『わが国の新興国外交の在り⽅ -ブラジルの視点から』 島内 憲 前駐ブラジル⼤使 平成18年9⽉より昨年9⽉まで丸4年ブラジルに在勤した。39 年6か⽉の外務省⽣活で最も充実感、時 には緊張感のある期間であった。ブラジルでの経験の詳細については、是⾮、別の機会に紹介させていた だきたいと思っているが、ここでは、ブラジルから⾒た我が国の新興国外交の現状及び在り⽅について現 場で考えたことや感じたことをご紹介したい。あくまで、ブラジル在勤経験者の視点からの素朴な「体験 的新興国外交論」であり、新興国全般に関する⼗分な知⾒に基づくものではないことを予めお断りしてお く。なお、本稿を執筆中、我が国は東⽇本⼤震災に襲われ、筆者はしばらくの間、他のことが全く頭に⼊ らない状態に陥ってしまった。投稿を辞退させて頂こうとも思ったが、この未曾有の危機を受けて、我々 として、強くて輝きのある⽇本を再建するためにも、新興国の活⼒を取り込むことが、今まで以上に避け て通れない重要テーマになるのではないかと考え、最後まで書き上げることにした。 本稿の結論は極めて⽉並みなものである。⼀⾔で⾔えば、我が国外交において、①新興国という新しい切 り⼝からの外交に取り組み、⾼い優先度を与える⼀⽅、②新興国を⼗把⼀からげにすることなく、各国の 特徴、相互の関係などを踏まえて、今まで以上にきめ細かい対応をすることが求められている、というこ とである。 1.新興国の台頭をどのように⾒るべきか (新興国台頭による国際社会の構造的変化) 新興国の台頭は、我が国にとってある意味で試練であるとしても、⼤きな機会であることを忘れてなら ない。否定的にとらえる必要はない。最近、「新興国における軍備増強が急速に進んでいる」、「新興国 の資源⾷料の供給源として重要性が⾼まっているのは好ましくない」などといった新興国に対する警戒感 をいたずらに煽る論調が増えているような気がするが、 「もう少し勉強してもらいたい」と⾔いたくなる。 勿論、新興国台頭現象を絶対に過⼩評価してはならない。新興国経済の潜在⼒について⾊々な試算がなさ れているが、これらは決して誇張ではなく、むしろ控え⽬すぎる⾒積もりが多いのという印象さえ受ける。 例えば、2003 年時点のゴールドマン・サックス・レポートは、BRICs 諸国は 2039 年までに G6(⽶⽇独 英仏伊)を合計 GDP で追い越す、としていたが、実際の経済規模の逆転はもっと早く起きるであろう。因 みに同レポートは、ブラジルが GDP でイタリアを追い越すのは 2025 年としていたが、昨 2010 年に、こ の予測は現実のものとなった。 新興国の台頭によって出現する世界は G8 中⼼の世界とは似ても似つかぬ姿形のものになるであろう。す でに G20 が経済分野の主要フォーラムとして G8 に取って代わろうとしている。将来的には、⽶国プラス ⽇欧という「⽩雪姫と 7 ⼈の⼩⼈」のような世界ではなく、経済規模のみならず、⼈⼝、⾯積が⼤きく、 かつ資源にも恵まれた、あらゆる尺度から⾒て⼤国と⾔える国々が世界の主導権を握る形になるであろう。 その中で、⽶国、中国、インド及びブラジルが突出した存在になるであろう。 (新興国相互の関係) 現在のところ、新興国、とりわけ主要国の間に⼀定の範囲で共通の利害や⽬標が存在する。これまでも、 G8 サミット・アウトリーチにおける G5(中国、インド、ブラジル、メキシコ、南アフリカ)、気候変動 交渉の⽂脈における BASIC(ブラジル、南アフリカ、インド、中国)、ブラジル、インド、南アフリカか らなる⺠主主義国グループの IBSA、 またゴールドマン・サックス・レポートに触発されてつくられた BRICs 諸国会合(注:2011 年 4 ⽉より南アフリカが参加。名称も「BRICs」から「BRICS」に変更)など、特 定の⽬的を追求するためのグループが新興国の間で結成されている。これらの場は、新興国側が、国際場 裡において⾃分達の声が反映されるよう、或は、国際社会の現状変更という共通のアジェンダの実現に向 けて、結束することを主たる⽬的とするものである。逆に⾔えば、それ以上の共通⽬標は⾒えてこない。 ⼀⼝に新興国と⾔っても、⼀枚岩のグループを形成しておらず、また、形成すべき必然性もない。極めて 多様性のある国々からなっており、G7 のように価値観を共有しているわけではないし、経済発展の度合い においても⼤きな差異が存する。