日本における旅行保険誕生の歴史と 鉄道の関わり - JAFIT

日本国際観光学会論文集(第18号)March, 2011
《研究ノート》
日本における旅行保険誕生の歴史と
鉄道の関わり
先本 将人
ジェイアイ傷害火災保険株式会社
The research of the travel insurance in Japan is not advanced compared with that of other automobile insurances and the fire
insurances.The purpose of this research is to clarify the history of the birth of the travel insurance in Japan as the beginning of the
travel insurance research .The fact that the invention and the spread of the railway were greatly related to the birth of the travel
insurance was known by this research. This thesis wants to cradle the travel insurance by what details, and to arrange to be born
in Japan.
1.はじめに 図−1からもわかるように、日本の損害
2−1 現代の日本の旅行保険の分類
海外旅行渡航者数がここ数年伸び悩む中
保険種目で正味収入保険料の大きな割合を
旅行保険は損害保険種目の中では傷害保
でも、海外旅行保険の保険金請求の件数は
占めるのは、自動車保険
(自賠責保険含む)
険に属し、現在日本で販売をされている旅
年々増えている。また海外旅行中に旅行者
と火災保険である。自動車保険や火災保険
行保険は旅行先
(旅行目的)
により大きく4
が晒されるリスクについても、従来のケガ
に関わる研究や書籍は多数存在をするが、
つに分類できる。その4つの旅行保険とは、
や一般的な病気、手荷物の盗難や置き引き
一方でニッチな保険種目である旅行保険に
国内旅行保険、海外旅行保険、インバウン
に加えて、テロリズム・伝染病・麻疹・新
関わる書籍は若干あるものの、これに関わ
ド旅行保険、宇宙旅行保険であり、それぞ
型インフルエンザなどの新たなリスクにつ
る研究論文は日本では皆無であり、充分な
れの旅行行程中の様々なリスクに対応をし
いての対応が求められている。
研究の進んでいない分野であるといえる。
ている。以下それぞれの旅行保険の概要を
特に2010年は、アイスランドでの火山噴
本研究の目的は、旅行保険研究の足掛かり
記すこととする。
火による欧州各国での空港封鎖、スイスの
として、日本における旅行保険誕生の歴史
氷河特急の列車脱線事故、エジプトのバス
を明らかにするということにある。本研究
2−2 国内旅行保険
事故、アメリカユタ州のバス横転事故など、
では1911年日本傷害保険株式会社の設立
国内旅行行程中のケガ等の事故での死
日本人旅行者が海外旅行中に事故に巻き込
を日本における旅行保険誕生の年と位置付
亡・入院・通院の場合の補償や携行品の損
まれたことが多かったこともあり、そのた
けをして、どのような経緯で旅行保険が世
害、法律上の賠償責任を負った場合にその
びに海外旅行保険の存在がクローズアップ
界に発祥をして、わが国にも誕生してきた
損害について補償する保険になっている。
された。
のかを整理をしていきたいと思う。
ケガ等で入院または通院した場合には1日
しかしながら、日本の損害保険種目のな
かで海外旅行保険をはじめとする旅行保険
当たりに支払する保険金額を事前に決めて
2.現代の日本の旅行保険
は、正味収入保険料の額からみて、極めて
ニッチなマーケットといえる。日本におけ
図−1 2009年保険種目別の損害保険正味収入保険料
る旅行保険の年間正味収入保険料は正確な
データはないが、一般的に700億円から800
億円と推定されている。
(社)
日本損害保険
協会「ファクトブック2010日本の損害保
険」によると2009年度の損害保険全体の正
味収入保険料は約6兆9711億円になって
いるので、旅行保険の占める割合は損害保
険全体からみると約0.01%に過ぎない。
出所:(社)日本損害保険協会「ファクトブック2010日本の損害保険」を基に作成
−97−
日本国際観光学会論文集(第18号)March, 2011
おいてその額を定額払いする。
表−1 国内旅行保険と海外旅行保険の主な特約比較
国内旅行保険
2−3 海外旅行保険
海外旅行中の様々なリスクに対応して、
傷害保険の中でも旅行中の疾病リスクを補
償することに大きな特徴がある。一般の保
険は、保険会社の責任期間として日時を定
傷害死亡
傷害後遺障害
通院保険金日額
入院保険金日額
賠償責任
携行品損害
海外旅行保険
傷害死亡
傷害後遺障害
治療・救援費用
疾病死亡
賠償責任
携行品損害
めた始期から終期までを保険期間としてい
出所:筆者作成
るが、海外旅行保険はその期間内かつ海外
旅行行程中に発生した保険事故を対処とし
表−2 海外旅行保険特約別事故データ(2009年度)
て支払責任をもつと定めている。この海外
旅行行程中とは、旅行者が保険証券記載の
海外旅行の目的を持って、住居を出発して
から住居に帰宅するまでの旅行行程を意味
している。従って永住目的で海外へ行く人
や、永住権をもって外国に居住する人は除
外をされている。
補償項目(特約)
治療・救援費用
携行品損害
旅行事故緊急費用
賠償責任
その他
合計
事故割合
45.
