周防大島町名誉町民 星野哲郎先生 お別れ会 ~愛されていることを忘れないで~ ◇ 日 ◇ 場 ◇ 主 次 時:平成23年2月13日(日) 午後1時30分 ~3時 所:東和総合センター (開場 0時30分) 催:周防大島町・周防大島町議会・周防大島町教育委員会 第 ※進行:勝津正男(KRY アナウンサー) 1 開会(「星野先生とふるさと」VTR 上映) 2 主催者あいさつ 椎 木 巧(周防大島町長) 3 詩集「いろはにそらしど」朗読 瀬川 嘉(KRY アナウンサー) 4 お別れの言葉 二 井 関 成 (山口県知事) 柳 居 俊 学(山口県議会副議長) 木 元 清 人(友人代表) 5 作詞校歌斉唱 城山小学校児童 6 思い出を語る 小西良太郎(音楽プロデューサー) 7「星野先生のメッセージ」VTR 上映 8 親族あいさつ 9 親族・関係者 10 来場者 有 近 真 澄(長男 ・ ㈲紙の舟 代表取締役) 献花 献花 大正14年(1925年)9月30日、山口県大島郡森野村和佐(現:周防大島町 和佐)生まれ。本名、有近哲郎。 開導小学校、安下庄中学校(現:周防大島高等学校)を経て、子供のころから 憧れた高級船員を目指し、清水高等商船学校(現:東京海洋大学)に入学。昭 和21年卒業。日魯漁業(現:ニチロ)のトロール船「第6あけぼの丸」に乗船。2年 後、腎臓結核発病、昭和24年山口の日赤病院にて摘出手術。術後の経過が芳 しくなく帰郷。以後4年間、 闘病生活を送る。徐々に病状が回復してきたころに 詩や小説を書きはじめ、子供達を集めて勉強を教えたり、同人誌、文芸誌への 投稿や、家庭教師をするなどに生活の活路を見出す。 昭和27年(1952年)、雑誌『平凡』の募集歌に入選、翌昭和28年(1953年) にデビュー作「チャイナの波止場」(作曲:竹岡延幸・唄:若山彰と初代コロムビ ア・ローズ)を発表。 昭和30年(1955年)、同人誌『新歌謡界』に「むすめ巡礼」(作曲:下川博省・ 唄:鈴木三重子)を発表。昭和32年(1957年)、横浜開港100周年の歌募集で 1、2位に当選した「浜っ子マドロス」「みなと踊り」(共に作曲:船村徹・唄:美空ひ ※写真提供 星 野 哲 郎 荒牧 万佐行 ばり)を発表し、作詞家への道が開けた。同年、石本美由起氏からの電報により 上京、翌年の昭和33年(1958年)、遠縁で幼なじみの有近朱實と結婚、一男一 女に恵まれる。同年、日本コロムビアと専属契約。昭和39年(1964年)には日本クラウンの創設に参加し専属契約をす る。その後、昭和58年(1983年)にフリーとなる。生涯に創作した作品は、4,000曲を超え、数々のヒット作を世に送り 出した。日本音楽著作権協会(JASRAC)会長、日本作詩家協会(JLA)会長などを歴任。功績が称えられ、昭和 61 年(1986年)に紫綬褒章、昭和63年(1988年)に紺綬褒章、平成12年(2000年)には、勲三等瑞宝章を受章。この他 にもレコード大賞、日本放送協会放送文化賞や、第一回山口県文化特別功労賞を受賞するなど、数多くの賞を受賞し、 昭和63年には、東和町(現:周防大島町)名誉町民となる。 平成22年(2010年)11月15日午前11時47分東京都武蔵野市内の病院にて心不全のため死去。享年85歳。 同日、正五位に叙される。 