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「とある科学の災害目録」
まず、東日本大震災をはじめとする最近の災害により命を落とされた方々に対し謹んで哀悼
の意を表すると共に、被災された方々に対しお見舞いを申し上げます。
また、発災後の救命と救援、そして今もなお復旧のために活動されている諸機関・組織、ボラ
ンティアの方々に対して敬意を表します
さて、最初に今回この駄文を書くことになった経緯を述べておきます。
2011年3月11日に発生した東日本大震災、特にその中でも「福島第一原子力発電所
(1F)の事故」は日本国民に対し大きな「不安」と科学技術による「安全に対する不信感」
を植え付けました。
その震災後の社会の中で以前にも増して多く語られる様になった言葉が「安心・安全」です。
政治やメディア、生活の中でも注目されるキーワードとなり、
「国民の皆様の安心安全のため
に……」や「食生活の安心安全を求めて……」などの言い回しはあたりまえの様に耳に入って
きます。
この「安心・安全」の言葉に違和感を感じます。本来「安心」と「安全」は別のモノのはず
です。
「安心」はかたちに出来ない心の問題、
「安全」は事柄の問題であり計る事が出来るモノ。
これを1つにしてしまった事によって、
“歪んでしまったものがあるのではないだろうか?”
と考えます。
『
「安全」が「安心」に結びつかない』あるいは『
「安全でないのに安心だと思ってしまう(危
険を感じない)
」
』と言ったミスマッチを解消するためには何が必要なのでしょうか。
結論から言えば「正しい情報を集め、そこから科学的知識を用いて自ら結論を導くこと」に
よって「心の問題」と「存在する事柄」とを正しく結びつけることが出来るのではないかと考
えます。
(
「安心安全」について、ここではこれ以上展開しません。複雑な問題でもあり、また頭の中
にあるものを明快に言葉に出来ていないからでもあります……浅学をお詫びいたします)
最近ネットで以下のような記事が話題になりました。
まだこんな事をやっている人がいる事実に、呆れるを通り越して怒りさえ覚えます。いったい
この人たちは何をしたいんでしょうか?
市場に流通している福島産の農産物は規制をクリアし十分な安全が確保されている物ばかり
です。安全である事に目をつぶって人々の不安を掻き立てる事に意味があるとは思えません。
福島の生産者が風評被害払拭のために行っている努力を「アート」という隠れ蓑を使って貶め
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ているようにしか感じられないのです。
http://www.huffingtonpost.jp/2014/09/25/frieze-london-fukushima-soup_n_5886086.html
『福島の野菜を使ったスープのパフォーマンス、海外で話題に
10 月 15~18 日にロンドンで開催されるイギリス最大級の現代アートの祭典「フリーズ・
アート・フェア(Frieze Art Fair)」に、福島産の野菜を使ったスープがパフォーマンス
アートとして出展されることになり、海外で話題を呼んでいる。イギリスのガーディアン
紙は 9 月 25 日、
「飲むべきか」という文章ではじまる記事を掲載。イベントの主催者であ
る雑誌「フリーズ」の創設者の一人、マシュー・ストロヴァー氏による「私もまだ、その
スープを飲むかどうかは決めていない」というコメントを紹介している。
作品を出展するのは、UNITED BROTHERS という名前で活動する福島県いわき市出身
の荒川智雄さん、医(えい)さんの兄弟。
「Does This Soup Taste Ambivalent?(このス
ープ、アンビバレントな味がする?)」という作品名のパフォーマンスアートは、福島産
の野菜を使い、彼らの母親によって調理されたスープを、観客に無料で配るというものだ。
飲むか、飲まないかという感情の板挟みになるジレンマを訴えるという。
もちろん野菜は日本の機関によって安全を保証されたものを使うが、ストロヴァー氏は
「飲むことを勧めているわけではない」と話したという。
』
「アート」は「感覚」でもあります。それを通して様々な感情を引き出し人に感動や怒りを
与え物事を深く考えるきっかけを与えてくれるものです。
しかし、科学的に正しくないことを基礎にして「不安」を示唆するのであれば、それはデマ
や擬似科学の類でありけっして人を幸福にするものではないと思うのです。
1Fでの事故対応や被災地の除染作業が進む今日でも、いまだにメディアやネットでは真贋
不明・玉石混合な種々の情報が飛び交っています。
(上記の記事は石以下のものですが……)
そこで、今回は放射線と原子力災害についての基礎的な知識をまとめてみたいと思います。
それら情報に対してどのような態度をとるべきなのか、科学的にその情報はどう扱うべきな
のか、判断するための一助になれば幸いであります。
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●放射線について
意識するしない関係なく放射線は私達の周りに溢れています。
まず自然放射線について解説します
○自然放射線とは何?
