日本国際観光学会論文集(第18号)March, 2011 《調査報告》 ギリシャにおける文化遺産返還運動の成果と 観光政策に関する一考察 ―世界遺産・文化遺産保全と博物館整備の事例を中心に― 石本 東生 ギリシャ政府観光局 アドミニストレーション・マネージャー 明治学院大学非常勤講師(Ph.D) Greece, my main research field, is one of the large-scale tourism countries in the world. Each year 16 million visitors flood into Greece, so that, according to the UNWTO (World Tourism Barometer) 2008, Greece is currently ranked sixteenth in the world as a tourism destination. However, the Global Financial Crisis that began in 2007 has had a negative impact especially in Greece; tourism income has fallen dramatically. Even at the present time, the international press contains many negative reports concerning financial problems in Greece. In order to counteract this, the Greek government is making great efforts to maintain Greek museum facilities and to gain restoration of important cultural properties that have been illegally transferred abroad in the past, such as the Elgin Marbles, which are currently in the British Museum in London. Greek tourism has an important function for World Heritage because of its position at“The Origin of European History and Culture.” This research will describe several national projects that are designed to help stimulate the economic revival of Greece. 1.はじめに し市場からの借り入れが困難な状況に追い なニュースが多く聞かれる最近だが、しか ギリシャは人口約1,200万、つまり東京 詰められ、国家デフォルトの危機が取り立 し一見地味なようでも、観光振興のために 都の人口ほどであり、国土は日本のほぼ3 たされた。とりわけ翌2010年3月には政府 着々と布石を打つギリシャの国家的政策に 分の1で13万㎢ほどの小さな国である。し の緊縮財政策に対し強力に反対した市民の は注目すべき点がある。世界中でほぼ同じ かし、外国人旅行者は毎年1,600万人を受 デモが頻発化。一部暴徒化した若者グルー 車が走り、ほぼ同じ家電製品を使い、ほぼ け入れ、国の観光収入はGDPの15%にも プにより犠牲者が出る惨事にまで及んだ。 同じPCで仕事をこなし余暇を楽しみ。フ 上る。また、直接あるいは間接的にも観光 そのニュースが世界中で報道されてからは、 ァストフードもカフェも世界中ほぼ同じ店 業に関わる労働者の数は、2008年の統計で 国の基幹産業である「観光」は大きな痛手 で同じ味を味わう…。そのようにグローバ は約66万人で同国労働者人口の16.5%を占 を被ることとなった。幸い、パパアンドレ リゼーションが進化を遂げる時代であるが め る ほ ど で あ る。 ま たUNWTOに よ る ウ首相はじめギリシャ政府、EU委員会、 ゆえに、各国、民族の歴史・文化が今一度 2007年統計では、ギリシャは1,820万人の 同加盟国首脳らの努力とギリギリの交渉が 見直され、尊ばれる必要性を筆者は痛感す 外国人訪客を数え、世界のデスティネーシ 功を奏し、同年4月には ― EU内の意見調 る。