北海道で漁師になろう ⑥ 北海道漁業就業支援協議会のサイト http://h-suisankai.or.jp/conference/ 私たちは 道外からやってきた です 漁業就業研修生 北海道漁業就業支援協議会 北海道漁業就業支援協議会 〒060-0003 札幌市中央区北3条西7丁目 北海道水産ビル 一般社団法人北海道水産会内 TEL 011-280-3007 FAX 011-280-3008 E-mail fi[email protected] TP.B.O 北海道の漁業に興味があるんです ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 典型的なUターンです ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 利尻富士町鬼脇 大関 宏平 さん あの ・ に被災しました だから ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 良彦 さん 森町上台町 深野 友人とともに漁師になる ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 利尻町沓形 川嶋 祐登 さん ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 猫が大好き 利尻町沓形 佐藤 夏惟 さん クラブ活動はボクシング部 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 和宏 さん 利尻町沓形 水貝 九州男子ですよろしく ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 靖信 さん 礼文町船泊村 古賀 兄貴の後を追いここにきました ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 利尻町沓形 小林 憲二 さん 全国の約 分の の生産を誇る北海道 の漁業を支える個人 経営体は、多くが専業 %、 ま た 第 種兼業漁家︵収入の %、第 種兼業漁 %未満︶が %で あ る の に 対 し て、 本 の 家︵漁業収入は全収入 が 漁家で 北海道を旅行する人は、美味しい食事をすることや農 産物、水産物の土産を買うことを旅行目的の一つにして %以上が漁業収入︶ や公演で来道するスポーツ選手や芸能人も北海道の魚介 類を使った食事を楽しみにしています。北海道は日本の 年︶日本一の水産王国 月にス 24 %を占める︵平成 % 州、四国、九州では第 種兼業漁家が 種兼業漁家が多い︵漁業の収入が多 ら と の 理 由 が 比 較 的 多 い で す が、 道 外 か ら の 希 望 者 に とっては専業と第 い?︶ということは大変魅力的に感じるようです。 年 北海道漁業就業支援協議会のホームページは平成 年 月にリニューアルし、ホームページへの訪問者は年間 万人程度に増加しました。さらに、平成 10 総漁獲量の 52 も占めます。北海道に住む漁業就業希望者は、地元だか 24 ですので、新鮮な美味しい魚介藻類を食べることができ 50 1 成 年度は約 万7000人まで増加する勢いです。こ マートフォン対応のホームページを開設したところ、平 26 北海道の漁業に 興味があるんです 1 いる人が多いそうです。とくに、魚介類は人気で、遠征 1 11 4 6 8 10 12 14 16 3 るのは当然かもしれません。 10 1 25 2 1 27 38 50 2 1 3 27 のように、ホームページの強化によりホームページ訪問 1 4 INDEX んが、人口が ではありませ が当協議会の担い手対策に関するページを閲覧している 多いだけでな 年前と比べると ・ 倍という多くの人 こ と が 分 か り ま す。 