両親の離婚と子どもの最善の利益

基調講演「両親の離婚と子どもの最善の利益」
(司会)略
(棚瀬)ご紹介にあずかりました棚瀬です。今日はレジュメと資料を用意しました。だいたい、
それに沿って話をさせて頂きます(見出しはレジメの項目)。
一
問題の所在
(1) 面会交流紛争の激増
まず、今日の報告の背後にある問題意識ですが、事実として、面会交流紛争が激増していて、
裁判所でもその解決に困っている、という現実があります。資料1に面会交流紛争の件数を書い
ておきました。平成10年では、調停1700件、審判290件の申立があります。昨年(平成
19年)は、それが既済で5600件ですので、この8年間で3倍にもなっています。また解決
も困難で、昨年度は、審判・調停併せて5600件の内、面会交流が認められたのは57%にす
ぎません。また、その内、月1回以上の面会が認められたのはさらにその半数、宿泊付きは14
%です。また、合意ができても守られないケースが多く、家裁事件の中でも、面会交流事件は、
最後まで争いが残り、「すっきり解決できない」事件となっています。
こうした面会交流紛争が増大した背景ですが、一つには、離婚の増加があります。資料2を見
て下さい。平成18年には、離婚が25万7000件です。数年前から絶対数としては少し減っ
てきていますが、そこには少子化の影響や、無婚者や事実婚の増加もあると思われます。婚姻数
がこの年は73万件ですので、2.8組に1組が離婚していることになります。また、面会交流に
直接関係するものとして、子どもがある夫婦の離婚が年間15万組、延べ数では25万人の子ど
もが、毎年、親の離婚を経験しています。出生数がこの年109万人ですので、生まれてきた子
どもの4.3人に1人が、成人になるまでの間に親の離婚に直面することになります。
また、面会交流紛争が増加した背景に、父親が子育てに関わるようになったということもあり
ます。そうした父親は、離婚後も、子に会いたい、子の成長に関わっていきたいという気持ちを
持ちます。それは、子どもにとって本来は有りがたい話しです。子どもは、そうした熱心な父親
があることで、離婚後も親との関係が続いていきます。
しかし、母親の側では、逆に、そうした父親の関与を嫌うことが多く、そこから紛争が起きて
きます。とくに、別れた夫に、自分が作った家庭を乱されたくないという意識が強く、それが面
会を嫌う理由となっています。そこにも、女性の権利意識というか、自律性の意識が存在します。
よく面会紛争を含む監護権の争いを、欧米ではジェンダー・ウォーと呼んだりしますが、結婚の
中での男性支配、その最たるものがDVですが、そこからの女性の解放、そのやっと勝ち取った
離婚が、再び男性が現れ、平等な監護を要求することで悪夢がよみがえる、といったストーリー
です。
面会が子の福祉に適うか否かという議論の背後に、このように、父親と母親の、また男性と女
性の見方の違い、立場の違いがあるということです。この背景を意識することで、逆に、面会交
流もきちんとルール化して、お互いの権利を尊重しつつ、離婚後の子の共同子育てを行っていく
ことができます。
(2) 日本の家族法
この点で、日本の家族法は、また裁判所は、この現代の、権利意識を背後に持った親たちの離
婚後の子育てをめぐる葛藤を適切に処理するようにはできていません。この問題を扱う民法の規
定は、離婚後の単独親権を定めた819条と、子の監護に関する処分を扱う766条ですが、そ
れぞれ、大きな特徴があって、まず、819条は、単独親権という形で、離婚後の子育てを単純
-1-
な、一人の親が子を育てるという状況に還元してしまっています。それは、「離婚は縁切り」と
されてきた時代の、離婚したら女の人が実家に戻るか、あるいは、子を連れて家を出るか、いず
れにしろ、関係をばっさり切る行き方です。しかし、それは、現代の、父親たちの子育てへの関
心から挑戦を受けています。また、今は世界のコンセンサスと言っても良い、「別れた親とも交
流を続け、双方の親から愛情と監護を受けることが子の最善の利益である」という考え方と真っ
