講演 フィンランドの読解教育 ~読書=「本との対話」という視点から~

フィンランドの読解教育 ~読書=「本との対話」という視点から~
北川達夫 (日本教育大学院大学)
講演
フィンランドの読解教育のキーワードは「対話」である。読書は「本との対話」と位置づけられ,量よりも質が求められ
る。そして,「本との対話」が確実になされたかどうかは,教師と児童の対話,あるいは児童同士の対話によって確認され
る。「本との対話」から「人との対話」へ――これがフィンランドの読解教育である。徹底した現場主義の下で成立した方法
は,いわゆる PISA 型読解教育の優れた実践例として大いに参考になるだろう。
フィンランド教育の概要
フィンランド教育の全般的特徴としては,次の 3 点が挙げられ
ます。
① 教育の地方分権化
■ 義務教育卒業後の選択肢
○ 高校
○ 職業学校(職種別)
3~4 年間(無料)
2~3 年間(無料)
卒業資格認定試験
職業資格認定試験
↓
② 現場裁量の拡充
18 歳
③ 徹底した現場主義
↓
兵役 約 1 年間(男子は全員・女子は志願制)
↓
学習指導要領も大綱化したものを中央が定めますが,実行
○ 高等教育機関
↓
○ 就職
の権限は地方自治体がもっています。さらに現場裁量の拡充と
・大学(ユニバーシティ/カレッジ)
いうことで,実際に教えることは学校単位で決めることができま
・職業大学校(ポリテクニク)
す。どの教科書を使うか,どういう指導法で教えるかは先生方が
(いずれも無料)
決めます。徹底した現場主義というのは,教科書にも表れてい
ます。私が翻訳した教科書には 3 人の著者がいますが,すべて
小学校の先生です。編集担当者も編集責任者も,すべて教員
フィンランドの読解教育
経験者でなければならないという暗黙の了解があるのです。
国語教育に関しても,1970 年代から 80 年代,90 年代とずい
フィンランドの読解授業にお
ぶん変化してきたのですが,この間,諸外国の理論などを学習
いては,「対話」というのが非
し,現場の実践の中からその理論と方法を積み上げてきたのは
常に重要な概念です。ただし,
現場の先生方でした。これが,現在のフィンランドの国語教育
この「対話」は,「話し合い」と
の非常に強い特徴だといえます。
いうより は (問題解決のため
の)「相談」に近いものだとい
■ フィンランドの義務教育制度
誕生
母語を決定(フィンランド語/スウェーデン語)
↓
0~5 歳
保育園(任意/有料)
↓
6歳
就学前教育(任意/無料)
↓
7歳
童,児童同士の対話(ペア学
習・班活動)で問題の解決を
図っていきます。
また,国語教育におけるテ
キストは,問題解決の具体例を提案してくれる「相手」という認識
です。本の中では,なんらかの人生に起こりうる問題が提示され,
基礎学校(無料)
それに対する解決策が提案されているということで,ここから「生
9年間の義務教育(放課後の学童保育は有料)
きるための読解」という概念が生まれてくるわけです。
↓
16 歳
えます。教室では,教師と児
基礎学校卒業
具体例として「桃太郎」でお話ししましょう。
どんな単純な物語でもだいたい複数の問題を提示していま
す。そして,主たる問題とあまり必要でない問題がある。「桃太
郎」の話では,最初に「おじいさんとおばあさんには子どもがい
ません」とあります。これは一つの問題です。それは,「どんぶら
2年用読書カード (1枚目)
こっこ」と桃が流れてき,その中から赤ちゃんが出てきて解決し
① 主人公はだれかな?
ます。もしこれを主たる問題とすると,ここでお話が終わってしま
② 主人公が直面した問題はなにかな?
います。ですから,この問題を主たるものと認識してはいけない
③ ほかにどんな問題が起こったかな?
ということになります。
④ 主人公のほかに、どういう人が出てきた?
では何が主たる問題か。鬼です。そこで,今度は問題の分析
をします。なぜ鬼が問題なのだろう。「悪くて人間に迷惑をかけ
るから」などです。
⑤ 物語の中で好きなところはどこ?
どうして好きなのかな?
⑥ この物語を読めば答えが分かる問題を作ってみよう。
そして,これに対して解決策を模索するのです。お話の中の
解決策はご存知のとおりですが,実はこれは唯一の解決策で
はありません。例えば,鬼と話し合って平和的に共存していく道
はなかったかとか,退治するのはいいけれど宝物まで取ること
2年用読書カード (2枚目)
① 主人公はどういう人だと思う?
はなかったのではないかなど。そして最後に自分だったらどう
物語から証拠を挙げて説明しよう。
するかというところにいくわけです。学年が上がると一定の条件
② 主人公にききたいことはないかな?
を課して,これこれこういう条件だったら,どれがいちばん最善
③ 主人公に教えてあげたいことはないかな?
の解決策かを提案するというようにします。
④ 主人公はどうやって問題を解決したかな?
⑤ 自分だったら、どうやって問題を解決する?
① 問題を認識する
⑥ いろいろな解決方法を比べてみよう。
爺さん・婆さんに子どもがいないことか?鬼の存在か?
② 問題を分析する
なぜ鬼が問題なのか?
③ 解決策を模索する
本の提示する具体例:退治して,宝物を奪取
④ 最善の解決策を提案する
自分だったらどうする?
一定の条件下で最善の解決策は?
