電子書籍の価値分析 - 日本マーケティング学会

Japan Marketing Academy
★
論文
電子書籍の価値分析
∼日米市場の比較に基づく考察∼
笊 ――― はじめに:価値の定義
笆 ――― 価値分析の枠組み:技術受容モデルの視点
笳 ――― アメリカの電子書籍市場
笘 ――― 発見事項のまとめ:アメリカの電子書籍市場における価値創造
笙 ――― 日本の電子書籍市場
笞 ――― 考察
マーク・E・パリー
● ミズーリ・カンザスシティ大学ブロック・ビジネススクール 教授
笆――― 価値分析の枠組み:技術受容
モデルの視点
川上 智子
● 関西大学 商学部 教授
本稿の事例分析は,技術受容モデル(TAM)
笊――― はじめに:価値の定義
に基づく 図 − 1 の概念モデルを用いて行う。
TAM では,知覚された有用性と利用容易性
価値創造はマーケティング活動の根幹であ
によって,新技術の採用が決まると論じる
る。マーケティング活動は,相手にとっての
(Davis 1989)。TAM は元来,経営情報シス
価値を創造し,その価値を顧客やクライアン
テムの採用を対象としていたが,近年,家庭
トやパートナーに届けて初めて意味を為す 1)。
用パソコン,モバイル通信,携帯型デジタル
マーケティング分野における価値は,顧客
音楽プレイヤー,携帯型ゲーム機,DVD プレ
が得るものと与えるものとの比としてのベネ
イヤー,スマートフォン等にも適用範囲が広
フィット/コストで定義される(コトラー
がっている(Okazaki, Skapa, and 2008; 小野
2001,p.13)。このコストには製造コストだけ
2008 ; Song, Parry and Kawakami 2009;
でなく,金銭的・時間的・エネルギー・精神
Parry, Kawakami and Kishiya 2011)。
的コスト等,顧客が支払う多様なコストが含
本稿では,紙媒体の書籍と比較した電子書
まれる。
籍の相対的な価値を,TAM の 2 つの主要概
本稿では,このマーケティングにおける価
念である「知覚された相対的有用性」と「知
値の定義に立ち返り,技術受容モデル
覚された相対的利用容易性」との総和で示し,
(Technology Acceptance Model: 以下 TAM)
それを利用コストの増分で除した値と概念化
の視点から,顧客にとっての価値を分析する
する。利用コストの増分とは,電子書籍の利
枠組みを提示する。その上で,日米における
用に要するコストから紙媒体の書籍の利用コ
電子書籍市場の歴史をたどり,そこから抽出
ストを引いたものである。
される電子書籍 の価値を明らかにしていく。
電子書籍は,端末(ハードウェア)とコン
2)
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電子書籍の価値分析
テンツ(ソフトウェア)がそれぞれ直接的・
社の Softbook は,価格 299 ドル,画面サイズ
間接的なネットワーク外部性を有する(Katz
9.5 インチ,重量 3 ポンド(約 1.3kg),バッテ
and Shapiro 1985 ; Kawakami, Kishiya and
リー持続 3 ∼ 5 時間,メモリは 2 ∼ 3 冊分だ
Parry 2012 ; Redmond 1991 ; Song, Parry
った。電子書籍はモデムでオンライン接続し
and Kawakami 2009) 。よって,図− 1 にお
て入手し,月額利用料は 20 ドルであった。
3)
ける電子書籍の顧客にとっての相対的価値と
一方,NuvoMedia 社が発売した Rocket は,
は,端末とコンテンツとの両方に起因する有
価格 499 ドル,画面サイズ 5.5 インチ,重量
用性と利用容易性を,利用コストの増分で除
1.25 ポンド(約 570g),バッテリー持続 20 時
したものである。次節以降では,この枠組み
間,メモリ約 10 冊分だった。電子書籍はバー
に基づき,日米の電子書籍市場を対象に事例
ンズ&ノーブルやパウエルズ等の書店サイト
分析を行なう。
にパソコンを接続して入手した。当時のバー