今回は、近年国際的にも高い評価を受 ョン・ランキングとしては16位という順位 整に困難を極めたものの ― ユーロ参加国、 ける、ギリシャの国家的観光政策と観光資 に入った。(1) IMF(国際通貨基金)そしてECB(欧州中 源開発を中心に考察をした。 し か し2009年10月 の 総 選 挙 に お い て 央銀行)の3者支援を取りつけるところま PASOK(全ギリシャ社会主義運動党)が5 で漕ぎ着けた。その融資額は3年間で総額 2.世界遺産の宝庫 ギリシャ 年ぶりに政権を奪還したが、パパアンドレ 1,100億ユーロ (約13兆円) 。しかしながら、 では、ギリシャがこの危機を乗り越える ウ首相率いる内閣発足直後、前政権による 依然、緊縮財政&増税等を余儀なくされる ために何をなすべきか? 当然第一には広 財政赤字の数値改ざんが発覚。結果、2009 国内では、2010年の春∼秋の観光シーズン 範な財政健全化政策であるが、国の歳入を 年の一般政府債務のGDP比は何と133.2% においても、ピレウス(3)の港湾労働者組合 増やすためには、観光収入をアップさせる と膨大な数字に膨れ上がった。 (ちなみに をはじめとするストライキも度重なり、観 ことが最も期待される。このための国家的 100%を超える負債国の例としては、アイ 光・リゾート客にも少なからぬ影響が発生。 プロジェクトに位置付けられているのがユ ルランドが105.6%、イタリアが117.6%、日 ギリシャの観光産業全体に様々なマイナス ネスコの世界遺産をはじめとする豊かな文 本が213.3%) 要因が巻き起こる年となった。 化遺産の保全と、その観光資源利用である。 その後、ギリシャ国債の利回りが急上昇 ギリシャにとってこのようなネガティブ 先述のとおり、ギリシャは国土面積から見 (2) −131− 日本国際観光学会論文集(第18号)March, 2011 ても日本の約3分の1程度。また経済規模に 表−1 10物件以上の世界遺産を有する国々のランキング(4) おいても、EU内でも極めて小国と言うべ No. きであろう。しかし、その歴史は周知の通 1 り欧州で最古のクレタ・キクラデス文明を 2 3 4 4 6 7 8 9 10 ⑪ 11 11 14 15 15 17 17 19 20 21 22 23 中国 ドイツ フランス メキシコ 英国 インド ロシア アメリカ ギリシャ オーストラリア ブラジル カナダ スウェーデン 日本 ポーランド ポルトガル チェコ ペルー スイス ベルギー イラン 有し、紀元前3千年頃から現在に至るまで 何と5千年の歴史を連綿と綴ってきている。 「ヨーロッパ」という名称さえも、ギリシ ャ神話の一話でオリンポスの主神ゼウスに 誘惑されたフェニキアの美しい王女「エウ ロペ」に由来することも、広く知られてい るところである。 そこでユネスコ登録の世界遺産が、ギリ シャにどれほど豊かに存在するのかを客観 的に見るため、他国との比較の中で以下の データを作成してみた。表−1はユネスコ の世界遺産リストから、10物件以上の世界 遺産を持つ国々をリストアップしてみた。 このデータからも分かる通り、小国とい えどもギリシャは文化・自然・複合の世界 遺産総数ではオーストラリア、ブラジルと 同ポイントで11位に位置する。また文化遺 国名 文化遺産 自然遺産 複合遺産 合計数 国土面積 ㎢ イタリア 42 2 0 44 スペイン 36 3 2 41 505,992 27 31 30 25 23 22 15 8 15 2 10 6 12 11 12 12 12 7 7 10 10 7 2 2 4 4 5 7 12 0 11 7 9 1 3 1 1 0 2 3 0 0 4 0 1 0 1 0 0 0 2 4 0 0 1 0 0 0 0 2 0 0 0 38 33 33 29 28 27 22 20 17 17 17 15 14 14 13 13 12 11 10 10 10 9,640,011 357,114 632,759 1,964,375 242,900 3,287,263 17,098,242 9,629,091 131,957 7,692,024 8,514,877 9,984,670 450,295 377,930 312,685 92,090 78,865 1,285,216 41,284 30,528 1,628,750 301,336 産のみで言えばベスト10入りする。 