向から対立してきます。
もう一つの766条は、逆に、きわめて包括的な、ある意味で何でも盛り込めるような条文で
す。離婚後の監護は、「まず当事者の協議で決めなさい」、しかし、できなければ、「家裁で審
判をします」という規定だけで、何も実質的なルールは書かれていません。それでは、どう決め
るかと言えば、「子の監護に関わる処分は子の福祉に従って判断する」という、たった一つのオ
ールマイティの規定が不文律としてあって、それですべて判断していきます。もちろん、裁判に
は判例というものがあり、判断の積み重ねで、徐々に妥当な規範を作っていきますし、実際、面
会交流でも、最初の裁判例が家裁月報に現れてから40年にもなり、それなりの蓄積があります。
しかし、ごく最近の最高裁事務局が書いた家裁月報の記事を見ても、「裁判所は、未だ面会交流
が権利であるとも、ないとも明確に述べていない」というまとめ方がしてありました。家事事件、
とくに子の監護に関わる問題を権利義務の問題として考えることに根強い抵抗感が裁判所にはあ
ることが窺われます。
しかし、この「権利ではない」という態度こそ、実際、日本の面会交流紛争がここまでこじれ
てきた原因です。一方で、離婚家庭の自律性を尊重しながら、しかし他方で、子のために、そし
てまた子の成長に関わりたいという別居親のために定期的な面会交流を行っていくためには、き
ちんとしたルールが必要です。裁判所の方では、子の福祉のために、調査官というスタッフも使
ってきちんと判断しているから大丈夫だと言うかも知れませんが、調停でも5割強しか解決して
いませんし、それも、その半分は月1回の面会も認められない、という状態です。調査官の調査
も、またそれを踏まえた裁判官の子の福祉の判断も、当事者が心から納得するという事態にはな
っていません。
むしろ、権利の構成を避けるという、その基本的な方針こそが、子の福祉の判断を現状追認的
なものにし、結果として、子の別居親との関係を絶つという、子の福祉に反する結果をもたらし
ているものです。今の離婚後の家族の状況は、もはや、一方の親を切り捨てることで片づけるこ
とはできません。また、裁判所が子の福祉を一つずつ確認し、一番良い解決を当事者のために考
えてやるということでも解決できません。子どもと親とのお互いの繋がりを大切にしながら、複
雑な利害の対立を調整していくことが必要であり、そのためには明確なルールが必要です。それ
を権利という形で構成し、その侵害には、そのことに憤りを感じ、親子の繋がりを取り戻そうと
する、熱意のある別居親に権利を主張させるという仕組みが不可欠です。
(3) 面会交流の原則
この面会交流の権利を、今の裁判のあり方を批判する中で確立する、というのが、今日の私の
話です。ここで、皆さんにも周知の、国連児童権利条約を資料3として引用しておきました。明
確に、一緒に暮らさない親とも、「人的な関係及び直接の接触を維持する」ことが、国が子ども
のために守らなければならない、子どもの権利である、と謳っています。日本もこの条約を批准
していますが、政府の考え方は、この前段にある、「児童の最善の利益に反する場合を除く」と
いうところを引っ張ってきて、日本も面会交流の原則を認めている、ただ「子の福祉に反する」
場合だけ制限しているのだから、この条約にはまったく抵触していない、ということのようです。
しかし、問題はこの例外の扱い方です。
最近の例を一つあげてみます。平成18年の東京家裁の言葉を引用しました(資料4)。「離
婚後も、非監護親と面接交渉の機会を持ち、親からの愛情を注がれることは、子の健全な成長、
-2-
人格形成のために必要なことであり」として、「子の福祉に反するなど特段の事情がないかぎり」
認めるのが好ましい、としています。しかし、こう述べたすぐ後で、この審判は、「面接交渉は
子の健全な成長、人格形成のためであるから、その程度、方法には自ずから一定の限度がある」
として、結局、それまでの宿泊付きの面会を禁止し、第三者の立会と、その指示する範囲の面会
に限定してしまっています。
