論文 アート作品の価値形成プロセスについての一考察

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論文
アート作品の価値形成プロセスについての一考察
∼アートマーケティングの実践に向けて∼
笊 ――― 問題意識
笆 ――― 研究対象の範囲
笳 ――― 研究レビュー
笘 ――― 現代アートの発展過程
笙 ――― アート作品の価値形成プロセス
笞 ――― 価値形成プロセスモデルの検証
笵 ――― アートマーケティング実践モデル
笨 ――― 最後に
若林 宏保
ロセスを解明していく。さらに,価値形成プ
● 株式会社電通 プランニング ディレクター
ロセスを理解したうえで,どのようにアート
マーケティングを実践・応用していくかにつ
笊――― 問題意識
いて考察していく。
笆――― 研究対象の範囲
近年,現代アート市場が活性化している。
日本人アーティストである村上隆や杉本博司
はじめに,研究対象の範囲を設定すること
の作品が数億円で取引され話題を呼んだこと
も記憶に新しい。さらに現代美術に限らず,
にする。そこで,アートを分類すると 図− 1
写真や家具などの市場も高騰し,アート市場
のように整理される。
アートといえば,美術に限らず音楽や演劇
の領域が広がっている。対象となるアートは,
主に 20 世紀以降の比較的新しい現代アートが
といったパフォーミングアートが含まれるが,
中心であり,成功した若い実業家やクリエー
当研究においてはアート商品の付加価値化を
ティブクラス ,ファッションデザイナー
■図―― 1
1)
2)
のコレクションの対象となっている。感度の
アートの分類表
高い富裕層の欲求を刺激する新しい消費の対
象として定着してきているようだ。
このように,これからの洗練された生活者
ビジュアルアート
パフォーミングアート
美術
クラシック音楽
写真 版画
バレエ 演劇
デザイン
ミュージカル
アートブック 家具など
ポピュラーミュージック
狭義のアート
は,高級ブランド財の消費では物足りず,今
後ますます多様なアート消費に魅せられてい
広義のアート
くだろう。そこで当研究においては,近年発
展が目覚しい「現代アート」に焦点を絞り分
析を進めていくことで,アート作品の価値が
*シャドウ部分が研究対象。
どのように形成されていくのかその一般的プ
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アート作品の価値形成プロセスについての一考察
研究するため,モノ(財)としての物性をも
から,90 年代以降の欧米におけるアート産業
ち,コレクションの対象となりうる「ビジュア
の実態を描きつつ,アートとマーケティング
ルアート」を対象とする。
の密接な関係について主張している。そもそ
もうひとつの軸は「狭義のアート/広義の
もアートに商売ありきのマーケティングは結
アート」軸である。狭義のアートには,従来
びつかないとする意識が根強く残る日本のア
からファインアートとみなされている「美術」
ート界に一石を投じる内容となっているが,
「写真」「版画」が含まれる。広義のアートに
アートマーケティングの体系的なモデル化ま
は「デザイン」「アートブック」「家具」など
でには至ってないと思われる。
が含まれる。近年は広義のアートも市場とし
2.アートマーケティング論者による研究
て成長しているため,当研究においては「広
アートマーケティングの必要性を唱える論
義のアート」も含むことにする。
者として川又(2004)や河島(2002)がいる。
笳――― 研究レビュー
しかし両者とも美術館や演劇団体といった
「アート組織」においてマーケティング戦略的
「アートマーケティング」の周辺について
視点の必要性を説くものであり,本研究のテ
は,様々な立場の論者が研究を進めている。
ーマである「モノとしてのアート財」を取り
以下では当研究との違いや参考となる考え方
扱うマーケティング戦略とは一線を画すると
について整理してみる。
考えられる。一方,辻・梅村(2006)によっ
て「売る」という観点から「アート」を捉え
1.アートマネジメント論者による研究
たアートマーケティング研究が発表された。
近年,アートマネジメント研究が盛んに行
どんなものでもアートになりうる可能性を述
われている。アートマネジメントとアートマ
べ,これからは日本において「アート消費」
ーケティングはやや重なる部分があるが,根
本的な違いがある。清水(2006)や林(2004)
がより盛んになるということを示唆している。
.
.
「アートで売る」という視点と「アートを売る」
によると,この研究の目的は「社会と芸術を
という視点からアートマーケティングの今日
結びつけること」であり,芸術文化を公的資
的な事例を豊富に挙げている。この 2 つの分
金で支援する理論的な展開を確立していくこ
類のうち「アートを売る」に関しては当研究
ととしている。したがって,芸術を多くの
と大いに重なる。梅村の主張は,日本には
人々に普及していくために限られた公的資金
元々浮世絵など大衆アートを日常的に楽しむ
をいかに効率よく管理運営していくかという
文化があり,西洋とは違ったアートを気軽に
ことであり,アート市場を前提にした理論展
楽しむ文化がより発展していくことを予言し
開にはなっておらず,アートの商品化,市場
ている。そうした具体的な現代の現象として
化を前提とするアートマーケティングとは一
「海洋堂の食玩」「明和電気のナンセンスマシ
線を画すと思われる。一方で,辛(2008)は,
ーン」「ユニクロのコラボ T シャツ」などを
キュレターやギャラリストという豊富な経験
挙げている。「アートで売る」に関しては「ア
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ートという衣をかりて,財やサービスを売る
「市場は作家が自立化し生き延びていく手段,
こと」を指し,著名なデザイナーを起用した
市場こそが美術を社会的に成立させている土
商品開発や文化施設の活用等を取り上げてお
台である」といった見解を述べており,アー
り,当研究のテーマである「アートの価値形
トと市場の関係について肯定的なスタンスを
成」に関する議論は見当たらない。
取っている。また村上隆(2006)は,「芸術起