加えて、次にあげる表−2は、表−1の データから国土面積1万㎢あたりの、言わ 表−2 1万㎢あたりの「世界遺産密度」上位国 ば「世界遺産密度」を算出し、その上位10 国を挙げみた。 この表−2のデータから見て、ギリシャ が世界的にも世界遺産の宝庫であると言っ て過言ではないだろう。また特に文化遺産 の観点からは、ギリシャ国内の登録物件と しては最古の歴史を持つ「ミケーネとティ No. 国名 1 2 3 4 5 ベルギー スイス チェコ イタリア ポルトガル 1万k㎡ あたりの世界 遺産密度 0.3276 0.2422 0.1522 0.1460 0.1412 No. 国名 ⑥ 7 8 9 10 ギリシャ 英国 ドイツ スペイン フランス 1万k㎡ あたりの世界 遺産密度 0.1288 0.1153 0.0924 0.0810 0.0522 リンスの古代遺跡群」のミケーネ時代 (BC1600 ∼ BC1100年頃)に始まり、ギリ シャ古典期、ヘレニズム期、初期∼後期ビ めとし、エレクティオ ザンティン期、そして現代の「コルフ旧市 ン神殿、ニケ神殿、デ 街」に至るまで、約3千5百年以上に渡る長 ィオニソスの聖域、ア い歴史の所産を実に満遍なく有していると スクレピオスの聖域、 いう意味では、他の上位の国々を優に圧し ヘロディス・アティコ ている。 ス音楽堂などの遺跡が 含まれる。しかしこの 3. 「エルギン・マーブル」と大英博物館 聖域から、19世紀のオ さて、これら世界遺産登録物件の中でも、 スマン・トルコ支配下 白眉たるものはやはり「アテネのアクロポ において、駐トルコ英 リス」 (1987年登録)である。このアクロポ 国大使エルギン伯爵に リスには、古代都市国家アテネの絶頂期 ただ同然で違法に売り BC438年に完成したパルテノン神殿をはじ 払われたそれら大理石 −132− 写真− 1)パルテノン神殿破風を装飾していたレリーフ。大 英博物館所蔵 日本国際観光学会論文集(第18号)March, 2011 写真− 2)アクロポリス博物館東側外観 写真− 3)博物館エントランス前の開口部。地下の遺跡が見 渡せるテラス形式に 写真− 4)博物館 3 階の『パルテノン ・ ギャラリー』 写真− 5)パルテノン神殿フリーズ部分の現存するオリジナル 大理石(ベージュ)と大英博物館に所蔵される大理石部分(白) の傑作は、今やロンドンの大英博物館にお イス人建築家のベルナルド・チューミ教授 一部強化ガラスが敷かれ、地下の遺跡が真 ける最重要コレクションの筆頭となってい とギリシャ人建築家ミハリス・フォティア 下に見下ろせる仕組みになっているが、こ る。他でもない「エルギン・マーブル」と ディス氏のデザインが選択され建設着工、 れも圧巻である。 呼ばれる逸品だ。同博物館においてこのア 8年の歳月をかけて完成した。その建築デ 同博物館のエグジビションには、 「アク クロポリスの大理石彫刻は、所蔵作品の中 ザインに関して言えば、エントランス部分 ロポリスの参道を辿るように」というコン でもエジプトの「ロゼッタ・ストーン」や の壮観さ、実際のパルテノン神殿と同博物 セプトが込められている。エントランス/ 「ミイラ」と共に3大秘宝と呼ばれ、これら 館パルテノン・ホールのシンメトリーなど グランドフロアから1階 (欧州で言う)へは、 を目当てに大英博物館を訪れる入場者数は がとりわけ高く評価された。総床面積2万5 聖なる岩山へ登って行く如く、緩やかなス 年間7百万人にも上るという。そして「エ 千㎡、それまでアクロポリスの丘上にあっ ロープ・階段となっており、同階にはアク ルギン・マーブル」を母なる地ギリシャへ た旧館に比べて、約10倍の展示スペースと ロポリス丘麓のディオニソスの聖域やアス 返還しない英国側の理由は「アテネには同 いう規模を誇る。 クレピオス神殿付近での発掘品が並ぶ。1 大理石美術品を所蔵可能な施設・博物館が 北側のエントランス部分は、特に来館者 階は進行方向右手がアルカイック期 (BC7 存在しない」という点であった。 の目を惹く工夫が施されている。同博物館 世紀∼ 5世紀初頭)の展示ホールである。 建設にあたり、事前に基礎部分の発掘が行 旧パルテノン神殿 (サラミス海戦 〔BC480 4.