第6回(6/4) フランス料理 — イギリス料理との比較において Ⅰ フランス

横浜市立大学エクステンション講座
第6回(6/4)
Ⅰ
エピソードで綴るパリとフランスの歴史
フランス料理 — イギリス料理との比較において
フランス料理(La cuisine française)
フランス料理は中華料理と並ぶ世界二大料理という評価を受けている。その起源は
16 世紀ルネサンス期にまで溯る。街中のレストランはずっと前からあるように見え
て、それが出現したのは大革命時である。昔から、旅籠(auberge)や居酒屋(cabaret)
で外食を取ることはできた。だが、美味の保証はない。フランス料理が独立した芸術
分野として確立されるのは比較的新しく、19 世紀に入ってからである。その美味の
背景には、服飾産業と同じく料理人たちのギルドでの厳しい訓練がある。何年も丁稚
奉公を経験したのち、それから職人として地方行脚の修行の旅に出て腕を磨くのであ
る。ギルド的伝統がいちばん後まで残ったのがこの部門である。
1
フランス料理の基本
「フランスの主婦は料理に腕をふるい、オランダの主婦は家具と庭の手入れに腕を
ふるう」といわれる。「フランス人は生きるために食うのではなく、食うために生き
る」ともいわれる。なぜ、そうした国民性ができたのかはよくわからない。
・フランスで冷凍料理は発達しない[注]今はパリ郊外の巨大スーパーで取り扱っている
・フランスではお惣菜屋が少ない
・フランス人は昼食を自宅に帰って摂る[注]今のパリではこの慣習は少なくなった
① 朝食(petit déjeuner)
文字どおり「小さな昼食」である。朝食はフランス人は簡単に済ます。カフェオレ
とバターまたはジャム付きパンだけで済ます。野菜は摂取しない。
② カス=クルート(casse-croute)
10 時のおやつならぬ、農民、工員、学童だけが摂る軽食である。バゲットパン、
ハム
③ 昼食(déjeuner)
地方によっては正餐(dîner)と呼ばれるほど重要な食事である。ビール、ワインも
飲む。時間を惜しむサラリーマンは定食(menu)で済ますことが多い。
④ おやつ(goûter. thé)
ココア,菓子パン,菓子類,トースト,紅茶
⑤ 夕食(dîner )
夕食とは食事を取る場だけではない。家族が食卓を囲んでその日の出来事を語る団
欒の場である。外食レストランは7時から 10 時まで営業。ここでの食事はゆうに
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2時間かかることを覚悟しなければならない。
⑥ 夜食(souper)
劇場、映画がはねた後で摂る食事のこと。
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ソース
フランス料理と中華料理に共通する要素は煮込みであり、ともにソースを重視する。
違うのは、中華料理のソースは魚ダシと煮込み中心であるのに対し、フランス料理で
は肉ダシソースと、ソースの料理は別に調理するところに特徴がある。フランス料理
ではソース専門コック(saucier)のほうがシェフ(chef de cuisine)よりエライ。ソ
ースの作り方は秘伝中の秘で、弟子も親方からコツを盗むやり方で学ぶといわれる。
ダシ汁(fonds),肉(glace de viande),ルー(roux),牛乳(lait),ブドウ酒(vin),
レモン(citron),フレンチドレッシング(sauce vinaigrette),マヨネーズ(sauce
mayonnaise),タルタルソース(sauce tartare)
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主な料理法
・ ロースト(rotissage) 串刺しが正統な調理法
・ 蒸焼き(braissage) フランス独自の調理法で、焼かれるのは豚,鮭,鱒など
・ 網焼き(grillade)魚ではなく牛,豚,羊など
・ ソテー(sauter)魚介ムニエル,牛など
・ 煮込み(bouillir)牛・羊のシチュー,煮込料理(pot-au-feu)の良し悪しは
料理人の腕前しだい
・ 茹でる(pocher)チキン,魚類など
・ フライ(friture)揚げられるのは魚介と海草類で、肉ではない