ンズ&ノーブルは,約 300 冊の電子書籍を扱
笳――― アメリカの電子書籍市場
っていた。
その後,両社とも 2000 年 1 月に Gemstar
アメリカでは,2007 年にアマゾン社がキン
International Group に買収され,市場から撤
ドルを発売して以来,電子書籍市場の規模が
退した。ところが,端末そのものは失敗した
急速に拡大した。全米出版協会によれば,
にも関わらず,アメリカの電子書籍の売上は
2010 年の電子書籍市場の売上は 4 億 4130 万ド
伸長し続けた。電子書籍は,主に個人用の端
ルで,書籍市場全体の約 8.3%に当たる 。以
末である palmOne 社のジレ 21,ソニー株式
下では,アメリカにおける電子書籍市場の歴
会社(以下,ソニー)のクリエ TJ25,ヒュー
史を概観する 5)。
レ ッ ト パ ッ カ ー ド 社 の iPAQ ポ ケ ッ ト
4)
PCH4150 等で読まれていた。
1.アメリカ初の電子書籍端末
2.ソニーの電子書籍端末「リーダー」
キンドル発売の 10 年前に当たる 1998 年,
アメリカでは Softbook Press 社と NuvoMedia
2006 年 10 月,ソニーがリーダー PRS-500
社の 2 社が電子書籍端末を発売した。最初の
を 299 ドルで発売した。後述するように,ソ
電子書籍専用端末と言われる Softbook Press
ニーは 2004 年に日本で類似機種の LIBRIe
■図―― 1
EBR-1000EP を発売し,2007 年に撤退してい
電子書籍の価値分析に関する概念枠組み
る 6)。ソニーが日本でリーダーの後継機種を
発売するのは,それから約 3 年後の 2010 年で
ある。
アメリカで発売されたリーダーは重量 9 オ
ンス(約 255g)で,7,500 頁分の移動が可能
なリチウムイオンバッテリーを搭載し,内蔵
メモリ約 75 冊分,メモリーカードで拡張も可
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論文
能であった。スクリーンには E Ink 社の電子
図− 2 は,全米出版協会が 2011 年 2 月に公
ペーパー を使用し,文字のサイズや画面方
表 し た 一 般 向 け 書 籍 の 売 上 デ ー タ で あ る 8)。
向を変えることもできた。
リーダーが発売された 2006 年には,電子書籍
7)
コンテンツに関しても,ハードウェア端末
のシェアは書籍市場全体の 0.5 %程度に留ま
の発売と同時に,ソニーはアメリカの大手出
っていた。
版社 6 社から提供された約 1 万冊の電子書籍
しかし,2007 年 11 月のアマゾン社のキン
が利用できる Sony CONNECT ストアをオー
ドル発売により,アメリカの電子書籍市場は
プンさせた。電子書籍の平均価格は,従来の
急速に成長し始める。2008 年に電子書籍のシ
書籍と比べて 25 %程度安く設定された。ただ
ェアは 1%を超え,2009 年には売上 1 億 6950
し,コンテンツを利用するには,電子書籍を
万ドルを達成し,シェアは 3.2 %に達した。
いったんパソコンにダウンロードする必要が
そして 2010 年,アップル社の iPad の発売に
あった。
より,電子書籍の売上は前年比 2.6 倍の 4 億
■図―― 2
アメリカにおける電子書籍市場の成長
注)数字は売上。単位は百万ドル。%は各年の電子書籍の割合を示す。
出所)全米出版協会ウェブサイト(http://www.publishers.org/press/24/)を参考に筆者作成。
■表―― 1
ソニー「リーダー」とアマゾン「キンドル」の比較
発売時期
価格
重量
サイズ
ソニー「リーダー」
2006年10月
299 ド ル
9 オンス(約255g)
6.9”×4.9 ”×0.5 ”
バッテリー寿命
7,500 頁 分
メモリ容量
コンテンツ入手
160 冊 分
パソコン経由
ア マ ゾ ン 「 キ ン ドル 」
2007年11月
399 ド ル
10.3オンス(約292g)
7.5”×5.3 ”×0.7 ”
ネ ッ ト ワ ー ク 接続 時 2 日 間
