離婚の前後における子の権利

離婚の前後における子の権利
玉川大学教授 稲垣明博
はじめに
離婚は婚姻関係の解消であり、夫婦に配偶者関係はなくなる。しかし、民法典は婚姻関係と
親子関係を別個に定められ、離婚での「子」の問題として、監護者の決定と親権者の決定のみ
定められているに過ぎない。つまり、父親と母親という個人の配偶者関係はなくなり、その間
に子がいる場合には父親としての個人と子、母親としての個人と子という親子関係はそのまま
存続する。そして、子が成年に達したときには、親子関係は存続し続けるが、親子関係から生
じる権利・義務は相続権と扶養義務、扶助義務が残るだけになる(民法 887 条、877 条、730
条)
。
離婚の多くは協議離婚である1。夫婦である男女の離婚意思の合致と離婚の届出により婚姻関
係は解消する。また、裁判離婚では調停前置主義が取られているが、離婚調停はあくまで夫婦
という当事者間の話し合いでしかない2。婚姻の解消は夫婦という個々人の問題であるとはい
え、もし、その間に「子」がいる場合の「子」の関与があるのかどうか考慮する必要がある3。
「子」特に未成熟子の場合、子は婚姻関係の解消にとって第三者かもしれないが、親権の指定、
監護権の指定など親からの「子」に対する規定だけで片付けてしまってよいのだろうか。離婚
しようとする親に対して、
「子」は何もいえないのであろうか。本稿ではものの言えない「子」
からの視点で離婚を考察していく。
1家族と家庭
家族や家庭は民法には特段の規定はなく、夫婦関係および親子関係が規定されているに過ぎな
い4。
家庭や家族に関する規定を置かなかったのは、明治政府は日本古来の伝統と西洋の法制度を鑑
み、家族はこうあるべきだという固有法的特色を保持する思想が暗黙のうちに形成されてきた
といえよう5。確かに、明治時代以前の社会ではあらゆる場面で女性の意思は考慮されず、そ
の社会的地位も低かった。また、明治民法でももっぱら離婚は男性からの自由であって個人意
1
思の尊重はなかったといってよい。現行民法になってはじめて離婚は離婚当事者の意思は尊重
されてはきたものの、そこでは「子」の影は見えない。その理由としては、家族の安らぎの役
割を果たしていた子から見る「家庭」を意識していなかったようにみえる。家族法の研究は 1960
年代から積極的に行われてきたが、その研究はもっぱら西洋の法制度や家族のあり方の検証が
多く、
「家庭」の研究はなかったといってよい6。子から見る「家庭」のもつ重要な役割がおろ
そかになっているようにもみえる7。家族はそのなかにいる者の活動によって生産活動が行わ
れてきたが、その後給与収入の割合が多くなった。経済的な利益や生活の安定といった面が強
調されてきた。家族も自由経済社会にあってはプラスの生産を行う必要性を否定できない。し
たがって、家庭はその外からの収入や内部の家事労働に重点が置かれていた。そのため、離婚
という「家庭」の崩壊は経済的な弱者に対して金銭的な処理をすればよかった。配偶者間では、
財産分与請求権や慰謝料請求権などで処理し、
「子」については経済的な保護として親権者をだ
れにするか、身上的な養育について監護者を誰にするかといった面で考慮されているに過ぎな
い(民法 766 条、819 条)
。ただ、そこには家族間、特に子の精神的、心理的な役割はあまり
重視されなかった。婚姻は「制度」として捉えられているので、その制度から離脱することに
ついてはあまり重視をしてこなかったといえよう8。離婚によって蒙るマイナス面をみると配
偶者は当然であるが、それとともに未成熟子であろう。未成熟子にとっては家庭の崩壊につい
て、なんら落ち度のないにもかかわらず、協議離婚では親に親権者や監護者を決められ、裁判
離婚でも裁判官の意思によってその決定を任されている。
2離婚での子の立場
離婚は当事者の意思によって婚姻関係を解消する9。離婚により、子は共同親権、共同監護
から、単独親権、単独監護に移行する。子と親の親子関係は存続するものの、実際の「家庭」
は父あるいは母とのみの親子共同体となる。したがって、当然、親権や監護権を持たない親は
子との共同生活を営めなくなる。
明治民法では「子」は父方(母方)の家の中に残り、母親(父親)がその家を出ることになる。
家制度のもとでは「子」はその構成員であるから、その家で養育されることになる。
「子」は「家
の子」として捉えれられていた。「子」にとっては「家」を出た片親から離され、
「子」の親権
者は家に残った父親の単独親権が存続する(明治民法 877 条)。また父が再婚をした場合には
2
父と再婚をした配偶者とのあいだに継親子関係というが親子関係が擬制される。
(明治民法 728
条)
。そこには「子」の意思は反映されていない。その目的は「家」の承継であって、子の問題
ではなかったからである。
これに対して、現行民法では親が再婚した場合でも、親の配偶者とその子には継親子関係は生
じず、再婚した親の配偶者とは姻族一親等の関係でしかない。したがって、継親と「子」につ
いて法的問題としては、近親婚の制約(民法 735 条)と、「子」の氏は再婚した親の氏になる
