社会人と司法試験

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社会人と司法試験
何 か が 足 り な い …… そ の 気 持 ち
1989 年 4 月、大学を卒業したぼくはフランスの銀行に就職
しました。
大学生の頃とりたてて優秀な学生でなかったぼくは、日本の
ちゃんとした会社に入るのは無理だろうなと思っていました。
当時は景気が上向きで今よりも就職状況はずっと良かったので
すが、それでも、決して有名とは言えない大学の仏文科の学生
を喜んで採用する日本の企業はそれほどありませんでした。
でも、フランスの会社ならなんとかなるかもしれない。
そんなふうに考えてぼくは(ある意味、消去法的に)
、フラン
スの会社に就職しようと考えました。
ぼくは、当時赤坂にあったフランス商工会議所の東京支部に
行って日本にあるフランス企業の一覧表をもらい、順番に手紙
を書くことにしました。
ファッション関係の会社、航空会社、政府系の非営利団体。
フランスの会社ならとりあえずどこでもいいや、という感覚で
した。
70 通あまり手紙を出すと 20 社くらいから返事が来ましたが、
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その約半数の会社は新卒は採用していないとのことでした。
残った 10 社くらいの中に 3 つか 4 つくらい銀行が含まれて
いて、面接に行くと運良くそのうちのひとつの銀行から内定を
もらうことができました。
そんなふうにして、ぼくはフランスの銀行に就職したのです。
銀行に入るとなぜか最初からディーラーをやることになり、
やっているうちにディーラーという仕事に没頭するようになりま
した。実際にやるまではまるで気付いていなかったのですが、デ
ィーラーという仕事は自分に向いているようでした。金融自由
化の波に乗って金融界が活気づいている時代でもありました。
ディーラーとしての可能性を広げるためにドイツ銀行に転職
し、その後チェースマンハッタン銀行に移りました。会社を変
わるたびに給料が増え、責任も大きくなっていきました。
そして、ぼくが担当していた金利オプションのマーケットで
は、いつのまにか自分が一番古株になってしまっていました。
仕事には何の不満もありませんでした。
働き始めて 7 年あまりが過ぎようとしていました。
でも、何かが足りない。
このまま続ければ会社内でもそれなりのポジションについて、
余裕のある生活を送れるという見通しもありました。そして、
それはそれで魅力的な将来でした。
しかし、このまま続けていくと自分は一体どうなるのだろう、
という漠然とした不安も同時にありました。なんだか自分が考
えていたのとはまったく違う方向に進んできたみたいで、気持
ち悪い感じもしました。
ディーラーをやり続けることに、どんな意味があるのか?
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あるいは、アメリカの大企業で働き続けることにどんな意味
があるのか?
それは、自分が本当に望んでいる生活なのか?
どうすればいいのかはわかりませんでしたが、
「どうにかでき
たらな」という気持ちはどこかにくすぶっていました。
社会の変化以上のスピードで自分も変われる
ぼくが、どうにかできたらなと思っていたのには他にも理由が
ありました。
ぼくは、最初の銀行に就職した時、10 年間金融の仕事をやっ
たら違うことをやろうと漠然と考えていたのです。
もともと金融に興味があって銀行に就職したわけではなかっ
たし、1 つの仕事を一生かけてやるような時代ではないとも思っ
ていました。ですから転職にも全く抵抗がなかったし、むしろ
積極的に会社を変わることのほうが重要であると考えていまし
た。
幸い今の時代は(その気さえあれば)
、1 つの人生で複数の可
能性にチャレンジすることができるようにできています。
これは、後に憲法で職業選択の自由(憲法 22 条 1 項)を勉
強した時にあらためて感じたことですが、職業選択の自由が認
められていなかった時代にあっては、人は生まれた瞬間にその
職業的人生を決められていました。
また、たとえ職業選択の自由が保障されていたとしても、職
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業や身分を変えることは実際には不可能でした。
しかし、最近(特にここ 20 年くらい)は社会の変化のスピー
ドが速くなって、変化についていくのも大変ですが、自分が変
化できる可能性もぐっと拡がってきたような気がします。
むしろ、変化すること自体に価値が見出される時代になって
きているともいえます。
もちろん、1 つの仕事を全うしてその世界で実績や地位を築
くのも素晴らしいことです。
しかし、せっかくいろんなチャンスがあるのにそれを生かさな
いのは本当にもったいないことだと、ぼくは考えるようになりま
した。
そこ(渋谷)に司法試験があったから
そんなふうに漠然と考えていた 1996 年の年末のある日、ぼ
くは正月休みに読む本を探すために渋谷の東急プラザにある紀
伊國屋書店に行きました。
本といえば、外国の小説ばかり読んでいたぼくは、その日も
迷わず外国文学のコーナーに向かいました。
ところが、いつもの本棚に外国の小説が並んでいない。その
代わり、目の前には法律関係の本がぎっしりと並んでいました。