非接続時 1 週間
290 冊 分
端 末 で ワ イ ヤ レ ス接 続
出所)筆者作成。
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電子書籍の価値分析
4130 万ドルに達するのである。
ッチパネル式カラースクリーンの 2 つの画面
を有していた点が,キンドルとの最大の違い
3.アマゾン「キンドル」の市場導入
である。価格は 259 ドルで,キンドルやリー
表− 1 は,ソニーのリーダーとアマゾンの
ダーよりも安価であった。購入済みの電子書
キンドルを比較したものである。キンドルの
籍を友人等に最大 14 日間貸し出せる LendMe
最大の特徴は,端末からワイヤレス接続が可
機能も搭載し,他機種と明確に差別化して導
能で,アマゾンのウェブサイトから直接コン
入されたヌックはクリスマス商戦で在庫切れ
テンツを購入できる点にある。本体価格は
となる売れ行きを見せた。
399 ドルと,ソニーのリーダーより 100 ドル
5.アップル社の iPad による市場拡大
高いが,メモリ容量やコンテンツ入手の容易
性において,キンドルはリーダーを上回って
リーダー,キンドル,ヌックと特徴的な端
いた。
末が相次いで導入されたアメリカの電子書籍
アマゾン・ストアでは約 9 万冊の電子書籍
市場をさらに飛躍的に拡大させたのが,2010
が利用でき,1 冊の価格は,月額払いの新聞
年 1 月末に発表されたアップル社の iPad であ
や雑誌を除き,9.99 ドル以下に設定されてい
る。
た。さらにアマゾンは,2009 年 2 月にキンド
iPad は電子書籍専用端末ではなく,タブレ
ル 2,2009 年 6 月に画面サイズ 9.7 インチのキ
ット型パソコンである。価格はメモリ 16GB
ンドル DX を発売した。こうした製品ライン
で 499 ドル,重量 1.5 ポンド(約 680g),画面
ナップの充実と並行して,アマゾンは 2009 年
サイズは 9.7 インチであった。電子書籍コン
3 月には,アップル社の iPhone 9)向けのキン
テンツは,端末から同社の配信ストアである
ドルアプリも提供している。
iTunes に接続すれば簡単に入手できた。
アメリカでは 4 月 3 日に発売され,初日に
4.バーンズ&ノーブル「ヌック」の参入
30 万台,発売 1 カ月で 100 万台が売れた。6
2009 年 3 月,バーンズ&ノーブル社は約 6
月にはアップル社の CEO(当時)スティー
万冊のコンテンツを有していた電子書籍販売
ブ・ジョブズ氏が電子書籍市場シェアの 22%
大手のフィクションワイズ社を 1,570 万ドル
を獲得したと報告している。
で買収する計画を発表した。その 4 ヵ月後,
iPad の発売に対し,競合他社は主に 3 つの
バーンズ&ノーブル社は 70 万冊以上の電子書
対抗手段を取った。①電子書籍用アプリの発
籍を取り揃え,オンライン電子書籍ストアを
売,②販売チャネルの拡大,③価格引き下げ
オープンさせた。この 70 万冊のうち 50 万冊
である。
は,グーグル社から無償提供されたものであ
まず,アマゾンとバーンズ&ノーブルは,
る。
iPad 上で電子書籍が読めるアプリを用意した。
2009 年 11 月,同社は電子書籍端末「ヌッ
また,両社とも販売チャネルを拡張し,アマ
ク」を発売した。ヌックは 6 インチのモノク
ゾンはターゲット,バーンズ&ノーブルは家
ロ電子ペーパースクリーンと 3.5 インチのタ
電量販店ベストバイで端末を販売し始めた。
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■図―― 3
廉価版の品揃えを充実させ,1 人 1 台の普及
アメリカにおける書籍の購入先
を目指した。競合他社は明らかに,高付加価
値型の iPad に対し,価格面で差別化する戦略
を採ったのである。
笘――― 発見事項のまとめ:アメリカの電
子書籍市場における価値創造
以上で振り返ったアメリカの電子書籍市場
の歴史を, 図− 1 で示した概念枠組みに従い,
顧客にとっての知覚された相対的な有用性,
出所)インターネットメディア総合研究所(2011) 『電子書籍