アクロポリス博物館の完成とオープン われたが、何と新石器時代の終期すなわち 年〕 以前) の巨大な破風レリーフや、桜色の その「エルギン・マーブル」を「母国ギ BC3千年頃から、AD6世紀頃に至る様々な 髪と眼をした優美なコレー (娘) 像など第一 リシャ」へ返還すべく、2009年6月にギリ 時代の住居群、道路、貯水槽が発見され、 級の大理石像が展示され、2階にはアクロ シャ政府は「アクロポリス博物館」をアテ また各種壷、調理器具、香油ランプ等も出 ポリスが眺望できるテラス、レストラン、 ネ・アクロポリスの南麓にオープンさせた。 土した。その発掘された遺跡部分が広く見 バルコニー、V.I.P.ルーム、ミュージアム 同博物館は2001年ニューヨーク・コロンビ 渡せるように、エントランスが開口したテ ショップ、マルチメディアセンターなどが ア大学の建築学部長で、世界的に著名なス ラス形式になっている。また館内の床にも 併設されている。 −133− 日本国際観光学会論文集(第18号)March, 2011 そして同博物館における最大の見物が、 か4 ヶ月間に何と100万人の来場者を記録 および輸出に対する協定」など一連の条約 3階の「パルテノン・ギャラリー」である。 し、2010年6月には200万人を突破した。つ は、 そ の 後2004年 / 2008年 に も 同 じ く 同ギャラリー内には、2千4百年の歳月を経 まりこの博物館の完成は、間違いなくギリ ECOSOC(国際連合経済社会理事会)にお てアクロポリスの丘上に輝く白亜のパルテ シャのインバウンド・ツーリズムをより活 いて再確認されていることが分かる。 ノン神殿と東西南北の方位関係を同一とし、 気付ける好材料となったのである。さらに、 これらの背景には、ギリシャ政府をはじ 全長約190mあったドーリス式の回廊列柱 同博物館に「エルギン・マーブル」が里帰 め中国、イラク、アフガニスタン、ペルー &円柱上のフリーズ・軒縁・破風等を、ま りした際には、どれほどの効果が期待でき など約30カ国が、その違法に持ち去られた たその内側で内室と柱廊を隔てていた全長 るか、計り知れないものがある。 文化遺産返還のために連携し、運動を継続 約160mの外壁を正確に再現している。そ そして同博物館オープンの半年後、すな してきた歴史がある。また国内的な運動と してこれらのフリーズや破風、外壁に装飾 わち2009年12月、ニューヨーク国連定期総 しては、1952年ギリシャ-米国の共同制作 されていたレリーフ・彫刻が古典ギリシャ 会 (第64回) においては「文化遺産の起源的 による映画「日曜はダメよ」に主演し、そ 期きっての天才建築家フェイディアスの最 帰属国への返還決議」が採択された。これ の後政界入りしたメリナ・メルクーリの存 高傑作であった。まさに先に述べた19世紀 は同年11月16日にギリシャの国連大使ア 在は特筆すべきだろう。彼女が文化相の任 初頭、 違法に英国へ持ち去られたエルギン・ ナスタシス・ミチアリス氏によって提出さ にあった1980年代、海外に不当に持ち去ら マーブルとは、このレリーフ群の一部に他 れていたこの議案が審議されたのち、12月 れた古代ギリシャ文化遺産返還のため、国 ならない。例えば160mの外壁に関して言 7日ゲルラノス文化観光大臣が演説を行っ 連やユネスコをはじめ国外の関係諸機関に えば、その約半分にあたる75mの部分が、 た総会において、加盟85カ国により「 (違 も強く働きかけ、とりわけ尽力したことで、 現在大英博物館に所蔵されているが、アク 法に持ち出された国家的)文化遺産は、そ 私たちの記憶から決して消えることない人 ロポリス博物館では同レリーフ部分が真っ の起源的帰属国に返還され、且つ修復され 物だ。1994年に彼女はその生涯を終えた 白のレプリカで展示され、アクロポリス上 るべき」との支持・承認の上、晴れて議決 が、97年にはユネスコとギリシャの共催に に「生き残った」もう半分のオリジナル・ に至った。言わば、エルギン・マーブルを より「文化景観保護と管理に関するメリナ レリーフがアテネ・ペンデリコン大理石の はじめとする海外のギリシャ文化遺産返還、 ・メルクーリ国際賞」も設置されたほどで 淡いベージュ色そのままに本神殿風に展示 その可能性がにわかに現実味をおびてきた ある。 (5) されている 。これら2種類のレリーフは のである。 静かながら明確にそのコントラストを主張 さて、過去の歴史を調べてみると、同様 6.