私も、第三者立会がなければ面会が難しい場面があるのは認めますが、これは、諸外国でその
ような事例とされるようなものではおよそありません。直接、子に危害が加えられる恐れがあれ
ば例外になりますが、この事例では、ただ監護親の方が再婚し、再婚相手と子どもを育てたいか
ら強く反対しているという、それだけの理由です。結局、この審判では、「面会交流が子のため
に必要である」と言ったすぐその後で、「面会交流は子のためになるものでなければ認められな
い」と反転するわけですが、この後者の、子の福祉の使い方こそが、日本の面会交流を諸外国に
比べて著しく貧困なものにしているものです。
面会交流の原則に立って、子の利益を侵害することが明白な例外的場合に制限するのと、この
裁判のように、子の利益にならなければ面会を制限するというのでは、同じ「子の福祉」、ある
いは「子の最善の利益」を語っていても、その運用に雲泥の差が出てきます。今日は比較法的な
議論はしませんが、アメリカでも、ヨーロッパでも、離婚の後、別居親が子と面会するのは当た
り前であり、ほとんどのケースでは何の問題もなく、英語で、自由な訪問権、あるいは、相当な
面会交流が認められます。隔週の週末泊まりがけといったのが、ごく普通の面会交流であり、先
進的な事例では、週の半分ずつとか、割合的に30%・70%といった取り決めもあります。
やはり、口先の理屈でなく、現実が大切です。一見、同じ言葉を語っているように見えながら、
なぜこんなに大きな差が出てきてしまっているのか、私は、言葉はきついかも知れませんが、今
日の面会交流紛争の激増、そしてその貧困な解決の大きな責任は、日本の家族法と、それを解釈
し運用する裁判所にあると思っています。
二 「子の福祉」の現実
それでは、具体的に、どこをどう変えたらよいのか、ということですが、まず、なぜ日本では、
本来子の福祉のための面会交流が、同じ子の福祉のために禁止されるのか、その論理を探ってみ
たいと思います。三つに分けて整理してみます。
(1) 監護家庭の尊重
最初に取り上げるのは、面会交流の紛争が初めて裁判に登場してきた頃の判例で、今から見る
と、多少時代がかっても見えますが、それだけに、論理がくっきりと見えます。
ケース1を見て下さい。夫に愛人ができ、最初は、妻は離婚に反対していたが、やがて条件闘
争になり、親権の指定、それも適わなくなり、週2回の面会を何度か調停を経てやっと獲得した
という事例です。しかし、離婚が成立して、晴れて愛人と結婚できた後、元夫は、新しい妻と子
との間に養子縁組をさせ、そして面会を拒否してきたという事例です。
妻が、離婚の際も、また親権者指定でも弱い側に立ち、今度は約束を反故にされ面会を拒否さ
れるというのですから、現在の多くの面会交流紛争で、会えないのが父親側であるのとは違った
面もありますが、裁判所の面会禁止の論理は共通しています。
家裁は、「子は父と義母との共同親権に服していて、・・その生活に満足、定着しており、環
境の変化を希望していない。また、小学校に通うようになった後、Xは面接したことがあるが、
そのような場合、必ず精神的に動揺し、好ましくない影響が現れるので、学校関係者も面接に明
白に否定的態度を示している」として、「子の福祉」に反するから面会は認められない、として
います。
これは、今からちょうど40年前の裁判ですが、離婚し、再婚して養子縁組をするというパタ
-3-
ーンは今も同じで、それが、「新しい家庭ができて、子がその中に落ち着く」ということを象徴
的に表すものと扱われるのです。その上で、子が、その家庭の外に出て、外の人間になった別居
親と会うことは、いわば、一人で世間に出て、その荒波に身をさらすことであって、当然に子は
動揺もするでしょうし、「もう少し大きくなるまでは駄目だ」という論理になっていきます。
実際、ごく最近の平成18年の大阪高裁の決定(ケース2)でも、同じ再婚養子縁組の事案で、
母からの面会交流の申立に対し、「父及び養母がその共同親権の下で子との新しい家族関係を確
立する途中にあることに鑑み、生活感覚やしつけの違いから、子の心情や精神的安定に悪影響を