「なんだ、売り場が変わったのか」と思い、その場を立ち去ろ
うとしましたが、立ち去る前に何気なく平積みになっている本
を 1 冊取り上げました。
今思えば、これがぼくにとって運命の瞬間であったわけです
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が、その時はもちろんそれを知る由もありません。
手に取った本は、
『択一式受験六法 憲法編』という司法試験
の参考書でした。
ぱらぱらとページを繰ると、条文が書いてあってその説明が
ありました。
中学校の社会の教科書で見たような気がする条文もありまし
たが、まるで見たこともない条文もありました。
いくつかランダムに読んでみると、なんとなくわかるところも
ありましたが、さっぱり意味がわからないところも多々ありまし
た。
「こりゃ、一体なんだ?」
というのが、その時の率直な感想でした。
しかし、わからないなりにおもしろい。
しばらく立ち読みをしていましたが、もう少しじっくりと読ん
でみたくなって結局その本を買ってしまいました。
正月休みに、3 日くらいかけてその本を読みました。
やはりわからないことばかりでしたが、その時感じたことが 1
つありました。
「法律というのはおもしろいものだ」
それは、今までしたことのない思考方法をぼくに要求しまし
た。そして、その要求にしたがって考えを進めていくことは、自
分にとってまさに新しい世界の発見でした。
「年末の渋谷でのピエールと司法試験の出合い」
なんだかシュールレアリストの詩の一節みたいですが、それは
ぼくにとってとてもリアルな出合いだったのです。
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それから、法律関係の本を続けて何冊か買い、本格的に勉強
したいと思うようになりました。
そして、どうせやるなら司法試験を受けてみよう。
大胆にも、ぼくはそんなことを考えるようになったのです。
社会人だからこそ司法試験
司法試験を受けて、そして実際に合格してみてぼくが感じる
ことは、ぼくの場合、学生の時に受けていたら絶対に受からな
かっただろうなということです。
そして、社会人であったからこそ司法試験を受ける気になっ
たし、実際に合格することができたのだということです。
ぼくは、学生の時に司法試験を受けようと思ったことは一度
もありませんでした。
ぼくが通っていた大学にはそもそも法学部がなかったし、司
法試験合格者の出身大学に名前を連ねるような大学でもありま
せんでした。
法務省は毎年大学別の出願者数と合格者数を公表しています
が、平成 9 年度におけるぼくの大学出身の出願者は 0 人、平成
10 年度と 11 年度は出願者が 1 人で合格者が 0 人、平成 12 年
度は出願者が 1 人で合格者が 1 人です。
この「1 人」というのがつまりはぼくのことで、笑い話みたい
ですが、ぼくの大学の出身者の中で当時、司法試験を受けよう
と思っていた人間はぼくだけだったわけです。
大学生の時にはまるで考えもしなかった司法試験を、なぜ受
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ける気になったのか。最初のきっかけはさっきも書いたように渋
谷の本屋での立ち読みですが、その後、法律関係の本を読んで
いくうちにこれはもう司法試験を受けるしかないなと真剣に考
えるようになりました。
ひとつには、学生の時には全く意識せずにいた法律というも
のが、社会人であったからこそ非常にリアルに感じられたこと
にありました。
社会人であれば、たとえごく普通にサラリーマンとして働い
ているだけでも様々なところで法律というものを意識する場面
に遭遇します。
転職の時、税金を納める時、仕事で取引先と契約を交わす時。
ぼくが本を読んで法律に興味を覚えたのも、社会人として
様々な場面で法律を意識しながら(あるいは無意識的に法律と
いうものを感じながら)生活していたからなのだと思います。
また、ちょうどこの頃ぼくは個人的にもある問題を抱えてい
ました。
当時結婚していたぼくは、家内との関係が修復不能な状態に
まで悪化してしまって、自分の力ではどうしようもできない状
況になっていました。
そして、生まれて初めて弁護士という人種に接し、裁判とい
うものを経験しました。
その時感じたことは、法曹界というのは本当に閉鎖的な(ギ
ルド的な)社会だなということでした。当事者を離れたところ
で、弁護士同士が、あるいは弁護士と裁判所が事件を勝手に片
付けていくような気がしました。
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司法試験に合格して司法修習を経験した今、決して当事者を
無視して事件が解決されるわけではないことはわかりましたが、
少なくともそのような印象を与えてしまう世界であることには
変わりないと思います。
それは、ぼくがそれまで関わってきた世界とはまるで違う世
界だったし、その世界では自分が本当に無力であることを感じ
ました。
法律というものの限界についても、考えさせられました。
訴訟は一応の解決を見たわけですが、終わってみてもまるで
何も解決されていないような感じさえしました。注文した料理
とはぜんぜん違う料理を出されて、
「まあいいから食べてくださ
いよ」と言われたような感じでした。
・問題の真の解決というのはどういうことなのか?