6%
35.
3%
13.
4%
1.
6%
4.
1%
100%
出所:2009年度ジェイアイ傷害火災保険調べ
また約款構成は普通保険約款で一般的な
ことを定めて、これに個別の危険を担保す
る特約を加えることになっており、主な特
飛行機等から降りるまでの間を補償する。
るジョージ・スティーブンソンが発明した。
約には傷害死亡・傷害後遺障害・治療救援
日本から宇宙飛行機等の打上げ基地までの
鉄道博物館「井上勝と鉄道黎明期の人々」
費用・傷害治療費用・疾病治療費用・疾病
旅行行程および宇宙飛行機等の発射準備が
(2010)によれば、1825年にはイギリスの
死亡・賠償責任・救援者費用・携行品損害・
完了するまでの間ならびに宇宙飛行機等を
ストックトン∼ダーリントン間で世界最初
航空機遅延費用・旅行事故緊急費用・旅行
降りた以降の旅行行程は、現行の海外旅行
の公共鉄道が開業をして、その後欧米を中
変更費用等がある。
保険で補償する。
心として鉄道は急速に広まっていった。
1830年にはジョージ・スティーブンソンが
2−4 インバウンド旅行保険
3.世界における旅行保険の誕生
息子のロバート・スティーブンソンと共同
訪日外国人を受け入れる法人等
(企業・
3. 1 イギリスにおける鉄道の発明と発達
で設計・制作した「ロケット号」がリバプ
学校・団体)が保険契約者となり、訪日外
傷害保険は、急激かつ偶然な外来の事故
ール∼マンチェスター間
(約200㎞)を最高
国人が日本滞在中に事故に遭った場合に負
によって被保険者が傷害を受けた場合に、
時速46.6km、約4時間30分で走っている。
担をする事故対応費用等を補償する保険で
その程度に応じて、一定の約定により保険
しかしその頃の汽車は大変に危険な乗り
ある。特約付帯することにより傷害・疾病
者が保険金を支払うという保険で、諸外国
物で、1830年9月15日の開通式の時に開通
の治療費用を補償することができる。
「観
にあっても古くから創設され販売をされて
記念列車に試乗をした下院の指導者が汽車
光立国」を目標とした「ビジット・ジャパ
きている。
ン・キャンペーン」が展開をされ、今後訪
傷害保険の発祥の国
日外国人の増加が期待される中で、さらな
はイギリスである。イ
る商品内容と付帯サービス面での拡充が必
ギリスにおける鉄道の
要とされる旅行保険である。
発明と発達が、傷害保
険の誕生に大きく関わ
2−5 宇宙旅行保険
っている。18世紀に欧
月旅行・本格宇宙旅行
(軌道旅行)
・宇宙
州で興った産業革命は
体験旅行
(弾道飛行)
等の宇宙旅行行程中の
様々な機械化と工業化
事故による傷害死亡に限定して補償する旅
をもたらし、1814年に
行保険である。宇宙飛行機等の発射準備が
は世界で初めての蒸気
完了し、搭乗した時点から宇宙空間である
機関車をイギリスの
大気圏外へ出た後、地球上に帰着し、宇宙
「鉄道の父」と言われ
−98−
写真−1「ロケット号」 出所:ロンドンのサイエンス博物館保存
日本国際観光学会論文集(第18号)March, 2011
にひかれてしまうという事故があったとい
あった。しかしそんな日
うことである。
(木村栄一「損害保険の歴
本にも鉄道に関する風聞
史と人物」,2007)
や知識が少しずつもたら
木村栄一「損害保険論」
(2006)によれば、
されてきていた。西欧諸
1849年1月19日付けのザ・タイムズ紙は次
国で唯一交易が認められ
のように当時の鉄道の様子を報じている。
ていたオランダは長崎出
“railway accidents 島のオランダ商館長が海
are almost of daily
外情勢を毎年定期的に報
occurrence,generall
告し、それを長崎奉行所
y ending in loss of
が「風説書」
( 詳細に記録
limb−often of life
“
されたものは「別段風説
「鉄道事故がほとんど毎日のように起こり、
書」
)としてまとめて幕府
多くの人が手足をなくしておりますが、し
へ提出をしていた。
ばし死亡者もでています。
」
鉄道博物館「井上勝と