業論」の中で積極的かつ独自なアートマーケ
3.ギャラリー経営者による研究
ティング論を展開している。欧米の市場とは
小山(2008)は,世界的な成功を収めた日
乖離した日本における芸術活動を批判し,欧
本人アーティストである村上隆を初期に扱っ
米の現代アート市場の中でどのようにして芸
たギャラリストであるが,「アートとマーケテ
術の価値を作っていくかについて自らの成功
ィングは両立しない」と主張し,アートとは
体験を基にその考え方や方法論について述べ
そもそもはアーティストの職人的な技術によ
ている。
って生み出される作品であるため少量生産で
以上,様々な論者の研究をレビューしてき
あり,大量生産を前提とするマーケティング
たが,まだまだアートマーケティング論の理
は成立しないと述べている。また,アートの
論的な体系化は進んでおらず研究分野として
長期的な価格高騰を狙った「投機筋」が存在
導入段階であることが伺える。本研究におい
し,そういった資本家がアートの市場を混乱
ては,アートにマーケティングは不可欠とす
させ,ひいてはアートの芸術的な価値をも狂
る辛の主張をベースに,村上や佐谷の研究を
わせるといっている。また,現代アートを永
参考にしつつ論考を進めていくことにする。
年取り扱ってきた老舗画廊の佐谷(1996)は,
笘――― 現代アートの発展過程
アート財のもっとも基本的な特性として「絶
対的な価値と市場価値の乖離」を主張する。
本来ならば絶対的な価値(芸術的な価値とも
アート作品の価値創造プロセスモデルを提
言い換えられる)と市場価値が一致すること
示する前に,そもそも現代アートとはどのよ
が望ましいが現実は乖離するのが常と述べて
うなものか,その歴史を紐解いてみよう。
いる。アートをビジネスとしているギャラリ
現代アートの起源は,1950 年代のアメリカ
ストにとって,マーケティングを実践してい
にある。第 2 次世界大戦後,世界の政治,経
くことの難しさが記されている。
済,文化の中心がアメリカに移り,そうした
ダイナミックな変化の中で,「現代アート 3)」
4.アーティストによる研究
が生まれている。ヨーロッパを舞台に「近代
アーティストが自らの作品のマーケティン
アート」は発展してきたが,新しいアメリカ
グについて論じるケースもある。白川(2001)
のアートを生み出そうという機運がうまれた。
は,美術館,ギャラリー,アーティストとい
その結果,ヨーロッパのアートとは違い伝統
った閉鎖した空間,すなわち「制度」の中で
に縛られない新しいアートが次々に生まれて
価値が決められていくことを批判しながらも,
いった。主な潮流で言うと 50 年代は「抽象表
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アート作品の価値形成プロセスについての一考察
現主義」,60 年代は「ポップアート」,70 年代
に多大な影響力を果たしていく。このように
は「コンセプチュアルアート」「ミニマルアー
してアートを取り巻くステークホルダーによ
ト」,80 年代は「ニューペインティング」と
って「新しい美のコンセプト」や「アートム
なる。抽象表現主義は,ヨーロッパのモダン
ーブメント」が次々と生み出され歴史化され
アートの潮流を取り入れながら,スケールの
ていったのである。つまり,現代アートとは
大きい画面に抽象的な構成でありながら作家
「常に“現代”であり続けようとする宿命を負
の筆遣いがダイナミックに残る作風が多く,
っており,新しい美の基準を永続的に作り出
「ポップアート」は,アメリカの大衆消費文化
していく“システムそのもの”」であると考え
の記号であるコミックやマス商品のラベルな
られるのである。
どをアートにしていくものが多い。また「ミ
80 年代の後半に入るとアメリカのアート支
ニマルアート」は,ポップアートとは正反対
配力が弱まり,90 年代以降,アートの拠点は
に極限まで表現を控えた作品が多く,線だけ
アメリカから世界へと広がっていく。そうし
の作品,あるいは無地の作品も存在する。そ
たグローバル化の中で現代アートのあり方自
うした一見,無味乾燥にみえる「ミニマルア
体が変わっていった。まずは表現であるが,
ート」に対する反動で,80 年代においてより
職人的な技術よりもコンセプト主導型のアー
具象的でいわゆる絵画復興的な潮流である
ト表現へとより進み,その手法として写真を
「ニューペインティング」が生まれる。このよ
使ったアートが多くなっていった。このこと
うにアートムーブメントは,約 10 年単位で
によって,アートはだれでも作ることができ,
次々と以前のムーブメントを否定しながら,
アーティストの幅も広がっていった。次がイ
時代の価値観を取り入れながら,変革と生成
ンターネットによる情報伝達の革命である。
を繰り返していった。こうした動向に影響を
これによってアートに関するあらゆる情報
及ぼすのが,有力なギャラリーであり,ニュ
(芸術性から市場価値まで)を探し出すことが
ーヨーク近代美術館(以降 MOMA)をはじ
でき,アートの取引が簡単にできるようにな
めとする美術館や批評家,そしてニューヨー
りアート市場の発展に大きな貢献を果した。
クタイムズなどのメディアである。代表的な
次がアートの多文化主義である。これまでア
ギャラリストであるレオ・キャステリは次々
ートの中心は西洋であったが,アジアつまり,
と新しいアーティストの企画展を開き,
中国,インド,日本におけるアートも注目さ
MOMA は今日のアート潮流を歴史として纏
れるようになっていった。そして新しいアー
め上げていった。そうした活動に対して批評
トを提案する機会も増えた。現代アートの今
家やメディアが批評をする。かれらは単に展
後を予言する展覧会であるカッセルドクメン
覧会や企画展の紹介をするだけではなく,ニ
タ 4),現代アートの国際芸術祭であるベネチ
ューヨークタイムズは良し悪しを辛辣に評価
アビエンナーレ 5),国際的な見本市であるバ
する。またクレメント・グリーンバーグのよ
ーゼルフェア 6),ポンピドゥー,グッゲンハ
うな批評家は単に批評に留まらず,新しい芸
イム,テートモダンなど国際美術館の分館戦
術の概念を発表し,アーティストの創造活動
略など,アート発信の場やインフラも充実し
