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e-NEXI
2010 年 3 月号
➠特集
イラク選挙を終えて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1
財団法人中東調査会 上席研究員 大野元裕
日本の対外投資支援策・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5
経済産業省通商政策局経済連携課 経済連携推進専門官 吉池直樹
∼NEXI 発 連載シリーズ 第 2 回∼「「新重商主義」下での新たなリスク」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・14
独立行政法人日本貿易保険総務部法務グループ長 石川和洋
発行元
発行・編集 独立行政法人日本貿易保険(NEXI)
総務部広報・海外グループ
e-NEXI (2010 年 3 月号)
イラク選挙を終えて
財団法人 中東調査会
上席研究員 大野 元裕(おおの・もとひろ)
3 月 7 日、イラクにおいて連邦議会(国会)選挙が実施された。今次イラク国会選挙の概要と現時点での
所感を簡潔に述べておきたい。
1.選挙システム
2005 年の選挙法(2009 年改訂)は、以下の通りのイラク選挙を規定している。
立候補者は 30 歳以上で、軍籍を有さず、バアス党排斥規定に抵触
せず、国家の富を簒奪せず、且つ犯罪歴を有さないものに限る。選挙
リストは3人以上の被選挙権を有する候補者により構成され(単独立
候補も可能)、複数名を擁する選挙リスト構成員の 25%以上は女性
でなければならない。投票は選挙リスト名もしくは選挙リストに所属する
個人名にチェックをつける方法で実施され、個人に対する投票は政党
内の当選順位を決する。なお、4 年前の選挙においては、治安上の不
安から政治家の個人名は公表されなかったが、今回は選挙リストを構
成する政治家の個人名が公表された。連邦議会の定数は 325 議席
で、内 310 議席が各県の選挙区に割り当てられている(表1参照)。原
則的に、各県ごとに取りまとめられる各リストに対する有効票の割合に
したがって獲得議席が決定される。ただし、各リストが、事前に登録した
候補者数以上の議席を割り当てられることはない。
また、一部の県には少数派用の議席が設けられ、その議席を、少数派
内で最大の得票数を得た選挙リストが獲得する(表2参照)。また、7
議席が全土で最大の得票数を得た政党に配分される。
選挙リストは、定められた書式、推薦人の署名および供託金と共に従
い申請を行い、独立高等選挙委員会の承認を受ける必要がある。
2.各政党の立候補・選挙準備状況等
選挙戦を前にして、与党最大会派にしてシーア派主導の統一イラク同
表1:県割り当て議席数
県名
議席数
バグダード
68
ニノワ
31
バスラ
24
ジ・カール
18
スレイマーニーヤ
17
バーベル
16
アンバール
14
エルビール
14
ディヤーラ
13
ナジャフ
12
サラーフッディーン
12
キルクーク
12
ディワーニーヤ
11
ワーシト
11
カルバラー
10
ドホーク
10
ミーサーン
10
ムサンナー
7
(出典:筆者作成)
表2:少数派議席
県名
少数派名
キリスト教徒
ニノワ
ヤズィーディ
シャバク
キリスト教徒
バグダード
サービア教徒
エルビール キリスト教徒
ドホーク
キリスト教徒
キルクーク キリスト教徒
(出典:筆者作成)
盟(UIA)が分裂した。その後、宗派を横断した大規模会派の結成が
模索されたが、主導権争いの中でこの試みは水泡に帰した。また、多数派維持に向けてシーア派内での
連携も試みられたが、イランの介入が噂され、この連携も失敗に終わった。これらの一連の経緯の結果、
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e-NEXI (2010 年 3 月号)
表3のような主要選挙リストが立候補するに至った。
表3:主要な選挙リスト一覧
名称
構成政党・人物
イラク・イスラーム最高評議会(ISCI)、バドル組織、サドル勢
イラク国民同盟(INA) 力、ダアワ党−イラク、国民改革運動(ジャアファリー前首相
等)、イラク国民会議(チャラビー元副首相等)等
法治連合(SOL)
イラキーヤ
イラク統一運動
クルド連合
クルド変革ブロック
(出典:筆者作成)
備考
シーア派色が強い
ダアワ党(マーリキー首相等)、イスラーム・トルコマン
連合、独立ブロック(シャフルスターニー石油相等)等
イラク国民合意(アイヤード・アラーウィ元首相等)、イ
ラク国民対話戦線(サーレフ・アル=ムトラク等)、アド
世俗色強い
ナーン・パーチャーチ−元外相、タジュディード(ターレ
ク・アル=ハーシミー副首相等)等
ジャワード・アル=ボーラーニー内務相、イラク覚醒評議
会(アブー・リーシャ議長等)
KDP、PUK等
ネチェルバーン・ムスタファ等
PUKより分離
選挙に際しては、イラク軍および警察が治安責任を有し、港湾・空港の閉鎖、夜間の県境封鎖、夜間
外出禁止令の発出等が行われ、イラク戦争後初めて、米軍ではなくイラク当局が責任を有することになっ
た。また、国連の指導を受けてイラク独立高等選挙委員会が組織する選挙は、国際監視団が派遣され、
選挙の公正の確保に努めることとなった。
選挙前の立候補資格審査に関しては大きな混乱が生じ、学歴詐称や犯罪歴の判明により76名、治安
機関所属歴により48名がそれぞれ除外された他に、責任と公正委員会の審査に基づき約500人がバア