原子力百科事典 ATOMICA【自然放射線(能)
】には『人間の活動に関わりなく自然界に
もともと存在する放射線の総称を「自然放射線」という。これは起源別に1.宇宙線(地球
外空間から地球大気中へ侵入する陽子などの高エネルギー放射線とこれらが地球大気と相
互作用を起こしてできた中間子などの二次粒子)と、2.岩石・土壌、建材、空気等に含ま
れる天然放射性核種からの放射線<α線(アルファ線)
、β線(ベータ線)
、γ線(ガンマ線)
>に分けられる。
』とあります。
もう少し簡単にまとめてみましょう。
自然放射線とは「自然界にもともと存在する放射線」の事で
それは、
1. 空(宇宙)から降って来る放射線 と
2.地面から湧いてくる放射線 の2種類があるという事になります。
それでは具体的にどのようなものがどれ位の放射線量を持っているのか見ていきましょう
○ざっくりと測ると1年(365日)の間に
①宇宙から 0.29(0.39)ミリシーベルト
②大地から 0.38(0.48)ミリシーベルト
③食べ物などから 0.41(0.29)ミリシーベルト
④空気中から呼吸で 0.40(1.26)ミリシーベルト
合計で約 1.5 ミリシーベルトの放射線にさらされています
※この数値は日本平均、※()内の数値は世界平均、合計約 2.4 ミリシーベルト
①は宇宙からの放射線
大気の底の地表ではおおよそ 0.29 ミリシーベルト
しかし、高度が高くなるごとに高くなり 1,500m高くなると線量は約2倍、3,000mなら
4倍、ジェット旅客機の飛行高度 10,000mの上空では地表の約 100 倍の放射線量になりま
す。また赤道よりも南極・北極に近づくほど線量は多くなります
(九州よりも北海道、海岸近くの平野部より標高の高い山岳地帯のほうが高くなります)
高度 400Km の衛星軌道を飛行する宇宙ステーション(ISS)では1日あたりの被曝量が 0.5
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~1 ミリシーベルトくらいになります(おおよそ1日で地上の半年分を被曝)ので宇宙飛行
士が生涯にわたって浴びる放射線量の上限が定められていて女性で 0,55 シーベルト~0,8
シーベルト、男性で 0.6 シーベルト~1 シーベルトとなっています。
②大地からの放射線
地面の下からの放射線が 0.38 ミリシーベルト
地面から来る放射線はその土地がどんな岩・石で出来ているか(地質)によって微妙に変わ
ります。日本国内でも花崗岩の多い地方は放射線量が高く、逆に河川の堆積物の多い平野部で
は低くなる傾向があります
具体的には中部地方や西日本では高く東日本では低くなります。滋賀県は高い地域に属し東
北地方よりおおよそ20%ほど高い放射線量となっています。
(もっとも実際の線量の差は(年
間)0.2~0.3 ミリシーベルトほどですが)
世界規模で見るとすると日本比較的線量の低い地域となっています。特に線量の高い所とし
て、インドやブラジルには年間 10 ミリシーベルトを超える線量がある地域もあります(これは
地表にトリウムやといった放射性元素が多く含まれている砂や温泉(ラジウム)があるためで
す)
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③食べ物からの放射線
食べ物で摂取するのが 0.41 ミリシーベルト
食物にも当たり前のように放射線を出す物質が含まれています
代表的な元素にカリウムがあります。カリウムは生き物にとってなくてはならない大切な
元素です、カリウムのほとんどは放射線を出さないのですがその中にはカリウム40という
放射線を出す種類が 0.0117%含まれています。
(これはカリウムの中には必ず 0.0117%のカ
リウム40が存在するということです)
比較的線量の高い(カリウムの多く含まれる)食物として知られているものにバナナ、ジ
ャガイモ、ナッツなどがあります。食品の放射線量は「食品1Kg あたり1秒でどれ位の放
射線が出るか」で表され、乾燥したものほど数値は高くなる傾向があります(乾し昆布など
は1kg あたりの放射線量は(毎秒)2,000 ベクレルにもなります。乾し昆布1kg なんか食べ
れないよう~と思いますがドラッグストアで売っていた乾し昆布(130円)が1パック1
2g でしたので単純計算で(毎秒)24ベクレルの放射線が出ている計算になります、ちなみ
に大きめのバナナ1本(150g)で(毎秒)約 16 ベクレル。シーベルトに直すと 0.1 マイクロ
シーベルトです:バナナ等価線量)
カリウムは人間にとっても必要な元素なので体の中にも常に一定量が存在し、その量は体
重60kg の場合おおよそ120g であり、その内カリウム40による放射線は(毎秒)4000
ベクレル程となり、それによる被曝線量は(年間)0.17 ミリシーベルトになります。
そのほかの物質からの放射線も含め体の中の放射線
(体内被曝)
は60kg の人でおおよそ(毎
秒)7000 ベクレルです。
食品放射線リスト
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④空気中の放射線
