在学中キャリアを意識した初年次教育

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在学中キャリアを意識した初年次教育
白
鳥
成
彦
嘉悦大学ビジネス創造学部准教授/IR推進室長
田 尻 慎 太 郎
横浜商科大学商学部専任講師/IR室長
1.初年次教育の現状
初年次教育とは大学1年生を対象に、高校までの受け身の学びから大学での主体的な学
びへの移行が円滑に行われるように内容を工夫した教育プログラムのことである。
主に「基
礎ゼミナール」
「スタートアップセミナー」
「フレッシュマンセミナー」
「入門ゼミ」といっ
た名称で行われる演習科目のことを指す場合が多いが、大学によってはそれに加えて語学
科目や情報処理科目、キャリア科目などの1年生向けの科目群としてのプログラムを構成
している場合もある。日本の初年次教育はアメリカの大学で行われているFirst-Year
Experience(FYE:初年次における経験)プログラムを手本に2000年代半ばから急速に
広まった。2013年の文部科学省の調査1では全国の大学の94%にあたる690大学で何らかの
初年次教育を実施していると回答している。
初年次教育科目で行う内容は川島(2008)をもとにすると、①ノートの取り方やレポー
トの書き方、プレゼンテーションといったスタディ・スキル系、②コミュニケーション、
時間管理や学習習慣、健康(睡眠、食生活、喫煙等)といったスチューデント・スキル系、
③履修やカリキュラムなどのオリエンテーションやガイダンス、④経済学入門といった専
門教育への導入となる基礎科目、⑤教養ゼミや総合演習など学びへの導入を目的としたも
の、⑥Office系ソフトの利用を中心とした情報リテラシー、⑦自校教育、⑧キャリア・デ
ザインなど多岐にわたる。
例えば、京都大学では全学の教員が10人程度の新入生を対象に、最先端の分野でどのよ
うな研究が行われているかなどについて扱う「ポケット・ゼミ」という科目を1年次前期
1
文部科学省高等教育局(2015)「大学における教育内容等の改革状況について(平成25年度)」
(http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/daigaku/04052801/1361916.htm)
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に開講している。現在では人文・社会科学、自然科学の様々なテーマを扱う200近い科目
が開講されており、新入生は自由に選ぶことができる。これは上述の整理では教養ゼミに
あてはまる。
一方、京都大学とは対照的な小規模私立大学である嘉悦大学(東京都小平市)では「基
礎ゼミナール2」という科目において、学園祭で模擬店の店舗経営をするというプロジェ
クト型学習(PBL: Project Based Learning)を行っていた(全国ビジネス系大学教育会議
編 2012)。高校までの模擬店とは異なり、社長、経理、広報、営業といった役割をグルー
プ内で分担し、事業計画書、予算書、決算報告書を作成して学園祭後には学年合同の授業
内で実施する事業報告会でプレゼンテーションをする。売上高や利益率、商品の魅力など
の評価指標で優秀なグループは表彰される。学期の後半ではこのミニビジネス体験を通じ
て自分自身の課題を発見した1年生は、2年次以降の履修計画と4年間の学生生活全体をイ
メージした「未来履歴書」を作成する(表1)
。
つまり京都大学では専門ゼミの入門版を通じて学生を学問の入り口に立たせることを目
指しているのに対し、嘉悦大学ではPBLを通じてビジネス・スキルの獲得に挑戦する。こ
れは大学の掲げるカリキュラム・ポリシーと学生そのものの違いによるといえる。この中
間に教科書などの共通教材を用いてスタディ・スキルとスチューデント・スキルを順々に
取り上げる初年次教育のスタイルがあり、多くの大学で採用されている。
特筆すべきは嘉悦大学の基礎ゼミナールではキャリア教育、キャリア・デザインを扱っ
ているものの、
それは卒業後の進路を考えるというよりも、
大学在学中に自分は何を学び、
何を体験するかを考えさせるものになっていることである。つまり模擬店経営で自分が担っ
表1
講義回
内
嘉悦大学「基礎ゼミナール2」のプログラム
容
講義回
内
容
第1回
イントロダクション
第8回
事業報告(プレゼンテーションの準備)
第2回
企画アイデア出し
第9回
事業報告会(プレゼンテーション大会)
第3回
企画書の作成
第10回
2年次ゼミナールの検討