更には、政治体制、経済構造、⽂化、⼈種、宗教等多くの⾯で⼤きな相 違が存在する。OECD 加盟国やその候補国もあれば、政治体制が全く異なる国もある。先⾏き不透明感の ⾼い国も少なくない。BRICs だけを⾒ても、将来的⾒通しを含め、根本的なところで構成国間に⼤きな相 違があることは明⽩である。 新興国にとって⾃国の社会・経済発展が⾄上命題であるが、このことは対外的な緊張を⾼める要因にもな りうる。今後、先進国との関係においてのみならず、新興国相互間の安全保障上或いは経済的な不協和⾳ が多くなる可能性もある。現に新興国間の対⽴の⽕種は少なくない。新興国の中にはガバーナンスが必ず しも良好でない国もあり、新興国間の対⽴は、先進国間のものと⽐較にならないほど、制御困難で厄介な ものになる可能性がある。いずれにせよ、今後、新興国間の結束のみならず、摩擦や対⽴が国際政治の動 向を左右する重要な要因になりうることを⼗分想定しておく必要がある。 因みに、ブラジルは地理的な要因もあり、他の新興国と深刻な安全保障上の問題を抱えていない。しかし、 関係がすべて順⾵満帆かというと、そうではない。カルチャーの違いから協調がうまくいかなかったり、 経済関係が狭い分野に偏っていたり、⼀⽅が裨益する⾮対称な関係であったり、また、近隣諸国とは、貿 易や投資をめぐるトラブルが後を絶たなかったり、いろいろ課題や懸案がある。 2.我が国の新興国外交は如何にあるべきか (総論-欧⽶に後れを取ってはならない) 我が国は、新興国外交への取り組みを抜本的に強化すべきである。新興国へのパワーシフトは、かなり以 前から始まったことであるが、在外から⾒て、我が国としてこの事実を正⾯から受け⽌めるのが少々遅れ たように思えた。筆者がブラジルに赴任したころは、「BRICs はゴールドマンサックスのエコノミストが 頭の中で考えたことに過ぎない」という⾒⽅が⽇本国内で少なくなく、「そもそも、BRICs の中に「B」 が⼊っているのはおかしい」などとで⾔って憚らない⼈もいた。しかし、その後、BRICs 諸国間の協調の 制度化が⾒る⾒るうちに現実のものとなり、外務次官級会合、外相会合、⾸脳会議へとアップグレードさ れていった。BRICs の中における「ブラジル株」も相対的に上昇した。しかし、こういった動きに対する 我が国の対応は、他の先進国に⽐し必ずしも機敏なものではなかった。 もとより、BRICs ⾃体は基本的価値観をはじめ構成国間で根本的な相違が多すぎ、かつての G7 に匹敵す るような役割を果たしうるフォーラムではない。新興国相互間の錯綜した関係は先に述べたとおりである。 しかし、BRICs、IBSA 等の新興国のフォーラムは国際社会の中で、グループとしても⼀定の重みを持った 存在であることを正しく認識する必要がある。このような国際社会の新しい流れをいち早く読み、対応を 考えるのが我が国外交の重要任務である。そういう意味で、現在、我が国が新興国外交に本腰を⼊れて取 組んでいることを⼤変⼼強く思う。今後の我が国の対新興国外交において、横断的な取り組みと同時に、 新興国間の相互関係を踏まえたきめ細かい国別の対応を期待したい。 (新興国との経済関係―無限の可能性と⼭積する課題) 新興国が世界経済の牽引⾞となっていることは先に述べたとおりであるが、その⼤きな理由はこれら諸国 が⼤型プロジェクトの宝庫だからである。この点については、その質はともかくとして、⽇本国内でも情 報が氾濫している。事実、新興国のインフラ・プロジェクトは途轍もなく規模の⼤きいものが多く、我が 国のみならず各国の垂涎の的となっている。例えば、ブラジル⽯油公社(ペトロブラス)の向こう 5 年間 の投資計画は何と 20 兆円に上る。1000 億円単位の案件は、数えきれない。 新興国、特に、主要国は市場規模が⼤きく、⾃動⾞、エレクトロニック等耐久消費財では、既に、⽣産、 販売で欧州 G7 諸国を上回りつつある。因みに、2010 年の⾃動⾞販売台数は、中国が世界第⼀位、ブラジ ル、インドがそれぞれ第四位、第五位を占めた。エレクトロニックス関係でも多くの品⽬で中国、ブラジ ル、インドが世界のトップ 5 に⼊っている。 このような状況の中で、我が国経済が活⼒を維持するためには、新興国への展開が不可⽋であることは明 ⽩である。しかし、新興国において外国企業が活動するのは容易なことではない。