ス党に関係したとして立候補を取り消された。あまりに多くの立候補者が除外されたことに加え、資格を取
り消された者の多くがスンニー派で、アブー・リーシャ覚醒評議会議長の側近を含むボーラーニー内相のイ
ラク統一連合、イラキーヤ所属のサーレフ・アル=ムトラク率いるイラク対話戦線等に所属していたことは、
宗派対立を懸念させた。また、この決定の責任者である、責任と公正委員会のラーミー執行委員長がイ
ラク国民同盟から出馬していることに加え、イラク国民同盟のみが選挙委員会の資格判断を待たずして
候補者リストを公表したことから、対立する政党の強い反発を招いたのであった。
連邦議会選挙戦の争点は、①治安と社会の安定、②ナショナリズム、③宗派・民族主義に集約された。
過去の選挙においては、宗派・民族主義が前面に押し出されてきただけに、争点が明確化され、また候
補者の顔が見える形で選挙が行われたことは、イラクが民主化に一歩踏み出した印象を与えたものと思
われた。
また、サドル勢力を始めとする勢力がナショナリズムを前面に出し、選挙を米軍排斥の一歩と位置付け、
マーリキー政権が進めてきた外資導入による石油開発を通じた復興戦略に異議を唱えた。この主張は一
定の説得力を持ったようで、その後、イラク政府要人が石油開発への今後の外資導入に後ろ向きな発
言を行うに至った。
また、相変わらず宗派・民族主義が色濃いことも明白になった。シーア派色の強い勢力が結集したイラク
国民同盟がかつてのUIAの多数派を吸収し、この会派に属する政治家が主導した資格審査がスンニー
派世俗系候補の立候補資格を否定したことは、さらなる混乱を予測させ、選挙と米軍の段階的撤退を
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前にした新生イラクへの期待に影を落とした。また、選挙戦を前にして、バグダードなどでサドル勢力支配
下の民兵が再展開したことも、市民に不安感を与えたようであった。
3.投票率と選挙結果予測
執筆時点(3月9日)では、選挙の結果は全く分かっていないが、8日付RFE報道によれば、今回の選挙
の投票率は62.4%で、2つの県で50%を割り込んだ由である。前回の連邦議会選挙の投票率は76%で、
13%近く下がっているが、スンニー派の多くがボイコットした2005年1月の暫定議会選挙の60.49%より若
干高いようだ。暫定議会選挙の際には、サラーフッディーン県の投票率は29%であったが、今回の選挙で
は73%を記録したとされ、またバグダード特別市では46%であったのが53%に上がっている。この背景には
かつてボイコットしたスンニー派住民が、今回は必ずしも全面的にボイコットに参加したわけではないことを
示している。
8日付で、開票に関与しているライス・アル=マーリキー・タムーズ機構局長が述べたところによれば、法治
連合(SOL)が優勢でバグダードの多くの選挙区、バスラ県、バーベル県、カルバラー県、ワーシト県および
ナジャフ県というシーア住民が多い地域で過半数の得票を得ている。また、第二位はイラク国民同盟
(INA)で、三番目にはイラキーヤがつけているとのことである。他の報道によれば、イラキーヤが健闘してい
るようで、ボイコットしたスンニー派政党が得るはずの支持者票を獲得したのみならず、世俗主義の主張が
これまでよりも受け入れられているようだ。イラクの2005年暫定国会選挙および同年末の連邦議会選挙
を比較すると、バグダードやバスラといった浮動票が多いはずの大都市で世俗政党が後退しており、かつて
は宗教政党優勢の傾向が続いていたが(表4参照)、その傾向に一定の歯止めがかかったことを示してい
るのかもしれない。
表4;イラク・リスト(世俗派)の県別議席比較
15
10
5
スレイマーニーヤ
エルビール
ドホーク
キルクーク
サラーフ・
ッ=ディーン
アンバール
ディヤーラ
ニノワ
ムサンナー
2005年1月
カルバラー
ミーサーン
ワーシト
カーディシーヤ
ナジャフ
バーベル
ジ・
カール
バスラ
バグダード
0
2005年12月
(出典:筆者作成)
3
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その一方で、どの政党も単独過半数を獲得することは難しいと考えられており、選挙後の連立に今後焦
点が移ると思われる。今後の推移を見守る必要はあるが、SOLが過半数に遠く及ばない場合には、INA
との連立の可能性が高くなり、SOLが過半数近くまで獲得する場合には、クルド連合を含む小規模政党
との連立の可能性が高くなると考えられる。
総選挙が近づくにつれイラクの治安は悪化し、2月の治安状況は死者数ベースで前月の2倍近くまでに悪
化した。投票日直前のバアクーバにおける連続自爆テロ、投票日当日の中部スンニー派地域やバグダー
ドにおける爆弾テロ、迫撃砲攻撃など、イラク軍が主体となって警備を実施している各地で、治安の悪化
が目立っている。バグダード市の状況は、数年前の最悪の時期を想定させる事態になっている。
選挙に先立ち、イラクのアル=カーイダはスンニー派住民に対して「外出禁止令」を宣告した。バアクーバ
やサーマッラー等のスンニー派が主体なるもシーア派の混在する地域やナジャフのテロは、かつてイラクのア
ル=カーイダやスンニー派系反米抵抗勢力が実施していたような手口で、且つ宗派対立をあおるもののよ
うに見える。また、サドル勢力も活動を活発化させている中、グリーンゾーンへの迫撃砲などは、やはりかつ
てのサドル勢力の手口をほうふつとさせる。イラクのアル=カーイダの活動基盤が縮小し、サドル勢力として
