)
ここに挙げられた「自然」、「意気」、「諦念」は、それぞれ神の
道としての神道、儒教、仏教を背景としてもつ。ここでは自然
が基盤にあるとされる。
日本文化を規定するのに、「甘え」、「母性原理」などが用い
られてきた。これは、九鬼の三要素でいえば、自然性の要素
であり、論理よりも情の重視や関係主義的人間観などとも親
和性をもつ。
九鬼は三つの要素の緊張的統合関係が、日本文化、日本
的性格の理想形態といえる。 「甘え」、「母性原理」の欠点は、
形相としての意気や諦念の軽視にあるといえる。
それでは、三要素による分析がどの程度、戦後の日本文化
に妥当するのかをみてみよう。
共災の時代の位置づけ
見田宗介『現代日本の感覚と思想』 (講談社学術文庫 1995)
 理想の時代(1945-60) 「プレ高度成長期」
アメリカン・デモクラシーの理想とソビエト・コミュニズムの理想
進歩派、同時に現実を追う者。我々が切り拓くものとしての現実。理念が
先行。
 夢の時代(1960-70年代前半)
「高度成長期」
農業から工業へ。農村共同体と大家族主義の崩壊。幸福の時代。
前半は「あたたかい夢」、後半は「熱き夢」。理想の時代の「理想」の生み
だす抑圧と、近代合理主義、管理社会への反抗。
 虚構の時代(1970年代後半-90)
「ポスト高度成長期」
73年オイルショック。流行語「終末論」「やさしさ」。前の時代の凶暴なもの、
熱いものを削ぎ落とす。リアルなものの最後の拠点の家族の変質。非現
実性、不自然性。東京というハイパーリアルな都市、ディズニーランド。
「キタナイ」「ダサイ」の排除。情報社会、欲望と市場の自己創出。
見田の分析はここまで。以下は私の解釈。
 過渡期の時代(1990-2010)
虚構の時代の延長・過激化。それとともに、災害の多発による自然的契機
の再認識が始まる。バブル崩壊と不況により、経済的頂点まで上り詰め
たという諦念が自覚されてくる。
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1945年から、共災の時代へ
自然
意気
諦念
理想の
時代45-60
変革への意気
諦念の軽視
夢の
時代60-75
変革への
自然
意気
意気
諦念
諦念
緩い統合
虚構の
時代75-90
過渡期
諦念
諦念
自然・意気
後退
自然の
再認識
90-10
共災の
時代2010自然・意気
諦念の緊張
ある統合
震災犠牲者について考えること
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これまでメディアや論者は、主として震災を生き残った人々、
現在も放射能汚染におびえている人々に焦点を当ててきた。
震災犠牲者について、生前の言葉や行動の記録も出版され
たが、一部の犠牲者にとどまっている。
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犠牲者は身内や知人の記憶の中に残り続けるだろうし、供養
という仕方で魂を救済することが行われる。それでも、私には
清水幾太郎の憤りが気にかかる。
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清水が感じた憤りは、関東大震災が何ら思想的に意義あるも
のを生まなかったことについてであった。十万の犠牲者の死
が無駄になったという思いがそこにある。
これはまた多くの日本人が漠然ともっている感情でもあろう。
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われわれは、世間的に無名であり、名前さえ知らない人の悲
惨な死に対して何もなすすべはないのだろうか。
震災犠牲者の生の意義
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西部邁「私はこの震災をどう受けとめたか」 (『危機の思想』)
「災害死は、事故死もそうですが、自死や戦死と決定的に違
う点があります。自死・戦死にあっては、死にゆく者の「意
志」の善悪、巧拙、軽重について、生者が、たとえ死者とは
他人であっても、思いを致すということになりがちです。他方、
災害死・事故死にあって死者のことを切実に思うのは、おお
むね、家族だけです。(中略)その証拠に、メディアで騒がれ
ているのは生き残った被災者や避難者の「生活」の苦しさ、
ということばかりです。三万近い死者を、他人ははや忘却の
彼方に追いやったということなのでしょう。そうなるのが憂き
世の宿命と認めなければなりますまい。しかし、そうとわかり
つつも、他者の「意図せざる死」を自分の家族に生じたことと
想像する必要を訴えずにはおれません。 」
ところが、2万に及ぼうとする犠牲者について想像をめぐら
すことはほとんど不可能である。名前さえ知らないのである。
ここでは「想像」は役に立たないのである。
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ここでは、ある類似性が役立つ。それは、とくに幼い頃のケ
アの匿名性ということである。
幼い頃のケアは栄養と似ている。というのは、幼い頃に与え
られたケアは、栄養のように、誰によって与えられたかという
こととあまり関係なしに、ケアされた者の中に宿るからである。
母親がいなくてもそれに代わる母親のようなケアで代替でき
る。栄養の場合、どのような栄養を摂取したかは記憶に残ら
ないが、その人を生涯支える下地になる。
さらに、ケアと生の意義について述べてみる。ケアされたも
のの成長は、ケアしたものの生を意義あるものとする。
私が大事に見守った子どもたちが成長し幸福になることは、
その成長を私が感じていなくても、知っていなくても、私に
とっての幸福であり、私の生・存在を意義あるものとする。さ
らには、行きずりの人が私の言動によって少しでも喜びを覚
えたり安心を覚えるならば、それも私の生・存在を意義ある
ものとする。そのことをその人が、また私が自覚していなくて
も同様である。
ここでは、私の自覚や意図と係りなく、私の生はその結果に
よって意義をもつことになる。そして、死後もその意義は更新
し続ける。意図の自覚、記憶、経験ではなく因果が重要。
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幼子へのケアとの類比は驚くべき事でもある。というのは、
我々は犠牲者を弔い供養する(ケアする)が、実は犠牲者た
ちによって養われもする(ケアされる)のである。犠牲者に
よってわれわれは自らの行き方を振り返ることができる。「天
譴思想」はこれと関係する。発想の転換がここにはある。い
かに彼らを救うかは、亡くなった親にいかにして恩返しする
のかと似ている。残った我々はその意味で犠牲者たちの次
世代でもある。
犠牲者には記憶されるべき輝かしい業績や誇るべき達成、
英雄的行動がなくてもよい。生・存在が意義をもつには無名
でもかまわない。犠牲者による自覚や感覚なしでも、彼らの
生自体は意義あるものとなりうる。たとえ不幸であっても意
義ある生となりうる。
かれらの生・存在の意義は死後も存在するし、死後多くの年
月が過ぎてから新たな意義が生まれることもしばしばある。
これは、戦争犠牲者にも、多くの災害、事故の犠牲者にも当
てはまる。
意義は人の主観的評価にもとづくのではなく、自己・他者や
社会へのよき影響・幸福増進の結果に依存する。
これは普段のわれわれの考えに適ってもいる。
生きとし生けるものとのつながり

