福祉国家形成の過程としての国家帰属化と包摂 法政大学 久世律子 本報告では、福祉国家の特徴として、経済的な給付による再配分と、諸規制による国民への介 入の両者が指摘されながらも、それぞれが市民的権利の拡大と、抑圧性や管理性の増加の文脈を ともなって別々に語られていることを踏まえたうえで、日本の 1930 年代から終戦までの大規模 な経済的給付と身体への介入が同時並行的に進行したことを、福祉国家の形成プロセスとして理 解することを試みる。その際、給付と規制の両側面での展開をマンの国民国家形成の議論におけ る、福祉国家的な体制成立の過程での国家帰属化の進行として、権利の拡大と抑圧性・管理性と いう側面は、ルーマンの包摂概念を用いて福祉国家における生活実践におけるチャンスと依存の 増加として捉えることを試みる。 日本における国家による国民の経済生活・身体の展開について、鐘家新は『日本型福祉国家の 形成と「十五年戦争」』 (1998)において社会保険制度の整備を中心に、藤野豊は『厚生省の誕生 ――医療はファシズムをいかに推進したか』(2003)において保健医療政策を中心に、冨江直子 は『救貧の中の日本近代』(2007)において救貧制度を中心に論じている。三者の論考はそれぞ れに視点や強調点は異なるものの、日本における国家による国民の経済生活と身体への関与が、 1930 年代からの総力戦体制期に全面化したと見ている点で共通している。それは一方で保障であ り保護であり、貧困と病苦という素朴で深い人々の苦しみに、国家が関心と配慮を向けることと なった。そして他方で、それは人々の身体が軍事体制における国家の資源(したがって、軍事的 な要請によって消耗され、そして再生産される)とされ、資源たることを義務づけられた過程で もあった。 マイケル・マンは、大著『ソーシャルパワー:社会的な<力>の世界歴史』の中で、19 世紀後 半の国民国家の形成・強化の一つとして示された、民政管掌範囲の拡大に関する議論を行なって いる。イデオロギー的、経済的、軍事的、政治的な力という諸力の意図されざるネットワークに よって、いかに国家がより社会生活のなかに浸透し(=インフラストラクチュア的権力が増し)、 人々は「国民」へとケイジングされ、社会生活がいっそう「国家帰属化(=自然化)naturalization」 されたのかということについて説明している。 マンの民政管掌範囲の拡大と「国家帰属化」の議論を、鐘、藤野、冨江らの研究を通じて日本 について考えると、「国民」の身体・生活への関心と国家帰属化、およびセクショナルでセグメ ンタルな給付の一般化が十五年戦争の期間で一気に進行したと考えられる。 ニクラス・ルーマンは、 『福祉国家における政治理論』(1981=2007)において、福祉国家を政 治的な包摂の実現と位置づけている。ここでの包摂とは、社会の中で分化した諸機能システムの 作用への全国民の編入であり、諸人格がそうした作用へ参入すること、個人の生活実践がそうし た作用に依存することである。ルーマンの包摂概念からは、給付・再配分を行なう国家の文脈の もつ権利と関連づけられた側面と、規制・介入を行なう国家の抑圧や管理と結び付けられた側面 の双方を同時に扱うのに適している。十五年戦争期の日本は、政治的包摂が大規模に展開した時 期と位置づけることができよう。
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