図−2 19世紀イギリスの漫画
鉄道黎明期の人々」
(2010)
3−2 鉄道傷害保険の誕生
に よ れ ば、1846年 の 別 段
このような状態だったので、1848年には
風説書には、フランスが
ロンドンに「鉄道旅客保険会社」
(Rail
パナマ地峡で鉄道建設計
way Passengers Assu
画を進め、5年後の同書
rance Co)が設立され、鉄道の切
には完成したと紹介をされており、その他
た。この会議で東京∼京都間の幹線と東京
符と同じ大きさの鉄道傷害保険のチケット
にも鉄道に関する記事が散見をされている。
∼横浜間・京都∼神戸間・琵琶湖∼敦賀間
が駅の改札口で発売された。世界で最初の
また、蘭学者によるオランダの書物の翻訳
の3つの支線をイギリスから資金を借り入
傷害保険は鉄道事故による傷害を対象には
によっても欧米の知識が紹介をされ、1854
れて建設することが話し合われ、同年に正
じめたものであるといわれており、またア
年の薩摩藩の蘭学者、川本幸民が翻訳・口
式決定をしたとのことである。
(鉄道博物
メリカでも1850年に同様に鉄道傷害保険
述した「遠西奇器述」には写真機や電信機
館「井上勝と鉄道黎明期の人々」, 2010)
は発売されたということである。
(木村栄
と一緒に蒸気機関車の原理や構造が解説を
1870年、建築師長エドモンド・モレルら
一「損害保険の歴史と人物」, 2007)
されたということである。
お雇い外国人をイギリスから招き、エドモ
話題の汽車に乗ってみようと駅にやって
1860年、日米修交通商条約批准のため渡
ンド・モレルを監督として汐留付近から測
きたイギリスの貴婦人が、鉄道傷害保険の
米した幕府使節団や、1862年の遣欧使節団
量を開始し、新橋∼横浜間の建設に着工を
広告を見て驚いている当時の漫画が残って
は現地で実際に鉄道に乗車をした。遣欧使
した。ついに、1872年9月12日、新橋∼横
いる。
節に随行をした福沢諭吉や渋沢栄一は、そ
浜間約29Kmの日本最初の鉄道が開通をす
1850年には鉄道事故による傷害だけで
れを単なる見聞や乗車体験には留めずに、
る。最高速度時速32.3kmで所要時間約5
なく、全ての傷害保険を補償する「普通傷
社会や経済との関連において注目をして、
3分、1日9往復をして蒸気機関車はイギ
害保険」の会社が設立された。つまり、傷
その有用性を説いてその後の鉄道建設に大
リスから輸入した10両のうちの1両を使
害保険の始まりは鉄道事故の傷害をリスク
きな影響を及ぼすことになる。
用した。
ヘッジすることに由来をして、その後日常
そして明治維新を迎え交通、居住、営業
最初の運賃は上等席1円12銭5厘、中等
生活を補償する傷害保険へと補償範囲が広
の自由が認められるようになると、新たな
席75銭、下等席37銭。米1升が4銭の時代
がったのである。1885年には同じくロンド
交通機関として自転車や人力車や乗合馬車
で現在の貨幣価値になおすと、下等席でも
ンで傷害の他に疾病危険も補償する
「疾病・
などが次々と現れたが、蒸気船のようによ
約8,000円∼ 9,000円。開通当時はまだ一部
傷害保険」会社が設立をされた。
り早く長距離を移動する交通手段は陸上に
の人が利用するに過ぎなかったが、1886年
は存在していなかった。そこで鉄道は近代
には新橋∼横浜間で日本最初の定期券が販
4.日本における旅行保険の誕生
的国家の建設には不可欠と考えられるよう
売されるなど、その後急速に普及していっ
4−1 日本の鉄道開業
になった。
た。
イギリスで世界最初の公共鉄道が開通し
1869年、鉄道建設に関する非公式会議が
鉄道の建設は最初技術面と実務面で外国
たころ、まだ日本は幕藩体制の鎖国下にあ
太政大臣三条実美邸で開かれ、岩倉具視と
人に依存をしていたが、イギリスで鉄道を
り、西欧の文明とは遠くかけ離れた世界に
沢宣嘉がイギリス公使パークスと会見をし
学んだ井上勝らの技術・知識をもとに次第
−99−
出所:
「損害保険の歴史と人物」
日本国際観光学会論文集(第18号)March, 2011