及ぼす危惧が否定できない」から、宿泊付き面接を避けるのが相当である、としています。要す
るに、再婚養子縁組をすれば、もうそちらが家族なのだから、元のお母さんのことは忘れて、新
しい家庭に落ち着きなさい、と言っているのです。
しかし、そうした元のお母さんのことを忘れさせることこそ、児童権利条約が否定しようとし
たものではないでしょうか。
(2) 高葛藤の回避
次が、高葛藤の回避です。これは、子の精神的安定と絡めて言われることも多く、上の2つの
事例でも、子が動揺するとか、精神的安定に悪影響を及ぼすという理由を、面会禁止、あるいは
制限の理由にあげていますが、裁判所の論理には、「面会交流は円滑に行われるならば好ましい、
しかし」と続けて、親同士の葛藤が高く、子が面会をすることでストレスを感じるようであれば、
面会は子のためにならない、禁止すべきである、とするものが多く見られます。
ケース3を見て下さい。正面から、「監護親が面接交渉に強く反対している場合は、・・面接
交渉を回避するのが相当である」としています。その理由というのが、「親権者親の意思に反す
る面接交渉が強行されることにより親子間に感情的軋轢が生じ、これによって子の福祉を害する」
というのですが、そこには、「面接交渉は、子の心身の成長上好ましい結果がもたらされる場合
でなければ、これを肯定すべきでない」という、まさに面会交流の原則と例外をひっくり返した
判断があります。
この論理のどこに問題があるかを考えるために、簡単なチャート(図1)を書いてみました。
夫婦間の葛藤が高い原因にも様々なものがありますが、代表的なものとして、左から、DV、不
貞、不和、そして嫌悪などがあります。また、それぞれも強いものから弱いものまで様々ですし、
その主たる原因者も、夫、妻、あるいは双方があるわけですが、これらが、強弱様々に、離婚後
の面会交流を妨げる葛藤となって現れてきます。実際、離婚するのですから、こうした葛藤がな
い夫婦というのは考えにくく、それを子との面会の障害事由とすることには慎重でなければなり
ません。しかし、面会交流の原則がしっかり理解されていないと、つい、「条件ができてないの
に、面会などできないではないか」という横浜家裁のような態度になりがちです。とくに、面会
を求める側に、不貞だとか、ちょっとしたDVだとか、あるいは性格的な問題があったりすると、
やはり、その者のために苦労して面会を認めてやろうという気が失せるのか、面会禁止に傾く嫌
いがあります。
もっと問題なのは、この図で、右上の「面会妨害」から、葛藤の方に矢印が描いてありますが、
監護親が別居親に面会させない、させると言いながら、なんだかんだと理屈を付けて先延ばしに
する、しても、いろいろうるさい条件を付けてくる、こういった面会妨害に起因する葛藤があり
ます。実際、離婚前の葛藤と相まって、この面会妨害が生じ、それがさらに夫婦間の高葛藤をも
たらすケースは、非常に多いのではないでしょうか。もちろん、それも、子が気持ちよく別居親
と面会交流を楽しむのを妨げるものには違いありませんが、問題は、この高葛藤が、本来、別居
親に面会をさせなければならない、面会義務者の妨害から起因しているという事実です。
もし、この事実を伏せて、ただ、「高葛藤だから、子に心理的負担を与える、だから面会を禁
止する」とやったら、結局、面会妨害をして、葛藤を作り出した監護親がその我を通すことにな
-4-
ります。法の世界では、権利の実現が、義務を負う者の意思にかかることはあり得ないことです。
そのような、義務者がサボタージュすれば権利もなくなるというのは、法では権利とは言いませ
ん。
結局、日本の家裁実務では、面会交流は権利ではない、ということですが、問題は、それで面
会交流ができなくなる、子が別居親との関係を切断されるという、まさに子の福祉に反する結果
が生じることです。
(3) 子の意思
三つ目の論理が子の意思です。家事審判規則では、15歳以上の子どもの場合、その意思を聞
くことが義務づけられていますが、家裁調査官の調査では、例外なく、子との面接が行われ、そ