そ れ で は、 ど の よ う な 地 域︵ 市 町 く、大都市に 者が増加し、 日∼同年 は自然志向の 月 日のデータで調べてみました。すると、最も多い かもしれませ ︶。 道 内 市 で し た︵ 図 成センターが 就業者確保育 札幌市が多い ページなので 機関のホーム ろ 380 名、 は、このとこ ア東京会場に 就業支援フェ 主催する漁業 ︲ のは当然だと 次に、図︲ のデータのまとめ方を変えて札幌市、道 内︵札幌市を除く︶および道外に分けて図︲ に示しま 東京圏での漁業人気が高いことが証明されています。 場 者 が 訪 れ、 299名 の 来 思 い ま す が、 道外の東京 区がきわめて 多いのが驚き でした。大都 市のそれも首 都の多くの人 が閲覧してい る理由は定か 地はどうでしょうか。北海道漁業就業支援協議会は平成 年 した。図︲ を見て分かることは、札幌市を除く道内地 域の人はあまり閲覧していないことです。そして、ホー ム ペ ー ジ 訪 問 者 の 多 く が 道 外 と い う こ と で す。 そ れ で から漁師になるために北海道に来るということは大変な 覚悟がいるのではないでしょうか。また、道内へのフェ か、道内フェアに参加する踏ん切りがつかない人が多い アに参加するには時間と高い経費がかかります。なかな 月現在︶で、最 年度に発足以来、毎年研修生を確保・育成してきまし たが、その総数は116名︵平成 名の実績は決して少ない数で のではないでしょうか。これらのことを考慮すると、道 % 域︲が約 める結果 半数を占 となって れ、独立した漁業者になり易いという特徴があります。 現在︵平成 年 月︶、道外からやってきた研修生は 名。次ページから研修を開始した時期順に研修生を紹 各研修生の紹介で明らかにされます。 のは友達の輪の重要性です。なぜ重要なのかについては いるのかもしれません。また、今回の取材で気がついた 人が多く、このことが道外からの移住者の魅力になって 厳寒の 冬が長い を考える らの条件 地、 こ れ ると遠い 州から見 本州や九 漁師になりたいという人は、独立した漁業者を希望する 27 北 海 道、 採 介 藻 漁 業 で す。 こ の 漁 業 は 比 較 的 低 コ ス ト で 始 め ら る利尻島と礼文島に集中しています。両島の基幹漁業は 年度の研修生で道外出身者は北海道の北日本海に位置す 今回の冊子では、道外から北海道で漁師になるために や っ て き た 現 在 受 講 中 の 研 修 生 を 紹 介 し ま す。 平 成 いるのでしょう。 になれないことは漁師を目指す人たちもきっと分かって はないのかもしれません。北海道への憧れだけでは漁師 外から研修に入った人数 名 ︶、 %︵ 名 ︶、 そ し て 最 後 が 道 外 の も多いのが札幌市を除く道内地域出身で %︵ 名︶でした︵図︲ ︶。ホームページ来場者とは逆の 次に札幌市の 60 22 10 最もホームページ訪問者が少ない︲札幌市を除く道内地 ︵ 23 月 村︶の人が閲覧しているのか、平成 年 ん。全国漁業 位 は 大 阪 市、 人が多いの のは東京 位が名古屋 横浜市そして 4 は、フェア等でマッチングして研修生になった人の出身 区 で、 次 が 札 幌 市、 位は 20 1 います。 26 7 27 27 2 9 5 52 と、道外 介します。 10 3 30 2 3 26 1 27 1 3 20 2 3 7 23 10 21 26 年 月 日︲ 4 4 利尻富士 町 鬼脇 ● 大関 宏平さん 年 月 日 平成 28 と、またコンブ漁業への興味から漁業を選択しました。 ちなみに、大学は経営学科で農業や漁業とはまるで関連 がないとのことでした。 研修生になったきっかけは、平成 年 月に東京で開 催された漁業就業支援フェア︵一般社団法人全国漁業就 月に旭川市で行われた漁業就業支援 で、典型的なUターン研修生です。生まれは釧路市で、 に就いていました。しかし、彼は生まれも育ちも北海道 た。