1 枚目の「⑤」は,簡単ではありますが,「評価」の練習です。
どこでもいいのですが,大事なのは好きな理由を考えさせるとこ
ろです。好きなところがないという回答でも可能です。もちろん,
なぜ好きなところがないかを言わなければなりません。
2 枚目の「①」などは,やや難しいようですが,語彙がまだ不十
分な時期の児童には語群を与えておいて選ばせています。そ
の場合,対になっている言葉を入れていきます。「勇敢と臆病」
「強いと弱い」というような。例えば「勇敢」というのを選んだとす
以上のことを「対話」と絡めると次のようになります。
ると,物語の中から勇敢な行為をしているところを述べなければ
なりません。
● 本との対話により ――
○ 問題を認識し,
○ 問題の解決策の具体例を認識し
● 人との対話により (先生・友達) ――
○ 本との対話の内容を確認し,
○ 問題の解決策について相談し,
○ 最善の解決策を見出す
学年が上がると,勇敢と臆病の両方を挙げさせて,両方とも根
拠づけるという作業をしています。どんなに勇敢な人でも臆病な
瞬間というものがあるという考え方です。対で与えられた語群の
どれを選んでも正解です。重要なのは,きちんと根拠がつけら
れることなのです。
私の提案で,フィンランドの 5 年生に「スイミー」を読んでもらい
ました。その際,フィンランドの先生が考えた問題です。「ほかの
赤い魚の兄弟たちは
このような流れで,本との対話から人との対話へという読解教
育がなされているのです。
無個性である / 個性
的である」。両方根拠
づけることができます。
フィンランドでは本を読ませるとき,次のような読書カードを渡
す方法があります。大体がペアで同じ本を読み,カードの問い
について相談します。どんな物語でも共通です。
みなさんも考えてみて
ください。
読解授業の展開
教科書を使って,前述のようなことができる基礎技能を習得し
ていきます。それは,次のように展開します。
たちは「ああ,20 人いたら 19 人泣くんだ」と,自分との共通性の
感覚を知ること。「20 人いたら 1 人ぐらい笑う子がいるんだ」とい
うのを知ること。そして笑った子は,「ああ,20 人いると 19 人は泣
くのか。だけれども,自分はそれを笑ったんだな」という,その認
識だけです。
1.読前の対話
この比較というのは,読解教育で文学をテキストにする場合,
① 内容と知識・経験とを関連付ける活動
特に初等教育では絶対に行わなければならないこととされてい
② 挿絵を「読む」
ます。
③ タイトル・挿絵・小見出しなどから内容を推測
2.読中の対話
① 内容の確認
読書奨励プロジェクト
フィンランドでも子どもが本を読まないので先生たちが困って
② 部分理解に基づく発問
います。それで,2001 年ぐらいから,次のようなプロジェクトが全
③ 考え・感性・価値観の比較
国的に導入されています。地方分権の国柄では全国規模のプ
④ 次の展開の自由な推測
ロジェクト自体が珍しく,それだけ力が入れられているといえる
3.読後の対話
でしょう。
① 内容と体験とを関連付ける活動
② 全体理解の確認(問題・解決策の認識)
③ 全体理解に基づく発問
④ 考え,感性,価値観の比較
① 課題図書の設定
学年ごと・レベル別に課題図書(3~6冊)を設定
② A 読書会型
読書会を随時開催し,所定の課題をこなす
■ 発問の区分
① 文中の一か所から答えが見つかる問い
B 個人作業型
個別に所定の課題をこなし,提出する
② 文中の複数箇所から答えが見つかる問い
③ 認定証の授与
③ 推論を要する問い(文中に答えがない)
④ 全課題図書を読了した場合,賞金授与も
④ 児童生徒の意見を求める問い
全体理解に直結した発問として「この物語から読み取れる教
訓は何か」というのがあります。これが,解釈の違いで微妙に違
ってくることがあります。先ほどお話しした「スイミー」で,日本の
「所定の課題」というのは,読解のところで紹介した読書カード
と同様です。先生がカードをチェックするなど,実際にしている
ことは,授業と同じです。
まとめ なぜフィンランドの教育なのか
子どもたちにこの発問をすると,「協力することの大切さ」などが
多いですね。ところが,フィンランドの 5 年生は 21 人中 18 人が
「集団には指導者が必要だ」と言いました。この後,会話が続き
ます。「では,スイミーというのは優れた指導者だろうか,無謀な
指導者だろうか」と。すると,「無謀な指導者」という答えが多い
のです。「外の世界は楽しいよ,なんて軽薄な理由で,全員の
命を危険にさらしたから」と。なるほど。そこで,日本の子どもた
ちはこんなふうに読むよというと,逆に彼らは「なるほど」と言うの
フィンランドで行われている読解教育は,いわゆる欧米型(PI
SA型)としては一般的なものです。しかし,次の 2 点において
参考とするに値すると考えます。
① 徹底した現場主義の下で生まれた方法なので実践に生か
しやすい。
② 非印欧言語や「沈黙の文化」という日本および日本語との
共通性がある。
です。確かにそれは大切だと。おもしろいですね。
「考え・感性・価値観の比較」というのはどのようにしているか。
例えば 6 年生の教科書に日本でも知られている「かわいそうな
象」があります。これを読んで 20 人が全員泣いたら,「ああ,み
んな泣くんだな」と,それを教えるためにします。6 年生ぐらいだ
と,たまに 1 人ぐらい冷笑する子がいます。「動物がこんなことで
きるわけない。これは作り話だよ」と。そのとき,19 人の泣いた子
もちろん,フィンランドの教育のすべてがすばらしいのではな
く,光もあれば陰もあります。それぞれの事情があるのですから,
上のような特質を理解したうえで,生かせる部分を取り入れ,日
本の国語教育をよりよいものにしていければよいのではと思っ
ています。
ご清聴ありがとうございました。