の意思が、時に「子の心情」という言い方もされますが、年齢に関係なく報告書の中に書かれ、
その意見に反映してきます。
ケース4を見て下さい。このケースでは、平成6年の申立から、平成10年まで4年にわたっ
て、4件の調停が、訴訟、履行勧告を挟んで行われ、最後に、やっと1回だけ、1年先に、公園
で代理人立ち会いの下で3時間会うという調停合意が成立したという事件です。離婚の経緯は、
夫の浪費癖に反省を促そうと思って、書き置きをして実家に帰ったところ、そのまま夫が家に戻
ることを拒否し、子を祖母に育てさせつつ、親権者の指定も勝ち取ったという事案です。妻は、
離婚そのものを争い、親権者指定も争いますが、最後は、面会交流さえ認めてくれればというこ
とで、調停をくり返すのですが、結局、1回だけ、別れのための面会となりました。
問題は、その間の調査官の報告です。2回調査が行われ、1回目は平成7年、もう1回は、2
年後の平成9年です。1回目の面接では、上の子は5歳、下の子は2歳ですが、上の子は、「日
常生活でははきはきと答え、人懐っこい印象だった」が、母親のことを話題にすると、「急に言
葉少なになり、ぼく、ママが来ると吐いちゃうんだ」、「会うのは、前の晩眠れないし、ママは
あちこち引っ張り回すから嫌だ」という記述があります。調査官も、「表情や口調からは、申立
人に対する拒否や嫌悪の感情は伺えなかった」と書いています。
しかし、次の2回目では、小学2年になった上の子は、「父と弟と3人でする野球が一番楽し
い」、そして母親に関しては、「運動会を見にきたが、太っていた。後を付いてきたのでむかつ
いた。話をしたいとも思わなかった」と切り捨てています。また、普段、家庭の中では、母親の
ことを、「あいつ、とか、あのバカと呼んでいる」と書かれています。父親が、事件のことを話
し、母に会ってもいいぞと言っても、会いたくないと強く拒否した、とし、最後に、調査官は、
意見として、「強固に会いたくないと意思表示をしている現状では、面接交渉の実現は非常に難
しい。無理に面接したとしても、子に相当の心理的負担を与えるにすぎないであろう」と結んで
います。
皆さんは、これを読んでどう思われるでしょうか。最初の面会交流の判決が出てから40年と
いいましたが、この事件は10年前です。この10年で日本の裁判所は大きく変わったと言えれ
ばうれしいのですが、まだ、このような子の面会拒否に直面したとき、日本の裁判所は、この調
査官の報告書のように、「面会交流をするのが好ましいのだけど、しかし、無理してやっても」
という態度になりがちなのではないでしょうか。
子が、母親のことを「あいつ」とか、「あのバカ」と呼ぶ家庭の中で育てられていて、「会い
たい」という意思を表明できるでしょうか。それよりも、生きていくために、自分自身、「太っ
ている、みっともない」と切り捨てることで、心の平衡を保っているのは明らかです。悪いのは、
このような立場に子を追い込んで平気な顔をしている父親と、祖母ですが、裁判所としても、そ
れを、子に対する心理的な虐待として捉え、毅然とした態度を取るべきだと思います。
所詮、父親にとって、元妻は、別れてしまえば他人にすぎませんが、子は、その遺伝子の半分
を母親から受け継いでいます。子が父親と一緒になって母親の人格否定をすれば、必ず、それは、
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自分に返ってくることになります。その時、自己嫌悪に陥るのか、あるいは、母親に会いたくな
って、それまで一緒にバカと言ってきた、父親や祖母に怒りが振り向けられるのか、いずれにし
ろ、それこそ子の福祉に反する事態が生じてきます。
この事件では、調停と訴訟を重ねて4年の月日が経っていますが、調査官の報告書でも、明ら
かに、1回目と2回目では、子の態度に変化が見られます。まだ別居して1年の、母親に対する
思慕の念も消えない、少なくとも表現できる時に、なぜ面会交流を実現してやらなかったのでし
ょうか。私は、子の福祉と言いながら、そのような子のための危機介入ができない日本の裁判所
