(5)AFM-IRによるナノスケール でのトナー粒子中の組成分析

●[特集]有機エレクトロニクス(5)AFM-IRによるナノスケールでのトナー粒子中の組成分析
[特集]有機エレクトロニクス
(5)AFM-IRによるナノスケール
でのトナー粒子中の組成分析
構造化学研究部 馬殿 直樹
有機分析化学研究部 日下田 成
AFM-IRを用いて分析した例を紹介する₅︶。なおトナー
は製造方法によって粉砕トナーとケミカルトナーに大別
され1︶、それぞれについて分析を行った。
2.AFM-IRについて
本分析で用いたAFM-IRでは、試料にIRレーザー光を
1.はじめに
照射し、試料が光を吸収したときの熱膨張をAFMのカ
ンチレバーで検出する(図1︶₄︶。下側からIRレーザー光
電子写真方式の印刷装置(レーザープリンターやコ
が照射され、上部のAFMで試料の熱膨張を検出する。
ピー機など)では、直径5~10μm程度のトナー微粒子が
カンチレバーへの光照射によるノイズ発生を抑制するた
画像形成に用いられている。印刷プロセスや電子写真特
めに、IRレーザー光は全反射(ATR:Attenuated total
性に応じて、トナーには光学、力学、電気、磁気、熱、
reflection)条件で試料に照射される。この配置からわか
粘弾性等の多様な物性が要求されるため、トナーは複数
るように試料は薄膜(切片)化が必要となる。熱膨張に
の化合物を混合して製造される1︶。
より励振されたカンチレバーの変位の大きさが試料の吸
近年、電子写真においては省エネルギー化が重要な
収係数に比例することから₄︶、従来のIR分析と同等の情
テーマの₁つであり、そのためにトナーの低温定着性の
報を微小部に対して得ることができる。空間分解能はカ
向上およびヒートロールに融着しない耐ホットオフセッ
ンチレバーの針先サイズおよび試料厚みでほぼ決まるた
ト性などが要求されている。これらを制御するためにト
め、回折限界を超える空間分解能を達成できる。顕微IR
ナーにはワックス成分が添加されているが、更なる特性
法や顕微ラマン分光法に比べても1~2桁高い空間分解能
改善のためには、材料物性や組成のようなバルクの分析
を有しており、最も高い空間分解能を有する構造解析手
に加えて、トナー粒子内部におけるワックスの分散状態
法の一つである。
を調べることが非常に重要となってきている。
従来、トナー内部のワックス成分の分散状態解析に
は、空間分解能の高さを活かして、TEM(Transmission
3.結果と考察
Electron Microscope)やAFM(Atomic Force Microscope)
が用いられてきた2,3︶。しかし、いずれの手法も化学構造
AFM-IRピーク強度マッピング
情報を含まないため、観測される情報は染色状況や硬さの
AFM-IRによるピーク強度マッピング時の着目波数を
違いなどに基づく推測に留まっていた。一方、官能基情報
決定するために、従来のマクロIR分光法であるFTIR-
に基づく化学構造解析が可能な手法として赤外分光(IR)
ATR(全反射)測定も合わせて行った。各トナーのFT-
法があるが、IR法は光の回折限界のため、トナー微粒子の
IR-ATRスペクトルをそれぞれ図2︵a︶および図3︵a︶に示
ような10μm以下の微小領域の分析には原理的に適用困難
す。FT-IR-ATR法はバルク分析のため、トナー粒子中
であった。
の全成分がまとめて検出される。両トナーともに、1720
近年AFM-IR(AFM-based IR)と呼ばれる空間分解
cm⊖1付近にC=O基、1508cm︲1に芳香環、2920cm︲1付近に
能約100nmで赤外分析が可能な手法が登場し、様々な分
CH2基由来の吸収が観測されている。
野に適用されてきている₄︶。本報告では、トナー1粒子
これら3波数について、AFM-IRを用いて強度マッピ
中でのワックス成分の分散状態および化学構造について
ングを行った(図2︵b︶、図3︵b︶)。AFM(高さ)像も合
せて示した。高さ像において中央に見られる大きさ約10
μmの粒子がトナー粒子である。両トナーともに、CH2
基が多く、C=O基、芳香環が少ない領域が存在し、粒
子周辺部に約1μmのドメインを形成している様子が観
測された。これらがワックス領域に相当すると考えられ
る。1720cm︲1のマッピング像の赤色領域はバインダー樹
脂領域を表すと考えられる。ワックス存在領域である
2920cm︲1のマッピング像と相反する像が得られているこ
とが確認できる。
ケミカルトナーのFT-IR-ATRスペクトル(図3︵a︶)
では、1240および1100cm︲1 付近にも吸収が観測されて
図1 AFM-IR装置の構成と原理
いる。これらの波数についてもマッピングを行ったとこ