ビジネス調査報告書 2011』インプレス R&D,p.216
(原出所は Verso Advertising の調査結果,サンプル
は成人 9,300 名以上,2010 年春実施)
。
知覚された相対的な利用容易性,そして利用
国土が広く,車が主要な移動手段であるア
1.知覚された有用性:電子書籍コンテンツ
コストの増分という観点で整理する。
の充実度
メリカでは,日本のように通勤途上で駅前の
書店に立ち寄るという購買形態は稀である。
電子書籍を紙媒体の書籍と比較した際に,
図 − 3 のように,書籍は地元の独立系書店,
相対的に優位な有用性(Rogers 1995)として
大型書店チェーン,オンライン書店に加え,
よく指摘されるのは,携帯性や保存性である。
ウォルマートやターゲットといったディスカ
しかしこれらは,従来の紙媒体の書籍と同等
ウント系の量販店でも購入される 10)。それゆ
以上のコンテンツが存在するという前提での
え,アマゾンは当時約 1,700 店舗を構えてい
議論である。検索機能や辞書機能が利用でき,
たターゲットと組み,バーンズ&ノーブルは,
希少本や絶版本が読めたとしても,それが読
書店ではなく端末販売先としての家電ルート
みたい本でなければ意味はない。
に顧客接点を拡大させた。
よって,アメリカの電子書籍市場における
第 3 に,各社とも電子書籍端末の価格を下
競争は,コンテンツをいかに充実させるかを
げた。まずソニーは,2010 年 3 月にリーダー
一つの焦点として展開していった。とりわけ,
の 5 インチ型を 169 ドルに値下げし,7 月には
オンライン書店から出発したアマゾンは,電
149 ドルまで下げた。バーンズ&ノーブルは,
子書籍の品揃えこそが市場の成長を加速化さ
6 月に Wi-Fi 専用の廉価型ヌックを 149 ドルで
せると考えていた。2007 年のキンドル発売時,
発売し,3G 搭載型も 199 ドルまで値下げした。
ジェフ・ベソス氏は,この世に存在するすべ
さらに,アマゾンはキンドルを 189 ドル,キ
ての書籍を 60 秒以内に買えるようにすると宣
ンドル DX を 379 ドルにそれぞれ価格改定し
言し,その後の記者会見の度に,利用可能な
た。アマゾンはさらに小型の WiFi 専用タイ
電子書籍数を公表していったのである。
プを 139 ドル,3G 搭載型を 189 ドルで発売し,
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競合他社もこれに対抗し,アメリカの電子
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電子書籍の価値分析
書籍市場では,端末の製品差別化競争から低
存在自体を忘れることのできる端末を提供す
価格競争に移行する流れと並行して,電子書
るという発想は,製品中心のメーカーには斬
籍コンテンツ数の拡大競争が激化していった。
新に映るに違いない。
2010 年 7 月の時点で,アマゾンは 63 万冊,グ
3.利用コストの増分
ーグルと組んだバーンズ&ノーブルは 100 万
冊,全米第 2 の書店チェーンであるボーダー
マーケティングにおける顧客の価値は,コ
ズでは 150 万冊の電子書籍が利用可能であっ
スト対パフォーマンスで示される。 図− 1 に
た。
示したように,紙媒体の書籍と比較した場合
の有用性や利用容易性の相対的な増分がコス
2.知覚された利用容易性
トの増分を下回れば,顧客にとっての価値は
次に,相対的な利用容易性については,紙
高まらない。逆に,相対的な有用性や利用容
の書籍の時代には存在しなかった端末とコン
易性が仮に低下しても,コストの増分がそれ
テンツとのモジュール化
11)
が生じた結果,ハ
を下回れば価値は向上する。
ードウェアとソフトウェアを一体としてとら
電子書籍の利用コストとしては,まず端末
えたシステムとしての利用容易性を考えなけ
とコンテンツの入手コストが挙げられる。さ
ればならない。
らに,紙媒体の書籍には存在しなかった,端
前節の事例で確認した通り,電子書籍端末
末に関する情報探索コストや端末操作の学習