も与党に入る可能性がある中で、選挙前後の治安の不安定が直ちにかつての状況の再来を意味すると
は思えない。しかし、スンニー派排除および連立の推移によっては、不安定化への可能性を否定すること
もできず、政治的な動きに注目する必要があろう。
4.イランと米国の動き
選挙に臨む会派結成にあたり、様々な動きが見られた。マーリキー首相は、イラク対話戦線、覚醒評議
会、サドル勢力、ハドバー党等と連立を模索したが、前述の通り主導権争いを巡り、結実にまでは至らな
かった。サドル勢力の連携については、シーア派の大同団結を嫌うイランが介入したとのうわさも流れた。イ
ランは、イラクとアフガニスタンが安定すれば米国の刃が自国に向くとの強迫観念を有していると思われる
中、自国に波及しない程度のイラクの不安定は利益となると考えている節がある。また、仇敵イラクが力を
つけることなく、イランの介入を必要とするような状況を継続させることは、イランにとっての利益でもあろう。
オバマ政権のイラクからの撤退路線は米国内対策からも不可欠である。イラクにおける本格政権の発足
が米国の思惑に沿わない場合、撤退が伸びたり、それが政治的摩擦を巻き起こしたりする可能性もある。
その一方で、2007年に一方的停戦を行うことにより組織を温存したサドル勢力やイランは、米国撤退を
虎視眈々と待っている。第一党をSOLが抑えるとしても、「米国の撤退を加速させる政権のみを支持す
る」と表明しているサドル勢力を含むINA等との連立を余儀なくされる場合、米国の対中東戦略の書き直
しが迫られる可能性もある。また、このような政権が樹立される場合、ナショナリズムがさらに煽られ、これま
での復興優先・外資導入政策が見直される可能性もある。
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e-NEXI (2010 年 3 月号)
日本の対外投資支援策
∼投資協定とビジネス環境整備を中心に∼
経済産業省通商政策局経済連携課
経済連携推進専門官 吉池直樹(よしいけ・なおき)
日本は投資で食べている
日本は過去数十年の間、貿易黒字の大きさを誇る「貿易大国」として国際経済に位置してきました。
しかし少なくとも2005年から現在について言えば、日本の国際収支に占める貿易収支の割合は小さく
なっています。その背景には、為替レート(円高)や製造業の海外移転、資源エネルギーや原材料の高
騰など様々な要因とした貿易収支自体の減少がありますが、それとともに投資収益が増加していることは
特筆しなければなりません。図1は1985年以降20年間の所得収支と貿易収支の推移を表したもので
すが、貿易収支が周期的に大きく上下しながらも全体的に右肩下がりにある一方で、所得収支はここ数
年を除いて着実に増加していることがわかります。所得収支は、大まかに言って、海外投資から得られた
利子や配当金から成る投資収益と海外で働く人の雇用者報酬に分かれますが、日本の場合、ほとんど
が投資収益になりますので、所得収支≒投資収益と考えてもさしつかえありません。つまり日本は、すでに
貿易立国と言うよりも「投資立国」なのです。こうした現象は日本だけではなく、日本より早い時期に貿易
大国となったイギリスやアメリカでも見られます。(英米両国は、日本と異なり貿易収支も赤字ですが)。
【図1】日本の貿易収支と所得収支の推移
5
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e-NEXI (2010 年 3 月号)
企業は海外に投資していかなければならない
かつて賃金をはじめとする低いコストで大量生産をし、海外に輸出してきた企業も、よりコストの低い国
があればそこに生産拠点を移します。こうして企業は途上国の生産子会社から製品を輸出して、その収
益を自国に送金して会社としての利益とします。また途上国への投資ばかりでなく先進国でも企業を買
収し、そこから収益を得ています。
また日本企業にとっては市場も海外に求めていかなければなりません。日本は人口がすでに減少しつつ
ありますが、インドをはじめとする南アジア、中東諸国、アフリカ諸国、ブラジルなどは大きく増えています。
現在、多くのグローバル企業が、「ボリュームゾーン」(新興国の中間所得層)や「BOP(Bottom Of the
Pyramid)」(開発途上国の低所得者層)のマーケットを獲得していくことを至上命題としています。例えば、
アジアやアフリカの空港や高速道路で韓国企業の広告を数多く目にしますが、韓国企業はまさにこうした
市場で伸びているわけで、日本企業にとっても韓国そして中国企業との激しい競争に打ち勝っていくため
には、今後これらの市場でどれだけシェアを獲得し、そして利益を得ていくかが重要になってきます。
世界的な人口増加はまた、資源・エネルギー、そして農水産物や水の確保を難しくすることも意味しま
す。そのため、消費国(企業)は新たな生産(採掘)地を求めていくことになります。例えば原油や天然ガス
と言ったエネルギーは、中東諸国やロシアなどのほかに、アフリカのアンゴラやナイジェリア、スーダン、パプアニ
ューギニアといったよりリスクの高い国でも開発しなければならなくなってきています。
重いリスクを抱える企業
したがって日本企業も同様に、市場や資源、食料を求めてまさに世界中に進出しなければなりません。
これまでも日本企業は海外に出ていましたが、その先は欧米と東アジア(中国、韓国、台湾、東南アジ
ア)がほとんどでした。しかしこれからは、一般的にはどこにあるのかさえ知られていないような国にも出て行