可能性がある(民法 790 条、791 条)。わずかに残るのは姻族関係から生じる助け合い義務が
あるだけである(民法 730 条)
。そこには相続権は生じない。再婚をした親の配偶者との間に、
10
法律上の親子関係を生じるためには養子縁組をしなければならない。「子」の意思を尊重し
た形となる。しかし、15 歳未満の子の場合には家庭裁判所の許可は必要ではなく(民法 798
条)
、法定代理人の親の代諾および監護権を持つ親の同意によって養子縁組をすることができる
ので、
「子」の意思は実質的にないといえる。
継親子関係については、
「家」制度に基づいて法制化したものであり、現行法では認められて
いない制度である。この制度は血縁に基づく親子関係ではなく人為的な制度といわれている。
そのため、その間に親子関係を認めることについては批判が多い。西洋でも継親子関係はある
が古い家制度を廃止した時点で血族との擬制をなくし、中世には姻族一親等と捉えるようにな
った。しかし、日本の場合、親子関係と血縁関係の分離はなく、両者を一体とした姻族観念が
未分化であったといわれている11。旧民法制定当初も、個人主義化の遅れていた日本では、家
制度の存在と継親子関係が問われてきた12。「家」制度については個人の尊厳や両性の平等か
らすると、認められる制度でないことは確かである。しかし、子が生まれた後に父親あるいは
母親が死亡し、生存している父親あるいは母親が再婚した場合、その子はどうなるのか。この
場合には複雑な家庭から離し、社会の機関によって収養することも考えられるが、この子は父
親・母親の新たな家庭の中に収養できないのか。過去の歴史から言えば、継親子関係は家のた
めであったであろうが、子のためにまったく役を果たしていなかったのだろうか再確認してみ
たい。中川高男教授は「先進諸外国が血縁のない配偶者の子をたんに姻族関係にとどめ、その
間に血縁関係や親子関係を擬制しないのは自然の事理である。
・・・子のあるものが再婚する際
において、その親が再婚の相手の愛に溺れ、そのため子が不幸とならないように配慮し、かえ
って実父母、継父母の権利を抑制するのである」といわれる13。親子関係は親の行為によって
3
擬制されるものでないことはもちろんである。ただ、姻族一親等の関係であるが、当事者がそ
の意思によって親子のように親しむことまで禁じてはいない。したがって、事実上の継親子関
係は事実として起こりうるものである。その場合、
「子」は両者の均等な間の子として育つこと
になるであろう。これは、逆にいえば、どちらにも近づけない関係とも理解することができる。
確かに、親が離婚すれば子の立場は法の下の平等として両者の間に置かれることになるであろ
うが、現実に「子」はそのような環境を継続できるのか分からない。この点については、
「子」
を一律的にどちらかの「親」に近づけず、「子」の意思を尊重しようとする試みといえよう。
平成 15 年度全国母子世帯等調査報告によると、平成 15 年、母子世帯となったケースで末子の
平均年齢は 4.8 歳、父子世帯となったケースでは 6.2 歳となっている。このように、母子世帯
や父子世帯での子の年齢は 8 歳未満が多い。父子家庭・母子家庭自体ではなんら法的変化はな
い。しかし、親が再婚をした場合はどうであろうか。もし、実親が再婚した場合、子が15歳
未満のケースがほとんどであって、実親の養子縁組といった特別のアクションを起こさない限
り、姻族一親等の関係にすぎないことになる。これは「子」にとって再婚した家庭内で非常に
微妙な立場となることが察せられる。15歳未満の子を養子縁組する場合、法定代理人の代諾
によるが他に監護者がいればその者の同意を必要とする(民法 797 条 2 項)。この場合、血縁
である実親という、新設されようとする家庭に、いわば第三者の意思が介入することにもなる
であろう。このことは、実親の「子」に対する行く末を案じることも親の権利であるかもしれ
ないが、それでも、実親と「子」の関係は存続するのであるから、特段、問題はなかろうかと
思うのである。ただ特別養子の場合は実親との「子」の関係は断ち切られるので、そこでの問
題は生じよう(民法 817 条の 2、817 条の 6、817 条の 9)14。
以上から、離婚をした場合、
「子」は共同親権から単独親の単独親権・単独監護を受ける。その
後、その親が再婚をした時には、従来いわれる継親子関係または最近よく使われるステップフ
ァミリーの中に組み込まれることになる15。
「子」からすると、この家庭は、
「子」が望む「家
庭」ではない場合もでてこよう。ステップファミリーがうまくいっていると考えたいのは、親
である。従順な「子」はものを言えず、それにしたがってしまう恐れも多分にある。確かに「子」
を家庭の中で育てようとすることは分かるが、それは一つの選択しであって完璧なものではな
い。他にも選択肢をみつけることも「子」の保護から考慮すべき問題といえる。それとともに、
「子」における「家庭」の重要性、また、親の子の保護が問われているものといえよう16。こ
4
のように、親の意思によって「子」の成長段階において、多くの「子」が経験し得ない体験を