に日本人の手に移り、のちに飛躍的な発展
料率算定会料率業務部「傷害保険料率の変
めていた。旅行傷害保険に付帯する主な特
を成し遂げることになる。
遷」
、1991年)
約としては、登山担保特約や航空機搭乗担
また明治時代に起きた2つの戦争、日清
基本となる保険種類は普通傷害保険と旅
保特約があり、割増保険料を徴収すること
戦争と日露戦争により、軍需物資を日本国
行傷害保険である。旅行傷害保険の中には
により付帯をしていた。
内で大量に効率的に運ぶことが鉄道の役割
国内旅行の鉄道旅行中の傷害危険を担保す
として求められ、そのことも日本の鉄道技
る「鉄道旅行傷害保険」と日本国内外の旅
4. 4 創設時の旅行保険の販売方法
術の発展を大きく促した。
行中の傷害危険を担保する「海陸旅行傷害
日本傷害保険株式会社は、営業開始と同
保険」があった。
時に鉄道の駅構内売店や切符販売所を保険
4−2 日本傷害保険株式会社の設立
傷害保険の料率については、事業方法書
代理店として委託契約をして、旅行保険の
木 村 栄 一「 損 害 保 険 の 歴 史 と 人 物
と算出方法書にそれぞれ記載をされている
契約獲得に努めていたといわれている。現
(2007)
」によれば、わが国における旅行保
が保険料の算出基礎に関しては、わが国は
在に置き換えると、JRの各社と保険会社
険の誕生は、粟津清亮法学博士によるもの
じめての事業であり傷害統計がないことか
が代理店委託契約をして改札口付近や駅構
である。粟津博士は1900年にパリで開催さ
ら主として諸外国の実例を参考としている。
内のキヨスク等で国内旅行保険の販売をし
れた保険の国際会議に出席をした機会を利
特に普通傷害保険についてはドイツのアリ
ていたことになる。
用して、欧米の保険事業を視察した。そし
アンツ傷害保険会社のものを、旅行傷害保
危険な旅行交通手段の主力が鉄道から航
て欧米では汽車や汽船その他の交通機関の
険についてはドイツのケルン傷害保険会社
空機に変わった現在においては、日本各地
利用による死亡や傷害を保険する「旅行奇
やロンドンのエムプロイヤーズ・ライヤビ
の空港構内の保険代理店に委託をして、対
災保険」が、工場や鉱山その他の職業上の
リチー保険会社による保険料を参酌して定
人カウンターや自動販売機を設置して国内
奇災に対して保険する「職業奇災保険」
、
日常生活で被った傷害を保険する「平常奇
図−3 日本傷害保険株式会社の広告
災保険」と同様に発達していることを知る
ことになる。そこでわが国にもこの奇災保
険と訳される保険、つまり傷害保険を作る
必要があると考え、こうして農商務省に保
険会社の設立を申請して、日本で最初の傷
害保険専門会社「日本傷害保険株式会社」
( 現 在 の 損 害 保 険 ジ ャ パ ン 株 式 会 社 )が
1911年に誕生したのである。
販売当初は行政でも、傷害保険が損害保険
なのか生命保険なのかについて慎重な検討
が行われたが、結局欧米の例にならって損
出所:
「損害保険の歴史と人物」
害保険として扱われた。その後時代は昭和
になって火災保険会社や海上保険会社でも
傷害保険をあわせて販売するようになり、
表−3 日本における旅行保険誕生までの略歴
になった。
年
1814年
ちなみにわが国における最大の保険種目
1825年
多くの損害保険会社が傷害保険を扱うよう
である自動車保険の創設は遅れること3年
の1914年になるので、旅行保険の方が歴史
的に古いことになる。
4−3 創設時の旅行保険の内容
1911年に営業が開始された傷害保険の
専門会社である日本傷害保険株式会社の基
礎資料によれば、傷害保険の種類と料率は
1830年
1848年
1848年
1850年
1872年
1900年
1911年
主 要 事 項
・イギリスでジョージ・スティーブンソンが蒸気機関車を発明
・イギリスで蒸気機関車「ロコモ−ション号」がストックトン∼ダー
リントン間を走行
・イギリスで蒸気機関車「ロケット号」がリバプール∼マンチェスター
間を走行
・ロンドンに鉄道旅客保険会社が設立