かなければならないわけですが、そうした国は日本とは比べものにならないほど治安や法制度、行政が不
安定であり、企業にとって大きなリスクとなります。
こうした企業活動のグローバル化に伴うリスクを全て企業に押しつけることはできません。そこで国や関係
機関は、企業のリスクを軽減するためのツールを提供しています。具体的には、租税条約や投資協定、
社会保障協定、そして経済連携協定といった国際協定のほか、ビジネス環境整備の枠組み、JBIC(国
際協力銀行)やJOGMEC(石油天然ガス・金属鉱物資源機構)の融資、JICA(国際協力機構)によ
るODA、そしてNEXI(日本貿易保険)による貿易・投資保険などがあります。今回は、その中でも投資
協定とビジネス環境整備のための枠組みについてご紹介したいと思います。
投資協定とは
投資協定とは、海外に投資した企業とその投資財産を保護することに加え、投資(ビジネス)活動の円
滑化や投資規制の明確化を図ることにより、投資のリスクを減らすことを目的としたものです。
投資協定の特徴として、まず包括的な多国間協定がないことが挙げられます。貿易であればWTO
(世界貿易機関)協定がありますが、投資にはそうした国際的枠組みがありません(過去にOECDやWT
Oで策定する試みがありましたが、挫折に終わっています。またエネルギー分野に限ったものとしてエネルギ
6
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ー憲章条約(The Energy Chapter Treaty)がありますが、全ての分野を包括するものではなく、また中東
諸国やロシアなど資源国が入っていないため、実効性に乏しいものとなっています)。このため投資協定は、
通常二国間で締結されており、UNCTAD(国連貿易開発会議)の調べでは2008年末時点で2600
以上の協定が締結されています。
投資協定のもう一つの特徴が「仲裁」の仕組みです。これは、投資先の国(この中には中央政府だけ
でなく、司法機関や地方自治体、国有企業なども含まれます)が協定に違反するような措置をとったこと
によって投資家が被害を被った場合、投資家たる企業が相手国を国際仲裁に訴えることができるというも
のです。企業にとっては相手国の司法制度が公平性・中立性の面で信頼できない場合、国際協定に則
って中立的な第三者機関に相手国を訴えることができることは大きな意味を持ちます。WTOの紛争解
決システムが国対国の争いしか認めていないことと比べると、際だった特徴を示していると言えます(なお、
投資協定においても国対国の紛争解決を規定しています)。
投資協定は何の役に立つのか
2千以上にもなる投資協定は、それぞれ条文の文言こそ異なりますが、規定している内容はほぼ同じ
ものです。そのため、投資協定で保護されるかどうかを確かめる上で、定義が重要となります。その中でも
「投資財産(investments)」は、日本の協定では大概、「投資家により直接または間接に所有されまたは
支配されている全ての種類の資産(every kind of asset owned or controlled, directly or indirectly, by
an investor)」としています(ただし、いくつかの協定は間接投資(ポートフォリオ投資)を一部除外したり、
限定列挙型にしたりしています(日タイEPA、日インドネシアEPA、日メキシコEPAなど))。したがって、
現地法人や支店、工場のほか、持ち分株式や債券、貸付金、ターンキー契約(プラント建設)やコンセッ
ション契約、知的財産権など幅広いモノ・権利が対象となります。また「投資活動(investment activity)」
も定義における重要な要素ですが、協定の中では具体的に「設立」「取得」「拡張」「経営」「管理」「運
営」「維持」「使用」「共有」「その他の処分」を対象としています。このうち前三者は投資を行う前の活動
を、それ以外は投資を行った後の活動を指します。日本では、投資前と後の活動の両方を入れている協
定と投資後の活動のみを対象とした協定の二種類があります。一方で、アメリカの投資協定は投資前後
両方を対象とし、逆にほとんどの欧州諸国や中国などは投資後の活動を対象としています。
投資協定では、内国民待遇、最恵国待遇、公正衡平待遇、収用(国有化)の制限と適切な補償、
争乱による損害の補償の公平性、資金移転の自由、投資活動に対する特定措置の禁止、そしてNEX
Iとの関係では代位について規定しています。(図2参照)
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【図2】 投資協定の主な規定
(資料)経済産業省作成
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日本の投資協定はなぜ少ないのか
日本は、これまでに15の投資協定と9の投資章を含む経済連携協定(EPA)を締結しています。
表1 日本が締結した投資協定(発効順)
締結相手
発効年月
1
エジプト
1978年 1月
2
スリランカ
1982年 8月
3
中国
1989年 5月
4
トルコ
1993年 3月
5
香港
1997年 6月
6
バングラデシュ
1999年 8月
7
ロシア
2000年 5月
8
モンゴル
2002年 3月
9
パキスタン
2002年 5月
10
韓国
2003年 1月
11
ベトナム
2004年12月
12
カンボジア
2008年 7月
13
ラオス
2008年 8月
14
ウズベキスタン
2008年 9月