することになる。子どもの権利条約9条では、子の権利といっておきながら、
「両親の意思に反
して家庭から引き裂かれない」といい、親中心の権利でしかない。なぜ、子の意思に反して家
庭から引き裂かれなといわないのであろうか。確かに、この条約は世界へ発信するもので最低
限のことを定めたものに過ぎないから、人身売買のような第三者から子を守るためであろうが、
日本ではもう少しこの趣旨を子の視線で拡大して見てもよいのではないか。これは親の権利条
約であって、子どもの権利条約とはいえないと思うのである。
3 離婚後の子の保護
(1)監護者による保護
協議離婚をする場合、父母は監護すべきもの、その他監護について必要な事項を定めなけれ
ばならない(民法 766 条 1 項)
。また、子の利益のため必要があるとき、家庭裁判所は監護す
べき者の変更など行うことができる(同条 2 項)
。通常、親が監護者となるが、親が養育態度
や監護に関する意欲がなく祖母が子と同居し、子が祖母に愛情を感じているような場合には祖
母が子の監護を継続することが子の福祉に合致するとして祖母を監護者としてした事案がある
(金沢家裁七尾支部審平 17・3・11 家月 57・9・47)
。これは、必ずしも実親以外にも監護者
となる可能性を示したといえる。このことは、
「子」と家庭を持つ者は親でなければならないこ
とではなく、父と母と子で構成する、いわゆる「核家族」を現行民法上、想定したものではな
いといえよう17。
(2)親権者による保護
親権者は未成年者の法律行為に同意を与え、子の法律上の保護を図る制度である(民法 5 条)
。
この同意権は原則として財産に関する法律行為にとどまり身分上の行為には及ばないとする
(大判大 15・6・17 民集 5・468)
。フランスの親権法では、その制度目的を子の健康・安全・
精神の保護のための権利義務とされた18。日本においても親権では子の精神的保護=心理的側
面を重視する必要がある。
5
監護者の指定や親権者の指定は、
「子の利益」といいながら、結局は親のための師弟とならない
ような考慮が必要と思われる。
(3)養育費
総数
総数
1万
円
2万 以内
円
4万 以内
円
6万 以内
円
8万 以内
円
10 以
万 内
円
10 以
万 内
円
以
上
7000
6000
5000
4000
3000
2000
1000
0
(司法統計年報 16 年家事編より作成)
養育費は離婚しても親子関係は存続するのであるから、親として子の養育費は等分に支払う
必要がある。しかし、現実には、養育費の額は子どもの数にはあまり関わりがなく月額8万円
以内が多い。多くの場合は子どもの年齢が低いため、このような結果となったのであろうが、
一見して低い。また、月額として支払われることからその履行が完全に行われるか疑問があろ
う。民法改正要綱案では夫婦の財産形成に寄与した程度が分からないときには相等しいものと
している19。履行の確保の保障が問題となろう。また、子どもの成長に応じ、また、公立・私
立学校の教育費、学費などの額の増減も課題となろう。
(4)面接交渉権
面接交渉権は監護者とならなかった親と子どもの会う機会を設けようとする制度であるが、
日本には明文の規定はない。面接交渉権を安易に認めると子どもの環境の安定を阻害するため
一定の制約を受けている。面接交渉権で考慮しなければならないことの第一は「子」の成長の
面であろう。
「子」がたとえば1歳前後であるならば、親が「子」にあったとしても「子」の精
神的な問題は生じないと思われる。しかし、5歳から15歳前後である場合、面接交渉をする
ことによって「子」への精神的な影響はかなり強いと思われる20。判例は未成熟子の福祉を害
6
することがない限り、未成熟子との面接交渉権を家庭裁判所が監護に関する処分として命ずる
ことができるとした(東京家審昭39・12・14家月17・4・55)。離婚以前で別居状態
にあるときでも民法766条の類推適用として認めている(最決平12・5・1民集54・5・
1607)
。いずれも監護権を持たない「親から」の面接交渉権を認めている。一方、訪問権と
いう概念も説かれるようになった。訪問権は、監護権を持たない親以外に祖父母や叔父叔母か
らの「子」に対する会う権利である。この考え方は一度家庭にあった者でも面接交渉を認めよ
うとする考え方である。親以外のものでも認容しようとする方向は支持できるが、これも「子」
からの訪問権ではない21。訪問権も面接交渉権と同じく親と同時「子」からの訪問権を認める
必要があるであろう。ただ、この場合であっても、
「子」の成長を十分考慮する必要がある。
(5)共同親権
共同監護は離婚しても子と父親・母親の関係は変わらないのであるから、両者が一体となって
子を養育する制度をいう(Joint Custody)
。アメリカ合衆国は共同監護(Joint Custody)と共同
育児(Shared Parenting)を採る州が多い。子どもは実親に監護され養育される自然権を持つ
という。今までは非監護者の親は一定時間その子と共にすることであったが、近時は、両者と
も同一時間、子と関わることが一般的になっている(10州を除く各州では法制化、判例法、