の無力さ、あるいは無神経さが、問題を大きくしていると思っています。
三
家裁実務の改善
だいぶ時間も経ちましたので、後は、簡単に、議論の要点だけを話します。
(1) 調停理念の再検討
日本では、家事事件では調停前置を取っていますが、そこには、話し合いで円満に解決するの
が、この種の事件では好ましいという判断があります。確かに、アメリカでもADRの見直しが
行われ、家事事件では調停が使われています。とくに、子をめぐる争いでは、無理矢理子の手を
引っ張るのではなく、親同士が冷静に話し合いをして、子のための最善の解決を考えることがで
きれば、それが好ましいことは言うまでもありません。
しかし、一方の親が強固に反対している場合、調停は無力であり、それにもかかわらず話し合
いに固執することは、最後のケースで見たように、徒に紛争を長引かせ、その間に子の意思も固
まって、もう面会しようにもできない、という事態に陥ります。
問題は、ルールのない所で話し合いを行うことにあります。日本のように、面会交流が権利で
ないならば、面会をさせたくない監護親は頑固に拒否すればよく、その内に子が落ち着き、会わ
なくてもよい、さらに会いたくないと変わっていけば、今度は、堂々と「子の意思」を持ち出し
て、面会禁止を言えばよいことになります。
このごね得をいかに抑えるか、それこそが、児童権利条約で締約国に課された、面会交流の原
則を子どもの権利として国が保障することの本当の意味です。
(2) 執行力の強化
これは見出しだけに止めておきます。
(3) 審判の当事者主義化
これも、細かい議論をする時間がありませんが、今まで見てきたように、家裁は子の福祉を旨
とすると言われても、また専門の調査官が調査をすると言われても、やはり、そこには固有のバ
イアスが存在します。としたら、もっと当事者の主張、立証の権限を強くしていく必要がありま
す。申立人の代理人が直接に子に面接したり、その指定する心理の専門家に面接させることをぜ
ひ実現するべきだと思います。
また、講演の最初に、面会交流事件が激増していると言いましたが、それでも、年間5000
件を少し超えるぐらいです。しかし、両親の離婚を経験する子どもは、毎年25万人います。裁
判所のスタッフが不足していることは明らかです。今、面会交流事件の申立をしても、多くが2
ヶ月先に最初の期日が入り、それから1ヶ月半に1回ぐらいのペースで期日を重ねています。し
かし、それは、子の成長の早さ、とくに別居・離婚直後の大事な時期の子の親との繋がりを考え
たら、とても許されるものではありません。
当事者主義というのは、裁判所と当事者との役割分担のことを言いますが、もっと機敏に動け
るよう裁判所の陣容を整えるとともに、当事者をエンパワーし、その問題解決の力を高めて、解
-6-
決を委ねていくことが必要であると思います。
(4) 子の特別代理人
内容は省略します。
四
実体法の改正
(1) 面会交流の権利化
次に、実体法の改正ですが、基本は、面会交流の権利性を明確にする、ということに尽きます。
それがなぜ必要かは、これまで述べてきたことですが、子の福祉の判断が、基準のないままに、
裁判所の「子の福祉と考えるもの」に丸投げされることで、別居親との断絶が追認されるという、
その裁判の現実を克服するためには明確な指針が必要であるからです。
この権利化は、原則/例外の図式で可能になります。面会交流が原則である、もし、それを監
護親が否定したいと考えるのであれば、その例外に当たることを積極的に主張し、立証する。か
りに、職権主義を続けるとしても、少なくとも、面会が子に有害であると考える当事者は、その
ことを主張し、積極的に、面会を求める者に反駁が可能なように証拠を提示する、最低限、それ
だけの努力は必要です。その上で、主張や立証の不足する部分があり、子の福祉のために必要で
あれば、裁判所がその職権探知で補うことももちろん意味があります。しかし、その場合でも、
面会を求める当事者に、その探知した事実を原資料ととともに示し、十分な反証の機会を与えて、
反駁を促すという手続が必要です。