に関しては,各社とも,画面サイズの多様化,
コスト等の多様な要素も含まれる。
視認性や操作性の向上等を課題ととらえ,製
アメリカ市場においては iPad への対抗を強
品ラインナップを取り揃え,既存機種のバー
める中で,廉価版の電子書籍端末市場は価格
ジョンアップを行っていた。
競争に陥りつつある。また,iPad は,タブレ
その中で,とりわけ注目されるのは,ハー
ット PC として購入される可能性があるため,
ドウェアの利用容易性だけでなく,コンテン
端末の価格自体は電子書籍市場の差別化要因
ツ入手の容易性に当初から注力していたアマ
とはなりにくい。よって競争上の関心は,コ
ゾンの戦略である。オンライン書店として成
ンテンツの価格設定に向かうこととなる。
長してきたアマゾンは,書籍の選択から購入
通常,アメリカにおける書籍の卸値は約
までをシームレスに,かつシンプルにデザイ
50 %である 12)。新刊書の価格は通常 25 ∼ 30
ンすることの重要性を熟知していた。
ドルであり,9.99 ドル以下というアマゾンの
価格設定は採算を度外視している。一方,
そのアマゾンが出した答えが,オンライン
書店に端末から無料でワイヤレス接続し,
2010 年に iPad が発売された際,大手出版社 5
月々の利用料を気にすることなく,顧客に書
社がベストセラーを 12.99 ドルまたは 14.99 ド
籍を自由に選ばせることだった。ジェフ・ベ
ルで販売した。従来の卸値とほぼ同額である。
ソス氏は,究極の目標は,キンドルを顧客の
iPad 用の卸値はその 7 掛けでマージンは減っ
手から消してしまうことだと発言している。
たが,9.99 ドルのアマゾンよりは歓迎された。
かつて,日本の携帯電話市場では端末を安
端末の存在を主張せず,むしろ逆に,顧客が
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価で提供し,通信料で収益を得た。アマゾン
実験が行われ,電子書籍の普及推進活動は続
は,これとは対照的に,コンテンツ側で赤字
いたが,その離陸は新世紀を待たなければな
覚悟のプライシングを行い,ハードウェアと
らなかった。
他の収益源でその損失をカバーする戦略を採
2000 年代に入り,松下電器産業株式会社
ったのである。
(現:パナソニック株式会社,以下,パナソニ
ック)とソニーが 2004 年に専用端末を発売し
笙――― 日本の電子書籍市場
た。パナソニックのシグマブック BKE-AWN7 は 7.2 インチの記憶型液晶画面を 2 面搭載
次に,日本における電子書籍市場の歴史を
し,本を見開きで読む状態を再現した。一方,
たどり,先行するアメリカ市場の分析から導
ソニーのリブリエ EBR-1000EP は 6 インチの
かれた発見事項を参考に,その特徴を明らか
電子ペーパーを搭載し,重量は 190g であった。
にしていく。
リブリエの電子書籍は買い取りではなく,レ
ンタルで購入された。
1.日本における初期の電子書籍市場
この 2 社は販売方法も対照的で,シグマブ
日本における電子書籍市場の黎明期は 1980
ックは書店,リブリエは家電量販店に並んだ。
年代に遡る。1984 年にソニーが世界初の携帯
このように,シグマブックとリブリエは,端
型 CD プレイヤー D50 を発売し,1985 年には
末の外観も仕様も販売方法も大きく異なって
初の CD-ROM 型書籍が発売された
。翌
いたが,2 つだけ共通点があった。それは,
13)
1986 年には,日本電子書籍協会(JEPA)が
ハードウェア端末の価格帯とコンテンツ入手
設立されている。
の複雑さである。
1990 年,ソニーは電子書籍端末データディ
シグマブックもリブリエも実勢価格で 4 万
スクマン DD-1 を発売した。DD-1 はモノクロ
円前後であった。そして,電子書籍を入手す
液晶画面を有する 8 インチ CD-ROM 用の端末
るためには,いずれもパソコンを介し,独自
で,辞書 5 冊分の電子ブック 1 枚が付属し,
のデータ形式でウェブサイトからダウンロー
58,000 円であった。
ドする必要があった。
この DD-1 の発売に合わせ,岩波書店他の