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ていった。またアートの領域も広がっている。
笙――― アート作品の価値形成プロセス
絵画だけでなく「写真」「デザイン」もアート
と捉えられるようになり,展覧会や専門ギャ
過去の研究及び現代アートの歴史をレビュ
ラリーの増加に伴い市場も拡大していった。
また,世界のラグジュアリーブランドも自ら
ーした上で,ここではアート作品の価値形成
のイメージ構築のために現代アートを積極的
プロセスのモデル化( 図− 2 )を試みる。大
に活用している。ルイヴィトンと村上隆の共
まかに述べると,アーティストが作品を開発
同商品開発,ポンピドゥー美術館における展
し,様々なステークホルダーがその価値形成
覧会「ポップ展 」へのグッチのスポンサー
に関わっていき,時間経過によって「芸術的価
ド,ミウッチャプラダによる現代アートから
値」と「市場的価値」が付与されていく。この
家具にいたるまでのコレクション,アニエ
モデルに従って詳細に検討していく。
7)
ス・ベーによるギャラリーの運営,カールラ
1.アート作品の開発
ガーフェルドによる写真ギャラリーの創設や
過去の写真集の再出版など,世界を代表する
アート作品は, 図− 2 のように 3 つの要素
ラグジュアリーブランドは,現代アートを理
である「スタイル」「コンセプト」「エディシ
解しサポートすることによってブランドの評
ョン」によって構成される。スタイルとは目
判をあげていくことを目論んでいる。このよ
に見える表現である。成功している作家の作
うに 90 年代以降の現代アートは,「グローバ
品を見ると独自のトレードマークや手法を持
ル化」「表現手法の多様化」「多文化主義」「発
ちあわせているケースが多く,独特のスタイ
信インフラの充実」「領域の拡大」「有力ブラ
ルが感じられる。そのスタイルは一目みて
ンドによるコラボレーション」といった大き
「美しい」「かっこいい」と感じるようなくら
いでは多くのアート作品の中では埋もれてし
な流れの中で発展を遂げていった。
まう。ユニーク且つインパクトのあるスタイ
■図―― 2
アート作品の価値形成プロセスモデル
アートヒストリー
付加価値化
アート作品
スタイル
アーティスト
スタイル
キュレター × 批評家
コンセプト
コンセプト
時間経過
エディション
エディション
芸術価値
ギャラリスト
市場価値
アートマーケット
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アート作品の価値形成プロセスについての一考察
芸術的な価値がつくられていくのだろうか。
ルを反復したり展開することによって,鑑賞
者に強い視覚イメージを残していくことが鍵
現代アートの原型をつくったと評されるマ
となる。次の要素がコンセプトである。村上
ルセル・デュシャンはあるインタビュー 9)の
(2006)はアーティストにとって最も重要なも
中で興味深い意見を述べている。デュシャン
のは職人的な技術だけではなく「コンセプト
は,「アートの美的評価は二つの極をもつ現象
によって決まる。第一の極は生産する芸術家,
(概念)」であることを度々主張する。さらに
成功したアーティストの場合は,彼らを説明
もうひとつの極は鑑賞者である。その鑑賞者
する文脈「サブタイトル」が存在するという。
とは同時代の意味ではなく後世も含む人々の
例えば,村上隆なら「スーパーフラット(超
投票によって決まる」と述べている。さらに
2 次元)」,アンディ・ウォーホルなら「ポッ
「時には鑑賞者が解釈によって芸術家が思いも
プの絵画」,マルセル・デュシャンなら「レデ
寄らなかったものを増大させる」とも述べて
ィメイド(既製品)」,カルティエ=ブレッソ
いる。つまりデュシャンは,芸術家と鑑賞者
ンなら「決定的瞬間」,ドナルド・ジャッドな
の時代を超えた解釈のやりとり,つまり「イ
ら「スペシフィック・オブジェクティブ(特
ンタラクション」によって芸術の価値が決ま
殊な物体)」,アレクサンダー・カルダーなら
ると述べているのである。この態度は村上
「モビール(動く彫刻)」などがそれにあたる
(2006)も共通している。村上は「価値や評価
だろう。最後の要素がエディションである。
は作品をつくる人と見る人の心の振幅の取引
作品をどの程度制作するのか,その数を限定
が成立すれば決まる」と述べており,また価
し管理することがもとめられる。美術史の中
値は「偶然の産物」であり,あえて「操作で
で同じくらい重要な作家であっても製作数を
きる範囲の外」をうまくつくり,鑑賞者の反
管理しているアーティストと管理を行ってい
応を引き出していくことが重要であると述べ
ないアーティストでは大きな差が開く。例え
ている。このようにアートの価値は後世に渡
ば,写真界において,アービング・ペンとリ
る鑑賞者とのインタラクションの中で生み出
チャード・アベドン,ウイリアム・クライン
される。主な鑑賞者としては,キュレター,
は同じくらい写真芸術史において重要な作家
批評家が含まれる。そこでそれぞれの活動に
である。しかしペンとアベドンは,作品の製
ついて具体的に触れていこう。
作数をきちんと管理している一方で,クライ
キュレターとは,美術館において展覧会を
ンの管理は甘い 。そうした差が市場価値に
企画する人を指すが,キュレターによってア
大きく左右するのだ。すなわち,希少性の管
ートが価値付けられ,間接的にはあるが市場
理は価値をクロージングする最後の次元であ
価値にも多大な影響力をもつケースがよくあ
るといえる。このようにアート作品は,多層
る。それを体現するキュレターとして,60 年
的な要素によって作られているのである。
代以降 MOMA の写真部長として活躍したジ
8)
ョン・シャーカフスキー 10)が挙げられる。彼
2.芸術的価値の形成
の存在なくしては写真における芸術史を語る
アート作品が世に出された後,どのように
ことはできないだろう。具体的な企画として
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は,例えばドキュメンタリーな写真が大勢を
向性に大きな影響を与えた。また,現在のア
占める中,個人的な視点で社会を写そうとす
ート界の主流となっている「多文化主義」と
る「ニュードキュメンツ」展によって,ダイ
いった思想も,批評家であるヤンフートによ