また、例外となる、面会が制限される事由も立法で明確にする必要があります。基本は、面会
を求める親が子を虐待する危険が高いとか、過去にひどい虐待をし、子がそのことでトラウマを
負っているなど、文字通り、面会を求める親と子との関係に限定すべきです。 と言えば、逆に、
監護親への過去のDVや、監護家庭への干渉、あるいは未練があって復縁を密かに考えているな
ど、子を面会させる上で付随する監護親の困難はまったく考えなくてよいのか、という疑問が出
されるかも知れません。
私のそれに対する答は、基本的に、監護親と別居親との関係は、子との面会禁止の理由となら
ない、ただ、面会の方法に関して、そうした付随的な困難が生じないように、別居親の側にも一
定の注意義務を課していく必要がある、と考えています。それも、結局は、監護親、別居親、双
方の権利と義務を明確にすることで、離婚後の共同して行う子育てを法のルールの下で行う、と
いうことです。
(2) 共同親権
それでは、今日、私が話したことは、共同親権の提案かということですが、もちろん、共同親
権にして、再婚相手の養子縁組も親権者である別居親の許可を必要とするとか、子の重要な成育
の節目に当たる事項に関し、相談され、同意を与えるというような仕組みが、別居親の権限を強
め、離婚後の親子の絆をより確かなものにする、という議論には、基本的に、私も賛成です。
ただ、共同親権にしても、実際、片方の親と子が住むという単独監護となる場合が多いとすれ
ば、共同親権にしても、別居親の親権は制限されたものとならざるを得ませんし、面会交流です
ら、法でしっかりその権利を支えていかないと、危うくになります。その良い例が、まだ離婚が
成立していない場合、共同親権のはずですが、どれほど多くの別居家族で、別居親の面会交流が
否定されてきているか考えれば、共同親権という名前だけで解決できるものでないか、分かると
思います。
その意味で、面会交流をしっかりと担保するような仕組みを作って、親子の絆が離婚によって
も切れないのだということを、国民皆がまず実感することが、共同親権の制度を作っていくため
-7-
にも大切だと思います。
(3) 子の権利
また、これは少し思弁的な話しですが、面会交流の権利化を図るとして、それは、親の権利か、
子の権利か、という議論があります。ヨーロッパでは、子の権利という議論が強いようですし、
アメリカでもそう主張する人もいます。
しかし、実定法的に考えれば、権利は、誰が、どのように主張するかという手続を抜きには考
えられません。監護親に養育されている未成年の、とくに小さな子が、その親の意思に反して、
別居親との面会交流を求めるというのは、まず考えられません。また、その場合には、親は面会
に反対しているのですから、利益が相反しますし、子が誰かにそのことを言って、特別代理人を
付けるということになるのでしょうが、そのような手続で面会が実現されるケースというのは、
現実にはほとんどないと思います。
むしろ、子の権利というのは、子どもは別れた親ともしっかり親子の絆を持ち続けなければな
らないという、その子にとっての本質的な重要さを、ちょうど基本的人権と同じような意味で言
い表したものであって、国は、その権利が損なわれることがないように、施策を考えなければな
らない、ということが、その本来の意味であります。
報告で引用した国連の児童権利条約もその趣旨です。そして、この子どもの権利を尊重する義
務を負う国家の中には、もちろん、裁判所も含まれます。裁判所は、その法の解釈、適用におい
て、子の権利、つまり、「別れて暮らす親とも定期的に人的な関係及び直接の接触を維持する権
利」が尊重され、実現されるようにする義務を負うことになります。
(4) 家族形成権
この意味で、子の権利という考え方も、面会交流の原則をしっかり根付かせるために大切な考
え方ですが、しかし、私は、こうした子の権利よりも、欧米の、とくにアメリカの面会交流権を
基礎づける考え方の根底には、家族形成権という観念があると思っています。
アメリカでは、親が子との繋がりを持ち、自らの価値と考え方で子を育てる親の権利は、強い