第4回
事業計画書、工程表の作成
第11回
専門科目エントリー ①
第5回
収支予算書の作成
第12回
専門科目エントリー ②
(模擬店開催)
第13回
未来履歴書の更新
第6回
事業報告書、収支報告の作成
第14回
未来履修
第7回
事業報告書、収支報告の作成
(出所)全国ビジネス系大学教育会議編(2012)。
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たキャリアを土台に2〜4年次のキャリア・プランニングをした上で卒業後のキャリアにつ
なげるという三段階のキャリア観が構成されているのだ(学内キャリアとしてのSAについ
ては後述)
。
2.学力からキー・コンピテンシーへ
初年次教育の大きな流れの1つが「キー・コンピテンシー」の獲得である。これまでわ
が国の教育で重要視されてきたのは、講義スタイルの授業で得られた知識を筆記試験にお
いていかに正確に再現するかということであった。数学であれば習った解法を用いて計算
問題を解くことであり、論述問題であれば教員が講義で指摘したポイントを盛り込むこと
が良い点数をとる鍵であった。つまり高い学力=高い点数であり、それは特に大学入試に
おいて顕著であった。しかし20世紀末から急速に進展した知識情報社会においては、今日
の正解は明日の正解であるとは限らない。そこで必要となる力は正解のない問題に対して
自ら果敢に挑戦し、考えや背景が異なる他者と協働し、知識と情報のリテラシーを活用で
きることである。これがキー・コンピテンシーであり、OECDの定義によると「単なる知
識や技能だけではなく、技能や態度を含む様々な心理的・社会的なリソースを活用して、
特定の文脈の中で複雑な課題に対応することができる力」である。つまり社会の変化に応
じて、教育機関のミッションは学力を高めることからキー・コンピテンシーを身につけさ
せるところまで拡大したのである。
またバブル崩壊後の長引く景気低迷の中で従来のような社員教育に手間をかける余裕を
なくした企業は、大学が即戦力として有能な人材を輩出できていないとの不満を強く持つ
ようになった。そこで2006年に経済産業省から学生が社会に出る前に大学で身につけるべ
き能力として「前に踏み出す力」、「考え抜く力」、「チームで働く力」の3つからなる「社
会人基礎力」が提唱された。
昨今、キー・コンピテンシーや社会人基礎力などを総称して「新しい能力」と呼ぶよう
になったが、こうした能力を一方的に知識を伝達するタイプの講義型授業で養成すること
が困難であるのは明らかである。そこで注目されるようになってきたのが早い段階でキャ
リアを意識し実践する初年次教育であり、その授業方法としてのアクティブ・ラーニング
なのである。
アクティブ・ラーニングとは、学生の能動的な学習を取り入れた教授・学習法の総称で
あり、ディスカッション、プレゼンテーション、グループワーク、ディベートなどさまざ
まな方法がある。特に高次のアクティブ・ラーニングとして注目されているのが先述の
PBLである。模擬店経営のように学内で自らプロジェクトを設定するものから、学外の企
業や地域から出された現実社会における課題の解決に取り組むものまで様々である。こう
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した課題を解決するためには、学生は種々の知識や技能を身につけておく必要があること
は言うまでもない。その意味で旧来の学力や講義型授業を否定するものではない。むしろ
これまで欠けていた講義で得た知識を活用することでリテラシーを向上させ、プロジェク
トを他の学生と共同で実践することでキー・コンピテンシーそのものを身につけることが
重要なのである。
3.ScaffoldとしてのSA:在学中キャリアとしてのSA
大学全体のカリキュラムの中でキャリア教育を導入することは大学設置基準42条の2で
義務とされ2011年4月から施行されている。大学におけるキャリア教育では就職先の選定
や、業界研究、自己分析、就職準備といった卒業後のイメージをさせるものが多い。学生
は卒業後の就職先を想定しながら、自分がやってきた学修成果をまとめ、それを伝えるこ
とができるようになることが求められる。
山田(2012)は、キャリア教育は就職支援、就業能力開発支援という形式で行われてい
るものだけではなく、全学的な取り組みとして初年次教育との接点を意識したものが出て
きていることを述べている。キャリア教育を初年次教育と連携させ、嘉悦大学の基礎ゼミ
ナールのように大学1年生に未来のことをイメージさせて自分で学ぶ内容を決めていく