アン・アーバスやリー・フリードランナーを
る影響が大きいとされる 12)。このように,批
取り上げたり,プライベートスナップの旗手
評家はキュレターよりも高いレベルである
として,当時まったく無名であったフランス
「マクロ的文脈」や「思想的背景」から「現代
人のジャック・アンリ・ラルティーグを取り
アート」を捉え,次のアートのあり方をディ
上げた。また商業写真である「ファッション
レクションしているのである。
雑誌の写真」を芸術写真として昇華させたり,
3.市場的価値の形成
またモノクロ写真が主流の中,芸術としての
カラー写真の存在にフォーカスし,当時マイ
次に,商品としてどのように市場価値が付
ナーな存在であったカラー写真の作家である
加されていくかについて考察してみよう。ア
ウイリアム・エグルストンを取り上げた。こ
ート市場は,プライマリーマーケットとセカ
のように斬新な切り口によって「今日の写真」
ンダリーマーケットに分けられる。プライマ
を切り取り,数々の芸術家をスターにしてい
リーマーケットとは作家から直接作品を購入
った。つまりキュレターは,予定調和的なコ
する市場であり,セカンダリーマーケットと
ンセプトでいくつかの作家や作品をくくるの
は,オークションなどで再び売りに出された
ではなく,アートの「今」をリサーチした上
作品の売買によって成立している市場を指す。
で,独自の視点でアーティストや作品群を
このセカンダリーマーケットの発達によって
「カテゴリー化」し,次の歴史を切り開くこと
アートが商品として継続的に流通し,価格の
変動を発生させている。
を目指しているのである。つまりキュレター
は,新しいアートをリサーチし,それらを
では,オークションにおいてどのように価
「カテゴリー化」していき,アートヒストリー
格が決まるのだろうか。オークションカタロ
の中にポジショニングしたり意味づけたりす
グを見ると,各作品にはいくつかの情報が記
るといった高度なプランニングを行っている
載されている。「作家名」「制作年代」「来歴」
「展覧会履歴」「文献」「エディション」「コン
のである。
次に批評家について考えてみる。美術批評
ディション」等である。制作年で当アーティ
のあり方について,ダラコット(1995)は多
ストの作品群における相対的な価値の高さが
岐に渡り分類しているが ,批評家として最
予測できる。来歴とは,どのようなギャラリ
も現代アートに影響を及ぼした人物はクレメ
ーやコレクターの手を経由しているかを示し
ント・グリーンバーグであると考えられる。
ており,その作品の信頼性や毛並みの良さが
クレメント・グリーンバーグは現代美術の思
読み取れる。展覧会履歴や文献によって,そ
想的支柱である「フォーマリズム」というコ
の作品の美術史的な価値が分かる。MOMA
ンセプトを打ち出し,芸術作品のあり方を世
など権威ある美術館で展示されたとなるとも
に説き,アーティストの創作活動や作品の方
ちろん価値は高まる。さらにエディションに
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アート作品の価値形成プロセスについての一考察
よってその作品の希少性が,コンディション
■図―― 3
によってその作品の保存状態が判る。以上の
芸術価値−市場価値マトリックス
ような情報を総合的に判断して,オークショ
芸術価値
ンのエキスパートが相場(エスティメート)
高
を算出する。エスティメートを参考にしなが
高
ら,コレクターが入札し作品が落札される。
市
場
価
値
競争によってはエスティメートを大幅に上回
るケースも下回るケースも起こりうるのだが,
低
そこで取引が成立した場合,作品の短期的な
①マスター
低
③流行
ピース
②再評価
④育成
市場価格が決まる。有力なオークションハウ
スの落札結果は全体的な市場価格に大きな影
ため限られたギャラリストしか取り扱わない
響を与えるのである。
その一方でギャラリストはプライマリーと
だろう。第 2 の象限が,芸術価値は高いのに
セカンダリーの両市場から作品を調達し,そ
市場価格があまり高くないケースである。そ
れを顧客に売ることでビジネスを成立させて
うした作品は多く存在する。例えば,キュビ
いる。そこで,佐谷(1996)がビジネス上の
ズムのブラックや,ポップアートのオルデン
最大の課題として挙げているのが「芸術価値
バーグなどの作品が含まれる。大きなアート
と市場価値の乖離」である。芸術的な価値が
ムーブメントの 2 番手,3 番手になると 1 番手
高いにも関わらず,市場価値がまだまだ追い
の影に埋もれて市場価値が伸びないケースが
つかない作品もあれば,その逆も存在すると
ある。そうしたアーティストは別の切り口で
いう。つまり芸術価値と市場価値の間には常
再評価していくことで,市場価値を高めてい
にこうした不確実性やタイムラグが付きまと
く戦略が求められる。第 3 の象限が,芸術的
う。しかし逆に考えると,芸術価値と市場価
な価値は低いが,市場価値が高いケースであ
値のギャップから利益を生み出しているとも
る。よくあるケースが,流行によってあるア
いえる。
ートムーブメントが注目され,それに属する
そこで,どのように利益を生み出していく
アーティストの市場価格が大きく伸びるケー
かについて,「芸術価値―市場価値マトリック
スである。例えば,80 年代の「ニューペイン
ス」
(図− 3)よって分析を進めてみる。
ティング」や 2000 年前後の中国の現代アート
図− 3 のように「芸術価値」と「市場価値」
が含まれる。ここでは,流行を敏感に察知し
の高低によって 4 つの象限が存在する。第 1
短期的に利益を産み出していくことが求めら
は,芸術及び市場価値の双方とも高い「マス
れる。最後の象限が,芸術価値も市場価値も
ターピース」の象限である。ここにはウォー
まだ低いケースである。数年前は,村上隆も
ホルやマチスなど,確立されたアーティスト
杉本博司もここに位置していた。ここにおい
の作品が含まれる。しかしこの象限にある作
ては,中長期的に芸術及び市場価値の双方を
品を売買するには,大きな資金を必要とする
バランスよく育成していくことが求められる。
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このように,象限②③④の位置にあるアーテ