憲法的な保護を受けています。親が、そうした自ら子を育て、次世代に自分の価値を伝えていく
ことが、自由主義社会の根幹であるという意識や、親子の繋がりは、親のそうした子に対する強
い思いを保護することで可能になる、という考え方がその基礎にあります。
そこに、さらにプライバシー法理、これは日本でいえば自己決定権ですが、それが加わって、
子を産み、育てる権利を、人間の基本的な自由権として保護するという憲法法理が発達してきま
す。それが家族形成権です。
家族は、その構成員が、一人一人、この意味での家族を作り、大切にする権利を持っている、
そうした家族形成権の束に他なりません。それは、離婚ということがなければ、家族の範囲の中
に収まりますが、離婚であれば、別居した親との関係もこの家族形成権に入ってきますので、家
庭という枠を超えて広がっていきます。逆に、再婚、連れ子という形で、あるいは、事実婚や、
同性パートナーなども、家庭に入ってこれば、家庭そのものが、それぞれの繋がりで構成された
複合体になっていきます。
私は、最初に、面接交渉権の論文(『権利の言説』所収)を書いたとき、そうしたアメリカの
新しい家族観を、離婚後複合家族と呼びましたが、やはり、「個人の、家族を大切にする権利」、
この権利を基礎に置いて考えることで、これから多様化する、日本の新しい家族の規律も可能に
なってきます。離婚後の、もはや同じ屋根の下に住まない、しかし家族としてつながっている人
たちを、新しい家族法で捉えていくためには、この新しい発想、家族観が必要であると思ってい
ます。
-8-
(5) 面会交流権の射程
最後に、これから面会交流権の権利化を考えるとき、今までのように、そもそも面会が子の福
祉に適うか、といった議論だけでなく、もっと、いかに面会交流をより中身の濃いものにしてい
くか、いかに困難な事態の中で面会を維持していくか、が問題になっていきます。
そのようなものとして、ここには、三つのものを書いておきました。監護家庭の自律をどう守
るか、面会を困難にする、居所変更や、長期の旅行、家族の時間との調整、そして、養育親、祖
父母との面会などです。この面でも、立法や判例を通して、ルールを作っていく必要があります。
五
今後の展望
(1) 離婚問題への取り組み
以上が私の報告ですが、最後に、これからの取り組みとして、やはり裁判所とともに、社会の
側の関心が高まることも必要です。これまでの日本は、離婚に冷たかったと思います。アメリカ
では膨大な数の文献があるのに、日本では、離婚の子に与える影響や、面会交流の効果に関する
実証的な研究はほとんど見られません。
離婚は、何か本人に問題があって離婚するという意識が根強くあり、だから、離婚した人はそ
のことを隠しますし、逆に、周りの者は、そのことに触れてはいけないと気遣います。そうした
お互いが語らないことで、なかなか社会問題として、皆で考えていくことが、これまでできてき
ませんでした。
とくに、今日のテーマに関して、本当は、皆、子どもたちが離婚に大きな衝撃を受け、傷つい
ていることを知っているのに、そのことが学問的にも、また社会政策的にも取り上げられること
ひ、日本の場合、非常に少なかったと思います。地震の被害や、学校での犯罪被害では、PTS
Dが言われ、スクールカウンセラーを派遣するということが言われるのに、もっとひっそりと、
親の離婚で悩んでいる子どもたちのその心のケアは、誰も言いません。
(2) 国の責務
やはり、毎年25万人という膨大な数の子どもたちが離婚の渦中に置かれるのですから、国が
本腰を入れて取り組む必要があります。面会交流は、それも別居や離婚直後の、まさに危機的な
時期にこそ、定期的な別居親との面会が必要です。それがぜひ実現できるような立法の改正や、
裁判手続の改革、そして、面会困難事例での付き添いや、親や子のカウンセリングなど、行政の
支援が行われることを期待して、私の報告を終わります。
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