市場導入から 3 年後の 2007 年,両社はいず
出版社 13 社が電子ブックコミッティと称する
れも電子書籍事業から撤退した。
コンソーシアムを立ち上げ,計 18 の CD2.アマゾンとアップルの市場参入
ROM を発売した。価格は,岩波書店『広辞
苑電子ブック版』が 7,500 円,自由国民の
2009 年 10 月,アマゾンは日本を含む 100 ヶ国
『現代用語の基礎知識電子ブック 1990 年版』
に向けて,キンドル 2 に 3G 機能を搭載した国
が 3,800 円であった 。
際モデルを出荷し始めた。そして 2010 年 5 月,
14)
その後,パソコンに CD-ROM プレイヤーが
アップルが iPad を日本で発売した。
搭載されるとともに,CD-ROM ブック専用端
海外からの市場参入に対し,日本では,
末は衰退した。1990 年代には大規模な消費者
● JAPAN MARKETING JOURNAL 122
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2010 年 2 月に出版社 31 社による日本電子書籍
40
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電子書籍の価値分析
出版社協会(以下,電書協)が発足している。
パゴスで,電子書籍の配信も始まっている。
また,総務省・文部科学省・経済産業省がデ
一方,ソニーのリーダーは,モノクロの電
ジタル・ネットワーク社会における出版物の
子ペーパーを使用し,5 型と 6 型の 2 機種があ
利活用の推進に関する懇談会を開催し,6 月
った。こちらも端末発売と同時に,リーダ
に報告書を公開した 。こうした場では,電
ー・ストアがオープンした。
15)
子書籍に関わるフォーマットの標準化,著作
価格はガラパゴスが 5.5 型で 39,800 円,10.8
権や再販制度の問題が検討されている。
型は 54,800 円,リーダーは,5 型が約 20,000
2010 年は電子書籍元年と言われ(田代 2010),
円,6 型が約 25,000 円であった。電子書籍の
スマートフォン・タブレット PC ・専用端末
品揃えは,ツタヤ・ガラパゴスが約 24,000 冊,
等の新たな電子書籍端末の市場が,2009 年度
リーダー・ストアは約 20,000 冊と大差ない。
の約 6 億円から 2010 年度の約 24 億円へと 4
ただし,リーダーは端末からネット接続がで
倍に拡大した(表− 2)。それまで,日本にお
きず,パソコンを介する必要があった。
ける電子書籍市場は携帯電話用のコミックが
この 2 機種の発売後,2010 年 12 月 25 日に
約 9 割近くを占めていたが,ついに,専用端
は,KDDI が電子書籍端末 biblio Leaf SP02 を
末の市場が動き始めたと言える。
発売し,通信事業者として初めて独自の電子
2010 年 12 月 10 日,日本の 2 社から専用端
書籍端末で市場に参入した。
末が同時に発売された。シャープ株式会社
笞――― 考察
(以下,シャープ)のガラパゴスとソニーのリ
ーダーである。
シャープのガラパゴスはカラー液晶画面を
以上で見てきたとおり,アメリカの電子書
搭載し,5.5 型と 10.8 型の 2 機種が用意されて
籍市場と同様に,日本市場においても,初期
いた。端末の発売と同時に,カルチャー・コ
の電子書籍にはバッテリーやメモリの容量不
ンビニエンス・クラブ株式会社(以下,CCC)
足,コンテンツ不足,ネット接続不可といっ
と共同出資したオンライン書店ツタヤ・ガラ
た問題があった。 図− 1 の概念枠組みで要点
■表―― 2
日本の電子書籍市場の推移
(単位:百万円)
2002
2003
2004
2005
2006
2007
2008
2009
2010
新端末用
電子書籍
0
0
0
0
0
0
0
600
2,400
携帯電話用
電子書籍
0
100
1,200
4,600
11,200
28,300
40,200
51,300
57,200
パソコン用
電子書籍
1,000
1,700
3,300
4,800
7,000
