HARVEYROAD WEEKLY 359号 「中国・北京‑山東省‑上海レポート」 〜その1〜 −・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・ <財部誠一 今週のひとりごと> 北京−山東省−上海を8泊9日で取材にでました。サンデープロジェクトの中国特集第 4弾となるものです。なかなかインターネットがつながらず、今週もウィークリーレポー トの発送が遅くなってしまい、もうしわけありませんでした。これまでレポートでも何度 か中国はもう「デフレ要因」から「インフレ(成長)要因」へと変わりつつあるのだとい うお話をしてきましたが、今回はそれを実証するための取材です。レポートでもご紹介し た建設機械のコマツを通じて、日本経済にとって中国がいかなる存在になっているのかを 明らかにしたいと思っています。コマツいがいにも数社、日本企業を取材します。今週は 中国取材の総論をお送りし、各論は来週以降にお送りする予定です。日本経済全体の先行 きに決定的な影響をもち始めた中国経済の実態。じっくり、お読みください。 −・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・ 10年ぶりに北京を訪ねました。有能な上海人のコーディネーター兼通訳である金さん のおかげで私たちは今回は天安門広場でTVカメラを回すことができました。89年の天 安門事件いらい、この広場はマスコミにとってはタブーとなりました。事件から14年を 経たいまでも、自由な取材などまったく認められていません。勝手にカメラをまわそうも のなら、そこらじゅうにいる制服姿の公安(警察)はもちろん、雑踏にまぎれた私服警官 が飛んできて、即座に拘束されます。撮影した映像の抹消はもちろんですが、ひとつ間違 えたら逮捕されることも覚悟しなければならない場所なのです。正式に取材申請をしても めったに許可はおりませんが、幸いにして、私たちは午前9時から10時までの1時間だ け撮影を認められました。 当日、順調に取材をすすめ、カメラマンが最後にもう一度だけ押さえの映像を撮ろうと した時のことです。たまたまそこにグリーンの制服を着た公安が12人、2列縦隊で行進 をしてきました。カメラマンは天安門広場らしいひとつの景色として彼らにレンズを向け ました。するとその瞬間、最後尾にいた幹部らしき人物が凄まじい形相でカメラマンに駆 け寄ってきました。行進を止めた残りの11人の公安たちもその場で、こちらを睨みつけ ているではありませんか。 「なぜ、我々を撮るんだ」 コーディネーターの金さんが北京の外務省が発行した公式の取材許可証を見せてもまっ たく取り合おうとしません。1時間の取材時間中に、何度となく、公安に呼び止められ、 そのたびに効果を発揮してきた許可証など彼らには目に入らない様子でした。それどころ か、許可証を見せる金さんに対して「もう10時を過ぎているぞ。我々を撮っていけない ことくらいおまえ分っているだろう。こんなことをして、後でどうなるか、おまえはわか らないのか。いま、撮った映像を全部消せ」と恫喝してきたのです。公安の姿は天安門広 場では日常風景です。たしかにカメラマンが近づきすぎたとか、10時を1、2分まわっ てしまったことについては私たちに非がありますが、そこまで脅すかという高圧的な公安 の態度には、観光客でにぎわうのどかな天安門広場の裏側にある中国のもうひとつの現実 を垣間見る思いでした。 そうはいっても10年ぶりの天安門広場で感じることは多々ありました。 広場の正面には毛沢東の写真を中央に飾った天安門城楼があり、この門をくぐればその 背後には巨大な故宮博物館が延々と続きます。 『ラストエンペラー』など、中国を題材とし て映画にもたびたび登場する歴代王朝の王宮です。万里の長城と並ぶ北京観光の目玉で、 中国全土からひっきりなしに、おびただしい数の人々が、一度は北京に行ってみたいとや ってくるところなのです。果てしなく国土が広がる中国では、北京観光は形式的には国内 旅行ですが、多くの中国人は、日本人が始めて海外旅行にいったときに味わった興奮と緊 張に匹敵するものを北京で感じていると思います。