空気中から呼吸で 0.40 ミリシーベルト
空気中には地下から放出されたラドンというガスが含まれています
ラドンを温泉と結びつける方もいるかもしれませんが温泉地帯に限らず普通に大気中
に存在します。地下から湧いてきたラドンは地下室や床下、家の中に溜まっていきますの
で密閉性の強い高断熱住宅では隙間風の吹く安普請の住宅などよりラドン濃度は確実に
高くなります。
また、花崗岩質の地質の地域はラドン濃度が高くなる傾向がありヨーロッパでは屋内で
の数値が日本の3倍近いラドン濃度となっている地域もあります。これは地質と住宅建材
として岩石などが使用されていることが原因とされています。
(チェコでは屋内のラドン濃度が 4,000 ベクレル(1m^3)を超える場合対策を講じなけ
ればならないとなってるようですが、4,000 ベクレルの時の実効線量は 240 ミリシーベル
ト(年間)となります。
これ以下の場合は対応は不要ということ?のようですが、この基準はどう判断すればいい
んですかね?……まぁいろんな事情があるんだと思いますが……スイスでは 1,000 ベク
レルとの事)
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以上が自然放射線と呼ばれ大昔から人々はこれに囲まれながら生活を営んできました。し
かし約100年ほど前に科学の発展に伴って人工的に分離・あるいは作られた放射性物質が
出現しました。
(それ以前にもウランガラスなど自然界の放射性物質を利用した工芸品があ
ったりしますが)
○人工放射線
放射線の歴史は1895年にレントゲン(独)がエックス線を発見したことから始まります。
(レントゲンは1901年にノーベル物理学賞を受賞)
翌1986年にはベクレル(仏)がウラン鉱石から放射線が出ていることを発見し、放射性物
質の存在を明らかにしました。
1898年マリー・キュリーは夫のピエール・キュリー(波)と共にウラン鉱石からポロニウ
ムとラジウムを分離。放射性物質と共に放射能(放射線を出す性質)を見出します。
(1903年にノーベル物理学賞を受賞・ベクレルと共同受賞)
これらの発見は物理学の輝かしい成果ですが同時に放射線による危険が顕在化してきた
歴史でもあります。
放射線障害と放射線防護
レントゲンによるエックス線発見の数ヵ月後にはエックス線による急性皮膚炎の症状が
報告され、数年の内に脱毛や造血臓器の障害など現在知られている放射線障害のほとんどの
障害が知られるようになりました。
それは放射線研究者も例外ではありません。
ベクレルはキュリー夫人からガラス管に入ったベクレル塩をもらいポケットに入れて持ち
歩き、それが黄緑色の燐光を放つのを人に見せていた楽しんでいましたが、彼はラジウム塩
による潰瘍の為1908年55歳でこの世を去ることになりました。ノーベル賞の共同受賞
者であるマリー・キュリーも1934年に66歳で死亡していますが、死因は放射線障害に
よる再生不良性悪性貧血とされています。
初期の放射線被害の
トピックス
放射線による障害が拡大したのは、エックス線の利用が急速に広まった事が原因です。そ
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の頃エックス線は医療行為だけでなく「放射線を利用して脱毛を行う」といった行為も行わ
れていたようです。当時は線量の概念も無く放射線防護の考えかたも希薄で、危険性の認識
は使用する人々の経験と勘に頼っていたのです。
第1次世界大戦によりエックス線による診断治療が盛んに用いられるようになり、危険性
を危惧した英国はエックス線技術者,看護婦,一般患者の防護を目的とした X 線委員会を設置
し組織的に検討することになりました。英国のほかアメリカ、ドイツ、スウェーデン等でも
同様の組織が発足し1925年には国際的な連携のもと共通の考えに基づいて放射線防護
を考えるための会議が開かれ1928年にIXRPが設立されました。
(IXRPは後にI
CRPとなります)
エックス線と共に当時、欧米でブームとなっていた放射性物質にラジウムがあります。
キュリー夫妻によってラジウムが発見されてわずか数年後にはラジウムの工業化が行われ、
主に夜光塗料として時計などに大量に利用されはじめました。1920年代には時計の文字
盤に夜光塗料を塗る作業に従事していた女性工員に抜歯後に顔がはれたり、貧血、白血球の
減少、感染症で死亡する人が現れ、その後も骨がんなど多くの障害が発生していることが報
告されました。
これは文字盤に夜光塗料を塗る際に筆の穂先を整えるため、唇でなめながら作業を行って
いたために大量のラジウムを体内に取り込んだことが原因でした。ラジウムダイヤルペイン
ターの被害者数は数千人にも及ぶと言われ多くの犠牲者が出た歴史的な事件となりました。
エックス線と同じくラジウムの危険性も認識されていない当時、放射性物質は新しい便利
な物質として認識されていて夜光塗料などの工業製品だけでなく、健康飲料!としてのラジ
ウム水やラジウム歯磨き粉などが販売され、万病に効く特効薬として治療や薬として処方さ
れていもいたのです。
これらの事故・事件を受けて1930年代に入ると放射線防護に関する関心が高まり、I