旭川のフェアで利尻漁協の漁業者と話し合い、結果 フェア︵北海道漁業就業支援協議会主催︶に参加しまし のため、北海道の厳しい気 候は承知の上で、どうして も生まれ故郷の北海道に戻 年度は していますので、期間は 年 すため、独立型の研修を受講 4 に は、﹁ 年目 年経って慣れてき 活は大変でしょう﹂との問い 関さんにとって、離島での生 た。﹁ 本 州 か ら や っ て き た 大 これまでの研修で辛かった います。 なければならない時期に来て に向けた具体的な計画を立て の最終年であり、今後の独立 間です。平成 3 3 りたいとの気持ちが大きく なりました。戻るにあたっ て、生活していくために必 須の就業については一次産 業を希望し、農業か漁業か で迷いました。最後は多く の収入が得られそうなこ こ と や 楽 し か っ た こ と は、 ま ず 漁 業 と い う 職 業 に は、 とくに漁業盛期には休みが な い こ と で す。 そ れ で も、 大関さんの中では﹁漁業と はそういうもの﹂と割り切 ることができており、この 研修は平成 年 月から始 まりました。将来独立を目指 として利尻島での漁業研修に結びつきました。 議会の勧めで翌年 支援協議会のブースを訪れたことでした。その後、当協 業者確保育成センター主催︶に参加し、北海道漁業就業 7 25 27 たのでとくに不満は感じられ ない﹂とのこと。 り、仕事で 送れてお しい生活を が多く、楽 を感じることもあるようです。ただ、まわりには良い人 動がまわりのみんなが知っているということに息苦しさ 大関さんにとって島での生活に戸惑いがあり、自分の行 時々酒を酌み交わすことがあります。村の祭りには漁協 人 と は あ ま り 付 き 合 い は あ り ま せ ん が、 漁 師 仲 間 と は で行かなければならないと感じた出来事でした。近所の 危険な職業である漁業には常に緊張感を持って取り組ん 前のところで親方に助けられたことがあったそうです。 で流され、テトラポットにぶつかりそうになった時、寸 になったと期待に胸膨らましています。不注意で船が風 和船︵ ・ ︲ ・ ㌧の主にコンブ漁業で使用︶を取 得したいと思っていたところ、中古船を取得できること ﹁退屈なときは寝ます﹂と 笑って答えてくれました。 はたくさん 青年部として出店に参画し、海岸清掃などにも参加して のことでし うれしいと 獲れたとき 辛さが漁業を辞めるという 2 います。 大関宏平さん 1 7 平 成 年 月 に 組 合 員 資 格 を 取 得 し、 独 立 に 向 け て キックオフ! 26 4 ことには繋がっていません。都会で過ごしたことが多い ペシ岬からの利尻山 が本当に 1 2 小学校から高校までは北海道帯広市で過ごしました。そ ドタウンの酒々井町に住み、成田空港で貨物関連の仕事 24 典型的なUターンです 研修期間 5 大関さんは、千葉県の中央部に位置し、成田市、佐倉 市及び東京区部への通勤率が %以上ある典型的なベッ 4 4 5 2 25 40 月 日︲ 森町上台 町 ● 深野 良彦さん 年 月 日 年 として考え、函館市で開催された平成 年 月の漁業就 2 東京育ちの深野さんにとって北海道の気温はさすがに 手 強 く、 と く に 冬 は 寒 さ が 身 に し み ま し た。 仕 事 の 時 めて出会いました。 しました。そのとき、森町から出展した現在の親方と初 業支援フェア︵北海道漁業就業支援協議会主催︶に参加 25 生態を教えるなどを行う移動式水族館を運営した経験を 研 修 は 年 以 上 過 ぎ ま し た が、 大 変 な こ と、 辛 い こ と も あ っ た よ う で す。 親 方 と 研 修 生 の 二 人 き り の 関 係 日の東日本大震災に遭遇したため、漁業の就職 寒期、船に乗ろうとして船と岸壁の間に落ちましたが、 に努めた結果、今は関係良好になっています。