7,200
6,200
5,500
5,300
計
1,000
1,800
4,500
9,400
18,200
35,500
46,400
57,400
65,000
出所)インターネットメディア総合研究所(2010)p.43,同
(2011)p.17 を参考に 筆者作成。
41
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論文
回答も理解できる。
を整理する。
第 1 に,知覚された有用性に関わるコンテ
日本の書籍流通においては,取次大手の株
ンツの充実度は,日本では個別のオンライン
式会社トーハンと日本出版販売株式会社の 2
書店で 2 万冊程度,日本全体の電子書籍タイ
社が,出版社約 2,500 社以上,書店約 10,000
トル(作品数)も約 22 万冊程度である 。こ
店以上と取引し,強大なパワーと交渉力を発
れに対してアメリカでは,既に書店ベースで
揮している。こうした取次中心の流通構造 20),
100 万冊を突破している。市場の成長には,
返品可能な委託配本の取引慣行,著作権問題
コンテンツの充実が急務である。
といった日本の書籍流通の特異な事情も,電
16)
子書籍への移行を遅らせる要因となる。
第 2 に,知覚された利用容易性についても,
アマゾンのキンドルが目指したシームレスで
しかし,電子書籍への移行は抗いがたい流
シンプルな操作感を達成するには,まだ至っ
れである。公正取引委員会も,ネットワーク
ていない。
配信の電子書籍は物ではなく情報として流通
するため,再販適用除外とならないと明示し
最後に,利用コストについても,アマゾン
ている 21)。
の 9.99 ドルのような価格設定は見られない。
インプレス R&D が 2010 年に実施した調査で
最後に,日本の消費者の読書行動に関する
は,電子書籍の価格への要望は,紙の書籍の
データを一つ示しておきたい。 図− 4 は書籍,
7 割程度が回答 31 社中 10 社,8 割程度が 7 社
雑誌,および PC ・携帯の年代別読書率であ
であった 。再販売価格維持契約の下,定価
る。興味深いことに,10 代後半では,既に
17)
を基準に取次が 8 ∼ 10 %,書店が 22 ∼ 24 %
PC ・携帯の読書率(56%)が書籍の読書率
のマージンを取るのが一般的な 18)日本の書籍
(49%)を上回っている。
流通を前提とすれば 19),7 ∼ 8 割が限界という
出版不況の中 22),電子書籍が業界構造を再
■図―― 4
編する起爆剤となる可能性は高い。他方で,
日本における年代別読書率
2011 年 9 月,シャープが発売してからわずか
9 か月でガラパゴスの撤退を表明した。日本
の電子書籍市場は未だ混沌としている。顧客
にとっての有用性,利用容易性と利用コスト
との関係を概念化した本稿の価値分析のモデ
ルとそれに基づく議論が,今後の市場構築の
あり方を探る手がかりとなれば幸いである。
【謝辞】
本研究は文部科学省科学研究費基盤研究 B
(20330093)・同省私立大学戦略的研究基盤形
成支援事業(S0901044)の助成を受けている。
出所)毎日新聞社『2010 年版第 63 回読書世論調査 23)』p.15,
p.27 に基づき筆者作成。
● JAPAN MARKETING JOURNAL 122
マーケティングジャーナル Vol.31 No.2(2011)
記して深く感謝したい。
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Japan Marketing Academy
電子書籍の価値分析
注
1)Marketing is the activity, set of institutions, and
processes for creating, communicating, delivering
and exchanging offerings that have value for customers, clients, partners and society at large
(American Marketing Association 2007).