15
ペルー
2009年12月
表2 日本が締結した投資章を含むEPA(発効順)
締結相手
発効年月
1 シンガポール
2002年11月
2 メキシコ
2005年 4月
3 マレーシア
2006年 7月
4 チリ
2007年 9月
5 タイ
2007年11月
6 ブルネイ
2008年 7月
7 インドネシア
〃
8 フィリピン
2008年12月
9 スイス
2008年 9月
※日本が締結しているEPAとしては他にベトナムとASEANがあるが、ベトナムとは先
に締結している投資協定をEPAに組み込むとしており、ASEANとは発効後に議論
することになっている。
9
9
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他方で外国はすでに数多くの投資協定を締結しており、ドイツの135をはじめ、中国の123、韓国の
87、米国の47など、日本が経済・ビジネス上の競争している国々と比べると、投資保護の面で大きく出
遅れていると言わざるを得ません。
その理由としては、日本が多国間の枠組みを重視してきたことがあります。先に触れたように、OECDや
WTOで多国間の投資規律の枠組みが議論されていましたが、いずれも合意に至りませんでした。こうした
多国間枠組みができれば、締結数に劣る日本にとっては、世界各国と投資協定を締結することと同じ効
果を持つため力を入れてきましたが、これらの失敗を経て日本も二国間での協定を志向するようになった
というわけです。
今後の日本の方針
他国と比べて締結数が少ないことから、日本政府としてはその数を増やしていくことが何よりも求められて
いますが、リソースに限界がある以上、闇雲に交渉を行うわけにはいかないことから、締結していく選択基
準、優先順位が重要になってきます。その要素として挙げられるのが、先ほども触れた「市場」と「資源・エ
ネルギー」です。これまでにアジアをはじめとする周辺国と投資協定(あるいはEPA)を締結してきましたが、
今後はこうした観点で交渉相手を考えていく必要があります。具体的には、中東、中央アジア、アフリカ、
南米の国々です。現在、サウジアラビアと署名に向けた作業を行っているほか、コロンビアと交渉を行ってい
ますが、さらにカザフスタン、クウェート、カタール、アルジェリア、アンゴラ、ナイジェリアなどとの交渉も準備を
進めています。またEPA・FTAとしても、インドや豪州、GCC(中東湾岸協力会議)と交渉中です。こうし
た国々の中には、これまでに締結した国、例えば東南アジア諸国と比べて投資額や進出企業が多くない
国もありますが、エネルギー(石油や天然ガス)や資源(各種金属、ウラン、レアメタルなど)が豊富であり、日
本企業を含めた世界が強い関心を持っているところです。ただし、日本が締結を望めば交渉を行えるかと
いうとそういうわけではありません。例えばブラジルやベネズエラ、南アフリカは、地域の経済大国であるととも
に、資源も豊かな国ですが、現在のところ相手側の理由で交渉に入れない状況です。
他方で、これまでに締結した協定の見直しも今後の課題になってくると思われます。中国とはすでに19
89年に発効した投資協定がありますが、国対投資家の仲裁の対象が収用による補償の金額について
のみとなっているほか、現在の日本の投資協定では入っている条項もいくつか抜けています。現在、日中
韓の三国間で新たに投資協定の交渉を行っていますが、これによってそうした不足を補えるようにしたいと
考えています。
また交渉とは別に、日本の企業による積極的な協定の活用を促していく必要があります。投資協定の
利用者は言うまでもなく投資家たる企業ですが、これまでに日本の投資協定・EPA投資章の投資仲裁
を利用した例はありません。これは、日本の協定数そのものが少ないこと、締結した協定も発効後まだそ
れほど時間が経っていないこともありますが、投資仲裁の性格上、仲裁で争った後もその国で投資・ビジ
ネスを行うというのは難しいところがあるというのも確かです。しかし実際に投資仲裁を発動しなくても、これ
をテコに相手国政府との交渉を進めるということはできます。こうしたことから、今後は仲裁の実例を紹介す
るなど、ビジネスの視点に立った投資協定のPRが必要だと考えています。
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投資協定の課題
投資協定自体も課題を抱えています。ここでは紙面の都合からあまり詳細に触れることはできませんの
で、主なトピックだけ触れておきたいと思います。
まず一点目は、途上国、NGOとの関係です。投資協定はもともと先進国の投資家が途上国で行った
投資を保護するために作られたものですが、当然のことながら途上国にも自国の資源や産業を保護する
権利があります。また近年はどの国でも環境関連の法制度を厳しくする流れにありますが、こうしたこともや
り方によっては投資協定の規定に反してしまう場合があります。このため、途上国やNGOが投資協定に
反対したり、投資家たる企業だけに有利とならないようにするため監視を強めたりしています。OECDやW
TOでの交渉がうまくいかなかったのは、こうした動きが根底にあったことも要因として考えられています。
二点目は、投資仲裁の時間と費用のコストが上昇していることです。仲裁期間としては3年以上、長い
と5年はかかると言われており、また費用もケースによっては数億円以上かかると言われています。これは案
件が増えていることや複雑化する一方、投資仲裁に対応できる弁護士事務所が限られていることなどが