また、厳 を決して話し合いを行い、自分の意見を言って関係修復 は親方との気まずい関係が継続することもあります。意 の違いは意思のやりとりに支障をきたし、場合によって してくれた たときに話 て﹂といっ ら気をつけ て危険だか 作業は滑っ 船上で作業する深野さん した。言葉 語っていま になあ﹂と るといいの 人先輩がい で す。﹁ 一 もあるよう ながること いことにつ は時には辛 月 幸 い 掴 ま る も の が あ っ た の で、 下 半 身 だ け が 海 に 浸 か エピソード 2 深野良彦さん 今後については漁協や親方とよく話し合い、独立に向 けて始動! や仲間からいわれているとのことでした︵笑い︶。 ークルージング︵婚活活動︶には是非参加するよう親方 いるサンデ 協が行って したが、漁 ないようで まりしてい き合いはあ 仲間との付 近所付き 合いや漁師 です。 るにとどまったとのことでした。面談の最後に、﹁冬の 北海道の豊かな海のイメージから北海道を漁業就業の地 先として岩手県を除外して考えざるを得ませんでした。 い 始めました。大学生の時に、忘れもしないあの忌まわし 大学を卒業してからは東京で小学校の臨時教員をして いましたが、漁業への思いから漁業就業のための活動を く興味を持ちました。 漁業に興味を持つようになり、とくにホタテ養殖業に強 づりなどを行いました。このような経験から、魚介類や 持っています。また、アルバイトではホタテ養殖業の耳 校などを訪れて、これら水産生物を子供たちに見せる、 は、緊張感からかあまり寒さを感じませんが、家に戻る 平成 30 深野さんは生まれも育ちも東京。大学入学のために東 京 か ら 岩 手 へ。 水 産 系 の 大 学 で は 水 産 学 を 学 ぶ か た わ 4 と建て付けが悪いこともあり寒さに震えることもありま 28 ら、クラブ活動として生物部に入り、付き合いのある定 1 す。 5 置網の親方から手に入れた魚や貝を飼育しました。小学 27 あの ・ に被災しました だから 11 研修期間 3 11 6 7 3 森漁港 29 3 31 平成 年 月 日︲ 利尻 町 沓形 ● 川嶋 祐登さん 年 月 日 友人とともに漁師になる 研修期間 1 い?︶。 冬 の気候はあ まり変わり ま せ ん が、 言葉はかな り違うらし く、﹁ 青 森 の方言は通 じません﹂ も、情熱的な人が多い﹂としっかりフォロー?。 弘前藩の城下町として発展し、青森県の中心都市とな っている弘前市出身の川嶋さんは、現在 歳の若者。学 生からすぐに研修生になったので、社会人としての経験 スケットをはじめとしたスポーツが大好き。そんなスポ ら採介藻漁業と刺網漁業で研修に入った川嶋さんは、バ と一言。﹁で はないそうです。生まれも、育ちも弘前市の川嶋さんが ーツマンでも漁業研修は肉体的にきついと感じるそうで の漁業を知 ページで紹介︶の兄さん。この関係から、利尻島 人 前 の 漁 師 ︶ に あ り ま し た。 由 典 さ ん は 川 嶋 さ ん の 友 度 の 当 協 議 会 研 修 生 で あ っ た 小 林 由 典 さ ん︵ 現 在 は 一 うに海産物を食べられるのはうれしいし、知人にも海産 いからかな?﹂といって笑いました。また、﹁毎日のよ ひかなくなったそうです。その理由を﹁人間の密度が低 退屈?︶。利尻島に移住してきてからは、風邪をあまり す。たまの休日は体を休めているそうです︵本当は暇で 達︵ り、小林さ 物を送れるのがここで生活している良いところかな﹂と 平成 年 月には組合員資格を取得し、中古の家を買 い、親方から中古の磯舟を譲り受け、独立に向けて用意 利尻島での 漁業への就 万端です。親方との大きなトラブルもなく、研修は順調 に経過しています。でも﹁毎日が小さいトラブル﹂とい ェア︵東京 就業支援フ 漁業は単独で行いたいとしっかりした自分なりのイメー していませんが、刺網漁業は親方と共同で行い、採介藻 現代っ子気質をうまく発揮して、シュート! ジを持っています。