両親の同意があれば認めている)22。距離的にも、親と子の住む場所が異なり遠く離れている
場合、どちらがそこへ行くのか。親は職業を持っているとした場合、必然的に、
「子」が行かな
ければならないこととなろう。
ただ、
共同親権の問題は働く親と子の交わりに関する時間的と、
離婚した親が離れたところに居住していることに関する距離的な問題が生じる。すなわち、親
が子どものいる場所に会いに行くのであれば、親の休日など親の都合のよい日に、子の利益を
阻害しない限り認めることも必要であろう。逆に、子が親の元へ出向くのであれば、子の教育
時間は短縮される問題点が生じるであろう。もし、親が新しい家庭を築いている場合、その子
にとって安住する場所であるかも考慮する必要がでてこよう。たとえば、実親に配偶者がおり、
その間に子がいる場合、異父兄弟、異母兄弟が存在するので複雑な関係がでてこよう。
さらに、アメリカの多くの州で認められている共同親権は父親と母親は平等の時間を「子」と
接するのである。
「子」にとって見れば、これは非常に迷惑なことと想像するのは私だけであろ
うか。離婚という「子」にとって悪夢は早く忘れたいであろうに、それを、親と子は血縁があ
7
るからという理由で、しばしば、その悪夢を呼び戻すことにつながる恐れは多分にある。この
場合、
「子」の年齢や成長を考慮する必要があろうし、この制度を利用できるケースは限られて
いるのである。
(6)損害賠償請求権
子からの損害賠償請求権は有責配偶者となる親へ認められる。
以上の法的効果のすべては離婚後の問題であり、離婚前の問題としては捉えられていなかった
といえよう。国際家族法学会第12回大会では、各国が片親家庭の問題点を挙げていることは
注目すべきところである。その一方、日本では、自動車事故の損害賠償額の公平化と同じよう
な養育費や婚姻表の算定表なるものによる金銭での「親」の責任を一律化しようとする23。確
かに、各裁判所による金銭評価を公平化することは好ましいといえるが、離婚での「子」の視
点からすると、金銭による決着を目的とする簡素化は一部の解決にはなるとしても、最終的な
決着ではない。ここでは、離婚をすることによる「親」と「子」の両者に取り返しのつかない
目に見えない損害があることを理解することが必要と思われる。アメリカ合衆国では、父母の
そろった家庭の支援を行う姿勢がある24。この背景には、いい父親といい母親と明るい子ども
たちという理想の家族を追い求める意識があるように思える。この理想の「家庭」を追求する
あまり、現実の「家庭」との齟齬が見られることによって離婚の件数も増加した。反面、再婚
することも多く、それによって、新たな家庭が生まれ、前婚の子や後婚の子との関係を複雑化
させてきた。このことが離婚の増加とともに家族が共に暮らす「家庭」の大切さの意識の誕生
と相反する現象が起こったと考えられる25。
かって、共同親権では場所的時間的な問題がネックとなっていたが、離婚を後悔する夫婦もあ
るという。また、一時期に家庭を崩壊してもリセットできる方法を模索している。いままでの
「家族法」は夫婦の問題と親子の問題をことさら分離しているように思える。家族法は文字ど
おり「家族」とともに「家庭」を規律する法として解釈する必要が今後求められるであろう26。
裁判離婚原因があっても離婚を認めない民法770条2項の役割を再考する必要があると思わ
れる。離婚を認めない裁判所の判断はけして夫婦の性的関係を強制するという単純な思考を消
すことであろう。夫婦を性的関係共同体だとする見方は一面的な捉え方といえよう。離婚を考
えるにあたって、離婚の前と以後の両面から見る姿勢が、本来の「家族法」の全体像を見るう
8
えで必要となろう。
「子」の視点からすれば、離婚後の環境がどのように変わるのかという不安
を持ちながら、個人としての父親・母親という男女の問題として処理されることには納得がい
かないと思われる。離婚は「親」である男女の問題として捉えること以外を考えることも消し
て保守的とは思えないのである。子は親からいわれる「現実」を承認せざるを得ない状況があ
る。ものを言いたいけれど、言えない「子」の存在を忘れてはならないと思う。例えば、養子
縁組をした後に養親が離婚をした場合はもちろんであるが、それ以上に自然血縁関係にある子
という場面も考える必要があるのではないだろうか。
4裁判所の「子」の捉え方
虚偽の嫡出子出生届について、戸籍上自己の嫡出子として記載されている者との間の実親子
関係について不存在確認の訴えが権利の濫用に当たらないとした下級審の判断を差し戻した事
案がある(最判平成18年7月7日、平成17(受)1708)
。すなわち、「戸籍の記載の正
確性の要請等が例外を認めないものではないことは、民法が一定の場合に戸籍の記載を真実の
実親子関係と合致させることについては制限を設けている・・・長期間にわたり実の親子と同
様に生活をし、関係者もこれを前提として社会生活上の関係を形成してきた場合において、実
親子関係が存在しないことを判決で確定するときは・・・精神的苦痛、経済的不利益を強いる
ことになるばかりか、関係者間に形成された社会的秩序が一挙に破壊されることにもなりかね
