ディアコニア宣言

2016 年 9 月 22 日(各務原)、9 月 29 日(関)
志村 真
「 ディアコニア宣言 」(マタイ福音書 25:35~36、40)
1.夏休みが終わろうとしていた今月はじめ、キリスト教関連のニュースが流れました。
「マザー・
テレサ『聖人』に」という記事です。
(
『朝日新聞』9 月 5 日付け)それによると、インドのコルカタ
(カルカッタ)で貧しい人たちを救済する活動に尽くした修道女マザー・テレサ(1910~97)が 4
日、ローマ・カトリック教会で最高位の崇拝対象である『聖人』に正式に認定された」とのことです。
マザー・テレサ、これからは聖テレサと呼ばれるようになるのでしょうが、彼女について教皇フラ
ンシスコはこう述べています。
「慈しみは彼女の仕事を味付けする『塩』であり、貧しさと苦しみのあ
まり流す涙もない多くの人々の暗闇を照らす『光』だった。
」これは、福音書に記されているイエスの
言葉から来ています。
「あなたがたは地の塩である。
・・・あなたがたは世の光である。
」
(マタイ 5:
13、14)
2.マザー・テレサは 1910 年 8 月 26 日にマケドニアのスコピエで生まれました。18 歳になった
1928 年に故郷を離れ、アイルランドのロレット修道会に入会し、翌年インドに派遣されます。この修
道会は女子教育に取り組んでおり、彼女は 1947 年まで 18 年間、コルカタの聖マリア学院で地理と歴
史を教えました。1946 年 9 月、休暇のためダージリンに向かう汽車の中で「最も貧しい人々に奉仕
せよ」との神の招きを聞き、1948 年修道会を退会してスラムへと入っていきました。
シスター・テレサはインドのサリーを着て、最初はホームレスの子どもたちのための路上授業から
活動を始めました。1950 年にはローマ教皇庁の許可を得て、
「神の愛の宣教者会(Missionaries of
Charity)
」を設立します。同会の目的は「飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の
人、必要とされることのないすべての人、愛されていない人、誰からも世話されない人のために働く」
ことです。これは先ほど読みましたマタイによる福音書 25 章のイエスの言葉から来ており、キリス
ト教、特に福祉の世界では「ディアコニア宣言」と呼ばれている箇所です。
「ディアコニア」とは元来
はギリシア語で「奉仕」とか「福祉」を意味する言葉です。
さて、マザーは 1952 年に、廃寺となっていたヒンドゥー教のカーリー寺院を譲り受けて「カリガ
ート(死を待つ人々の家)
」
(現在は「心の清い人の家」
)を開設します。それは路上で行き倒れた人々
-1-
に声をかけ、施設にお連れして世話をし看取るという取り組みで、今日も続けられています。
(施設に
迎え入れられたすべての人がそこで亡くなるわけではありません。約半数が回復して退所するとのこ
とです。
)
マザー・テレサは 1997 年 9 月 5 日にコルカタで亡くなられました。1979 年にノーベル平和賞を受
賞したことはご存知の通りです。彼女には 2003 年、ローマ・カトリック教会でその徳と聖性を認めら
れた者に与えられる「福者(Beatus)
」の称号が与えられました。そしてこの 9 月、彼女の逝去日の
一日前に「聖人(Saint)
」に列せられたのです。ですから、これからは「マザー」テレサではなく、
「聖」テレサと呼ばれるようになるでしょう。しかしながら、私を含めて多くの人々はずっと「マザ
ー・テレサ」と呼び続けるかも知れませんね。
3.ところで、先ほどの新聞記事によれば、マザーのもとでボランティアとして 30 年にわたり働
いたスニタ・クマールさんは、最初「死を待つ人の家」での活動をためらっていました。恐れがあっ
たのです。そこでマザーは「患者さんたちに幸せを与えなさい。患者さんを見たら、ほほえみなさい。
必ずほほえみ返してくれる」と助言し、クマールさんがそうしたところ恐れは消えて活動に入ること
ができたということです。
実はクマールさんはキリスト教徒ではありません。そのことについて彼女はこう述べています。
「私
はシーク教徒だが、マザーが私に改宗を求めたことはない。
『それぞれの方法で神に祈りましょう』と
言うだけ。宗教の枠なんて超えていた」と。
マザー・テレサの活動については、残念ながら、貧しい人々をキリスト教に改宗させる目的で行わ
れているものだとの批判がありました。今もあります。つまり、人が弱っているところに付け込んで
改宗させている、との批判です。けれども、その批判は当たらないと思います。
これは授業などでも紹介していることですが、
マザー・テレサはキリスト教以外の諸宗教について、
はっきりとした考え方を持っておられました。私はそのことに多くを学びます。彼女のインタビュー
をまとめた DVD『マザー・テレサの遺言(Das Testament der Mutter Teresa)
』
(女子パウロ会、2007
年)によれば、
「病気の人をさがしに出かけるシスターやブラザーたちに二つのきまりがある」とのこ
とです。そのきまりとは、
「病気の人を見つけたときには、まず名前を聞く。次に宗教を聞くこと。そ
れは亡くなったとき、その人の宗教に従って葬儀を行うためだ。たとえば、ヒンドゥー教徒の場合に
は、その魂が輪廻の輪の中に入って、また戻れるようにと亡骸はたきぎで燃やされる。
」つまり、マザ
ーの施設では亡くなった人はその方の宗教に則って丁寧に葬りがなされるのです。キリスト教の施設
だからと言って、キリスト教式にすべてが執り行われるのではありません。一人一人の尊厳を守るた
めには、その人の信じていた宗教を尊重しなければならない。それがマザ-・テレサの考え方でした。
彼女は別のところで次のようにも述べておられます。
「わたしは、
すべての宗教を尊敬していますが、
わたしは自分自身の宗教を愛します。人々が、わたしたちの愛の行いによって、よりよいヒンドゥー
教徒、よりよいイスラム教徒、よりよい仏教徒になるのならば、そこには何かが育ちつつあるのです。
彼らは神に、よりいっそう近づいているのです。
」
(
『マザー・テレサ 日々のことば』
(いなますみか
こ訳、女子パウロ会、2009 年、134 ページ)
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4.最後に、先ほどの DVD のインタビューでは、マザーは「あなたの霊的遺言は何ですか」
「死後
どんなメッセージを残したいですか」と問われ、例のしゃがれ声で次のように答えておられます。ま
さに間髪いれぬ即答です。
「Love one another, as Jesus loves each one of you. In the community and
…That’s the one He left, know? (互いに愛し合いなさい。イエスがあなたたちを愛しているように。
共同体でもどこでも。これは彼が残した言葉です。
)
」テレサにとって他者を愛することは、その人の
生き方に即して受容し、尊敬の心をもって接することでした。彼女はキリストの愛をもってそのこと
をなさいましたが、それは人間に普遍的なことではないでしょうか。
掲載元:中部学院大学・中部学院大学短期大学部_チャペルアワー
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