XRPの活動をはじめとして放射線被曝の低減への努力が為されるようになり、1940年
頃より明らかな放射線被曝による障害の発生は減少していくこととなります。
放射線に対する知識が深まり危険性と利便性の間でバランスを取る間合いを見出し始め
た頃、物理学で新しい発見がなされます。
原子力エネルギーの発見
1938年ヨーロッパで核分裂現象が発見され、1939年には核分裂の連鎖反応が可能
であることが確認されました、人類は原子を操作することによって莫大なエネルギーを手に
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する可能性を見出したのです。
核分裂の持続的連鎖反応(臨界)を達成したのはそれからわずか4年後のことです。
1942年12月2日15時25分、アメリカ・イリノイ州シカゴ大学のアメリカンフット
ボール競技場のスタンド下、屋内スカッシュ・コートに極秘裏に設置された世界初の原子炉
CP-1(シカゴパイル-1)が臨界に達しました。
CP-1は42トンのウラン燃料を中性子減速材である黒鉛350トンで覆い、核分裂を
抑制するための制御棒にはカドミウム板とボロン含有鉄鋼板が用いられていました。高さ3
09cm・直径736cmの扁平球状に57段積み上げられたウランと黒鉛を支えるフレー
ムは、水車大工によって組み上げられた10×15cm各の角材でした。
世界最初の原子炉は出力200ワット、木造フレームによる空冷式黒鉛減速炉だったのです
放射線シールドは無く、出力制御用の制御棒は水平方向に手作業で引き抜き操作を行い、
核分裂の緊急停止のために原子炉上部にカドミウム塩の溶液の入ったバケツを持った作業
員が陣取り、ロープで引上げられた制御棒を炉心に落下させるためにそれを切断するための
斧を持った人員が配置されているという手作り感溢れる原子炉でもありました。
ともあれ、核分裂反応の臨界の実現と制御することが可能であることをこの原子炉は実証
しました、CP-1は3ヶ月で解体されシカゴ郊外のアルゴンヌの森に建設された研究施設
へ移転、CP-2と名付けられ運転を再開、CP-1を原型にしてプルトニウム生産用の原
子炉が3基建設されました。
1943年以降、世界は原子力災害という新しい脅威にさらされる事となったのです。
災害目録
原子炉・核物質による事故
国名
年月日
場所
概要
2011 年 3 月 11 日に発生した東北地方太平洋沖地震に
より、東京電力福島第一原子力発電所で圧力容器内の
水位が低下。炉心が高温になるも、非常用電源の故障
日本
2011 年 3 月 11 日
福島第一原子力発電所
炉心溶融・水素爆発事故
で緊急炉心冷却システムも作動せず、水蒸気爆発の可
能性が高まった。そのため、弁を開いて放射性物質を含
んだ水蒸気を大気中に放出した。この作業により、敷地
境界域で 1015 μSv/h の放射線を確認。燃料棒も一部
溶解。日本初となる原子力緊急事態宣言が発令され、
周辺半径 20km の住民には避難指示が出された
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日本
1999 年 9 月 30 日
東海村 JCO 核燃料加工
施設臨界事故
日本で 3 番目の臨界事故で、作業員 2 名が死亡。
1947 年にカナダオンタリオ州(オタワの北西 150km)
に建設された出力 4.2 万 KW の実験用原子炉 NRX の事
カナダ
1952 年 12 月 12 日
チョーク・リバー研究所事 故である。操作ミスで制御棒が引き抜かれ、1 万キュリー
故
または 370 テラベクレルの放射能を有する放射性物質
が外部に漏れた。後年、国際原子力事象評価尺度レベ
ル 5 と判定された。その後 1993 年まで稼働していた
旧ソビエト連邦ウラル地方に建設された「チェリャビ
ンスク 65」という暗号名を持つ秘密都市の、「マヤーク」
(灯台の意味)という兵器(原子爆弾)用プルトニウムを
旧ソビエト
生産するための原子炉 5 基および再処理施設を持つプ
連 邦 ・ ロ シ 1957 年 9 月 29 日 ウラル核惨事
ラントで起こった事故。プルトニウムを含む 200 万キュリ
ア
ーの放射性物質が飛散した。放射性物質の大量貯蔵に
伴う事故の危険性を知らせた事故である。原子力にお
ける冷却不能が(廃棄物であっても)爆発大事故につな
がった事故である。
ソビエト連邦下のウクライナ共和国チェルノブイリ原
発 4 号機が爆発・炎上し、多量の放射性物質が大気中
に放出されたレベル 7 の大事故。原因は諸説あるが、発
電実験中、出力が急上昇して起こったとされている。放
射性物質は気流に乗って世界規模で被曝をもたらした。
旧ソビエト
連 邦 ・ ロ シ 1986 年 4 月 26 日
ア
直接の死亡者は作業員・救助隊員の数十名だけであ
チェルノブイリ原子力発電 る。しかし、2005 年に発表された世界保健機関 (WHO)
所事故
等の複数組織による国際共同調査結果では、この事故
による直接的な死者は最終的に 9,000 人と評価された。
2000 年 4 月 26 日に行われた 14 周年追悼式典では事