ない。また、虚偽の出生の届出がされることについては・・・なんら帰責事由がないのに対し、
そのような届出を自ら行い、又は容認した(のであり)
・・・長期間経過した後になり、戸籍の
記載が真実と異なる旨主張することは、当事者間の公平に著しく反する行為といえる。」と述べ
権利の濫用に該当するとした。親子関係不存在確認の訴えを否定させたいのか、認知の無効を
主張させたいのか、最高裁判所の判断は分からないが、虚偽の嫡出子出生届で「子」となった
者の身分的安定性を考えると結果としては「子」の保護となっている27。また、虚偽の嫡出子
出生届に認知の効力を認めるいわゆる無効行為の転換ともとれる判断をしている(最判昭5
3・2・24民集32・1・110)、学説も同様の見解を採るようである28。このように、
子の知らないところで婚姻中にせよ婚姻関係が破綻しているにせよ、家庭が形成された場合に
はその家庭を認めようとする趣旨と考えられる。判例は今ある家族関係を重視する。成長しつ
つある「子」の視点から見れば、他者からその状態を変化させられることを嫌う。離婚は婚姻
9
の解消で配偶者の死亡の解消と同列に扱うが、死亡の場合には葬式といった通過儀礼があり
「子」も納得できる親と子の別離であるが、離婚は男女の争いの後の別離で「子」の納得を得
られるものとはいえない可能性もある。
一方、離婚は個人としての夫婦の問題であり、子はそれにタッチすべきではないし、破綻して
いる家庭にすがってみても、夫婦である親は相互に批難しあうはずで、かえって子の幸福にも
ならないとも考えられる。また、崩壊している夫婦を法的に「夫婦」として強制することもで
きない。親としての視点と子からの視点から考慮することは今後求められるかもしれない29。
5離婚前の「子」の保護
このように、離婚後の子どもの保護についてはかなり考慮されている。しかし、離婚前にお
ける子どもの考慮は裁判離婚で若干みられるが、それ以外では子どもの影は全くみられていな
いといってよい。それが本当によいのであろうか。
離婚は不法行為上、子どもの権利の侵害か問題となる。この点についてはあまり論議されて
いない。ただ、破綻状態にある配偶者と肉体関係を持った事件では、特段の事情がない限り婚
姻関係の侵害として不法行為上の責任が生じないと判示した(最判平8・3・26民集50・
4・993)
。破綻していなければ不法行為上の責任を負うことになる。また、妻や未成熟子の
ある男性と肉体関係を持った女性が、その結果日常生活において父親から愛情を注がれなく、
監護、教育を受けなくなったとしても、積極的な害意で阻止しなければ、未成年者に対する不
法行為を構成することはないとした判例がある(最判昭54・3・30民衆33・2・303)。
肉体関係を持つことと愛情を注がれなくなったことに因果関係がないという。しかし、積極的
な故意はなくとも未必の故意あるいは重大な過失は認められるし、その間には因果関係が認め
られると解される。これも法律上保護される利益に該当することを暗に示しているのではなか
ろうか。もし、このように理解しなければ、民法は離婚以後の「子」の保護に重点が置かれて
いる現状を見ると、離婚後の手当ては何の意味があるのであろうか。法解釈からいえば、離婚
まで待ってから損害賠償などを請求せよというのであろうか。
「子」の損害とはなんであろうか
。今までの生活水準が保たれないことを填補する趣旨なのであろうか。確かに、交通事故な
30
どによる死亡では命を金銭に代える。死亡してしまっているのであるから、命を返還せよとは
いえないから金銭に代えるしかない。ただ、死亡と親の離散とは異なる。
10
離婚する前に子は何らかの措置を講じることはできないであろうか。これについて、家事審判
規則54条には監護者の選定に対する子の意見を聞くこともできるだけである。結論からいえ
ば、法律上の保護は認められないとするのが当然のように言われている。親の離婚は子にとっ
て家庭を奪われることであり、子からすれば法律上保護される利益そのものといってよい。さ
らには子に対する親の不法行為といえなくもない。もし、子が親に不法行為上の責任を問うこ
とができるとすると、損害賠償請求権を行使できることはもちろんである。さらに将来も損害
が続くことになるわけであり、子からの差し止め請求権も想定されるが、夫婦の離婚という個
人の意思を尊重する建前からいえば認められないことになる。前述の国際家族法学会で報告さ
れたように離婚を後悔する人もいる。あとは、個々人となった夫婦であった者の「子」に対す
る愛情を待つしかない。
おわりに
民法典には「家庭」に規定はない。ただ、事実上の「家庭」ともとれる規定としては、未成年
者を普通養子縁組する場合には配偶者とともにしなければならないこと(民法795条)、特別
養子縁組の要件に養親となるもの配偶者のあるものに限られている(民法817条の3)こと
があげられる。血縁でない親子関係の創設には夫婦と子を前提にしている。この夫婦と子の枠
組みをなんと称するのであろうか。親子法は、家のための親子法、親のための親子法から子の
ための親子法に変遷してきた。これらの流れを見ると、離婚の場合の親子のあり方も問われて