大震災の犠牲者たちの死が無駄にならない一つの意味は、
その死を受けとめる我々の生の糧になる、我々がそれから
個人としても社会としても学び、反省し成長するということに
ある。震災後を共災の時代と捉えることもそれに含まれる。
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それは、犠牲者の生が意義あるものとなること、いいかえれ
ば、救われることでもある。
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このことは、栄養となる多くの生き物の命を意義あるものと
することと類比的。「いのちをいただく。」
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栄養となってきた生き物たちは、我々をケアしてきたのであり、
ある意味で親の役割を果たしてきたともいえる。

このように考えるとき、仏典の「一切の有情はみなもて、世々
生々の父母兄弟なり」という言葉の、非輪廻思想的解釈に
近づくように思われる。輪廻については考えないが、行為の
結果(業、カルマ)がその行為をした人の生の意義に係る。
一切の有情はみなもて、世々生々の父母兄弟なり

歎異抄:
「親鸞は、父母(ぶも)の孝養(きょうよう)のためとて、一返にても念仏まふ
したることいまださふらはず。そのゆへは、一切の有情はみなもて、世々
生々(せせしょうじょう)の父母兄弟なり。いづれもいづれもこの順次生に
仏になりてたすけさふらふべきなり。」
(親鸞は、亡き父母の追善供養のためであるといって、念仏を称えたこと
は、かつて一度もない。そのわけは、すべての生きとし生ける者は、生ま
れかわり死にかわりして、父母となり兄弟となってきているから、父母と
いってもこの世の父母だけに限らない。だから、つぎの世には浄土に生
まれてほとけとなって、それら輪廻の生存をくりかえしている人びとをす
べて、浄土へ救いとるのである。現代語訳 早島鏡正)

「一切の有情はみなもて、世々生々(せせしょうじょう)の父母兄弟なり」
から、災害で亡くなった人々は、われわれの今後の生にとって貴重な教
訓を与えたという意味で、ある種の父母の役割を演じたといえる。

これまで食糧となってきた動物たちも同様である。実際の父母以外にも、
多くの有情が父母となっていく。その恩に報いるのは、その恩を知るとと
もに、われわれが幸福な生を送り、さらに後の世代にそれを継続させて
いくことにある。

ここでは、「一切の有情はみなもて、世々生々の父母兄弟な
り」を感じたり、想像したりすることは必要でない。

そのような「論理」を知ることが肝心である。この論理は、輪
廻に基づくものではない。生きとし生けるものの生の意義は、
その行為・行動の意図ではなく、その及ぼした結果に依存す
ること、意図も何らかの結果として現れること、生の意義につ
いては、心理的ことがらよりも、それをも含む広範な結果が
重要であるということに基づく。

世界の物理的因果が心理を巻き込んで進行するように、業
と結果の因果も心理的要素を巻き込みつつ客観的に進む。

「パーリ語の「カタンニュ」や「カタヴェーディン」の語は、報恩
とか知恩などと漢訳されるが、直訳すれば「なされたことを知
る人」という意味である。恩に報いる人とは、相手のなしたこ
とを知る人をいう。」 (早島鏡正)

本来の意味で恩を知りうるのは人間である。なされたことを
知ることで、なされたことは我々にそれとして現れる。
さらなる展開

震災犠牲者の生を意義あるものとすることは、生きとし生け
るもののいのちのつながりを介して、震災で犠牲になった家
畜、ペット、魚、貝等の動物たち、野菜、松林、雑草、若布、
藻等の植物、さらには海と陸の生態系の死や破壊を意義あ
るものとするかもしれない。これは、アニミズム的自然観の
残る日本では、けっして儚い幻想ではないだろう。

「共災」の時代の到来は、日本を代表とする地震国にとどま
らない。世界的規模で環境が変貌している。地球温暖化。化
石エネルギー枯渇。オゾン層破壊。大気汚染。砂漠化。食糧
危機。疫病の国際化。また、台風、ハリケーン、洪水の激化。

近代では自然の暴威を科学・技術が支配しようとしてきたが、
この限界が露呈している。我々の生を支える大地、海、空と
いった環境が、今度は人為による影響を加えて、より手ごわ
い存在として現れつつある。世界中が共災の自覚を持つべ
き時代を迎えている。
ご清聴ありがとうございました。