母なる地に帰還を始めるギリシャの文 し、近い将来その色彩の相違が皆無となる な国連の「文化遺産の起源的帰属国への返 化遺産 希望を切に訴えているようである。 還」に関する協力や支援は、先述の国連決 そのような国際的理解と支援の中で、先 議に始まるものではなく、1945年の国連発 述した「アクロポリス博物館」のオープン 5.違法に海外へ持ち去られた文化遺産の 足から10年ほど経過した1954年から既に 前から、欧州各国よりアクロポリスから違 返還請求運動 見られる。ECOSOC(国際連合経済社会理 法に持ち出された文化遺産が、実は既に返 (6) (7) 2009年6月20日、記念すべき『アクロポ 事会) の議事録2004/34 リス博物館』のオープニング・セレモニー によれば、1954年の「武力抗争事案におい および2008/23 還 (一時貸与を含む)され始めているのだ。 詳細は以下の通り。 (8) が豪華盛大に執り行われた。そして世界中 ての文化遺産保護」 条約にまずその端を から英国を除く各国政府首脳および国連機 発するように窺える。続いて1970年11月 ▶2006年9月5日 ドイツ・ハイデルベル 関の要人など約300名が列席する中、世界 UNESCOにおいては「不正な文化遺産の ク大学より返還(9) に向けて「国外へ違法に持ち去られたギリ 所有権移譲、輸出入の禁止と抑制に関する パルテノン神殿北側メトープ、パンアテ シャの文化遺産の返還実現」が強くアピー 協定に従って、各国にとって文化遺産の保 ナ祭の行列を描いたレリーフの大理石破片 ルされた。当時のユネスコ事務総長であっ 護および維持の重要性」の条項が採択され 部が、ギリシャ政府に正式に返還。これは た松浦晃一郎氏も来賓の上スピーチを行い、 ている。また1990年12月の国連総会におけ ギリシャにとって国外へ違法に持ち出され 「全てのアクロポリス彫刻群が世界各地の る第8回国連犯罪防止・刑事司法会議によ た文化遺産の返還という意味では、歴史上 博物館から返還されるように、ユネスコも って承認された「移動可能な形態の遺産に 初めての意義ある出来事。同じく他の欧州 最大限の努力を払う」と堅く明言したこと おいて文化遺産を侵害する犯罪行為の抑制 諸国の有名博物館に所蔵されるアクロポリ は、全世界に対して強力なメッセージとな に関する模範的条約」 、ならびに1995年の スの文化遺産返還を促す重要な扉を開いた ったのは確かである。その後、アクロポリ UNIDROIT(International Institute for 画期的な出来事。 ス博物館は国内外からの観光客の注目観光 the Unification of Private Law : 国際商事 ▶2008年9月24日 イタリア、シチリア州 スポットとなり、2009年10月末までのわず 契約原則)による「文化的遺物の違法獲得 のパレルモ・サリナス博物館より一時貸与 −134− 日本国際観光学会論文集(第18号)March, 2011 返還 活躍する同協会の旅行ジャーナリスト、編 化遺産は元来存在した国に返還されなけれ 一時貸与として、パルテノン神殿東側の 集者、写真家、ラジオ・テレビの放送局ス ばならない。われわれは共同戦線を張るこ フリーズの一部破片が返還された。これは タッフらがノミネートする中から選ばれる とで合意した」と述べた。 オリンポスの神々が描かれたレリーフの一 もので、当日のWTM2010会場にも300名 同会議にて「返還請求リスト」に登録さ 部で、アルテミス女神の右足の足先部分に を超える英国のトップ・トラベルメディア れた主な文化遺産は、以下の通り。 あたる。再度借用の更新がなされるべきで 関係者が集まる中、授賞式が執り行われた。 あろう。 受賞理由としては、アクロポリスの丘麓 ▶エジプト:大英博物館所蔵のロゼッタ・ ▶2008年11月5日、バチカン市国・バチカ に位置する同博物館は、採光の工夫に富み、 ストーンなど6点。 ン美術館より一時貸与返還 自然の光で明るく広々としている点。建築 ▶ギリシャ:パルテノン神殿の彫刻「パル アクロポリス博物館に対し、一時貸与と デザインの芸術性、展示する美術品の美観、 テノン・マーブル」 して、パルテノン神殿北側のフリーズで石 またギャラリーの床の大理石石材はアテネ ▶リビア:大英博物館所蔵のアポロ像やル 版No.Ⅴにあたるレリーフの破片一部を返 近郊で生産されている点。建材のガラスや ーブル美術館所蔵の女性の大理石彫像など 還した。 