近所付き合いや漁師との付き合いは 月か 会場︶に参 年の 4 ほどほど。 2 加し、その って笑っていました。研修修了後の独立に向けた親方と ちます。 5 の話し合いはまだ行われておらず、独立の姿ははっきり 26 平成 年 月の漁業 オタトマリ沼(利尻) 26 業を思いた んの生活を 21 話してくれました。 なぜ北海道に、そして利尻島に。その答えは、平成 年 川嶋祐登さん では過ごしやすいとのことでした︵涼しい夏はつまらな くれました。しかし、夏は利尻島の方が涼しく、その点 気候は厳しく、利尻島の冬とあまり変わらないと教えて まり感じないようです。彼の出身県である青森県の冬の ﹁寒さは変わりません﹂。北海道の、それも利尻島の冬 は厳しいという答えを想像していましたが、意外にもあ 4 8 9 20 26 聞くうちに 16 本泊漁港(利尻) 猫が大好き 研修期間 年 月 日︲ 利尻 町 沓形 ● 佐藤 夏惟さん 年 月 日 平成 3 31 年 2 月から長期実地研 26 島の漁師だ った、これ が利尻島に 移住した理 由だそうで す。今現在 業、採介藻 コンブ養殖 修に入った佐藤夏惟さんは、横浜から移住してきた都会 漁業、刺し 育ちの青年です。まだ かりした発言をする青年です。 佐藤さんは神奈川県の工業地帯として有名な川崎市 生 ま れ、 小 学 校 か ら 高 校 ま で 川 崎 市 で 暮 ら し た そ う で す。学生時代は書道部に所属し、そのためか静かに、地 ですが、フ ェアでの相 アに参加し、今の親方に出会いました。利尻島を選ぶと したとのこと。そこで、東京で開催された漁業就業フェ から加工までをやってみたいとの思いから、漁業を選択 まで工場やスーパーに勤務しましたが、一次産業の生産 こと、これは大きな楽しみになっています。都会育ちの 島に住んでからは親戚や友達に海産物を送っているとの で良いです﹂と移住の思わぬ利点を感じています。利尻 実は花粉症でしたが、﹁利尻島は︵原因︶花粉がないの ヒートアイランドの大都会から来た佐藤さんにとって は、やはり利尻島は寒く感じるそうです。佐藤さんは、 談の中でこれら漁業に興味を持ったそうです。 い う 意 識 は あ り ま せ ん で し た が、 た ま た ま 親 方 が 利 尻 ﹁言葉の違いは感じません﹂とのことで、多くの研修生 が悩む言葉では苦労していません。 研修を継続していく上で一番肝心なのは、親方との相 性です。これまで些細なトラブルはあったようですが、 大きなトラブルはなく、そのためこれまで研修は順調に 進んでいます。 生活に重要な近所付き合い、漁師仲間との 付き合いはとくに問題なく、地区の集いや祭りの出店に も参加しています。研修中、佐藤さん自らが危険な目に遭 ったことはありませんが、親方のすぐそばに八尺のロー プが切れて重い部品が落ちてきたそうです。漁師は危険 な職業だとい うことに気づ く出来事だっ たそうです。 平成 年 月には組合員 5 できているそ 独立の準備は 資格を取得し、 26 うですが、和 ﹁ところで、猫は飼っているの?﹂、﹁まだ飼っていま せん!﹂。 船が欲しいという希望はまだ叶っていません。 室内でのコンブの乾燥 コンブ養殖業に使われる和船 佐藤さんは言葉で苦労しているのではと思いましたが、 道にことを進める︵根気強い︶ところがあります。これ 網漁業など 歳と若いけれどもなかなかしっ での漁業就業フェアに参加し、同年 た佐藤夏惟さん。川嶋さんと同じく平成 研修してい 29 ﹁ 何 が 不 便 ﹂ と の 問 い に、﹁ 猫 を 飼 い た い の だ け れ ど も、動物病院がないことが不便﹂との変わった発言をし 4 る漁業種は 26 月の東京 1 4 佐藤夏惟さん 10 11 24 年 月 日︲ 7 利尻 町 沓形 ● 水貝 和宏さん 年 月 日 平成 クラブ活動はボクシング部 研修期間 29 まるように感じるそうです。