故処理に従事した作業員 85 万人のうち、5 万 5,000 人が
死亡したと発表されている。この事故を契機に国際的な
原子力情報交換の重要性が認識され、世界原子力発電
事業者協会(英語版) (WANO) が結成された。
ロシア連邦トムスク州の都市セヴェルスクに旧ソ連
旧ソビエト
連 邦 ・ ロ シ 1993 年 4 月 6 日
ア
トムスク-7 での事故
時代からあるトムスク-7 再処理コンビナートにおいて、
硝酸での清掃時にタンクが爆発する事故。爆発によって
放射性ガスの雲が放出された。
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世界初の原子炉重大事故。イギリス北西部の軍事
用プルトニウムを生産するウィンズケール原子力工場
(現セラフィールド)の原子炉 2 基の炉心で黒鉛(炭素
製)減速材の過熱により火災が発生、16 時間燃え続け、
多量の放射性物質を外部に放出した。避難命令が出な
イギリス
1957 年 10 月 10 日
ウィンズケール原子炉火
災事故
かったため、地元住民は誰も避難しなかった。数十人が
その後白血病で死亡した。現在の所白血病発生率は全
国平均の 3 倍である。当時のマクミラン政権が極秘にし
ていたが、30 年後に公開された。現在でも危険な状態に
ある。2 万キュリーのヨウ素 131 が工場周辺 500 平方キ
ロメートルを汚染し、ヨードの危険性を知らせたことで有
名である。水素爆発のおそれから注水に手間取った。こ
れはスリーマイル島でも繰り返された。
カリフォルニア州ロサンゼルス市郊外約 50km のシ
ミバレーにあったナトリウム冷却原子炉の燃料棒が溶融
アメリカ合
衆国
1959 年 7 月 13 日
サンタスザーナ野外実験
所燃料棒溶融事故
した。1500-6500 キュリーのヨウ素 131 と 1300 キュリー
のセシウム 137 が環境中に放出されたとされる。1960 年
に閉鎖されその後解体された。1979 年に学生が偶然資
料を発見し公表するまで極秘であり、2011 年 8 月現在エ
ネルギー省のサイトに一切情報がない。
w:SL-1 (Stationary Low-Power Reactor Number
One) はアメリカのアイダホフォールズにあった海軍の軍
事用の試験炉である。運転出力は軍事基地のための暖
房用の熱エネルギーとして 400 kW、電気出力として 200
kW の合計 600 kW であり、設計出力は 3 MW であった。
当事者が死亡してしまったため事故の原因ははっきりと
は分かっていないが、制御棒を運転員が誤って引き抜
アメリカ合
衆国
1961 年 1 月 3 日
SL-1 事故
き、原子炉の暴走が起きたと考えられている。(作業員
の自殺との説もある)10 センチまでしか引き出してはい
けない制御棒が 50 センチも引き出されていたが、この制
御棒は引き出すときにハウジングに引っかかることが事
件前の映像からもわかっており、運転員が力まかせに
引っ張ったものと考えられている。その結果大量の水蒸
気が瞬時に発生し炉内が高圧になって炉が破壊され
た。この暴走により、13 トンの原子炉容器が 3 メートル近
く飛び上がった。事故で放出されたエネルギーは約 50
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MJ に相当し、炉内にあった約 100 万キュリーの核分裂
生成物のうち約 1 パーセントが放出されたと考えられて
いる。
エンリコ・フェルミ炉はアメリカのデトロイト郊外にあ
った高速増殖炉試験炉である。1966 年 10 月 5 日に炉心
アメリカ合
衆国
溶融を起こし閉鎖された。原子炉の炉心溶融事故が実
1966 年 10 月 5 日 エンリコ・フェルミ 1 号炉
際に発生した最初の例とされている[注釈 19]。後にこの
事故について書かれたドキュメンタリー[要文献特定詳
細情報]のタイトルには、『我々はデトロイトを失うところ
であった』と書かれた。
アメリカ・スリーマイル島原子力発電所の炉心溶融
事故。レベル 5 の事故であり、不完全な設備保全、人間
工学を重視していない制御盤配置、そして中央制御室
運転員の誤判断等が重なって発生した。当初は外部へ
アメリカ合
衆国
1979 年 3 月 28 日
スリーマイル島原子力発 放射性物質が大量に放出されたとの報道もあった。この
電所事故
事故の影響により、アメリカ政府は新規原発建設中止に
追い込まれた。アメリカではこの事故を契機にトラブルや
運転等の情報を共有する組織として米国原子力発電運
転協会(英語版) (INPO) が結成され[25][26]、その後
の原子力発電所の安全性向上に寄与することとなった。
フランス
1963 年 10 月
サン=ローラン=デ=ゾ
ー原子力発電所
燃料溶融事故
大嵐のため洪水が発生し、外部電源系が全部停止し、
フランス
1999 年 12 月 27 日 ルブレイエ原子力発電所
1,2 号機の全電源喪失が起こった。1,2号機は蒸気発
生器により炉心冷却ができ、また ESWS も復旧した。幸