鉄鋼材もリサイクル可能なものを使用して 5点。 いる点。加えて、エアコンの必要性を軽減 ▶その他、シリア、ナイジェリア、グアテ また、このような動きはアテネ・アクロ する設計や14,000㎡の展示スペースを完全 マラ、ペルーの文化遺産。(12) ポリスの文化財に限らず、国内各地の様々 バリアフリー化している点などが高く評価 な遺跡・文化遺産にも及び始めている。そ された。(11) 9.エジプトにおける返還請求運動の成果 の代表的な例として、2006年4月にはスウ 同賞の受賞は、アクロポリスから違法に また、その後も各被害国が返還請求先の ェーデン国立考古学学院から、48枚におよ 持ち出された超一流の美術品を所蔵する英 国々と粘り強い交渉を継続した結果、2010 ぶギリシャ古典期の硬貨がギリシャ政府に 国において、 その旅行作家協会が「最高賞」 年11月18日エジプトにおいては、先のエジ 返還された。これらの硬貨は1922年、アル を与えたという意味で、エルギン・マーブ プト考古学最高評議会ザヒ・ハワス事務局 ゴリス地方のアシーナにおける同考古学学 ルの返還運動に強力な追い風となるはずで 長による注目すべき公式発表が行われた。 院の発掘調査により発見されたもので、そ ある。 エジプトのツタンカーメン王墳墓から発掘 され、国外へ持ち出されていた19個の考古 の後ストックホルムにおいて考古学的研究 のために、適切な保存環境のもとで管理さ 8.文化遺産の返還請求でギリシャと共同 学上重要な出土品が、エジプト本国へ返還 れていた。そして約半世紀の後1977年にこ 歩調をとる国々 されることが決定したという内容であった。 のギリシャの文化遺産にスウェーデン・ウ では、ギリシャ同様、文化遺産を国外に この19個の出土品はニューヨークのメト プラサ大学のベリット・ウェルズ教授が目 違法に持ち出された、言わば「被害国」は ロポリタン博物館が所蔵していたもので、 を留め、帰属すべき母国への返還運動を展 どのような返還請求運動を展開しているの 同事務局長が代表となり近年積極的に同博 開したことから、今回の返還が実現した。 だろうか? 先に述べた2009年12月の第 物館と交渉していた。歴史的にも非常に意 64回国連定期総会における決議を受けて、 義のある快挙といえる。 2010年からは被害国の連携がより強固と さらにザヒ・ハワス博士は、エジプトが 7.英国旅行作家協会より最高賞を受賞! なり、同年4月8・9日にはエジプト・カイ 2013年以降に、5億5千万USドル (約450億 さて、アクロポリス博物館のオープン以 ロにおいて「文化遺産の返還を求める国際 円)をかけて28万5千㎡の大博物館を竣工 来、早1年5 ヶ月の月日が経った2010年11 会議」が開催された。同会議はエジプト考 させる予定であり、1万点の出土品を展示 月のある日、ギリシャ国民には実に喜ばし 古 学 最 高 評 議 会 (Egyptian Supreme することを明言。そのうちの5千点は、長 いニュースが伝えられた。欧州最大の観光 Council of Antiquities)事 務 局 長 で あ り、 年の「返還請求運動」により勝ち取った「考 博覧会のひとつ、ロンドンのWTM(World エジプト学の権威として世界的に著名なザ 古学遺物」であるという。 Travel Market)2010にて、英国旅行作家 ヒ・ハワス (Zahi Hawass) 博士の提唱によ 上述のとおりザヒ・ハワス博士の返還請 協会 (British Guild of Travel Writers)よ るもので、上記の被害を訴える国々が25カ 求リストには、大英博物館所蔵の「ロゼッ り、《Uk travel trade’ s most prestigious 国以上集まり、 具体的な「返還請求リスト」 タ・ストーン」も当然入っており、加えて annual tourism project awards 2010》 言わ を作成して閉幕した。具体的な行動計画の ベルリンのネウス博物館よりネフェルティ ば「旅行業で最も権威ある年間観光事業賞 策定には至らなかったものの、重要な足が ティ女王の色とりどりの胸像、またルーブ 2010」 に お け る 最 高 賞Globe Category かりとなる会議であった。ザヒ・ハワス事 ル美術館やボストン博物館所蔵の様々なエ Award 2010 が何とアクロポリス博物館に 務局長によると、返還請求リストには7か ジプト出土の考古学遺物が含まれていると 授与された。