でも、それは北海道という では噂がすぐに広 じないが、利尻島 の違いはあまり感 に暮らして関西と いました。利尻島 ね﹂と、にやり笑 の方が寒がりです す。﹁ 北 海 道 の 人 なかったそうで 会では楽しい人に ことなので、飲み 明るい性格だとの りの性格判断では 西人です。自分な りなく、純粋な関 いうことには変わ るものの、関西と んでいたことがあ で、少し大阪に住 れも育ちも神戸市 西出身です。生ま 修生では珍しい関 は、 今 ま で の 研 ﹁去年よりウニが獲れるようになりました﹂。研修も 年を過ぎ、技術の向上を実感している水貝和宏さん。彼 4 島に暮らし て良かった 点は、漁師 だから当然 ですが、新 鮮な海のも のをすぐに 食べられる ことだそう です。生活 なるのでしょう。高校時代にはボクシング部に所属する 硬派︵?︶。そんな水貝さんですが、意外にも心が折れ やすいとのこと、明るい性格、関西育ち、ボクシング経 験者からは想像がつきません。 今までの就業経験としては貿易会社、パン屋あるいは ゴルフ場勤務などがあります。いろいろな職種を経験し ましたが、今ひとつとの思いがあったようです。平成 年度の中辻研修生 とは友達で、彼から 漁 業 の こ と、 利 尻 島のことを聞いて 年 とのことでした。 いことが少し心配 け れ ど、 眼 科 が な 題は感じていない 環境にほとんど問 た が、 寒 さ は 問 題 間暮らして見まし 日本の北端で 年間気温の高い 関 西 か ら 移 住 し て、 です。 きると思ったそう り所得に期待がで これまでの職業よ 利 尻 島 で の 漁 業 は、 22 利尻漁協での面 談 の 後、﹁ 何 か 困 っ たことがあったら 連絡してください﹂ といってきたところ、後日、電話があり、確定申告のこ とを質問されましたので、協議会としてわかりやすく説 明しました。税金のことを質問されたのは初めてのこと であり、この一件でなかなかしっかりした青年との印象 を持ちました。 組合員資格は研修が始まってすぐに取得し、今では一 軒家を借り、磯舟も入手したので、独立に向けての準備 は順調に進んでいます。研修中、とくに辛いこと、また 親方とのトラブルもなく、今後も順調に技術向上を目指 せそうです。研修修了後は、親方とコンブ養殖を共同経 営で行う話も出ているそうです。 北海道の寒さをノックアウト! 12 13 1 7 より島ということが関係しているかもしれません。利尻 水貝和宏さん 7月の天然昆布採取 3 1 26 九州男子ですよろしく 月 日︲ 30 礼文 町 船 泊 村 ● 古賀 靖信さん 年 月 日 年 4 3 じ、これら漁業を行っている親方を選んだそうです。つ まり、礼文島を選んだら、林業ではなく漁業就業になっ たと言うことだそうです。 礼文島に暮らして寒いと思うこともありますが、基本 的に寒さより暑さが苦手なので問題なく、夏から初秋は 本当に心地よい気候で、冬の寒さもある意味楽しみにし の違いがあります。また、福岡は甘い味付けで、こちら らせたらとの思いが心の片隅にありました。そんなある たことも礼文島を好きになった理由になり、礼文島で暮 が気に入り、また島の魚介類︵特にウニ︶が美味しかっ を持っていました。礼文島は旅行で来たときにその環境 の労働は楽 船に乗って ました。漁 と言ってい 研修は︵漁師は︶朝が早く、その面では辛く感じるこ ともありますが、それにもまして労働の後の酒が楽しみ はしょっぱい﹂とあくまで食べる話でした。 時、インターネットで漁業就業フェアのことを知ったそ 年 しく、今後 うです。平成 になる決心を固めました。親方はコンブ養殖業と採介藻 漁業を行っており、養殖業には安定性、採介藻漁業には 療 施 設 に つ い て は 不 便 を 感 じ て い ま す が、 買 い 物 に つ 度、安い費用で 初期の給付金制 漁業準備経費や漁獲経費があまりかからない容易さを感 いてはネットで購入可能なので不便を感じていません。 