きっかけを作ることは重要であり、先進的な大学で採用されている。例えば実践女子大学
(2011)では自大学の卒業生と共に行う初年次教育を行っている。初年次科目の「実践入
門セミナー」においてキャリアオリエンテーションを導入し、
「実践キャリアプランニング」
という授業では卒業生による講話が行われている。また、授業内だけではなくホームカミ
ングデー等の授業外のイベントを卒業生と在学生とが共同で行うことで、学生に卒業後の
イメージを持たせるようにさせている。
実践女子大学のようにキャリアイメージの涵養を初年次から行うことは、将来就きたい
職業や身につけたい学問領域を想定してカリキュラムを理解し、履修する授業を選択する
ためには大切である。高校までの授業選択では多くの授業が学校から指定され、その授業
を履修していくかたちが多いため、大学1年生の多くはまず履修するべき授業科目に悩む
ことになる。どこの大学でもガイダンスやオリエンテーションでシラバスやカリキュラム
マップ等を用いて履修について触れてはいるが、多くの学生にとって3年後や4年後をイメー
ジして履修を決めることは難しい。むしろ必修科目以外では楽に単位がとれる科目(いわ
ゆるラクタン)
や時間割の空いている時限を埋めるように決めることが多くなってしまう。
そうしたことを防ぐために授業選択の観点からも、1年生にとっては未来の自分をイメー
ジすることがまず大切なのである。
しかしながら、従来の大学3年生の就職活動を対象にしたキャリア教育と同じことをや
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るだけでは初年次学生がキャリアイメージを持つことは難しい。大学に入学したばかりの
1年生、特に不本意入学の学生にとっては自分の現状を理解し、納得することに時間がか
かり、その先の卒業後のことまで考えることはなかなかできない。大学1年生には卒業と
いう3年後のことよりも、1年生の今の自分と繋がるイメージを描かせ、それが卒業へと繋
がるかたちでキャリアイメージを育成することを主とした初年次科目とカリキュラムが必
要となる。
初年次学生に対して、嘉悦大学ではscaffold(足場かけ)としての学生スタッフ業務を
教育プログラムの中に導入している。嘉悦大学では学生スタッフが活躍できる場は複数あ
り、授業を支援するSA(Student Assistant)、図書館スタッフ、ICT・AV機器のヘルプデ
スクスタッフ、オープンキャンパスにおける学生スタッフ等がある。特にSAは初年次学生
における在学中キャリアとして初年次教育の中で重要な位置付けになっている(図1)
。
嘉悦大学では学生の授業支援を目的として2008年からSA/TA制度を導入している。TA
(Teaching Assistant)は大学院生が主に担当し、SAは学部生が行っている。初年次の授
業に導入しているのは主にSAであり、学内の2年生、3年生を多く採用している。少し上の
先輩が授業の中で教員と一緒に初年次科目の授業を行うことで、1年生の理解はより進む。
その理由の1つにSAを授業内において教員を支援するというよりは、学生と教員の間のコ
ミュニケーションのハブとして位置付けていることがある。SAは1年生が授業が分からな
かったり困っている時に声をかけて共に悩んであげたり、一緒に教員に質問したりする。
その際に、自分が1年生の時に躓いたポイントや、その授業コンテンツの目的や目標を先
輩としての立場から伝える。
またSAは授業内だけではなく、授業外においても学生と連絡をとってサポートしていく。
つまり授業の内外で積極的に学生や教員とコミュニケーションをとることこそがSAの仕
事であり、このコミュニケーションによって初年次学生の理解を促進している。
このように先輩SAが授業に参加することは、1年生の授業理解を助けるだけではなく、
初年次のキャリアイメージ育成に大きな影響を与えている。SAが大学生活のscaffoldとな
り、自分の授業を担当した先輩SAが目指すべき身近なロールモデルとなるのだ。
嘉悦大学では自宅に近いから大学に来た、友達が行くから来た、親に言われたから来た
というように入学時のモチベーションが高くない学生が一定程度存在する。そのような学
生に対して、卒業後のことを考えて1年生のうちに「これを身につける必要がある、こう
やったらよい」と教員が教える従来のキャリア教育ではなかなか身につかない。初年次学
生にとって卒業後の自分のイメージを描くことは難しいが、しかし1年後の自分のイメー
ジをSAと比べながら描くことは比較的難しくないのである。授業で触れあうSAは同じ大