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献立(食事の順序)
① ポタージュ(スープ類,potage)……とろりとした液状スープでコンソメ類もこ
れに入る。
② オルドーヴル(hors-d'œuvre)……豚肉加工品(ハム,生ハム,ソーセージ),パ
テ,魚介類,生野菜,燻製鮭,サーディン,茸類。多量に食べるものではない。
③ アントレ(entrée)……肉料理との間をつなぐ「入口」という意。軽い肉料理が
中心だが、日本人には分量が多すぎてメインディッシュと勘違いする。オムレツ,
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パイ,焼魚,パテなど。
④ 魚介料理(poissons et crustaces)……メインディッシュの一角を占める魚介類,
伊 勢 エ ビ ( langouste ) と オ マ ー ル ( homard ) の 焼 物 料 理 , ブ イ ヤ ベ ー ス
(bouillabaisse),ホタテ貝(coquille St.-Jacques),焼魚,グラタン,フライ
など。
⑤ 肉料理(viande garnie)……野菜付き肉料理(牛,子牛,豚,羊,子羊,兎,鶏,
アヒル,鹿雉,山鶉など)。フランス人は肉は何でも食べるが、中心は牛であり、
次いで豚肉、鳥肉の順になる.料理法はステーキ,ロースト,網焼きなど。
⑥ サラダ(salade)……肉料理の後に出てくるので注意! サラダ菜,レタス,アン
ディーヴ,チッコリ,キクヂシャ,セロリ,紫キャベツ,カリフラワー,芽キャ
ベツ,米(!),ニンジン,グリンピース,鞘インゲンなど。
⑦ チーズ(fromage)……フランス人(ヨーロッパ人)はチーズ狂で,フランスには 400
種類のチーズがある。日本人はプロセスチーズを好むが、フランス人はこれをあま
り食べず、生チーズと発酵チーズが主である。
[生チーズ]camenbert, brie, petit-suisse[発酵チーズ]maroilles, munster
⑧ デザート(dessert)=entremets et fruit
アントルメ(entremets)…クレープ,スフレ,タルト,パイ,カスタードプリン,
アイスクリーム,シャーベットなど。
果物(fruit)…オレンジ,リンゴ,バナナ,洋梨,グレープフルーツ,パイナッ
プル,サクランボ,イチゴ,プラム,アンズ,ブドウ,イチジク,メロン,ス
グリ,白モモ,黄モモなど。
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パリの外国料理
国際都市パリでは世界中の料理を味わうことができる。パリ第5区のカルティエ・
ラタンに行くと、外国料理はひととおり味わえる。しかし、地理的に近いのと歴史的
交流が盛んであったことからイタリア料理とスペイン料理の店が多い。それ以外にロ
シア料理、ギリシャ料理、ドイツ料理、インド料理、アフリカ料理の店もあるが、何
といってもいちばん多いのは日本料理店(170 店以上)、次いで中国料理店、アラブ
料理店とつづく。日本料理店も最近人気が出てきたが、調理人は日本人でない場合が
多い。日本人シェフをおいている店は料金はとびっきり高い。
Ⅱ
料理の英仏比較 — 美食と粗食の違いは歴史の違いに発する —
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1
序
今回はパリとフランスの問題から少し離れる。しかし、まったく無関係であるので
はない。パリが美食で有名なフランスの代表格であり、パリと聞いてすぐに著名レス
トランを思い浮かべる人は少なくない。地方にも美味しい店は多数ある。パリで修業
した者は必ず地方に出かけて腕を磨くし、地方で修業し成功したシェフは必ずパリを
めざす。だが、フランスにおける美食の歴史を辿っていくと、それほど遠くまでは遡
れない。以下、イギリスとの比較においてフランスの美食の歴史を考察することにし
たい。ここでの問題提起は以下のとおり。
フランス人はなぜゴージャスな食生活を愉しむか? 一方、イギリス人は粗食で有
名だが、ドーヴァー海峡を隔てるだけで、どうして美食と粗食の対照ができたか?