天安門広場はモンゴルから来た少数民 族や田舎の農村からやってきたと思われる人たちの、嬉しくてたまらないという笑顔で満 ち溢れていました。 その姿は10年前とまったく同じでした。ただひとつだけ、大きく変わったことがあり ました。ファッションです。これだけは劇的に変わりました。ズボンのすそや上着の袖が 擦り切れ、泥だらけの布製の靴を履き、ホコリだらけの髪をしていた中国人はもうそこに はいません。日本人から見ればなんともあか抜けないファッションセンス感覚ですが、彼 らの服装はみな清潔で、きちんとした身なりになっているではありませんか。 私はつくづく思いました。 「天安門広場は生きたGDPだ」 10年の歳月は確実に中国人の生活を豊かにしました。上海や広州など沿海部と内陸部 との経済格差は年々、深刻な問題になりつつあると日本ではよくいわれます。たしかにそ の通りですが、その一方で、中国人全体の生活レベルが確実にアップしていることもまた 事実なのです。天安門広場に続々とやってくる人々のなかには、明らかにモンゴルなどに 住む少数民族とわかる人たちも大勢いましたが、みな確実に豊かになっています。その確 信は、北京から山東省に移動してさらにたしかなものとなりました。 10月28日、山東省の済南(チーナン)空港に到着したのは午後8時30分。そこか らマイクロバスで私たちは建設機械のコマツが工場をかまえる済寧(チーニー)に向かい ました。高速道路を走ること3時間。私たちの宿となった「聖地酒店」へたどり着いた時 には真夜中でした。いうまでもなく、済寧は典型的な地方都市です。外資系企業はなんと コマツただ一社。そこに今回、コマツの関連部品メーカーがコマツと合弁で工場をあらた に立ち上げましたが、これが済寧の外資系企業第2号なのです。つまり外国企業が見向き もしない交通の便の悪い、内陸部の田舎。それが済寧です。いま私はこの原稿を済南(チ ーナン)から上海へと向かう機内で書いていますが、昼間見る済寧―済南間の風景と言っ たら、これまで私が目にしたことのない灰色の原野でした。痩せた荒地が延々と続くなか、 時折、かろうじて耕作のできる段々畑が見えてくるといったもので、のどかともいえるし、 極貧ともいえるし、なんとも表現のしようのないものでした。中国の農村の原風景とでも 言ったらいいのでしょうか。 しかしそんな済寧(チーニー)にも開発の足音は確実に押し寄せていました。工業団地 に近い古い住宅街はブロック単位で新しいマンションへと次から次へと建て替えられてい ました。正直言って、天安門広場に集まってくる庶民の姿カタチや、上海人が「ど田舎」 と表現する済寧の発展ぶりは、私の想像をはるかにこえたものでした。その現実を見つめ れば見つめるほど、今回、取材をさせてもらったコマツの未来は無限の可能性を感じざる を得ませんでした。中国におけるコマツの売上はここ数年、前年比で60〜70%増とい う日本では考えられないハイペースで伸びています。主力商品である油圧ショベルは1台 1200万円と日本国内の販売価格よりも20%高い値段で売っているにもかかわらず、 生産が注文に追いつかない状態が続いています。現在は1日に25台の生産能力ですが、 近いうちに1日生産30〜35台まで生産能力を高める計画がもう進んでいます。 日本のコマツ本社は中国における急成長をできるだけクールに、現実的に受け止めよう としていますが、中国全土に及び始めた近代化の大波はそう簡単にとどまるとはとうてい 思えません。日本が昭和39年の東京オリンピックの前後から二度にわたる石油ショック でペースダウンはしたものの、基本的には20年以上、右肩上がりの経済成長をとげてき たように、多少の山谷はあるでしょうが、中国の経済成長は日本を上回る規模とペースで 向こう10年、15年は間違いなく進んでいくのではないか。そんな気がしてなりません。 (財部誠一) ※中国取材の各論は来週以降にお送りする予定です。ご期待ください!
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