くるのではないであろうか。離婚は時系列的に見ると、家のための離婚から夫婦となった個人
である親のための離婚へ変わった。その後、くる離婚法は「誰のための離婚法」になるのか。
実母の配偶者としての「実父と子」という親子関係、実父の配偶者としての「実母と子」いう
親子関係を子は望んでいるのは思い込みであろうか。
協議離婚は離婚当事者の離婚の意思の合致と離婚届を提出することによって婚姻関係は解
消する。養老律令では七出三不去の令があり、男性は一定の要件を備えれば妻を追い出すこと
ができた。実際には円満離婚であった場合もあろうが、江戸時代においても三行半を突きつけ
ることによって妻を離縁することができた。三行半は紙一枚で済む簡単な婚姻の解消で、この
風習が明治期の協議離婚につながったものと考えられる。明治期離婚率が高かったのは男性の
家の者(家長、舅、姑など)が妻に協議離婚届を書かせたからだともいわれている。紙一枚で
婚姻を解消できる協議離婚は西洋でも離婚当事者の意思を尊重する方法であり非常に進歩的な
11
1
離婚方法と評価されている。しかし、歴史的に観れば、一見、合理的に思える協議離婚も女性
の意思をないがしろにした方法であったといえよう。現在でも、協議離婚は90%ほど占めて
いるが、果たして、その影で泣く者はいないのであろうか。離婚を話し合う離婚当事者は誰に
相談をして離婚届に書名、押印をするのか。昨今の離婚に関する書物では以下に財産分与を確
保するか、子の監護権を如何に獲得するのかといったものが多く、離婚後の生活水準を如何に
保ち続けるのかといった離婚当事者の視点でしかかかれていない。
2水野紀子・民法講座7・163頁。調停では調停委員と当事者がそれぞれ話し合いをするこ
とになるが、もっぱら、離婚意思の確認などとともに特に離婚給付額の算定などに多くに時間
を割いている。水野教授も離婚給付額のガイドラインの提唱とともに未成年者の保護にも触れ
られている。
3 稲垣明博・
「離婚と子の権利」玉川大学経営学部紀要6号。ここでは、離婚差し止め請求を
何らかの形で考えられないか述べたものであるが、伊藤昌司教授から「とんでもない」と指摘
された。婚姻制度と親子制度という法制度からは考えられないであろうが、民法典第4編「親
族」としながら、
(家庭法ではないことは理解できるが)個人間のことのみ規定しており、法の
欠缼として何らかの解釈も必要と思われる。婚姻関係、親子関係は他の民法とは異なり、歴史
的に見ても、論理では割り切れない。し婚姻は人為的な関係であり、親子は自然血縁関係や人
為的な関係といえる。特に親子関係を(養子縁組を除けば)法制度として処理できるのは、そ
の法効果と思われる。
4 原田慶吉・日本民法典の史的素描136頁では親族法の基本的身分関係を婚姻・親子・家族
及び狭義の家族があり、西洋にない家族関係を規律しているとことが特色といわれている。そ
の良し悪しは断定できないが、今までの親子関係は縦社会、特に上から下の問題として問われ
てきた。下から上への親子関係も考えられるであろう。
5 原田慶吉・前掲135頁。ここでは「本邦の淳風美俗と欧米の進歩的法制の調和に最大の工
夫をこらさなければならなかった」と述べ、財産関係とは異なり外国法の借り物を持って押し
切らなかったといわれている。前掲①、水野教授は、欧米の離婚法は、婚姻非解消主義を取り
入れられていたが、離婚配偶者(妻)の経済的不安定要素を除去するため、離婚給付によって
有責主義から破綻主義へ移行してきたと指摘されている。ただ、金銭によって婚姻の解消や家
庭の崩壊から生じる問題をすべて解決できるとは必ずしもいえない。高梨公之・
「現代信仰にあ
らわれた婚姻法意識」日本婚姻法史論237頁参照。
6 家族に関わる研究としては、昭和13年の家族制度全集、昭和35年の家族法大系、昭和5
5年現代家族法大系、昭和49年の講座家族、平成4年講座現代家族法などがある。親族、家
族、家庭の違いについてあまり明確なものはなかった。家族と家庭の違いに関する記述として
飯田哲也・
「家族と家庭」
・40頁以下に紹介されている。著者によれば客観的に存在している
家族と主観的に意識されている家族があり、主観的に意識されている家族を家庭という(同書
46頁)
。また、社会学での家族と家庭の概念は混同されているか、両者の違いを意識していな
いと説かれている。家族専門家でないものが「家族の崩壊」を述べているが、そこには両者を
入れ替えても「支障がない」といわれている(同書44頁)。思うに、家族は他の家族に対する
関係であり、家庭はその包括的な集合体を指すのではないだろうか。夫婦関係や養子と養親の
関係さらには同性間の共同体もあり、必ずしも血縁に限られない。家庭という共同体の崩壊と
すれば意味が成り立つであろう。
7原田慶吉・前掲136頁では家族法の基本原理を子の婚姻離婚における親の同意権や養子縁
組の同意権など縦の関係が夫婦といった横の関係よりも重視しているという。一方、法学以外
12
の著作では、父親母親という項目があり、そこには子にとって父親や母親の子に果たす心理的
影響を説いている(柏木恵子・
「家族心理学」235頁)