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東レリサーチセンター The TRC News No.122(Mar.2016)
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図2 粉砕トナーの(a)FT-IR-ATRスペクトル、(b)AFM-IRピーク強度マッピング像、(c)AFM-IRスペクトル
図3 ケミカルトナーの(a)FT-IR-ATRスペクトル、(b)AFM-IRピーク強度マッピング像、(c)AFM-IRスペクトル
24・東レリサーチセンター The TRC News No.122(Mar.2016)
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ろ、両波数ともに分布が観測されたことから、何らかの
添加剤成分に由来する可能性が考えられる。1240cm︲1の
5.参考文献
吸収は、芳香族エーテルやフッ素化合物、スルホニル化
合物等に由来する可能性が考えられる。1100cm︲1の吸収
は脂肪族エーテルやポリオール化合物等に由来する可能
性が考えられる。
1)日本画像学会編,‘ケミカルトナー’東京電機大学出
版局(2008)
2)日下田成、中西加奈、日本画像学会誌、50︵50︶,423431,(2011).
AFM-IRスペクトル
各トナーについてワックスおよびバインダー領域の
AFM-IRス ペ ク ト ル を 図2︵c︶お よ び 図3︵c︶に 示 し た。
3)N. Higeta, Y. Muraji, M. Takeda and W. Hara,
Imaging Conference JAPAN 2013, pp.27-28,(2013)
[in Japanese]
ワックス領域のAFM-IRスペクトル(図2︵c︶および図
4)A.Dazzi, C.B.Prater, Q.Hu, D.B.Chase, J.F. Rabolt,
3︵c︶の赤線)ではバインダー由来の信号が重畳していた
C.Marcott, Applied Spectroscopy, 66, 1365-1384,
ため、バインダー領域(図2︵c︶および図3︵c︶の青線)と
︵2012)
の差スペクトルを算出することでワックスのみのAFM-
5)N. Higeta, N. Baden, Y. Muraji, M. Takeda and W.
IRスペクトル(図2︵c︶および図3︵c︶の緑線)を得た。
Hara, Imaging Conference JAPAN 2014, pp.35-36,
ワックス成分は、粉砕トナーについては2950と1380
︵2014)[in Japanese]
cm︲1(CH3基)および2920と1380cm︲1(CH2基)にピーク
が観測されていることからポリプロピレン主体であると
推定される。ケミカルトナーについては、2920と1380
、1740cm︲1 付 近(C=O基 ) お よ び
cm︲1 付 近(CH2 基 )
■馬殿 直樹(ばでん なおき)
構造化学研究部 第二研究室 研究員
趣味:写真など
1500cm︲1付近(芳香環)にピークが観測されている一方、
CH3基に由来する2950と1380cm︲1のピークがほとんど観
測されていないことから、メチレン鎖および芳香環を有
するポリエステル化合物であると考えられる。
バインダー樹脂については、1740cm︲1付近(C=O基)
■日下田 成(ひげた なる)
有機分析化学研究部 第一研究室 主任研究員
趣味:子供との公園巡り。クラシックギター
および1500cm︲1付近(芳香環)のピークから、両トナー
とも芳香環を有するポリエステル樹脂であると考えられ
るが、ピーク相対強度が異なることから、両者でエステ
ル基に対する芳香環量が異なり、粉砕トナーのほうが少
ないと推定される。
一般的にワックスは、バインダー樹脂に対する相溶性
や融点に鑑みて最適なものが選定される 1︶。本分析でも
粉砕トナーとケミカルトナーではバインダー樹脂構造が
異なることから、それに合わせて異なる種類のワックス
が用いられていると推測される。
4.まとめ
AFM-IRにより、従来の構造解析手法では不可能で
あった、空間分解能数100nmでトナー1粒子中の組成分
布分析が可能となった。AFM-IRでは、TEMやAFMと
異なり、化学構造に基づいた組成分布情報が得られる。
また、AFM-IRスペクトルにより混合物でも成分ごとに
区別して構造分析が可能である。AFM-IRは最新の分析
手法であり、今後、微小部の構造解析の主要なツールの
一つになると考えられる。
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東レリサーチセンター The TRC News No.122(Mar.2016)