わせ,森山作品の価値形成プロセスについて
ィストを①へ移行させることで利益が生み出
明らかにしてみることにする。
される。
1.1960 年代∼ 1970 年代前半
また,4 つの象限にはアーティスト名が位
森山の作品は,モノクロ写真が大半を占め,
置するケースもあるが,アーティストの作品
は時代によって変化するため作品群の単位で
ピントがずれたダイナミックな表現スタイル
も分類される。例えば,アンディ・ウォーホ
を持ち,「アレ」「ブレ」の作家と評される。
ルの 60 年代のシルクスクリーンによる絵画作
また,日本の様々な風景,都会の路地裏や地
品は「マスターピース」に含まれるが,60 年
方など様々な対象を撮りながらも,一貫した
代の手書きの作品や,イラストレーター時代
スタイルを追求し森山独自の世界観を持つに
の作品などは,当初象限②に属していたが,
至っている。始めて森山の写真に触れると,
ニューヨークのガゴシアンギャラリー
13)
によ
そのアクの強い暴力的な描写に戸惑うが,そ
って再評価され,市場価値を高めていった。
の背後にある情報を知れば知るほど深みに嵌
このようにギャラリストは「芸術価値と市場
っていく作家である。そんな森山の才能を最
価値の乖離」の中で利益を産み出し,市場価
初に評価した人は,写真専門雑誌「カメラ毎
値の向上に貢献しているのである。
日」の編集長であった山岸章二である。60 年
以上,アーティスト,キュレター,批評家,
代において,山岸が当時無名であった森山の
ギャラリストといったステークホルダーの働
作品を特集に組んだ。そのことにより森山は
きかけが,有機的に結びつくことによって,
日本の前衛的な写真家の一人として位置づけ
アート作品の芸術及び市場価値が創造されて
られることになる。また山岸の活動は単なる
いくのである。
編集者を越えていた。当時,芸術写真の世界
で最も影響力を持った MOMA のキュレター
笞――― 価値形成プロセスモデルの検証
∼森山大道の場合∼
であるシャーカフスキーに日本の写真家を紹
介し,1974 年に「NEW
JAPANESE
PHO-
TOGRAPHY」というタイトルの展覧会を実
ここでは,近年評価が高まっている森山大
現している。この出来事は日本の写真史にお
道の作品について価値形成プロセスモデルを
いて最も画期的なことである。つまりアート
用いて分析を進めてみる。森山は,今や世界
ヒストリーの中に「日本の写真」という新し
を代表する日本の写真家であり,世界中で展
いカテゴリーが生まれた瞬間であった。その
覧会が開催され彼の作品や写真集の市場価値
中でシャーカフスキーは森山について「森山
も高まっている。森山のアーティストとして
ほど視覚芸術においてオートマティックな描
の制作活動を振り返る研究は多く存在するが,
写の理想に近づいた作家の名を他に挙げるこ
森山作品の価値がどのようにして高まってい
とは難しい」と語っており 14),森山の芸術性
ったのかについての体系的な研究はほとんど
が世界に初めて認められた瞬間だった。
ない。そこで,既存資料やデータをつなぎ合
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アート作品の価値形成プロセスについての一考察
2.1970 年代後半∼ 1980 年代
を見せ始める。1999 年から 2000 年にかけて,
時期を同じくして,森山の作品の蒐集が 70
サンフランシスコ近代美術館で回顧展「daido
年代から 80 年代の初頭に開始された。当時,
MORIYAMA : stray dog」が開催され,そこ
森山は写真というのは雑誌や写真集に刷られ
では森山の写真の変遷を,他の芸術,例えば
るものであり,プリント自体には関心を払わ
アンディ・ウォーホルや日本画家と関連づけ
ず部屋に溜まったプリントを処分しようとし
ながら紹介され,森山作品がアートヒストリ
ていた。それを止めたが細江英公
15)
である。
ーの中に組み込まれることになった。また,
細江は「ヴィンテージプリント」に価値があ
世界的なファッションデザイナーであるカー
ることを知っており,それを東京工芸大学に
ルラガーフェルドは,2001 年に森山など 4 名
コレクションするように薦めている。また,
の日本人の写真集を当時のまま再出版し,そ
写真専門のギャラリストである石原悦郎は森
れを「THE
山の写真を買取っている。その当時はほとん
1500 セット限定で発売している。更に 2003
ど売れる見込みはなかったが,森山の芸術活
年にはギャラリストのタカイシイによって,
動をサポートする意味で大量に買取ったので
森山の作品を体系的に網羅したカタログレゾ
ある。こうした彼らの活動がなければ森山の
ネが発売され,これまでの森山作品の全容が
プリントはごみになっていた。東京工芸大学
明らかになった。2004 年には,写真集のコレ
のコレクションは「写大コレクション」と呼
クターでもあり,アーティストであるマーテ
ばれ,後に森山の展覧会が開催される度に初
ィン・パーによって,世界で始めての写真集
期の重要な作品を提供し,また石原のパトロ
による写真史「the PHOTOBOOK A HISTO-
ナージュ精神によって,森山の作品は商品と
RY」が編集され発刊された。その中で,日本
して世界に流通するようになっていった。し
人による写真集を括る章が設けられ,日本の
かし,60 年代から 80 年代のこうした動向を
写真集のクオリティの高さに触れ,その代表
経ても森山の市場的な評価はそれほど伸びる
として森山を紹介している。このように 2000
ことはなかった。
年代になって,美術館やデザイナー,ギャラ
JAPANESE
BOX」と名づけ
リスト,編集者による森山に対する価値創造
3.1990 年代∼現代
活動によって森山の作品の芸術性が再評価さ
90 年代に入ると,森山に対してファッショ
れ,それに連動する形で市場価値も急騰して
ンブランド「ヒステリックグラマー」が関心
いったのである。近年では,現代アートの有
を持つようになる。1993 年から 1997 年にか
力なパトロンであるカルティエ財団のコレク
けて,ヒステリックグラマーから 3 冊の写真
ションにも入り,森山は写真家の範囲に限ら
集が発売される。このことにより森山は一部