城山小学校校歌(昭和31年10月校歌制定 1 みどりの風です 窓から窓へ 海のにおいを つれてくる 明るいまなびや 城山の よい子はかたく 手をくんで まなびの道を すすみます すすみます 作詞:星野哲郎 2 きぼうの空です 白木の山に はねるこだまも はつらつと たのしいまなびや 城山の よい子はいつも げんきよく こころとからだ きたえます きたえます 作曲:村尾義晴) 3 みんなが玉です あしたの空に たかくはばたく 小鳥です みらいをあずかる 城山の よい子はきよく まゆあげて どりょくをむねにちかいます ちかいます 城山小学校の校歌は、星野哲郎先生が町の依頼により作詞したわけではなく、町が昭和31年9月に 城山小学校の校歌を募集した際、応募者60人の中から入選・採用されたのが星野先生の詞でした。当 時の星野先生は、31歳で作詞家として本格的に活動する前のことであり、星野先生が作詞した校歌の 第1号でもあります。 この他にも多数の学校の校歌を作詞・監修をされていますので、一部紹介します。 ○町立開導小学校[閉校] (周防大島町和佐 作詞:星野哲郎 作曲:原 伸仁) ○町立和田小学校 (周防大島町和田 作詞:星野哲郎 作曲:山路進一) ○町立油田小学校 (周防大島町伊保田 作詞:星野哲郎 作曲:中村千里) ○町立情島小・中学校 (周防大島町伊保田 作詞:星野哲郎 作曲:サトウ進一) ○町立東和中学校 (周防大島町西方 作詞:星野哲郎 作曲:山崎正清) ○県立周防大島高等学校 (周防大島町西安下庄 監修:星野哲郎 作詞:星合節子 作曲:新井利昌) ○町立大島看護専門学校 (周防大島町家房 作詞:星野哲郎 作曲:徳久広司) ○市立徳地中学校 (山口県 山口市 作詞:星野哲郎 作曲:田村洋) ○国立七尾海員学校[閉校] (石川県 七尾市 作詞:星野哲郎 作曲:鏑木 創) ○国立弓削商船高等専門学校(愛媛県 越智郡上島町 作詞:星野哲郎 作曲:鏑木 創 編曲:小林恵子) ○国立東京海洋大学 (東京都港区・江東区 作詞:星野哲郎 作曲:鈴木 淳) ほか多数 《星野哲郎記念館について》 この建物は、周防大島に浮かぶ紙の舟をイメージしています。嵩山と白木山と瀬戸内海を結ぶ三角形 の回廊に星野哲郎の業績と島の美しい風景を展示しました。回廊に寄りそう三つの筒には映像と音楽と 作詞家のエピソードを凝縮し、星野哲郎の世界に浸っていただけます。 星野哲郎は、自らの作詞活動を自身の夢である船乗りに准え、 “浮かんでは消える紙の舟”と詠ってい ます。商船学校卒業後、夢であった遠洋船の高級船員になるものの、大病を患い島での闘病を強いられ ます。若くして夢破れたとき、心の支えとなったのは島の人々であり、美しい風景でした。 多くの詞で日本を応援してきた星野哲郎にとって、この記念館は島への恩返しなのです。入口脇に植 えた真っ直ぐな木は香椿(チャンチン)といい、苦楽を共にした亡き妻、朱實さんの碑がある内入(うち のにゅう)の山裾にあったものを移植したものです。四季折々の表情を見せる香椿は、記念館に彩りを添 えます。外からは中の様子がうかがえ、ガラス越しに見える島の風景はそれぞれが1枚の絵になるよう に配慮されています。 いつでも人がいる施設、島の人たちが気軽に来られるよう、中には周防大島町東和総合支所が併設さ れています。別棟にするのではなくあえて一つの建物にまとめました。隣接する周防大島文化交流セン ター(民俗学者 宮本常一資料展示施設)とともに島の誇りとなるよう、観光客も島の人々も一緒にな った紙の舟なのです。 星野哲郎記念館設計者(井下仁史)からのコメント抜粋 星野哲郎記念館 (℡:0820-78-0365) 開館時間 9:00~17:00(最終受付:16:30) 入館料:大人 500 円・子供 300 円 休館日:水曜日(水曜日が祝日の場合は、翌日) 団体割引有り(20 名以上)
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