い 4 号機が 30 日未明に復旧しこの事態は収まった
7 日の夜から 8 日にかけて、フランス・アヴィニョン北
部ボレーヌ市に接するトリカスタン原子力発電所におい
フランス
2008 年 7 月 7 日
トリカスタン原子力発電所 て、ウラン溶液貯蔵タンクのメンテナンス中、 タンクから
事故
ウラン溶液約 3 万リットルが溢れ出し、職員 100 人余が
被曝し、付近の河川に 74 kg のウラニウムが流れ出し
た。原発は一時閉鎖され、水道水の使用や河川への立
12
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ち入りが禁止されるなどした
スイス
1969 年 1 月 21 日
リュサン(Lucens)の研究
用ガス冷却地下原子炉
冷却材喪失事故で、炉心燃料が一部溶融、放射性物質
が洞窟内に漏れた[34]。その後地下水経由での環境中
への放射性物質流出が続いている。
ブラジルのゴイアニア市で発生した放射能汚染事
故。閉鎖された病院に放置されていた放射線療法用の
医療機器から放射線源が盗難に遭い、地元のスクラッ
プ業者によって解体された事で内部のセシウム 137 が露
ブラジル
1987 年 9 月
ゴイアニア被曝事故
出。放射性物質の危険性を認識できず蛍光物質が暗闇
で光るという特性に好奇心を持った人々が自宅に持ち
帰るなどした事で、貧民街を中心に汚染が広がった。同
年の 12 月までに 250 人が被曝し、4 人が急性放射線障
害で死亡した。翌年の 3 月までに汚染がひどかった家屋
7 軒が解体され、周辺の土壌交換などが行われた。
原子力潜水艦事故
国名
年月日
艦名・艦番号
概要
(ソ連海軍初の原潜、ホテル級原子力潜水艦、艦番号
旧ソビエト
249[要出典]) 一次冷却系の圧力低下によって生じた事
連 邦 ・ ロ シ 1961 年 7 月 4 日
K-19
ア
故である。8 名が死亡した。原因は、修理中の溶接棒の
破片が冷却回路内に入っていたための一次冷却回路の
蒸気漏れ
1968 年 3 月 8 日
1968 年 5 月
ゴルフ型潜水艦 K-129
ノヴェンバー級原子力潜
水艦
1970 年 4 月 11 日 ノベンバー級 K-8
1970 年 6 月
1981 年 8 月
ル 3 発搭載
液体金属冷却剤の硬化。9 名死亡。燃料の 20%損傷
ビスケー湾 4,700m。ノベンバー級 K-8。52 名死亡した
エコー2 型原子力潜水艦 米「トートグ」と衝突、ソ連側が沈没した。
1972 年 2 月 24 日 K-19
1979 年 7 月
ハワイ沖でゴルフ型潜水艦 K-129 が沈没した。核ミサイ
ニューファンドランド沖 1,200km で火災事故。28 名死亡し
た。
太平洋艦隊で冷却水漏れ
エコー1 型原子力潜水艦 沖縄沖でエコー1 型原子力潜水艦艦内で火災が発生し、
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9 名以上が死亡した
1983 年
チャーリー1 型原子力潜 チャーリー1 型原子力潜水艦の原子炉室に浸水し、16 名
水艦
が死亡した
ウラジオストック近郊チャジマ湾の船舶修理工場で燃料
棒交換中に、原子炉の誤操作で制御棒が抜かれ、炉心
の核反応が高まり原子炉が爆発した。10 名が即死、290
1985 年 8 月 10 日 エコー2 型 K-431
名が被曝した。500 万キュリーの放射能を持つ放射性の
塵と、200 万キュリーの放射能を持つ放射性の希ガス類
が流出し、北西 30km に渡り拡散したとされる[注釈 27]。
この事故で放出された放射能は総量で推定 26 京ベクレ
ルであった
1985 年 12 月
1986 年夏
ウラジオストック近郊
ヴィクター級原子力潜水
艦
冷却水漏れとメルトダウン事故が起きた。
メルトダウン事故が起きた可能性が疑われている。
バミューダ諸島沖でヤンキー級原子力潜水艦 K-219 で
1986 年 10 月 9 日
ヤンキー級原子力潜水艦 何らかの事故が発生し、米国沖で火災により沈没した。
K-219
この艦は核ミサイルを搭載しており、核弾頭 34 基も海中
に没した疑いがあった
1989 年 4 月
2000 年 8 月
マイク級原子力潜水艦
K-278
オスカーII 型原子力潜水
艦
ノルウェー沖 1,685m でマイク級原子力潜水艦 K-278 コ
ムソモレツで火災が発生し沈没した。40 数名が死亡し
た。核兵器 2 個が海没したとされる。
「クルスク K-141」 (18,000t) が、炉心に約 2 トンの核燃
料を搭載したままバレンツ海の 110m に沈没した。118 名
が全員死亡した。
大西洋ニューイングランド沖 2,500 m にて沈没した。原子
アメリカ
1963 年 4 月 10 日
米パーミット級原潜「スレ 炉緊急停止。1962 年 6 月の衝突事故と海面下の内部波
ッシャー」
の関与が疑われる。129 名が死亡した。後の潜水調査
で、残骸からコバルト 60 が検出されている。
米スキップジャック級原潜 大西洋 3,000 m にて沈没した。沈没原因の詳細は不明で
アメリカ
1965 年 5 月 22 日