・法律というものは何を解決し、何を解決できないのか?
・弁護士あるいは裁判所というものは、自分にとってどのよう
な存在なのか?
訴訟という制度は、ぼくにあらためて疑問を投げかけました。
ぼくと同じような経験をした人でなくても、社会人の人であ
れば法律について考えさせられる場面に出くわすことがたくさ
んあるのではないかと思います。
・例えば、会社内での様々な紛争の渦中に身を置いた場合。
・例えば、相続の争いに直面した場合。
・例えば、自分や家族が交通事故に巻き込まれた場合。
そのような法律に対するリアルな感覚は、社会人という立場
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でしか感じることのできないものなのではないかと思います。そ
ういった意味において、法律というのは大人の学問なのです。
社会人であったからこそ司法試験を受ける気になった。そん
なぼくの気持ちがおわかりいただけるのではないかと思います。
社会人であることはハンデキャップではない
こうしてぼくは司法試験を受けてみようと思うようになった
のですが、司法試験関係の本を読んで情報を収集するうちに、
司法試験の勉強をすることが社会人にとってどれほど大変なも
のであるかということも少しずつわかってきました。
そして、ぼくが読んだ司法試験関係の本の中には、一種の悲
壮感を漂わせているものもありました。
「ずいぶん暗い世界だな」
正直言って、そう思いました。
しかし、本当にそんなに大変な世界なのだろうか。最初から
苦節何年というような覚悟を決めて取りかからなければいけな
いものなのだろうか。
確かに司法試験の合格率は 3 %前後。当時の合格者は 1000
人足らず。
しかし、ぼくのやっていた日本円の金利オプションのマーケ
ットには一線で活躍しているディーラーが世界で 20 人くらいし
かいませんでした。しかも、そのほとんどのディーラーはいつの
間にかマーケットから消え、何年も続けて一線に留まっていら
れるのはせいぜい 5 人くらいです。
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司法試験に受かるより、ディーラーになるほうがよっぽど難
しいはずじゃないか。今から思えばわけのわからない論理です
が、当時ぼくはそんなふうに考えました。
それから、合格体験記を読むとほとんどの人が、司法試験を
大学入試の延長線上で考えていることもわかりました。
もちろん、これは多くの受験生にとっては正しい思考の方法
だと思います。
しかし、社会人であるぼくには、他にも自分なりに合理的な
勉強方法を考えるヒントがたくさんあるような気がしました。
自分は、社会人として生きてきて、なぜこれまでうまくやっ
てこれたのか。それは決して受験の技術ではなかったし、単に
勉強ができるかできないかのレベルの話ではなかった。
司法試験は法曹になるための就職試験である。そこでは、仕
事のできる人間が採用されるはずである。だとすれば、社会人
としてのぼくの経験はハンデキャップではなく、アドバンテージ
になるはずである。
あとは、自分の持っているスキルをいかに勉強に応用してい
くかである。
そんなことを考えながら、ぼくは勉強を始めました。
それは、自分の可能性を試す実験であると同時に、今まで自
分が社会人としてやってきたことが間違っていなかったことを
確認する旅でもあったわけです。
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