2)電子書籍の定義については,1980 年代には編集の
電子化を意味し,その後,CD-ROM 出版を指して
いた時期もあるが,現在では,インターネット経
由で出版コンテンツを配信するオンライン出版の
ことを指すのが一般的である(国立国会図書館
2009,p.6)
。
3)ネットワーク外部性(Network Externalities)に
は,使用者数の増大と共に効用が増す性質(直接
的外部性),製品とその補完財との関係が効用に相
互に影響し合う性質(間接的外部性)という 2 つ
の側面がある(Katz and Shapiro 1985; Song,
Parry and Kawakami 2009)
。
4)全米出版協会ウェブサイト参照,2011 年 2 月 16 日
付。http://www.publishers.org/press/24/。
5)より詳しい歴史的記述については,Parry and
Kawakami(2010)を参照されたい。
6)ソニー株式会社ニュースリリース「ソニー,フィ
リップス,E Ink による電子ペーパー・ディスプレ
イ e-Book リーダー LIBRIe に搭載」
http://www.sony.co.jp/SonyInfo/News/Press/
200403/04-0324B/。
7)電子ペーパーは,紙の特性を電子的に実現し,か
つ数千回の書き換えが可能である。液晶ディスプ
レイに比べて低電力で視認性が高い。1970 年代に
ゼロックスのパロアルト研究所センターが発明し
た(http://www2.parc.com/hsl/projects/gyricon/)。
ソニーのリーダーには E Ink 社の電子ペーパーが
使われていた。
8)全米出版協会(AAP)ウェブサイト参照。
http://www.publishers.org/press/24/。
9)アップル社の iPhone は初代モデルが 2007 年 1 月に
発表され,アメリカでは同年 6 月に発売された。
その後, 2008 年 7 月に iPhone 3G,2009 年 6 月に
iPhone 3GS, 2010 年 6 月に iPhone 4 が発売されて
いる。
10)インターネットメディア総合研究所(2011),p.216
参照。
11)モジュール化とは,1 つの複雑なシステムまたはプ
ロセスを一定の連結ルールに基づいて,独立に設
計されうる半自律的なサブシステムに分解するこ
とである(青木・安藤 2002)。
12)インターネットメディア総合研究所(2011),p.210
参照。
13)1985 年に三修社から『最新科学技術用語辞典』,
1987 年に岩波書店から『広辞苑』が CD-ROM で出
版されている(国立国会図書館 2009,p.6)。
14)国立国会図書館(2009)
,p.12。
15)総務省・文部科学省・経済産業省(2010)
。
16)株式会社 hon.jp の調べによる。インターネットメ
ディア総合研究所(2011)
,p.22 参照。
17)インターネットメディア総合研究所(2010),p.142
参照。
18)公正取引委員会(2008), p.11 参照。
19)書籍流通における再販売価格維持制度および取引
慣行については,岩本(2007,2008)を参照。
20)公正取引委員会(2008), p.10 参照。
21)公正取引委員会ウェブサイト FAQ に掲載。
22)帝国データバンク(2011)「2010 年出版・印刷業界
倒産動向調査」。
23)調査は毎日新聞社が 2009 年 9 月に全国 300 地点の
満 16 歳以上の男女計 4,800 人に実施。有効回収数
2,771 人(回収率 58 %)。読書世論調査は 1947 年以
降,毎年実施されている。
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