四福音書の簡単な紹介 2012 年 5 月 16 日 神学教室 金 大烈 神父 福音書はイエス様の生涯を書いた伝紀ではなく、イエス・キリストが復活された 事を証明する使徒たちと初代教会の信仰告白である。使徒たちが宣音し、クリスチ ャンの人々が信じる福音の主題は、キリストがこの世に人間の肉を取って来られ、 亡くなられたその真の理由と復活されたことに対する一貫した証書である。福音書 は、この宣言した信仰のテーマを中心にイエス様の御言葉と業績を深く黙想して記 述した本である。 マルコ、マタイ、ルカ、この三つの福音書を共観福音書と言い、その内容は同じ か似た点が多いのである。 ヨハネの福音書は共観福音書との違いがあって、第 4 福音書とも呼ばれている。 福音書の著者たちは各自の成長した背景(文化、政治の状況、性格による文体等) が異なり、そして宣教しようとする対象も異なったので、それぞれの福音書に現れ たイエス様の姿とテーマも違うように表現している。 1.マタイによる福音書 筆者と読者 徴 税 人 だ っ た が 、イ エ ス 様 の 弟 子 に な っ た マ タ イ が こ の 福 音 書 を 書 い た と 話 し て い る が 、そ れ は 確 か な こ と で は な く 、筆 者 は 、シ リ ア 地 方 の あ る 教 会 に 属 し て い る ユダヤ系のクリスチャンだと推定されている。 福音書の内容から見ると、ユダヤ人の伝統的な慣習に詳しい人物で、なかなかの 物知りであったのが分かったからである。マタイの福音書には、アラビア語の使用 や、ユダヤ人の風習についての別の説明がないのを見ると、マルコ福音書と異なっ て、ユダヤ人たちを対象に書いたのが推測出来る。これは読者が、シリア地方のユ ダヤ系のクリスチャンで、その対象であったことを意味する。 執筆場所と年代 マタイの福音音の用語や習慣などに関する記述は、パレスチナ地方のユダヤ人の 伝統的な慣習を表現しているが、この福音事はパレスチナで執筆されず、ユダヤ人 たちの多くが住んでいたシリアのある教会で執筆されたのが妥当な見解だ。執筆年 代 は エ ル サ レ ム が 陥 落 さ れ た 後 、 西 暦 80 年 か ら 90 年 の 間 だ と 考 え ら れ る 。 1 神学的特色 マタイによる福音書は、イエス様こそイスラエル民族が待っていたメシアである こ と を 、旧 約 聖 書 と ユ ダ ヤ 人 の 律 法 を 比 較 、対 照 し な が ら 証 明 し よ う と し た 。ま た 、 この福音書の内容は、イスラエル民族が招かれた救いを排斥したので、審判を受け ることになり、最終的には、異邦人が神の国を占めることになるという内容で、イ スラエルの救いと滅びがその主題である。しかし選民意識としての自分の民族に対 する愛情が隠れているのが良く見える。 2.マルコによる福音書 マルコの福音史家は福音の前置きに、洗礼者ヨハネの説教とキリストの品位と尊 厳 性 を 表 し て い る 。マ ル コ 福 音 書 は 四 福 音 書 の 中 で 一 番 最 初 に 書 か れ て い る も の で 、 共観福音書の母体となっている。イエス様の御言葉より業績を主としたこの本は、 洗練されていない文章と語彙でその仕組みが粗末に見えるが、イエス様の姿は、非 常に生き生きと描写されでいる。 筆者と読者 マルコ福音書はベトロの通訳官であるヨハネ・マルヨが記述したと見られる。新 約聖書の中にはマルコはマリアという母と一緒にエルサレムに住んで(使徒言行録 1 2: 1 2 )、パ ウ ロ の 第 一 次 の 宣 教 旅 行 の 同 伴 者 と し て 、キ プ ロ ス 島 に 一 緒 に 行 っ て 宣 教活動をした事があり、そしてパウロがエペソの牢に監禁された時に面倒をみたと いう記録がある。 マルコは、ユダヤ人の風習をよく知っており、ヘブライ語とアラビア語を使用し たことを考えると、海外の文物を身につけたユダヤ系のクリスチャンであることが 分かり、また排他的で民族主義的な考え方を超えて、異邦人と全人類の救いを主張 した人物である事が分かる。 このようにマルコは異邦人系のクリスチャンたちを擁護する立場で、福音書を執 筆したため、この福音書の多くの場所で異邦人に対する特別な関心が表れている。 