フランス
1994 年 3 月 30 日 仏リュビ級原潜
「スコーピオン」
ある。核兵器 2 個搭載。99 名が死亡した。
トゥーロンから 80 km。蒸気爆発のため、10 名が死亡し
た。
核兵器事故
国名
年月日
場所・機種・艦名
概要
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【アメリカ】
1965/12/5
1968・5月
奄 美 諸 島 東 南 1 5 0 K m 空母タイコンデロガからA-4転落 B43核爆弾(70Kt
E.131.19.3/N.27.35.2
--1000Kt) 未回収
SNN-589 スコーピオ 大西洋にて沈没 Mk-45ASTOR(弾頭W34。11Kt)
ン
核魚雷 2 基
墜落 パロマレスB-52墜落事故 スペイン上空で空中
1966/1/17
B-52
給油に失敗し墜落
B28(1450Kt) 4 発中1発が破損 ・1発が海中に落
下
1961/3/14
カリフォルニア
B-52墜落 B39 2発 弾頭の破損なし
1964/1/13
ペンシルバニア
B-52墜落 B53 2発 弾頭の破損なし
1968/1/21
グリーンランド
1960/7/6
ニュージャージー
1964/12/5
サウスダコタ
1980/9/19
アーカンソー
1950/4/11
ニューメキシコ
B-29 核爆弾運搬中に墜落 汚染なし
1956/3/10
大西洋上
B-47 運搬中に行方不明・未発見
1967/5/27
テキサス
B-36 運搬集に墜落 汚染あり
1957/10/11
フロリダ
B-47 運搬中に墜落 汚染なし
1964/12/8
インディアナ
1958/1/31
フランス領モロッコ?
B-52墜落 B28 4発 4 発とも破損 4 ヶ月かけて
除染
ボマーク が火災 W40核弾頭が破損
ICBMミニットマンⅠ事故 サイロ内で弾頭部が落下 汚
染なし
ICBMタイタンⅡ 燃料漏れにより火災・爆発核弾頭が
サイロの外へ飛ばされる 汚染なし
B-58 タキシング中に炎上 核爆弾5発 機体周辺に
汚染あり
B-47 離陸失敗 炎上(mk-36核弾頭)
意外と多いな……と言うのが正直な感想です。
旧ソ連の原子力潜水艦の事故の多さが目を引きます。
核兵器事故はアメリカの事故だけですが、旧ソ連での原子炉事故の実績から見れば旧ソ連で
も起こっていたであろう事は想像に難くありません。
1F事故の初期、フランス・アメリカの企業が汚染水浄化に大きな役割を果たしました。
報道に接して「やけに手際がいいな」という感覚を持ったのですが結局、
「彼らには経験が
あった」という事のようです。
大気圏内核実験によるフォールアウト
また、1945年以降、特に1950~1960年代において米ソを中心に数多くの大気圏
内核実験が実施されました。
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核実験よって放出された放射性物質は世界中に拡散し南極や北極にも「死の灰」として降り
注ぎました。セシウム137の降下量はピークであった1963年6月には1ヶ月間で550
ベクレル(1平方メートル)
、1年間では1,924ベクレルにも達したのです。
1963年に部分的核実験禁止条約が調印され大気圏内での核実験が行われなくなり放射
性降下物の量は徐々に減少してきました。1986年5月のチェルノブイリ原子力発電所事故
の時は事故現場から遠かったこともあり100ベクレル程度に上昇しましたが、翌月には通常
のレベルに戻っています。
1F事故では発電所に近い地域では1963年の年間降下量の数百倍の量が降り注いだた
め高線量地域は立入禁止となり、多くの人が避難生活を余儀なくされています。しかしそれ以
外の地域に関して言えば適切な除染と経年変化により線量は確実に低下傾向にあり、安全は確
保できているともいえます。
必要なのは「正しい知識を持って適切に怖がる事」であって、闇雲に恐れることではないは
ずです。
「自然放射線と人工放射線では人に与える影響が違う」と主張する人々がいます。しかし放
射線が人体(細胞)に障害を与えるメカニズムは自然放射線でも人工放射線でも変わりはあり
ません。一言で言えば両方とも同じ化学反応です、生体にはそれを区別する仕組みはありませ
ん。注意するべきは放射性物質の体内への蓄積となります、例えば食品に関して言えば最近こ
んな記事がありました。
『リーフパイで有名な老舗洋菓子店「銀座ウエスト」が菓子に使用するバターの一部を福島産に
切り替えると告知したところ、大きな反響を呼んでいる。
公式ツイッターアカウントには一部の人たちから問題視する声が相次ぎ寄せられることとなっ
たが、その後も社としてのスタンスを表明。揺るがない姿勢が多くのファンから支持されている。
同社は 2014 年 9 月 3 日、看板商品のドライケーキ「ヴィクトリア」と生ケーキ用バタークリー
ムに使用する無塩バターの約 27%について、
9 月 1 日以降の仕入れ分から福島産原乳を使用したものに変更するとツイッター上で告知し
た。 』
『24 日には、看板商品「ヴィクトリア」1 個当たりのセシウム量を計算(原乳から精製バターに