従来の説明によれば、質実剛健なアングロ=サクソン族、プロテスタント国家とし
てのイングランド、享楽的なラテン民族のカトリックの国フランス(?)という国民
性でもって説明されることが多かった。しかし、この見方は狭すぎるし浅い。
もともと英仏の料理に差があったわけではない。カトリック教会は両国ともに質素
を旨とし贅沢を戒めた。分岐はルネサンスとともに訪れる。14 世紀のアヴィニョン
の法王庁は最初の近代的宮廷と見なすことができる。つまり、ここが消費文化を専門
とする教養ある有閑エリートを引き寄せる中心地となったのだ。
それに続くのがルネサンス時代のローマ教皇庁、ミラノ、フェラーラ、ウルビーノ
などの宮廷。
ゾンバルト『恋愛と贅沢と資本主義』(1913 年)は贅沢を準備した条件を挙げる。
① 騎士制度の凋落
② 貴族階級の都市化
③ 専制国家の形成
④ 美術と諸科学の再生
⑤ 社会的儀礼の洗練化
⑥ 莫大な富の蓄積
彼は付け加える。フランスの宮廷は「16 世紀末に続く幾世紀のあいだに宮廷生活
に関連する事柄すべてに関し並ぶものなきモデルとなった」、と。ヨーロッパの他の
宮廷はその国々の文化生活に何の意味ももたず、また、フランス宮廷の単なる隷属的
コピーにすぎなくなった。これは特にイングランドの宮廷についていえる。イングラ
ンドはカトリックから離れ、国教会を創設し、質素な生活から離れるようになった。
その範となったのは海峡を隔てた対岸のフランスである。
2
英仏の権力構造の差
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(英)絶対主義の宮廷社会は市民革命と名誉革命の影響で蕾のうちに摘み取られる
(仏)カペー朝、ヴァロワ朝、ブルボン朝と王権の成長と貴族権力の衰退
(1)フランス貴族のディレッタント[注:芸術の道を究めたアマチュア]趣味
宮廷貴族―国王の側近―威信と蔑みの感情⇒儀式と消費に中心
貴族
絶対王権
在郷貴族 ― 田舎にひっそり隠遁 ― 在郷の名士
新興のブルジョアジー
<宮廷貴族>……立ち居振る舞い、マナー、外見がステータスの象徴になる
大邸宅、建築上の細部(装飾)、召使の数、厨房スタッフ
・浪費システムのなかで多くの門閥は経済的に破綻し、国王から下賜される年金や官
職がなければ、多くが破滅の危機に瀕したはずである ⇒ ますます国王に隷属
・貴族たる者は贅沢を嫌ってはいけない、贅沢は貴族の証し
・贅沢浪費は量・質の2面をもつ、この貴族の階級エートスが料理に直接に反映
(量)宮廷の宴会では食べ残しが当然で、惜しんではならない
(質)料理の質に関する要素は「洗練」であり、不必要な調理以上のもの
フランスの贅沢趣味は皿やソースの名に貴族(パトロン)の銘が付けられたこと
[注:マヨネーズ男爵]に見出せる。パトロンはそれを得意がり、大宮廷人のなかには自
分で厨房に立つディレッタントも出現。一方、イギリスではディレッタント的貴族は
皆無である。
(2)イギリスの支配階級の権力と構造
ディレッタント的貴族が不在という根底にイギリス社会の特質が横たわっている。
英王は封建的服従の基礎を血統や家柄ではなく、土地財産に置くようつとめた(封土)
⇒ 騎士階級に就くためには一定量の土地をもつことが前提となった。
王は封土の売買を放置した ⇒ ジェントリの出現
↓
貴族とジェントリの階層区分が曖昧になる
貴族とジェントリの区分は非課税か、あるいは課税かの違いのみ
↓
17 世紀の王権は議会の闘争で敗北したため、王権の絶対主義化への道が頓挫し、
イギリスの政治的権力は議会、貴族、ジェントリのあいだで分有されることになる。
18 世紀イギリスの支配階級はフランスのそれとは大いに異なる。
① 地主社会が支配的
② 帯剣貴族(血の貴族)と法服貴族の違いはない
③ 在郷(田舎)貴族に対する蔑視はない
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④ 貴族の総数は寡少で 160~170 世帯(1800 年)、ジェントリ 8 千~2万世帯
⑤ 貴族もジェントリも経済活動の自由を享受し、経済的基盤は安泰 ⇒ 社会安定
イギリスの地主のほとんどは 1 年のうち、かなりの期間を領地で生活し、田園生活
の営みつつ地方の社会生活に関与する。Cf. 治安判事、地方の公職
貴族とジェントリの双方を含む最大の土地所有者 400 世帯は毎年、冬と春の3~4
か月間だけロンドンで過ごす。首都へのこの毎年の移動は「ロンドンシーズン」とい
われる社交季節として知られる。
ロンドンの大邸宅は社会的、政治的影響力の中心として王の宮廷に対抗し、しばし
ば王宮をも上まわる。18 世紀の国王は特権階級の昇進と転落についてフランス王が
保持していたような権限や統率力をもたない。
(上院)貴族
・ロンドンシーズンは政治と深く関わり、議会は冬と春に開会
(下院)ジェントリ
・イギリスの宮廷における食事はきわめて質素
しかし、18 世紀ともなると、フランスのゴージャスな料理の影響はイギリスにも
あらわれるようになる。ただし、フランスの食べ物というファッションはロンドンの
最富裕階級の小さなサークルに局限される。
だが、これを過大評価してはいけない。なぜなら、フランスのような社会競争の展