この賞は、英国から世界的に 国の遺物が登録された。同氏は会見で、 「文 の事。(13) (10) −135− 日本国際観光学会論文集(第18号)March, 2011 10.ペルーにおける返還請求運動の成果 以上のとおり、ギリ また、エジプトの同発表に続き、翌11月 シャを中心にエジプト 19日にはペルーのアラン・ガルシア大統領 またペルーにおける文 が次のような公式声明を発表。アメリカの 化遺産返還請求の運動 イェール大学が、ユネスコの世界複合遺産 が国連のサポートの基、 として有名なインカ文明の都市「マチュピ 各国の世論を動かし、 チュ」の歴史保護区から、20世紀初頭に発 被害国はお互いが緊密 掘して国外へ持ち出した考古学遺物のうち、 に連携して目覚しい成 同大学が所蔵していた数千点にも及ぶ考古 果を挙げていることが 学美術品を近くマチュピチュに返還する、 分かる。このような潮 ということで合意した旨を明らかにした。 流はいよいよ関係国を ペルー側に返還される考古学遺物は、具体 巻き込んで大きな世界 的に陶器類、織物・布地、また遺骨等とな 的な流れに成長してい り、対象遺物の目録が完成次第、2011年の くことが望まれる。 写真− 6)メトロ・シンタグマ駅 併設のミュージアムにて ードする努力を払ってきた。それはギリシ 初めより総計4千点以上にも上る美術品を ペルーに返還するという交渉に成功したと 11.自国の世界遺産・文化遺産を最大限 ャ観光にとって自国の文化そして文化遺産 いう。 に生かす観光哲学 が果たす役割を深く認識しているからであ さらに同日イェール大学側も同合意に関 最後に、アテネにおいてはアクロポリス る。直面する経済危機にも、ギリシャの長 する公式発表を行い、ペルーとの交渉の結 博物館以外にも、他の博物館の充実を見る。 い歴史に培われた知恵と遺産に立ち帰り、 果に満足していることを表明。それらの考 2004年のアテネ五輪を機に開通したメト 力強く乗り越えていくことを心から願って 古学遺物に関しては、ペルー側から同大学 ロ2&3号線では、市中心部の複数の駅構内 いる。 に対する訴訟が国連法廷に提出された経緯 にメトロ・ミュージアムが併設されており、 (写真提供:New Acropolis Museum, by もあり、長年ペルーとの間で苦い論争の中 工事の段階で各駅付近より出土した考古学 心となっていた課題であった。またガルシ 遺物が美しく展示されている。有難いこと ア大統領は、それらの考古学遺物がイェー に無料で観覧できるのもこの上ない。特に ル大学から返還された際には、San Antonio 国会議事堂前のシンタグマ駅構内における Abad University in Cuzcoに当座の保護管 ミュージアムは圧巻である。 理を依頼し、その後議会においても、クス このような博物館を有する地下鉄として World Tourism Barometer, Vol.6 コ(14)にそれらを所蔵できる博物館と研究 は、アテネ・メトロ (Attico Metro) は世界 No.2, 2008, P.10. センター建設のため、予算を審議する用意 的にも稀有の存在で、2009年4月には東京 (2) Reuters, Web News, http://jp. があると語った。 国立博物館にて、日本・ギリシャ修好110 reuters.com/news/globalcoverage/ 加えて、今後注目すべきは、既に世界第 周年を記念して、 「アテネ・メトロ・ミュ globaleconomy 二の経済大国と発展した中国の動きであろ ージアム−ギリシャの地下鉄が結んだ古代 う。実は中国もその 「被害国」 の一つであ と現代−」が開催されたのは記憶に新しい。 ーゲ海の島々とアテネを結ぶ数々の るからだ。というのも、中国では1840年か また、創設から1世紀近くの歴史を誇る 定期船をはじめ、エーゲ海・地中海 ら1949年の間に約1千万点の考古学遺物が アテネ ビザンティン・キリスト教博物館 クルーズの起点・中継点ともなる重 密売されており、そのうち約150万点が世 においては、90周年の記念事業として着手 要な港を持つ。 界の47カ国、2千箇所にも及ぶ博物館・美 された大改修工事が2010年5月には完了し、 (4) UNESCO, Official WebSite, World (15) (16) Nikos Daniilidis) 。 