移行する放射性物質を最大 4%、測定下限値を最大 3Bq/Kg で試算)し、「50Bq に達するには 1
日 1 個食べ続けて 513 年掛る事が判りました」と途方もない数字を叩き出した。』
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現在、市場に流通している農作物・海産物は、全て含まれる放射線量の基準をクリアした
物ばかりです。普通に食べている限り健康に影響が出ることはありません。
「安心」の根拠を「安全」に求めることが出来るように、科学という「静かな声」にも耳を
傾けていきたいものです。
2014年4月には国連科学委員会による1F事故による放射線の影響に関する報告が公
開されています。
『原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)報告書:福島での被ばくによ
るがんの増加は予想されない』
http://www.unic.or.jp/news_press/info/7775/
『ウィーン、2014 年 4 月 2 日(UN Information Service)- 本日新たに、2011 年の福
島第一原子力発電所事故が起こった後もがんの発生率は安定したレベルを保つ可能性が高
いとする国連報告が発表された。
「2011 年東日本大震災後の原子力事故による放射線被ばくのレベルとその影響」と題され
た当該報告書は、原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)により作成さ
れた。
報告では、福島原発事故の結果として生じた放射線被ばくにより、今後がんや遺伝性疾患
の発生率に識別できるような変化はなく、出生時異常の増加もないと予測している。
その一方、最も高い被ばく線量を受けた小児の集団においては、甲状腺がんのリスクが増
加する可能性が理論的にあり得ると指摘し、今後、状況を綿密に追跡し、更に評価を行っ
ていく必要があると結論付けている。甲状腺がんは低年齢の小児には稀な疾病であり、通
常そのリスクは非常に低い。
「人々が自身や自分の子どもの健康への影響を懸念するのは当然のことである」と
UNSCEAR の議長、カール=マグナス・ラルソン氏は述べ、
「しかし、本委員会は、今回
の評価に基づき、今後のがん統計に事故に伴う放射線被ばくに起因する有意な変化が生じ
るとは予想していない」との見解を示している。
これらの解析結果は、様々な集団(小児を含む)の被ばく線量の慎重な推定と放射線被ば
くを受けた後の健康影響に関する科学的知見に基づいている。
解析によれば、対象とした集団のがん発生率への影響は小さいと予想されるとし、これは
日本の当局側が事故後に講じた迅速な防護措置に拠るところが大きいとしている。
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おわりに
要素を詰め込みすぎたかもしれない……もっとシンプルにまとめた方が絶対に読みやすい
と思います。
数字や年月に関しては出来るだけ複数の資料をあたってみたつもりではありますが、物によ
って微妙に違っているものがあったりしました。
間違っているものがあれば何かの機会に指摘していただければ幸いです。
この文章を書くにあたり以下のサイト・資料を参考にしました
内閣府 食品安全委員会事務局 放射性物質と食品の安全性について
http://www.fsc.go.jp/sonota/emerg/emerg_torimatome_bunki.html
厚生労働省 食品中の放射性物質の 準値 新たな基準値について
http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/iyaku/syoku-anzen/iken/dl/120117-1-03-01.pdf
原子力百科事典 ATOMICA
http://www.rist.or.jp/atomica/
WHO 屋内ラドンハンドブック. 公衆衛生的大局観. 国際保健機関
http://www.niph.go.jp/soshiki/seikatsu/radon/WHO_radon_handbook.pdf
放射線医学総合研究所 我が国の自然放射線線量地図
http://www.nirs.go.jp/report/nirs_news/200407/hik04p.htm
独立行政法人 科学技術振興機構 [JST] X 線発見 100 周年と放射線防護の歴史
https://www.jstage.jst.go.jp/browse/jhps/30/2/_contents/-char/ja/
原発とプルトニウム
(常石 敬一 PHP サイエンス・ワールド新書)
なお、本文書は作成者個人の考え主張であり NEW HOPE CHAPEL の意思とは関係ないこ
とを申し添えます
作成者:以下のところでブログやってます(災害関係の記事はほとんどありません)
http://www.sheep-one.cocolog-nifty.com/
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