極端な官僚主義、理解 に苦しむ不合理な諸制度、法的安定性の⽋如、透明性の不⼗分さ等は多くの新興国で⾒られる障壁である。 このような問題に対しては、粘り強く⼆国間、場合によっては、他の関係国と連携して改善を働きかけて いくほかないが、経済連携協定(EPA)ないし⾃由貿易協定(FTA)体制の整備もビジネス環境整備の有 ⼒なツールになりうる。我が国は既に新興国との EPA/FTA の締結を進めているところであるが、今後、実 質的ニーズを反映した優先順位に基づき、より⼀層積極的な協定網整備を期待したい。 新興国における科学技術協⼒は⽇本として優位を発揮しうる最有望分野である。新興国は、単なるマーケ ットとしてではなく、⽇本が共同して技術開発を推進し、もって、ガラパゴス化を脱却するためのパート ナーとしても有望である。⽇本の技術⼒は、多くの新興国において憧れの的であるが、ブラジルとの協⼒ を⼀つのモデルとすることができるのではないかと考える。ブラジルは単なる技術の移転先としてだけで なく、科学技術分野における海外展開のパートナーとしても重要な位置を占めている。両国の緊密な協⼒ が結実し、南⽶を中⼼に多くの国が⽇本のデジタル・テレビ技術を採⽤したことは周知のとおりである。 抜群の技術吸収⼒と独創性に富むブラジルと組むことによって途上国のニーズに的確に応えるプロダクト を完成し、更に、新興国のトップリーダーとしてのブラジルの底⼒を借りて、第三国へ売り込むことがで きたわけである。現在、モザンビークで進められている農業分野の⽇本・ブラジル三⾓協⼒も、⽇本の資 ⾦協⼒と技術協⼒が契機となってブラジルで開発・蓄積された⾼度の熱帯農業技術をアフリカに移転しよ うというものであり、責任ある農業開発を通じたアフリカ及び世界の⾷糧安全保障への両国の共同貢献と して極めて重要な意義を有するプロジェクトである。 (政治分野における対応〜「G7 対新興国」という構図を作ってはならない) 新興国、特に G20 諸国は、国際社会における発⾔⼒を急速に⾼めているが、依然として、その新たな地位 と影響⼒をどのように使うべきか模索している段階にある。新興国の国際社会における役割はまだ明確に なっていない部分が多い。これまでは、G8 体制に対する批判を声⾼に⾏うだけで、その振る舞いは責任あ るプレイヤーのものとは⾔い難いこともあった。新興国同志の「お付き合い」、或いは、開発途上地域に おける主導権争いがこのような動きの背景にあったという⾯もあろう。例えば、権威主義的体制の諸国の みならず、⼀部⺠主的体制の国おいても、他国の⼈権問題を⾒て⾒ぬふりをすることがある。⾃国内の問 題を意識して他国の⼈権侵害への⾔及を差し控えている国のみならず、脛に傷をもたない国にもそのよう な傾向がある。また気候変動問題でも、新興国の間で基本的利害が⼤きく異なるにもかかわらず、同⼀⾏ 動をとることがある。 ブラジルで強く感じたことは、我が国が「G7 対新興国」という構図で国際関係をとらえるのは得策でない、 ということである。このような発想で新興国に接すれば、結果として良識派諸国を含め、新興国を結束強 化、新グループ形成の⽅向に追いやりかねない。過去においても、新興勢⼒の台頭は、現状維持勢⼒との 対⽴を⽣み、戦争に⾄った例もある。我が国として、国際社会の基本構造が⼤きく変わる中で、⺠主主義、 市場経済等の基本的価値を守ることが国益上最重要事項であるはずである。然りとすれば、新興国の中で、 我が国と価値観、利害の⼀致が多い国々はどこか、という点を念頭に置いた外交努⼒をもう少し意識的に 展開すべきなのではないか。これらの諸国が国際社会の平和と繁栄に責任ある⽴場から取り組むことを⽀ 援するためにも、⾸脳外交や⼤⾂、⾼級事務レベルの政策対話を拡充することがとりわけ重要と考える。 (我が国の新興国外交とアジア) アジアが世界の成⻑センターであり、我が国としてアジアの活⼒を取り⼊れながら、我が国⾃⾝の成⻑を 実現すべきことは⾔を俟たない。しかし、我が国がアジアの中に引きこもってしまうようなことがあれば、 その⽬的を達することはできない。アジア⾃体、域内で⾃⼰完結的に繁栄を持続することはできない。域 外にアジアにはない強みを持つ諸国が存在し、アジアとしてもこれら諸国のポテンシャルを取り込む必要 がある。アジアの新興国(特に中国及びインド)の旺盛な需要が世界的な資源価格⾼騰の⼤きな原因とさ れているが、ブラジルは「中国が持っていないものをすべて持っている」と⾔われる国であり、資源・⾷ 糧の需給緩和に貢献しうる余⼒を持つ国である。