注 (1) UNTWO(June 2008), UNTWO (3) 首都アテネに隣接する港湾都市。エ 術館に所蔵されているという。 地下に約3万点ものビザンティン美術品を トルコ政府もフランス・ルーブル美術館 所蔵する、これも壮大なミュージアムと生 に対し、小アジア出土のゼウス像とアポロ まれ変わった。さらにその古くは古代キク (5) 石本東生, 「国連総会における文化 ン像の返還請求に着手し、イラクは2003年 ラデス文明に遡り、世界遺産ミケーネの秘 遺産の起源的帰属国への返還に関す のイラク戦争直前に同国内の博物館および 宝を収める国立考古学博物館の充実ぶりは る決議」 ,日本ギリシャ協会会報 考古学遺跡から4万∼ 6万点の考古学遺物 言うまでもあるまい。 第124号,日本ギリシャ協会事務局, が行方不明になっていることを明らかにし ギリシャは過去約10年をかけて、アテネ ている。 のそして各地の博物館を格段にアップグレ −136− Heritage List(2010年12月 現 在 )を 参考に筆者が作成。 2010年3月 (6) ECOSOC(United Nations Economic 日本国際観光学会論文集(第18号)March, 2011 and Social Council) Resolution 2004/34, Protection against trafficking in cultural property. (7) E C O S O C R e s o l u t i o n 2 0 0 8 / 2 3 , Protection against trafficking in cultural property. (8) United Nations, Treaty Series, vol. 249, No. 3511. (9) Έλενα Κόρκα, Νέα στοιχεία για την αρπαγή των γλυπτών του Παρθενώνα, Οι συνέπειές του διαμελισμού για τα γλυπτά και το μνημείο, Πολιτιστική Κληρονομιά, Official WebSite, The Foundation Melina Merkouri. (10) Αρχαία ελληνικά νομίσματα, που για πολλά χρόνια βρίσκονταν στη Σουηδία επέστρεψαν την περασμένη Παρασκευή στην Ελλάδα, Ελευθεροτυπία, Apr. 03, 2006, WebSite issue. (11) British Guild of Travel Writers, Official WebSite, Tourism Awards Winner 2010, http://www.bgtw. org/awards/2.html (12) AFP BB News, WebSite 日本語版, 「ロゼッタ・ストーンなど返還要求 リスト作成、カイロの国際会議」, 2010年4月9日 (13) Μαίρη Αδαμοπούλου, ΑΡΧΑΙΟΛΟΓΙΑ «Φέρτε πίσω τα κλεμμένα», Τα Νέα OnLine, WebSite issue, Nov. 18, 2010. (14) AD13世紀から15世紀初頭までイン カ帝国の首都であった。現在はペル ー南東部のクスコ県の県都。 「クス コの市街」 :1983年ユネスコ世界文 化遺産登録 (15) CARLA SALAZAR, Peru president says Yale to return Inca artifacts, Associated Press(A.P.), WebSite issue, Nov. 19. 2010. (16) Μαίρη Αδαμοπούλου, ΑΡΧΑΙΟΛΟΓΙΑ «Φέρτε πίσω τα κλεμμένα», Τα Νέα OnLine, WebSite issue, Nov. 18, 2010. −137− 日本国際観光学会論文集(第18号)March, 2011 −138−
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