ない現代アートの作家としての位置づけられ
のシリアスな写真世界から一歩出て,感度の
るようになっている。
高いファッション文化の文脈で捉えられるこ
以上,森山の価値化の歴史をステークホル
とになり新たなファンを獲得する。2000 年代
ダーの視点から振りかえってみた。森山の評
に入ると森山の価値発掘作業は世界で広がり
価は自然発生的に生まれたのではない。森山
83
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JAPAN MARKETING JOURNAL 115 ●
マーケティングジャーナル Vol.29 No.3(2010)
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★
論文
■図―― 4
森山大道の価値形成プロセス
1999年
1974年
1960年代
山岸章二
シャーカフスキー
MOMA
サンフランシスコ
近代美術館
「stray dog」展
2004年マーチンパー
1980年代
細江英公
「新日本写真」展「写大コレクション」
「カメラ毎日」特集
「photobookhistory」
作品
作品
60s
70s
80s
90s
2000
1999年
ヒステリックグラマー
石原悦郎
価値
2003年
タカイシイ
写真集出版 カタログレゾネ
企画展開催
2001年ラガーフェルド
写真集復刻
スタイルの確立 芸術評価の高まり
作品の収集・保存
再評価の高まり/価値の体系化・確立
の芸術の関わる様々なステークホルダーが,
以上,価値形成プロセスをまとめると 図− 4
それぞれ独自の方法によって価値づけ,また
の通りとなる。
いくつかの偶然も手伝いながら森山作品は世
笵――― アートマーケティング実践モデル
界的なアート作品へと成長したのである。「芸
術の価値は作り手と鑑賞者のインタラクショ
ンによって生まれる」といったマルセル・デ
アートの価値形成を理解した上で,我々は
ュシャンの主張するアートの原則が息づいて
どのようにしてアートマーケティングを実践
いることが明らかになったと思われる。この
していくのであろうか。そのためには「価値
長い歴史化の道のりの中で,日本の美術館も
形成の仕組み」そのものを取り入れ(内在化
関わりを持っている。例えば,1974 年の国立
させ),長期的かつホリスティックにマネジメ
近代美術館での「15 人の写真家展」であり,
ントしていく能力が求められる。当節では,
2003 年の島根県立島根美術館の「光の狩人」
アートマーケティング実践モデルを提示した
展である。前者は,MOMA の 1974 年の展覧
上で,事例を通じてアートマーケティングの
会の輸入版であるし,後者は森山の制作の歴
今後の発展について言及していきたい。
史を追ったもので,サンフランシスコ近代美
1.アートマーケティング実践モデル
術館のようにアートヒストリーとの関連付け
アートマーケティング実践モデルを図示す
は見受けられない。こうした日本の公立美術
ると図− 5 の通りとなる。
館が森山の価値創造にほとんど貢献していな
いのは明らかである。むしろ,日本の民間の
まずはじめに,今後どのようなアートが注
活動と世界の美術館や批評家の協働作業によ
目されるようになるのか,その文化的パース
って森山の価値は高まっていったのである。
ペクティブをリサーチした上で,対象とする
● JAPAN MARKETING JOURNAL 115
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アート作品の価値形成プロセスについての一考察
■図―― 5
アートマーケティング実践モデル
リサーチ
カテゴリー
設定
作品・情報
収集
歴史の
編集・体系化
発信活動
文脈作り
商品化
市場創造
未来への
投資
アート分野のカテゴリー設定を行う。次に当
家具ブランドメーカーとビジネスモデルは変
カテゴリーにおける作品の蒐集や情報収集を
わらない。しかし,1977 年に 2 代目社長,フ
行っていく。さらに当カテゴリーの歴史を編
ェールバウムによってビジネスモデルの大き
集及び体系化していく。それらを展覧会や出
な転換が行われた。
版等によってプレゼンテーションを行ってい
フェールバウムは,イームズやネルソンの
くことで,芸術的な価値を高めていく。こう
当時の初期作品(ヴィンテージ作品)を蒐集
してアートヒストリー文脈を作った後で,作
するようになった。その動機は,単なるコレ
品の開発や商品化を行い市場の創造を目指し
クション癖ではなく,VITRA 社の歴史を知
ていく。さらに未来に向けて新しいアートへ
り,商品を理解し学ぶためと述べている。さ
の投資を行っていく。このような一連の継続
らに 1987 年には,世界的なモダン家具のコレ
的な活動を通じて,アートマーケティングは
クターであるフェーゲザックから,膨大なコ
実践される。そこで,近年急成長を遂げたモ
レクションを譲り受けた。その中には,イー
ダン家具市場における 2 つの成功事例から実
ムズの初期の重要作品はもちろん,プルーべ,
態を見ていこう。
パントン,アアルト,バウハウス関連といっ
た,モダンデザインの歴史において重要なデ
2.VITRA 社のケース
ザイナーの作品が当時のままの姿で含まれて
16)
現在,ミッドセンチュリーを初めとする 20
いた。これがきっかけとなり,1989 年には,
世紀のモダン家具市場が活性化しているが,
約 4000 点を管理する「VITRA デザインミュ
それに大きな影響を与えたのがドイツの家具
ージアム」が設立された。このミュージアム
メーカー VITRA 社である。
は,公共的な資金によるものではなく,全く
VITRA 社は 1934 年に創業され,1957 年に
の自己資本による私設ミュージアムである。
ハーマンミラー社からアメリカミッドセンチ
主な目的は,「デザイン史の記録と解釈」で
ュリー家具の代表的なデザイナーであるイー
ある。同ミュージアムのコレクション部のム
ムズやネルソンのライセンスを買い取り,そ
デュイによって,デザイン史の中で重要な作
の商品化及び販売することで業績を伸ばして
品についての情報が世界中から収集され,作
いった。ここまでは,カッシーナなどの高級
品が集められていった。また,キュレターを