。家族を研究する場合には、法律学、
心理学、医学的、宗教学、民俗学など総合的な考察が必要と思われる。多くの書物はその学問
分野に限って論じられており、非常に狭いところの研究が行われている。特に社会学では、そ
の状況のみグラフ化するぐらいで、個々の検討がない。また、西洋の考え方を直輸入する傾向
が強い。家団論的な発想では、夫婦と子などを一つとして捉えるであろうが、個人として考え
ると、縦横の関係を一つとして考えられないことになる。社会学と法学ではその捉え方が異な
るのであろう。未成年者について適当な親と家庭を与えることであり、それは自然親子関係も
養親子関係も同じに扱われる必要があるだろう(佐藤義彦・伊藤昌司・右近健男「民法Ⅴ」5
5頁参照)
。
8 法律制度は法的効果を伴うから、その要件は厳格だが、その制度から離脱する場合は個人と
して戻ることになるから、あまり重視しない傾向が強い(民法765条2項)。
9
婚姻は契約とみると、そこには当事者の意思によって解消もありうる。残された問題は財
産的な処理ですむことになるが、子は契約によって生じないのであり、ただ、経済的な問題で
済むのもではない。
10 民法797条では法定代理人の「承諾」が必要となるが、他に監護権を持つものいる場合
はその「同意」を要件としている(昭和62年追加、これによって監護権を持つ親からの意思
が問われることになった)
。以前は法定代理人の親が監護権を持つ親から監護権を奪うため、一
方的に養子縁組が行われていた。ただし、
「承諾」と「同意」は異なるので、縁組の同意をして
いない時は縁組の取消ができる(民法806条の3)
。したがって、監護権を持つ親が取り消し
をしなければ、縁組は有効となる。
11 中川高男・
「継親子関係と嫡母庶子関係」講座家族6.390頁。継子を親権に服せしめる
ことによって一家の秩序を保ち、親子の擬制と相続権を認めることにより血統承認の相続性を
維持しようとしたためといわれている(同392頁)。ただ、この場合、継親子関係と嫡母庶子
関係を並列に考えられており、その想定する親子関係では妾の産んだ子どもを後妻に養育させ、
相続権を付与することがあげられている。また、継親子関係について「ともかく家のために認
められたこれらの親子関係が、家のために諸種の不合理を露呈したのは皮肉であった」
(同39
7頁)と述べられ、若干、問題提起をされているようにも取れる。
旧民法では連れ子は親の配偶者とは姻族関係しかなく、養子縁組をしなければ連れ子は親
の配偶者に対する相続権はなかった(原田慶吉・前掲156頁)
。また、旧民法施行以前もこの
ような考え方であったといわれている(同158頁)。
13 中川高男・前掲398頁
14 中川淳・
「親子関係の確定と家族法の理念」現代家族のアジェンダ75頁。特別養子制度が
里親制度と結びつきながら、その役割を果たしている・・・今までは・・・あまりに血の論理、
血族絶対主義にこだわりすぎている・・・
(この制度は)血の神話の一角を崩したということに
なると述べ、信頼と愛情のよって結びつく生活共同体がきわめて重要ではないかと血縁絶対主
義からの脱皮を評価する。
15 野沢慎司、茨木尚子、早野俊明、SAJ「Q&Aステップファミリーの基礎知識」参照
16 子どもの権利条約9条では、子どもは両親の意思に反してその父母から離されない権利を
保障するという。20条では、家庭環境を奪われた子ども又は子ども自身の最善の利益にかん
がみその家庭環境にとどまることができないときはその保護を必要とするという。やむおえな
12
13
い場合を除き子どもには家庭環境の必要性が説かれているものと解することができよう。政府
の訳では努力義務となっている。ユニセフ訳とは若干異なっていることは注目しなければなら
ない。
17 父親と母親と子で成り立つ親族関係を「核家族」といい、最小の家族ユニットとする考え
方があるが、その形態は多様であり、必ずしも普遍的なユニットではない。この点、内田・民
法Ⅳ・13頁では民法の想定する家族の最小ユニットとしている。
18 稲本洋之助・
「フランスの家族法」99頁。ここでは「従前の家族内に子を維持して家族を
有資格者・専門機関の援助・監督等に服せしめることを原則としたことが特徴」といわれる。
19 なぜ半分とするのかについて、
「夫婦なんてそんなもの」と割り切るしかないと述べ、その
基準ははなはだ曖昧といえよう(本沢巳代子・法セ410・40頁)
。
20 カナダの事案であるが、裁判所は3歳の子が父との関係を持ちたいという希望は、1歳8
ヶ月の子とは違っているとして、1歳8ヶ月のとき認めていた面接交渉を3歳の時には面接条
項を変更した。離婚した当時に合意した面接交渉条項を変更したことは子どもの成長によって
個々に変わってくることを明らかにした。子どもを中心に考えるならば当然のことといえよう。
村井衡平・
「離婚後の子の監護・面接の変更」神戸学院法学29・4
21 面接交渉権の法的性質については、親の自然権、監護に関する権利、親権・監護権の一部、
子の権利、親及び子の権利など説かれている(石田敏明「父母別居中の面接交渉権」ジュリス
ト家族法判例百選6版78頁)