ありますが、いずれにしても投資家にとって仲裁を使いにくいものとしていることは確かです。特に、自力では
国に対抗しにくい中小企業が使えなくなることは大きな問題です。
三点目も投資仲裁に係る問題ですが、その透明性の向上が必要になってきています。投資仲裁は企
業にとって大きなツールとなりますが、逆に相手国からすれば場合によっては巨額の補償金を払う羽目に
なります。もちろんその原資はその国の税金です。また先に挙げたように、投資は環境問題や労働問題な
どに関係する可能性があり、これによって投資家や国といった当事者以外に、様々な利害や関心を持つ
人たちを生み出すことになります。こうした人々が納得できるよう、仲裁の手続きや審議の内容、結論の
根拠を明確に示すなどの必要性が出てきているわけです。
ビジネス環境整備
投資協定は、投資に係る問題を未然に防ぎ、問題が生じた場合の解決手段を提供する法的な枠組
みとしては必要不可欠な枠組みですが、実際のビジネスで起きる問題を解決する手段としては足りない
点もあります。例えば、インフラの整備や治安の向上、法制度や行政措置の透明性の向上、裾野産業・
人材の育成など、いずれも投資先政府の協力や働きかけが欠かせないものですが、投資協定だけではそ
の改善を促すことはできません。こうしたことから、日本は東南アジア諸国を中心に新たな枠組みを設けて
きました。具体的には、日越共同イニシアティブ(ベトナム)やEPAに基づくビジネス環境整備小委員会(タ
イ、マレーシア、メキシコ)、投資協定に基づく合同委員会(カンボジア、ラオス)といった官民が一緒になって
取り組んでいるものに加えて、民間同士の取組み(インドネシア)などです。名称や枠組みは様々ですが、
個社では相手国に訴えにくいような案件であっても、日本政府が矢面に立つことで進出企業が問題を提
示しやすくなるほか、相手側政府から適切な担当者を引っ張り出す、回答を得てそれがしっかりと実施さ
れるようコミットメントを得るなどといったことが期待できるようになります。
このような取組みのユニークな点は、官民がともに取り組むものであることや、企業が政府と直接やりとり
できること、ルールや勧告を押しつけるのではなく相手国の主体性を尊重すること、複数の省庁に跨るよう
な問題も取り扱うことができるといったところにあります。
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これまでにこうした取組みを積み重ねた結果、国によっては商用短期滞在ビザの免除や治安の改善、イ
ンフラの整備、税関手続きの向上、模倣品対策の強化と言った改善がなされました。最近ではさらに進
んで、産業育成のプラン作りや日本のリサイクル施策の導入など、活動の範囲が広がるとともにその質も
深化しています。このことは、ビジネス環境整備の取り組みが単純に日本から相手国への一方的な要請
から、協力して相手国のビジネス環境を変えていくというものに性格が変質しつつあることを意味しています。
今後、さらに相手国の産業水準が上がり、法制度や行政機構が整備されることで、両国が一緒になって
政策・制度の策定や第三国への普及を行うといった事例が出てくるものと考えられます。
とはいえ、ビジネス環境整備の取組みにもいくつか課題があります。上で見たように扱う問題・イシューが
複雑になることで、現地の負担が大きくなっています。また企業の現地への業務委譲、すなわち現地化が
進む中で、現地の抱えるビジネス環境の問題が日本の本社に伝わりにくくなっています。加えて多くの会
合は年1回など定期的に開催されるものであるため迅速な対応ができないほか、広範なイシューを取り扱
うため問題の深掘りが難しくなっています。こうした短所を補うため、投資協定をはじめとする各種ツールと
の連携が重要になっています。また逆にビジネス環境整備で話し合われたことやその結果をODAなどにも
活かすと言ったことも検討課題だと思います。
また違う面での課題としては、今後こうした取組みを他の地域に広げていけるかどうかということがあります。
そもそもこうしたことができたのは、相手国側が日本からの投資に大きな期待を寄せていたことの裏返しで
あり、そのような期待していない国で取り組むことはなかなか難しいと考えられます。したがって、東南アジア
に設けたような制度的な枠組みにこだわらず、その国での日本企業のビジネスの実態や相手国政府との
関係を踏まえて柔軟に対応していくことが重要です。ただ、ビジネス環境整備の取組みがどのような形をと
るとしても、官民が手を携えていくこと、相手国と win-win の関係になることが必須です。
対外投資戦略会議
私たちは外務省と共同で、今後の投資協定の交渉候補国についての意見交換や、投資保険、ODA、
融資などといった公的性質を持つツールの連携・総合的利用について話し合う場として、「対外投資戦略
会議」を2008年12月に立ち上げました。この場には、NEXIやJICA(国際協力機構)、JBIC(国際
協力銀行)などの実施機関と、日本経済団連合会や日本商工会議所などの経済・産業団体が一堂
に会し、協定の策定者(政府)とツールの提供者(実施機関)、そしてその利用者(産業界)が当事者として、
どういった問題が起き、それに対してどういった対応策が考えられるのか情報共有するとともに、意見交換
を行っています。これはまた、現地に設けられたビジネス環境整備の枠組みに対応する日本国内の枠組
みとも言えます。
これまでに、中南米、中東・北アフリカ、アフリカ(サブサハラ)、旧ソ連地域と地域別に議論した後、租税
に関する問題、ビジネス環境整備の枠組みについて議論してきました。今後も海外に進出する日本企業