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マーケティングジャーナル Vol.29 No.3(2010)
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★
論文
起用しデザインに関する展覧会を企画し,そ
物が伝説的なギャラリスト,フィリップ・ジ
れらを積極的に海外の美術館や団体にセール
ェスである。彼はジャン・プルーべの価値を
スしていった。そのような活動によって,
発掘した人である。ジャン・プルーべは,50
VITRA 社が解釈する「デザイン史」が啓蒙
年代のフランスの建築家であり,彼の家具は
され,世界中でモダン家具の歴史的な価値が
モダン家具の分野でもっとも高い値段で取引
認識されるようになっていった。
されている。ジェスは 60 年代にプルーべとは
知らずに作品と出会い一目ぼれしたという。
そうした活動の背景で,モダン家具のヴィ
ンテージ作品の市場価格も高騰していった。
そこで,少しずつプルーべの家具を集め,古
しかし,VITRA 社は,コレクションを売る
い資料をあたりながら,プルーべにまつわる
といったビジネスではなく,様々なデザイナ
情報や作品の希少性について調べていった。
ーからデザイン版権を獲得し,重要な作品を
そして展覧会を企画し,プルーべの魅力を啓
オリジナルに忠実に次々と再現し,「復刻品」
蒙していったのである。それが徐々に感度の
を生産していった。さらに「復刻品」ビジネ
高いコレクターに認められるようになり,価
スに留まらず,デザイン史の未来を見据えた
格が高騰していった。今では,現代アートの
活動も行っている。それは新人デザイナーの
有力コレクターのライフスタイルの中にプル
発掘である。大御所デザイナーと新人デザイ
ーべの家具はさりげなく飾られており,2009
ナーの交流を図るために「ワークショップ」
年には現代アートの殿堂であるニューヨーク
を行ったり,VITRA 社の視点で次々と新し
現代美術館で展覧会が開催される予定である。
いデザイナーを起用し商品開発を進め,カタ
このような彼の活動を「モダン・アーケオロ
ログやシュールームなどでは,新旧作家の商
ジー(考古学)」と評する人がいる 17)。自ら研
品を組み合わせてライフスタイルを提案する
究し,カタログ化し,収集し,本を出版し,
ことで,家具ビジネスの未来への投資も積極
展示する。またプルーべの建造物が壊されそ
的におこなっている。
うになるとその廃止を求める運動を起こした
りする。つまり,ジェスは単なるアートの仲
以上が,VITRA 社の活動の概要である。
こうした活動は一家具メーカーの活動の範囲
買人ではなく,自らアートの原石を見つけ出
を超えている。ミュージアムを設立すること
し,その原石に様々な活動,例えば「歴史の
で,デザイン史を編集し,芸術的な価値を高
調査」「希少性の管理」「展覧会によるプレゼ
めていく。そうした下地をつくった後で,そ
ンテーション」「書籍やカタログの出版」を通
れに連動した形で商品化を行い市場をも創造
じて付加価値化を目指していくアートマーケ
していく。まさしくフェールバウムは,アー
ティングの実践者であるといえる。
トの価値形成プロセスを知り尽くしたアート
4.アートマーケティングの今後の発展
マーケティングの実践者であるといえる。
今後,成熟化した生活者はますますアート
3.フィリップ・ジェス
に魅せられていくようになり,アート市場の
モダン家具の仕掛け人として欠かせない人
● JAPAN MARKETING JOURNAL 115
マーケティングジャーナル Vol.29 No.3(2010)
領域がどんどん広がっていくことが予想され
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アート作品の価値形成プロセスについての一考察
る。既存の市場である「美術」「写真」「デザ
じて古くて磨り減ったジーンズが高価格で取
イン・家具」といった分野でも次々とアート
引されている。そうしたセカンダリー市場に
マーケティングが実践されるだろう。例えば,
おける利益を発売元のメーカーは享受するこ
「日本の写真」といったカテゴリーも成長株で
とはできない。そこでヴィンテージ市場に対
ある。日本の写真文化は海外から注目をされ
応すべく「復刻版」の発売や,当時の素材や
つつあり,2008 年のパリで開催される「パリ
製造方法にこだわった商品開発を行うことで
フォト」のテーマは「日本の写真」であった。
成功しているリーバイス以外のメーカーも存
日本の現代写真の創始者である木村伊兵衛か
在する。未来の価値を想定したマーケティン
ら,黄金期を形成した東松照明,荒木経惟,
グはこれまでのブランドマーケティングでは
森山大道,そして現代のホンマタカシなど,
行われておらず,今後は従来のブランドマー
「日本の写真」の価値の編集および体系化が進
ケティングに「アートマーケティング」の手
むと世界に市場が広がっていくだろう。
法をどう組み込んでいくかが重要になってい
また既に発展を遂げてきた分野だけでなく,
くと考えられる。
未知の分野もますます広がっていくだろう。
笨――― 最後に
例えば,デザインの一ジャンルとして「建築」
がある。その中から「建築家」のドローイン
以上,「現代アート」を分析していくことで,
グ(設計図の手前のラフなアイディアをデッ
サンにしたもの)も市場化の可能性があると
アート作品の価値形成のしくみを理解し,そ
思われる。近代建築の祖であるル・コルビジ
れを応用したアートマーケティングの手法を
ェからミッドセンチュリー時代に活躍した建
検討してきた。アートマーケティングは,美
築家,そして現代において活躍している安藤
術品だけでなく,家具や本などさまざまなア
忠雄やフランク・ゲーリーなどのドローイン
ート分野へと広がっていくであろうし,従来
グの蒐集が行われ,価値の体系化が行われる
のブランドマーケティングに付加するカタチ
と大きなアート市場の可能性が広がっていく。
でブランドの活性化手段として適応できるこ
また日本のマンガの原画なども,価値の体系
とを示唆してきた。今後ますますアートは成
化が進むと世界で市場が形成されていくだろ
熟化した生活者の新しい消費の対象となって
う。
いくだろう。今後の研究課題としては,まだ