。田中通裕「面接交渉権の法的性質」判タ747・322では子
の自然権として監護権を持たない親は面接交渉する義務があるとする。
22 共同監護と共同育児の法令(http://www.gocrc.com./lawF.html)
23 佐藤千裕・
「国際家族法学会第12回世界大会に参加して」
(家裁月報58・6・99)
24 アメリカ合衆国の保守的なキリスト教の影響があるといわれている。新約聖書は親から離
れ子は新しい配偶者と一体となると説く(マタイ伝19・4-6)。ここには、夫婦と子の関係
を説いているが、1970年代から婚姻非解消主義は無くなってきた。また、離縁について、
新約聖書では不法な結婚でもないのに妻を追い出して、他の女を妻にすることは姦通の罪を犯
すことになる(マタイ伝19・9)
。これらからすると、婚姻をしてもよいがしなくてもよく、
離縁についてもかなり寛容な内容となっている。最近、その良し悪しが一部のキリスト教徒の
中から言われている。そこには法律で処理するのではなく宗教による処理、社会によるうねり
を感じさせる。キリスト教では、イエス・キリストを父とし、教会が家と捉え、信者は兄弟と
みなす。その意味では、キリスト教のもとでは兄弟の家は存在しないといえよう。すべては個
人と考えるのでそこでの枠組みは考えられないことになろう。したがって、日本の家制度とは
合わないものといえよう。
25 棚村政行・
「現代アメリカ家族法」講座現代家族法Ⅰ・167頁。アメリカでは断絶養子に
見られるような養親子関係が実親子関係にとってかわるとか一切の関係を断ち切るより、祖父
母、兄弟姉妹と養子の交流など親密な関係が築き上げていれば、実方、養方の紛争も起きにく
いし、実親から養子縁組の同意も受けやすくなるという。この場合には、子どもに対するカウ
ンセリングが必要となるが、子の十分な意思確認などものの言えない子の視点から行うことが
肝要であろう。
26 家族法は法制度としての婚姻やそれに伴う離婚を扱う法で、親子は制度から生じるもので
はないとすると、家族法の枠組みから離れることになる。養子縁組は制度であるが実親子関係
はその効力のみ扱う。母の認知は通常、分娩という事実によって母子関係は当然発生する(最
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判昭37・4・27民集16・7・1247)
。また、出生届は報告的届出である。これに対し
て婚姻や離婚は創設的届出であり、制度としての意味がある。
27 伊藤昌司「実親子関係と守旧的法理論」判タ1039・72。父子間に嫡出子としての身
分占有がないと判断される限り、嫡出否認の期間を過ぎた父子関係であろうとも、父からであ
れ子や第三者からであれ、その真実性を争う訴ができることを認めたのが日本の家族法の母法
であるフランス法の考えであるという。その考えに従えば、この判決では父子関係を否定でき
ない例外ということになる。この場合、親子関係不存在確認の訴えによることになる。もし、
認知無効の訴えがなされた場合には子など誰も望まなくとも父子関係は否定でき身分関係安定
を保持することはできないと指摘されている。
28 梶村太市「虚偽の嫡出子出生届等と認知の効力」家族法判例百選第6版・別冊ジュリスト
52頁)
。明治民法下でも認知の効力を認めていたが(大判大15・10・11民集5・703)
、
現行法では庶子出生届がなくなり、実務では揺れていたが戸籍先例も虚偽の出生届に認知の効
力を認めた(昭和40・1・7民甲4016号民事局長通達)。学説も、中川善之助(新訂親族
法385頁)
、我妻栄(親族法235頁)も同様の立場をとる。伊藤教授は認知に形成的効力は
ないと説く(伊藤昌司「隠退の時を迎えた嫡出否認~破毀院第1民事部 1985 年 2 月 27 日判決
~」関西フランス法研究会第 1 回報告。戸籍実務に即してばかりの解釈論でなく、民法の規定
(
(そのフランス法的意味))に即した解釈をするならば、親子法はもっと論理的で、しかも弾
力に富む実定規範にできるはず)と説く。
29 佐藤隆夫・現代家族法Ⅰ・161頁には有子夫婦離婚問題について子の保護を述べている。
30 離婚後の子の意識は、
「しょうがない」とか「親はいなくとも子は育つ」という人がいる。
動物社会でこれだけ親子関係が長いものはない。子は自然に育ち、新たな家族を持つ。そのと
き、実の親の生き方に共感を覚える人と反面教師にする人とがいる。第二次世界大戦後から2
1世紀の日本は格差を非常に意識する。人との違い、幸福の違いを気にする。これはともする
と理想を追い求めすぎているのかもしれない。理想の家族や理想の配偶者は存在しないのであ
り、
常に現実を見る必要がある。
身分占有という考え方の趣旨を取り入れることも考えられる。
(小野幸二先生古希記念論文集(
「法学書院」2007 年 3 月発行)に私が掲載した「離婚前後の
子の権利」に一部手を加えた。2007年10月29日)
(出典:21 世紀の家族法、235 頁-7253 頁 法学書院)
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