学の先輩、それも2年生、3年生であるために、初年次学生からすれば自分と同じ立場で1
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年前は同じような授業を受けていた存在であり、その学生の1年後の姿はリアルに映る。
リアルに映る先輩の姿は自分のロールモデルとなり、1年後の自分、つまり在学中キャリ
アになる。
基礎ゼミナールでは、SAが自分の大学入学からのストーリーを語る授業回もある。そう
した先輩SAのストーリーが初年次学生にとっての在学中キャリアイメージの育成に繋が
る。授業内でSAと一緒に課題に取り組んでいるときのやり取りや、また授業外で会ったと
きのプライベートの会話から、自然とキャリアイメージが伝達されることを狙っている。
SAに対しては、授業の内外で初年次学生と共に勉強することがSA業務の根幹だと位置
付けている。自分のことをより考えるために初年次学生と一緒に学ぶ。1年前のことなの
で自分が苦しんだところやいま学生が悩んでいることが自分のことのように分かるという。
例えば、あるSAは自分が初年次に大学を欠席したことを後輩に繰り返させないように言葉
をかけるし、別なSAは自分が躓いた部分を教員に伝え、授業内容の改善につなげる。先輩
SAは1年前に自分が悩んだこと、苦しんだことを後輩に繰り返させたくないという思いが
あるのだ。
さらに3年生と2年生を1名ずつのペアのSAにして授業に配置することで、大学1年生か
らすると1年後には2年生のSAのように、2年後には3年生のSAのようにと具体的にイメー
ジすることができるのだ。また2年生のSAにとってみると、パートナーの3年生SAを見る
ことで1年後にどのような形で教えるのか、1年後にどのようなことを考えているのかをよ
り具体的に触れることができる。嘉悦大学ではこの3年生SAと2年生SAを同時につけ、先
輩SAが後輩SAを指導することを「先輩後輩モデル」と名付けている。
先輩後輩モデルにおいて、2年生SAは1つ上の3年生SAから、3年生は4年生SAからスキ
図1
卒業までの在学中キャリア――ScaffoldとしてのSA
(出所)筆者作成。
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ルや経験を教えてもらうとともに、在学中キャリアをイメージさせてもらうことになる。
1つ上の学年のSAをキャリアイメージとし、就職活動や卒業後の社会生活を行うことが嘉
悦大学におけるscaffoldとしてのSAの役割なのだ。
4.ま
と
め
1年生の時点で卒業後の自身のキャリアをイメージすることは、多くの学生にとって非
常に困難なことである。そこでまずはより近い将来である2年次、3年次に自分が何を学ぶ
か、何をするのかを考えさせることが初年次教育では重要となる。特にキャリア教育とい
う観点からの初年次教育を実施するためには、正課目の積み上げであるカリキュラムだけ
でなく、正課外でどのようなキャリアを学内に用意するかが鍵となる。学年が上がるごと
に正課内外のscaffoldを準備することで、学生は学内でキャリアアップしていく。その1つ
の事例として嘉悦大学のSA制度を本稿では取り上げた。1年生は自分を指導してくれた先
輩をロールモデルとして学内でのキャリアを築いていく。これこそ教員にはできない重要
な役割である。
嘉悦大学でPBL型の初年次教育を開始した年に入学した学生が卒業するとき、1年生が
送辞で「先輩方が築いた伝統を自分達が受け継いでいく」と述べた。その「伝統」とは実
は過去数年以内に始まった正課内外の様々なプログラムのことを指していたのである。こ
のように初年次教育から始まるscaffoldを埋め込んだ教育プログラムを設計・実行すれば、
学生だけでなく大学も4年という短い期間でも変容することが可能なのである。
【参考文献】
川島啓二(2008)
「初年次教育の諸領域とその広がり」
『初年次教育学会誌』第1巻第1号, p.27.
実践女子大学(2011)
『「初年次から取組む卒業生参加型のキャリア形成・就職支援の展開」
活動報告書(2009-2011)』.
全国ビジネス系大学教育会議編(2012)『ビジネス系大学教育における初年次教育』学文
社.
山田礼子(2012)「大学の機能分化と初年次教育 : 新入生像をてがかりに(特集「大学」
の機能分化と大卒労働市場との接続)」『日本労働研究雑誌』54(12),労働政策研究・
研修機構,pp.31-43.
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