また,これまでの「ブランドマーケティン
未成熟であるといえる「アートマーケティン
グ」のあり方も変わっていくだろう。例えば,
グ」という新しい研究分野を切り開いていく
ジーンズブランドであるリーバイスのヴィン
必要がある。しかし現状においてはアートと
テージ市場は近年大きく成長してきた。過去
マーケティングの間には大きな壁が存在する。
に製造されてきたジーンズの「素材」「製造」
そこで,当研究で明らかにしたモデルを用い
て,様々なアート財への適法を試みることで,
「デザイン」「希少性」などの情報が年代別に
編集され,それに基づいて市場価値が体系化
「アートマーケティング」の世界をより精緻に
されていった。その結果,様々な古着屋を通
具体的に描いていく必要があるだろう。もう
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マーケティングジャーナル Vol.29 No.3(2010)
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論文
13)現代においてもっとも影響力をもつニューヨーク
のギャラリーのひとつ。
14)
「NEW JAPANESE PHOTOGRAPHY」
(MOMA)の展覧会カタログ序文より
15)細江英公(1933-)50 年代∼ 60 年代にかけて活躍
した日本を代表する写真家の一人。
16)Pen2003 年 106 号を元に分析。
17)フィリップ・ジェスインタビュー(2008)『ELLE
DECO』アシェット婦人画報社
18)Morris B. Holbrook
19)Elizabeth C. Hirschman
一方では,「消費者行動論」の分野から「なぜ
人はアートを消費するのか」といった消費動
機に関する包括的な研究も必要になる。ホル
ブルック 18)やハーシュマン 19)が 80 年代以降
試みている体験消費研究やポストモダン消費
論を踏まえたうえで,新しいアート消費行動
論の確立を試みる必要があるだろう。そうし
た研究の結果,90 年代以降 20 年に渡って研
究されてきた「ブランドマーケティング」論
参考文献
市原研太郎(2007)「キュレーターズ・アイ 2000 年
代のキュレーション,その地平」『美術手帖 12 月
号』
河島伸子(2002)「文化団体におけるマーケティング
マネジメント」『アーツ・マネジメント』放送大
学
川又啓子(2004)「アートとマーケティング」『芸術の
プロジェクト』慶応義塾大学 アート・センター
小山登美夫(2008)『現代アートビジネス』アスキー
新書
佐谷和彦(1996)『アート・マネージメント 画廊経
営実感論』 平凡社
清水裕之他(2006)『アーツ・マネジメント』放送大
学
ジュルジュ・シャルボニエ(1997)『デュシャンとの
対話』みすず書房
白川昌生(2001)『美術,市場,地域通貨をめぐって』
水声社
辛美沙(2008)『アートインダストリー 究極のコモ
ディティーを求めて』美学出版
ダラコット(1995)
『美術批評入門』スカイドア
辻幸恵 梅村修(2006)『アートマーケティング』白
桃書房
林容子(2004)『進化するアートマネジメント』レイ
ライン
村上隆(2006)
『芸術起業論』幻冬舎
がひとつの終焉を迎えているなか,その次の
テーマとして「アートマーケティング」研究
が活性化していくことが期待される。
注
1)リチャード・フロリダが提唱するクリエイティブ
力によって成功を遂げた新しい富裕層。
2)ミウッチャプラダ,アニエス B,カールラガーフ
ェルド,トムフォードは,影響力のある現代アー
トのコレクターであり,現代アートを活用した発
信を積極的に取り入れている。
3)サザビース,クリスティーズといった大手オーク
ション会社によると,第 1 次大戦後のアートを
「モダンアート(近代アート)」,第 2 次大戦後のア
ートを「コンテンポラリーアート(現代アート)」
と区分する。
4)カッセルドクメンタ ドイツにカッセル市で行わ
れる現代アートの国際展覧会
5)ベネチアビエンナーレ 世界最大のアートの国際
展覧会,アートの五輪と評される。
6)バーゼルフェア 世界最大のアートの見本市
7)「Les annees pop」展(2001 年)ポンピドー美術
館
8)クラインは写真作品の数を管理せず,再版し続け
てきた。
9)ジュルジュ・シャルボニエ(1997)『デュシャンと
の対話』みすず書房より
10)ジ ョ ン ・ シ ャ ー カ フ ス キ ー ( 1 9 2 5 - 2 0 0 7 )
MOMA の写真部門ディレクター
11)
「年代記」
「画家のモノグラフ」
「カタログレゾネ」
「理論の基づく書」など 22 種類を挙げている。
12)市原研太郎(2007)「キュレーターズ・アイ 2000
年代のキュレーション,その地平」『美術手帖 12
月号』を参照
● JAPAN MARKETING JOURNAL 115
マーケティングジャーナル Vol.29 No.3(2010)
若林 宏保(わかばやし ひろやす)
(株)電通 中部支社 マーケティングプランニング
室 プランニングディレクター
1989 年 立教大学経済部経済学科卒業
1997 年 慶應義塾大学 大学院経営管理研究科卒業
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Japan Marketing Academy
アート作品の価値形成プロセスについての一考察
(経営学修士)
1997 年 (株)電通入社
専門は,ブランド戦略,地域ブランドマネジメント,
アートマーケティング。
著書・論文に「消費価値モデル」『マーケティング
ジャーナル』87 号,日本マーケティング協会(2003
年)
「住みたい街へ 地域ブランドマネジメント」『ア
ドバタイジング』14 号 電通(2006 年)
「ブランデッド・シティ構築戦略と資産評価モデル
の開発」『マーケティングジャーナル』107 号 日本
マーケティング協会(2008 年)
「地域ブランドマネジメント」有斐閣 共著(2009
年)
がある。
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マーケティングジャーナル Vol.29 No.3(2010)