をサポートできるよう、議論で終わらせずに実際の措置につなげていきたいと考えています。
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最後に
今回紹介した投資協定とビジネス環境整備の取組みは、様々な人たちとの情報共有、そして連携が
必要となります。投資協定の条文を作成し、これを相手国と交渉するのは政府の役割ですが、実際に利
用するのは投資家である企業です。これはビジネス環境整備についても同じことが言えますが、利用者た
る企業の声を聞きながら常に運用や仕組みを改善していかなければ、単なる担当者の自己満足に終わ
る恐れがあります。あわせて注意が必要なのが、利用者であり問題に直面するのは日本国内ではなく海
外にあると言うことです。したがって、いくら情報通信が発達したと言っても意思疎通になりがちになることを
常に意識する必要があります。問題とそれに対する対応、そしてその結果のフィードバック、すなわち情報
共有と意見のすりあわせは至極当たり前のことなのですが、担当者として私たちはいつも自戒していかなけ
ればならないと考えています。
また先に述べたように、投資協定やビジネス環境整備以外にも、NEXIの投資保険やJBICの融資制
度など様々なツールがあります。こうしたツールを上手に連携させることで、より効率的な運用ができるとと
もに、利用者にとっても利便性が高くなり、効果が増していきます。
そのほかにも第三国(の企業)や国際機関など様々な連携が考えられますが、いずれにしても、人と人
が関係するところから生じる事象・問題を取り扱うに当たっては情報共有と連携が何よりも大事であり、そ
してこれに携わる者として透明性の高い手続きと明確な方針が求められることは言うまでもありません。
(了)
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∼NEXI 発 連載シリーズ 第 2 回∼
「新重商主義」下での新たなリスク
独立行政法人日本貿易保険
総務部法務グループ長 石川 和洋(いしかわ・かずひろ)
シーメンス贈賄事件・新聞報道
2008 年 12 月、ドイツの総合電器大手企業シーメンスが、2006 年に発覚した大規模な不正支出事
件に伴う罰金等として、米司法省など米独の当局に対して約 10 億ユーロ(約 1350 億円)を支払うことと
なったという衝撃的な報道があった。同社は、2006 年以降、複数国での贈賄の疑いで独ミュンヘン検察
局の強制調査を受けたが、その直後に、米国司法当局からも大規模な捜査を受けていた。シーメンスと
いう独を代表する企業が対象となったこの大型経済事件について、我々は以下に述べるような事情から、
ある特別の関心を持って、その推移を見守っていた。
OECDでの贈賄防止強化と輸出信用機関
1997 年 12 月、いち早く贈賄防止に取り組みを進めていた米国が主導する形で、経済協力開発機構
(OECD)における「国際商取引における外国公務員に対する贈賄の防止に関する条約」が成立した。
本条約の制定により、外国公務員に対する贈賄行為の防止は、米国だけではない世界的な取り組みに
変わった。その後、日本も本条約に署名をし、その国内担保法として、1998 年に不正競争防止法が改
正されている。
そして、日本貿易保険(NEXI)や国際協力銀行(JBIC)といった公的な輸出信用機関(Export
Credit Agency: ECA)に対しても贈賄防止に対する取り組みが期待されるようになる。2000 年、OECD
における輸出信用に関する議論を行う場である輸出信用部会において、「公的輸出信用と贈賄に関す
る行動声明」が採択され、この内容に沿って、世界各国の ECA、米国では米輸銀、フランスでは
COFACE、ドイツではユーラ・ヘルメスなどが取り組みを求められることになった。2000 年の時点では、その
法的な位置付けは OECD の輸出信用部会という一部会の行動声明に過ぎなかったが、その後 2006 年
には「公的輸出信用と贈賄に関する OECD 理事会勧告(OECD Council recommendation on bribery
and officially supported export credits)」という形で、ステータスが格上げされることとなった。こうして
OECD 加盟国は公的輸出信用の付与にあたり、贈賄についての国際ルールの遵守を厳格に求められる
ようになった。
(参考)
実際に、この贈賄勧告の決定を受けて、NEXI はほぼ全ての約款等を見直し、必要な手続きが取れる
ように対応した。NEXI の貿易保険ユーザーの皆様には、誓約書の提出など日々協力をいただいている。
詳細については、以下のページをご覧いただきたい。
<NEXIの贈賄対策の実施について>
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http://www.nexi.go.jp/topics-s/ts_061226.html
贈賄勧告とシーメンス事件
ではこの贈賄勧告により、各国の ECA はどのような取組みを求められることになったのか。贈賄勧告は、
OECD 加盟国に対して、公的輸出信用(公的機関による保証や保険、融資等)の支援を提供する際に
は、以下のような贈賄を防止するための適切な対策を講じることを求めている。
Ø
申請者が、外国公務員への贈賄を禁じる法を犯したことで、国内の裁判所において起訴又は、
申し込み前 5 年以内に有罪判決を受けた場合は、通常よりも厳格な審査を適用する。(贈賄