の町営住宅の貸 古賀靖信さん けていきた いと思って います。医 礼文島澄海岬 でも、近い将来独立したいとの思いを強く持つ九州男 子! 古賀さんは、雇用型の研修を受けていることもあり、 現段階では独立に向けた計画は持っていません。 らかもしれません。 せんでした。このことは古賀さん自身も優しい人柄だか でに指導者が優しいと発言する研修生はこれまでにいま 古賀さん曰く、﹁親方は非常に優しく、トラブルは一 切ない﹂と優しいことを強調していました。これほどま 予定です。 安定が図られる 金により生活の た就業後は給付 入居が叶い、ま も新築の家への おり、古賀さん 遇措置を講じて 与など多くの優 ﹁もう少し食べるところがあれば良いのになー﹂と独身 男性がポツリと一言。 礼 文 町 で は 新 規 の 就 業 者 の た め の 施 策 を 整 え、 就 業 礼文島からの利尻島 も漁師を続 月の札幌でのフェアに参加した古賀 古賀さんはキャンピングやバイクツーリングなどのア ウトドア派で、そのためか林業や漁業の一次産業に興味 協議会としては初めてです。 ているとのことでした。北海道と福岡の違いを聞いてみ 平成 28 古賀さんの出身地は、人口 万人超の福岡県第 位の 都市である久留米市です。水貝さんのように関西出身も 研修期間 1 ると、﹁福岡の出汁はイリコやカツオ、北海道はコンブ 5 珍しいですが、九州出身の研修生は北海道漁業就業支援 27 30 さんは、礼文島の船泊漁協の漁師さんと話し合い、漁師 2 14 15 27 7 31 平成 年 月 日︲ 利尻 町 沓形 ● 小林 憲二さん 年 月 日 兄貴の後を追いここにきました 研修期間 1 30 小林憲二さん う言葉が出た るから﹂とい か ら、﹁ 稼 げ んな兄さんだ 判でした。そ スが良いと評 は漁師のセン を獲り、浜で 兄の小林さんは、新人の頃からベテランと同じ量のウニ 21 のでしょう。 オタトマリ沼からの利尻富士 こんなやりとりがあり、小林憲二さんが平成 年度の 研修生小林由典さんの弟だということが分かりました。 ﹁兄貴って?﹂ ﹁前に利尻島で研修生だった小林﹂ ﹁どうして弘前から利尻島へ?﹂との問いに、 ﹁兄貴から稼げるから島に来いといわれたので﹂ 8 小林憲二さんは生まれも育ちも弘前市。有名な弘前城 の近くから利尻島に移住してきました。漁業の町ではな い弘前市で育った小林さんが漁業に興味を持ったきっか けは、利尻島の友達︵ ページの川嶋祐登さん︶や兄か ら 漁 業 に 誘 わ れ た こ と だ そ う で す。 彼 ら か ら 漁 業、 生 活、島という環境などいろいろな話を聞いて、結果とし て利尻島での漁業に興味を持ったそうです。 利尻島の気候は弘前市と大きな違いはなく、違和感な く生活できるそうです。今まで食べたことのないババガ レイやホッケが食べられ、利尻島暮らしを楽しんでいる とのことでした。学生時代は野球部に所属し、卒業後は 鉄道関係の土木作業を行っていたので、体力には自信が あ り ま す。 室 内 作 業 よ り も 海 で の 作 業 が 大 好 き な 肉 体 派。現在は兄が入居している町営住宅に居候を決め込み ︵住居代無料︶、経済的にも助かっています。漁師として 大切な近所付き合いや漁師との付き合いも少しずつ行っ ており、だんだん新しい親しい人や仲間も増えていくこ とでしょう。 採介藻漁業を行うのに必要な磯舟も取得、組合員資格 も取得と独立に向けて少しずつ前進しています。研修を 中断してしまう大きな原因である親方との相性も問題な く、漁師になった兄がすぐ近くにいるため今後の独立に 向けたイメージもできあがっているそうです。 利尻町で兄貴をこえる! 16 17 8 27 コンブ養殖業に使われる和船
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