中南⽶やアフリカ諸国の資源・⾷糧、更には、ブラジル の技術⼒と資⾦⼒に裏付けられた資源開発⼒がアジアの将来の繁栄に密接に関わっていることに⽬を向け るべきである。また、政治⾯でも、アジアとして中南⽶の⺠主化の経験から学ぶ点が少なくないのではな いか。このことは、中東・北アフリカの現状と中南⽶地域の政治的経済的な安定を対⽐すれば明らかであ ろう。 3.外務省に期待すること 今後、国際社会における G7 諸国の影響⼒の相対的低下は避けられない。しかし、国際社会の安定と繁栄 のために、現在の新興国に責任あるリーダーシップを発揮することを期待することができるかというと、 当⾯⼗分な役割を期待することはできないと⾔わざるを得ない。まだこれら諸国から、新国際秩序に関す るヴィジョンは⾒えてこない。かといって、これら諸国を異質な国として、距離を置くのは適切でない。 我が国としては、新興国が今後、国際社会全体の利益ためにもっと汗をかくよう、積極的に国際社会の本 流に取り込む、との発想で付き合うことが必要である。我が国は、開発途上国の間で広く尊敬を集め、ア ジアの⼀部以外では「負の遺産」を抱えていないという、主要先進国の中でユニークな⽴場にある。新し い国際秩序の中で我が国として果たしうる役割は⾮常に⼤きいものがあるということを正しく認識する必 要がある。 新興国におけるビジネス機会は無限にある。我が国が優位を発揮できる分野も広範に及ぶ。しかし、イン フラ輸出をはじめ海外での売り込みを成功させるためには、優れた技術をアピールするだけでは不⼗分で ある。官⺠連携により、トータルパッケージを魅⼒的なものにし、効果的に売り込むことが不可⽋である。 そのためにはトップセールスが決定的な重要性を持つ場⾯があることは⾔うまでもない。 現在、我が外務省が取り組んでいる新興国外交推進体制の抜本的強化は⾮常に時宜に適っている。新興国 という切り⼝から、政治、経済、経済協⼒等各分野を含め横断的な対応を積極的に進めていただきたい。 従来の機能局、地域局のみによる縦割りの対応では不⼗分である。⼗分な外交的効果を上げるためには、 ⾸脳外交及び閣僚外交が不可⽋である。また、戦略性をもって⾼級事務レベル(次官級)対話を組織的に 展開することが望まれる。その際、相⼿国の国際社会における位置づけを踏まえて優先度を決めるべきで ある。なお、これまで、多くの国との間で「戦略対話」の名を冠した場が設けられているが、この⾔葉は、 いささか使い古されている感があり、空虚な響きすら持つようになっているような気がする。我が国にと って真に優先度の⾼い国はどこか、今⼀度⾒直すべきではないか。 さらに、我が国は、⼈材、予算をはじめ外交的リソースを速やかに、かつ、思い切った形で新興国にシフ トしなければならない。⼤型プロジェクトなど魅⼒的なビジネス機会の相次ぐ出現に伴い、我が国企業の 活動の新興国シフトは急ピッチで進んでおり、官⺠連携による我が国の利益確保の必要性が⾼まっている からである。特に、インフラ輸出案件は在外公館として⽚⼿間でできる案件でないことを⼗分理解してい ただきたい。各在外公館として取りこぼしが許されず、総⼒を挙げて取り組まなければならない分野であ る。今後のニーズの急増を先取りして⼤胆な⼈員増を実⾏するとともに、現地語と現地事情に精通した⼈ 材の活⽤及び育成に優先的に取り組んで頂きたい。現状では、⼈員不⾜、予算不⾜のため、本来やるべき ことが⼗分できないことがままある。残念でならない。 最後に、外務省の現役時代に感じたことを付⾔したい。役所も職員も海外勤務に関する固定観念を捨てな ければならない。外務省職員の間に「先進国は好ましい任地」、「途上国はご苦労様ポスト」という考え ⽅が根強く残っているように思う。その原因は情報・知識不⾜にあるのではないか。現実には、現在の新 興国には仕事のやりがいのある任地が多く、医療環境や治安の問題はあるにせよ、総合的な⽣活の質の⾯ で、先進国に遜⾊がないところが増えている。新興国への⼈材配置を検討するにあたっては途上国勤務に 関する基本的考え⽅を改め、⼤胆な傾斜配分を実現するよう引き続きご尽⼒願いたい。 (2011 年 4 ⽉ 25 ⽇寄稿)
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