勧告・f項)
Ø
公的支援を行う前に、当該取引に贈賄が関わっている信憑性のある証拠がある場合には、内諾
を一時停止し、通常よりも厳格な審査を行う。その結果、贈賄が関わったという結論に至った場
合は、EOG メンバーは、信用供与、保険金支払い、または、その他の支援を打ち切る。(贈賄勧
告・j 項)
Ø
公的支援の決定後に贈賄が立証された場合は、支払いや補償の拒絶や支払済み保険金返
還手続きなど適切な行動をとる。(贈賄勧告・k 項)
以上の贈賄勧告の規定に従えば、シーメンスが贈賄に関与していた場合には、ドイツの ECA であるユ
ーラ・ヘルメスは、シーメンスに対する公的支援を制限することが必要となる。シーメンスのような国際的に
活動する企業が現実に公的な輸出信用支援について制限を受けることとなれば、他国企業との競争に
おいて著しい不利益を被ることとなる。国際ルールの遵守と国益の狭間で独政府及びシーメンスはどのよ
うな判断を下すのか。我々は、このシーメンスの贈賄事件の推移とユーラ・ヘルメスの対応について注目し
ていた。
米国における贈賄防止に関する法
シーメンスの贈賄事件が米国において問題となったのは、「海外腐敗行為防止法(Foreign Corrupt
Practices Act:FCPA)」という外国公務員に対する贈賄行為を禁止する米国法に違反したためである。
FCPA は、ロッキード事件(1976 年)をきっかけに 1977 年に制定された米国法であり、外国公務員への贈
賄の禁止や、正確かつ公正な帳簿記録の義務づけ、そして適切な内部統制システムの設置の義務づけ
などを規定している。FCPA は、贈賄禁止条項と会計帳簿条項から成り、刑事は米司法省、民事は連
邦証券取引委員会がその執行にあたる。
米国法に詳しいオメルベニー・アンド・マイヤーズ法律事務所は、同法の特徴として罰金等の高額化と
(以下の図表参照)、外国企業に対する適用増加を指摘している。外国企業でも、米国で上場してい
る場合や、米国内で禁止行為を一部でも行った場合等は、同法の適用対象となりうる。
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(出典:NEXI作成)
シーメンス贈賄事件に対する司法判断
今回の事件では、2001 年に米国にて上場し、FCPAの適用対象となっていたシーメンス社が、イラク、
アルゼンチン、バングラデシュなどでの事業において、米国にある銀行口座を通じて賄賂を支払い、その見
返りに入札における便宜供与等を受けていたことが問題となった。
この結果、シーメンスは米国政府に対して多額の罰金等を支払うことになった。しかし、注目すべきは、
その罰金等の根拠となったのは、FCPAの贈賄禁止規定違反ではなく、会計帳簿規定違反であったこと
である。また、ドイツの裁判においても、取締役会の監督責任懈怠に対する過料を求められたに留まって
いる。シーメンス社に対する罰金や過料は合計で約 10 億ユーロという莫大な金額となったが、同社に対し
て、贈賄行為を処罰する司法判断が下されてはいないのである。そして、その後は、独政府によって、シー
メンス社に対する輸出信用の支援について制限が課されたという話は聞かない。
シーメンス事件の影響
このようにシーメンス社は米独両国の司法機関によって、贈賄行為について処罰されるまでには至らな
かった。しかし、そのビジネスに与える影響はやはり甚大である。
先ず、米独両国に対する巨額な罰金等の支払いは同社の経営に重大な影響を及ぼすこととなる。
加えて、シーメンス社は、2006 年 11 月に独ミュンヘン検察局の強制捜査を受けた後、自ら米司法省
等に対して FCPA 違反の可能性を報告して内部調査を開始した。この内部調査にかかった費用は5億
ユーロ以上とも推定されている。
さらに、シーメンス社は世界銀行が支援するプロジェクトにおいて同社のロシア子会社が贈賄行為を行
っていたことについて、世界銀行との間で、世銀支援事業への2年間の参加自粛を余儀なくされた。そし
て、和解の条件として、今後15年間、国連の汚職防止活動に対して毎年1億ドルの寄付をすることとな
った。
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シーメンス事件の背景
今回のシーメンス事件は、我が国企業にとって決して対岸の火事ではない。米国当局がFCPAの外
国企業への適用に力を入れていることは先に触れたが、実際に 2008 年 12 月には日本企業の会社員が
FCPA 違反等によって、2年の拘禁刑と8万ドルの罰金を課され、米国の刑務所に収監されている。日
本企業も決して例外ではないのである。
このような贈賄に対する国際社会の厳しい態度の背景には、新興国の存在感の高まりと、金融危機
を契機に再燃した国家間での輸出競争の激化があげられる。米大統領は今年の一般教書演説におい
て「国家輸出計画」を立ち上げて今後5年間で輸出を倍増することを宣言した。中国では同国の輸出
信用機関である SINOSURE に対して、現在の資本金額の約 8 倍にあたる 40 億ドルの追加出資を行う
ことを決めた。このような「新重商主義」ともいうべき国家間の輸出競争の下では、他国に取引の公正さを
求めることもまた戦略的なツールともなりうる。国際的に活動する企業にとって贈賄対策は、「今そこにある
危機」であり、国際取引における新たなリスクとして、その対応の必要性が高まっている。
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