・イギリスで世界最初の鉄道傷害保険が販売
・アメリカで鉄道傷害保険販売
・日本で新橋∼横浜間の鉄道開通
・粟津清亮法学博士がパリで開催された保険の国際会議に出席をして
欧米の保険事業を視察する。
・日本傷害保険株式会社によって日本で最初の旅行保険が販売
出所:
「損害保険の歴史と人物」を基に筆者作成
以下の通りということである。
(損害保険
−100−
日本国際観光学会論文集(第18号)March, 2011
旅行保険や海外旅行保険を販売している。
害保険株式会社の設立により旅行保険が日
保険販売の場所が駅から空港へと変わった
本にも誕生した。日本傷害保険株式会社の
が、旅行出発間際に旅行交通手段の乗り場
最初の広告
(図−2)
に鉄道の絵が描かれて
で保険販売をするという、現在の旅行保険
いることは象徴的であるが、旅行保険発祥
販売ビジネスモデルのルーツをここに見る
の国であるイギリスと同様に、日本におけ
ことができる。
る鉄道の発達とその大衆化は、旅行保険誕
生に大きく関わることになったのである。
5.日本における旅行保険誕生と鉄道の関
日本に旅行保険が誕生して約100年が経
わり
過した。鉄道乗車中の傷害事故を補償する
産業革命によるイギリスにおける鉄道の
ことから始まった旅行保険は、その後全旅
発明と発達は、それまで以上に陸上での大
行行程の傷害危険を補償するようになった。
量の旅行者の交流と長距離移動を可能にさ
そして1964年の日本人の海外旅行解禁に
せた。しかしながら、従前の交通手段と比
あわせるように疾病危険
(現状は海外旅行
較して当時の鉄道ははるかに危険であり、
保険とインバウンド旅行保険のみ補償)が
当時の新聞記事に記載をされている通り、
補償をされるようになった。その後は賠償
鉄道開通から約20年が経過していても、旅
責任危険、携行品損害、救援者費用などの
行者の死亡やケガが相次ぐという事態が起
特約が続々と開発された。さらには旅行保
こっていた。鉄道の発達により、旅行者の
険誕生の時では想像もできなかったと思う
移動手段としての利便性は格段に向上した
が、宇宙旅行保険まで開発をされた。旅行
ものの、その反面で旅行者が鉄道乗車中に
保険は、旅行者の多様な旅行中のリスク実
傷害事故に遭遇するという、旅行行程中の
態と旅行者のニーズに即した総合的な保険
新たなリスクが発生をしたのである。この
として現在に至るまで発展を続けているの
ようなことを背景にしてイギリスで鉄道傷
である。
害保険が他の傷害保険に先駆けて誕生をし
て、後に旅行保険へと進化をした。
引用文献
イギリスやアメリカで鉄道傷害保険が販
売されたころ、日本はまだ開国直前であっ
1. 鉄 道 博 物 館「 井 上 勝 と 鉄 道 黎 明 期 の
たが、その後明治維新を経て西欧諸国にな
人々」鉄道博物館、2010年、2頁∼3頁、
らい文明開化を成し遂げて遂いくことにな
6頁∼7頁
る。近代国家への歩みの過程に不可欠なも
2. 木村栄一「損害保険の歴史と人物」社団
のとして、明治政府は鉄道の開通と発達を
法人日本損害保険協会、2007年、19頁
位置付けた。交通機関は自転車や人力車や
∼ 20頁、32頁
乗合馬車などがすでに存在をしていたが、
大量の旅行者がより早く効率的に長距離移
動する交通手段は陸上には存在していなか
3. 木村栄一・野村修也・平澤敦「損害保険
論」有斐閣、2006年、12頁、215頁
4. 損害保険料率算定会料率業務部「傷害保
った。
険 料 率 の 変 遷 」1991年、 1 頁、137頁、
その後鉄道の発達と普及により旅行者に
140頁
とって鉄道が大衆的な交通機関となったこ
ろ、粟津清亮法学博士がパリで開催をされ
た保険の国際会議に出席をして欧米の保険
事業を視察した。欧米では汽車や汽船その
他の交通機関の利用による死亡や傷害を保
険する「旅行奇災保険」が存在することを
知り、鉄道が急速に普及をしていた日本に
おいてもその必要性を感じたのである。イ
ギリスから60年以上遅れて、1911年日本傷
−101−
日本国際観光学会論文集(第18号)March, 2011
−102−