示場所としての宮廷は存在しないからだ。イギリスの貴族やジェントリ間の競争は料
理やファッションではなく、実質的な社会的機能の分野でおこなわれた。
(3)英仏比較 — 都市と田園
イギリスの食べ物の本質は「田園」に、フランスのそれは「都市」つまり「宮廷」
にある。宮廷の本質は、ルイ十四世がもともと田園地帯であったヴェルサイユに宮殿
を移したにもかかわらず、それは都市的なものに変わる。宮廷と宮廷人、そして、彼
らの必要を満たす商人たちを一か所に集めたことは、英・仏間における食べ物の発達
の深層に「田園」vs「都市」の対比が宿ることになった。
ロンドンとパリの人口成長(人)
ロンドン (対総人口比率)
1600 年
1650 年
1700 年
1750 年
1800 年
英
仏
の
200,000 人
7%
350,000
575,000
675,000
11%
900,000
(イギリス)
消費の中心地ロンドン
社会階層の下部に及ぶ
パ
リ
(対対総人口比率)
400,000 人
450,000
2.5%
500,000
525,000
2.5%
550,000
(フランス)
贅沢品生産と消費の中心地パリ
ファッショナブル社会は狭小
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料
理
比
較
料理面の階層間距離は縮小
田園生活の威信の存続
料理:農村的嗜好の持続
田園では自家製品を食べる
料理面の階層間距離は大きい
宮廷料理術は社会の底辺には無縁
料理:農村的嗜好の持続
家庭菜園と乳製品(野菜とクリーム)
(4)イギリスの農村伝統的料理術の衰退の要因
① 農村人口の急激な減少と賃金労働者の増大……食事を単調なものに
② 上層階級のレディが厨房から離れる……………フランス料理へ動く
③ 農民人口の減少…35%農民(1811 年)⇒12%(1911 年)⇒6.5%(1951 年)
④ イギリスの伝統的料理術の社会的基盤が崩壊
(5)イギリスの都市賃金労働者)
① 家庭菜園から生じる無料の食材をもたない ⇒粗食
② 砂糖と紅茶(簡易食物)の普及 ⇒エネルギーだけは豊富 ⇒粗食
③ 婦人と児童の工場での雇用と時間賃金制 ⇒食事時間の短縮 ⇒粗食
(6)都市化現象に見る英仏の差
イギリス
フランス
人口が急激増大
全人口がゆっくり増大
人口2~10 万の中規模都市の成長が顕著
パリ、リヨン、マルセイユ等大都市が傑出
↓
↓
伝統的料理術からの断絶
全体として料理の農村的性格の存続
(富者)肉、ベーコン、チーズ
(富者)おしなべて豪奢な食事
(貧民)パン、チーズ、ジャガイモ、野菜くず (貧民)それなりに(日に1食は)上質食事
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職業としての料理術
(1)レストラン
英仏の料理術の差を拡大した要因としてフランスのレストランが挙げられる。
イギリスでは 17 世紀中葉の市民革命に先んじギルドの衰退が著しく職業独占が崩
れており、すべての職業部門が自由競争にさらされていた。市民革命はあらゆる職業
的統制を完全に解放した。
これに対し、フランスでは大革命までギルドが隆盛を誇っただけでなく、大革命以
後もギルドはコンパニョナージュ(職業組合)として存続。宮廷での料理人はむろん、
ギルドで腕に磨きをかけたシェフ以外には務まらなかった。
フランスの偉大なレストランの歴史はそれほど古くなく、大革命時代に始まるとさ
れている。フランス大革命で代議制議会がパリに誕生すると、農村部からどっと地主
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やブルジョワジーがパリに集まった。ところが、いかんせん! それまでのパリには
一般公衆を客とするようなレストランが存在しない。かくて、パリ都心部にレストラ
ンが現われはじめる。料理人はどうかといえば、貴族が大量に国外逃亡していたため、
おかかえの料理人は失業状態にあり、彼らが町場のレストランの雇用にありついたの
である。
このレストランの出現が刺激となって、洗練され、贅沢で手の込んだ食べものがい
っそう急激に発達する。19 世紀にはフランス料理が国際的覇権を確立し、ヨーロッ
パ全土はもとより北米までもがその影響下に入る。
(2)フランス料理術の覇権がもたらした結果
① 専門シェフのための料理書をフランスが独占
② 国家間の差異が階級間の差異と密接に関連
③ フランスの高級料理に連続性があるのに対し、イギリスの田園料理の伝統は 19
世紀中に喪失
(3)旅行客における食事面での英仏の差
イギリス
フランス
イギリス人は外食の習慣をもたない
フランス人は外食を好む⇒大中小レストラン
イン(Inn)滞在客に食事を提供(義務)
パリのホテルは原則的に食事を提供しない
コーヒー・ハウスに Dining Room あり
カフェで軽食を摂ることはできる
タバーン(Tavern)宿泊客の食事摂取は義務 オーベルジュでは食事摂取は当然
B&B(Bed and Breakfast)は家庭料理
フランスのホテルで家庭料理は期待できない
(c)Michiaki Matsui 2015
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