執筆場所と年代 マルコ福音書の執筆年代と場所についてはいくつかの学説があって一般的に、そ の場所はローマだというのが長い間の定説だったが、現在の神学界ではパレスチナ の 近 所 だ と 考 え ら れ て い る 。執 筆 年 代 は エ ル サ レ ム 陥 落( 西 暦 7 0 年 )に 関 す る 話 が 無 い の を み る と 、 70 年 頃 に 執 筆 し た も の と 考 え ら れ る 。 2 神学的特徴 マルコ福音書が伝えるメッセージの核心は、十字架につけられ死なれたイエス様 が 其 の 神 様 の 御 子 で あ り 、キ リ ス ト で あ る と い う 1 章 1 節 の 言 葉 に よ く 現 れ て い る 。 共にマルコは神様の真の愛について語っている。 3.ルカによる福音書 ルカ福音史家は、キリストの死は、人間の罪を贖うために捧げた祭儀だと話して いる。 筆者と読者 キリスト教の歴史によると、ルカ福音書と使徒言行録はパウロの親しい仲間であ るルカが執筆したと伝えているが、現在の神学者たちはこの伝統的な学説を受け入 れていない。筆者がユダヤ人の習慣と風物をよく知らない事実から、異邦人系のク リスチャンではないかと考えている。 筆者は、キリスト教に興味を持った異邦人たち、特にギリシャ語系の異邦人を対 象として福音書を執筆したと見られる。 執筆場所と年代 ル カ は 7 0 年 に あ っ た エ ル サ レ ム の 滅 亡 を 過 去 の 事 件 と し て 記 録 し て い る の で 、こ の 福 音 書 の 執 筆 年 代 は 8 0 年 頃 だ と 考 え ら れ る 。執 筆 の 場 所 は 、パ レ ス チ ナ の 外 の あ る地域で書いたと見られる。とにかく、この福音書がパレスチナと呼ばれる狭い地 域を越えて、ギリシャとローマ、そして全世界に宣べ伝えようとした 目的で書かれたのに間違いない。 神学的特徴 ルカ福音書は、可哀そうな人々、小さくされている人々、貧しい人々、痛んでい る人々の救い主としてイエス様を紹介している。 ま た 、イ エ ス 様 は 、こ の よ う な 恵 ま れ て い な い 人 々 に 神 様 の 大 い な る 愛 を 悟 ら せ 、 メシアの業を通してご自分の愛を示された救い主であることを強調している。しか もマルコ福音書の洗練されていない書き方とは違い、ルカ福音書は、理路整然で優 雅な文章で書かれているのも一つの特徴である。 4.ヨハネによる福音書 ヨハネによる福音書史家はイエス様の神性を主に記録した。 新 約 の 聖 書 の 中 で 、 ヨ ハ ネ 福 音 書 、 ヨ ハ ネ の 手 紙 1、 2、 3、 ヨ ハ ネ の 黙 示 録 は ヨ ハ 3 ネ系の文献と言う。この 5 冊の本がこのように一つの系列に分類されたのは、この 本の著者がヨハネという名前で伝えられ、文体、用語、教義などが相互に密接な関 係があるからである。 筆者と読者 教会の伝承はヨハネ系の文献の著者を福音書に 6 回述べられた“イエスが愛され た 弟 子 で あ る ヨ ハ ネ ”だ と 考 え て き た が 、19 世 紀 か ら 聖 書 学 界 は イ エ ス 様 の 生 存 の 時代の人ではない別の人物だと思っている。共観福音書とは違い、その内容が神学 的にあまりにも進んでいるからである。この福音書も異邦人たちのための執筆であ る。 執筆場所と年代 ヨ ハ ネ 福 音 書 の 執 筆 時 期 は 西 暦 100 年 頃 と 見 ら れ る 。 そ の 理 由 は 、 ヨ ハ ネ の 福 音 書 の 中 に は 英 知 主 義 ( Gnosis) を 論 駁 す る 内 容 が 書 か れ て い る が 、 こ れ は 1 世 紀 末 をよく反映している状況だからである。執筆の場所は小アジアの都であったエペソ だと考えられる。 神学的特徴 ヨハネ福音書の主題は“命と光と愛であるキリスト”である。神様の子でありな がら人間になられたイエス・キリストは、目に見えない神様の御言葉を受け入れる 者は永遠に生きられ、信じずに拒む者は、滅亡するという教えがこの福音書の要旨 になっている。 4
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